12 / 30
12
しおりを挟む
朝ごはんは、ふわふわのオムレツと、ミニサラダ、カップスープとご飯。あまりの手際の良さに舌を巻く。おまけに、オムレツの美味しいことと言ったらない。
やっぱり・・・この家に自分はいらないんじゃないのかな。
アンの遊び相手は必要かもしれないけど、僕が遊んでほしいのはアンじゃなくて・・・。
「・・・どうしたの?」
しょんぼりして、と孝利が言う。
「僕、ここにいていいのかなって。なんかあんまり役にたってない。」
「そんなことないよ。君がちゃんとアンのお世話してくれるから、悪戯したりしないじゃない。それって、満足してるってことでしょう?」
そうなのかな。確かにソファーや壁で爪を研いだりはしないけど。
「それとも、タマが欲求不満?」
さっき、解消してあげたでしょう?と首を傾げられる。
「さっきのは・・・気持ちよかったですけど・・・。」
そうじゃなくて、と口ごもる。元々、仕事でいない間のアンの世話をするのが仕事のはずだったじゃないか。アンは、いい餌をもらって、毎日ブラッシングをしてやって、ツヤツヤだ。幸せそうだと思う。でも自分は?
「タマは、趣味とかないの?」
「仕事が趣味みたいなものだったから。時間も潰せたし、いつも誰かいたし。」
言ってしまってからハッとする。
「ごめんなさい。」
「いいよ。・・・そうか、淋しいのか。・・・俺が教えてあげられるのは、ステンドグラスくらいだけど、やってみるかい?」
「無理ですよ。僕、器用じゃないし。」
「器用じゃなくてもできるキットがあるから大丈夫。クリスマスのデコレーション作ってみない?ガラスは使わないから、怪我の心配もないよ。」
ガラスを、使わない??
「土日は仕事ないから、材料を見に行こう。」
「・・・どこに?」
「ハンズ。」
あそこなら、男二人で買い物をしていても大丈夫だろうか。
土日はいつも混んでいるし。
「ほんとに、僕でもできます?」
「できるよ。下書きは作っておいてあげる。もしくは市販の下絵をなぞるだけでもできるな・・・。」
孝利はわけのわからないことを言い出した。
ともかく、明日か明後日は買い物に連れ出してもらえる。それだけでも十分嬉しかった。
朝ご飯を食べると、孝利はいつものように自室に籠り、眠ってしまったようだった。今日の夜は仕事。だから、なるべく回復して、体力を温存しておかないといけない。集中してないと、きっと怪我をしてしまう。それだけは避けたかった。
怪我の原因になりたくない。
夕ご飯の食材と、おやつを買いに行こう。ケーキ屋が、チョコレートケーキの新作を出していた。今日はあれにしよう。
いつも、エレベーターは途中の階で止まることはないのだが、今日は違った。七階で、人が乗ってきた。孝利と同じくらいの身長の、男の人だ。年齢はもう少し上だろうか。
挨拶、した方がいいのかな・・・。
「こ、こんにちは。」
「?あぁ。こんにちは。
・・・見ない顔だけど、越してきたの?」
「あ、上の、北倉さんのところのハウスキーパーしてます。」
「北倉さんのところか。気難しいから大変だろう。」
気難しい?
「いえ・・・。」
男は、大浴場のある階で降りると、降り際にこう言った。
「昼間、時々サウナに来てるんだ。暇してるなら話し相手になってあげてもいいよ。」
「あ、今ぐらいの時間は買い物とかしてて。」
なんだろう。距離の近い人だな。
「あぁ。ケーキ屋さん?あの人甘いもの好きだよね。」
そんなことまで知ってるのか。どういう関係なんだろう?
少し、男に興味がわいた。
「平日の午前中なら空いてます。」
「そうなの。あぁ、あの人寝てるからか。まぁ待ってるよ。」
じゃぁ、とドアが閉まった。そのまま地下まで降りる。とりあえずは夕ご飯の買い物だ。朝は卵だったから、魚か肉にしよう。
それにしても・・・今の人・・・何者なんだろう。
お互い名乗らなかったことに、今更気付いた。
体力勝負だから、魚より肉かな、と思い、サーロインを二枚買った。それと、水菜と、キノコを数種類。水菜はサラダに、キノコはバターソテーして付け合わせにしようと思っていた。
よし、あとはケーキを買って・・・。
目当てのチョコレートケーキが一つしかなかったので、もう一つはベイクドチーズケーキにした。軽い足取りで帰る。
二時半には起きてきて、コーヒーを淹れてくれ、おやつの時間を楽しむのだ。寝起きにカフェインと甘いものを摂るのが習慣らしかった。そして最近は、別々のケーキを買うと、決まって味見と称した間接キスをする。慣れないもので、初めてのころよりドキドキは増しているように思えた。たぶん、今日もまた・・・。
そろそろ起きてくるころを見計らって、電気ケトルでお湯を沸かしておく。
一人の時間がもうすぐ終わる。
ドキドキしながら、起きてくるのを待った。
ところが、今日はいつもの時間になっても起きてこない。心配になって、こっそりと寝室のドアを開ける。すると、ピピッと軽い電子音がして、どうやら起きていることがうかがえた。
何の音だろう?
思っていると、孝利が唸りながら半身を起こした。その手に、体温計。
「おはようございます。孝利さん、熱?」
「あー・・・うん。ちょっと微熱。」
風邪でも引いたのだろうか。
もしかして、お風呂であんなことしてたから?
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「なんでタマが謝るの。・・・昨夜の現場が少し寒かっただけだよ。しっかり温まって寝たつもりだったけど・・・。」
「風邪薬、ありますか?」
「買い置きしてないんだ。薬あんまり好きじゃなくて。おやつ食べたら病院行ってもらってから仕事に行くよ。・・・ご飯は家で食べられると思う。」
こん、と咳をして、孝利が言う。
「あ・・・ちょっと消化に悪いかも。ステーキなんです。」
「あぁじゃぁ、お肉は君が食べて?俺はトマトリゾットでも作るよ。」
しゅん、と犬なら耳が垂れて、尻尾も下がっていると思う。
「タマのせいじゃないよ。ちょっとだるいだけだから大丈夫。」
でも、孝利は今夜も仕事だ。
「あ、じゃぁ、僕あとでカイロ買てきます。貼れるやつ。」
「ありがとう。さて、起きるよ。」
着替えるのだろう。ぱたんと扉を閉めて、おやつの用意をしに、キッチンへ向かった。
お湯を沸かし直して、その間にケーキを皿に出す。丁度そこに、孝利が出てきた。
心なしか、顔色が悪い。
「今日何?」
「チーズケーキと、新作のチョコレートケーキです。」
孝利は唸ったが、チーズにする、と言った。
ハンドドリップのコーヒーは、自分が淹れても美味しくならないので、そこは孝利にお任せだ。ケーキをテーブルに運んで、カップを出した。牛乳をレンジで温める。自分の分はカフェオレだ。
孝利がコーヒーを落とすいい香りがしてくる。やがて、カップを持った孝利が席についた。
「いただきます。」
孝利がカップに口をつける。ケーキは定番のものらしく、食べつけているのかもしれなかった。しばらく待っていたが、味見のお誘いがない。食べないの?と聞かれたので、フォークにクリームをすくって食べた。濃厚なチョコレートの香りが、ふわっと口に広がる。
「美味しい!」
少し感動して、ムース部分も、口に入れる。
「美味しい?今度の時は、俺の分も買っておいて。食べてみたい。」
「今日は味見しないんですか?」
「風邪だったらうつしちゃいけないし、ね。」
あぁ。それで気を使ってくれたのか。
「熱、どれくらいあったんです?」
「七度九分。」
ほぼ八度じゃないか。だるそうなわけだ。病院へというのも頷けた。
「まだ上がりそうですか?」
「わからないけど、病院に行っておこうと思う。仕事に差し支えるといけないから。」
「そうですね。その方が僕も安心です。」
ほんのり紅潮した頬を見て思う。もう熱、上がってきてるんじゃないのか?
「病院って、午後は三時からですよね?食べたら支度した方がよさそうですね。付き添いますか?」
「運転してくれるの?」
え?
「いやそれは・・・孝利さんの車、大きいから怖いです。」
運転できないほどしんどいのだろうか。
心配していると、孝利がクスクス笑った。
「冗談だよ。一人で行けるよ。大丈夫。」
「・・・うん。なんか役立たずで、ごめんなさい。」
「そんなことないよ。ちゃんと、おやつと夕ご飯の買い物してきてくれたんでしょう?それだけでもありがたいよ。タマはちゃんと仕事してくれてる。役立たずなんかじゃないよ。」
そう言って、孝利が慰めてくれる。アンが、足元にすり寄ってきて、アーンと鳴いた。
「お前にまで心配されてるの?なんか泣きそうかも。」
孝利はともかく、アンにまで慰められて、意気消沈だ。
「ほら、タマは元気出して。じゃぁ、俺はちょっと病院に行ってくるから。」
こん、けほ、と咳き込んで、孝利は出かける準備を始めた。
孝利を見送って、与えられた自室のベッドに寝転がる。
風邪、だったら、土日の買い物行けないなぁ。安静にしてないと。
残念だが、咳も出始めていた。悪化する前に、治してしまいたい。
常備薬、いくつか買っておいた方がいいだろうか?
リビングの、棚の開きに、薬箱があるのは教えてもらった。
開けて見てみよう。薬が入ってなかったら、薬箱の意味がない。
いそいそと移動し、薬箱を開けて見る。消毒薬と、各種ばんそうこうは入っていたが、薬は鎮痛剤しかなかった。
「葛根湯買っておこう。」
風邪の引き始めは、葛根湯だ。それと貼るカイロ。胃薬も必要だろう。薬が嫌いでも、漢方薬なら飲んでくれるかもしれない。
ステーキは焼くだけだし、リゾットは孝利が作るのだろうし、薬局に行くことにした。確か、駅地下にあったはず。大体何でも揃うな。そう思いながら、コートを手にした。
地下まで降りる。連絡通路を使って、駅地下の薬局を目指す。すると、通路で見覚えのある顔に出会った。
エレベーターで一緒になった人だ。買い物袋を提げている。
挨拶、と思っていると、気が付いたのか向こうから声をかけてきた。
「やぁ。よく会うね。」
「あ、ほんとに。さっきはすみません。名前も名乗らずに。」
「こちらこそ。佐川実(さがわ みのる)です。」
よろしくね、と空いている方の手を差し出される。
握手?
握り返しながら、環健斗ですと名乗った。
「健斗君ね。君いくつ?高校生?」
「えっ?いえ二十五歳です。」
「うそぉ。見えないなぁ。じゃぁ合法だね!」
何がだろう?
ぽかんとしていると、君、そうなんでしょう?とニヤニヤされた。
「そう?って、なんですか?」
「あれ?違うの?サウナに誘ったら嫌がらなかったから、てっきりお仲間かと思ったんだけど。」
おなか・・・ま?
あ!
この人ゲイなのか!
やっと話が通じて、けれど困った。違うようなそうでもないような。なんて答えたらいいんだろう。
「あ、あの・・・僕は・・・。」
「こわがらなくていいよ。北倉さんとできてるんでしょう?
人のものに手を出す趣味はないから。
淋しそうだったから、話聞いてあげようと思っただけ。」
サウナで?裸で?
うーん・・・。これは、孝利さんに相談しておいた方がいいのかな。でも、出勤前に余計なこと言いたくないな。
「すみません。急ぎで買い物に行くので。」
「あ、そうなの?ごめんね。じゃぁまた。」
また?
社交辞令なのか、佐川はそう言って去って行った。
とりあえず、買い物に向かう。置き薬はともかくとして、カイロと、あとおでこ冷やすやつは欲しい。というか、頭を冷やすもの、あるんだろうか。
発熱だけで済めばいいけど・・・。
そして、その心配は的中した。
家に帰ると、孝利も帰ってきていて、口元に何かを当てていた。見慣れないものだ。なんだろう?
「おかえり。なに?いろいろ買いこんで。」
「漢方薬と、カイロとおでこ冷やすやつ・・・です。アイスノンとかってありますか?水枕とか。」
「あるよ、大丈夫。冷えてないから、パントリーの奥から冷凍庫に移しておいてくれる?」
「り・・・はい。」
了解です、を使わないのにまだ慣れない。パントリーの奥を探して、埃を被っていたアイスノンを見つけると、水で洗って、冷凍庫に入れた。これで、万一熱が上がっても使えるだろう。
「あ、孝利さん熱は?」
「今帰ってきたところだから、計ってないけど、病院では七度台だったよ。」
ホッと胸を撫でおろす。そういえば・・・。
「さっきのなんですか?」
「さっきの?・・・あぁこれ?」
孝利が、エル字型の器具を手のひらに乗せて見せてくれた。
「吸入器。」
「きゅうにゅうき?」
「風邪をひくと、喘息が出やすくて。念のため、気管支を広げる薬をね。」
口に入れて、吸うんだよ、と見せてくれる。
「喘息があったんですか。」
「うん。埃っぽい仕事だからかな。マスクはするようにしてるけど、大人になって発症しちゃってね。」
それは大変だ。
「今のところ、発作は出てないから大丈夫だよ。」
そうか。それで、病院に・・・。喘息の薬は薬局にはないから。
「今日、お仕事ですよね?」
「うん。今日をしのげば、土日は休めるから大丈夫だよ。」
今月は、土曜が三十日で、日曜には十二月だ。クリスマスの飾りつけは、今夜が山場なのだろう。孝利が行かないわけにはいかなそうだった。
「じゃぁせめて、ご飯はしっかり食べないとですね。」
「病院行ったら安心したから、ステーキでも大丈夫そうだよ?」
「サーロインなんで、良く噛んで食べてくださいね。」
もう少し、柔らかい部位の肉にすればよかった。そもそも、同じ牛肉でも、ステーキじゃなくて、シチューとかならよかったかもしれない。焼くだけ簡単、と手を抜いたのが悪かった。
「ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「もっと消化にいいもの用意すればよかったなって。」
「君が買い物に行ったのは、俺が起きる前だったんだから、仕方ないの。肉は食べないとだめになるし。いいよ。」
気にしないで、と頭をぐりぐり撫でられる。その手が、いつもより熱い。
「解熱剤、もらってきました?」
「もちろん。」
「なら、食べて薬ですね。」
気を取り直して、夕ご飯の支度にかかることにした。
佐川のことは、やはり言えなかった。特にやましいことがあるわけでもなかったが。
やっぱり・・・この家に自分はいらないんじゃないのかな。
アンの遊び相手は必要かもしれないけど、僕が遊んでほしいのはアンじゃなくて・・・。
「・・・どうしたの?」
しょんぼりして、と孝利が言う。
「僕、ここにいていいのかなって。なんかあんまり役にたってない。」
「そんなことないよ。君がちゃんとアンのお世話してくれるから、悪戯したりしないじゃない。それって、満足してるってことでしょう?」
そうなのかな。確かにソファーや壁で爪を研いだりはしないけど。
「それとも、タマが欲求不満?」
さっき、解消してあげたでしょう?と首を傾げられる。
「さっきのは・・・気持ちよかったですけど・・・。」
そうじゃなくて、と口ごもる。元々、仕事でいない間のアンの世話をするのが仕事のはずだったじゃないか。アンは、いい餌をもらって、毎日ブラッシングをしてやって、ツヤツヤだ。幸せそうだと思う。でも自分は?
「タマは、趣味とかないの?」
「仕事が趣味みたいなものだったから。時間も潰せたし、いつも誰かいたし。」
言ってしまってからハッとする。
「ごめんなさい。」
「いいよ。・・・そうか、淋しいのか。・・・俺が教えてあげられるのは、ステンドグラスくらいだけど、やってみるかい?」
「無理ですよ。僕、器用じゃないし。」
「器用じゃなくてもできるキットがあるから大丈夫。クリスマスのデコレーション作ってみない?ガラスは使わないから、怪我の心配もないよ。」
ガラスを、使わない??
「土日は仕事ないから、材料を見に行こう。」
「・・・どこに?」
「ハンズ。」
あそこなら、男二人で買い物をしていても大丈夫だろうか。
土日はいつも混んでいるし。
「ほんとに、僕でもできます?」
「できるよ。下書きは作っておいてあげる。もしくは市販の下絵をなぞるだけでもできるな・・・。」
孝利はわけのわからないことを言い出した。
ともかく、明日か明後日は買い物に連れ出してもらえる。それだけでも十分嬉しかった。
朝ご飯を食べると、孝利はいつものように自室に籠り、眠ってしまったようだった。今日の夜は仕事。だから、なるべく回復して、体力を温存しておかないといけない。集中してないと、きっと怪我をしてしまう。それだけは避けたかった。
怪我の原因になりたくない。
夕ご飯の食材と、おやつを買いに行こう。ケーキ屋が、チョコレートケーキの新作を出していた。今日はあれにしよう。
いつも、エレベーターは途中の階で止まることはないのだが、今日は違った。七階で、人が乗ってきた。孝利と同じくらいの身長の、男の人だ。年齢はもう少し上だろうか。
挨拶、した方がいいのかな・・・。
「こ、こんにちは。」
「?あぁ。こんにちは。
・・・見ない顔だけど、越してきたの?」
「あ、上の、北倉さんのところのハウスキーパーしてます。」
「北倉さんのところか。気難しいから大変だろう。」
気難しい?
「いえ・・・。」
男は、大浴場のある階で降りると、降り際にこう言った。
「昼間、時々サウナに来てるんだ。暇してるなら話し相手になってあげてもいいよ。」
「あ、今ぐらいの時間は買い物とかしてて。」
なんだろう。距離の近い人だな。
「あぁ。ケーキ屋さん?あの人甘いもの好きだよね。」
そんなことまで知ってるのか。どういう関係なんだろう?
少し、男に興味がわいた。
「平日の午前中なら空いてます。」
「そうなの。あぁ、あの人寝てるからか。まぁ待ってるよ。」
じゃぁ、とドアが閉まった。そのまま地下まで降りる。とりあえずは夕ご飯の買い物だ。朝は卵だったから、魚か肉にしよう。
それにしても・・・今の人・・・何者なんだろう。
お互い名乗らなかったことに、今更気付いた。
体力勝負だから、魚より肉かな、と思い、サーロインを二枚買った。それと、水菜と、キノコを数種類。水菜はサラダに、キノコはバターソテーして付け合わせにしようと思っていた。
よし、あとはケーキを買って・・・。
目当てのチョコレートケーキが一つしかなかったので、もう一つはベイクドチーズケーキにした。軽い足取りで帰る。
二時半には起きてきて、コーヒーを淹れてくれ、おやつの時間を楽しむのだ。寝起きにカフェインと甘いものを摂るのが習慣らしかった。そして最近は、別々のケーキを買うと、決まって味見と称した間接キスをする。慣れないもので、初めてのころよりドキドキは増しているように思えた。たぶん、今日もまた・・・。
そろそろ起きてくるころを見計らって、電気ケトルでお湯を沸かしておく。
一人の時間がもうすぐ終わる。
ドキドキしながら、起きてくるのを待った。
ところが、今日はいつもの時間になっても起きてこない。心配になって、こっそりと寝室のドアを開ける。すると、ピピッと軽い電子音がして、どうやら起きていることがうかがえた。
何の音だろう?
思っていると、孝利が唸りながら半身を起こした。その手に、体温計。
「おはようございます。孝利さん、熱?」
「あー・・・うん。ちょっと微熱。」
風邪でも引いたのだろうか。
もしかして、お風呂であんなことしてたから?
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「なんでタマが謝るの。・・・昨夜の現場が少し寒かっただけだよ。しっかり温まって寝たつもりだったけど・・・。」
「風邪薬、ありますか?」
「買い置きしてないんだ。薬あんまり好きじゃなくて。おやつ食べたら病院行ってもらってから仕事に行くよ。・・・ご飯は家で食べられると思う。」
こん、と咳をして、孝利が言う。
「あ・・・ちょっと消化に悪いかも。ステーキなんです。」
「あぁじゃぁ、お肉は君が食べて?俺はトマトリゾットでも作るよ。」
しゅん、と犬なら耳が垂れて、尻尾も下がっていると思う。
「タマのせいじゃないよ。ちょっとだるいだけだから大丈夫。」
でも、孝利は今夜も仕事だ。
「あ、じゃぁ、僕あとでカイロ買てきます。貼れるやつ。」
「ありがとう。さて、起きるよ。」
着替えるのだろう。ぱたんと扉を閉めて、おやつの用意をしに、キッチンへ向かった。
お湯を沸かし直して、その間にケーキを皿に出す。丁度そこに、孝利が出てきた。
心なしか、顔色が悪い。
「今日何?」
「チーズケーキと、新作のチョコレートケーキです。」
孝利は唸ったが、チーズにする、と言った。
ハンドドリップのコーヒーは、自分が淹れても美味しくならないので、そこは孝利にお任せだ。ケーキをテーブルに運んで、カップを出した。牛乳をレンジで温める。自分の分はカフェオレだ。
孝利がコーヒーを落とすいい香りがしてくる。やがて、カップを持った孝利が席についた。
「いただきます。」
孝利がカップに口をつける。ケーキは定番のものらしく、食べつけているのかもしれなかった。しばらく待っていたが、味見のお誘いがない。食べないの?と聞かれたので、フォークにクリームをすくって食べた。濃厚なチョコレートの香りが、ふわっと口に広がる。
「美味しい!」
少し感動して、ムース部分も、口に入れる。
「美味しい?今度の時は、俺の分も買っておいて。食べてみたい。」
「今日は味見しないんですか?」
「風邪だったらうつしちゃいけないし、ね。」
あぁ。それで気を使ってくれたのか。
「熱、どれくらいあったんです?」
「七度九分。」
ほぼ八度じゃないか。だるそうなわけだ。病院へというのも頷けた。
「まだ上がりそうですか?」
「わからないけど、病院に行っておこうと思う。仕事に差し支えるといけないから。」
「そうですね。その方が僕も安心です。」
ほんのり紅潮した頬を見て思う。もう熱、上がってきてるんじゃないのか?
「病院って、午後は三時からですよね?食べたら支度した方がよさそうですね。付き添いますか?」
「運転してくれるの?」
え?
「いやそれは・・・孝利さんの車、大きいから怖いです。」
運転できないほどしんどいのだろうか。
心配していると、孝利がクスクス笑った。
「冗談だよ。一人で行けるよ。大丈夫。」
「・・・うん。なんか役立たずで、ごめんなさい。」
「そんなことないよ。ちゃんと、おやつと夕ご飯の買い物してきてくれたんでしょう?それだけでもありがたいよ。タマはちゃんと仕事してくれてる。役立たずなんかじゃないよ。」
そう言って、孝利が慰めてくれる。アンが、足元にすり寄ってきて、アーンと鳴いた。
「お前にまで心配されてるの?なんか泣きそうかも。」
孝利はともかく、アンにまで慰められて、意気消沈だ。
「ほら、タマは元気出して。じゃぁ、俺はちょっと病院に行ってくるから。」
こん、けほ、と咳き込んで、孝利は出かける準備を始めた。
孝利を見送って、与えられた自室のベッドに寝転がる。
風邪、だったら、土日の買い物行けないなぁ。安静にしてないと。
残念だが、咳も出始めていた。悪化する前に、治してしまいたい。
常備薬、いくつか買っておいた方がいいだろうか?
リビングの、棚の開きに、薬箱があるのは教えてもらった。
開けて見てみよう。薬が入ってなかったら、薬箱の意味がない。
いそいそと移動し、薬箱を開けて見る。消毒薬と、各種ばんそうこうは入っていたが、薬は鎮痛剤しかなかった。
「葛根湯買っておこう。」
風邪の引き始めは、葛根湯だ。それと貼るカイロ。胃薬も必要だろう。薬が嫌いでも、漢方薬なら飲んでくれるかもしれない。
ステーキは焼くだけだし、リゾットは孝利が作るのだろうし、薬局に行くことにした。確か、駅地下にあったはず。大体何でも揃うな。そう思いながら、コートを手にした。
地下まで降りる。連絡通路を使って、駅地下の薬局を目指す。すると、通路で見覚えのある顔に出会った。
エレベーターで一緒になった人だ。買い物袋を提げている。
挨拶、と思っていると、気が付いたのか向こうから声をかけてきた。
「やぁ。よく会うね。」
「あ、ほんとに。さっきはすみません。名前も名乗らずに。」
「こちらこそ。佐川実(さがわ みのる)です。」
よろしくね、と空いている方の手を差し出される。
握手?
握り返しながら、環健斗ですと名乗った。
「健斗君ね。君いくつ?高校生?」
「えっ?いえ二十五歳です。」
「うそぉ。見えないなぁ。じゃぁ合法だね!」
何がだろう?
ぽかんとしていると、君、そうなんでしょう?とニヤニヤされた。
「そう?って、なんですか?」
「あれ?違うの?サウナに誘ったら嫌がらなかったから、てっきりお仲間かと思ったんだけど。」
おなか・・・ま?
あ!
この人ゲイなのか!
やっと話が通じて、けれど困った。違うようなそうでもないような。なんて答えたらいいんだろう。
「あ、あの・・・僕は・・・。」
「こわがらなくていいよ。北倉さんとできてるんでしょう?
人のものに手を出す趣味はないから。
淋しそうだったから、話聞いてあげようと思っただけ。」
サウナで?裸で?
うーん・・・。これは、孝利さんに相談しておいた方がいいのかな。でも、出勤前に余計なこと言いたくないな。
「すみません。急ぎで買い物に行くので。」
「あ、そうなの?ごめんね。じゃぁまた。」
また?
社交辞令なのか、佐川はそう言って去って行った。
とりあえず、買い物に向かう。置き薬はともかくとして、カイロと、あとおでこ冷やすやつは欲しい。というか、頭を冷やすもの、あるんだろうか。
発熱だけで済めばいいけど・・・。
そして、その心配は的中した。
家に帰ると、孝利も帰ってきていて、口元に何かを当てていた。見慣れないものだ。なんだろう?
「おかえり。なに?いろいろ買いこんで。」
「漢方薬と、カイロとおでこ冷やすやつ・・・です。アイスノンとかってありますか?水枕とか。」
「あるよ、大丈夫。冷えてないから、パントリーの奥から冷凍庫に移しておいてくれる?」
「り・・・はい。」
了解です、を使わないのにまだ慣れない。パントリーの奥を探して、埃を被っていたアイスノンを見つけると、水で洗って、冷凍庫に入れた。これで、万一熱が上がっても使えるだろう。
「あ、孝利さん熱は?」
「今帰ってきたところだから、計ってないけど、病院では七度台だったよ。」
ホッと胸を撫でおろす。そういえば・・・。
「さっきのなんですか?」
「さっきの?・・・あぁこれ?」
孝利が、エル字型の器具を手のひらに乗せて見せてくれた。
「吸入器。」
「きゅうにゅうき?」
「風邪をひくと、喘息が出やすくて。念のため、気管支を広げる薬をね。」
口に入れて、吸うんだよ、と見せてくれる。
「喘息があったんですか。」
「うん。埃っぽい仕事だからかな。マスクはするようにしてるけど、大人になって発症しちゃってね。」
それは大変だ。
「今のところ、発作は出てないから大丈夫だよ。」
そうか。それで、病院に・・・。喘息の薬は薬局にはないから。
「今日、お仕事ですよね?」
「うん。今日をしのげば、土日は休めるから大丈夫だよ。」
今月は、土曜が三十日で、日曜には十二月だ。クリスマスの飾りつけは、今夜が山場なのだろう。孝利が行かないわけにはいかなそうだった。
「じゃぁせめて、ご飯はしっかり食べないとですね。」
「病院行ったら安心したから、ステーキでも大丈夫そうだよ?」
「サーロインなんで、良く噛んで食べてくださいね。」
もう少し、柔らかい部位の肉にすればよかった。そもそも、同じ牛肉でも、ステーキじゃなくて、シチューとかならよかったかもしれない。焼くだけ簡単、と手を抜いたのが悪かった。
「ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「もっと消化にいいもの用意すればよかったなって。」
「君が買い物に行ったのは、俺が起きる前だったんだから、仕方ないの。肉は食べないとだめになるし。いいよ。」
気にしないで、と頭をぐりぐり撫でられる。その手が、いつもより熱い。
「解熱剤、もらってきました?」
「もちろん。」
「なら、食べて薬ですね。」
気を取り直して、夕ご飯の支度にかかることにした。
佐川のことは、やはり言えなかった。特にやましいことがあるわけでもなかったが。
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~
倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」
大陸を2つに分けた戦争は終結した。
終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。
一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。
互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。
純愛のお話です。
主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。
全3話完結。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
俺の婚約者は小さな王子さま?!
大和 柊霞
BL
「私の婚約者になってくれますか?」
そう言い放ったのはこの国の王子さま?!
パミュロン王国で次期国王候補の第1王子アルミスから婚約を求められたのは、公爵家三男のカイルア。公爵家でありながら、長男のように頭脳明晰でもなければ次男のように多才でもないカイルアは自由気ままに生きてかれこれ22年。
今の暮らしは性に合っているし、何不自由ない!人生は穏やかに過ごすべきだ!と思っていたのに、まさか10歳の王子に婚約を申し込まれてしまったのだ。
「年の差12歳なんてありえない!」
初めはそんな事を考えていたカイルアだったがアルミス王子と過ごすうちに少しづつ考えが変わっていき……。
※不定期更新です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる