36 / 87
第三章「焼き味噌団子」
2の1
しおりを挟む
本郷追分を王子稲荷の方へ向けて歩いて行くと、大円寺という結構大きなお寺が見えてくる。
その裏手に、正仙院はあった。
福田屋市左衛門の家族が、昨年末の火事で焼け出された際に身を寄せた寺である。
秋山小次郎は正仙院の門を潜ると、境内を掃き清めていた小僧をつかまえて、住職の居場所を尋ねた。
住職は本堂にいるとのことである。
本堂の中に入ると、かび臭さが鼻を突いた。
小次郎が、
「ごめん」
と声をかけると、中から柔和な顔をした坊主が出てきた。
その坊主が住職の道安と名乗ったので、小次郎はお七の件について尋ねた。
「ああ、市左衛門さんのお七坊ですか。この度は、とんだことをしたようで」
道安は、糸のような細い目を、さらに細くして心配した。
「お七坊?」
「ええ、市左衛門さんとは古くからのお付き合いで、小さいころは吉左衛門さんや助左衛門さんと、よくここにも遊びに来ておりましたよ。転んでも泣かない、我慢強い子でしたよ」
住職は、当時を懐かしんで遠い目をした。
(なるほど、あの強情さはむかしからだな)
小次郎は、お七の青白い顔を思い浮かべた。
「本郷一帯が火事になって、市左衛門一家が焼け出されたとき、住職が世話をなされたとか?」
「はい、あれは酷い火事でした。お隣の大円寺さんから火が出ましたが、幸い北風でしたので、この寺は無事でございました。これも、御仏のご加護でございましょう」
道安は両手を合わせて、口元をもごもごと動かす。
多分、念仏でも唱えたのだろう。
「で?」
待たされた小次郎は、先を続けさせた。
「はい、それで……、何でございましたでしょうか?」
「いや、火事です、大円寺の火事。お宅の寺は助かった、その後からです」
「そうそう、はい、この寺は幸いにも助かりました。しかし、南側の方は大変だったようで。市左衛門さんのお店も焼けましたので、私が本堂の離れを使われてはと申し出たのでございますよ」
「市左衛門の家族だけですか?」
「いえ、あと檀家さんや、昔からご縁がございました数組の家族の皆様もです」
「市左衛門の家族は、いつからいつまでいたんです?」
「さあ、どうでしょう……」
住職は、大きく開いた眉の間を寄せた。
「火事のあった翌日からですから、師走の二十九日ですか。そう、年が迫った忙しい時期でしたから。もうじき正月なのに、『こんな場所しか用意できずに申し訳ない』と私が申しましたら、市左衛門さんは、『とんでもない、屋根のある場所で年を越せるだけでもありがたいです』と申しておられましたから」
「なるほど。で、出て行ったのは?」
「そうですね……、確か、正月の二十五日辺りじゃなかったかと」
「てことは、一月余りか。その間、市左衛門の家族に変わったことはなかったですか? 特に、お七にですが?」
「さて、これといって……、お七坊も、兄の吉左衛門さんと一緒に、市左衛門さんとおさいさんを良く支えておりましたからなあ」
結局、ここでも目立った収穫はなかった。
「邪魔をしました」
小次郎が本堂を出て行くと、こちらに歩いて来る侍に目が留まった。
目が細く、眉のきりりと上がった美青年である。
小次郎でさえ、思わず立ち止まり、振り返ったほどだ。
通りを歩けば、町娘たちが放ってはおかないだろう。
その侍は、小次郎の脇を抜けると本堂に入った。
小次郎は、先程の小僧をつかまえて、侍の名前を訊いた。
「生田庄之助様です。御旗本の御次男とか。よく経典や書物を借りに来られるのです」
とのことだった。
その裏手に、正仙院はあった。
福田屋市左衛門の家族が、昨年末の火事で焼け出された際に身を寄せた寺である。
秋山小次郎は正仙院の門を潜ると、境内を掃き清めていた小僧をつかまえて、住職の居場所を尋ねた。
住職は本堂にいるとのことである。
本堂の中に入ると、かび臭さが鼻を突いた。
小次郎が、
「ごめん」
と声をかけると、中から柔和な顔をした坊主が出てきた。
その坊主が住職の道安と名乗ったので、小次郎はお七の件について尋ねた。
「ああ、市左衛門さんのお七坊ですか。この度は、とんだことをしたようで」
道安は、糸のような細い目を、さらに細くして心配した。
「お七坊?」
「ええ、市左衛門さんとは古くからのお付き合いで、小さいころは吉左衛門さんや助左衛門さんと、よくここにも遊びに来ておりましたよ。転んでも泣かない、我慢強い子でしたよ」
住職は、当時を懐かしんで遠い目をした。
(なるほど、あの強情さはむかしからだな)
小次郎は、お七の青白い顔を思い浮かべた。
「本郷一帯が火事になって、市左衛門一家が焼け出されたとき、住職が世話をなされたとか?」
「はい、あれは酷い火事でした。お隣の大円寺さんから火が出ましたが、幸い北風でしたので、この寺は無事でございました。これも、御仏のご加護でございましょう」
道安は両手を合わせて、口元をもごもごと動かす。
多分、念仏でも唱えたのだろう。
「で?」
待たされた小次郎は、先を続けさせた。
「はい、それで……、何でございましたでしょうか?」
「いや、火事です、大円寺の火事。お宅の寺は助かった、その後からです」
「そうそう、はい、この寺は幸いにも助かりました。しかし、南側の方は大変だったようで。市左衛門さんのお店も焼けましたので、私が本堂の離れを使われてはと申し出たのでございますよ」
「市左衛門の家族だけですか?」
「いえ、あと檀家さんや、昔からご縁がございました数組の家族の皆様もです」
「市左衛門の家族は、いつからいつまでいたんです?」
「さあ、どうでしょう……」
住職は、大きく開いた眉の間を寄せた。
「火事のあった翌日からですから、師走の二十九日ですか。そう、年が迫った忙しい時期でしたから。もうじき正月なのに、『こんな場所しか用意できずに申し訳ない』と私が申しましたら、市左衛門さんは、『とんでもない、屋根のある場所で年を越せるだけでもありがたいです』と申しておられましたから」
「なるほど。で、出て行ったのは?」
「そうですね……、確か、正月の二十五日辺りじゃなかったかと」
「てことは、一月余りか。その間、市左衛門の家族に変わったことはなかったですか? 特に、お七にですが?」
「さて、これといって……、お七坊も、兄の吉左衛門さんと一緒に、市左衛門さんとおさいさんを良く支えておりましたからなあ」
結局、ここでも目立った収穫はなかった。
「邪魔をしました」
小次郎が本堂を出て行くと、こちらに歩いて来る侍に目が留まった。
目が細く、眉のきりりと上がった美青年である。
小次郎でさえ、思わず立ち止まり、振り返ったほどだ。
通りを歩けば、町娘たちが放ってはおかないだろう。
その侍は、小次郎の脇を抜けると本堂に入った。
小次郎は、先程の小僧をつかまえて、侍の名前を訊いた。
「生田庄之助様です。御旗本の御次男とか。よく経典や書物を借りに来られるのです」
とのことだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる