20 / 35
第20話 うっ血女子と血色わるい王子⑧
しおりを挟む
二人は安房鴨川の駅前でタクシーに乗り込んだ。
行く先はもちろん「きりこし総合病院」である。
車が走り出して間もなく、チホは釣り具店の看板を見つけた。
「おい。南房総が釣りの穴場だったとしても、冗談がきついぞ」
世良彌堂に構わず、チホは釣り具店で鉛のナス型オモリ6号を二袋購入して車内へ戻った。
「オモリだけか。釣り竿は? 釣り針と釣り糸はどうするのだ? エサは? ふん。どうせ、指弾の弾丸にするのだろう」
チホの指弾は蜘蛛網に仕込まれたものだ。
チホの制御し難い異常な腕力を抑えるには、封じるより鍛えたほうがいい。
腕に別の役割を与えるのだ。
奇しくも双子は、手にアンバランスを抱え込んだチホと同じタイプだった。
最初は理科斜架が裁縫を仕込もうとした。
理科斜架は超絶技巧を持つお針子だった。
彼女はあり余る指先のパワーをミクロの領域をも細工する情熱へと転換していた。
「半導体を縫う指先」と評された刺繍作家として活動していた時期もあったが、チホと出会った時はもう人形の衣装のような赤い服と黒い服しか縫っていなかった。
チホは慣れない縫い針やら裁ち鋏を持たされ、竹尺でぴしぴしとシゴかれたが、苦行以外の何物でもなかった。
「無駄な努力は、この辺にしておきましょう」
理科斜架は呆れて指導教官から降りてしまった。
「チホさん。あまり言いたくはないのだけれど、こんなにぶきっちょな子は初めて見たわ」
代わって蜘蛛網が「お弾き」を教えてくれた。
これはしっくりいった。
チホは有効射程が約十二メートルの「指弾使い」に急成長した。
これでもう自分は馬鹿力の壊し屋じゃなくなった。
キーボードに怖々と触れる癖も治って、タイピングも上達した。
「吸血事務員さんよ。ぢっと手を見て、どうした? 何だ、それは? 外反母趾予防のサポーターか?」
これは、理科斜架が作ってくれた黒革の「指あて」。
これを右手の人差指にはめると硬い弾でも思い切り撃てるのだ。
「ほう。のび太の空気ピストルよりは使えそうだな。頼んだぞ、令和の没羽箭張清」(注1)
タクシーが急ブレーキで停まった。
体重の軽い世良彌堂は前のめりに運転席の裏へぶつかっていた。
チホは右手をシートに押しつけて慣性の法則に耐えた。
「すいません。大丈夫ですか?」
運転手が平謝りしている。
前の車がやはり急に停止したため仕方がなかったようだ。
「ドライバー。気をつけてくれ。子供が乗っているんだ」
世良彌堂は座席にぶつかった金髪の頭を擦っている。
「何だ? 南房総名物の当たり屋か?」
チホが前を覗のぞくと、道路をゆっくりと横切る人影が見えた。
中年女性のドンビが一体、道の真ん中で考え事でもするように立ち止っていた。
前の車がクラクションを鳴らしているが効き目はない。
「お客さん、少々お待ち下さい。すぐに片づけてきますんで」
運転手が車を離れて、ドンビに近寄っていった。
手にスプレーを持っている。
しかし道の真ん中から忌避剤で追い払うのは大変そうだ。
チホが見守っていると、運転手がスプレー缶を激しく振って道路の向こう側へ噴射し始めた。
黒い霧が反対車線へ流れていくとドンビおばさんは急に生き返ったようにすたすたとそちらへ歩き始め、忽ち道を渡り切ってしまった。
チホが使っているドンビの忌避剤とは明らかに違う反応だった。
チホは車内へ戻ってきた運転手に尋ねた。
「ああ、これですか。ルカあーすです。良く効きますよ」と運転手。
「南房総のドライバーの必需品です」
世良彌堂は車内に貼ってあるステッカーを指さした。
〈ルカあーす〉の広告だ。(注2)
ドンビの誘引剤だという。
忌避剤とは逆の作用の商品がすでに開発されていたようだ。
チホと世良彌堂は、ほぼ同時に顔を見合わせていた。
長野の山村でドローンから二人に吹きつけられた液体の正体はどうもこれらしい。
「念のため、おれたちも用意しておいたほうがいいかもな」と世良彌堂。
「これ、どこで売っているんですか?」
チホは運転手に訊いた。
「ホームセンターでもスーパーでも、どこでも手に入りますよ」と運転手。
「一本、幾らぐらい?」
「二万円です」
「に、二万円!?」
チホは世良彌堂の顔を見詰め、首を横に振った。
「安い類似品もありますが、ガマタ興業のルカあーす、これが一番効きますね」
ステッカーにも〈ガマタ興業〉のロゴが入っていた。
保守王国千葉の「房総ハリケーン」こと、政界を引退して実業家になった蝦蟇田幸助、通称「ガマコー」の会社だった。
(つづく)
(注1)没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)
中国の古典小説『水滸伝(すいこでん)』の登場人物。梁山泊(りょうざんぱく)第十六位。石礫(いしつぶて)の名手。『銭形平次』の主人公平次の投げ銭はこれがモデルとされる。
(注2)ルカあーす
「集ドンビ効果抜群! ルカあーす 千葉原産の赤玉土にルカちゃんのふるさとウクライナの黒土・チェルノーゼムのエキスを配合。シュッ!とひと吹き。ドンビちゃんの目つきが変わる!(特許出願中)」
行く先はもちろん「きりこし総合病院」である。
車が走り出して間もなく、チホは釣り具店の看板を見つけた。
「おい。南房総が釣りの穴場だったとしても、冗談がきついぞ」
世良彌堂に構わず、チホは釣り具店で鉛のナス型オモリ6号を二袋購入して車内へ戻った。
「オモリだけか。釣り竿は? 釣り針と釣り糸はどうするのだ? エサは? ふん。どうせ、指弾の弾丸にするのだろう」
チホの指弾は蜘蛛網に仕込まれたものだ。
チホの制御し難い異常な腕力を抑えるには、封じるより鍛えたほうがいい。
腕に別の役割を与えるのだ。
奇しくも双子は、手にアンバランスを抱え込んだチホと同じタイプだった。
最初は理科斜架が裁縫を仕込もうとした。
理科斜架は超絶技巧を持つお針子だった。
彼女はあり余る指先のパワーをミクロの領域をも細工する情熱へと転換していた。
「半導体を縫う指先」と評された刺繍作家として活動していた時期もあったが、チホと出会った時はもう人形の衣装のような赤い服と黒い服しか縫っていなかった。
チホは慣れない縫い針やら裁ち鋏を持たされ、竹尺でぴしぴしとシゴかれたが、苦行以外の何物でもなかった。
「無駄な努力は、この辺にしておきましょう」
理科斜架は呆れて指導教官から降りてしまった。
「チホさん。あまり言いたくはないのだけれど、こんなにぶきっちょな子は初めて見たわ」
代わって蜘蛛網が「お弾き」を教えてくれた。
これはしっくりいった。
チホは有効射程が約十二メートルの「指弾使い」に急成長した。
これでもう自分は馬鹿力の壊し屋じゃなくなった。
キーボードに怖々と触れる癖も治って、タイピングも上達した。
「吸血事務員さんよ。ぢっと手を見て、どうした? 何だ、それは? 外反母趾予防のサポーターか?」
これは、理科斜架が作ってくれた黒革の「指あて」。
これを右手の人差指にはめると硬い弾でも思い切り撃てるのだ。
「ほう。のび太の空気ピストルよりは使えそうだな。頼んだぞ、令和の没羽箭張清」(注1)
タクシーが急ブレーキで停まった。
体重の軽い世良彌堂は前のめりに運転席の裏へぶつかっていた。
チホは右手をシートに押しつけて慣性の法則に耐えた。
「すいません。大丈夫ですか?」
運転手が平謝りしている。
前の車がやはり急に停止したため仕方がなかったようだ。
「ドライバー。気をつけてくれ。子供が乗っているんだ」
世良彌堂は座席にぶつかった金髪の頭を擦っている。
「何だ? 南房総名物の当たり屋か?」
チホが前を覗のぞくと、道路をゆっくりと横切る人影が見えた。
中年女性のドンビが一体、道の真ん中で考え事でもするように立ち止っていた。
前の車がクラクションを鳴らしているが効き目はない。
「お客さん、少々お待ち下さい。すぐに片づけてきますんで」
運転手が車を離れて、ドンビに近寄っていった。
手にスプレーを持っている。
しかし道の真ん中から忌避剤で追い払うのは大変そうだ。
チホが見守っていると、運転手がスプレー缶を激しく振って道路の向こう側へ噴射し始めた。
黒い霧が反対車線へ流れていくとドンビおばさんは急に生き返ったようにすたすたとそちらへ歩き始め、忽ち道を渡り切ってしまった。
チホが使っているドンビの忌避剤とは明らかに違う反応だった。
チホは車内へ戻ってきた運転手に尋ねた。
「ああ、これですか。ルカあーすです。良く効きますよ」と運転手。
「南房総のドライバーの必需品です」
世良彌堂は車内に貼ってあるステッカーを指さした。
〈ルカあーす〉の広告だ。(注2)
ドンビの誘引剤だという。
忌避剤とは逆の作用の商品がすでに開発されていたようだ。
チホと世良彌堂は、ほぼ同時に顔を見合わせていた。
長野の山村でドローンから二人に吹きつけられた液体の正体はどうもこれらしい。
「念のため、おれたちも用意しておいたほうがいいかもな」と世良彌堂。
「これ、どこで売っているんですか?」
チホは運転手に訊いた。
「ホームセンターでもスーパーでも、どこでも手に入りますよ」と運転手。
「一本、幾らぐらい?」
「二万円です」
「に、二万円!?」
チホは世良彌堂の顔を見詰め、首を横に振った。
「安い類似品もありますが、ガマタ興業のルカあーす、これが一番効きますね」
ステッカーにも〈ガマタ興業〉のロゴが入っていた。
保守王国千葉の「房総ハリケーン」こと、政界を引退して実業家になった蝦蟇田幸助、通称「ガマコー」の会社だった。
(つづく)
(注1)没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)
中国の古典小説『水滸伝(すいこでん)』の登場人物。梁山泊(りょうざんぱく)第十六位。石礫(いしつぶて)の名手。『銭形平次』の主人公平次の投げ銭はこれがモデルとされる。
(注2)ルカあーす
「集ドンビ効果抜群! ルカあーす 千葉原産の赤玉土にルカちゃんのふるさとウクライナの黒土・チェルノーゼムのエキスを配合。シュッ!とひと吹き。ドンビちゃんの目つきが変わる!(特許出願中)」
0
あなたにおすすめの小説
「魔物の討伐で拾われた少年――アイト・グレイモント」
(イェイソン・マヌエル・ジーン)
ファンタジー
魔物の討伐中に見つかった黄金の瞳の少年、アイト・グレイモント。
王宮で育てられながらも、本当の冒険を求める彼は7歳で旅に出る。
風の魔法を操り、師匠と幼なじみの少女リリアと共に世界を巡る中、古代の遺跡で隠された力に触れ——。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる