桜はまだか?

hiro75

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終章「春の夢」

5(完)

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 卯月の月番は、北町である。

 神谷源太郎は、久々に丸一日休みを取って、娘幸恵と遊んでやった。

 一ヶ月近くもまともに顔を合わせていなかったので、はじめはぶすっとしていた。

 だが、そのうち顔も綻び、いつもの甘えん坊の幸恵に戻った。

 久々の父のお馬に、幸恵は頬を上気させて喜び、くたくたになるまで遊んだ。

 昼過ぎには、遊び疲れと初夏の温かさが重なって、すやすやと寝入ってしまった。

 幸恵から解放された源太郎は、ぐっと背伸びをした。

 体中の筋肉が解されていくようで、気持ちが良かった。

「あなた、お疲れでしょう、お茶が入りました」

 妻の多恵が、茶とお茶請けを持って来た。

 源太郎は、それを美味そうに啜った。

「お七さんの一件、終わりましたわね」

 ぼそりと多恵が呟いた。

「うむ、今度ばかりは、わしも気が重かったわ」

「本当に……」

「しかしお七は……、幸せだったのだろうか? 好いた男に騙された形になったのだから」

「その件は、お七さんには?」

「いや、話してはおらん。御奉行が、『男の裏切りを知ったならば、お七は死んでも死に切れんだろう。最後は、心安らかに死なせてやろう』と申されてな」

「そうですか……」

 源太郎は、ふっと溜息をつく。

「多分……、幸せだったのですわ」

 と、多恵が呟いた。

「ん?」

「お七さんです。きっと幸せだったはずです。一生懸命に、ひとりの人を想うことができたのですから。ひとりの殿方を想い続けることができたのですから。例え一時でも、春の夢を見ることができたのですから」

「春の夢か……、そうだな。多恵、お前は春の夢を見たことがあるのか?」

 源太郎が訊いた。

 多恵は、豊かな頬を桜色に染める。

「いま、見ております」

 とたとたと、たどたどしい足音がする。

「父様、もっと遊んでください」

 眠い目を擦りながら、幸恵がやって来た。

「おう、そうか、そうか」

 源太郎は幸恵を抱きかかえた。

 柔らかい匂いが、源太郎の鼻を擽る。

(春の夢か……、そうかも知れんな)

 源太郎は、幸恵を抱いて縁側に出た。

 多恵は、初夏の日差しに映える源太郎と幸恵の後ろ姿を、優しく見守っている。

 江戸は、まもなく夏である。

 (『桜はまだか?』 完)
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