冷たいアイツとジェラテリア

結城 鈴

文字の大きさ
4 / 15

4

しおりを挟む
 ガチャリとドアが開いて、招き入れられたマンションは、どう見てもひとり暮らしのそれじゃなかった。
伊住の甘い匂いと、柑橘の芳香剤の匂い。混ざっても嫌な臭いではなく、むしろ伊住の家なのだと意識させられてドキドキした。
こんな時間に、他の家族に迷惑なんじゃなかろうか。きょろきょろしていると、どうぞ、と奥に案内された。広いリビングには、三人掛けのソファーとガラスのテーブルと、大きなテレビ。パーテーションで仕切られた六人掛けのダイニングテーブル。その奥に、やたらと大きな冷蔵庫と食器棚のあるキッチン。いわゆる、モデルハウスみたい、というやつだ。大きな鉢に、鋭い葉がワサワサ生えた大きな鉢植えもある。立ち尽くしていると、ソファーへと促された。エアコンが入っていたのか、室内は少しひんやりしている。
「お水持ってきますね。」
「あ、はい。」
手触りのいい布張りのソファーは、座り心地が良く、しかし体を預けてくつろぐには異様な状況で、借りてきた猫みたいになっていると、クスクス笑われた。
「はいどうぞ。アイスはあとで食べましょう。」
グラスに半分ほどの水を受け取り、飲み干す。キンと冷たくて美味しかった。はーっとため息すると、呼気が冷えている。
「おかわりいります?飲んでおいた方がいい。」
「・・・お願いします。」
グラスを差し出すと、伊住の指先が触れた。ドキリとして、取り落としそうになるのを、左手を添えて持ち直して、押し付けるように渡す。伊住は、気に留めない様子で、またキッチンの方へ行き、水を持って戻ってきた。渡された水を、今度は二口飲んで、両手に挟む。丸みのある背の低いグラスは、手のひらに収まった。
さっきは、手をつないだんだから、触れたくらいで意識したらおかしいだろ。
伊住に触れた指先を撫で、なんとなく鼻に持っていく。甘い匂いはしなかった。
「足りました?」
「はい。」
伊住がはい、と手を差し出したので、持っていたグラスを渡すと、それをテーブルにコツンとおいて、高い位置からこちらを見た。観察されている様子に、いたたまれなくて目を伏せる。両手の指をへそのあたりで組んだ。
「おぼれたら大変なので、シャワーにしておきましょう。着替え、おろしてない下着あるので、それとTシャツでいいですかね。」
話を進める伊住に、少し慌てて待ったをする。着替えを借りられるのはありがたいが、よそ様の家で下着で過ごすのはまずい。無意識に股の間に右手のひらを挟みこんでしまう。今はいているレギンスは、汗をかいているから、一度脱いだら履きたくない。こんなことになると思っていないから、予備もない。下着だけだと見えてしまう。
考え込んでいると、伊住が、パジャマ出しましょうか?と問うてきた。
「暑いかと思ったんですが。俺のでいいです?洗濯はしてあるので。」
「お願いします。」
ありがたい提案にコクコク頷いて手を合わせる。
「あ、でも、こんな時間にシャワーお借りしたら、他の方に迷惑でしょう?」
「・・・他の方?」
伊住が聞き返すので、こちらもびっくりしてしまう。
「え?ご家族の方・・・。」
「あぁ。一人なんで、大丈夫ですよ。強いて言うなら猫がいますけど。」
合点がいったと笑うので、なんだそうかーと聞き流しそうになり、まてまてまてと話を遮る。
「一人暮らしなんです?」
「猫と住んでます。」
え?いや。まずくないか?大丈夫か?
おろおろしているのを見て取って、伊住が眉を八の字にして笑った。
「二度目ましてで何かしたりしませんよ。」
安心してください、と続ける。
「でも、俺のことそういう目で見るんですね。少し驚きました。」
言われて、自分の態度が失礼だったと違う方向で焦りだす。
「まぁ、話が早いので、そのままでいいですよ。意識されて嬉しいです。こんな時間に、男の家に連れ込まれたら、そういうことも、アリ、かもしれないですからね。」
オレはしませんけど。と続けてクスクス笑う。
いや。そうじゃない。
恋愛対象として見てたんじゃない。
身の危険を案じただけ。
しないとは言っているが、その気になるかもしれないじゃないか。伊住の人となりなんて、出会ったばかりで分からないんだから。
「・・・バスルームこっちです。タオル出しときますね。」
促されたが、体が固まって動けなかった。
「高梨さん?」
呼ばれて目が合って、ゴクリとのどを鳴らしてしまう。
「・・・期待してます?」
笑みの消えた目で、そう問われて、ぶんぶん首を横に振った。
「いやっ!オレ、そういうの考えたことないんで!」
「・・・ですよね。」
伊住はニコリと笑うと、シャワーどうぞと背を向けた。

 頭から、やや温度の低いシャワーを浴びて、落ち着けと頭の中で唱える。水圧の高い、目の細かい水流は肌に心地よく、はーっとため息が漏れた。
広いバスルーム。白い浴槽に、柔らかなオレンジ色の壁。掃除が行き届いていて、いい匂いがする。シャンプーを借りて、あぁ、この匂いかと納得した。ベルガモットとラベンダーの香り。ボディーソープを手に取って、汗で汚れた体を流す。
へその下の茂みを丁寧にすすぎ、ふと鏡に映る下半身に目をやった。
左の内ももに、子供の手のひらほどの大きさの、赤い痣がある。生まれつきで、だから母には、きれいに産んでやれなくてごめん、と謝られたことがある。物心ついたころには、これは汚いもので、人に見せたら駄目なんだと思うようになっていた。母もわかっていたから、プールの授業で着る水着や、着替えの時に嫌な思いをしないようにと学校に話してくれて、よけいに隠すようになった。中学高校で陸上部だったが、スポーツタイツは欠かさなかったし、更衣室を使うのも一番最後。ずっとそうしてきた。
汚いって思われたくない。
生まれつきや、後天的にも、見た目のハンデがある人はたくさんいるし、それに比べたら身体機能に支障のないこの痣は、大したことではないと思う。頭ではわかっているけれど、手形みたいなその形は、どうしたって気味が悪い。
自分が嫌なんだから、しょうがない。
こんなもの、気にしない人だっているだろうけれど・・・。
これについて何か言われるのは、コンプレックスを刺激されるし、トラウマだった。
心無いことを言う人は、いるものである。
 小さく吐息して、シャワーを止める。酔いはだいぶ醒めていて、なにか粗相をしたとしても、酒のせいにはできないと思うくらいには冴えていた。
 脱衣所に出ると、洗面台の上にアイボリーのバスタオルが置いてあった。あまりにふわふわで、気持ちよくて、いい匂いで。ここは本当に一人暮らしの男の家なんだろうかと、少し悩んだ。借りたパジャマを広げると、それは上下に別れているタイプのものではなく、初めて見る膝まで隠れるワンピースタイプのものだった。伊住のものだというそれは、自分が着るとダボリと大きい。柔らかなコットンの肌触りに、高そう、と思ってしまう。大きいから、ボートネックの襟元から、鎖骨が見えてしまうが、しかたないだろう。
ももが隠れればいいや。
髪を手櫛で治して、リビングに戻ると、伊住がソファでテレビを見ていた。こちらに気付いてにっこり笑う。
「あぁ。やっぱりちょっと、大きいですね。他は大丈夫でした?」
「いえ。たすかります。気持ちよかったです。ありがとうございます。」
「髪、乾かしましょうか。オイルとか、使います?」
オイル?
こっち、どうぞ。と脱衣所に引っ張られ、洗面台の鏡の後ろから、金色のポンプタイプのボトルを見せられる。
「え。そんなのいいです。いつも自然乾燥だし。」
短いから、タオルで拭いた髪は、もうほとんど乾いている。
「男も手入れすると、手触り良くなりますよ。試してみません?」
言いながら、手にはオイルを取って、こすり合わせている。
断る理由もないし、いいかなと思っていると、伊住の手はおもむろに湿った髪へと伸ばされ。指で梳くようにオイルをなじませ始めた。大人になってから、床屋以外で頭をそんな風に触られることはなく、驚いて固まってしまう。ゾク、と背中にしびれが走った。
「ん。いいでしょう。暑いから、ドライヤー向こうでしましょうね。」
と、再びリビングの方へ。促されるまま移動して、ソファーに座らされた。
え?まさか、乾かしてくれるの?
どんな顔をしていいかわからないまま、伊住はドライヤーをオンにし、温風を当て始める。指が肌に触れるたび、びくびくしてしまう。緊張で肩がすくむ。
「熱くないです?」
もう、頷くことしかできなくて、コクコクと頭を揺らした。
熱で温まったオイルの、甘いいい香りに包み込まれる。あっという間に乾いた髪を、冷風に切り替えて指で梳いて、伊住はドライヤーを止めた。
「はい。いいですよ。ほら、手触りちがうでしょ?」
言われて、後頭部に手をやり、感触を確かめる。ふんわりと柔らかく、いい香り。
あーなんでこのシチュエーションで、自分は女の子じゃないんだろ。
おかしいだろこんなの。
伊住だって、と思ったところで、ため息してしまう。
はっきりとは言われてないけど。でも、たぶん。
伊住はこの容姿で、この人柄で。
でもたぶん・・・。
いやいや。何かの気の迷いかも知れないし。
それでないと、自分なんかにかまう理由が見つからないし。
彼女がいるみたいな雰囲気だったから・・・両方いけるタイプ・・・。男の自分が相手でも、恋愛対象として見たりするのだ。
それにしても、それでも、自分には本気にならないと思うから。
アソビ・・・。
そもそもなんでオレ今ここにいるの?
「あの・・・。」
「じゃぁ、俺もシャワー浴びてきますね。あ、客間案内します。眠かったら寝ちゃっていいので。
本社は、月曜休みじゃないので、俺もそろそろ寝ますから。」
あ、そうか。明日休みなのは、自分だけなのか。
なら、なおさらなんで日曜の遅い時間の呼び出しに応じて、その上面倒ごと押し付けられてるの?
「どうかしました?」
「・・・や。いいです。」
考えたらダメなことのような気がして、首を横に振った。
伊住が風呂に入っている間に、寝てもいいのだということに、ひたすらホッとした。

 客間だというその部屋は、アパートの部屋のベッドスペースよりやや広かった。セミダブルのベッドと、腰ほどの高さのチェストとドレッサーがあるほかは、壁面にクローゼットらしき扉があった。
びっくりしたのは、ベッドの真ん中に、毛の短いキジトラ模様の大きな猫が寝そべっていたことか。こちらに気がつくと、だん、と音を立てて床に飛び降り、廊下に走っていってしまった。
「びっくりしたー。」
「あはは。ごめんね。普段はここを寝床にしてて。・・・冷房、猫に合わせてるから、暑いかもしれない。好きにしていいから。」
猫の寝床にしては立派なそれに、もう一度驚いて苦笑する。
「ねこ、ごめんな。」
廊下に向かって言うと、なーと声がして、どうやら許してもらえたようだった。
「好きに使ってくれていいから。エアコンと、照明のリモコンは枕元にあるよ。・・・タオルケットで良かったかな。」
「ありがとうございます。」
ぺこ、と頭を下げると、伊住は笑って浴室の方へ歩いて行った。ドアが閉まるのを見届けて、部屋に入る。
言っていた通り、室温は高めで、エアコンが唸っていた。
「寝ちゃっていいのかな。」
伊住は、明日仕事だと言っていたし、シャワーを浴びたら寝るだろう。自分が起きていたら邪魔かもしれない。いや、それよりも、寝ていないと何かされたりするかもしれない。寝たふりでもいいから、ベッドに入っておかないと。
大人しく寝ることにして、自宅のベッドより広いそれに潜り込む。パジャマの肌触りも良かったが、シーツもタオルケットも柔らかくて、そしてなによりいい匂いがした。猫が寝床にしているというわりに、獣臭くない。もしかしたら、シャワーを浴びている間に、寝具を換えてくれたのかもしれない。
まめな人なのか、大事にされているのか・・・。
ふわ・・・とあくびが漏れた。
猫の名前、聞きそびれちゃったな。
もっと高そうな毛色の猫を想像していたが、そこいらで見かける猫と変わりないように思えた。
おやすみなさいって、言ってないや・・・。
眠気にあらがえず目を閉じる。タオルケットを手繰り寄せ、思い出してスマホを手にし、目覚ましをセットする。
六時でいいかな。
今度こそ、と枕の横に置いて目を閉じた。

 アラームで目を覚まし、厚いカーテン越しの日の光に部屋の中を見回して、泊めてもらったのだと思い出す。あまりにも寝心地が良くて、久々にぐっすり眠った。ベッドも寝具もパジャマも良かったが、それだけではなかったような気がする。しばらく考えて、あ、と思い当った。
静かだった。
エアコンは動いていたと思うが、耳障りな音がしなかったように思う。
そう・・・例えば、子供を怒鳴る母親の壁越しの声・・・とか。
「うわ。睡眠時間短いのに、スッキリ感がすごすぎる。」
どうやら、酒も残っていないようだ。
伊住はもう起きたろうか。もそ、とベッドを降り部屋を出ると、入れ違いに猫が中に入っていった。足元をすり抜ける毛並みの感触にびっくりして、鳥肌が立ってしまう。ドアをどうしようか迷って、少し開けてリビングに向かった。
 「おはようございます。」
リビングのドアから中を窺う。控えめに声をかけたが、奥の方からおはようございます、と返ってきた。
着替えたのかそうでないのか、伊住は白のVネックのシャツに、ステテコ姿で、寝ぐせなどはなく爽やかだった。スーツ姿ももちろんカッコよかったが、ラフな格好もそれはそれで様になっていて悔しい。
「よく眠れました?」
「ぐっすりです。」
思わず笑ってしまい、それにつられたように伊住も笑顔になった。答えてみて思ったが、ぐっすり寝たということは、客間に通された後、伊住には何もされなかったということだ。思い過ごしと、やっぱりがないまぜになった変な気持ち。誰でもいいってわけではないのだろう。そういう興味を持たれていなかったことに安堵する。
「よかった。何か飲みます?朝ごはんできますよ。飲み会の後なので、消化にいいもの用意しました。」
「あ、お水ください。あと、トイレってどこですか?」
朝の生理現象をうったえると、脱衣所の隣のドアです、と返されて、広いダイニングテーブルに水のグラスを用意される。
「ありがとうございます。」
踵を返して廊下を行き、昨日使った脱衣所の手前のドアを開ける。普通のシンプルなトイレにほっとして、座って済ませる。
あちこち、いい匂いなのに、トイレには芳香剤置いてないんだな。いや、無臭ってことは、まめに掃除して、消臭剤置いてるのかも・・・。
ぼんやりと思って、リビングへ戻る。伊住はキッチンで支度をしていた。自分はテーブルのグラスの置かれた側に座って、水を一口する。ふとスマホを見ると、チカチカ光っていた。
開いてみると、不破からメールで、昨夜の支払いを伊住が立て替えたのこと。金額と、お礼を言っておいてとあり、慌ててしまう。
「伊住さん!ごめんなさい、昨日の支払い立て替えてもらったみたいで!」
すぐに、カウンターで何か盛り付けている伊住に声をかける。
「あぁ。忘れてました。あとでいいですよ。とりあえず、朝ごはん食べましょう。」
はい、とお盆に乗せられた、丸くて深い器を運んでくる。湯気が立っていて、美味しそうな匂いがした。
「中華粥です。お腹休めた方がいいと思うので。」
中華・・・粥?
「あ、はい。いただきます。」
出来立ての食事を、なによりも優先するよう、しつけられて育ったために、条件反射で手を合わせ、スプーンを手にする。
「熱いので、少しずつ冷まして食べてくださいね。」
「はい。」
ふーふーと息を吹きかけて冷ましながら、スプーンで少し掬って口に運ぶ。海鮮の出汁がきいたトロトロのお粥だ。
「うま。こういうの初めて食べました。」
塩気もちょうどいい。お店以外で、誰かが作ったご飯を食べるのは久しぶりだった。
「よかった。米と乾物のホタテと海老があったら、簡単なのですぐできますよ。材料は保存がきくのでストックしてます。」
その食材を買って置くという発想が、自分にはない。違う食文化で育ったのかもな、と思いながら粥を冷ましていると、伊住は思案気に首を傾げた。
「お昼をどうしましょうか。俺は平日はいつも、社食で済ませているので買い置きがないんです。すぐ近くにコンビニとか美味しいパン屋もありますけど・・・。」
お昼??
困った顔をして、お昼ご飯の心配をする伊住に困惑して、スプーンが止まる。
「え?食べたら帰りますよ?」
仕事に出る伊住と一緒に出るつもりでいたので、びっくりしてしまう。
「帰っちゃうんですか?お休みでしょう?のんびりしていったらいいのに。」
「いやいやいや。実家じゃないんだし、初めての家で、家主がいないのにくつろぐとかできないので。」
さも当然のことのように言う伊住に、それはない、と待ったをかける。居心地はいいけれど、それは選択肢にない。
「でも着ていた服、洗濯してますよ。乾くまでまだちょっとかかります。」
「え・・・。」
それは・・・。どうしよう。
「どうしても帰るのなら、服は貸しますけど。」
うーん・・・。
借りるのが妥当だとは思う。この場合の正しい選択だと思う。
思うけれど。
伊住の服だぞ?高そうじゃないか?
脳裏に浮かぶ心配事。着るものにはこだわりがありそうな伊住の服である。借りて、普通にうちで洗濯して大丈夫なんだろうか。
「あとは、服が乾くまでもう少しゆっくりして、着替えて帰る、とか?鍵はオートロックなので、そのまま出てくれてかまわないし。あぁアドリーナ・・・猫にさえ気を付けてくれたら、それで大丈夫なので。念のため、メールのアドレスだけ交換しておきましょうか。できれば携帯の番号もあると助かりますけど。」
ぽんぽん、と矢継ぎ早に話す伊住に圧倒されて、ろくに考えもせずに、じゃぁそれで、と返していた。
「とりあえず食べちゃいましょう。」
促されて、食べごろになった粥を口に運ぶ。伊住は、先に食べ終えて、支度をするので、と席を立った。ゆっくり食べているわけにもいかないので、急いで流し込む。
味わって食べたかったなぁ・・・。
コップの水を飲み干して、さてどうしようかと天井を見上げる。アパートの天井より、高い。
「食器、シンクに下げてもらっていいですか?洗わなくていいので。」
リビングのドアから顔だけ出して、伊住が言う。
「あ、はい。・・・洗っておきますよ。」
「・・・じゃぁ下洗いして食洗機に入れておいてください。」
食洗機があるのか。あるか。あるよな。
頭の中で呟いて、お盆に乗った食器をキッチンに下げる。カウンターは広く、整理されていてキレイだ。うちとは大違いだな、とため息して食器をシンクに置いた。
伊住の分も、とテーブルに戻ると、ワイシャツに着替えて身なりを整えた伊住が、キッチンの方に行き、その後を猫が追いかけていった。見ると、伊住がかがんで、餌をやっている。
ガツガツと食べ始めた猫の頭を一撫でし、じゃぁ、いってくるねと話しかけて立ち上がる。
「すみません。遅刻しそうなので、もう出ますね。脱衣所に洗濯機あるので、乾燥終わったら出して大丈夫ですよ。あとこれ、アドレスと携帯の番号。あとでここに連絡ください。
ごめんなさい、俺、もう出るので。帰るとき、猫だけ気を付けてくださいね。じゃぁ、また。あの、連絡待ってますので。・・・行ってきます。」
伊住は一気にそう畳みかけると、名刺ほどの紙片を握らせて、棚に置いていた眼鏡をかけると、鞄とジャケットを片手に抱え玄関を出て行ってしまった。
「・・・行ってらっしゃい?」
行ってきますと言われることも、行ってらっしゃいということも久しぶりで、ぽかんとしてしまう。しかもここは伊住の家で。
足元に気配を感じて見下ろすと、食べ終わったらしい猫が、すねに体を擦りつけていた。
えっと・・・なんだっけ?
「・・・アドリーナ・・・?」
思い出して呼びかけると、猫はなーんと鳴いて、廊下の方へと去って行った。
やっぱり・・・スーツ、カッコイイ。
男のスーツ姿をそんな風に思う自分に驚いていた。
なんて言うんだっけ?萌え?フェチ?・・・目の保養?
性的な感じで見ているわけではない。どちらかと言うと・・・。
憧れ?

しまった。飲み代払うの忘れた。
お金の貸し借りは、基本しないのが高梨家の教えである。なんとしても早急に返さねば。しかし、置いて帰るのも失礼な話だし、借りた立場なのだから、きちんと手渡しで返したい。
これはまた、会わないとだめなやつだぁ・・・。
大きなため息と吐いて、しかたない、と気持ちを切り替える。
とりあえず洗い物をして、服が乾いたら帰ろう。その前にメール。電話は・・・昼休み頃を狙えばいいか?
人間関係が希薄で、こんな時どうしたらいいかわからない。
社会人と付き合うってこんな感じ?
いやいやいや。伊住はそんなんじゃないし。
というか、付き合ってる人、いるっぽかったじゃん。
電話!電話の人!
車の中で、誰かと話していたのを思い出す。
いくら自分に優しく、親切にしてくれたからといって、勘違いしたらいけない。だって、理由がない。
きっと気まぐれ。そう、気まぐれ!
 一連の出来事を、そう決めつけて、洗い物をすることにした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

天の求婚

紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。 主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた 即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

夜が明けなければいいのに(洋風)

万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。 しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。 そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。 長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。 「名誉ある生贄」。 それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。 部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。 黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。 本当は、別れが怖くてたまらない。 けれど、その弱さを見せることができない。 「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」 心にもない言葉を吐き捨てる。 カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。 だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。 「……おめでとうございます、殿下」 恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。 その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。 ――おめでとうなんて、言わないでほしかった。 ――本当は、行きたくなんてないのに。 和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。 お楽しみいただければ幸いです。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~

上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。 ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。 「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」 そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。 完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか? 初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

処理中です...