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第1章 アリシアの諜報活動

06 新たな問題

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 水をかけられたその後も嫌がらせは続いた。物を壊されたり、針を仕込まれたり、再び水をかけられたりと、隠れて出来る嫌がらせばかりだった。

 3日に1度程で些細な嫌がらせを受け、それが二週間過ぎた頃。アリシアもいい加減うんざりしていた。犯人特定をしてやめさせたいが、如何せん仕事が忙しい。その上アリシアがいない時を狙ってくるので、なかなか現場も押さえられない。
 アリシアがどのように対処しようかと考え始めた頃、ハルシュタイン将軍の一言で新たな問題が発覚した。


「レッツェル、3日前はゆっくり休めたか?」

 この日も指名され、嫌々ながらも給仕に訪れた第二応接室。室内にはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍がソファに腰かけている。
 アリシアが彼らの前でいつも通りティーポットに茶葉を入れていると、ハルシュタイン将軍から声をかけられた。

 アリシアは今週の自分の出勤日を思い出すが、3日前は出勤していた。以前ハルシュタイン将軍に休日を聞かれたことがある。王宮使用人はシフト制であり、週一日、毎週同じ曜日が休日になる。なので彼らはアリシアの休日を知っているはずだ。なのに出勤日に休めたかと聞かれる意図が分からない。

(もしかして私が休憩中にいらっしゃったのかしら?・・・だとしても休めたか、は変よね)

 良く分からず、アリシアは窺うようにハルシュタイン将軍を見つめる。

「・・・3日前、ですか?」
「ああ。ギルベルトに用事があって一人で登城した。その時に君は休暇を取っていると聞いたが」
「え・・・?」

 意外な事を言われて、思わず声が漏れる。そしてその瞬間、アリシアは己が失言した事に気付いた。
 聡すぎる彼らは今のアリシアの反応だけで事情を大まかに把握したようだ。ハルシュタイン将軍もリーネルト将軍もわずかに眉間に皺を寄せた。

(嘘でしょ・・・これだけで察するなんて・・・恐ろしい)

 彼ら二人のわずかな反応だけで見抜くアリシアも、実はかなりの洞察力がある。王宮へ潜伏することが許可されたのも、諜報員訓練でアリシアの洞察力が鋭いと評価されていたからだ。
 そんなアリシアがこれまで彼らと接してきたのは3週間ほど。大体2~3日に一回程度で登城するのだが、それだけでも洞察力の鋭いアリシアは、彼らの性格をそれなりに把握できていた。
 彼ら二人は、相手が思わずといった反応に対して不快感を感じるタイプではない。むしろその反応から相手がどう感じたかを鋭く察する。今の彼らの反応も、決してアリシアに眉を寄せたのではなく、3日前に何があったのかを推測したからだ。

 アリシアは改めて目の前の二人に対して恐怖を覚えた。『アメリア=レッツェルはド田舎出身であまり世間を知らない』という設定で良かったと、つくづく思う。そうでなければアリシアのふとした言動で、この二人から今頃怪しまれていただろう。発言には本当に気を付けないと、と改めて身を引き締める。

 ハルシュタイン将軍とリーネルト将軍はアリシアをじっと見つめている。アリシアが何を言うか、それに伴うちょっとした動きすらも、拾い落とすことがないように窺っているのだ。

(・・・怖い。怖すぎる)

 もしこれが自分に非があっての尋問だとしたら。果たしてアリシアは隠し通せるだろうか。

(絶対にこの二人には怪しまれないようにしなきゃ。怪しまれたその瞬間に終わりを迎えてしまう)

 嫌な汗をかきそうになるが、今はアリシアが責められている訳ではない。
 アリシアは気を取り直すと、戸惑う感情をそのまま表情に出して、こちらを見つめている二人を交互に見やる。そして視線を落として口元に軽く手を当て、悩んでいる素振りをした。
 何か言うべきなのは分かっているが、この二人の場合、余計なことは言えない。アリシアは少し考える時間が欲しかったので、不自然ない挙動でそれを得た。これも諜報訓練で習った手法だ。

 アリシアは目の前にあるポットの中に入れた茶葉を見つめて考える。改めて自分の出勤日を思い出すが、やはり3日前は出勤していた。給仕に出る以外はパーラー待機室に居たはずだ。しかし指名されたことも、ハルシュタイン将軍が登城したことも聞いていない。日誌にも残っていなかった。

(つまり、3日前に誰かが嘘を付いて、日誌にも書かなかった、もしくは消した)

 アリシアは額に手を当てて項垂れたくなった。
 もしかしてこれも嫌がらせの一環なのだろうか。自分一人のみがターゲットになるならと様子見してきたが、お客様を不快にさせた事と日誌の誤魔化しはさすがにまずい。

(ああ・・・もう)

 仕事よりも利己を優先した人物に対し、真面目なアリシアの心の中には呆れと怒り、うんざりする気持ちがグルグルと渦巻く。思わず大きなため息をつきたくなったが、今は仕事中だ。目の前の二人に聞こえないよう、小さく息をついた。
 そうして気分を落ち着かせつつ、将軍二人をチラリと見やると、リーネルト将軍は変わらずアリシアを見つめ、そしてハルシュタイン将軍はアリシアから視線を外し、考え込むように眉間に皺を寄せている。

(・・・まずい、かもしれない)

 嘘の内容自体、些細な事だ。しかし彼らは将軍。
 この国の将軍という役職は魔王ギルベルト直属であり、魔王が不在になった場合は5人の将軍と3人の文官長が議論を行い、その執務を代行する。つまり、この国の将軍は戦いを担うだけでなく、執政権をも持っている。
 そしてクラウス=ハルシュタインは、かの魔王ギルベルトと幼馴染で親しく、彼から最も信頼を受けている人物。アレクシス=リーネルトは、ハルシュタイン将軍と同時期に将軍となり、親しくなったハルシュタイン将軍経由で、今は魔王ギルベルトから信頼を得るに至っている。

 この将軍二人が頻繁に王宮へと訪れるのは、魔王ギルベルトの執政の一部を担っているからだ。真面目に仕事をする二人は、各部署の文官達からも信頼されていると聞いている。

 そんな実績からくる信頼と権力を持っている二人の将軍が、王宮使用人に対して不快感を露にしている。どう考えてもまずい。

 アリシアは視線を手元へと戻し、ひとまず保温ポットからお湯を注ぐ。ティーコジーを被せて砂時計をひっくり返し、どうしたものかと、再び小さくため息をついた。

 とにかく、同じ王宮の使用人がやらかした事であれば、この場は同僚であるアリシアが対応すべきだろう。アリシアは完全に被害者側ではあるが、今この場にいる王宮使用人はアリシアしかいないのだ。

(誰がしたことかハッキリさせて、エルゼさんに報告した方がいいわね・・・彼らが苦情を言いに来るか・・・魔王様にお話されるかもしれない。魔王様に話された場合、魔王様からロットナーさんの所にこの話がいく。その前に、私から報告を上げた方がいい)

 落ちていく砂時計の砂を数秒眺めながら考えをまとめたアリシアは、顔を上げてハルシュタイン将軍へと視線を向けて口を開いた。

「あの・・・すぐに返答出来ず失礼致しました。先程のお話ですが、私が休暇だと、誰からお聞きになったのですか?」

 この質問をしてしまうと、『レッツェルは3日前は出勤していた』という彼らの考えを遠回しに肯定することになる。しかし聞かない事には情報を得られないので、致し方ない。
 そもそも彼らのこの雰囲気では、もう誤魔化せない。あからさまな嘘は失礼に当たるし、アリシアの信用を損なう。王宮に使用人として潜伏し続けたいのなら、ある程度各方面からの信用は必要だ。世間話のような軽い話題だとしても、信用と好感が無ければ使用人にわざわざ声をかけないだろう。目の前の二人とはあまり会いたくないが、信用はあった方が良いに決まっている。

 ハルシュタイン将軍はアリシアへ顔を向けるが、じっとアリシアの顔を見つめた後に小さく息をついた。その向かいではリーネルト将軍が腕を組み、「やはりな」と小さく呟いた。
 やはりアリシアの質問自体が彼らの推測を肯定したようだ。

「君は気にしなくていい」

 ハルシュタイン将軍は眉を寄せて顎に手を当てると、アリシアから視線を外して告げた。彼の表情や態度は不機嫌な様子だが、アリシアに向けて発したその声音は優しさや気遣いを感じさせるものだった。
 声まで不機嫌であれば、さすがにアリシアだって発言しにくい。しかしハルシュタイン将軍は考え込みながらもアリシアへの配慮を忘れていない。それならば、とアリシアはハルシュタイン将軍に言葉を続けた。

「しかし、私達王宮使用人が何らかの無礼を働いて、将軍がご不快に・・・」
「君達全体の無礼じゃないし、君自身にも責任はないだろう?むしろ仕事を奪われている。問題なのは、王宮の使用人でありながら、客人である私の希望よりも個人の欲を優先させて周りを欺いた当人だ」
「・・・」

 アリシアの言葉を遮り、ハルシュタイン将軍はアリシアと視線を合わせると、ハッキリとした口調で遮る。全くその通りなので、アリシアは何も言えなくなった。

(そうよね・・・将軍の立場であれば、なあなあで終わらせられない事もあるでしょうし)

 この魔国ティナドランは実力主義だ。将軍や文官長になるのに家柄も関係ないし、身分制度もない。ただただ、能力が求められる。
 クラウス=ハルシュタイン将軍は軍に所属して以降、結果を残し続けてきた人物としても有名だ。そんな将軍の要望を、使用人が己の都合で欺いた。それに対して何の処分もなければ将軍の沽券に関わるだろうし、何より今後も同じ事をしても許されると思われる。

(さっきハルシュタイン将軍は『個人の欲』って言ったわよね)

 つまり・・・とアリシアは思案しようと視線を下へと向ける。そこには間もなく落ち切る砂時計があった。

(わ!いけない!まだお菓子も運んでなかった!)

 ひとまず紅茶を先に出さなければ。アリシアはティーカップを用意して給仕を再開する。
 そんなアリシアを眺めながら、今度はリーネルト将軍がため息をついて口を開いた。

「この前もそれで二人退職することになったのに・・・懲りないな」
「もうあれで無くなると思ってたんだが・・・」
「そろそろほとぼりが冷めて、今がチャンスだとでも思ったんじゃないか?」
「・・・くだらない」

 嫌そうに吐き捨てるハルシュタイン将軍と、迷惑そうな顔をして顎に手を当てているリーネルト将軍。穏やかな二人が露骨に表に出した嫌悪に、内心アリシアは驚いた。
 そして。

(その退職した二人っていうのはもしかして・・・)

 もしかしなくても、トビアス=ブルメスターから王宮の使用人への推薦話を聞いた時に気になった、『今月3人退職した』うちの2人だろう。
 そして今の会話から察するに、その理由はハルシュタイン将軍とリーネルト将軍に好意を寄せて、彼らを不快にする何かをしでかしたようだ。

(そういえば初めて私が給仕した時、このお二人は私を警戒してたみたいだし・・・)

 何かがあった後だったからこそ、新人のアリシアを警戒して様子見したのだろうか。その結果、アリシアはハルシュタイン将軍から爆笑をお見舞いされたが。

(じゃあ、もしかして今回のは私への嫌がらせじゃなくて・・・ただ、ハルシュタイン将軍に会いたくて嘘を付いた、という事なのかな・・・?)

 ハルシュタイン将軍とリーネルト将軍はメイドから人気だ。しかし最近はアリシアを指名するので、他のパーラー達が担当することがめっきり減った。そんな状況であるからこそ、会いたくて付いた嘘なら、まあ可愛いとも言えるだろう。本来なら口頭による厳重注意程度で済むかもしれない。
 しかしアリシアの前に座る二人からは嫌悪をヒシヒシと感じる。しかも、3日前に登城したのはハルシュタイン将軍だけなはずなのに、リーネルト将軍までそのような反応をするとは。

(お二方とも、女性から好意を寄せられることに対してアレルギー反応が出てる、とか?)

 目の前に座る将軍二人は、アリシアが欲している情報を教えてくれないので真相は分からない。だからアリシアに言えることはただひとつ。

(何にせよ、面倒だわ・・・)

 アリシアはただただ、一介の使用人でありたい。可もなく不可もない使用人が理想だ。仕事はある程度出来るという評価をされればなお良し。そうすれば王宮使用人として潜伏し続ける事が出来る。長く潜伏出来れば信頼を得られるし、王宮内の情報も入りやすくなる。運が良ければ戦争を止める情報を掴む事が出来るかもしれない。
 なのに潜伏してまだ2ヶ月も経たないうちからこの状態だ。悪目立ちばかりしている気がする。

 アリシアは給仕で必要なものを出し終えると、壁際に立ち、この後の事へ意識を向けた。

 将軍に嘘を付いたパーラーがいることを、パーラー長エルゼに報告しなくてはならない。対象者には何かしらの処分が下るだろう。しかしそうなると、それを知ったアリシアへ嫌がらせをしているメイド達はどう動くだろうか。彼女達と何か関連はあるのだろうか。

(静かに過ごしたいだけなのに、なかなか思う通りに行かないわね・・・)

 アリシアは精神的な疲労を自覚し、心の中でため息をついた。

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