風船ガール 〜気球で目指す、宇宙の渚〜

嶌田あき

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第2章「秋」

4.ひつじ雲・イン・トラブル(8)

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「せんせぇーーっ!」

 息を切らせながら、天文ドームの扉を勢いよく開ける。そこには、驚いた顔で私を見つめる羽合先生の姿があった。先生の前に置かれたノートパソコンの画面では、〈高校生YouTuberコンテスト〉の授賞式がライブ配信されている。先生は授賞式の映像を気にしつつも、月曜日の授業で使う望遠鏡の準備に没頭していた。真面目な先生らしい光景だ。

『それでは、優勝したペアのパフォーマンスをご覧ください! 盛大な拍手でお迎えしましょう!』

 司会の声に、先生は不思議そうに画面と私を交互に見つめる。私も思わず画面に釘付けになった。
 私がここにいるのに、どうしてこんなにスムーズに授賞式が進んでいるんだろう? 正直、私にもよくわからない。でも、星野さんが優勝したわけでもなさそうだし……一体、何が起こったっていうの?
 私の疑問に、司会の女性が答えを告げる。

『なんと、優勝したペアのご厚意により、副賞のキャラクター〈るんるんちゃん〉の着ぐるみを着て、決勝戦と同じ演技を披露していただけるとのことです!』

 司会の声が消えると、ステージが再び暗転した。すると、会場にノリのいいポップミュージックが流れ始める。まさに私たちが双子ダンスで使った曲だ。

 2人のダンスは、決勝戦で披露した時と全く同じ。いや、むしろミラーダンスの部分なんて、今回の方がバッチリ決まってる。パンダの動きの切れ味がハンパじゃない。だって、中に入ってるのは演劇部の星野さんだもん。スラッとした陽菜と、ゆるキャラ風のパンダ。一見異色のコンビだけど、意外といい感じ。
 曲が終わると、先生が真剣な眼差しで私を見つめた。

「霜連、どうして?」
「だって、先生、今日は先生の誕生日じゃないですかっ!」

 私は精一杯の笑顔を作って言った。すると、先生の表情も徐々に柔らかくなり、つられるように笑みを浮かべてくれた。

「ハハハ、だから誕生日なんて、取り立てておめでたいことじゃないって言ったじゃないか」
「でも、でもっ。おめでとうって、伝えたかったんだもん!」

 そう言い切った後、私は深く息をついた。すると先生は、少し照れくさそうに微笑みながら

「――うん。分かったよ。霜連。ありがとう。君の気持ちが嬉しいよ」

 と深々と頭を下げた。私は慌てて手提げからプレゼントを取り出し、先生に差し出す。

「せ、先生、これ……プレゼントです。さっき買ったクッキーなんですけど。こ、こんなものしか用意できなくて、ほんと恥ずかしい!」

 顔から火が出そうなくらい熱くなるのを感じる。絶対りんごみたいに真っ赤だと思う。ああ、恥ずかしすぎる。先生、どうか箱ごと受け取ってください。

「手作りじゃないですし、ハンカチとかネクタイとか、そういうオトナっぽいちゃんとしたプレゼントじゃなくて……」

 そんな私の手から、先生は嬉しそうにプレゼントを受け取ってくれた。

「フフフ。ありがと。じゃあ、紅茶でもいれてくるよ。時間、大丈夫?」
「は、はい! 親には、フェスの授賞式で遅くなるかもって言ってあるので」
「そ。じゃあ一緒に食べよ。ちょっと待ってて」

 扉に向かう先生の背中を、私は咄嗟に呼び止めていた。

「あ、先生! ちょっと待ってください!」
「ん? どうした?」

 先生が振り返る。私は精一杯真面目な顔で言った。

「――――ドーム内、飲食厳禁!」

 先生は苦笑しながら言う。

「……か、固いこと言うな。今日だけ、無礼講っ」

 しばらくして、紅茶を淹れて持ってきた先生。理科準備室に専用のビーカーとアルコールランプが隠してあったらしい。

「絶対、こぼさないように!」

 私と先生は真剣な顔で念を押し合う。そうしてドームの隅っこにある小さなテーブルに向かい、クッキーの缶を開けた。中には十二星座をイメージした形のバタークッキーがぎっしり。三日月や星型のクッキーもあしらわれている。

「わぁ、かわいい!」

 思わず歓声を上げる。先生と一緒に、サクサクの食感を堪能しつつ、際立つバターの風味に舌鼓を打った。紅茶のほのかな苦みが、クッキーの甘さを引き立てる。ああ、至福の時間。

「ねぇ先生。ひとつ聞いていいですか?」

  紅茶の入ったカップを両手で包み込むように持ち、その琥珀色の水面を見つめながら、私は尋ねた。

 「なに?」

  いつもより低めの、でもやさしい声音が返ってくる。

 「先生は……」

  言葉を続けるのを、一瞬躊躇う。

 「……私のこと、好きですか?」

  その問いに、先生は驚いたように息を呑んだ。真っ直ぐ私の瞳を見つめたまま、なにやら考え込んでいるようだ。

「先生はさぁ、私のこと、生徒だから相手してくれてるんですよね?」

 私は勢いそのままに、次々と言葉を紡ぐ。

「天文部で私が一人きりだから、先生は構ってくれるんですよね」
「私がお姉ちゃんの妹だから、こうしてプレゼントだって受け取ってくれるんですよね」

 投げかける言葉に答えない先生。その沈黙が、私の胸に重くのしかかる。

 ――答えてくれないんだ。

 きっと今の私は、今にも泣き出しそうな顔をしているんだろう。先生は戸惑ったように黙ったまま、頭をぽりぽり
と掻いている。つい、言ってはいけないことを口走ってしまう。

「いいですよ、もう。どうせ、星野さんと違って、私は先生が担任のクラスの生徒でもないし……」

 その瞬間、自分でも驚くほどの嫉妬心に気づいてしまった。

「……もういいです。私なんて、ほっといてください」

 精一杯きっぱりと言い放つ。……言い終わった途端、すぐに後悔が襲ってくる。
 先生は呆れたようにため息をつき、やれやれといった調子で立ち上がる。

「……君がそこまで言うなら、わかったよ。じゃあ、そうするとしようか」

 そう言い残すなり、先生はドームを出ていってしまった。

「ええ…………」

 一瞬、状況が飲み込めない。ぽつんと一人残された無機質なドームで、私は呆然と立ち尽くす。
 ……はっとして我に返る。

「ま、待ってください! せんせー!」

 必死に叫びながらドームを飛び出す。けれど、屋上に先生の姿はない。
 ふと背後の気配に振り返ると、先生はドームの壁にもたれかかっていた。

「……くくくっ」

 そう笑う先生を見て、急に安堵感がこみ上げてくる。涙が滲んでしまう。

「霜連」
「先生、私……!」
「プレゼントのこと、本当にありがとう。とても嬉しかったよ」「あ……その、すみませんでした。私、ついカッとなって……」
「ううん、謝らないで。君の率直な気持ちが聞けて良かった」
「先生……」
「さ、もう暗くなる。帰ろうか」

 夕闇迫る空は、濃い藍色に染まっていく。見上げればそこに、ひときわ明るく輝く夕星。


 * * *


 後日、私は星野さんを尋ねた。ステージから姿を消した優勝者。それを知った会場は、一瞬にして混乱に包まれたそうだ。困り果てた主催者、右往左往するスタッフ。誰もがどうすればいいのかわからない。そんな中、星野さんが名乗りを上げた。

「私にダンスを踊らせてください!」

 決勝戦のダンスを、着ぐるみ姿で踊ると提案したのだ。そう聞いた時、胸が熱くなるのを感じた。陽菜との合わせる時間はほんの10分足らず。それでも本番では、あの圧巻のステージを披露したのだから。心から尊敬の念を抱かずにはいられない。会場の誰もが、「このコンビなら優勝に相応しい」と思ったに違いない。

「星野さん、本当にごめんなさい。優勝させてもらったのに、授賞式から姿を消すなんて……私、最低だよね」

 放課後の教室。私は星野さんを前に、深々と頭を下げた。胸の奥がチクチクと痛む。自分勝手な行動を、心の底から後悔している。

「霜連先輩、顔を上げてください……」

 そう言いながら、星野さんも一緒に頭を下げる。

「謝らなければいけないのは、私なんです。ダンスを台無しにしかねない下剤入りのコーヒーを出すなんて、先輩の気持ちを踏みにじるようなマネをして……本当に申し訳ありませんでした」

 彼女の震える声に、胸が締め付けられる思いだった。星野さんは目的のために手段を選ばず、汚い真似をしたことを心の底から悔いているのだ。

 コンテストの結果は覆らなかった。だけど、それとは別に朗報が舞い込んだ。科学館から星野さんに、専属の着ぐるみパフォーマーとして手伝ってもらえないかというオファーが来たのだ。星野さんはその知らせを聞いて、嬉し涙を流したらしい。私にも直接報告してくれた。

「これも先輩のお陰です。本当にありがとうございました!」

 そう言いながらも「羽合先生のこと、まだ根に持ってますからね」なんて不敵な笑みを浮かべる。それからは、学園祭の準備で便宜を図ってくれたり、天文部存続のために生徒会に訴えてくれたり。次第に、慕ってくれる頼もしい後輩になっていった。

 そうして秋が深まる頃には、「霜連先輩」「結ちゃん」と呼び合うほど打ち解け、彼女は水曜日の天文ドームにも顔を出すようになった。先生を取り合うライバルであることに変わりはないけれど、それでも気軽に話せるかわいい後輩と一緒にいる時間はかけがえのないもの。私には天文部での活動には、今まで後輩らしい存在がいなかった。だからこそ結ちゃんは特別で、とてもとても愛おしいものに感じられた。
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