今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第4章

第55話 終止符

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 才原部長と朝の電車内で待ち合わせのように出会うことにはもうすっかり慣れていた。ただ、その日は才原部長の顔を間近で見ることに抵抗があった。


 昨日、私は三ツ矢さん宛てに想いを綴った紙きれを送った。それは、私を想ってくれている才原部長には酷なことなのかもしれない。


 信じて待ちつつ、それが叶わないかもしれない不安を抱える辛さは、悲しいかな私には痛いくらい解る。


 才原部長とぎこちない笑顔で会話をしながら、それでも私の胸の内は、やっぱり悔しいくらい三ツ矢さんだった。


 あれから、一日に何度も何度もしつこく着信を確認する癖がついてしまった。だけど、何度見ても何の変化もない。それでも、私の中のわずかな期待は完全に消えることはなく、情けないほど同じ行動を繰り返してばかりだった。


 さすがにもうあの紙きれは三ツ矢さんの手に渡っているはず。三ツ矢さんは私の伝言を読んで悩んでくれているんだろうか?それとも、もう答えは出ているのだろうか……。


 時計の針が進んでほしくないような、逆に早くタイムリミットの時が来てこの苦しみから解放させてほしいような、私の心はそんな不安定な状態だった。



 次の日は土曜日で、私は家から出る予定もなく、ただただ家の中でいつ鳴るかもしれない電話を待っていた。


 夜になり、チャイムが鳴った。


 きっとまた何かの荷物が届いたんだろう。だけど、この時間だから三ツ矢さんが配達にやって来ることはない。


 画面を見ると、この間三ツ矢さんとキスをしていたあの彼女が落ち着かない様子で扉の前に立っていた。私も少し緊張しながら扉を開ける。



「こ、こんばんは!お荷物お届けに上がりました……」


 彼女は昨日の子とはタイプが違って、少し控え目な印象だった。



「ありがとうございます……。こないだの……方ですよね?」


 前回はただ姿を見ただけで話の一つもしなかった。私は彼女がどんな子なのか気になっていた。


「あ、はい!」

「今日も三ツ矢さんと一緒なんですか?」

「いえ、三ツ矢先輩は今日はお休みなので、別の方と回ってます」

「そうなんですね」


 三ツ矢さんのことを話すその雰囲気からして、付き合っているというのとは少し違う気がした。


 でも、それならどうしてキスなんて……?


 そうゆうことをこの子から三ツ矢さんに迫るとは思えなかった。


「あ、あの、サインをこちらに頂けますでしょうか?」

「あっ、そうですよね、ごめんなさい。今はんこを……」


 考え事をしすぎて、荷物のことを忘れてしまっていた。


「最近は女性の配達員さんが多いんですね」


 はんこを押しながら自然を装って少し探る。それまで、配達員の中に三ツ矢さん以外の女の人は一人も見たことがなかった。なのに最近は、女の人……というより女の子ばかりが訪ねてくる。私はそれをよく思わない気持ちと、どうゆう状況なのか知りたい気持ちだった。


「私は新入社員で、本来の配属先は事務職なんですけど、研修の一環で今週だけ現場に出てるんです。新入社員は全員まずこの研修を受けるって決まりがありまして。なので、実際に配達に出てる女の人はうちの営業所では三ツ矢先輩だけですよ」


 想定以上に彼女は詳しく説明してくれた。


「……そうだったんですね、どうりで最近色んな方が……」


 そうか、新人の研修だからだったんだ……。思いもよらなかった事実に少しだけ安心した。でもその0.5秒後、それならなぜそんな入ったばかりの子と車の中でキスをしていたのか、謎と得も言われぬ猜疑心が不安を煽った。


「中谷さんは、三ツ矢先輩とは長い付き合いなんですか?」


 その質問で、この子もまた三ツ矢さんに対して何らかの感情を持っている一人だと感じた。


「いえ、そんなには。ただ、以前三ツ矢さんが遅番だった頃にほぼ毎日来くれてたので、その時に少しお話をしたくらいで……」

「なるほど。ご年齢が近そうですもんね!親近感沸きますよね!」

「そうなんです、年が近いし、女同士だし。だから色んな話して……」


 私は変に勘ぐられないよう当たり障りのないことを話した。


「恋の話もですか?」


 それでも、彼女はどこか納得していないようで、私と三ツ矢さんの間に必ず何かがあると確信しているような質問をしてきた。


「……どうかな。そうゆう話はあんまりしたことなかったと思います」


 それは嘘のようで本当のことだった。三ツ矢さんが今までどんな恋愛をしてきたのか、今になって何一つ聞いたことはなかったと改めて気づく。現在のことばかりに気をとられていたけど、過去に心から愛した人がいたりしたんだろうか……


「あ、ごめんなさい、長話をしてしまって!こちら、お荷物てす!」


 そう言えば荷物を受け取っていなかった。ダンボールを受け取った時、ぽっかり抜けていたことを思い出した。


「あ、少し待って下さい!」


 私は一度部屋へ入り、そしてすぐに舞い戻ると二本の缶コーヒーを彼女に渡した。



「良かったらこちらとうぞ」

「……ご丁寧にすみません。ありがとうございます!でも二本も……?」
「一本は、昨日来て頂いた女の子に。渡すのをつい忘れてしまったので……」
 

 自分の頼みごとに必死で、彼女に何も渡していなかったことに後から気づいたのだった。

「それって……」

「確か『智鶴』さんていう方だったと思います」


 三ツ矢さんがあの子を呼んだ声を思い出しながら言った。


「あぁ!はい!わざわざありがとうございます!」

「あと、『ありがとうございました』って、お礼を伝えてもらえますか?」


 そう伝言をお願いすると、彼女は自分の知らないことが気になって仕方なさそうに


「何かあったんですか?」


 と、聞いてきた。


「あの、そう言って伝えて頂ければ解ってもらえると思いますから……」


 申し訳ないけど説明出来ることは何もない。


「分かりました!渡しておきます!」


 すぐに仕方ないというような顔で諦め、彼女は丁寧にお辞儀をして帰って行った。



 あの二人の女の子はどう見ても、二人とも三ツ矢さんに対して少なからず恋愛感情の気持ちがある。それに今日の子に関してはキスまでしてる。昨日の子だって、完全に一方的な想いという割には馴れ馴れしさと自信が見て取れた。


 もしかして三ツ矢さんは二人の気持ちを知りながら、むしろそれをもて遊ぶようなことをしてる……?また不安が頭を駆け巡った。


 とにかく、どんなに疑わしくても私は直接三ツ矢と話がしたい。本人の口から聞かない限り、勝手な答えを出すようなことはしたくない。


 明日、どうか電話が来ますように……


 今の私に出来るのは、あの人に届かない声で一人ただ静かに祈ることだけだった。



***



 眠る寸前まてま電話を待ち、無機質な冷たい機器を握りしめたままいつのまにか眠りにつき、起きた私はまだそれを握ったままだった。


 約束の日曜日。目が覚めたのは朝の8時。


 あと、16時間……


 それまでに電話が来なければ、私と三ツ矢さんの全ては本当に終わる。まだその時まではだいぶ時間があるのに、朝から緊張した私はお腹が空いていても飲み物すら上手に喉を通らなかった。


 何も手につかず家事でもして紛らわせようと考えたけど、掃除をしようが、前から気になったでいた引き出しの整理をしようが、気が散って結局何も手につかなかった。


 時計を見るたび苦しくなる胸に手を当てて、きっとかけてくれると自分で自分を励ました。やっぱり今さら私とどうにかなる気はないと答えが出ていたとしても、もしもすでに誰かと付き合っていたとしても、きっと三ツ矢さんはかけてきてくれる。


 これが本当に本当に最後なら、最後に私の話に耳を傾けることくらいはしてくれる……。矛盾していて不思議だけど、ほんの少しの間でも確かに私たちはお互いに想い合っていた……証拠なんて何もないのにそれだけは真実だと思えた。


 テレビの音も音楽もない部屋で、壁掛け時計の秒針の音だけが規則正しい音をたてていた。


 

 正午を過ぎ、日が暮れて、空に小さな星がいくつか光り始めた頃、私は今までの数えられるくらいしかない二人の思い出を思い出していた。


 思い出と言っても、人になんか話せる話じゃない。出会ってから今までの出来事をそのまま話したら、私も彼女もきっと異常者だと思われるだろう。


 この恋は、二人にしか理解できないものだった。私の部屋を毎晩のように可愛い笑顔で訪ねてきてくれた彼女の姿が鮮明に浮かび上がる。


 初めて会った日の衝撃が、昨日のことのようにまだ胸に残っている。


 時間なんて関係なかった。境遇なんて過ちなんてどうでもいい。


 私たちはお互いに運命の相手だった。淫らとしかいいようのない行為の中でも、言葉では交わさなくても、私たちはあの時お互いにそう感じていたはず……。



 そのはずなのに……



 約束の24時を過ぎても、静まる部屋に着信の音が鳴ることはなかった。




***



 そのまま部屋に居続けることが辛くなって、衝動のまま外へ飛び出した。涙は止めどなく流れてくるのに声は出なかった。


 目的もなく夜道を歩き続けてふと通ったコンビニの前を通った時、見覚えのある姿が目に入った。吸い込まれるように店内へ入り、後ろからその人に声をかけた。


「こんばんは」


 振り向いた彼女はすごく驚いた顔をして私を見た。


「中谷さん!?」

「ここら辺にお住まいだったんですね」

「えっと……すぐ近くじゃないんですけど、寮が三丁目にあって……」

「そうなんですね。あの辺りコンビニないですもんね」

「そうなんです……」


 私が偶然見つけたのは、三ツ矢さんとキスをしていたあの彼女だった。


 少し気まずそうに困った顔をしながら彼女が私の服装を見る。そこで私は初めて自分の格好に気づいた。何もかもがどうでもよかったから、何も気にしないで出てきてしまったんだ……。完全な部屋着でひどい格好だった。


「あ……今日は一日中家でダラダラしちゃってて……」

「日曜日はそうゆうものですよね!」


 私が無意味な言い訳をすると、彼女は気を使って合わせようとしてくれたけど、その服装はどこか特別な場所に出掛けていたのがよく分かるような出で立ちで、私とは天と地の状態だった。


「可愛いお洋服ですね。今日はお仕事お休みだったんですか?」

「ありがとうございます……。はい、休みは休みだったんですけど、今日は会社の飲み会があったので……」

「……会社のっていうことは……じゃあ三ツ矢さんも?」

「はい………」


 私が延々と部屋で電話を待ち続けている間、三ツ矢さんはこの子や会社の人たちとお酒を飲んでたんだ……。その時、彼女の手から微かな音がした。自然と視線が音の元へ移る。彼女が持っていたのは、
女性用の下着だった。


 こんな夜中にコンビニで下着を買いに来るなんて……嫌な予感がした。


「あ……これは………実はその飲み会で三ツ矢先輩がかなり酔っ払ってしまって……今夜急きょ家に泊まることになってそれで……」


 私が何かを言う前に、彼女は自分から説明した。私の耳はその言葉を耳鳴りと判断したのか、鼓膜から中には雑音しか入って来ない。それでも、聞き取れてしまった内容に、素直な問いかけをする。


「……もしかして、三ツ矢さんと付き合ってらっしゃるんですか……?」


 彼女は私に後ろめたいような顔をした。


「あっいえ!私たちはそうゆうんじゃなくて……」

「ごめんなさい。私、何言ってるんですかね。そんな立ち入ったこと聞くなんて失礼ですよね……ごめんなさい……」


 困る彼女を見ていたら、惨めさが体中に浸透していった。完全に拒まれた私なんかが何を図に乗ったことを聞いてるんだろう……。


 音のないため息を一つして、私は私からあの人へ送る最後のメッセージを彼女に託した。


「一言だけ、三ツ矢さんに伝言をお願い出来ますか?」

「……はい。なんて伝えれば……?」

「『どうかお元気で』って」


 心からそう思った。そしてそれはあの日、あの人から私がもらった言葉だった。


「……あの、どこかに引っ越されたりするんですか……?」

「…………いえ。ただもうきっと、会うことはないだろうから」


 もうこれ以上、何も話す必要は何もなかった。


「分かりました。ちゃんと伝えます」

「ありがとうございます。…… あ、申し訳ありません、失礼ですがお名前って……?」

「茅野です!」

「……茅野さん。お名前をお伺いもしないで勝手なことばっかり話して、伝言まで……本当にすみませんでした。茅野さんもお元気でお仕事頑張って下さいね、もう配達の研修終わりなんですもんね?」

「はい、研修はもう終わりました。私のことまでありがとうございます……。あの、中谷さんもお元気で……」

「……ありがとうございます」


 最後に頑張って少しだけ笑ってみせて、私は店を出た。




***

 

「もしもし……?」

「中谷です。こんな遅くに申し訳ありません……」

「大丈夫よ、まだ寝てなかったし。それよりどうしたの?」

「……こないだのお話のお返事をお伝えしたくて……。明日の朝に会社でお話しすればいいことかもしれないんですけど、今、決心が揺らがないうちにと思いまして……」

「……そう。……それで、どんな決心をしたの?」

「……私でよければ挑戦させて下さい。精一杯頑張ります」

「……良かった。最終的にはそう言ってくれるってずっと信じてたわ」

「…………」

「何があったかは聞かない。あなたが来てくれれば私はそれでいいから。とにかく、そうと決まれば早速上に報告して話を進めるわ。詳しいことは明日、会社で話しましょう」

「……はい」

「朝になったら『やっぱり……』なんて言わないでよ?」

「そんなこと……言いません」

「それならいいけど」

「あの部長、本当に突然こんな夜中に申し訳ありませんでした……」

「何も問題ないわ。むしろいい連絡をもらったおかげで今晩はぐっすり眠れそう。じゃあ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい……」



 電話を切ると、その夜は朝まで声をあげて泣いた。こんなにも涙が枯れずに泣き続けたのは、子供の頃に可愛がっていた犬のミロが、家の都合でどこかへ引き取られて行ったあの日以来だった。



「さようなら」



 ようやくすべての涙を出し尽くすと、もう二度と届かない言葉をもう二度と会えないあの人に向けて一人呟いた。







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