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宝さがし8
しおりを挟む「申し訳ありません。私の読み違えでした」
両手をつがえて頭を下げる御様御用人山田浅右衛門に向井家の姫は同様に深く頭を下げ返した。
「謝るのは私の方です。この二日間、本当にありがとうございました」
さばさばした顔で安宅は言った。
「やるべきことは全てやりました。宝を探り当てられなかったのは私の力不足です。皆様のご協力に心から感謝しています。そして――」
凛々しい面差しで一同を見回す。
「楽しい体験でした。私は皆様と過ごした日々を生涯忘れることはないでしょう」
「俺たちも、貴重な体験をさせてもらったぜ。向井の姫様流に言うならよ」
帰り道、感慨深く呟く久馬だった。
「だったら、全てわっちのおかげですね! イテッ、殴らないでくださいよ、昨夜、姉貴にイヤって程叩かれたんだから。傷に響きます」
「フン、さてと、腹がすいたな。ここは皆の頑張りを労って打ち上げ会と行こう。振出しに戻って、お梅のとこで喰いそびれた鰻はどうだい、浅さん?」
「いいな」
今回は、鮮やかに謎を解き一件落着とはならなかった浅右衛門。心なしかしょげて見える。傍らで、殊更お道化て竹太郎が端唄を歌い出した。
「♪池は空っぽ、宝は出ずにドウショウ~ならば泥鰌のその代わり~昼は鰻でうさばらし~ハァぜひともぜひとも」
「美味い! やっぱり噂通りここの鰻は最高だな!」
お江戸一番と人気の日本橋は草加亭の座敷で舌鼓を打つ久馬、浅右衛門、竹太郎。
三人は一旦それぞれの自邸へ戻り町医者とその助手、そして池浚え人の装束を着替えて来た。久々に平生の自分の姿に戻って味わう鰻は格別の味だ。
「ほんとにね、美味いや! 人気の浮世絵師に宣伝の絵を描かせるだけのことはある――」
座敷に置いてあった団扇で胸元に風を送り、また一口、至福の顔で鰻を頬張る竹太郎。店が特注して作らせたその団扇には歌川国芳『春の虹蜺』とある。
「お、国芳か! 猫もいいが女人の絵もいいねぇ」
竹太郎から団扇を捥ぎ取って久馬、
「鰻の串を手にした美人の、ふっくらした唇がまた色っぽいったらない。でもよ、浅さん、どうしてこの絵の題は『鰻』じゃなくて小難しい『春の虹ナントカ』なんだい?」
いつも口数は少ないが今日は一層無口な友に久馬は問いかけた。その屈託のない声に思わず浅右衛門は顔を上げる。
思えば初めて出会った日の笑顔もこれだった。
小伝馬町の牢屋敷の仄暗い榎の下で待っていて、いきなり声を掛けて来た駆け出しの同心。
十三の歳から咎人の首を打って来た、それが生業の自分にわざわざ礼を言ったのはこの男が初めてだった。
あれ以来、照る日曇る日時雨れる日、一緒に歩いて来たがこの男の笑顔は変わらないのだなぁ……
その変わらぬ笑顔で久馬は言った。
「上手くいかないこともあるさ、浅さん。今回、一回くらい謎を外したからってくよくよしなさんな」
「まったくだ。黒沼の旦那なんて、人生上手くいかないことだらけなんだから」
「そうそう――って、なんだと!」
「虹のことさ」
いきなりの言葉に、拳を振り上げた同心も避けようと頭を抱えた戯作者見習いもそのまま動きを止めて吃驚して首打ち人を振り返る。
「この絵の題は春のコウゲイと読む、コウゲイとは虹のことさ。古来唐人は虹を竜と考えていた。牡は〈虹〉牝は〈蜺〉。二匹揃って虹となる」
鰻屋の座敷の窓から浅右衛門は真っ青に晴れあがった空を眺めた。
「夏に向かう七十二侯の今時分は〈虹始見〉に当たる日と言われている。どんどんお日様の光が強くなって虹がくっきり見え出すこの季節に、旬の物、鰻は縁起がいい。吉祥尽くしってことで、ほら、鰻に齧り付こうとした美人が振り向く先には虹が描かれているのだ。女は虹を見ているのさ」
「ほんとだ、目線の先に虹がある。美人は虹の射す方を見ているのか!」
「たった一枚の絵に込められた様々な意味……いやぁ、なんでもご存知ですねぇ、山田様は」
「待てよ」
見つめる目線の先……虹の射す方を見る……
――この時計いつの頃からか二時で止まっていて時刻は計れません。
「あ!」
浅右衛門は箸を置いて立ち上がった。
「行こう、久さん」
「行くって、何処へ? 俺は鰻をお代わりするつもりなんだが」
「向井邸へ戻ろう。今度こそ宝を見つけることができるかもしれない」
三人は海賊屋敷へ走った。やっと門が見えた、と思った矢先、そこから飛び出して来た一つの影があった。
「篠田さん?」
「これは、山田様、黒沼様、思惟竹殿まで?」
「宝の隠し場所の件で、気がついたことがあって戻って来たのですが――」
再訪の理由を告げる浅右衛門がここで言葉を切った。篠田の顔が尋常ではない。
「どうしました、篠田さん? 何かあったのですか?」
「姫が――安宅姫が拉致されましたっ」
「なんだと!」
叫んだのは久馬だ。声を荒げた同心に篠田は急き込んで詳細を告げる。
「皆さんが引き上げられた後、姫は大庭と道場に向かいました。私は後片付けや上役用人の加地様への報告を済ませてから後を追うつもりでいたところ、たった今、偶然その場を遠目に見たと云う道場仲間が知らせに来て――」
その道場仲間は駆けに駆けてこれを伝えた後、白目を剥いて卒倒し、今、家中の者が介抱しているとのこと。
「ともかく――私は現場へ向かいます」
「私たちも一緒に行きます」
「場所は何処でえ?」
「下谷広小路前の三橋――」
※作中の団扇絵は現存し、見ることができます。
興味のある方は〈歌川国芳 春の虹げい〉で画像検索してみてください。
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