誰かこの暴君を殴ってくれ!

木樫

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第五話 冬暴君とあれやそれ

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「先輩の仕事ね、昨日終わらせましたよね。俺も少し触りましたから。そのくらい把握してるに決まってるでしょ? もし本当に残っているなら俺が今すぐ全部消してあげますよ。ねぇ。俺が目の前にいる時に仕事なんかによそ見しないでくれますか」

「はッ……こ、のッ……ッ、ん……」

「……。それに……なんですかその、薄ら寒い愛想笑い。下手くそすぎて笑えねー」


 気持ち悪い、バカでしょ、と俺の笑顔を罵倒して、三初は頬をペロリと舐める。

 どうして機嫌が悪くなっているのか。

 俺にはわからず、温かい舌の感触が残る頬を震わせた。
 昨日は俺が素直に謝ると、そんなものはいらないと言ったんだ。
 それで普段は俺が散々に文句を言うと、いつだってバカにして嘲笑うじゃねぇか。

 だから俺は考えたんだ。
 お前の言うバカな俺は、考えたんだよ。

 ……それが違うなら、わからねぇよ、もう。

 そんなことを言われる理由が思いつかなくて、どうして俺が考えて行動するとうまくいかないのかもわからなくて、泣きそうになった。

 泣くのはいやだ。
 こいつの前だと緩まる涙腺も、引き締め直さないと。
 涙で男をつなぐような、惨めなものにはなりたくない。

 だからニ、と無理矢理下手くそだと言われた笑みをこれみよがしに浮かべる。


「別に、ほっとけよ。ずっとやってりゃうまくなるさ。ちゃんと綺麗に笑ってやる」

「ッ、チッ……」


 泣きたい時に作った愛想笑いなんてへらりとしたみっともないもので、当然盛大な舌打ちが返ってきた。

 だけどこれはもう、意地でもあったのだ。
 あてつけでもあった。

 わけがわからない男を愛してしまったことに、心底気がついた報いでもあった。


「うまくならない。絶対ならない。断言してもいい」

「く……ッ」

「目ぇ逸らすな。あんたは俺だけ見てればいいのに今更……とっととやめてくださいよ。そんな顔、反吐が出る」


 しかしそうすると三初はネクタイの代わりに俺の顎をキツく掴みあげて、低く唸る。

 骨が軋んで痛くて、愛想笑いは苦痛で塗り替えられた。──そうまでして、俺が気に食わねぇってのか……?


「……テメェは、なんでそんなことばっか、言うんだよ」


 一度ミスをしてそこで立て直せなければ、よりミスが続く。
 お陰様で、ミスが続いた俺の心臓がズクン、と苦しげな鼓動を響かせる。


「わかんねぇ。お前はなんなんだ……俺の下手くそな笑顔が、そんなに嫌いか? そんなに目障りだってのかよ」

「目障りですね。大嫌い。先輩はさ、人の評価なんかどうでもよかっただろうが」

「……んだっていいだろ……こうやって俺を追い詰める理由を言う気がないなら、せめてわかるように言ってくれないなら、もうほっとけよッ……俺に触るな……ッ!」


 勢い余って三初の胸を殴り、怒鳴らないようにと心がけるギリギリのラインで声を荒らげた。


「ッ」


 ドンッ! と鈍い音がする。腕を上げる余裕がなかったから胸に当たった拳は、手加減なんてしていない。

 三初は俺の拳を避けずに受け止める。
 よろめくこともなかったのは、俺の力も入っていなかったからだと思う。

 けれど素直に殴られてくれたのは初めてだ。
 どうしていつものように避けなかったのかはわからない。こういうところを我慢すると言ったはずが、結局俺は、三初を感情のままに殴ってしまった。


「っあ……と、……悪い……」


 シュルル、と凶暴性がなりを潜める。

 弱った拳とはいえ思い切り殴ってしまい、痛かっただろうにと、三初を上目遣いに伺う情けない顔をした。

 人の評価なんてどうでもいいけれど、お前の評価だけはどうでもいいわけない。

 殴られた被害者の三初は、目をそらさないまま俺を見つめる。


「満足ですか?」


 情けない顔をしているのは俺のはずが、そう尋ねた三初の目は、さっきより少しだけ余裕がないように見えた。




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