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第一章「雛祭」
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結局、床に差し込む光が真っ赤になるまで取調べを続けたが、お七は押し黙ったままだった。
調べの間を出ると、
「小伝馬町に送りますか?」
と、貞吉が訊いてきた。
「このままでは送れんだろう」
と、小次郎は答えた。
「しかし、市左衛門の話もありますし、証拠の品もありますから」
「だが、なぜお七は口を利かんのだ?」
「はあ、そこなんですよね? 大抵の娘っ子なら、あんだけ脅し賺せば小便の一つでも漏らすもんですが、これが、肝が座っていると言うか……」
貞吉は頭を捻る。
「まあ、今夜のところは大番屋預かりだな」
源太郎の言葉に、貞吉がすぐさま反応した。
「へい、では、番屋に準備させますので」
貞吉は、独楽鼠のようにすばっしこく奥に入って行った。
「秋山、お前はどう思う?」
源太郎は、小次郎を見る。
「娘が、火付けをする理由が分かるか? しかも三度もだ」
小次郎は首を捻った。
「前のときは、物が燃えるところを見たかったと言っていたらしいので、今回もそう思うのですが……」
「本当に、そう思っているのか?」
小次郎は、片方の眉を上げて源太郎を見る。
源太郎はにやりと笑った。
「お前さんの考えぐらい分かってるつもりだよ」
「恐れ入ります」
小次郎は神妙に口を開いた。
「確かに、火付けは癖になります。どうしても、火が見たくなる病もあるとか。ですが、娘が三度も火付けをしようとしたのでございます。お七も十六、それがどんな結果をもたらし、捕まればどうなるかぐらいは分かっていたはずです。それでも、火付けを働いた。よほどの理由があると睨んでおるのですが……」
「よほどの理由か? 娘を罪に走らせる、よほどの理由とは……」
源太郎の脳裏に、〝男〟という文字が浮かんだ。
小次郎も、それを思い浮かべたようだ。
「あの娘、何かを隠しているように思うのですが?」
「誰かを庇っている? 男か?」
「それは分かりませぬが、何か人に言えぬことがあるのではと。ですから、だんまりを決め込んでいるのではと思います」
「人に言えぬことか……、確かに、それはあるかもしれん」
火付けの動機を、もう少し詳しく探索するように命じた。
「明日にでも、両親や奉公人からもっと詳しく話を聴いてきます。岡っ引きの栄助たちには、近所の聞き込みにあたらせますので」
「そうか、頼む」
源太郎と小次郎は表に出た。
西の空は、既に紫紺に支配されている。
「それから、神谷様……」
小次郎が、言い難そうに口を開いた。
源太郎は、小次郎の顔を見て、また何かをやらかしたなと思った。
「今朝方、お七の件で火付改の榊と遣り合いまして……」
やはりである。
「またか?」
源太郎は、呆れたように小次郎を見た。
いままで何度その言葉を聞いたものか………………
「はっ、申し訳ございません」
「で、何を?」
小次郎は、今朝方の騒動を源太郎に話した。
「火付改の取調べじゃ、あの娘はもたねんじゃねえかと思いまして、貞吉が気を利かせまして」
「まあ、責め殺しは当たり前だからな、火付改は。分かった、明日一番にお奉行の耳に入れおこう」
小次郎は、「申し訳ありません」と、月代を掻いた。
じゃりじゃりと気持ち悪い音がする。
小次郎は、ちっと舌打ちをした。
「どうした?」
「いや、すみません。どう今日は調子が出ねえと思ったはずです」
朝から出張ったので、月代を剃ることもできなかったらしい。
「お陰で疲れました」
胡麻を塗したような月代が、小次郎を一層疲れているように見せた。
「確かに疲れたな」
源太郎も、目を瞬いた。
机の上には、まだ目を通さなければならない書類が溜まっている。
深い溜息を吐いた。
隣の男からも、重い溜息が聞こえる。
二人の溜息は、紫紺の空に溶け込んでいた。
調べの間を出ると、
「小伝馬町に送りますか?」
と、貞吉が訊いてきた。
「このままでは送れんだろう」
と、小次郎は答えた。
「しかし、市左衛門の話もありますし、証拠の品もありますから」
「だが、なぜお七は口を利かんのだ?」
「はあ、そこなんですよね? 大抵の娘っ子なら、あんだけ脅し賺せば小便の一つでも漏らすもんですが、これが、肝が座っていると言うか……」
貞吉は頭を捻る。
「まあ、今夜のところは大番屋預かりだな」
源太郎の言葉に、貞吉がすぐさま反応した。
「へい、では、番屋に準備させますので」
貞吉は、独楽鼠のようにすばっしこく奥に入って行った。
「秋山、お前はどう思う?」
源太郎は、小次郎を見る。
「娘が、火付けをする理由が分かるか? しかも三度もだ」
小次郎は首を捻った。
「前のときは、物が燃えるところを見たかったと言っていたらしいので、今回もそう思うのですが……」
「本当に、そう思っているのか?」
小次郎は、片方の眉を上げて源太郎を見る。
源太郎はにやりと笑った。
「お前さんの考えぐらい分かってるつもりだよ」
「恐れ入ります」
小次郎は神妙に口を開いた。
「確かに、火付けは癖になります。どうしても、火が見たくなる病もあるとか。ですが、娘が三度も火付けをしようとしたのでございます。お七も十六、それがどんな結果をもたらし、捕まればどうなるかぐらいは分かっていたはずです。それでも、火付けを働いた。よほどの理由があると睨んでおるのですが……」
「よほどの理由か? 娘を罪に走らせる、よほどの理由とは……」
源太郎の脳裏に、〝男〟という文字が浮かんだ。
小次郎も、それを思い浮かべたようだ。
「あの娘、何かを隠しているように思うのですが?」
「誰かを庇っている? 男か?」
「それは分かりませぬが、何か人に言えぬことがあるのではと。ですから、だんまりを決め込んでいるのではと思います」
「人に言えぬことか……、確かに、それはあるかもしれん」
火付けの動機を、もう少し詳しく探索するように命じた。
「明日にでも、両親や奉公人からもっと詳しく話を聴いてきます。岡っ引きの栄助たちには、近所の聞き込みにあたらせますので」
「そうか、頼む」
源太郎と小次郎は表に出た。
西の空は、既に紫紺に支配されている。
「それから、神谷様……」
小次郎が、言い難そうに口を開いた。
源太郎は、小次郎の顔を見て、また何かをやらかしたなと思った。
「今朝方、お七の件で火付改の榊と遣り合いまして……」
やはりである。
「またか?」
源太郎は、呆れたように小次郎を見た。
いままで何度その言葉を聞いたものか………………
「はっ、申し訳ございません」
「で、何を?」
小次郎は、今朝方の騒動を源太郎に話した。
「火付改の取調べじゃ、あの娘はもたねんじゃねえかと思いまして、貞吉が気を利かせまして」
「まあ、責め殺しは当たり前だからな、火付改は。分かった、明日一番にお奉行の耳に入れおこう」
小次郎は、「申し訳ありません」と、月代を掻いた。
じゃりじゃりと気持ち悪い音がする。
小次郎は、ちっと舌打ちをした。
「どうした?」
「いや、すみません。どう今日は調子が出ねえと思ったはずです」
朝から出張ったので、月代を剃ることもできなかったらしい。
「お陰で疲れました」
胡麻を塗したような月代が、小次郎を一層疲れているように見せた。
「確かに疲れたな」
源太郎も、目を瞬いた。
机の上には、まだ目を通さなければならない書類が溜まっている。
深い溜息を吐いた。
隣の男からも、重い溜息が聞こえる。
二人の溜息は、紫紺の空に溶け込んでいた。
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