桜はまだか?

hiro75

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序章「悪夢の始まり」

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 珍しく風のない夜であった。

 おゆきは、はたと目を覚まし、耳を澄ました。

 御店おたなは、不気味なほどに静まり返っている。

 昨夜まで、晩春とは思えないような冷たい風が江戸の町を吹き抜け、戸板の打ち震える音や、店中の柱の軋む音が響き渡っていた。

 今夜は、馬鹿に静かである。

 この世に、自分だけしか存在していないような恐ろしさだ。

 隣を見た。

 おなつがいる。

 彼女は、まるで死んでいるかのように眠っている。

(ほんとに死んでるんじゃ……)

 上体起こし、おなつの口元に耳をあてがった。

 僅かだが、耳朶に熱い息が吹き込む。

(良かった、生きてる)

 安心したら、急に小用を催した。

 ぶるりと小さく身を震わせた。

(どうしよう……)

 行こうか?

 行くまいか?

 厠は、裏庭の片隅。

 普段でもひとりで行くのは怖い。

 今夜のように静まり返っている夜は、なおのことだ。

 あれほど寝る前に水物を取らないように気をつけているのに、今夜はどうしたことだろうか?

 行こうか?

 行くまいか?

 おゆきは、うら若き乙女である。

 男なら、戸を開けて庭に放尿もできるのだが、そういう訳にもいかない。

(いいや、我慢、我慢)

 と、夜着よぎに包まった。

 が、このまま朝まで我慢する自信もない。

 翌朝、起きたら夜着を濡らしているかもしれない。

 十五になって、それは恥ずかしい。

三吉さんきちにまで笑われたら)

 三吉の、ぼーっとした顔を思い浮かべた。

 流石にそれは悔しい。

 ええいとばかりに夜着を跳ね飛ばした。

 裏庭に出ると、闇夜が迫ってきた。

 厠までは六尺程度。

 それでも、おゆきには大冒険だ。

 おゆきは、丹田にふっと力を入れると、大股で厠に駆け込み、さっとしゃがみ込んだ。

 中から温かい液体がほとばしると、恐怖で凝り固まっていた体中の筋肉が解れ、体外に放出されていくような感覚に見舞われた。

 と同時に、えも言われぬ快感が襲ってきた。

(なんで、あんなに悩んでたんだろう?)

 先程のことが馬鹿らしくなってくる。

 夜、厠に行くたびに、この騒ぎである。

(おなつちゃんみたいに、ぐっすり眠れたら)

 大小入り混じった匂いの中で、おゆきはおなつの寝つきを羨ましく思った。
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