暗殺令嬢は標的の王太子に溺愛される~欲しいのは愛ではなく、あなたのお命です~

葵 すみれ

文字の大きさ
1 / 41

01.夜会での出会い

しおりを挟む
 生温い夜風が漂うバルコニーに、三人の男女がいた。
 真剣な表情を浮かべる男と、それにすがるような眼差しを向ける女、そして退屈そうに立っている女だ。
 室内からはパーティーの音楽が静かに流れてきている。軽やかで楽しげな曲とは裏腹に、この場の雰囲気はとても重たい。

「僕は、きみとの婚約を破棄させてもらいたい」

「そんな……今までだって、ただの遊びだと思って、あなたの浮気には見て見ぬふりをしてきたわ。それなのに、どうして……」

「すまない……僕は真実の愛を見つけてしまったんだ……」

「浮気ではなく、本気だというの……?」

「そのとおりだ。だから、僕は誠実でありたいんだ……」

「そんな……」

 その場にがっくりと崩れ落ちる女を、男は痛ましそうに見つめる。
 だが、すぐに男はもう一人の女に向き直り、晴れがましい笑顔を浮かべた。

「アイリス嬢、これでよろしいですね。過去は清算しました。これで、僕と交際していただけるのですよね」

 熱っぽい眼差しを向けられ、これまで退屈そうに立っていたアイリスは、緩慢な動作で扇を広げて口元を隠す。
 長く艶やかな黒髪がさらりと音を立て、けぶるような紫色の瞳がぼんやりと男の姿を捉える。

「まあ……私、そのようなことは何も申しておりませんわ。過去を清算してくれと頼んだ覚えもございませんことよ」

 アイリスが気だるそうにそう言うと、男が唖然として立ち尽くす。ややあって、彼の顔が徐々に赤く染まっていった。

「な……僕を騙したのか!」

「騙したなどと、人聞きの悪い……あなたが勝手に思い込んで、勝手に物事を進めただけでしょう。私のせいにしないでほしいですわ。でも……」

 突き放すように言いながら、アイリスは口元から扇をはずす。紅い唇に蠱惑的な笑みを乗せながら、ゆっくりと男に近付いていった。
 怒りに震えていた男は、何事かと困惑しているようで、ただアイリスを見つめることしかできない。その瞳には、期待が宿っていた。

「許せない……」

 アイリスが男の目前まで来たとき、それまでうなだれていた女が、低い呟きを漏らしながら動いた。
 女は己の髪飾りを勢いよく抜き取り、鋭い先端を向けながら、アイリスに迫ってくる。
 髪を乱し、鬼気迫る表情で近付いてくる女の姿に圧倒され、男は動くこともできない。

「きゃあ」

 わざとらしい悲鳴をあげながら、アイリスは鮮やかな朱色のドレスを翻す。軽く男を押し、それまで己がいた場所に誘導する。

「あ……」

 男と女が、同時に愕然とした声を漏らす。
 女の髪飾りの先端は、男の胸に突き刺さったのだ。上等な生地の、仕立ての良い服に、赤いものがにじんでいく。

「きゃあぁぁぁ! 誰か、誰かぁ!」

「いったい何が……うわあっ!」

「どういうことだ、これは……!」

 大きく息を吸い込んでアイリスが叫ぶと、何事かと思った人々が室内からバルコニーへとやってくる。そして、女が男を刺している状況を見て、騒ぎ出す。

「令息が令嬢に婚約を破棄すると言い放って……そうしたら、令嬢が激昂してこのようなことに……ああ……恐ろしいですわ……」

 アイリスは説明しながら、ふらりとよろけてみせる。
 すると、パーティーの客の一人が支えてくれた。アイリスは礼を言って一人で立とうとするが、支えている相手の顔を見て、言葉を失う。
 薄明りの下でさえ輝かしい黄金色の髪に、鮮やかな濃い青色の瞳は、王家の色彩だ。整った顔に浮かぶ笑みが獰猛なものに見えて、アイリスは息をのむ。
 かつて一度だけ間近で見た姿が、すぐ目の前にあった。

「王太子殿下……」

「何故、王太子殿下が……」

 周囲もざわめき出す。どことなく、恐怖をはらんだ声だ。
 今日のパーティーは、とある貴族が開いた夜会だ。若者を中心とした気軽なもので、王太子が出席するなどアイリスは聞いていない。
 様々な感情が一気にアイリスを襲い、再びよろけそうになってしまう。だが、己を叱咤してアイリスは王太子から離れた。

「ご……ご無礼をいたしましたわ……」

 わずかに視線をそらしながら、アイリスは王太子に謝罪する。
 すると、王太子は笑みを浮かべたまま、アイリスに顔を近付けた。

「……良い身のこなしだったな、見事だった」

「……っ!?」

 小さく囁かれ、アイリスは目を見開いて王太子を見つめる。
 見られていたのかという思い、怒りや悔しさ、そして憎しみがアイリスの心に渦巻いていく。
 今すぐ、自分も先ほどの令嬢のように髪飾りを取り出し、王太子の喉元に突き付けてやりたい衝動がわき上がってくる。
 だが、この場でそうしたところで、取り押さえられてしまうことが、はっきりとわかった。正面から戦って勝てる相手ではないと、アイリスは直感する。
 それでも己を抑えきれず、アイリスは王太子の首に向かって手を伸ばした。

「おや、これは今宵の相手として誘われているのか? これほど情熱的な令嬢には、初めてお目にかかる」

 王太子は、殺意をはらんだアイリスの手を難なく受け止めた。そしてその手に口付けながら、面白がるように目を細める。
 軽くあしらわれたことへの屈辱や怒りがアイリスにわき上がってくる。だが、その心を最も多く占めたのは、失望だった。
 やはり自分のことなど覚えていないようだ。そのほうが都合が良いにも関わらず、アイリスはどこかで期待していたことに気付いて愕然とする。

「し……失礼いたしますわ……!」

 いたたまれず、アイリスはこの場から逃げ出す。
 王太子に背を向け、わき目もふらずにパーティー会場を後にする。
 苛立った足音を立てるアイリスの瞳に、涙がにじんでいく。
 とうとう仇に会うことができたのに、何もできなかった。無力感と、自分への失望で、アイリスの頬を涙が伝う。

「いいの……いいのよ、そんな簡単に終わらせてはいけないわ……」

 しかし、たとえあの場で王太子を殺すことができていたとしても、それは本当の目的を達成したことにはならないと、己を慰める。
 自分のことも覚えていなくて当然だ。むしろ、覚えていたほうが困る。だから、何も悪いことなどない。
 アイリスの望みは、王太子に過去の過ちを悔いさせ、謝罪させてから、その命を絶つことなのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

【完結】二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

〘完結〛ずっと引きこもってた悪役令嬢が出てきた

桜井ことり
恋愛
そもそものはじまりは、 婚約破棄から逃げてきた悪役令嬢が 部屋に閉じこもってしまう話からです。 自分と向き合った悪役令嬢は聖女(優しさの理想)として生まれ変わります。 ※爽快恋愛コメディで、本来ならそうはならない描写もあります。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

処理中です...