太陽になれない月は暗闇の公爵を照らす

しーしび

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3章 暗闇と月

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「秘密・・・? 」

 エレンはそう呟くと、質問を口にした。

「文字、覚える事は・・・悪い? 」
「そんな事ないわ」

 セレーナは首を振りそうではないと否定した。
 けれど、これをどう説明するべきなのか、セレーナには分からなかった。
 エレンに対して誤魔化すこともしたくないが、何をどう話せばいいのか。

「うまく言えないけど、人に知られない方がいいと思うの。理由は聞かないで・・・」

 結局、そう正直に言うしかなかった。
 すると、エレンはしばらく黙ってセレーナを見つめた後、「分かった」と頷いた。
 そして、ふわりと笑みを浮かべる。

「お月様は、恥ずかしがり屋」

 いきなりのエレンの発言に、セレーナは目を丸めた。

「すぐ雲に隠れる。全部、顔を出さない日もたくさん」

 エレンが月の満ち欠けの話をしていると分かったセレーナ。

「月はそうね」
「セレーナも同じ」
「私は・・・」
「よく隠れる」

 そう言われればそう。
 セレーナは人目を避けてはいる。
 それは、ウーノの言うように人見知りなんかではない。
 けれど、よくない事のように思っていた。

「セレーナは、お月様」

 エレンが嬉しそうに笑うのに、セレーナはぎこちない表情を浮かべる。

「・・・いいことじゃないよ」

 そう口にして、セレーナは俯いた。
 月は太陽にはなれないから。
 時々、そのおこぼれの光を浴びて暗闇でしか輝けない存在。
 セレーナは、そんな月にもなれない自分が悲しい。

 すると、エレンは自分の膝に頬をのせて、セレーナを覗き込んだ。

「僕ね。セレーナは、お月様ぴったりと思う」

 エレンは、少しいたずらっぽい笑みを浮かべ、セレーナを見つめる。

「夜はね、いつも怖い。真っ暗で、どこにいけばいいの分からないの」
「・・・」
「だけど、お月様がある日は嬉しい。寝るの、怖くない」

 そう言われると、自分を覗き込むエレンを注視できなくて、セレーナは顔を上げて距離をとった。
 けれど、エレンは見惚れてしまうような笑みを消さなくて、セレーナは視線を彷徨わせる。
 エレンはどんな思いで夜を過ごしていたのだろうか。
 セレーナは想像を膨らまし、なんとも言えない気持ちになった。
 ただ、皆が寝静まって必要とされない光を出しても相手にされない月は、エレンに見つけてもらえて嬉しかっただろうなと思った。

「あの日も、セレーナが来て、僕、ほっとした。殴られるのは痛い。慣れてるけど、嫌だったから・・・」

 そう言って、エレンは視線をすっかり治ったセレーナの背に目を向ける。

「ごめんね・・・」

  悲しそうに瞳を揺らしてエレンは言った。
  そんな瞳の煌めきもいいと思うのは不謹慎だろうか。
 セレーナはそんなことを思いながらエレンを見下ろしていた。

「だからね、セレーナは僕のお月様なんだ」

 そう言われると、セレーナの中にポンポンと何かが弾ける。
 それはお腹の奥の方から始まって顔までくる。
 セレーナはなんだか、耐えられなくて、そっぽを向いた。

「・・・私の加護は月の神なの」

 エレンに知って欲しくて、セレーナは気づいたら口にしていた。

「加護? 」

 けれど、エレンの反応はイマイチだった。
 どうやら、かごというものを知らないらしい。

「3歳の時、神殿で洗礼を受けてないの? 」

 セレーナは加護に説明した後、エレンに確認した。
 エレンの母親が亡くなったのが5歳だとすれば、洗礼を受けていてもおかしくないと思ったのだが、エレンは加護の話など全く記憶にないらしい。

「お母さんはいつも忙しかったから」

 エレンは遊んだ記憶もあまりないのだと言った。
 そこでセレーナも洗礼にお金がかかることも思い出した。
 もしかしたら平民にはそんな余裕がないのだろうか。
 エレンの暮らしていた状態がどんなものかセレーナにはさっぱりだが、セレーナの常識がエレンにとっても必ずそうではないのだと知った。

「でも、悪魔にも神様は加護をくれる? 」

 エレンが不安そうにセレーナに尋ねた。

「悪魔は作り話よ。人間は悪魔ではないわ」

 中身が悪魔のような人もいるが、それはエレンには当てはまらない。
 そして、彼にだけ加護がないわけないと思った。

「あの──」
「エレーーーーン! 」

 セレーナが口を開いたのと、ソルが庭で叫んだのは同時だった。
 どうやら、ソルは姿の見えないエレンを探し回っている様子。

「ソル様だ・・・」

 エレンは、小さな息を吐き出すと、顔を膝に埋めた。
 エレンはソルの事をどう思っているのだろうか。
 セレーナはそれが気になったが、口には出せない。
 はっきりしてしまうと、今が消えちゃいそうな気がした。

「エレン、行った方がいいわ」

 セレーナは、本当はもっと一緒にいたい思いを閉じ込めた。
 孤児出身の彼には、ソルという後ろ盾はとても強いものだから。
 ソルが彼を気に入っているなら、その方がいいに決まっている。

「・・・うん」

 エレンは何か言いたげな顔をしていたが、ゆっくりと立ち上がった。
 「またね」とはセレーナは言えなかった。
 いつも約束しているわけじゃない。
 けれど、また彼が現れてくれることを願いながら、その背中を見送った。





 セレーナはエレンと別れた後、厨房に向かった。

 厨房は朝食の片付けを終え一息ついていたのか、料理長が一人で座っているだけだった。
 扉は開いていたので、セレーナは顔を覗かせながらノックをする。
 料理長は顔を上げてセレーナを見るとすぐに立ち上がった。

「これはセレーナお嬢様、めずらしい」

 確かにセレーナは厨房に足を踏み入れた事はほとんどない。
 ソルはよく出入りしているが、なんとなくセレーナは料理もしない自分が足を踏み入れてはいけない空間のように思えた。
 それは使用人達の居住区や専用廊下も同じように感じていた。

「少し、頼みたいことがあるの」
「なんでしょうか? 」
「明日、何かお菓子を作ってもらいたいの」
「明日、ですか・・・」

 料理長は豊かな口ひげの間から戸惑った声を出す。
 やっぱり迷惑だろうかとセレーナは慌てた。

「忙しかったらいいの。迷惑をかけたかったわけじゃなくて・・・」

──ただ、エレンとお祝いしたかったの

 その言葉は飲み込んだ。
 明日はついにセレーナとソルの10歳の誕生日。
 まだ社交界をデビューする12歳ではないため、大きな会は開かない。
 公爵は仕事で帰って来れないので、誕生日会は当日にはしないことになっている。
 けれど、近々屋敷のものだけで小さな会をする。
 別邸にいる公爵夫人は今年は参加するのかは知らない。

 だから、何もない予定の明日は、エレンと祝って過ごしたかった。
 書庫にそう長く居座るわけにはいかないが、ほんの少しの間だけひっそりと自分の誕生日を楽しみたかった。

 他の人には知られたくはない。
 きっと騒がしくなってしまうし、黒魔女の自分が関わって彼に迷惑をかけたくはなかった。
 そんなセレーナを見ていた料理長は、「そうですね」と考えるように声を出す。

「明日は慌ただしいので、今日の時間がある時に作りましょう。クッキーなら次の日に食べでも問題ないかと」

 料理長の提案にセレーナは大きく頷いた。
 エレンがクッキーは美味しいと言っていたので、なんの問題もない。

「出来上がるのは夜遅くなりますので、明日取りに来ていただけますか? 慌ただしくなるので、できれば朝起きてすぐだと嬉しいのですが」
「遅くても起きて待っているわ」

 そんなに忙しいのならとセレーナなりに気を使ったが、料理長は笑って首を横に振った。

「いえいえ、大丈夫ですよ。お嬢様は楽しみにしてゆっくり眠ってください」
「でも、無理を言っているのは私なのに」
「これぐらいなんともありませんよ。何より、お願いなんて滅多にされないセレーナお嬢様の頼みですからね。私は嬉しくて仕方がないのですよ」

 どこまでが本心でどこまでが社交辞令なのかセレーナには分からなかった。
 けれど、セレーナは彼が作ってくれることが嬉しくて、口をぎゅっと閉じてそれを噛み締める。
 明日はいい日になりそうだ。
 セレーナは料理長に感謝を伝えると、課題をするため浮ついた心で部屋に戻る。

 初めての経験にセレーナは少しだけ浮かれていた。
 だから、なんで厨房が忙しいかなんて考えもしなかった。
 ただ、エレンとどんな話をしようか、文字をどうやって教えようか。
 それを想像しては、笑みをこぼす。
 それは食事中、ソルやウーノに不思議がられるほどで、セレーナは顔を引き締めるのに苦労した。

「明日は沢山プレゼントが来るかな? 」

 ソルも明日が楽しみなのか、足をバタバタさせて言った。

 誕生日会はしないにしても、公爵家と繋がりのある家からセレーナ達にプレゼントが贈られてくる。
 それは毎年山のようで、さすが王家の次に権力のある公爵家。
 だから余計に公爵に強請る誕生日プレゼントは困ってしまいし、セレーナはいまだに決めれてない。

 セレーナはお行儀が悪いと足をばたつかせるソルに注意したが、ウーノが「いいじゃん」と止めた。

「今日は僕たち3人だけだし、誰も見てないし」

 ウーノは安易にそう口にした。

「身につけて仕舞えば苦にはならないわ。ウーノも音を立てないで」

 ソルを庇うつもりが自分までも叱られ、ウーノは首をすくめた。

「セレーナ姉様は厳しすぎるよ」
「セレーナは作法が完璧だからね。ちょっとダメなこともすぐ気づいちゃうんだよ。少しぐらいいいのに」

 ソルが口を尖らせてウーノに便乗した。

「完璧なんかじゃないわ」
「でも、デジレ夫人はいつもセレーナを見習えって言われるもん」
「それは、ソルがサボってばっかだからでしょ? 」

 そう言い返せば、思い当たる節ばかりのソルはウーノと同じように首をすくめた。
 セレーナよりも二人の方が双子のようだ。

「・・・やっぱりセレーナは意地悪だ」

 苦し紛れにソルがフォークを口に咥えて言った。

「ソル姉様は、授業は出た方がいいよ」

 ウーノは、セレーナを言い負かす事はできないと思ったのか、標的をソルに変えた。

「僕だって嫌だけど出てるもん」
「ウーノの裏切り者」
「だって、僕がやっと遊べる時間になっても、ソル姉様遊び回って屋敷にいないじゃないか。一緒に遊びたいのに。最近はエレンばっかに構うし」

 セレーナはウーノがソルに噛み付くのが珍しいと思って様子を見ていたが、結局は大好きなソルを取られて不貞腐れているだけだった。
 セレーナは二人ともあいわらずだと呆れた。

「ウーノ、遊びたかったなら、そう言ってよ。怒る事ないじゃん」
「僕と遊んでくれる? 」
「もちろん! ウーノの好きな騎士ごっこもしてあげる」

 セレーナはそんな二人の会話を、食事の手を止める事なく穏やかな気持ちで聞いていた。

──本当に仲がいい・・・

 微笑ましいなと思い、セレーナはぴたりと手を止める。

 なぜ、彼らを見て疎外感が湧かないのか。
 セレーナは、平気なふりをしながら家の中ではいつも孤独だった。
 ソルとウーノの遠慮のない姉弟らしい会話を聞けば、小言しか口に出せない自分が嫌になっていた。

 なのに、今はそれに羨ましがることもなく、ふりをすることもなく平気に食事をしていた。
 いつもは味を感じないのに、そのおいしさにだって浸る余裕がある。
 違うことがあるとするなら、一つだけ。

──エレン

 たった数日。
 彼と何かしたわけではない。
 環境が変わったわけではない。
 ただ言葉を交わしただけ。

 なのに、こんなにセレーナの中で彼が大きくなっている。

「ソル」

 セレーナは楽しそうにウーノと戯れているソルに声をかけた。
 「なあに? 」と愛らしく首を傾けるソル。
 セレーナは、少しだけ息を吸い込みソルを見つめる。

「彼、自分の加護を知らないんだって、洗礼を受けてないらしいよ」

 できるだけ自然に聞こえるように、セレーナは言った。
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