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16.胸騒ぎ
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しばし沈黙が流れた後、レオナルドは夕方に迎えに来ると言い残して、部屋を立ち去っていった。
アイリスは一人になり、ソファにもたれかかって目を閉じる。
姉の仇をこの手で討つ。
アイリスの目的はそれだけであり、そのための道のりも進んでいるはずだ。
なるべく周囲に累が及ばないようにしたいという思いはある。しかし、それも問題になるようなことではなく、今はただ時期を待っているだけに過ぎない。
それなのに、心が苦しい。
「感情なんて、いっそなければよいのに……」
アイリスは深いため息を漏らす。
だが、どうしてこうも胸が苦しいのかは、考えたくなかった。
きっとカトリーナから兄を奪うことになるのがつらいのだ。決して、アイリスがレオナルドに特別な感情を抱いているからではない。
そう思い、アイリスは己の心に蓋をする。
「……私も、同じことをしようとしているのかしら」
レオナルドはアイリスの姉の命を奪った。だが、アイリスもカトリーナの兄の命を奪おうとしているのだ。
憎しみの連鎖が続いてしまうのかもしれない。
しかし、今さら復讐を止めることなどできない。レオナルドの口から、姉の命を絶ったと聞いてしまったのだ。
「仇を討つのが、私の存在意義よ……」
アイリスは己に言い聞かせる。
そのことだけを考え、他のことは切り捨てるべきだ。
「……そうだわ、私も一緒に命を絶てばいいのよ……そうすれば……」
ふと思い付き、アイリスは暗闇の中にごくわずかな光を見出したような気分になる。
心中や痴情のもつれという醜聞となるかもしれないが、アイリスの養家であるヘイズ子爵家が取り潰しになるような事態は避けられるだろう。
カトリーナが心に傷を負うのは避けられないかもしれないが、怨恨による殺害よりはましだろう。
幸福な結末とは言い難いが、最悪の結果は免れることができそうだ。
「そうよ、余計なことなんて考えなければいいんだわ。ただ、結末に向けて進むだけ……いつもの自分を思い出さないと」
社交界の悪女であるアイリスとして振る舞い、レオナルドを翻弄するのだ。
いつか来る断罪の日まで。
夕方になり、レオナルドが迎えに来た頃には、アイリスは普段と変わらない状態になっていた。
レオナルドもいつもどおりの様子に戻っていて、二人は何事もなかったかのように、カトリーナのいる小離宮に向かう。
庭園を抜けた先に池があり、そのほとりに小さな宮殿が建っている。
こぢんまりとした慎ましやかな宮殿だ。
レオナルドに案内されて中に入ると、王太子宮よりも素朴な印象を受ける。それでも壁には繊細な彫刻が施されているなど、ヘイズ子爵邸より豪華だ。
部屋の数も少なく、カトリーナのいる部屋にはすぐにたどり着いた。
「お兄さま、アイリスさま」
部屋に入ると、ちょうどカトリーナも目を覚ましたところのようだった。
顔色はすっかり良くなっていて、元気そうなことにアイリスは安堵する。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫です」
「そうか、ならば食事にしよう。別室に用意させてある」
三人で別室に移ると、テーブルに食事の準備が整っていた。
椅子に座りながら、カトリーナは嬉しそうにアイリスとレオナルドを見つめる。
「お二人はとてもお似合いですわ。いつ結婚なさいますの?」
「……っ!」
カトリーナの無邪気な問いかけに、アイリスはつい噴き出してしまいそうになる。まだ口に食べ物を入れていなかったのが幸いだ。
「……カトリーナ。結婚ともなれば、様々な準備が必要となるものだ。そう簡単にできるようなものではない」
レオナルドも少し困ったように諭す。
すると、カトリーナが怪訝そうな顔をする。
「それは私だって、世間知らずとはいえ王女ですもの。お互いの気持ちだけで結婚ができるなんて思っていませんわ。でも、伯父さまだって、アイリスさまがお兄さまのお妃になるようなことをおっしゃっていましたわよ。伯父さまがそう口にするということは、問題はないということではありませんの?」
カトリーナの言葉に、アイリスとレオナルドは思わず顔を見合わせる。
驚きのあまり、声も出てこない。
「……伯父さまとは、ブラックバーン公爵のことでしょうか?」
「ええ、そうですわ。今朝いらしてくれましたの」
ややあってからアイリスが絞り出した疑問に、カトリーナはあっさりと頷いた。
どういうことだと、アイリスは眉根を寄せる。
王妃からの手紙を届けに来た際、ブラックバーン公爵には警告じみたことを言われた。
それ自体は、何もおかしなことではない。アイリスのことを王妃側の人間と思っているのなら、当然のことだ。
だが、それなのにたった数日で未来の妃扱いなど、おかしいとしか思えない。
レオナルドが溺愛している素振りを見せているためだろうか。
しかし、それにしたところで、話が飛躍しすぎだ。
ましてアイリスは子爵令嬢でしかなく、王太子妃になるには少々身分が足りない。上位貴族の養女になることで体裁を整えるという方法はあるが、推奨されるようなことではないだろう。
「伯父上が……」
レオナルドも訝し気な顔をして、何かを考え込んでいる。
彼にとっても予想外のことだったようだ。
「……いや、それよりも、まずは食事にしよう。誕生日おめでとう、カトリーナ」
ややあって、レオナルドは軽く首を左右に振ると話を打ち切った。
それを聞き、アイリスも慌てて気持ちを切り替える。
「そうですわ、おめでとうございます、カトリーナさま」
「ありがとうございます、お兄さま、アイリスさま。こうした素晴らしい時間を過ごせるとは思いませんでしたわ」
カトリーナの笑顔を見ながら、アイリスは先ほどからわき上がってくる胸騒ぎを抑え付ける。今は目の前の出来事に集中するべきだと、アイリスも微笑みを浮かべた。
アイリスは一人になり、ソファにもたれかかって目を閉じる。
姉の仇をこの手で討つ。
アイリスの目的はそれだけであり、そのための道のりも進んでいるはずだ。
なるべく周囲に累が及ばないようにしたいという思いはある。しかし、それも問題になるようなことではなく、今はただ時期を待っているだけに過ぎない。
それなのに、心が苦しい。
「感情なんて、いっそなければよいのに……」
アイリスは深いため息を漏らす。
だが、どうしてこうも胸が苦しいのかは、考えたくなかった。
きっとカトリーナから兄を奪うことになるのがつらいのだ。決して、アイリスがレオナルドに特別な感情を抱いているからではない。
そう思い、アイリスは己の心に蓋をする。
「……私も、同じことをしようとしているのかしら」
レオナルドはアイリスの姉の命を奪った。だが、アイリスもカトリーナの兄の命を奪おうとしているのだ。
憎しみの連鎖が続いてしまうのかもしれない。
しかし、今さら復讐を止めることなどできない。レオナルドの口から、姉の命を絶ったと聞いてしまったのだ。
「仇を討つのが、私の存在意義よ……」
アイリスは己に言い聞かせる。
そのことだけを考え、他のことは切り捨てるべきだ。
「……そうだわ、私も一緒に命を絶てばいいのよ……そうすれば……」
ふと思い付き、アイリスは暗闇の中にごくわずかな光を見出したような気分になる。
心中や痴情のもつれという醜聞となるかもしれないが、アイリスの養家であるヘイズ子爵家が取り潰しになるような事態は避けられるだろう。
カトリーナが心に傷を負うのは避けられないかもしれないが、怨恨による殺害よりはましだろう。
幸福な結末とは言い難いが、最悪の結果は免れることができそうだ。
「そうよ、余計なことなんて考えなければいいんだわ。ただ、結末に向けて進むだけ……いつもの自分を思い出さないと」
社交界の悪女であるアイリスとして振る舞い、レオナルドを翻弄するのだ。
いつか来る断罪の日まで。
夕方になり、レオナルドが迎えに来た頃には、アイリスは普段と変わらない状態になっていた。
レオナルドもいつもどおりの様子に戻っていて、二人は何事もなかったかのように、カトリーナのいる小離宮に向かう。
庭園を抜けた先に池があり、そのほとりに小さな宮殿が建っている。
こぢんまりとした慎ましやかな宮殿だ。
レオナルドに案内されて中に入ると、王太子宮よりも素朴な印象を受ける。それでも壁には繊細な彫刻が施されているなど、ヘイズ子爵邸より豪華だ。
部屋の数も少なく、カトリーナのいる部屋にはすぐにたどり着いた。
「お兄さま、アイリスさま」
部屋に入ると、ちょうどカトリーナも目を覚ましたところのようだった。
顔色はすっかり良くなっていて、元気そうなことにアイリスは安堵する。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫です」
「そうか、ならば食事にしよう。別室に用意させてある」
三人で別室に移ると、テーブルに食事の準備が整っていた。
椅子に座りながら、カトリーナは嬉しそうにアイリスとレオナルドを見つめる。
「お二人はとてもお似合いですわ。いつ結婚なさいますの?」
「……っ!」
カトリーナの無邪気な問いかけに、アイリスはつい噴き出してしまいそうになる。まだ口に食べ物を入れていなかったのが幸いだ。
「……カトリーナ。結婚ともなれば、様々な準備が必要となるものだ。そう簡単にできるようなものではない」
レオナルドも少し困ったように諭す。
すると、カトリーナが怪訝そうな顔をする。
「それは私だって、世間知らずとはいえ王女ですもの。お互いの気持ちだけで結婚ができるなんて思っていませんわ。でも、伯父さまだって、アイリスさまがお兄さまのお妃になるようなことをおっしゃっていましたわよ。伯父さまがそう口にするということは、問題はないということではありませんの?」
カトリーナの言葉に、アイリスとレオナルドは思わず顔を見合わせる。
驚きのあまり、声も出てこない。
「……伯父さまとは、ブラックバーン公爵のことでしょうか?」
「ええ、そうですわ。今朝いらしてくれましたの」
ややあってからアイリスが絞り出した疑問に、カトリーナはあっさりと頷いた。
どういうことだと、アイリスは眉根を寄せる。
王妃からの手紙を届けに来た際、ブラックバーン公爵には警告じみたことを言われた。
それ自体は、何もおかしなことではない。アイリスのことを王妃側の人間と思っているのなら、当然のことだ。
だが、それなのにたった数日で未来の妃扱いなど、おかしいとしか思えない。
レオナルドが溺愛している素振りを見せているためだろうか。
しかし、それにしたところで、話が飛躍しすぎだ。
ましてアイリスは子爵令嬢でしかなく、王太子妃になるには少々身分が足りない。上位貴族の養女になることで体裁を整えるという方法はあるが、推奨されるようなことではないだろう。
「伯父上が……」
レオナルドも訝し気な顔をして、何かを考え込んでいる。
彼にとっても予想外のことだったようだ。
「……いや、それよりも、まずは食事にしよう。誕生日おめでとう、カトリーナ」
ややあって、レオナルドは軽く首を左右に振ると話を打ち切った。
それを聞き、アイリスも慌てて気持ちを切り替える。
「そうですわ、おめでとうございます、カトリーナさま」
「ありがとうございます、お兄さま、アイリスさま。こうした素晴らしい時間を過ごせるとは思いませんでしたわ」
カトリーナの笑顔を見ながら、アイリスは先ほどからわき上がってくる胸騒ぎを抑え付ける。今は目の前の出来事に集中するべきだと、アイリスも微笑みを浮かべた。
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