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エドガーはいつものようにはメッセージを携えて夜の街を疾走していた。街は眠っている。聞こえるのは耳に馴染んだローラースケートの爽快な音だけ。と――
まただ! 目の前を横切る影があった。
あの黒猫だ。だが、なんてこった、今回は引き連れているモノが違う。黒猫の後ろに続くのは綺麗な娘たちだった。金髪や赤毛、ブルネットに栗色、それぞれの美しい髪を夜風になびかせて踊るような足取りでついて行く。どの娘も裸足だ。チカチカと小さな爪が鱗のように煌めいている。
(これはとてつもなく変な光景じゃないか?)
天を仰いでエドガーは思った。空には月は無い。ではあの煌めきは何に反射してるんだろう?
足を止め奇怪な行列を茫然と見つめているエドガーに気づいたらしく先頭の黒猫が振り返った。
チカリ、猫の目も金色に光る。
震えながらエドガーは呼びかけた。
「待てよ、黒猫、一体おまえは何処へ行くんだ? その娘たちを引き連れて」
突然、雲間から月が顔を出した。黒猫の波打つ身体が黒から銀色へ変わる。
銀色の黒猫はエドガーを見返してニカリと笑った。
「うわーーーーーーー」
ソファから転げ落ちたエドガー。心臓が早鐘のように鳴っている。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
窓の下、人形で遊んでいた妹が吃驚して飛んで来た。
「お熱があるの? 汗びっしょりよ。病気なの、エド?」
おしゃまな妹は母そっくりの口調でエドガーの額に手を当てた。その母、エミリー・タッカーはリバティ・デパートの縫製部にお針子として勤務していて日中、家にいない。
「シッ、大丈夫だよ、なんでもない。僕は病気なんかじゃない」
妹の手を優しく払ってエドガーは慌てて寝室のドアに視線を向けた。
(父さんを心配させるわけにはいかない。)
父、タッカー家の大黒柱、腕の立つ仕立屋のチャーリー・タッカーは胸を病んで現在自宅で療養中なのだ。
「夢を見ただけさ。それがヘンな夢でさ、クソッ」
それにしてもやけに生々しい夢だった……
これが午後3時頃のこと。更に時が過ぎ、日が暮れて夜が廻って来た時、今度グッショリと嫌な汗をかいたのはヒュー・バードだった。
「エド? 何処だ?」
ヒューはハッとして後ろを振り返った。
働き慣れた夜番勤務。今夜もプレミア付きの特別便を手に、誰よりも早くテレグラフ・エージェンシー社から走り出たというのに、伴走しているはずのエドガーの姿が見えない。
(変だな、多少飛ばしてもあいつは必ずついて来るのに?)
それがわかっているから毎夜遠慮なくブッ飛ばすヒューだった。
長いことヒューと相棒を組む仲間はいなかった。テレグラフ・エージェンシー社1の走り屋と定評のあるヒューは、決してヘマをせず常に正確に電報を届けるので配達者に与えられるチップやボーナスを独占し続けて、彼と一緒に走ってもおこぼれを得るチャンスがないせいだ。
だがエドガーは違った。入社早々、いつか正々堂々ヒューを追い抜いて3ポンドを勝ち取ると宣言した。以来、エドガーは契約書に記されたメッセンジャーボーイの基本給金だけで満足し、果敢に挑戦し続けている。それなのに――
配達先に到着し邸のノッカーを握ったその時になっても背後にエドガーの姿はなかった。
(どうしたんだ? 今までこんなことはなかったぞ。)
遂に俺には敵わないと悟って、他の同僚同様チョロイメッセージを配って小銭を稼ぐやり方に鞍替えしたかな?
いや、あいつはそんな奴じゃない。とすれば――
どこかではぐれたか? それも考えられない。先行する俺の背中を見失うほど離されるなんて有り得ない。あいつの走りは確かだ。実際、近頃じゃあ気を抜くと追い抜かれそうになるくらいなんだから。
「エド? 何処だ? 何処へ消えちまったんだ?」
この時初めてヒュー・バードはロンドンの闇を恐ろしいと思った。
今までは、むしろ暗闇は心安らぐ友達だったのに。
違う――
ヒューは強く首を振った。
〝友達〟はエドガーだ。その友を隠して飲み込んでしまう闇は恐ろしい魔物なのだ……!
「エド? 何処にいる? エドーーー!」
「…… ュー……」
必死の思いで通りを引き返してきたヒューの耳が微かな声を聞きとった。
「ヒュー……」
「うわっ! 脅かすなよ、エド? そこにいるのは、おまえか?」
真っ暗な路地の入口にぼんやりと浮かぶ人影を認めてヒューはローラースケートの足を急停止した。
「馬鹿野郎! 何処へ行ってた? 急にいなくなるから心臓が縮み上がったぜ。俺がどれだけ心配したかわかってるのか?」
「ごめん、ヒュー……だけど……」
明らかにエドガーの様子がおかしい。いつもとは違う。
「ヒュー、お願いがあるんだ。すぐに僕と一緒に来てくれないか?」
「?」
「こんなこと、君にしか頼めない。僕はどうしたらいいかわからなくて――とにかく時間がない。今は何も聞かず僕について来てくれ」
「OK」
あっさりとヒューは頷いた。
「おまえは前に俺の頼みをいとも容易に聞き入れてくれたもんな。だから、俺だって、おまえが望むなら理由は問わない。何処へだって付き合うさ。で、どっちだ?」
闇に沈んでいたエドガーの顔がパッと輝いた。いつもの、あの笑顔だ。
「ありがとう、ヒュー! じゃあ、急いで、こっちだ」
エドガーは後ろも見ずに駆け出して行く。
「一刻を争うんだ。僕は大変なものを見てしまった――」
まただ! 目の前を横切る影があった。
あの黒猫だ。だが、なんてこった、今回は引き連れているモノが違う。黒猫の後ろに続くのは綺麗な娘たちだった。金髪や赤毛、ブルネットに栗色、それぞれの美しい髪を夜風になびかせて踊るような足取りでついて行く。どの娘も裸足だ。チカチカと小さな爪が鱗のように煌めいている。
(これはとてつもなく変な光景じゃないか?)
天を仰いでエドガーは思った。空には月は無い。ではあの煌めきは何に反射してるんだろう?
足を止め奇怪な行列を茫然と見つめているエドガーに気づいたらしく先頭の黒猫が振り返った。
チカリ、猫の目も金色に光る。
震えながらエドガーは呼びかけた。
「待てよ、黒猫、一体おまえは何処へ行くんだ? その娘たちを引き連れて」
突然、雲間から月が顔を出した。黒猫の波打つ身体が黒から銀色へ変わる。
銀色の黒猫はエドガーを見返してニカリと笑った。
「うわーーーーーーー」
ソファから転げ落ちたエドガー。心臓が早鐘のように鳴っている。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
窓の下、人形で遊んでいた妹が吃驚して飛んで来た。
「お熱があるの? 汗びっしょりよ。病気なの、エド?」
おしゃまな妹は母そっくりの口調でエドガーの額に手を当てた。その母、エミリー・タッカーはリバティ・デパートの縫製部にお針子として勤務していて日中、家にいない。
「シッ、大丈夫だよ、なんでもない。僕は病気なんかじゃない」
妹の手を優しく払ってエドガーは慌てて寝室のドアに視線を向けた。
(父さんを心配させるわけにはいかない。)
父、タッカー家の大黒柱、腕の立つ仕立屋のチャーリー・タッカーは胸を病んで現在自宅で療養中なのだ。
「夢を見ただけさ。それがヘンな夢でさ、クソッ」
それにしてもやけに生々しい夢だった……
これが午後3時頃のこと。更に時が過ぎ、日が暮れて夜が廻って来た時、今度グッショリと嫌な汗をかいたのはヒュー・バードだった。
「エド? 何処だ?」
ヒューはハッとして後ろを振り返った。
働き慣れた夜番勤務。今夜もプレミア付きの特別便を手に、誰よりも早くテレグラフ・エージェンシー社から走り出たというのに、伴走しているはずのエドガーの姿が見えない。
(変だな、多少飛ばしてもあいつは必ずついて来るのに?)
それがわかっているから毎夜遠慮なくブッ飛ばすヒューだった。
長いことヒューと相棒を組む仲間はいなかった。テレグラフ・エージェンシー社1の走り屋と定評のあるヒューは、決してヘマをせず常に正確に電報を届けるので配達者に与えられるチップやボーナスを独占し続けて、彼と一緒に走ってもおこぼれを得るチャンスがないせいだ。
だがエドガーは違った。入社早々、いつか正々堂々ヒューを追い抜いて3ポンドを勝ち取ると宣言した。以来、エドガーは契約書に記されたメッセンジャーボーイの基本給金だけで満足し、果敢に挑戦し続けている。それなのに――
配達先に到着し邸のノッカーを握ったその時になっても背後にエドガーの姿はなかった。
(どうしたんだ? 今までこんなことはなかったぞ。)
遂に俺には敵わないと悟って、他の同僚同様チョロイメッセージを配って小銭を稼ぐやり方に鞍替えしたかな?
いや、あいつはそんな奴じゃない。とすれば――
どこかではぐれたか? それも考えられない。先行する俺の背中を見失うほど離されるなんて有り得ない。あいつの走りは確かだ。実際、近頃じゃあ気を抜くと追い抜かれそうになるくらいなんだから。
「エド? 何処だ? 何処へ消えちまったんだ?」
この時初めてヒュー・バードはロンドンの闇を恐ろしいと思った。
今までは、むしろ暗闇は心安らぐ友達だったのに。
違う――
ヒューは強く首を振った。
〝友達〟はエドガーだ。その友を隠して飲み込んでしまう闇は恐ろしい魔物なのだ……!
「エド? 何処にいる? エドーーー!」
「…… ュー……」
必死の思いで通りを引き返してきたヒューの耳が微かな声を聞きとった。
「ヒュー……」
「うわっ! 脅かすなよ、エド? そこにいるのは、おまえか?」
真っ暗な路地の入口にぼんやりと浮かぶ人影を認めてヒューはローラースケートの足を急停止した。
「馬鹿野郎! 何処へ行ってた? 急にいなくなるから心臓が縮み上がったぜ。俺がどれだけ心配したかわかってるのか?」
「ごめん、ヒュー……だけど……」
明らかにエドガーの様子がおかしい。いつもとは違う。
「ヒュー、お願いがあるんだ。すぐに僕と一緒に来てくれないか?」
「?」
「こんなこと、君にしか頼めない。僕はどうしたらいいかわからなくて――とにかく時間がない。今は何も聞かず僕について来てくれ」
「OK」
あっさりとヒューは頷いた。
「おまえは前に俺の頼みをいとも容易に聞き入れてくれたもんな。だから、俺だって、おまえが望むなら理由は問わない。何処へだって付き合うさ。で、どっちだ?」
闇に沈んでいたエドガーの顔がパッと輝いた。いつもの、あの笑顔だ。
「ありがとう、ヒュー! じゃあ、急いで、こっちだ」
エドガーは後ろも見ずに駆け出して行く。
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