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宝さがし1
しおりを挟む「急ぎましょう、お嬢様、思った以上に遅くなってしまいました。きっと旦那様に叱られますよ」
「あら、おまえだって遠回りしてでも噂の《はつね》の豆寒天を食べたがったじゃないの」
《はつね》は日本橋人形町に最近できた甘味処だ。
割り鹿の子に結った髪、長春色の四君子文の小袖が良く似合う美しい大店の娘は急ぎ足でついて来る年下の女中――お古の黄八丈を着てこちらもなかなかの器量良しだ――に悪戯っぽく微笑んだ。
「それに、もう大丈夫よ、おみの。ほら、わざくれ橋が見えて来た。あれを渡ったらすぐ家だもの。おや?」
珊瑚の簪が揺れて娘が眉をしかめる。
「欄干の修理をしている? いやだわ、遠回りをしなくちゃいけないわね」
燃え残る夕焼けの切れ端を捜して二人の頭上をコウモリが高く昇って行った……
*
「キノコがいなくなっただと?」
「私がいけないんです、全て私のせいなんです」
季節は卯月、時刻は真昼、処は深川菊川町。
格子造りも小粋な仕舞屋の座敷で思い余って泣き出したのは当家の主、常磐津の師匠文字梅である
『大変なことが起こった』と呼び出された定廻り同心黒沼久馬と首打ち人山田浅右衛門は眼前に並べられたお江戸一と噂の草加亭の鰻の仕出し膳に伸ばした手を留めて、吃驚して顔を見合わせた。
「とにかく、詳しい事情を話してみな、お梅。泣いてちゃあわからねぇやな」
幼馴染でもある久馬が声を掛ける。しゃくりあげながら梅文字は話し始めた。
「五日前の夜のことでした。何か食わせてくれとここへ顔を出したあの子に私、説教をしました。いつになったらまともな職につくのか、いい加減、戯作者になるなんて夢は諦めろ……ちぃとばかり厳しく言ったところ喧嘩になって、大きなお世話でぇ、この大年増、安心しやがれ、二度とこの家の敷居はまたがねぇ、と啖呵を切って跳び出して行ったんです」
「なんでぇ、そんなの毎度のことじゃねぇか」
鬢を搔きつつ呆れる久馬に、
「私も最初はそう思ったんです。が、翌日になっても顔を見せない」
「一日経っただけだろ」
「いやですよ、黒沼の旦那、あの子は喧嘩しても次の日にはケロッとやってくるんです」
文字梅はまたまたドッと溢れる涙を弁慶縞の袂で拭いながら、
「それでも私、もう少し静かに待つことにしたんです。ついに四日目になった昨日、様子を見にあの子の下宿へ、奮発して松ヶ鮓の鮓折りを持って出かけて行きました」
「ほう、あそこの握り鮨は絶品だものな! エビに青魚に厚焼き玉子を重ねて豪勢に盛り付けてある。なんでえ、俺の処へも持って来くりゃいいものを」
「――久さん」
久馬の袖を引いて浅右衛門が代わって訊いた。
「でどうだったんだい、お師匠。竹さんには会えたのかい?」
「あの子は留守でした。暫く待っても帰って来ない。それで業を煮やして私、階下の大家の薬種屋さんに尋ねたら逆に驚かれましたのさ」
――へ? 竹さんですか? ご実家かお師匠の処へ帰っているとばかり思ってました。四日前からずっと姿が見えませんので。
「四日前と言うとお師匠と喧嘩した日だな」
「そうなんですよ! だから、私のせいだと言うんです。どうしよう、きっと、あの子、将来を憂えて大川に身を投げたんだわ」
「ないないない、それはない。あいつが身投げをするタマかよ」
「ですよね? いえね、私もね、竹は、そんな真似は黒沼の旦那の次にしそうもないと常々思ってるんですが」
「――」
「お師匠、身投げはともかく、竹さんは文筆修行のために旅にでも出たんじゃないのか?」
浅右衛門の言葉に梅文字は白魚のような手を振った。
「お銭もないのに? 自慢じゃありませんが竹は私やお父っあんがこっそりくれる小遣いしか持っていません。ああ、やっぱり、私の言葉に傷ついて大川に――」
「わかった、お梅、もう泣くな。俺たちがきっちり調べてやるから。俺と浅さんが組んだらどんな難問でもあっという間に解決するのは知っての通りだ。おめえの可愛い弟の居場所くらいチョチョイノチョイでめっけてやるから、安心して待っていねぇ」
「黒沼様……」
「おうよ、お梅、それによ、そんなに泣いちゃあ、おたふくが益々おたふくになるぜ」
文字梅は両手をついて深々と頭を下げた。
「黒沼様、山田様、どうかどうか、よろしくお頼みします。竹太郎を見つけておくんなさい」
「見たか、浅さん、ありゃかなりまいっている」
「見たとも、久さん。久さんの悪口にも師匠、いつものように肘を抓らなかったものな」
「まさにそれさ。草加亭の鰻を食べそこねたのは惜しかったが、あれじゃとても食事どころではない。とにかく、すぐに行ってみるとするか」
二人がやって来たのは薬研堀。
元柳橋の近くの薬種問屋の二階にキノコこと竹太郎、またの名を自称・戯作者朽木思惟竹は間借りしている。
「まずいな、これは」
部屋を見るなり浅右衛門は呟いた。吃驚して久馬、
「え? どうしてだい、浅さん?」
部屋は乱雑このうえない。敷きっぱなしの布団、文机の上も下も書き損じの半紙が散乱して足の踏み場もない有様だ。だが久馬は落ち着き払って言った。
「キノコの部屋はいつ来てもこうだぜ。ということは心配ないって証しじゃないか。仮にも世を儚んで自死しようって人間なら、せめてその前に部屋くらい綺麗にするはずだ」
「久さん、俺は、ハナから竹さんの身投げなんぞ心配してはいない。竹さんはそんなヤワな男じゃないよ。俺が、嫌ぁな気がするのは平生と違わぬこの部屋だ。こりゃいつものように帰って来るつもりが何らかの事情で四日間もそうはいかなかったってことじゃないのか?」
「つまり?」
「つまり、竹さんの身に何かあった――」
「何者かに連れ去られたってことかい?」
久馬の眼が光った。顎の線が引き締まる。
「なんだい、何か思い当たることがあるのか、久さん?」
「実はよ、このひと月の間に市中の方々で若い男女がもう八人も行方知れずになっている。それがどうも拐かされたらしいのだ」
「それは初めて聞いた」
「番所に届けられた消息不明の報告が五人になるに及んで、市中が動揺するのを慮ってお奉行が箝口令を敷いたからな。この件は瓦版も書くのを禁じられている。勿論、お奉行、与力様を筆頭に俺たち同心や御用聞き、皆血眼で捜索を続けている。だが全く埒が明かねぇ。その後も行方知れずになる者は増え続けて遂に八人だ。下手人はどうも一人じゃなくて組織だった連中とみた」
定廻り同心の顔になって久馬は続ける。
「消息を絶った八人だが、いなくなった場所は全部違う。白旗稲荷に箱崎町、久松町、瀬戸物町、中ノ瓦町、橘町に小網町……内訳は女が六人、男が二人。女は、茶屋勤めの娘に湯屋務めの娘、豆腐屋と大工の娘、大店の酒屋の娘とその御付きの女中。男は米問屋の丁稚と役者見習い……」
「ははぁ、大店の二人連れ以外は皆一人歩きを狙われたわけだな」
「流石、浅さん、その通りさ。そしてお察しと思うが、いずれも見目麗しい美男美女なのだ」
「むむ、竹さんもあれで、中々男前だからな」
浅右衛門は腕を組んで頷いた。
「四日前、お師匠と喧嘩して飛び出した後、帰り道で拐かされたと言うのは大いにあり得るぞ」
「よし、こうなったら、八人に加えてキノコの件も与力様に知らせねば」
「それだけはやめておくんなさい」
「?」
いきなりの胴間声。振り返ると開け放した襖の前にいつからそこにいたのか岡っ引きの松兵衛親分が立っていた。
「おう、松親分、いい所に来た。おまえも俺と一緒に奉行所までひとっ走りしてくんな。まずは事の詳細を伝えねばならない」
「だから、やめておくんなさいと申しておりやす」
若い同心の黒沼久馬以上に江戸市中に名の知れた老親分〈曲木の松〉は、腰を深く折り曲げて頭を下げた。
「今、お奉行所は拐かされたと思われる八人の件で大わらわでさ。私も老骨に鞭打って日夜八人の行方を探し回っておりやす。そこに我が倅の名を加えるのはご勘弁願いやす」
「何言ってやがる。同じ悪党に攫われたと疑われるキノコも加えて、大勢で力を合わせて大々的に捜索するのが理にかなっている」
「とんでもねぇ。身内の件でお上を煩わせたくはありませんや。八人でも手一杯なのに、十手持ちが倅のことでお上に面倒を掛けてはこの松兵衛、立つ瀬がない」
口をへの字に曲げて同心を見つめる老親分。
「まずは八人を一日でも早く見つけ出しましょう。竹のことは放っといて結構です」
「痩せ我慢も大概にしろ、御用聞きだろうと大店の主だろうと自分の子を案じない親はいねぇやな。変な意地や遠慮はこの際、無用だぜ」
だが、松兵衛は頑として言い切った。
「竹太郎のことで黒沼の旦那を始め皆さんにご厄介をおかけするなら、私は十手をこの場でお返しいたします」
「松親分……」
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