落月後宮溺愛譚~救国の兎、皇帝陛下の寵妃となる~

あかね真凛

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1 助けを乞うモノ

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《助ケテ、助ケテ》
《早ク、ゴ主人様ノ所二帰シテ》

 耳の奥に声が鳴り響いている。
 聞いているこちらの胸が苦しくなるような、切羽詰まった涙声。
 鼓膜の奥で脈打つそれに急かされて、おそるおそる右手を伸ばす。
 体重がずれたことで、跨った枝がぎしりと嫌な音を立てた。
 
「う、わ……」
 
 冷や汗がたらりと背筋を伝う。
 落ちたら――終わり、ではないけれど、落ちたくない。
 せっかくここまでの高さまで登れたんだから、もう一度はじめから、なんてごめんだ。
 
 手を引っこめる。
 ふう、と深呼吸して背筋を伸ばした。
 跨った枝から落ちないようにと、左手で根元を握りしめる。
 枝先になるにつれて頼りなく細くなっているから、どこまで体重をかけられるか見極めないと、真っ逆さまの大惨事だ。
 そんなことになったら泣いてくれるひとは――まあ、ひとりかふたりはいると、信じたい。
 年頃の娘──ましてやこれでも一応、嬪の立場なのに、脛も露わに木に登って枝に跨っているなんて、義母が見たらどんな顔をするだろう。
 まず目を背けない。これは確実だ。
 むしろ、あの細い目でしっかりとこの醜態を捉えながら、袖で隠した口元は笑みで歪んでいるに違いない。

──まああ。なんて勇敢なのでしょう。ほうら見ておやり。貴方の義姉様は、はしたない真似が上手なのですねえ。
──お母様ったら物好きねえ。わたくし、大道芸人には興味がなくってよ?

 ここに寄り添うのは、そっくりな目元を持つ義妹だ。母娘というより姉妹でも通りそうな、そっくりな厚塗りの女ふたり。
 彼女たちは、くすくす笑いながらも絶対に立ち去ろうとはしない。
 むしろ、いつ私が木から落ちて醜態を晒すのかを、今か今かと待ち望んでいるだろう。
 ねっとりと息詰まる視線に晒されるのは慣れっこだ。
 
 ああ、思い出すと息が詰まる。
 
月鈴ユーリン様! あと少しです!」

 ぱん、と小気味よい一声に目を見開いた。
 また丸まりかけた背筋が伸びる。
 地上から気付け薬のようにかけられた声のおかげで、巻き戻った時が急速に流れ出す。
 
 そうだ、下にいるのは意地悪な義母でも義妹でもなく、私付きのただひとりの侍女。
 そして私の今のお役目は、貴妃が失くされた手巾を取り戻すこと。
 
 つむじ風が吹き荒れた。
 枝先に引っかかった手巾が儚げにはためいている。これ以上放っておいたら、枝は今にも手巾を手放しそうだ。
 ここで逃したら次は何処に飛んでいくか――そう、何処から声が聞こえるか、わからない。
 右耳に残された耳飾りが、勇気づけるようにりんと鳴って頭が冴える。
 覚悟を決めて、身を乗り出した。
 
 もう一度、ゆっくりと右手を伸ばす。
 これ以上、枝に負担を掛けて折るわけにはいかない。
 一度きりの真剣勝負。
 
「……えいっ」
 
 右手を伸ばした先で、ひらりと揺れた手巾をしっかりと握りしめた。




「お探しの手巾はこちらでございましょうか」

 差し出した手巾を差し出せば、妃の侍女が受け取った。疑わしそうに、ためつすがめつ眺めている。
 そんな検分しなくたって、本物だ。
 何せ、その手巾が自分で妃の名前を呼んでいたのだから。
 施された刺繍を見て、ようやく間違いなく妃の持ち物だと納得したらしい。くるりと振り向くと、己が仕える主へと恭しく献上した。
 顔を隠していた扇がわずかに傾く。
 泥を知らない白い指が布巾をつまむ。

「……お上手、ね」

 そのひと言だけ残して、扇が再び妃の顔を覆い隠す。
 すっくと立ちあがった妃は、こちらを見ようともせずに背を向けて立ち去った。傅いていた侍女達がそれに続く。
 衣擦れの音だけがさわさわと残り、すぐに消えた。

「……なんですかもう! 月鈴様がどんなに大変な思いをして──」

 がばっと立ち上がったのは、憤慨した侍女の翠花ツイファだ。
 勢いのままに滔々と不満を垂らしているのを手で制す。
 素直で聡明な彼女だが、お喋りが過ぎるのが玉に瑕だ。

「部屋に戻りましょう。少し、疲れたわ」
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