86 / 87
終章「春の夢」
4
しおりを挟む
ひとりの男が、神田にある小さな一膳飯屋を遠巻きに見ていた。
その飯屋の前には、お竹の一人娘のお滝が一人で遊んでいる。
卯吉やお竹は、店で忙しく働いているようだ。
男は、お滝に近づいた。
「何してるんでぃ?」
男が訊くと、お滝は大きな瞳を向けて、
「絵を描いてるの」
と言った。
「そうかい」
男は、お滝に優しい視線を送った。
「そうだ、お嬢ちゃんに良いものをやろう」
男は、袂の中から包み紙を取り出す。
焼き味噌団子だ。
お滝は目を丸くして、手を伸ばした。
が、すぐに引っ込めた。
「いらない。知らない人にものをもらっちゃだめだって、おっかさんに言われてるの」
首を振った。
「そうかい。そうだな、お嬢ちゃんは良い子だ、おっかさんの言いつけを守って。これは、おっかさんの言いつけを守ったご褒美だよ」
「ご褒美?」
「そう、ご褒美だから、もらっていんだよ」
お滝は、にんまりと笑い、包み紙を受け取った。
お滝は、団子をお日様に翳したあと、ぽんと口に放り込んだ。
「どうだい、美味しいかい?」
お滝は、嬉しそうに大きく頷いた。
男は、幼子のころころと動く頬を眺めながら、袂から包み紙とは別のものを取り出した。
男は、手の中のそれをしばらく見つめて、お滝に言った。
「お嬢ちゃん、これをおっかさんに渡してもらえないかい」
それをお滝に差し出した。
「それも、ご褒美?」
お滝は躊躇した。
「これは……、いや、そうだな。これは、店で一生懸命働いているおっかさんのご褒美だ」
男の言葉に納得したのか、お滝はそれを受け取ると、
「うん」
と大きな返事をして、店の中に入って行った。
「おっかさん、おじさんがこれ、おっかさんにご褒美って」
お滝は、手の中のものを、お腹の大きなお竹に渡した。
「ご褒美? おじさんって?」
「知らないおじさん」
「お滝! あれほど知らない人から、ものをもらっちゃだめだって言ってあるだろう」
お竹は叱った。
「だって、ご褒美だって……」
お滝の黒目勝ちの大きな目が、薄っすらと霞んだ。
「で、何をもらったの?」
お竹は、紅葉大の手の中を覗き込む。
それは、安産のお守りだ。
「お滝……、これを渡したのって、貞吉じゃないの?」
お滝は首を振った。
その拍子に、ぽろりぽろりと雫が落ちた。
「違う、黒い着物着たお侍様」
お竹は、店の外に飛び出した。
そこに、かの人の後姿はなかった。
「お父さん……」
お竹は、お守りをぐっと握り締めた。
どこからか、
「へっくしょん」
と聞こえてきた。
その飯屋の前には、お竹の一人娘のお滝が一人で遊んでいる。
卯吉やお竹は、店で忙しく働いているようだ。
男は、お滝に近づいた。
「何してるんでぃ?」
男が訊くと、お滝は大きな瞳を向けて、
「絵を描いてるの」
と言った。
「そうかい」
男は、お滝に優しい視線を送った。
「そうだ、お嬢ちゃんに良いものをやろう」
男は、袂の中から包み紙を取り出す。
焼き味噌団子だ。
お滝は目を丸くして、手を伸ばした。
が、すぐに引っ込めた。
「いらない。知らない人にものをもらっちゃだめだって、おっかさんに言われてるの」
首を振った。
「そうかい。そうだな、お嬢ちゃんは良い子だ、おっかさんの言いつけを守って。これは、おっかさんの言いつけを守ったご褒美だよ」
「ご褒美?」
「そう、ご褒美だから、もらっていんだよ」
お滝は、にんまりと笑い、包み紙を受け取った。
お滝は、団子をお日様に翳したあと、ぽんと口に放り込んだ。
「どうだい、美味しいかい?」
お滝は、嬉しそうに大きく頷いた。
男は、幼子のころころと動く頬を眺めながら、袂から包み紙とは別のものを取り出した。
男は、手の中のそれをしばらく見つめて、お滝に言った。
「お嬢ちゃん、これをおっかさんに渡してもらえないかい」
それをお滝に差し出した。
「それも、ご褒美?」
お滝は躊躇した。
「これは……、いや、そうだな。これは、店で一生懸命働いているおっかさんのご褒美だ」
男の言葉に納得したのか、お滝はそれを受け取ると、
「うん」
と大きな返事をして、店の中に入って行った。
「おっかさん、おじさんがこれ、おっかさんにご褒美って」
お滝は、手の中のものを、お腹の大きなお竹に渡した。
「ご褒美? おじさんって?」
「知らないおじさん」
「お滝! あれほど知らない人から、ものをもらっちゃだめだって言ってあるだろう」
お竹は叱った。
「だって、ご褒美だって……」
お滝の黒目勝ちの大きな目が、薄っすらと霞んだ。
「で、何をもらったの?」
お竹は、紅葉大の手の中を覗き込む。
それは、安産のお守りだ。
「お滝……、これを渡したのって、貞吉じゃないの?」
お滝は首を振った。
その拍子に、ぽろりぽろりと雫が落ちた。
「違う、黒い着物着たお侍様」
お竹は、店の外に飛び出した。
そこに、かの人の後姿はなかった。
「お父さん……」
お竹は、お守りをぐっと握り締めた。
どこからか、
「へっくしょん」
と聞こえてきた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる