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15.砕け散る未来

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「カトリーナは勘が鋭いというのか、他者の本性を見透かすところがある。だが、そのためか他者の負の感情を敏感に受け止めてしまうのだ。先ほど体調を崩したのは、あの女のせいだろう」

 戸惑うアイリスに、さらなる驚きがもたらされる。
 先ほどのストロベリーブロンドの令嬢は、カトリーナではなくアイリスに対して悪意を向けていたはずだ。自分が対象でなくとも、影響を受けてしまうらしい。
 それは、悪意に満ちた貴族社会で生きることなど、難しいのではないだろうか。

「だから、病弱ということに……」

 アイリスは納得する。
 人が集まれば、様々な感情が渦巻いているはずだ。そういった場所に出さないため、病弱ということにしているのだろう。
 誕生日でありながらパーティーを開かないのも、そのためのようだ。

「そうだ。この王太子宮も、色々な輩が出入りするからな。近付かないように言い渡してある。それにしても、あの女はかなり強い悪意を持っていたようだな。わずかな時間でカトリーナがあの状態になるのは珍しい」

「そんな……そこまで、私に恨みが……嫌われるのはいつものことですけれど、あの方の名前も知らないのに……」

 アイリスは愕然と呟く。
 嫌われるのは構わないのだが、アイリスは彼女のことをよく知らない。どうやら王妃の侍女らしいが、名前すらわからないのだ。

「あれはストレイス伯爵家の娘、デラニーだ。しばらく近寄ってこなかったのだがな……」

 レオナルドがため息と共に吐き出す。
 その言い方に何かひっかかるものを感じて、アイリスはわずかに眉根を寄せる。

「王太子妃の座を狙う、欲深い女の一人だ。ああいう連中が訪れるから、カトリーナを遠ざけねばならない」

「まあ……」

 少しだけ不快感がわき上がってきて、アイリスは戸惑う。
 この感覚は何だろうかと不思議だったが、おそらくカトリーナが寂しい思いをすることになってしまう原因が嫌なのだと思うことにする。
 さらに、自分も打算でレオナルドの側にいるのだが、それは大丈夫なのだろうかと、アイリスは疑問を抱く。
 カトリーナは、兄の側にいる女性だからと、気に入られるために我慢していたのではないだろうか。

「……カトリーナさまは、私のことは大丈夫でしたの?」

「アイリスのことは、側にいると落ち着くと言っていた。その単純で安直な……いや、素直で優しいところが気に入ったのだろう」

 レオナルドは言いかけた言葉を、何事もなかったかのように言い直す。
 とても失礼なことを言われたような気がする。

「レオナルドさま……今、かなりひどいことを……」

「まあ、そのようなわけでカトリーナは、肉体的には健康であるものの、ある意味では病弱と言ってもよいだろう。社交には向かぬ」

 じっとりとした眼差しを向けるアイリスだが、レオナルドはごまかすように話をまとめた。
 いまいち釈然としなかったが、蒸し返すほどのことでもないかと、アイリスは口をつぐんだ。
 実際にレオナルドの前で間抜けな姿を晒しているのは、事実だろう。そう考えると、アイリスは少し落ち込んできた。

「カトリーナの事情をのみ込んだ上で、大切にしてくれる男を探しているところだ。カトリーナに道筋を示すまでは、私は生きている必要がある」

 続く言葉に、アイリスは心臓が縮み上がるようだった。
 まるでアイリスの目的を知っているかのような台詞だ。その上で、今はまだ殺されてやるわけにはいかないと言っているようでもある。

「……レオナルドさまは、カトリーナさまのことを大切に思っておいでなのですね」

「そうだな、たった一人の妹だからな」

 レオナルドはあっさりと認めた。
 その答えを聞き、アイリスは噂とは当てにならぬものだと感じ入る。
 もしかしたら狂気を帯びたという噂も、何かを覆い隠すためといった理由があるのかもしれない。レオナルドが本当に狂気を帯びているとは思えなかった。
 アイリスも逆恨みした男たちや妬む女たちから、事実無根の噂を流されたことがある。噂など、偽りが簡単に広まっていくものだ。

 そこで、アイリスは昼間にも抱いた疑問のことを思い出す。
 レオナルドが婚約者候補を手にかけたという噂は、果たして本当なのだろうか。
 もし、それが噂に過ぎず、真実ではなかった場合、アイリスはレオナルドを憎む必要がなくなるのだ。
 それはこれまで生きてきた理由が突然無価値になるものではあったが、アイリスはそうであってほしいと思ってしまう。

 レオナルドと共に過ごす時間が、アイリスに何かを芽生えさせたのだろうか。
 そう考え、アイリスは慌てて自分の心を否定する。
 これはカトリーナのためだ。先ほどレオナルドが自分で言ったとおり、彼はカトリーナのためにまだ生きている必要がある。
 また、兄を喪ってはカトリーナが悲しむだろう。
 そのためだと、アイリスは己に言い聞かせる。

「……レオナルドさまに、お伺いしたいことがございます」

 意を決して、アイリスは口を開く。

「何だ」

「レオナルドさまが、かつて婚約者候補であった侯爵令嬢を手にかけたというのは、本当ですか?」

 アイリスが問いかけると、レオナルドは目を見開く。
 しかし、脈絡のないことを突然言い出したにも関わらず、そのことを問い詰めようとすることはなかった。
 それどころか、この質問がいつかくることを予想していたようですらある。驚いてはいるが、揺れ動いている様子はない。

「……本当だ。私が、この手で命を絶った」

 しっかりとアイリスの目を見返しながら、レオナルドは答えた。
 その答えに、アイリスは愕然とする。そうであってほしくないという希望は、完全に断たれてしまったのだ。

「……そうですか」

 アイリスは震えそうになる両手を、しっかりと組む。
 やはりレオナルドは、姉の仇なのだ。いつか彼の命を奪うことが、アイリスの役目であり、そこから逃れられない。
 一瞬だけ夢見た甘い未来は、あっさりと砕け散ってしまった。

「カトリーナさまが幸福な未来をつかめるよう、私にもできることがあればお手伝いいたしますわ。そうしたら……」

「ああ、頼む」

 アイリスは最後まで言わなかったが、レオナルドはほっとしたように頷く。
 おそらく、何を言おうとしたのかわかっていて、それでも頷いたのだろうと、アイリスは感じ取る。
 何故、レオナルドがわかっているのか、その上でそうしたのか、アイリスには理解できない。しかし、理解しようとする気も起こらない。
 目的を果たすためには、余計な感情は不要だ。絶望を遠ざけるため、何も考えたくなかった。
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