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11.ただ一つの不満
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コーデリアは三食昼寝付きの生活を満喫していた。
昼寝はしたりしなかったりだが、三食はきっちり食べている。午後には茶と菓子まで用意されて、契約条件以上の好待遇だ。
使用人たちもコーデリアに良くしてくれ、アーデン男爵領は何と温かいところなのだろうと、感動するばかりだった。
ただ一つのことを除き、コーデリアには不満などない。
今日も美味しい朝食と昼食の後、午後の穏やかな陽気の庭園にて、茶と菓子が用意された。小さな東屋の中には爽やかな風が吹き込んでいる。
菓子は、薄い板状の焼き菓子に色とりどりのジャムが添えられている。茶は、貴族の飲み物である銀月茶だ。
コーデリアは貴族の生まれでありながら、銀月茶を飲んだことはない。ただ、前世でリアが、フローレス侯爵邸で一度だけ飲んだことがある。
「……苦い」
しかし、かつてのリアはとても美味しいと感じた銀月茶が、今のコーデリアには苦く感じてしまう。
コーデリアはジャムを銀月茶に入れて飲む。すると、大分飲みやすくはなったが、前世で感じたような爽やかさはなかった。味覚が違うのだろうか。
「まあ、銀月茶に甘味を加えるなんて、まるで子どものようですこと」
コーデリアにとって唯一の不満となっている侍女のグレタが、嘲りの言葉を吐く。
彼女はキャンベル伯爵家の分家となる、モッブ男爵家の娘である。コーデリアの輿入れの際、侍女として付いてきたのだ。
ゆっくりお茶の時間を楽しむ気にもなれず、コーデリアは早めに菓子を食べ終えると、席を立つ。そして、日傘を持って東屋を出た。
気分転換に散歩に向かおうとするが、グレタは当然のように付いてくる。
「ああ、本当に貧乏くじですわ。こんな僻地に追いやられるなんて……また頭が痛くなってきましたわ」
もっとも、本人も望んで侍女になったわけではない。
アーデン男爵家は平民上がりだ。由緒正しい伯爵令嬢が嫁ぐにあたって、周りに貴族の一人もいないのはよくないだろうと、分家の中から選ばれたのがグレタだった。
グレタはモッブ男爵家の三女であり、婚期を逃して家でも持て余しているという。いわば厄介者の処理でもあるだろう。
「具合が悪かったら、休んでいてちょうだい」
素っ気なく、コーデリアは言い放つ。
グレタは結婚式の翌日から、体調を崩したと言ってずっと寝ていたのだ。
それが本当のことか仮病なのかはわからなかったが、コーデリアは彼女にずっと寝ていてほしいくらいだった。
せっかく楽園生活だったのに、グレタが侍女として側に控えるようになってから、コーデリアの心には影が落ちている。
「いいえ、ろくに淑女としての嗜みも知らないコーデリアさまには、私が付いて教えて差し上げないといけませんわ。私が少し休んでいただけで、こうも使用人たちがのさばっているとは……コーデリアさまには女主人としての資質がございませんね」
「使用人たちのどこが悪いの?」
明らかにグレタはコーデリアを馬鹿にしているが、それよりも使用人に関する言葉のほうが気になった。
コーデリアは本当に何が問題かわからず、首を傾げる。
「使用人というのは、家畜と一緒です。常に命令を与えてやり、従えば褒美を、背けば鞭を与えるものなのです。それなのに、ここの使用人たちは好き勝手に動いて、騒がしいこと騒がしいこと……このような僻地では、管理という高度な概念がないのでしょうね」
「……家畜と一緒?」
思わず、コーデリアは眉根を寄せる。
「よいですか、人間とは貴族のことなのです。使用人は平民であり、彼らは貴族の支配下で生かさせてもらっている、家畜と同じ存在に過ぎません。貴族には、平民を管理する義務があります。もっとも、魔力なしのコーデリアさまには、このような崇高な貴族の考えなど、理解できないのかもしれませんね」
得意げなグレタの言葉に、コーデリアは不快感が募ってくる。
だが、これが一般的な貴族の考えだということも知っていた。前世のリアは、こういった貴族たちに汚れ仕事を押し付けられていたものだ。
この場でグレタにその考えはおかしいと言ったところで、まともに聞き入れることはないだろう。コーデリアが貴族として間違っていると鼻で笑われるだけだ。身に染み付いた考えは、そう簡単に変えることはできない。
「……では、貴族とはどう振る舞うのが正しいの?」
「それはもちろん、平民のように卑しい真似はせず、常に優雅に落ち着いて、高貴に振る舞うものですわ」
グレタは上機嫌で答えた。
コーデリアが教えを請うてきたことで、気分をよくしたのかもしれない。
「では、驚いたときや恐ろしいときに悲鳴を上げるのは?」
「それは淑女として、はしたないですわね。ただ、殿方はそういった、か弱い女性を好むというのも事実です。なので、愛らしい声で澄んだ悲鳴を軽やかに上げるのがよろしいかと」
応用編だとでもいうように、グレタは得意そうに答える。
どうやら彼女は、近付いてくる物音に気付いていないようだ。コーデリアは日傘をたたみ、音のする方向に向き直る。
すると、グレタも不審そうにその方向を見つめた。
歩きながら話していた二人は、いつの間にか庭園を離れて、邸宅の裏に近付いてきていたらしい。
「待て! 待つんだよっ!」
使用人の切羽詰まった叫びが響く。
「ブゴッ! ブゴッ!」
興奮した一角猪が、コーデリアとグレタに向かって走ってきた。
大きな角を持つ猪は、成人男性ほどの大きさがある。それが自分たちに向かってまっすぐに突進してくる姿は、なかなか圧巻だ。
「なっ……がっ……うぎゃあぁぁぁ!」
はしたない濁った悲鳴が、グレタの口から飛び出した。
昼寝はしたりしなかったりだが、三食はきっちり食べている。午後には茶と菓子まで用意されて、契約条件以上の好待遇だ。
使用人たちもコーデリアに良くしてくれ、アーデン男爵領は何と温かいところなのだろうと、感動するばかりだった。
ただ一つのことを除き、コーデリアには不満などない。
今日も美味しい朝食と昼食の後、午後の穏やかな陽気の庭園にて、茶と菓子が用意された。小さな東屋の中には爽やかな風が吹き込んでいる。
菓子は、薄い板状の焼き菓子に色とりどりのジャムが添えられている。茶は、貴族の飲み物である銀月茶だ。
コーデリアは貴族の生まれでありながら、銀月茶を飲んだことはない。ただ、前世でリアが、フローレス侯爵邸で一度だけ飲んだことがある。
「……苦い」
しかし、かつてのリアはとても美味しいと感じた銀月茶が、今のコーデリアには苦く感じてしまう。
コーデリアはジャムを銀月茶に入れて飲む。すると、大分飲みやすくはなったが、前世で感じたような爽やかさはなかった。味覚が違うのだろうか。
「まあ、銀月茶に甘味を加えるなんて、まるで子どものようですこと」
コーデリアにとって唯一の不満となっている侍女のグレタが、嘲りの言葉を吐く。
彼女はキャンベル伯爵家の分家となる、モッブ男爵家の娘である。コーデリアの輿入れの際、侍女として付いてきたのだ。
ゆっくりお茶の時間を楽しむ気にもなれず、コーデリアは早めに菓子を食べ終えると、席を立つ。そして、日傘を持って東屋を出た。
気分転換に散歩に向かおうとするが、グレタは当然のように付いてくる。
「ああ、本当に貧乏くじですわ。こんな僻地に追いやられるなんて……また頭が痛くなってきましたわ」
もっとも、本人も望んで侍女になったわけではない。
アーデン男爵家は平民上がりだ。由緒正しい伯爵令嬢が嫁ぐにあたって、周りに貴族の一人もいないのはよくないだろうと、分家の中から選ばれたのがグレタだった。
グレタはモッブ男爵家の三女であり、婚期を逃して家でも持て余しているという。いわば厄介者の処理でもあるだろう。
「具合が悪かったら、休んでいてちょうだい」
素っ気なく、コーデリアは言い放つ。
グレタは結婚式の翌日から、体調を崩したと言ってずっと寝ていたのだ。
それが本当のことか仮病なのかはわからなかったが、コーデリアは彼女にずっと寝ていてほしいくらいだった。
せっかく楽園生活だったのに、グレタが侍女として側に控えるようになってから、コーデリアの心には影が落ちている。
「いいえ、ろくに淑女としての嗜みも知らないコーデリアさまには、私が付いて教えて差し上げないといけませんわ。私が少し休んでいただけで、こうも使用人たちがのさばっているとは……コーデリアさまには女主人としての資質がございませんね」
「使用人たちのどこが悪いの?」
明らかにグレタはコーデリアを馬鹿にしているが、それよりも使用人に関する言葉のほうが気になった。
コーデリアは本当に何が問題かわからず、首を傾げる。
「使用人というのは、家畜と一緒です。常に命令を与えてやり、従えば褒美を、背けば鞭を与えるものなのです。それなのに、ここの使用人たちは好き勝手に動いて、騒がしいこと騒がしいこと……このような僻地では、管理という高度な概念がないのでしょうね」
「……家畜と一緒?」
思わず、コーデリアは眉根を寄せる。
「よいですか、人間とは貴族のことなのです。使用人は平民であり、彼らは貴族の支配下で生かさせてもらっている、家畜と同じ存在に過ぎません。貴族には、平民を管理する義務があります。もっとも、魔力なしのコーデリアさまには、このような崇高な貴族の考えなど、理解できないのかもしれませんね」
得意げなグレタの言葉に、コーデリアは不快感が募ってくる。
だが、これが一般的な貴族の考えだということも知っていた。前世のリアは、こういった貴族たちに汚れ仕事を押し付けられていたものだ。
この場でグレタにその考えはおかしいと言ったところで、まともに聞き入れることはないだろう。コーデリアが貴族として間違っていると鼻で笑われるだけだ。身に染み付いた考えは、そう簡単に変えることはできない。
「……では、貴族とはどう振る舞うのが正しいの?」
「それはもちろん、平民のように卑しい真似はせず、常に優雅に落ち着いて、高貴に振る舞うものですわ」
グレタは上機嫌で答えた。
コーデリアが教えを請うてきたことで、気分をよくしたのかもしれない。
「では、驚いたときや恐ろしいときに悲鳴を上げるのは?」
「それは淑女として、はしたないですわね。ただ、殿方はそういった、か弱い女性を好むというのも事実です。なので、愛らしい声で澄んだ悲鳴を軽やかに上げるのがよろしいかと」
応用編だとでもいうように、グレタは得意そうに答える。
どうやら彼女は、近付いてくる物音に気付いていないようだ。コーデリアは日傘をたたみ、音のする方向に向き直る。
すると、グレタも不審そうにその方向を見つめた。
歩きながら話していた二人は、いつの間にか庭園を離れて、邸宅の裏に近付いてきていたらしい。
「待て! 待つんだよっ!」
使用人の切羽詰まった叫びが響く。
「ブゴッ! ブゴッ!」
興奮した一角猪が、コーデリアとグレタに向かって走ってきた。
大きな角を持つ猪は、成人男性ほどの大きさがある。それが自分たちに向かってまっすぐに突進してくる姿は、なかなか圧巻だ。
「なっ……がっ……うぎゃあぁぁぁ!」
はしたない濁った悲鳴が、グレタの口から飛び出した。
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