新田二五は何もしたくない

綿貫早記

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三章

episode 7 うちにおいで

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 琴子は途中で遊び出したり、「お腹すいた」と駄々をこねたり、しまいには「おんぶ!」と言い出した。祥太郎は仕方なく琴子を背中に乗せて歩いた。すると琴子は、いつの間にか祥太郎の背中で眠ってしまった。
 祥太郎は、背中に感じる琴子のぬくもりとともに、昔のことを思い出していた。

 琴子がまだ赤ん坊だった頃、凛子と一緒に、母の佳乃の家へ連れて行かれたことがあった。あのときは、躑躅森教祖の側近が二人を連れて来てくれた。
 よちよち歩きだった頃も、同じように側近に連れられて訪れたことがある。琴子は泣きながら、凛子と祥太郎の後を追いかけてきて、祥太郎の袖をぎゅっとつかんだ。

 「琴子」――その名前を聞いたときのことも、はっきり覚えている。
 凛子と一緒に、「この子が私たちの妹なんだ」と思った。あのときからずっと、琴子は大事な妹だった。

 そして今朝のこと。
 躑躅森教祖と側近が、何かを話しながら慌ただしく玄関の方へ向っていくのを見かけた。あんなに焦った様子の二人を見るのは初めてだった。
 気になって、こっそり後をつけ、玄関の奥の方に隠れて様子をうかがった。
 そこで見たのは、母の佳乃が、琴子を連れて施設の玄関に立っている姿だった。
 その瞬間、祥太郎は思った。
――琴子も、自分たちと同じ目にはあわせない。

 そんなふうにいろいろなことが起きながら、二人は輝水天上天下という宗教団体がある双双山を後にし、子どもの足でゆっくりと歩いていった。寄り道も重なり、母の佳乃がかつて住んでいた双山村の家にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。

 家の中は真っ暗で、電気もつかず、静まり返っている。祥太郎は念のため玄関のドアノブをガチャガチャと回してみたが、やはり鍵がかかっていて開かなかった。
 そのとき、琴子が急に泣き出した。

「ここ琴子のお家じゃないぃぃ!ママにあ~い~た~いぃぃぃうわああぁぁぁんん!」

 琴子の泣き声を聞いているうちに、祥太郎の中にも不安が広がっていく。そして、ついに感情が爆発してしまった。

「うるさい琴子!!泣くな!!!」

 琴子は一瞬驚いたのか静かになった。だが次の瞬間、祥太郎の怒鳴り声にさらに大きな声で泣き出してしまった。

「うわわああぁぁぁんんん!!」
「俺だって……俺だって泣きたいよ、琴子……」

 そのときだった。背後から、突然声をかけられた。

「あらあら、こんなところで子ども二人だけで、何してるの?お父さんやお母さんは?」

 祥太郎はバッと後ろを振り返った。
 そこには、紺色の着物に山桜の模様が咲き、白地の帯には小紋が浮かび、きゅっと締められた姿の女性が立っていた。
 黒髪は夜会巻きに美しくまとめられ、すっと見えたうなじが、彼女の凛とした気品をいっそう際立たせていた。

 祥太郎は、泣いている琴子を背中に隠すようにしながら、警戒心をあらわにして後ずさる。
 すると女性は、優しく微笑んで言った。

「この家、前から空き家だけど……お名前は?」

 そのとたん、泣き止んだ琴子が祥太郎の背中からひょこっと顔を出し、元気よく答えた。

「琴子、四歳だよ!」
「おい!琴子、知らない人に名前を言うな!」

 祥太郎が慌てて怒鳴ると、琴子はビクッとして、また泣き出しそうになる。
 女性はそんな琴子の前にしゃがみこみ、優しく頭を撫でると、鞄から飴玉を取り出した。

「大丈夫よ、普通の飴玉だから」

 琴子はおそるおそる飴玉を受け取り、口に入れるとぱっと笑顔になった。

「おいしい!」

 琴子の笑顔を見た瞬間、祥太郎の中の警戒心が、ほんの少しだけほどけた。
 と、そのとき――

“グウゥゥ……”
 
 祥太郎のお腹が鳴った。
 女性はもう一つ飴玉を取り出し、祥太郎に差し出す。
 祥太郎は黙って飴玉を見つめていたが、気づけば目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
 その涙を見た琴子は、女性の真似をして、そっと祥太郎の頭を撫でた。

 祥太郎は、これまでのいきさつをぽつぽつと語り始めた。

「……俺は祥太郎、七歳です。双子の姉がいて、名前は凛子。二人とも、輝水天上天下っていう宗教団体で“神の子”として育てられてきました。
一週間に何回か、信者たちや知らない大人たちが集まってきて、“神の子様、どうか私の願いをきいてください”って、次々に拝んでくるんです。
最初は、何をしてるのか全然わからなかった。
泣きながら拝む人もいれば、笑ってるけど目が笑ってない人もいて、中には怒った顔で拝んでくる人もいました。
でも、俺たちは何を願われてるのか、何を言われてるのか、まったく意味がわからなかった。そして……だんだんと、みんなが真っ白い服を着て、こっちを見てくるのが、すごく怖くなってきて……」

 女性は黙って最後まで耳を傾けてくれた。
 話し終えると、女性はしばらく何かを考えるように黙っていた。やがて、ふっと表情をやわらげて言った。

「うちにおいで。あんたたち、住むところなんてないんでしょう?」

 琴子は意味がよくわからないまま、嬉しそうに女性に抱きついた。
 けれど祥太郎は「でも……」と口ごもる。
 話は聞いてもらったが、すべてを信用したわけではない。周りに自分のことを知る大人がいない今、判断はすべて 自分がしなければならない――その重さが、祥太郎の心を悩ませる。
 そんな祥太郎の気持ちを察したのか、女性は二人をそっと抱きしめて言った。

「私には、神の子でも何の子でもない。ただの七歳と四歳の子どもにしか見えないよ。私はね、おせっかいをやく、双山村の温泉の女将なんだ。いいから、うちにおいで。こういうときは、素直におせっかいに甘えちゃっていいの。ね?」

 祥太郎は輝水天上天下でも、母にも父にも、こんなふうに優しく、温かく抱きしめられたことはなかった。

 こうして、祥太郎と琴子は――温泉の女将のもとで暮らすことになった。
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