今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第4章

第50話 油断

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 全員のお酒がだいぶ回ってきた頃、私も例外なくふわ~っと楽しい気持ちになっていた。


「才原部長、お手洗いお借りしてもよろしいですか?」

「ええ。廊下を出たらすぐの扉よ」

「ありがとうございます……」


 教えてもらい廊下へ出ると、左側に一つ、突き当たる位置にもう一つ扉があった。


 『すぐの扉』ってことは、手前にある左の扉?いや、それなら『左側の扉』って言うよね?じゃあ前の扉……?でも『すぐ』という表現を使うにしては遠すぎる?


 ワイン色に侵された脳で考え、少しふらつく足で進み、私は左の扉のドアノブを握った。扉を開けると自動的に電気がついた。近代的なシステムに一人、「おぉー」と声に出して驚く。しかし、明るく照らし出された目の前の光景は、それ以上に私を驚かせた。


「……これ……は……」

「やだ!中谷さんっ!!トイレここじゃないからっ!!」


 背後から突然現れた才原部長が見たことないほどあたふたしている。


「ご、ごめんなさい!こっちの扉かと思って……」


 その部屋は、同じマンションの一室とは思えないほど散らかり物で溢れていた。だけど物置のようにめったに入らない部屋という感じではなく、むしろどこよりも一番滞在時間が長そうな生活感が滲み出ていた。


「あなたが謝ることじゃないわ……。私がちゃんと教えなかったんだから……。恥ずかしいところ見られちゃったわね……」


 素直に受け入れ落胆する才原部長がなんだか可愛らしく思えた。


「全然恥ずかしいことないですよ!私、嬉しいです!完全無欠な才原部長にもこうゆう部分があったんだって知れて!」

「……こうゆう部分って、ダメな部分てことでしょ……?」


 悲しい顔で才原部長は真剣に確かめてきた。


「ダメというより親近感です!今までより才原部長が一気に近くに感じる気がします」

「……そう、それなら良かったけど」


 安心したのか才原部長はあきらめて笑った。その笑顔を見ていたら私も一緒に笑ってしまった。


「……この際だから中谷さんだけにバラしちゃうけど……」


 胸ポケットから出したレシートのような紙切れを渡された。


「……えー!!」

「シーッ!彼女達に聞こえちゃう!」


 それは、料理のデリバリーのレシートだった。


「あの料理、部長が作ったんじゃないんですか?!シェフ目指してたってゆう話は!?」

「料理は嘘だけどシェフになりたかったのは本当よ!でもこの通り、この部屋を見れば分かるでしょ?私には繊細さってゆうものがまるで無くて……。それで、余りにも向いてなくて断念したの。あの時は、まさか本当にあなたたちが家にまで来るなんて思わなかったから、ついかっこつけて大口叩いちゃって……」


 なんにも気にする必要なんてないようなプライドを守るために必死な部長が、酔っぱらった私には極上のツボで失礼ながら声をあげて笑ってしまった。


「部長でもかっこつけたり、よく見られたいとか思うものなんですね~!普段は常に他人の目なんか何も気にしない!って感じなのに!」

「……お願い、中谷さん……あの二人には内緒にして!」

「心配なく!才原部長のイメージがありますからね!ちゃんと守りますよ!」  

「私自身はイメージなんてどうでもいい んだけど。ただ、会社の中では弱味見せるとそこをいつもつけこまれてきたからその癖がついてて……」

「おこがましいですけど、私にも多少なりとも想像はつきます。過酷な環境下で、部長はきっとずっと一人で戦ってきたんですよね?」

「……女ってだけでナメてかかられたり、同僚からはやっかみで陰口叩かれたり、そうゆう時代だったから……。本当は全然強くなんかないのに強いふりをしないといられなかった……。本当はね、今だって部下の前で怖い顔しながら、内心はいつもドキドキしてるの。裏でまたなんか言われるんじゃないかとか気にしてばっかり……。鬼と呼ばれてる才原部長が笑っちゃうでしょ?」

「笑ったりしません。誰にも見せられないことって誰にでもあると思います。社会っていつでも味方なわけじゃないし、生きやすく生きるために表で演じる部分があったとしても、何も恥ずかしいことじゃないはずです」


 偉そうにそんなことを言いながら、きっと私は自分自身を励ましていた。

    
「……そっか……そうよね」


 まだ迷いを残しつつ、少し照れながら微笑む才原部長の腕を私は敢えてパシッと軽く叩いた。


「そうですよっ!」


 それは景気づけのためだったけど、馴れ馴れしすぎた行為に怒られたりしないかと内心ちょっと構えてはいた。だけど、才原部長の反応は、想像したどのパターンとも違うものだった。


「すごく不思議……他人に今まで言えなかったことがあなたには自然に言える……どうしてかしらね?」


 朝の満員電車よりも近い距離感で、瞬きせずに見つめられた。その眼も唇も声さえも、初めて見る人のように才原部長の面影が感じられない。慣れた仕草で頬に触れた手は、アルコールのせいで熱いくらいだった。『中谷さん、気を付けた方がいいかもよ?』頭の中ではあの時の吉井さんの言葉が聞こえていた。
 

「どうして逃げないの……?」


 私の言葉を待つ前に、添えられた手の親指が下唇をゆっくりとなぞる。


「才原部長! もしかして私のこと、口説いてるんですかー?ダメですよ!アメリカにいる彼女に怒られちゃいますよ!」


 そんなキャラじゃないし、酔いもたった今覚めたばかりだったけど、酔ったふりをして精一杯おどけながら、失礼にならない力加減で部長の体を自分から離そうとした。すると、私より少し背の高い才原部長は手首を掴んで上手に私のバランスを崩し、惰性の力でさらに自分の方へと引き寄せた。足のフラつきの残る私は抵抗する術もなく、簡単に才原部長の胸の中へと倒れ込む形になってしまった。


「ちょっと……才原部長……」


 顔を上げると、目と目が合うより先に唇と唇が触れた。


 付き合ってるわけでも、ましてやもう二度と会えないかもしれないくらいの状況なのに、その時私の頭に浮かんだのは、彼女の顔だった。彼女を裏切ってしまったような気持ちになり、心が罪悪感の色に染まってゆく中、いつも才原部長から香るほのかな香水の匂いがした。


「ぶちょ~?さいばらぶちょお~!」
「おーい!なにしてんですかぁかー?」


 リビングから花咲さんと吉井さんの呼びかけが聞こえてくると、才原部長は魔法がとけたように突然私の体を自分から引き剥がした。


「ご、ごめんなさい……」


 そして、心から申し訳なさそうにそう言った後、私をその場に残し、二人の待つリビングへと急いだ。




























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