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誕生
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神奈川県某病院。2800グラムくらいの私は、帝王切開で母の腹から生を受けた。
四歳上の姉が生まれた際、予定日よりもかなり遅れたため帝王切開をした母は、私を生む際にも帝王切開で産んだ。姉が大きく生まれたためか、私を見て小さいと感じたらしい。母子手帳にも、「愛香は小さい」と何度か書かれていた。
神奈川の病院で生まれ、退院した後は東京の下町にある家に帰宅。神奈川は母の故郷であり、里帰り出産だったわけだ。それもそのはず、私の家の父はいていないようなものであった。毎日仕事に明け暮れ、遅くに帰ってきては酒を飲み飯を喰らって眠る。そして朝早くに出ていく。母も、こんな生活の父に、長女である姉を任せられなかったのだろう。
姉は、母の入院中、叔母の家や栃木にある父の実家、母の実家にいたようだ。もちろん、その頃のことはよく知らない。なんせ生まれていないから。母の話で聞くと、姉は私の誕生を心待ちにしていたようだ。
キノコが好きだった姉は、私が生まれる前に「赤ちゃんの名前はしめじちゃんがいい」と言っていたそうな。幼い姉なりの、精いっぱいの愛情の証だろう。
生まれてからは、大層姉に可愛がられて育った記憶がある。公園で遊んでいても他の子供から姉に守られ、体力のある母に思いっきり遊んでもらい。父と遊んだ記憶はあまりないが、私にとって姉が第二の母のような存在であり、何かあれば頼れる存在であった。
それ故か、幼いころの私はあまりお喋りの得意な子ではなかったという。きっと、母と姉が言わなくてもわかってくれたからだろう。また、幼い姉は活発でお喋りが好きな子であったから、尚のこと自分が喋る必要せいを感じなかったのかもしれない。
さらには表情も乏しい子であったと。写真を撮るときも笑わず。あるテーマパークに行って笑った時には、母と姉が「笑った!愛香が笑った!」と喜んだそうな。
そんな愛された幼少期を過ごし、約二年。私に大きな転機が訪れる。
弟の誕生と、引っ越しである。
学年にして三つ離れた弟。そして、それとほぼ同時の引っ越し。なにも不便のない東京の下町から、何時間も離れた少し閉鎖的な田舎町へ。出世に伴う父の転勤に、家族皆でついて行った形だった。
そしてこれが私の最初の記憶。新しい家の押し入れに入って、姉と二人で遊んだ。その時は引っ越しなどわからず、初めての押し入れにキャッキャとはしゃいでいた。しかし、いつになっても帰る気配がない。お風呂に入るときに、私は初めて理解した。
あ。私の生まれた家には帰らないのだと。でもそれを二歳半の私は受け入れることなどできず、お風呂に入りたくない、家に帰る!とギャンギャン泣いた。そして、泣き疲れてその日は風呂の前で寝た。
二歳半の子供が泣いたところで、もちろん状況は変わらない。起きても新しい家にいて、数週間かけてその家に慣れていった。
家の変化。そして私にとっての大きな変化である弟。
弟が生まれたときすでに七つだった姉は、また可愛い下の子が生まれたことにより、私を可愛がったように弟を可愛がった。母ももちろん、久しぶりの赤ちゃんの誕生に喜び、弟中心の生活へと変わる。
私は、母も姉も取られた気持ちになった。
私中心の生活で、私を可愛がってくれていた母と姉。どちらも弟に夢中。
姉が私の誕生を喜んだように、私は弟の誕生を喜べなかった。可愛いと思えなかった。こんなの、母や姉にはもちろん、友達にも言えたことがない。私は弟が生まれてこの方、弟を可愛いと思ったことは一度たりともない。
姉として、人として失格である。別に弟の性格に問題があるわけではない。家族に可愛がられた割に優しく温厚で、しっかりとした弟に育ったと思う。でも、好きだと思えないのだ。自分が姉であることの自覚など一切ない。気づいたら家にいた男の子。なんなら、私の居場所を奪った子。そんな感覚である。
さて話を戻し、弟が生まれた後の幼少期の話に戻る。
弟が生まれ、甘えられる場所がなくなった私。そこで丁度よく現れたのが、父親の存在。
転勤してから、いくらか家にいるようになった父。朝や夜だけだったが、家の中で父を見ることが増えた。
しかし、それをよく思わなかったのは姉だ。当然ながら、姉の幼少期に父はほとんど家にいなかった。仕事はもちろん、夜はキャバクラ、土日はゴルフに行っていたから。姉はそれをわかっていた。しかも、女の子にとって、今まで家にいなかった故に親とも思えない男性がいることが不快だったのだろう。
姉は幼少期に、父が仕事に行くのを見送る際、「またきてね」といったそうだ。姉にとって父は、「お父さん」という名の他人の男性。母に向かって「なんでうちにはお父さんがいないの?」とも聞いたという。そのくらい、うちの父は子育てに無関心だった。
でも私にとっては好都合なタイミングで現れた身近な大人。母と姉という甘えられる対象を失った私は、迷いなく父に向かった。
これが私の、人生最大の間違いであった。
父にとって、懐かない姉と、姉にべったりな弟。自身を蔑む妻。そこに寄って来た三歳になる娘。母から見ても、私のことを大層可愛がっていたそうな。でもそれは次第に歪んだ愛へと変貌していくのだ。
四歳上の姉が生まれた際、予定日よりもかなり遅れたため帝王切開をした母は、私を生む際にも帝王切開で産んだ。姉が大きく生まれたためか、私を見て小さいと感じたらしい。母子手帳にも、「愛香は小さい」と何度か書かれていた。
神奈川の病院で生まれ、退院した後は東京の下町にある家に帰宅。神奈川は母の故郷であり、里帰り出産だったわけだ。それもそのはず、私の家の父はいていないようなものであった。毎日仕事に明け暮れ、遅くに帰ってきては酒を飲み飯を喰らって眠る。そして朝早くに出ていく。母も、こんな生活の父に、長女である姉を任せられなかったのだろう。
姉は、母の入院中、叔母の家や栃木にある父の実家、母の実家にいたようだ。もちろん、その頃のことはよく知らない。なんせ生まれていないから。母の話で聞くと、姉は私の誕生を心待ちにしていたようだ。
キノコが好きだった姉は、私が生まれる前に「赤ちゃんの名前はしめじちゃんがいい」と言っていたそうな。幼い姉なりの、精いっぱいの愛情の証だろう。
生まれてからは、大層姉に可愛がられて育った記憶がある。公園で遊んでいても他の子供から姉に守られ、体力のある母に思いっきり遊んでもらい。父と遊んだ記憶はあまりないが、私にとって姉が第二の母のような存在であり、何かあれば頼れる存在であった。
それ故か、幼いころの私はあまりお喋りの得意な子ではなかったという。きっと、母と姉が言わなくてもわかってくれたからだろう。また、幼い姉は活発でお喋りが好きな子であったから、尚のこと自分が喋る必要せいを感じなかったのかもしれない。
さらには表情も乏しい子であったと。写真を撮るときも笑わず。あるテーマパークに行って笑った時には、母と姉が「笑った!愛香が笑った!」と喜んだそうな。
そんな愛された幼少期を過ごし、約二年。私に大きな転機が訪れる。
弟の誕生と、引っ越しである。
学年にして三つ離れた弟。そして、それとほぼ同時の引っ越し。なにも不便のない東京の下町から、何時間も離れた少し閉鎖的な田舎町へ。出世に伴う父の転勤に、家族皆でついて行った形だった。
そしてこれが私の最初の記憶。新しい家の押し入れに入って、姉と二人で遊んだ。その時は引っ越しなどわからず、初めての押し入れにキャッキャとはしゃいでいた。しかし、いつになっても帰る気配がない。お風呂に入るときに、私は初めて理解した。
あ。私の生まれた家には帰らないのだと。でもそれを二歳半の私は受け入れることなどできず、お風呂に入りたくない、家に帰る!とギャンギャン泣いた。そして、泣き疲れてその日は風呂の前で寝た。
二歳半の子供が泣いたところで、もちろん状況は変わらない。起きても新しい家にいて、数週間かけてその家に慣れていった。
家の変化。そして私にとっての大きな変化である弟。
弟が生まれたときすでに七つだった姉は、また可愛い下の子が生まれたことにより、私を可愛がったように弟を可愛がった。母ももちろん、久しぶりの赤ちゃんの誕生に喜び、弟中心の生活へと変わる。
私は、母も姉も取られた気持ちになった。
私中心の生活で、私を可愛がってくれていた母と姉。どちらも弟に夢中。
姉が私の誕生を喜んだように、私は弟の誕生を喜べなかった。可愛いと思えなかった。こんなの、母や姉にはもちろん、友達にも言えたことがない。私は弟が生まれてこの方、弟を可愛いと思ったことは一度たりともない。
姉として、人として失格である。別に弟の性格に問題があるわけではない。家族に可愛がられた割に優しく温厚で、しっかりとした弟に育ったと思う。でも、好きだと思えないのだ。自分が姉であることの自覚など一切ない。気づいたら家にいた男の子。なんなら、私の居場所を奪った子。そんな感覚である。
さて話を戻し、弟が生まれた後の幼少期の話に戻る。
弟が生まれ、甘えられる場所がなくなった私。そこで丁度よく現れたのが、父親の存在。
転勤してから、いくらか家にいるようになった父。朝や夜だけだったが、家の中で父を見ることが増えた。
しかし、それをよく思わなかったのは姉だ。当然ながら、姉の幼少期に父はほとんど家にいなかった。仕事はもちろん、夜はキャバクラ、土日はゴルフに行っていたから。姉はそれをわかっていた。しかも、女の子にとって、今まで家にいなかった故に親とも思えない男性がいることが不快だったのだろう。
姉は幼少期に、父が仕事に行くのを見送る際、「またきてね」といったそうだ。姉にとって父は、「お父さん」という名の他人の男性。母に向かって「なんでうちにはお父さんがいないの?」とも聞いたという。そのくらい、うちの父は子育てに無関心だった。
でも私にとっては好都合なタイミングで現れた身近な大人。母と姉という甘えられる対象を失った私は、迷いなく父に向かった。
これが私の、人生最大の間違いであった。
父にとって、懐かない姉と、姉にべったりな弟。自身を蔑む妻。そこに寄って来た三歳になる娘。母から見ても、私のことを大層可愛がっていたそうな。でもそれは次第に歪んだ愛へと変貌していくのだ。
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