フラれ侍 定廻り同心と首打ち人の捕り物控

sanpo

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白殺し

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 〝場違い〟も藍染職人発祥の言葉である。紺屋は江戸の各地にあった。が、何と言っても品質の高さでは紺屋町が一番とされ浴衣や手拭いの大半は神田紺屋町で染められた。何しろ『その年の流行を知りたければ紺屋町へ行け』と言われたほどだ。紺屋町の職人はそれを誇りにして、この町以外の紺屋を『場違い』と称したのだ。
「かれこれ三、四年前になりますか。うちの板場の中央職人――板場の真ん中で型染をする一番腕の立つ職人のことですが、既に玄がそれでした。その様子を連日、庭先からジーッとみている若いのがいる。あんまり熱心なので声をかけると川向うの紺屋で働いているがもっと腕を磨きたいとのこと。その真剣な目にほだされて一度やらせてみたらこれが中々筋がいい。玄も気に入って、うちに来いということになった」
 それが秀だった。
「秀は根がまじめで覚えも早くメキメキ腕を上げました。のみならず――旦那様も昨夜とっくりと秀の姿をご覧になったでしょう?」
 俗に言う〈紺屋の白袴しろばかま〉は古い諺だ。当世は違う。江戸の藍染職人は紺の股引に屋号を染め抜いた半纏、頭には手拭いをキリリと締めて、粋で鯔背な姿で浮世絵にも描かれている。
「秀は体は少々細いが上背があり色白で役者顔負けの男前と来る。あの職人姿を見たら若い娘はイチコロでさ。それで、まぁ、早い話、うちの娘がのぼせ上がっちまいまして……」
 ここへきて親方は言いにくそうに口籠った。
「元々、あれは玄と夫婦にさせるつもりだったんです。玄は祖父も父親もうちの職人でして。それが急に、嫌だ、秀さんと一緒になる、秀さんじゃなくては一生婿は取らないなんぞと言い出して……」
 亀七はしきりに半白のびんを掻きながら、 
「わかっているんです。女房を早くに亡くして男親の私が甘やかしてしまった。あいつは職人の娘と言うより商家の娘みたいに育っちまいました。でも、大切な跡取り娘ではあるし、夫婦は好き合った者同士が一番だと思って……」
 結局、娘あいの望むままに婿は秀に変更した。それがひと月前のことだ。
「玄には本当にすまないことをしたと思っております。必ずうちの娘以上の嫁を見つけてやるつもりです」
「親方、いいですよ、その話はもう――」
 玄の方が話題を変えた。
「そういうわけで――俺たちは飲み屋での秀と代奴の騒動を目の当たりにしていたので胸騒ぎがして追いかけました」
 喧嘩の際、代奴が『柳森稲荷で待った』と言っていたのを思い出し、取り敢えずそっちへ向かったと玄は言う。
「ふむ。では現場についてからのことを詳しく教えてくれ」
「俺たちは柳原土手の柳森稲荷目指してぶっ飛ばしやした。もう目の前だと言う時、大声で『人殺し! 人殺し!』と何人かが叫ぶ声が聞こえてきた。しまった、遅かった、やっちまった、と思いました」
「その声は俺たちも聞いたよ。なあ、浅さん」
「うむ」
 久馬は眉を寄せて腕を組んだ。
「叫んだのはおまえたちではなかったんだな。つまり、おまえたちが殺しの現場に一番先に到着したわけではなく、また、秀が代奴を刺す場面も見ていないということか……」
「はい。俺たちが、声がした方へ駆けつけると、時すでに遅し。代奴は地面に倒れていて秀がぼうっと立ち尽くしていやした」
 玄が頷くと周りの職人たちも堰を切ったように続けて、
「叫び声を聞いて続々人が集まって来る。そこへ八丁堀の旦那方もやって来た」
「と、いきなり秀が身を翻して逃げ出したのさ」
「その先は旦那方がご存知の通りです。俺たちは秀を追って駆け出し、旦那方も後に続いた――」
「同心様!」
 ここで廊下から飛び込んで来た影が一つ。親方の娘あいだった。
「秀さんは人殺しなんかじゃありませんっ! 代奴さんを殺してなんかいない、どうか、どうか、秀さんを助けてっ!」
 許嫁いいなずけがしょっ引かれた心労で床に就いていたのだろう。昨夜美しく着飾っていた娘は、今はやつれ果て、しどけない寝間着姿のまま久馬の前に膝を突いた。そのまま拝むように両手を合わせる。
「後生です、お願いします、同心様、秀さんを助けて」
「こ、これ、あい、落ち着きなさい、無礼な真似をするんじゃない」
 親方が慌てて取り押さえようとする。嫌がって父の手を振り解こうとした娘はよろけてドッと久馬の顔面に倒れ込んだ。

「イタタタタ……」
 娘がぶつかって痣になった顎を撫で摩る久馬。今しも紺屋亀七を辞して来たところだ。
 三人はまた藍染橋を渡った。
「犬も歩けば棒に当たる、同心歩けば娘に当たる、か。とんだ災難でしたね、黒沼の旦那」
「だがよ、間近で見た娘の涙はホンモノだったぜ」
「ったく、若い娘には甘いんだから」
 鼻を鳴らす竹太郎に神妙な顔で久馬は言った。
「とはいえ、詳しく聞けば聞くほどスッキリしない。益々コンがらがっちまったぜ」
屋だけに」
 ポカリ。
「また殴る! イテテテテ」
「ふふ、紺屋は青い嘘と言うからな」
 ボソリと浅右衛門が呟いた。久馬は振り返って、
「なんだ、そりゃ?」
「そういう川柳があるのさ。〈明後日あさっては出来ます こいつ 青い嘘〉」
 首打ち人はすぐ真面目な顔に戻った。
「まぁ、一概に藍染職人たちを悪く言うことは出来ないが……」
 およそ江戸時代の藍染について記せば――
 原料は阿波の農家が栽培する蓼藍たであいだ。その蓼藍の葉を発酵・乾燥させ、き固めて丸めた物が藍玉と呼ばれる。この形で海路、京阪や江戸へ出荷された。ここからが紺屋の仕事となる。紺屋は藍玉を藍甕あいがめに入れ、木炭や石灰フスマ等を加え、更に水を入れて加熱発酵させ染料を作るのだが、微妙な色加減は湿度や温度の影響を強く受けた。
「な、久さん、藍染ってやつは天気に左右される上、幾度となく藍に浸けねばならない。だから依頼された期日通りには仕上がらないことが多いのだ」
「なるほど。思った以上に大変な仕事なんだな」
 久馬は唇を引き結んで空を睨んだ。習ったばかり、藍染で言う――あれは浅葱色か? 吸い込まれるように何処までも広がっている。
「さてと、次は代奴の置屋へ行くぞ。言伝を届けた太鼓持ちの桜川粗肴にも話を聞きたいしな」
「深川ですね? じゃ柳橋から舟にしましょう。断然早いや。馴染みの船宿から借りて、わっちが漕ぎます」
「おまえ、ほんっとになんでも巧みだな。文を書く以外はよ」
「けっ。舟を操れる人間なんてこのお江戸にゃ腐るほどいますよ。岡っ引きや下っ引きは言うに及ばず、遊びで身を持ち崩した奴。放蕩息子なんぞ遊んだ分、船宿や茶屋に顔が聞いて勝手を知ってるから親に見放されて金が尽きたら船頭一直線さ」
「へへぇ、で、おまえはどっちなんだ、キノコ? 岡っ引きのスジか勘当息子の方か?」
 久馬の明け透けな揶揄からかいにムッとする竹太郎。すかさず横から浅右衛門が言った。
「いや、竹さんはそのどっちでもない、式亭三馬のクチさ。舟を漕ぐ経験を生かして、やがて〈船頭深話〉を書くつもりじゃないのか?」
 江戸を代表する名戯作者に例えられて機嫌を直す竹太郎。
「流石、山田様はよくおわかりで」
 小声で久馬が付け足した。
「これがほんとの〝助け船〟だな、浅さん」
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