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2章 太陽になれない月
2−1
しおりを挟む「お、おいっ、いきなりなんだ! 」
男はいきなり現れたセレーナに驚き、慌てていた。
セレーナは、子どもの無事を確認すると、まだ痺れたように痛む体を起こし、デジレ夫人に教えてもらった姿勢で立ち上がった。
子どもを庇うように、男の前に立ちはだかる。
「・・・事情は知りませんが、落ち着いて下さい」
セレーナは言葉を選びながら男を見据えた。
とてもこわかった。
こわくないわけがない。
けれど、セレーナは自分の持っている武器でどうにかしなければならないと、姿勢は崩さなかった。
デジレ夫人は姿勢は最初の武器だと言った。
「側から見れば、貴方が子どもにただ暴力を振るっているかのように見えてしまいます」
セレーナは、男を責めないように言葉を選ぶ。
自分の声が平坦に聞こえることも自覚しているので、セレーナは誠意が見えるように丁寧に紡いだ。
「余計なお世話かもしれませんか、話を聞かせて下さい」
男はそんなセレーナに混乱していた。
どう見てもいいところの令嬢の姿をした娘が、大人顔負けの貴族然とした姿で自分の前に立ちはだかっている。
何よりそんな彼女を蹴ってしまった。
彼女が割り込んできたと言っても、自分は貴族に手を出した事には代わりない。
もしかしたら処罰をされるのではないか。
男の頭は完全にパニックになっていた。
冷静な考えなんてできるわけがない。
「いきなりしゃしゃり出てくるんじゃねぇよ! 」
取り乱した男は、とにかく目の前の令嬢をどこかに消してしまおうと叫ぶ。
自分を知っている大人を相手にしたことしかないセレーナにとって、それは予想外の展開。
けれど、セレーナは怯んではならないことは分かっていて、その背筋をブラさなかった。
「ガキがふらつく時間じゃねぇんだよ! 関係ないやつは引っ込んでろっ! 」
思考が完全にドツボにハマってしまった男は、腕を振り上げた。
ぶたれるとセレーナが目を瞑った時──
「何をしている」
酷く冷たく、低い声がセレーナの耳に届く。
そっと目を開け顔を向けると、そこにいたのは公爵だった。
公爵は、男の首元に自分の剣を当て、見た事のない顔つきをしていた。
セレーナさえもそれが恐ろしいと思った。
「お、俺は・・・」
「私の娘に何をしようとした」
剣がぐっと、男の首に喰い込んだ。
彼の喉に赤い線が入る。
「ひぃっ」
男の顔から血の気が一気に引いていく。
「お、お父様っ、違います! 」
セレーナは自分の父親を殺人犯にしたくはないと声を上げた。
そして剣を持つ父の手に、自分の手を添えて、緩めようとした。
「違います。わ、私が勝手に首を突っ込んでしまったのです。私が──」
セレーナは、自分が無防備に飛び出したせいでこの男が殺されてしまうと思った。
インペリウム伯爵と重なって恐ろしく見えたが、それでも彼に死んで欲しいわけではない。
自分がとんでもない大事を起こしてしまった気がして、セレーナは必死に言葉を紡いで、公爵を止めようとした。
「セレーナ」
公爵は眉間に皺を寄せると、険しくさせると、セレーナに悲しげな瞳を向けた。
「本当に、偶然です」
セレーナが言うと、公爵は手を緩め、剣を男の首から外した。
男は腰が抜けて、その場にへたり込んだ。
セレーナはそれを確認すると、男の元に駆け寄る。
「大事にして申し訳ありません。お店は大丈夫ですか? 」
「へ? 」
「お客様が待っているのでは? 」
セレーナはそう言って、早くここから去るように男に伝える。
「はっ・・・へっ・・・し、失礼しましたっ」
男はこれ幸いと立ち上がる。
子どものことはどうでもよくなったのか、さっさと店の中に入って行った。
公爵はそれを追いかけようとしたが、セレーナがそれを止める。
「本当に、違いますから」
セレーナはそう言って、公爵の袖を引っ張った。
父は悲しげな表情でセレーナを見つめた。
「すまない・・・」
「私の不注意です」
公爵のせいではない。
それよりもセレーナは、父がここにいることの方が嬉しかった。
暗くなっても自分を探してくれた。
駆けつけてくれた喜びの方が優って、背中の痛みなんてどうでも良かった。
「よかった」
公爵は目に涙を溜めてセレーナを抱きしめた。
公爵の髪は少し濡れていて、汗をかいているようだった。
今日、二度目の父の胸の中。
公爵はそれが余計に申し訳なく感じているようだったが、セレーナはそんな事気にしなかった。
確かに怖かったけど、公爵がいてくれる。
それで、いいと思えた。
けれど、そう浸っている場合でもなく、セレーナは振り返り、あの子を見つめる。
子どもは地面に膝をついてこちらを向いていた。
特別綺麗だと思わないが、やっぱり赤いその瞳がセレーナの目に止まる。
「立てますか? 」
セレーナは、公爵の胸の中をすり抜けると、子どもに尋ねた。
子どもは、セレーナの声が聞こえているのかいないのか、じっと見つめるばかり。
セレーナは、触れてもいいものかどうか迷った。
さっきは思わず抱きしめてしまったが、もし公爵夫人やインペリウム伯爵のようにセレーナに触られるのが嫌だったら──、そう考えると、安易に手を伸ばせなかった。
それに触ったら折れてしまいそうに細く、どこを怪我しているのか分からない程汚れてしまっているその体。
セレーナは、自分が触ることでその子に痛みを与えてしまいそうだった。
「セレーナ、その子は? 」
公爵がセレーナに尋ねる。
「お店から追い出されるところを見て・・・」
セレーナはそう言って語尾を誤魔化した。
助けたと言うには烏滸がましい。
ただ、この子が自分のように見えただけで、自分のしたことはただのエゴだと思った。
そう思うと恥ずかしくて、セレーナはうまく言葉として消化できず、曖昧な表情を浮かべた。
公爵も微妙な表情を浮かべ、何か言いかけた時、明るい声が聞こえた。
「セレーナ! 」
ソルがセレーナに抱きついてきた。
ズキリと背中が痛むが、セレーナはグッと堪える。
ソルはセレーナにしがみつき、心配したと訴えていた。
なんとも言えない感情に襲われたセレーナ。
公爵の温もりがあっても、あの感情が消えたわけではない。
素直にソルの思いを受け取れない自分が醜く感じた。
「それより・・・」
セレーナはソルから逃れ、地べたに座り込んだあの子に目を向ける。
既に公爵が手を貸して立っていて、背丈はセレーナ達より低かった。
「大丈夫?」
ソルも気づき、セレーナから離れ声をかける。
子どもはソルの方に顔を向けた。
──ソルの方がいいに決まってる
ああいう役割はソルの方が似合う。
セレーナは自分から離れてしまった視線が少し名残惜しかった。
「なんで、そんな服を着ているの? 痛くないの? 」
ソルが子どもに質問攻撃を始めた。
「君、帰る場所はあるのかい? 」
適度な所で公爵がソルを止めると、落ち着いた声で尋ねる。
子どもは身じろぎして、ゆっくりと頷いた。
セレーナの中に“孤児”という言葉が浮かぶ。
本でその存在は知っていたが、間近で見ると、その姿は生活の辛さを物語っていて、セレーナは俯いた。
少しお腹が空いただけで幼子のように叫び逃げた自分が恥ずかしかった。
彼らの生活を想像することはできない。
けれど、今痛む背中よりももっとひどい事だというのは分かった。
そして誰にも頼る人がいない寂しさも。
「そうか、君は食事をする為に来たんだね」
公爵はそっと子どもの手を開かせて、その中にある2枚の貨幣を確認していた。
貨幣も薄汚れていて、セレーナ達の知るものとは違っていた。
「残念だが、これでは店で食事は無理だろう」
公爵は眉を下げて残念そうな顔をした。
「お腹空いてるの? 」
ソルは相変わらず無邪気な声で尋ねる。
子どもは黙って俯いていた。
「なら、ソルの家に来ればいいよ」
ソルが平然と言ってのけた。
「ソルのお家で食べればいいよ! 」
夜だというのに、太陽はやっぱり光り輝いていた。
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