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第1章「夏」

2.入道雲センチメンタル(2)

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 駅を出て1時間ほど走ると、車は海沿いの高台に建つ神社に到着した。鳥居をくぐると、そこからまっすぐ伸びる参道。頭上を覆うのは、複雑に枝を張り巡らせた古木の数々だ。深い緑のトンネルに足を踏み入れると、まるで異世界へと続くかのような灰褐色の石畳が、目の前に広がっていた。

「まずはお参りだね」

 先生の合図で、みんなで拝殿の前に整列する。二礼二拍手一礼、祈りを捧げる。…………ん? なんだか羽合先生、妙に念入りにお祈りしているみたいだ。横顔を盗み見ると、何やら深く考え込んでいるようにも見える。
 ーーいったい何をお願いしているんだろう?

「ん? どうかした、霜連。俺の顔に何かついてる?」

 不意に目を開けた先生と、視線がぴたりと合ってしまう。

「い、いえ、その……先生、お願い事でもしてたんですか?」
「ははは、実は、逆だよ。願い事が叶ったんだ。そのお礼参りってわけ」

 なんのことだか、私には先生の言葉の意味がよく分からなかった。

 私たちを迎えてくれたのは、この神社の宮司さんだった。白の着物に、水色の袴という爽やかな装い。きれいに整えられた白髪交じりの短髪と、穏やかな表情が印象的だ。挨拶を済ませると、宮司さんはさっそく私たちを納屋へと案内してくれた。

「さあ、こちらへ。先週、境内の掃除中に偶然見つけたんですよ」

 宮司さんに案内され、納屋の隅に近づく。そこには、例の写真で見覚えのある白い球体が、ひっそりと置かれていた。

「何しろ見慣れない代物ですからね。最初は何かのイタズラかと思って……。念のため警察に届けようと写真を撮ったんですが、その後こうして納屋に保管しておいたんです」

「なるほど、そりゃそうですよね……」

 大地は早速、球体に歩み寄っていく。私もすぐ後に続いた。確かに爆弾というほどではないにしろ、こんな高台で漁具のような発泡スチロールの球を見つけたら、悪質なイタズラを疑うのは当然だろう。

(本当にこれが、お姉ちゃんの打ち上げた気球なの……?)

 近づいてみると、表面の「高校名」と「理科部」の文字は写真で見たよりもはるかに薄く感じられた。
 私は、宮司さんがわざわざメールで連絡をくれた理由が分からずにいた。ただの親切心とは言い切れない。だってこのカプセル、ボロボロで汚れているんだもの。

「でもね、これを思い出しましてね」

 そう言いながら、宮司さんは引き出しから黄ばんだ紙切れを取り出した。

「もう5年以上前の話ですが、ある日、大学生らしき若者がこの辺りでチラシを配っていたんです。その内容が、まさに『宇宙の渚に飛んでいった気球の捜索願い』。ほら、ここにそう書いてあるでしょう?」
「本当だ、連絡先は……ああ、これだ! ねえ大地、これって……」

 宮司さんからチラシを受け取り、大地に差し出す。

「ああ……今の理科部、つまりウチのアドレスで間違いないね。これを頼りに連絡をくださったんですね。本当にありがとうございます!」

 大地が深々と頭を下げるのを見て、私も慌てて頭を下げると、宮司さんも優しく微笑みながら会釈を返してくれた。

「あの若者は『どうしても見つけ出したい』と何度も言っていたんです。その真剣な眼差しと、『宇宙の渚』という不思議な響きの言葉が、私の記憶に強く焼き付いていましてね……」
「えっ、高校生の女の子じゃなかったんですか?」

 てっきりお姉ちゃんが自分で探しに来ていたのだと思い込んでいた。質問すると、宮司さんは少し意外そうな顔をした。

「いえ、間違いなく大学生の男性でした。『俺はもう卒業しちゃったけどね』なんて言っていたのを覚えていますから。それに私、その時『大学じゃなくて高校でこんな立派な気球が作れるなんて!』って思わず聞いちゃったんですよ。ははは」
「えっ……まさか、その男の人って」

 ハッとして後を振り向く。その視線の先で、羽合先生が「…………ああ、俺だよ」と言葉少なに呟いた。先生の顔はどことなくうしろめたそうだ。

「おや、あなたがあの時の若者ですか」

 宮司さんは涼しげな顔で微笑んだ。当時の羽合先生は、気球の進路予想から割り出した落下地点の周辺を隈なく回り、こうしてチラシを配っていたのだという。

「先生、ずっとお姉ちゃんの気球を探し続けてくれてたんですね」
「ははは……恥ずかしい過去を掘り起こされちまったな」
「そんなことないですよ。むしろ、熱意に感動っていうか、感謝の気持ちでいっぱいです……」

 頭をぽりぽりとかきながら照れくさそうにする羽合先生。私は精一杯の優しさを込めて微笑みかけた。

 羽合先生はカプセルのそばで膝をつき、表面に付着した泥や汚れを、そっと手で払っていく。『理科部』と大きく書かれた文字の下から、次々と寄せ書きのようなメッセージが姿を現した。年月の経過で文字はかすれているものの、辛うじて判読できる。

「…………間違いない。6年前、理科部が打ち上げた気球だ」
「よかったね、先生……!」

 涙をうっすらと浮かべてカプセルに見入る羽合先生。その姿を見ているとグッと込み上げてくるものがあり、思わず抱きしめたくなってしまう。先生の指先をなぞるように並ぶ手書きの文字。それが誰のものか、私にはすぐに分かった。

〈宇宙から戻りました! 拾得された方は、どうかご一報を〉

 ──そう、これは紛れもなくお姉ちゃんの字だ。羽合先生はその文字を、まるで恋人の頬でもなぞるかのように、ゆっくりと指先で辿っていく。一文字一文字、愛おしむように。

 4人で順番に納屋を出て、私は思わず空を仰ぎ見た。本殿の向こうから、夏の象徴たる入道雲が顔をのぞかせている。そっと横目で先生を見やる。先生の頬を伝う涙を、そっとぬぐってあげたい。けれど私には、その勇気がどうしても出なかった。
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