落月後宮溺愛譚~救国の兎、皇帝陛下の寵妃となる~

あかね真凛

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10 兎のまなこ

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「|宇辰《ユーチェン……名前くらいは聞き覚えがあるか?」
「ええと……それはもう、はい」

 嘘だ。
 入宮したとはいえ、私はどん詰まり部屋暮らしの嬪だ。
 そんな私にお目通りなど叶うものかと鷹を括っていたから、皇帝陛下に関する情報は件の噂――色狂いの月狂い、くらいしか仕入れていない。
 私の片言の返事をあっさり嘘と見抜いたのか、それとも緊張ゆえの狼狽と見たか。
 どちらにせよ、皇帝陛下は瞳の奥でふっと笑った。

「まあ良い。そなた、名前は」
「桂月鈴と申します」
「そうか。名までが“兎”なのだな」

 ほう、と感心したように息をついた皇帝陛下は、寝台脇の椅子に腰掛けると手を伸ばしてきた。
 親指の腹で、目の下あたりを撫でられる。
 突然のことに面食らって動けない。

「う、兎とは?」
「なんだ、気づいておらぬのか」

 皇帝陛下が眉を上げた。
 そして翠花に目配せする。
 ぱたぱたと忙しなく駆けてきた翠花が、恭しく手鏡を差し出している。

「見てみろ」
「は、はい」

 恐れ多くも、陛下から鏡を受け取ってしまった。
 ゆっくりと覗き込む。

「……え?」

 真っ赤な目をした私が映っていた。
 
 病のように白目が充血しているわけではない。
 瞳そのものが赤い。これでは本当に兎の目だ。

「え? なに、どうして、これ、わたし」

 目が乾くほど見開いて鏡に顔を寄せてみたり、遠ざけて瞬きを繰り返しても何ひとつ変わらない。
 兎の目をした私が、鏡の中で途方に暮れている。

「泉に満ちた妙薬の効果だろう。今までは黒い瞳だったのだな」

 大混乱で泣きそうな私とは正反対に、何もかもお見通しといった皇帝陛下はしたり顔で頷いている。
 陛下が寝台脇の椅子に腰かけた。
 混乱でゆらゆらと揺らぐ体を抱き寄せられる。

「へ、陛下!?」
「落ちそうで危ない。私に体を預けて」

 ぐっと、腕の力が強くなる。
 翠花に抱き着かれた時と、まったく違う。
 陛下にもたれるように体を抱きかかえられている、この状況が何なのかも理解できていない。

 泉の妙薬?
 目が赤くなる?
 兎ってどういうこと?
 私は跳ねもしないし、小さくも白くもない。
 強いて言うなら耳が良いけれど、兎は失せ物の声を聞いたりしないはずだ。

「へ、陛下。何かご存知なら教えてくださいませ……私に、何が、起きているのでしょう」

 この状況で、縋れるのは皇帝陛下だけ。
 あまりの心細さに袖を握って見上げれば、陛下は小さく息を飲んだ。

「……ああ、ゆっくり話をしよう。だが今は時が──」

 陛下の声を遮るように、扉の向こうが騒がしくなる。
 いつの間にか燭台の蝋燭が小さくなっており、窓から射し込む光が強くなっていた。
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