風船ガール 〜気球で目指す、宇宙の渚〜

嶌田あき

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第2章「秋」

6.はね雲ファースト・フライト(5)

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 週末の2日間、学校中が熱気に包まれた文化祭ももうすぐフィナーレ。
 各展示の終了時間を迎え、残すは華やかな後夜祭だけ。夕暮れ時の第2理科室で、ひとりで黙々と片付けに励んでいると、不意に大地が顔を出した。

「よぉ、澪」
「おーう。お疲れさま。ねえ、陽菜から聞いたんだけど、ロケット、人気投票で表彰されるんだって? おめでとう!」
「サンキュー。で、澪は後夜祭行かないのか?」

 大地は坊主頭をわずかに傾げ、窓の外に視線を向けた。

「えっと……うん。まだ片付けが残ってるし、気球の映像も編集したいからさ。それに、フォークダンスを一緒に踊る相手、いないもんね。あはは……」

 私の声は明るさを欠いていた。大地は気まずそうに鼻の頭をかいた。

「そっか……じゃあ、その……」
「あれ? 陽菜?」

 廊下の扉が開き、大地の背後に陽菜の姿が現れた。

「澪、ここにいたんだね……良かった」

 ほんのり頬を染め、少し息を弾ませながら陽菜が部屋に入ってきた。

「どうした雨宮? そんな深刻な顔して。澪を探してたのか?」
「え、あ、その……探してたのはーー」
「ふふふ。変なやつ。雨宮ってときどき面白いことするよな」

 大地が身を乗り出すと、真っ赤になった陽菜はそっぽを向いてしまう。そんな2人のやり取りを見て、思わず微笑んでしまう私。ケースを手に立ち上がった。

「私、これだけドームに運んでくるから、2人は先に行ってていいよ」「え、じゃあ手伝うよ」

 なぜか今日に限って、妙に優しい大地。

「サンキュ。でも1人で平気だから」
「わかった。じゃ、またあとでな」
「うん、すぐ追いかけるー」

 陽菜に目くばせをして、「がんばって」の意思表示。

 私は天文ドームに向かうと、そのまま後夜祭に参加せず、屋上から特設ステージを見下ろしていた。秋の夕焼けに、ひときわ明るく輝く金星。人知れず静かに瞬き、気づけばいつの間にか姿を消してしまう……まるで私自身のようだ。

 部活仲間と喜びを分かち合うこともなく、誰にも見向きもされないこの場所が、今の私にはちょうどいい。冷えてきた風に身を震わせながら、「さむっ……」と小さくつぶやいて、両腕で自分の体を抱きしめた。

 ぼんやりと茜色の空を見上げていると、不意に扉の開く音が響いた。

「先生……?」
「やあ霜連。後夜祭は? 気球すごい人気だったから、表彰されるんじゃないか?」
「いいんです。別に賞をもらうために頑張ったわけじゃないし、みんなに楽しんでもらえて、それだけで満足なんで。自分のためにやったようなもんですから。えへへ……」
「ははは、霜連らしいな」

 先生は優しく微笑むと、何かを差し出した。

「じゃあ、これは俺から」

 それは手作りの表彰状だった。毎年、文化祭後に引退する3年生に、後輩から贈られる伝統の品。でも今年の私には、贈ってくれる後輩がいない。望遠鏡で撮影した美しい星空の写真が飾られている。

「霜連が地道に頑張って、辛い顔ひとつ見せず、楽しそうにしてたの見てたよ。注目されることも、褒められることも、あんまりなかったけど、お前はよく頑張った」
「先生……」
「それと、これが副賞」

 先生はキラキラ光る透明な袋に入ったマグカップを取り出した。以前私が大切にしていたものを、先生が誤って割ってしまったのだ。それを懸賞で手に入れ直してくれたらしい。

「ふふっ……ありがとうございます」

 私はマグカップを胸に抱きしめた。あの夏合宿でチョコレートを巡って2人でケンカした時のことが、昨日のように思い出される。そのときの肘の傷も、もう跡形もなく消えている。先生はイタズラっ子のように八重歯を覗かせて笑った。

「これで天文部の活動も終わり。これからは、霜連が本当にやりたいことだけを考えよう。好きなことを、思う存分」

 ――私のやりたいこと? 改めて聞かれると、戸惑いを覚える。最初は人助けのつもりで入部した天文部だったけれど、気がつけば自分のやりたいことを追求していた。お姉ちゃんがきっかけだったとはいえ、気球に挑戦したのは紛れもなく私自身の意志だった。

「先生、聞いてください。あのね、今日は質問じゃなくて、伝えたいことがあるんです」
「……うん」
「この前、先生にはダメって言われちゃったけど――」

 先生が優しい眼差しで私の顔を覗き込む。その瞳を真っ直ぐ見つめ返し、私は意を決して告げた。

「やっぱり……先生が好きです!」

 自分でもビックリするくらいの大きな声が出せた。
 たとえ先生が私を好きになってくれなくても、お姉ちゃんのことを忘れられなくても構わないーー。心に決めていた。たとえこの恋がうまく行かない運命だとしても、それでいい。想いを伝えることが、今一番やりたいと思っていたことだから。

「私だって、何もしてあげられないもん。先生が辛いときに一緒にいてあげることも、お姉ちゃんの代わりになることも、できない。でも――」

 先生は目を逸らさず、私の言葉に耳を傾けてくれた。

「先生が好き。大好きです」

 ――この気持ちに応えてもらえなくても、いい。ほんとうに。好きな人を想い続けられるだけで、心は満たされるから。

「その……自信がなかったんだ」

 先生は、先ほどまで気球が浮かんでいた空の一点を見つめながら言った。

「君を想う気持ちが本物なのか、それとも君を通して綾を追いかけているだけなのか。自分でもよくわからなくて……」
「先生……」
「でもね、君が教えてくれたんだ。目の前にある大切なものに、しっかり目を向けなきゃいけないって。だから、今ならはっきり言える――君のことが、好きだよ」

 先生の告白に、私は耳を疑った。

「えっ? ウソ……でしょ? えええっ? これ、私、夢を見てるの!?」

 衝動的に、私は先生の頬をつねってみた。

「いてっ」
「ああ、どうしよう……私、全然痛くない」
「はぁ?」

 キョトンとする先生。私は取り乱して言った。

「やっぱ夢だ。さめろ、さめろ!」

 つねる指に力が入る。

「痛い痛い、霜連。落ち着いて。ほら、君の頬はここ……」

 先生は優しく私の手を取り、そっと私の頬に当てた。思わず、むにゅっとつねってみる。

「痛いっ!」
「あはは、だから夢じゃないってば」

 笑っていると、下から歓声が聞こえてきた。見下ろすと、後夜祭のラストを飾るフォークダンスが始まったところだ。ステージの照明が色とりどりに変化するたび、私たち2人の影が屋上に伸びては、鮮やかに色づいていく。
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