フラれ侍 定廻り同心と首打ち人の捕り物控

sanpo

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白殺し

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「〈白殺し〉の瓦版、読みましたよ、黒沼の旦那! またまたお手柄だそうで」
 笑顔で迎えてくれた文字梅師匠。行水の後らしく櫛巻きの髪に毘沙門亀甲の浴衣姿がいつにも増して婀娜あだっぽい。
「ヘヘ、竹太郎にも言われたんだがよ、実は、瓦版が書いているほどスッキリした話でもないのさ」
「おやまぁ、お縄にしたご当人がそうおっしゃるなんて――まっ、そこが黒沼様らしいところでござんすね。ねえ、山田様?」
 笑いかける師匠に頷いて笑い返す浅右衛門だった。
 お師匠の手料理で飲む酒は格別だ。今日一日の奮闘も報われるというもの。
 燗酒のお代わりを持って来た文字梅がふいに手を止めて尋ねる。
「代奴姐さんの妹芸者の豆吉さん、さぞや悲しんでいたでしょう?」
「なんでぇ、豆吉を知ってるのか、お梅?」
「はい、私のお弟子さんですから。豆吉さんは中々筋がいい。ちょっとのんびりというか、おっとりしていますがね」
「改めて驚くぜ、文字梅。おめぇも抜かりなく手広く稼いでいやがるな! 深川一帯、皆おまえの弟子とくる。イテテ――」
 肘をつねられた久馬、口を尖らせて言い返した。
「豆吉か。ありゃあ、あんまし辰巳芸者向きじゃねぇな。おっとりと言うより間が抜けている。お汁粉を喰いに行きたかった、とか、虫の知らせがどうとか、とりとめもない話ばっかりで閉口したぜ、なぁ浅さん? イテテ!」
 また抓られる。
「私のお弟子さんの悪口云うなんて、ひどいッ!」
 ここで玄関で音がした、と思う間もなく、襖がカラリと開いて一陣の風とともに入ってきたのは――
「旦那! 〈白殺し〉が少ぅし濃くなりました! 〈藍白〉くらいかな?」
 竹太郎だった。
「なんでぇ、キノコ?」
 片眉を上げて久馬が揶揄う。
「途中で居なくなるから、どうせ一緒に来ても姉貴に小言を言われるだけだから逃げたものと思ったぜ」
 定廻り同心の言葉に竹太郎はニヤリとして見せた。
「ヘン、そんな憎まれ口を叩くなら、教えてやらねぇぜ、黒沼の旦那」
 姉の手から徳利をもぎ取って手近にあった茶碗になみなみと注ぐ。一気に飲みほしてから、
「いや、わっちもね、旦那の『藍甕に何度つけても真の白殺しを見つけてやる』って台詞にグッと来て……そいじゃあ、と動いてみたのさ。ほら、昼間、紺屋で訊いた話、大切な二十六夜の宴に一人遅れた男、玄と言うのがいたでしょ。そいつの長屋へ行ってちょいとばかし嗅ぎまわった、そしたら――」
 もう一杯飲み干してタンッと茶碗を置いた。
「どうもね、玄のは、青い嘘・・・ですぜ」

     卍

「この紺屋町に住んでんだ、私たちだって玄さんの仕事がどういうものか、よぉく知ってるよ」
 神田紺屋町二丁目の長屋。夕陽の射す井戸端でかみさん連中はそうだ、そうだと大きく頷いた。
「紺屋に取って二十六夜待ちは何よりも大切な日じゃないか。だから、その日は一日、私たちでおっ母さんの面倒は見るから安心しな、って玄さんにはあらかじめ言っておいたのさ」
 腕を組んで神妙な顔で聞き入っていた竹太郎が白い歯を煌かす。
「流石、人情家のおかみさんたちだ。俺もそうだと思ったぜ。ほんと、皆さん、お顔同様、心も美しいや」
 黄色い歓声が長屋を揺るがした。
「いやだよ、照れちまうッ」
「そう、いくらほんとのことでもねーー」
「あんたみたいな色男の親分さんに面と向かって言われると恥ずかしいじゃないか」
 両手を振って竹太郎はかみさんたちを鎮めつつ、改めて確認した。
「ハハハ……じゃ、別嬪のおかみさん方、もう一度確かめさせてください。二十六夜待ちの日、玄さんはこの長屋でお袋さんの世話をしていたわけではない、と?」
「そうさ、あの日は、律儀な玄さんは一度夕方に戻ってきたんだけど――」
「おっ母さんなら私たちが変わり番こで世話をするからって、すぐに追い返したよ」
「玄さんはそれきり戻っては来なかった。そして、夜から明け方にかけてあの騒ぎだ」
「私たちも腰を抜かしたよ。玄さんの仲間の紺屋亀七の職人が辰巳をっちまったってんだからさ」

   卍

「その話、本当なんだろうな?」
「誓って本当です。紺屋の青い嘘ならぬ、これそ物書きのさらな真実」
「けっ、真っ新なのはおめぇの原稿だろ? だが――今度ばかりは褒めてやる。でかした、キノコ。やっぱり、おめぇは物書きなんぞより――おっと」
 久馬は知っている。目明しの方が合っているなどと言えば竹太郎は絶叫する。だから、そこで止めた。
「それにしても、玄は何故、嘘をついたんだろう? 長屋にいなかった時間……遅れて二十六夜待ちの席へ現れるまでの間、一体、何処で何をしてたんだ?」
 浅右衛門も首を傾げる。
「そうだな、少々気にかかるな」
 盃を呷るや久馬は口を真一文字に引き結んだ。
「よし、明日、改めて紺屋へ行くぞ。玄本人に会ってこの件についてきっちりと訊いてみるとしよう」

「何だと? 休んでるたぁ、どういうことだ?」
 翌日早々。浅右衛門、竹太郎と連れ立って紺屋を訪ねた久馬は親方亀七の返答に絶句した。
「いえね、玄は、一度来ることは来たんです。その時、今日一日休ませてほしいって言うんでね、私は即座に許しましたよ。今回の件では玄も相当参っています。あいつはうちの大事な中央職人だ。責任感も人一倍強い。一日と言わず二、三日ゆっくりしろと言ってやりました」

「嫌な予感がする。まさか、逃げたんじゃなかろうな?」
 玄の住む長屋へ走りながら久馬は呟いた。
「やっぱり、もっと早く、それこそ日が明けたらすぐ、玄の長屋へ行くべきだったんだ」
 口惜し気に頬を膨らませる竹太郎。
「だがなぁ、直接押しかけて病気のおっ母さんを心配させるのもなんだからなぁ」
 浅右衛門が微苦笑した。
「そう言うところが久さんらしいや」
「まぁね、ほんと、いかにも旦那らしいや。イテッ、なんで、山田様は良くてわっちが言うと殴るんだよ!」
 
 果たして、嫌な予感は的中した。長屋に玄の姿はなかった。
「朝、おっ母さんを頼むと言って出て行ったんだよ」
 既に竹太郎の顔は知っている。長屋のかみさんたちは井戸端で口々に訴えた。
「聞いとくれよ。私たち、おっ母さんの面倒を見るのなんてお安い御用さね。そんなことは構やしない。それを玄さんたら、今日はお金を置いて行ったんだ」
「ほんと、水臭いったらないよ」
 差し出されたズッシリ重い信玄袋を見つめ乍ら久馬は低い声で、
「ここにいる誰も、玄が何処へ行ったかなんて、知らねえだろうな?」
 かみさんたちは一斉に首を横へ振った。
「いーえ、知っちゃいません」

「さぁて、ここから、どうします、旦那?」
 矢継ぎ早に竹太郎が問う。
「ひょっとして白殺しは玄かもしれねえってことですかね? 旦那が〝うっすらと目星をつけた真の下手人〟も玄だったんですか?」
「玄が下手人だと言うのは有り得る――」
 答えたのは浅右衛門だった。
「二十六夜待ちの日、親方はじめ職人たちは全員紺屋の座敷にいた。ただ一人、玄だけが夕方から宴の半ばまで抜けていた。その間、長屋で母の面倒を見ていたと言ったがそれも嘘だった……」
「いや、浅さん、白状すると、俺が何遍も藍甕に浸けて浮き上がらせたかった本星は玄じゃいなかった」
 首打ち人に久馬は正直に明かした。
「だが、改めて考えたら、代奴自身が言伝を粗肴に頼んだ後、何処にいたかは全くわからないんだよな。つまり稲森稲荷の前で殺されるまで芸者たつみはすっぽりと闇の中……」
「あの夜のお月さんみたいにポッカリと代奴の死体があの場に現れたような言い方はやめてくださいよ、旦那」
「代奴が殺された場所は明白だが、誰に殺されたかはわからないと言っているのさ。唯、俺は殺したのが秀だとはどうしても思えねぇ。となると、やはり白殺しは玄か?」
「そういやぁ」
 竹太郎がパシッと手を打ち鳴らした。
「職人たちを誘ってまっしぐらに柳原土手へ走ったのは玄だった! 数日前喧嘩を仲裁した際、代奴が秀に柳原土手の柳森稲荷で待ってたと話したのを聞いたからだって言ってたが、どうだかね、怪しいもんだ」
 戯作家朽木思惟竹の顔になって竹太郎は続ける。
「つまり、こうも考えられますよね? 二十六夜待ちの夜、代奴が言伝で秀を柳森稲荷へ呼び出したのは太鼓持ちも認めてるから事実だとして……先に玄がそこで代奴を殺したかも」
「だがよ、玄が何故代奴を手に掛けるんだ? 殺す理由なんかないだろう?」
 浅右衛門が静かに言った。
「いずれにせよ今の段階では憶測の域を出ないな」
「となりゃ、何としても玄を見つけ出して話を聞かなければならねぇ」
「見つけられますかね? 〈戻ります、明日あすには こいつ、青い嘘〉なんてね……」
 竹太郎の言葉に久馬は黙り込んでしまった。と――
「黒沼の旦那―――っ!」
 垂れこめる雲を吹き払う風のごとく駆け寄って来たのは竹太郎の父、〈曲木の松〉こと松兵衛親分だ。
 〝いつも走っている〟が〝走らにゃならない〟……〝柱にゃならない〟のは曲がっている木、だから曲木の松。江戸っ子好みの洒落っ気のある呼び名を献上された名岡っ引きである。
「今、旦那を捜して紺屋亀七へ行ったら、こっち、二丁目の長屋へ向かったと聞いたんで――」
 もう六十近いのに息も乱れていない。目の前まで走り寄ってピタリと足を止めると松兵衛は早口で言った。
「お梅がね、すぐ来てほしいってさ。あっしはこれから猫泥棒の件でどうしても義理ある黒門町の親分の助太刀に行かなけりゃならねぇ――」
 ここでジロリと竹太郎を見た。
「ちょうどいいや。竹、旦那のお伴は任せたぞ。どうぜおめぇは年がら年中暇なんだから」
「ヘン、誰が暇だって? 俺は今、次作のためのネタを仕込んでる最中なんだ。れっきとした仕事中でえ」
 息子の御託ごたくなど聞いてはいない。松兵衛親分の背中は既に長屋の木戸をクルッと回って消えていた。


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