上 下
23 / 75
第1章 アリシアの諜報活動

22 森林公園

しおりを挟む
 王都の街中を過ぎて郊外に出ると、ハルシュタイン将軍はヴァネサを街道の外へ誘導した。そこからギャロップで駆け始め、すぐにヴァネサが魔術を展開して最高速度で走り始めた。

「わぁ・・・!凄い!」

 郊外の長閑な景色はあっという間に様変わりし、今は山に向かって草原や森林の道の脇を走っている。
 ヴァネサは障害物があってもスイスイと避けていく。体を動かす速さは馬と変わらないのに、信じられないスピードを、少なくとも30分は維持しているように感じる。通常の馬ならギャロップで駆けた場合、一人騎乗でも持って10分だ。鍛え抜かれた軍馬だとしても20分程度だろう。

(ヴァネサが防御結界を張ってくれてるけど、身体強化も同時にしてるのよね。じゃなきゃ、馬と同じ体でこれほどの速さと持久力は出ない)

 身体強化は精霊術にはない、魔術限定の術だ。アリシアはシュヴィートが身体強化を扱えるとは思っていなかったので純粋に驚いた。

「充分に振り切ったし、目的地もあと少しだ。ヴァネサもそろそろ満足しただろ」

 ハルシュタイン将軍はそう言うと、手綱を引いてヴァネサへ減速の合図をする。ヴァネサは素直に従い、ゆっくりと減速していった。常歩になると、ハルシュタイン将軍はヴァネサを街道へ移動させる。

 減速に合わせ、腰を浮かせて前傾姿勢だったハルシュタイン将軍が通常の騎乗の体勢に戻ったので、アリシアはホッとした。すぐに通常の騎乗の体勢に戻した。

(恥ずかしいわ緊張するわだったけど、我慢した甲斐はあった・・・・・・のかな)

 ギャロップ、別の言い方では襲歩ともいうが、それを二人乗りで行うのは初めての経験だった。そもそもギャロップは一人乗りの状態でするものだと思っていたし、普通遠出をする際、馬も乗り手も疲れるので基本常歩だ。急ぐにしても早足か駆け足を数分程度だろう。

 ギャロップは馬の最高速度であり、走る際には衝撃が生じる。その衝撃を腰を浮かせて足を中心に全身で受け流さなければならない。通常の騎乗体勢でも乗れなくはないが、尻の皮が剥けて痛いからお前はやるなと兄エンジュから言われていたし、ハルシュタイン将軍からも先程同じ注意を受けた。
 魔国ティナドランでも剣片手に通常体勢でのギャロップをする訓練を軍でするらしい。慣れるまではお尻の皮が剥けたり擦り傷が絶えない。しかし魔術で治療すると、怪我をする前の状態に戻るだけなのでお尻の皮が厚くならない。なので敢えて治さずに過ごす間、椅子に座るのが苦痛だったと、ハルシュタイン将軍は笑いながら話していた。

 シュヴィートであるヴァネサのギャロップ中も、馬と同じく腰を浮かせた前傾姿勢を取らなければならない。しかしアリシアが前傾姿勢を取ると、後ろに座るハルシュタイン将軍にお尻を付き出す事になる。気を利かせたハルシュタイン将軍は、何も言わず前傾姿勢で乗ってくれていた。
 そしてヴァネサが障害物を避ける度に反動で左右に振られる。心配したハルシュタイン将軍は、アリシアのお腹に腕を回し、後ろから抱き込むように支えたり、それ以外にも何度か互いに体が触れた。しかし危険なので余計な身動きも出来なかった。
 家族以外の男性に体を密着される経験は、アリシアは生まれて初めてだった。ハルシュタイン将軍に支えられている間、恥ずかしさのあまりどうしていいか分からず、ただただ赤面していた。

(・・・そうよ。監視を振り切れたからこそ、今は自由に振舞えるようになったんだから)

 そう理由づけて、ドキドキする胸を抑え込むように、アリシアはなんとか自分を宥める。心の動揺が声に出ないように、何度か深呼吸をしてから、努めて冷静な声を出した。

「やはり、最初から監視を振り切るおつもりだったのですね」
「さすがだな。相変わらず察しが良い」

 アリシアの言葉に、後ろから楽しそうな声が応じた。
 騎乗中に後ろを振り向いたところで、ハルシュタイン将軍の顔はしっかりとは見えない。分かってはいるのだが、アリシアは振り返る。案の定、視界の端にニヤニヤと面白そうに笑っている顔が見えた。

「・・・誰でも気が付く範疇でしょう」

 一体今の何が面白いのかアリシアには分からない。またそんな顔してる・・・と前を向いて半目になった。

「そうか?」
「そうです」
「だが君は毎回、俺が言わずとも察している。前回依頼をした時も、俺の言動だけで気付いただろう。監視を意識して自然な話し方をするのも、なかなか難しいはずだ」

 確かにうかつな発言をしないように、姿が見えない者に注意しながら言葉を選んで話すのは、それなりに疲れる。しかし。

「今日は恋人としてのカモフラージュも兼ねた外出でしょう?それを頭の中でしっかりと確認しておけば、それほど難しくはありません」

 アリシアは諜報員訓練の際、そういった練習も沢山した。もっと高度な演技の練習までしたのだ。この程度の事なら、仕事のオン・オフの感覚と同じだ。仕事モードになれば口調が丁寧になるし、素は出さない。余計な発言もしない。

 ハルシュタイン将軍はアリシアの言葉を聞いてしばらく沈黙した後、はあ、と大きくため息をついた。

「そうか・・・そうだな」
「・・・?」

 アリシアの発言のいずれかに呆れているようだ。おかしな事は言っていないと思うのだが。アリシアの素性がバレるような発言もしていない。怪訝に思いつつも、アリシアは前方に意識を向けた。

(・・・わぁ!きれい!)

 ふと気付くと、アリシアの目の前には豊かな自然が広がっていた。ハルシュタイン将軍との距離の近さによる動揺が薄れ、景色を愛でる余裕が出てきたのだ。
 アリシアはハルシュタイン将軍の反応を待ちながら、街道を中心に広がる野原に、ぽつりぽつりと咲く野花を見つめる。

 あの黄色い花はなんだろう。近くの白い花の群生から蝶がフワリと浮き上がった。蜂も蜜を集めている。あ、木陰から小鳥が飛び立った。小鳥が留まったあの大きく立派な木は何の木だろう。

 ワクワクしながら自然の景色に夢中になっていると、ようやく後ろからやや疲れたような声が聞こえた。

「まあいい。それよりもうすぐ着く。折角ここまで来たんだ。荷物を降ろしたらまずは散策しよう。自然に触れたかったんだろ?」
「・・・!はい。是非」

 森林公園の散策という言葉で、ワクワクしていたアリシアの心はパッと明るくなった。



 森林公園にたどり着くと、ハルシュタイン将軍はヴァネサから荷物と鞍を外し、木の脇に置いて魔術を発動させた。

「今は他に人は居ないようだが、念のため隠蔽だ。俺には見えるし、誰かが触れたら分かるようにしてある。それからヴァネサ」

 ひとまとめにした荷物を術で見えなくした後、ハルシュタイン将軍はヴァネサに呼び掛ける。ヴァネサはハルシュタイン将軍に顔を向けると、頭を下げて角をつき出した。そこに再びハルシュタイン将軍が術をかけると、角が消えた。

「よし。いつも通りその辺りでのんびりしててくれ。帰る時になったら呼ぶ」

 その言葉に小さく嬉しそうに鳴くと、ヴァネサは踵を返して歩き出した。

(なるほど、確かに。普通の馬ならともかく、シュヴィートをその辺でうろつかせる訳にはね・・・)

 軍が独占している魔獣がこんな場所に居たら、一般人なら驚くだろう。万が一相手が悪巧みをするような者なら、シュヴィートを無理やり連れ去ってしまうかもしれない。しかし通常の馬であれば、今のように放して休ませるのは良くある光景だ。

「俺らも行こう。あちらに池がある。眺めが良くて人気スポットらしいぞ」

 のんびり草を食みながら、水場を探して歩いていくヴァネサを眺めていると、ハルシュタイン将軍が公園の奥を指さした。アリシアもそちらへと視線を向ける。

 辺りは草原が広がり、奥には針葉樹林が見える。その少し手前には広葉樹が広がり、秋の穏やかな日差しがまだ青々としている葉を照らす。抜ける様な青空と緑のコントラストで、美しい景観を作り上げていた。

「ここからの眺めも素晴らしいですね」

 レンガが敷き詰められている遊歩道を歩きながら、アリシアは山の空気を吸い込む。山独特の香りと程よい湿度がアリシアの気分を上げた。

(やっぱり気持ちいいなぁ)

 こういう自然豊かな場所には精霊が多い。精霊が多い場所は清浄な空気になるものだ。沢山の精霊の気配を感じながら、心穏やかな気分でリラックスする。乗馬で固まった体がリフレッシュされるようだ。

(エルフの里にいるみたい)

 魔国ティナドランに来てから初めて感じる自然の豊かさに、アリシアの脳裏に精霊神の姿が浮かんだ。

(楽しんでばかりいないで、仕事しなきゃ)

 精霊神がもしここにいたら『のんびりもいいよねぇ』と気の抜けた発言もしそうだが、アリシアはのんびりするためにこの国に潜入している訳ではない。急に現実に戻ったアリシアは、隣を歩くハルシュタイン将軍へと顔を向けた。

「ハルシュタイン将軍。今お話ししても大丈夫でしょうか?」
「ああ」

 監視達に聞かれたくない会話をしていいか、という意味で確認すると、察したハルシュタイン将軍はアリシアの顔を見て頷いた。

「最後にアードラー文官長が登城されて以降、この5日間は王宮での動きはないとの事でしたが、王宮の外でも動きはないのでしょうか?」

 暗殺計画に関連する動きがあるなら、教えてもらえるなら知りたい。干渉は出来ないが、何かあった時の心の準備が出来る。
 ハルシュタイン将軍はじっと見つめるアリシアから目を逸らすと、思い出すように遠くを見つめた。

「君から初めて報告を受け取った翌日、アードラー文官長はヴュンシュマン将軍に会いに行ったようだ。登城した事の報告と打ち合わせにでも行ったんだろう。それ以降は目立った動きはない。ただ、グルオル地方のホルツマン食料管理補佐官の件があるから、ギルベルトがアードラー文官長を明日呼び出すと言っていた。その時にどんな行動をするかを気にかけておいて欲しい」
「明日ですか!分かりました」

 明日とは想像していなかったので、アリシアは驚いた声を上げた。
 今日聞けて良かった、とアリシアはホッとする。あらかじめ分かっているなら、アンテナも張りやすい。

 ホルツマン食料管理補佐官の件であれば、一度リーゼと話したので、それを取っ掛かりかにして話題に出せば良い。リーゼもエレオノーラを心配していた。アードラー文官長の王宮での立ち振る舞いについて、快く情報収集の協力してくれるだろう。

 ちなみに文官達の仕事場は王宮の隣・・・と言っても距離はあるが、王宮の最も近くに建っている行政館だ。明日、魔王ギルベルトが登城命令を出せば、アードラー文官長もすぐに登城するだろう。

「あとは今のところないな。引き続き頼む」
「はい」
「他に聞きたいことは?」
「他に・・・」

 うーんと思い返すが、これといって出てこない。そもそもまだ報告を上げるようになってから一週間しか経っていない。王宮でも大きな動きはないし、軍部には機密も多いだろう。いち使用人であるアリシアは細かいことまで知らない方が良い。

「今のところはありません」
「そうか。俺からも聞いて良いか?」
「なんでしょうか?」

 ハルシュタイン将軍が知りたいと思われることは全て報告しているはずだが、とアリシアは不思議に思いつつ、問い返す。

「リーゼ=ヒュフナーと毎日情報交換しているようだが、どういう名目でやっているんだ?」

 アリシアは内心ギクリとした。
 アリシアとリーゼが気が合い仲良くしているのはハルシュタイン将軍も知っている事なので、まさかそこを聞かれるとは思っていなかった。

(正直にコーヒーの事を話す?・・・・・・いえ、止めておいた方が良い。恐らく、この人は裏付けを取りに行く)

 アリシアが魔国ティナドランで使用人として潜入する際、『アメリア=レッツェル』の身分証明の書類が必要だった。それを事前に人類連合の捕虜となった魔人に用意させたのだ。レッツェル家もちゃんと実在する家系だ。調べられても問題が無いようにはしてあるが、このハルシュタイン将軍という人物は隙が無い。『アメリア=レッツェル』を詳しく調べられたら、不審な点に気付くかもしれない。

 ならばコーヒーの事は隠すしかないだろう。

 アリシアはうーんと唸ってから口を開いた。

「・・・これをお話ししたら、ハルシュタイン将軍が気分を害されるかもしれませんが・・・」
「俺から聞いてるんだから、小さい事でイチイチ怒らん」

 アリシアは横を歩くハルシュタイン将軍を見る。彼はアリシアから信用を得ようとしているのか、真面目な顔でアリシアを見ていた。
 誤魔化しても諦める気はなさそうなので、アリシアは言いにくそうに続ける。

「前にハルシュタイン将軍が私の部屋へ忍び込みましたよね。ヒュフナーは再発を心配しているようで。時間が合う時に私の部屋でお茶をしているんです」

 後でリーゼにも口裏を合わせてもらわないといけないが、きっと彼女は協力してくれるだろう。
 それにお茶をしていることは嘘ではない。紅茶ではなくコーヒーで、だが。

「・・・・・・そうか」

 アリシアを見つめていたハルシュタイン将軍は、気まずそうな顔を一瞬だけしてから顔を逸らし、真顔で正面を見据えた。

(・・・自分が悪いとは言ってたけど、ちゃんと分かってくださってるみたい)

 いくら用事があったとはいえ、年頃の女子の部屋に夜忍び込むなんて、デリカシーがないと言って良い。着替えをしている最中に入ってこられる可能性だってあったのだ。ちゃんとそのあたりを理解して申し訳ないと思ってくれているようなので、アリシアは良しとした。
 しかしハルシュタイン将軍でもこんな反応をするのかと、少々意外に思った。ちょっとした意趣返しなったのかな、とアリシアは声を出さずに笑った。

「ヒュフナーは話しかけやすいので、王宮内のあちこちで色々な話を聞いてくるんです。私が普段話さない相手にこのタイミングで話しかけては怪しまれますし。彼女から情報を得るのが一番都合がいいんです。もちろん、ヒュフナーに暗殺については一切話してません」
「ああ」

 ハルシュタイン将軍が何を気にしての質問なのか考えれば、暗殺計画についてリーゼに話したかを心配していたのだろうと推測出来る。案の定、ハルシュタイン将軍はアリシアの答えを聞いて、何かを思案している様子だ。

 考え事の邪魔にならないように静かに歩いていくと、右側の視界を遮っていた木々が途切れ、その先に水面が見えてきた。

(あれかな)

 期待を膨らませつつ、目が釘付けになる。

「ああ、見えてきたな」

 ハルシュタイン将軍も気付いたようで、思案を止めて口を開く。

「もう少しすると紅葉が見事らしい。その時にまた見に来てもいいが、紅葉目的の奴らで混むらしくてな。俺は来たことがない」
「他の季節にはいらっしゃったことが?」
「むかーしに、な」

 少しだけうんざりとした感情が込められた言葉に、アリシアは(ああ)と気付く。

「そうですね。ハルシュタイン将軍が観光地にいたら、大騒ぎになりますね・・・」

 クラウス=ハルシュタインの父ライナルトも優秀な将軍だった。二代続けて有名であれば、子供の頃から今に至るまで観光名所などにはあまり行けなかっただろう。

(父さんもそうだったしなぁ。仕事も大変なのに、オフでも大変なんて)

 ふとアリシアは気付く。

「魔術で姿は変えられないのですか?」

 父を討った魔人は魔術で人間の兵士に姿を変えていた、と聞いた。ハルシュタイン将軍は将軍の中でも優秀と言われているのだから、彼にも可能なのではないか。
 しかしハルシュタイン将軍は顔を横に振った。

「出来ないことはないが、あれは事前準備が必要だ。維持するのに大量の魔力が必要となるから、魔力を込めた特殊な魔道具が何個も必要になる。あまり現実的じゃないな」
「そうでしたか・・・」

 それでは父を討った魔人は事前に相当な準備をしていたのだろう。剣術も魔術も強かったと言っていた。

(副官さんが『将軍クラス』って言ってたのも本当なのね)

 アリシアは隣を歩くハルシュタイン将軍を見る。

『ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男』

 それは父を討ったという例の魔人の外見だ。

(特徴だけで言うならハルシュタイン将軍が当てはまるけど、当時既に将軍だったからなぁ。何度も対峙していたあの副官さんが見間違える事はないと思うし。いくら仲が良いって言っても、リーネルト将軍の第3軍に第1軍の将軍が一人で隠密行動してた、というのも妙な話だし。そもそも魔人って30代・・・人によっては50代まで人間の20代に見えるのよね。幅が広すぎる)

 アリシアは視線を前方に戻して考える。
 一体父を討ったのは誰なのか。恨みではなく、人類最強とまで言われていた父を討った相手に、純粋に興味があった。

「ああ・・・認識阻害っていう手もあるな」
「認識阻害・・・」

 そういえば以前読んだ本の中にそんな記述があったと、アリシアは思い出した。

(そこに人がいるのは分かるけど、それが誰なのか認識出来ない、だったっけ)

 もしかして父の陣営に紛れ込んでいた魔人は認識阻害を使ったのだろうか。精霊術にはない術なので、父の部下達が認識阻害を変身術だと思った可能性はないだろうか。

「あとは姿を消す術もあるが、その時の連れにも見えなくなるから、あまり意味はない」

 それは確かに、とアリシアは頷く。例の魔人も姿を消していた訳ではないだろう。

「その3つは軍と警備隊、近衛隊とそれら関係者のみが扱うことを許されている術だ。犯罪に使われないように、私的に使ったら罰される。だから結局どれも現実的じゃないな。ま、そんな話は置いといて、こっちから見た方が良い」

 ハルシュタイン将軍の言葉に、アリシアは顔を上げた。考え込んでいたようで、気付いたら水面ばかりを見つめていた。
 右を歩くハルシュタイン将軍を見ると、その後ろにある大きな東屋を指差している。

(全然周りを見てなかった)

 ハルシュタイン将軍が指差した方向へ、東屋を眺めながら足を進める。屋根の下にはいくつも椅子とテーブルが置いてあった。観光地だけあって沢山の人が休憩所として使えるように設けられたのだろう。奥には売店らしき小屋も見えるが、シーズンオフの今は営業をしていないようだ。
 ハルシュタイン将軍が東屋の中央辺りの前で足を止めたので、アリシアもそこで止まって池の方を見る。

「・・・今でも十分に美しいですね」

 池と一言で言っても、かなり広い。対岸には広葉樹の鮮やかな緑色が広がり、その奥には青みがかった緑の針葉樹林が見える。更に奥には山が連なっていて、そのまま上を向くと抜けるような青空。それらが池の水面に鮮明に映っていた。

「紅葉シーズンになるとたくさん人が来るのにも納得です」
「春も新緑を見に、そこそこ来るらしいぞ」
「・・・新緑も綺麗でしょうね」

 フッと笑う気配がして、アリシアは隣のハルシュタイン将軍へ視線を向ける。

「見たければ、また来ればいい」

 力の抜けた笑みを湛え、ハルシュタイン将軍がアリシアを見つめていた。

(またこの顔・・・)

 物珍しさでアリシアもつい見つめ返してしまう。しかし。

(また来ればいいって・・・)

 シュヴィートで道を外れて最短距離で走ってきたからこそ短時間で着いたが、通常の馬であれば、今日の3倍から5倍程の時間がかかるだろう。馬車に至ってはもっと時間が必要になる。王宮使用人の1日しかない休日に、そんなに時間は使えない。それにこの魔国ティナドランで一緒に遊びに行けるような関係の魔人は、今の王宮と前の職場の使用人だけだ。どちらもシフト制でお休みをもらっているので、休みを合わせるなんて無理だし、一人で来たところで周りが賑やかだと余計に寂しい。

(またハルシュタイン将軍と、という意味かしら)

 ヴュンシュマン将軍の件が落ち着いたら、アリシアとしてはこの関係を解消したい。これ以上ハルシュタイン将軍のような智将と親しくなるのは危険だ。であれば、こうして遠乗りすることも今回が最初で最後だろう。

「・・・・・・俺と来ることは今日以降ない、とでも考えてそうだな」

 図星を指されてドキリとする。ややジト目になったハルシュタイン将軍から顔を逸らし、反対側を向いた。

(・・・顔に出てたかな)

「顔を背けたって、顔に出てたわけじゃないから意味ないぞ」
「え」
「君の今までの言動を考えれば、すぐに思い至る」

 ハルシュタイン将軍は額に手を当て、そのまま指先で髪を梳きながら後ろへと流し後頭部で手を止める。はぁ、とため息をついた。

「全く・・・まあいい。事を急くつもりはないしな」

(・・・何が?というか怖いんだけど・・・)

 アリシアのこれまでの言動だけで、今何を思ったのか当てた。給仕中は仕事上の会話しかしていない。恐らくこの1週間のカモフラージュの手紙から察したのだろうが、洞察力がありすぎるのではなかろうか。
 やはりハルシュタイン将軍とはヴュンシュマン将軍の件が落ち着いたら距離を置かなければならない。

(敵国の将軍じゃなければ、仲良くするっていう選択肢もあったかもしれないけど)

 同じ価値観を持つ頭の良い人と話すのは楽しい。言葉が少なくても、互いに察して会話していくので、誤解もなく意図が通じる。かといって言葉が少なすぎると誤認識もあり得るので、そこはきちんと説明し合う。要所要所で説明し、他はテンポよく話す。案外それが心地よく楽しいものなのだと、今日ハルシュタイン将軍と話をしている中で知った。

(こんな人が、ルアンキリにもいたらな・・・)

 そこまで考えて、アリシアはハッとした。

(ルアンキリにいたら・・・どうするの?)

 どうしてそんな事が頭に浮かんだのか。景色を眺めながら考えてみたが、明確な答えは出てこなかった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

切れ者エリートは初恋の恋人を独占愛で甘く搦め捕る

恋愛 / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:15

勘違いしちゃってお付き合いはじめることになりました

BL / 完結 24h.ポイント:3,088pt お気に入り:550

堅物監察官は、転生聖女に振り回される。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,649pt お気に入り:151

いつから魔力がないと錯覚していた!?

BL / 連載中 24h.ポイント:17,474pt お気に入り:10,472

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:40,584pt お気に入り:5,329

お高い魔術師様は、今日も侍女に憎まれ口を叩く。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,698pt お気に入り:122

処理中です...