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32.コーデリアの心

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「側妃……?」

 聞き間違いとしか思えない言葉だ。本当にそうであってほしいと願いながら、コーデリアは呆然と言葉をなぞる。

「うむ。そなたのための宮殿を一つ与えよう。王子を産めば、正妃に昇格させてやろうではないか」

 やはり聞き間違いではなかったらしい。
 国王の言葉に愕然としながら、コーデリアはうまく働かない頭で、拒否する方法はないかと必死に考える。

「わ……私はアーデン男爵夫人です。いくら国王陛下とはいえ、他人の妻を……」

「そなたとアーデン男爵は白い結婚だったと、侍女からの証言が出ておる。よって、婚姻は無効だ。我が側妃となることに何の問題もない」

 どうにか紡ぎ出した内容は、あっさりと潰された。
 コーデリアは奥歯を噛みしめ、俯く。白い結婚は本当の話で、何も反論などできない。

「そなたの魔力と美しさは、次代の王の母としてふさわしい。王子を産めば正妃という国一番の女性となり、いずれは母后として権力すら握れるのだ。素晴らしい話であろう」

 迷いのない態度で、国王は言い切る。
 名誉や権力のことを考えれば、そのとおりなのだろう。だが、コーデリアはそのようなものを望んだことは、一度も無い。

「キャンベル伯爵家がそなたの能力を隠蔽したことは、まことに遺憾だ。それがなければ、平民上がりの男爵なぞに送られることはなかった。今こそ、そなたはふさわしい地位に戻ったのだ」

 全ての責任をキャンベル伯爵に押し付ける姿に、コーデリアは嫌悪感を覚える。
 何も調べようとしなかった王家に責任はないのか。クライブの元にコーデリアを送る決定をしたのは王家だ。
 コーデリアが強い魔力を持つとわかった途端に手のひらをかえし、さらに恩着せがましい。
 何よりも、コーデリアの意思は完全に無視されている。

「浮かない様子だな。やはり婚姻無効とはいえ、平民上がりに嫁がされたことが心の傷となっているのか。ならば、アーデン男爵自体を葬り、何も無かったのだと実感できるようにしてやろう」

 とんでもないことを言い出す国王に、コーデリアは俯いていた顔をはっと上げる。
 愕然としながら国王を見つめると、余裕を浮かべた笑みが返ってきた。

「いくらアーデン男爵が戦争の英雄とは言っても、所詮は一人だ。アーデン領にはろくに戦える者もおらぬであろう。ろくな味方もいないどころか、足手まといを抱えた状態で、軍を相手に勝てるはずがない」

 アーデン領民のことを人質に取ったかのようだ。彼の地の領民も、国王にとっては自国民であるはずなのに、何という恥知らずなことだろうか。
 しかも、妻を押し付けて勝手に取り上げ、最後には葬ろうとするなど、身勝手極まりない。

 ただ、その状態になったとして、クライブが勝てるとはコーデリアにも思えなかった。
 クライブは広域魔術を編み出したというが、おそらくそれだけの効果を持つ魔術ならば、発動までに時間を要するはずだ。その間の時間を稼いでくれる仲間が必要となる。
 しかも、連発できるようなものでもないだろう。たとえ敵の一部は倒せても、最終的には力尽きるはずだ。

 かつてのコーデリアのような例外を除けば、貴族は全員が魔術を扱える。その数は平民魔術師全員をかき集めても、遙かに及ばないだろう。
 いくらクライブの個としての力が勝っていたところで、数の暴力の前には負けるはずだ。
 さらに、クライブだけではない。コーデリアを温かく迎えてくれたアーデン領の人々までも危険にさらすことになってしまう。

「……その必要はございません。側妃のお話、誠に光栄でございます……」

 胸の前で手を組み、ぐっと握り締めながら、コーデリアはどうにか声を絞り出す。

「そうかそうか。心優しいそなたのおかげで、アーデン男爵は命拾いしたな」

 満足そうな国王の声が響く。
 その姿を見て、おそらく今のは単なる脅しで、本気ではないのだろうとコーデリアは察する。
 本当に軍を仕向ければ、最終的な結果はどうあれ、軍にも被害が出るはずだ。積極的に行うとは考えにくい。
 ただ、いざとなれば本当に軍を使ってでもコーデリアを得ようとするのか、それとも諦めるのかはわからなかった。わからない以上、試すような危険を冒すことはできない。

「何不自由ない生活をさせてやろう。学ぶべきこともあるだろうが、高貴な血を引くそなたのこと、すぐに理解するはずだ。ゆっくり慣れていくがよい」

 真綿で首を絞められるような焦燥感を覚えながらも、コーデリアは頷くことしかできない。
 退出を促され、コーデリアは謁見室を出る。侍女によって、操り人形のように新しい住居へと移動していく。

 コーデリアに与えられた宮殿は、白を基調とした上品な建物だった。
 単に遊びに来ただけであれば、繊細な造りや瀟洒な佇まいに見とれ、感嘆のため息を漏らしただろう。
 だが、今のコーデリアには美しさを楽しむような余裕はなく、口からこぼれるのは憂いのため息だ。

「国王陛下は早速、今晩お渡りになるとのことです。念入りに準備いたしましょう」

 侍女達に風呂で磨かれ、香油でマッサージをされる。コーデリアは虚ろなまま、己が飾り立てられていくのを眺めていた。
 クライブやアーデン領のことを思えば、抵抗することもできない。
 コーデリアは心を閉ざし、何も感じない人形になろうとする。かつてキャンベル伯爵家で過ごしていたときの姿だ。
 温かいアーデン領の人々のおかげで捨てることのできたものを、再び拾おうとする。

「あ……」

 それでも、押し込められた寝室で目にした物が、少しだけコーデリアの心を震わせる。
 前世の死に際に、飲もうとして飲めなかった高級酒があったのだ。
 だが、今のコーデリアはそれを飲みたいとは思わない。
 国王と二人で飲むために用意されたのだろう。あのような男と一緒に飲んだところで、美味しく感じるとは思えなかった。

 それよりも、前世ではその酒をクライブと共に飲もうとしたことが、コーデリアの胸を締め付ける。
 当時のリアは、クライブのことを単なる教え子としか思っていなかった。しかし、共に酒を飲んで美味いと感じる相手だとは認識していた。
 今のコーデリアなら、クライブと二人で酒を飲めば、最高に美味しく感じることだろう。

「旦那さま……クライブ……」

 いつの間にか、コーデリアの心にはクライブが入り込んでいたようだ。
 ぼそりと呟くコーデリアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
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