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しおりを挟む学校の勉強は、ちょっと分からない。でも、ちゃんと宿題をしたり復習をすれば、ついていけなくはないと思う。これからも、時々は百点を取れるかもしれない。
「明日は体育着を忘れないでくださいね」
「「はーい」」
今日もまた、一日が終わる。
昨日と比べると、ほんの少し楽だった。
学校の中でのことよりも、帰ってからのことのほうが不安に思うくらいには慣れた。これまで、学校でも〝いない子〟になっていたからか、学校での悪い記憶はいくらでもある。けれど、いい記憶はろくにない。そのせいか、〝あっちではこうだったのに〟みたいな期待が少しもない。そんな私には、今この環境のほとんどは優しさでできているように思える。恐れるものが降り注いでこない限り、心地いい場所であるような気がする。
「海、分かれるところまで一緒に行こう!」
「ああ、うん!」
ボケッと考え事をしてしまっていた。気づけばランドセルを背負って玄関へ向かう、人、人、人。
急いでロッカーへ向かう。青いランドセルに手を伸ばす。するとその時、
「ランドセル、なんで青いの?」
頭上から言葉が降ってきた。聞いたことがある声だ。すぐにまた聞くことになるのかもしれないと思ったけれど、そうはならなかった声。
「え、えっと……」
「男みたい」
光さんはそう吐き捨てると、教室の前を通りがかった人に向かって、
「おい、待てよー!」と叫びながら、走っていった。
「ったく、性格悪いやつぅ」
ランドセルを背負って、帰る準備万端の様子の凜々花さんが、私の隣にしゃがんで言った。
「まぁ、でも……」
やっぱり、女の子って感じじゃ、ないよね?
「気にしなくていいよ。あんなヤツのこと。ガキンチョなの。六年生になっても。あと一年あるって言ってもさ、もうすぐ中学生だっていうのにね」
「でも、確かに、青って――」
「あたし、今年一年生になった親戚が居るの。女の子。その子、群青色のランドセル背負ってるよ?」
「ぐ、群青?」
「うん。これよりちょっと落ち着いた感じのやつ。なんだったっけな。忘れちゃったけど、なんかのコラボのやつだったと思う。かわいい柄入り」
自分のランドセルを見てみる。自分が求めた青と比べると黄色みが強いし、柄がなくてシンプルで、可愛くはない。
「青いの背負ってもいいじゃん。自由だよ。ランドセルなんて。中学に行ったら、黒いリュックしかダメって言われるんだから、今くらいカラフルにいかなきゃ」
そう言う凜々花さんの背中には、くたくたのエメラルドグリーンがある。
「中学って、黒リュック指定なの?」
赤いランドセルを背に、いつの間にか隣に座り込んでいた美咲が言った。全然気づかなかった。まるで忍者みたいだ、と思う。私が凜々花さんとのやり取りに集中しすぎてしまっていただけかもしれないけれど。
「そう。黒リュック。キーホルダーとかダメって言われてはいるけど、別に取り上げられたりするわけでもないからつけてる人が多い」
「ふーん」
「関心うっす」
「だってわたし、そこの中学行けるか分からないし」
「ああ、確かに」
「もしも引っ越したとして、その引越し先は指定カバンかもしれないし」
「なるほど」
「あ、あのぅ……」
「どうした? 海」
「り、りり……」
「ん?」
「り、凜々花さん、詳しい、ね」
勇気を振り絞って、名前を呼んだ。
ちらりと凜々花さんの顔を見てみる。きょとん、となんだか間抜けな顔をしている。
「いや、凜々花さん呼びはむず痒い。っていうか、勝手にちゃん付けやめちゃったあたしがさん付けされてるの、なんか、こう――」
「やんちゃな人と、絡まれてる人みたい」
美咲がくつくつと笑いながら言った。
「それそれ! 海、ダメ。あたし、海に〝ちゃん〟つけないから。海もあたしに〝さん〟つけないで。わかった?」
「え、ええ……」
「わかった? わからない? どっち?」
「わ、わわわ」
「この人は⁉」
凜々花さん、いや、凜々花が美咲を指さしながら言う。
「え、えっと――」
美咲が女神さまみたいに微笑みながら、私が呼ぶのを待っている。
「み、美咲?」
「オッケー。じゃあ、こっちは⁉」
凜々花が自分を指さしながら言った。
「り、りり……か?」
「よろしいっ! それで? あれ? まだ帰る準備できてないの? ほらほら、油売ってないで、ちゃっちゃとやる! あんまり遅くまで残ってると、先生に怒られるぞー?」
「海の手を止めたのは凜々花だと思うけどね~」
美咲が笑いながら言った。
「あ、あたしか! あははっ!」
凜々花が頭をポリポリ掻いた。
「あれ? それで、あたし、何か聞かれなかったっけ?」
「あ、いや……詳しいねって言っただけ。聞いてない」
「そうだっけ? まぁ、あれ。あたし、中学生の親戚がいるから」
「親戚、本当に多いよね。ここに根を張って生きてきた一族感が凄い」
「血がつながってたり関係が深いだけの、普通の人間の集まりでしかないけどね。土地がらかもね。ほら、小さい島でぎゅっと暮らしているから。本土と比べたら、親戚がバラバラにならないことが多いのかも」
そう言う凜々花の顔は、満面の笑みだった。
確かに、島に来るのが大変だったように島から出るのも大変なのだろうから、簡単には出て行かなくて、結果的にバラバラにならないなんてことがあるのかもしれない。でも、とっても関係が悪かったら、そんなことは言っていられなくて、飛んで出て行くんじゃないかと思う。
つまりはきっと、凜々花の家系は健全な関係なんだろう。あの男のような人が、親戚のくくりの中にいないということなのだろう。
うらやましい。
「ほらほら、手が止まってる! 準備準備!」
「毎回止めてるの凜々花じゃん」
「ごめ~ん! 手伝う!」
凜々花が私の手から青いランドセルをひょい、と取った。私より先に、私の席へ行くと、
「自分の引き出し誰かに開けられたくない系女子、ここまでしか手伝えません!」
にかっと笑いながら、叫んだ。
「平気。自分でやる」
錠前を捻って、カバーを開ける。中にノートや教科書、ペンケースを詰めていく。
「そのペンケース、可愛いね」
「ああ、これ?」
「自分で買ったの?」
「い、いや……。おさがり」
「そっか。かわいいの貰えてよかったね」
ふたりは本当に小学生なのだろうか。私にはどうしても、同い年に見えない。
「それじゃあ、またね!」
「また~!」
「うん。また明日!」
分かれ道で、笑いながら手を振る。
変な心地だ。こんなことをしている人間を、幾度となく見てきた。そういう人間に、いつの間にか自分もなっている。
あっちにいる間にこうなれたらよかったのに。
ふとそう考えて、かぶりを振る。
思い出しちゃいけない。思い出そうとするのもいけない。北海道のことは、マトリョーシカみたいな箱に入れて、いくつもの南京錠をかけてしまい込んでおかなくちゃいけない。
きっとそれが、新しい人生を歩んでいくための第一歩なんだ。
「ただいま」
やる気を出した太陽がまださんさんと輝いているはずだけれど、カーテンが閉まって、電気をつけるでもない家の中は夜みたいに暗い。
靴を脱ぎ捨て、どんどんと窓の方へと歩いていくと、シャッとカーテンを開けた。門が開いたぞ、と喜んでいるかのように、太陽の光がレースカーテンを突き抜けて部屋の中に入ってくる。
大丈夫。ここにはあの男はいないんだ。
あの男はここを知らない。
だから、あの男がここに来ることもない。
あの男と一緒に暮らしていた時に起きたことは、ここでは起きない。
そう、起きないんだ。
だから、平気。
あの頃みたいにしなくても、平気なんだ。
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