落月後宮溺愛譚~救国の兎、皇帝陛下の寵妃となる~

あかね真凛

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9 恩人の正体

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 騒がしい。
 意識が浮上して、真っ先に気づいたのは物音だった。
 
 モノの声ではない。

「……しょう、ああ、まさか…………なんて!」

 ぱたぱた、バタバタバタ。
 これは知っている音。
 翠花の足踏みだ。
 翠花には、焦る時にその場で走り回る癖がある。
 そして、お喋りはいつもの三倍増し。

 静かになさい、と声をかけなければ。
 だけど、うまく体が動かない。

 そうだ、私は泉に落ちたのだ。
 翠花にはどんなに心配をかけてしまっただろうか。
 巻き込んで申し訳ない。
 なのに、どうしても瞼が開かないのだ。

 よほど疲れているのか、自室の寝具がいつもより快適に感じる。
 ふかふかの綿が詰まったあたたかな布団に、さらりと肌触りのいい敷布。
 枕の高さも絶妙な塩梅で、これでは眠くなくとも寝てしま──

「まさか、皇帝陛下だったなんて……!」

 悲鳴交じりに翠花がぴょんと飛び跳ねた。
 その甲高さに、途切れ途切れだった意識がきゅううと引き絞られて凝縮した。
 反動で目の前がぱっと弾ける。
 
 夜明け前の薄明かりでもわかる高い天井、広い室内。
 ゆっくりと首を左右に動かせば、見たことの無い煌びやかな装飾の数々。
 
 ここは――何処?
 
 目に映る何もかもが、知らないものだらけ。
 混乱して呼吸が浅くなる。
 そんな私の変化に気づいたのか、翠花が寝台に乗り上げて覗き込んできた。

「月鈴様!」
「翠花!」

 いつもならはしたないと窘めるけれど、ようやく見知った顔に出会えたのだ。
 どっと押し寄せた安心感に突き動かされて、がばりと身を起こした。
 着たことのないなめらかな肌触りの夜着に、まだ湿り気の残る髪が絡みつく。

「よ、良かったあ……! 月鈴様、お目覚めにならなくて、あたし、どうしようかとっ」
「翠花、怪我はない?」
「あたしのことなんてどうでもいいんですよう! ああもう、月鈴様、やっぱり月鈴様についていきます……!」

 むぎゅうと、痛くなるほどに抱きしめられる。
 ついに、翠花はぼろぼろと泣き出してしまった。
 盛大に鼻をすする音がして、手巾を出してやらねばと思うけれど、どうにも身動きがとれない。
 
「いっぱい心配かけたのよね、ごめんなさい」
「っほんと、ですよう! もう、こんな怖い思いしたくないですってばあ……」

 ずびずびと鼻を鳴らす翠花の背をそっと抱きしめ返す。
 こちらまで涙腺が緩んできた。

「翠花……」
「月鈴様ああっ」
 
 私まで涙声になってしまった。
 感極まって、お互いにしがみついて固く抱き合う。

 その時、扉の閉じる音がした。

「これはまた……随分と仲の良い主従であることだ」

 続いて聞こえてきたのは、微笑混じりの男の声。
 はっと身を固くする。
 はじかれたように翠花が素早く私を離して、自分は寝台から離れた床に膝をついた。

「こ、ここ、皇帝陛下におかれましては月鈴様をお連れ頂きましたこと、心から感謝を──」
「良い」

 翠花の口上を手で遮った男が近づいてくる。
 長い黒髪は結い上げてはおらず、ゆったりとした夜着の上に臙脂の羽織を纏っていた。
 まなじりの穏やかさは、才気煥発というより温厚篤実といった印象を受ける。
 それでも寝室に翠花以外の他人が──それも男が居るのは、どうにも居心地が悪い、のだけれど。
 
 それよりも、今、翠花はなんと言った?
 
「…………皇帝、陛下?」

 自分の口から出た言葉を聞いて、頭がようやく事実を認識できた。
 男が頷く。
 さらさらとした黒髪が燭台の灯りを受けて、夜明けの色に染まっていた。
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