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3章 暗闇と月
3−1
しおりを挟む「セレーナ」
エレンが書庫の本棚の間から顔を出す。
いつもの場所で床に座り込んで本を読んでいたセレーナはゆっくりと顔を上げた。
あの日から1週間も経っていないが、彼はあれからセレーナが書庫にいると必ず姿を現すようになった。
他の時に近寄りもしないのに、なぜか書庫に来るとやって来る。
しかも、いつもの無表情は見間違いかと思う程の愛らしい笑みを浮かべて。
「あ、セレーナ・・・様」
毎度のように彼は言い直す。
使用人教育がはじまったと言っても、たった数日。
そう簡単に身につくものでもない。
「無理に言わなくてもいいわ」
「でも、立場が違うって・・・」
「ここは二人だけだもの。誰も聞いていないわ」
「うん」
エレンはソルのように素直に頷いた。
けれどそれはソルと違って、自分の言ったことを理解してくれている。
そんな感じがする。
「みんなの前では気をつける」
やっぱり、全部言わなくても、セレーナの言葉から察している。
だからなのだろうか、セレーナはエレンと話すのはとても楽だった。
相変わらず、言葉にするまで時間のかかるセレーナだが、それに焦ることもない。
それは、エレンの作り出す空気感なのか、セレーナが彼に親しみを感じているからなのかは分からない。
けれど、セレーナはこの時間が嫌ではなかった。
「セレーナは、また本? 」
「そう、また読んでるの。その為の書庫だもの」
「楽しい? 」
「まぁ、それなりに、かしら? 面白いものもあれば、そうじゃないものもあるから」
エレンはセレーナの周りのものに興味を持って、様々な質問をする。
その姿はやっぱり、普段の彼とは違っていてセレーナはどちらの彼が本物なのか混乱していた。
セレーナの思惑通り、ソルが彼を連れ回したおかげで、彼の評判は悪くない。
公爵が、家令をはじめとして長い付き合いの者にも何か言っていたのかもしれないが、彼の容姿を毛嫌いする人はいない。
むしろ、彼の美しい容姿も静かな性格も好感的に受け取られていた。
けれど、彼は出会った時と一緒で、普段はあまり表情を動かさないし、口数も少ない。
「大人しい子なのね」と使用人達もいささか物足りなさを感じてる程。
あのソルと話す時はそれは崩さない。
ウーノが突っかかってもそうだ。
なのに、セレーナの前ではカチコチに固まっていた顔が溶けたのかと言うほど、とても豊かな表情をする。
セレーナを見つけた時の弾ける笑顔、質問する時の不思議そうな顔、話を聞く時の興味津々な顔、そして、別れる時の寂しそうな顔。
もっともっとある。
それらは、どれもセレーナの目にしっかりと焼きついていて、ふとした時それが思い浮かぶ。
それは、ソルと違う自分に悩んでいる暇もない程に。
けれど、セレーナはなぜエレンが自分にそれらの表情を見せるのか分からなかった。
見れて、セレーナは嬉しいのだが、彼はどういうつもりなのだろうか。
そう考えるも、エレンが安心したように自分の隣に座る姿を見ると、どうでも良くなってしまう。
「なんて書いてある? 」
エレンがセレーナに尋ねる。
その顔は、知りたくして仕方ないと言っていた。
セレーナはなんでこんな事を知りたがるのだろうと思いつつも答える。
「白魔女と黒魔女のお話よ。あなたが家に来た時にソルが読んでいたでしょ? 」
それで、思い出したようにセレーナも読んでいた。
だが、セレーナに尋ねられたエレンは、首をこてんと傾げた。
さっぱり記憶にないらしい。
──緊張していたのかしら・・・
あの日の事を思い出し、一人納得するセレーナ。
仕方ないとその物語をエレンに教えた。
白魔女と黒魔女のお話は、昔からある有名な童話。
よく公爵夫人がソルに読み聞かせていたのを憶えている。
白魔女は、心優しい魔女。
彼女の魔法は、なんでも生み出す魔法。
日照りが続きカラカラになった大地には、雨が降るように。
真っ暗で何も見えない夜には、作業ができる明かりを。
怪我をして泣く子を見つければ、よく効く薬を。
彼女はそれを人々の為に使い、人々は彼女に感謝した。
けれど、白魔女と同じ魔女でも、黒魔女は嫌われ者。
彼女の魔法は、なんでも消してしまう恐ろしい魔法。
折角育った作物も、彼女にかかれば一瞬で消える。
井戸の水も枯れさせるし、鶏舎も空っぽにできてしまうだろう。
その魔法に人々は常に怯えていた。
次第に、人々は黒魔女が自分たちの命を奪うのではないかと言い始めた。
それだけの事をする力が彼女にはあった。
その不安は次第に大きくなり、ついに人々は武器を手にした。
そうやって、人々は黒魔女の争いが始まった。
黒魔女は自分を襲う者に容赦しなかった。
白魔女はその争いを止める為に、黒魔女に魔法を使わないと約束してくれと頼んだ。
そして、人々が怯えなくてもいいようにずっと遠くの人のいない地で暮らしてくれと。
しかし、黒魔女はそれを拒否した。
自分がどこにいようとも、人々が自分を恐れる限り彼らは諦めない。
だったら、自分は害をなそうとする者がいる限り争うと言って一歩も譲らなかった。
消えゆく人々を哀れに思った白魔女は、黒魔女の魔法が効かない屈強な騎士を魔法で生み出した。
彼らは人々を黒魔女の魔法から守った。
そして白魔女は一人で黒魔女の元に向かった。
黒魔女の動きを止めると、白魔女は自身の全ての力を使って、大きな樹を作り出した。
白魔女が作ったその樹はみるみる大きくなり、対峙していた白魔女と黒魔女を包み込むと、眩い光を放ちながら地上に降り立った。
そして、白魔女の犠牲の元、黒魔女の消えた世界は平和になった。
二人を包んだ大樹は、今も年中枯れない樹として、白魔女の作った騎士に守られて白銀の葉を放ち続けている──
「変だ」
セレーナが教えた内容が気に食わなかったのか、エレンは眉間に皺を寄せた。
「それ、変だよ」
「昔から伝わる童話だし、残酷なところもあるわよね。私もこわいと思ったわ」
「違う。みんな変」
エレンはどこか拗ねたような言い方をした。
「黒魔女、何もしてない。こわくない」
確かに最初は黒魔女は何もしてない。
その力を持っていただけ。
けれど、その力を使って結局人々を苦しめてしまった。
それに──
「・・・何もしてないけど、いるだけでダメなこともあるの」
本の上に置いていたセレーナの手に力がこもった。
黒魔女は自分のように思える。
そこにいるだけで、公爵夫人やインペリウム伯爵達を不愉快にさせる。
公爵だって、セレーナがいなければ公爵夫人にあんな言い方をされなくても済んだ。
「そうだ。本当かどうかは分からないけど、この樹は今のキル教皇領にあるって聞いたことがあるわ」
「キル? 」
「キル教のことよ」
話題を逸らしたセレーナは、エレンにキル教の話をした。
そして、他にも色んな話があって、セレーナが好きな物語の話もした。
惨めな自分をエレンに知られたくなくて、誤魔化した。
横でキラキラと輝く赤い瞳を見つめて、セレーナは気分を取り戻した。
「いいな。僕も読みたい」
本の話をしていると、エレンが呟いた。
彼はセレーナの膝にある白魔女と黒魔女の本を指で突いていた。
「読んでいいよ」
セレーナがそう言って、本を渡そうとすると、エレンは勢いよく頭を横に振った。
「僕、文字、読めない・・・」
顔を曇らせて言うエレン。
世の中には教育を受けれない人もいる事を思い出したセレーナ。
エレンの環境では仕方ない事だと理解したセレーナは、迂闊な自分を悔いながらも、どうするべきか考えを巡らせた。
「なら、覚えればいいだけよ」
セレーナは持っていた本をエレンに見えやすいように持ち上げた。
エレンはそれを不思議そうに眺める。
「読めないなら、読めるように文字を覚えるの。本を読めば、おしゃべりも上手くなるわ」
前からエレンの話し方は少し変だと思っていたセレーナ。
言葉を覚えるのにも役立つし彼のためになるだろうと口にしたが、エレンは顔を真っ赤にして下を向く。
「だって・・・僕、話す人も、教えてくれる人もいなかった。だから・・・」
セレーナはまた言い方を間違えたと顔を顰めた。
エレンにこんな事を言わせるつもりはなかった。
けれど、ここで謝っても余計に彼を惨めにさせてしまうのは分かる。
彼は同情して欲しいわけではない。
「分かった。私が教えてあげる」
セレーナは、責任を持つべきだと、エレンにそう持ちかけた。
言い出した自分が最後までやり遂げなければ使命感も芽生えていた。
エレンは「いいの? 」と期待に満ちた目をこちらに向ける。
セレーナは余計に期待に応えなければと、ゆっくりと頷いた。
「本が楽しくなると思う」
そうなればいいのになとセレーナが思った。
ここで彼と本について語り合えたら、同じ話題をもてたら楽しい気がした。
「でも、これは秘密ね」
セレーナは自分の口の前に人差し指を置いた。
──私は月だから、黒魔女だから目立っちゃダメ
エレンに迷惑をかけたくなかった。
そして、不思議そうに首をかしげる彼を見て、明日が特別な日である事を思い出した。
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