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3章 暗闇と月
3−4
しおりを挟む「セレーナをまたいじめたらただじゃ置かないんだからっ! 」
飛び出してくるなり、ソルは持っていた木の棒をアーサーに向けた。
アーサーはいきなり飛び出したソルに驚き、バランスを崩したのか、その場に尻餅をついた。
「いたっ」
その場に戦慄が走る。
セレーナはなぜ神殿に行ったはずのソルがここにいるのか、その持っているものはなんだと思ったが。
それよりも何よりも、こんな大勢の前で王子に不敬どころではないと、悲鳴に近い声を上げた。
「ソル! 」
けれど、ソルが反応する前に、アーサーの護衛が動いた。
すぐにアーサーの安全を確保するために、アーサーを下がらせて、守るように取り囲む。
そして、例の耳打ちをしていた護衛が、ソルの前に立ちはだかる。
使用人の誰かの息を飲む声が聞こえた。
「な、何よぉ・・・」
瞬く間に状況が変わってしまい、無鉄砲なソルも流石に怖気付いた。
けれど、一歩として引こうとはせず、木の棒をしっかりと前に構えて緩めていない。
「ソル、やめて。殿下よ」
「わ、わかってるもん」
涙目のソルがセレーナを振り返った。
その顔はもう、助けてと言っていた。
「殿下はこの前の事で心配されて来たの。何もされてないわ」
セレーナはソルに状況を説明し、謝罪するしかない。
セレーナはそっとソルの両手に手を添え、木の棒を下ろさせそうとした。
けれど、震えているくせに、ソルは中々それを下げない。
「大丈夫だから」
セレーナは直接木の棒を持って、手放すように促す。
前回の反省から、まずはソルの説得から始めた。
弱気になっている今ならなんとかなるかもしれないと思っていた。
「で、でも・・・セレーナ、怒鳴られてたじゃんん~」
ソルのまんまるな目にはこぼれ落ちそうな涙が溜まっている。
唇は震えていて、既に泣いていると同然だった。
「も、申し訳ないっ! 」
先ほどとは違ったアーサーの叫び声が、大きな男達の間から聞こえた。
アーサーは、ソルの前にいる護衛に説明し始める。
「私がっ、私が悪いのだ・・・。前も、彼女を怒鳴ってしまったから。さっきも私が勝手に転げただけだ」
そのアーサーを見ていたソルの力が少し緩んだ。
セレーナはその隙に木の棒をそっと奪う。
「この子は私の妹です。私が危害を加えられていると守ろうと思っただけで、決して殿下を害そうとしたわけではありません」
セレーナはそう言って、棒を護衛に差し出した。
護衛は、セレーナ達の会話とアーサーの説明で納得したのか、頷いてそれを受け取ると、ソルを見据えた。
「まさかとは思いますが、公爵家のご令嬢であるあなたは教育を受けておられないのですか? 」
冷たい声がソルに降りそそる。
セレーナはそんな言い方をソルにする人が珍しく、彼の顔を見た。
大人は大人しか見えないセレーナだったが、護衛の彼は公爵よりも若く見える。
きっちりと決まり通りに制服を着こなし、屈強そうなその体は、ソルが棒を振っただけではびくともしなさそうだった。
「ご令嬢は、不敬罪に問われる行為だという自覚はありますか? 」
そう問われ、ソルはフルフルと子犬のように怯えながらそれを否定した。
セレーナは喉がひゅっと締め付けられる。
──どうしよう。どうしよう・・・
彼も恐ろしいが、ソルがどうなってしまうのかが、セレーナをとてつもなく不安にさせる。
ソルがやった事は悪かった。
けれど、ソルは決して悪気があったわけではなく、ソルにはソルの正義感で動いていた。
しかし、セレーナにはそれをどう彼に説明して説得するべきなのか、ソルを助けるにはどうするべきなのか頭では色々考えてはいたが、体が固まったように動かない。
セレーナも最悪の事態になるのではと、こわかった。
「だ、だって・・・ソルは・・・」
「なんですかその言葉遣いは。幼子ではあるまいし。テッサロニキ卿はこの程度のしつけもされていないのか」
あからさまに侮蔑の表情を見せる護衛。
「公爵家の名が泣きますね」
「お父様を悪く言わないでっ! 」
ソルは顔は、頬に大粒の涙を流しながら叫んだ。
けれど、護衛はそれになんの反応を示さず、ソルを見下ろす。
「そうさせているのは、あなた自身ですよ。私を責める前にご自分の行いを振りかっていただきたい」
野太い護衛の声は、決して怒鳴ってはいなかったが、ソルの涙を止めるには十分だった。
「あなたがこれを一振りでもしていたならば、すぐさま腕は気落とされていたはずです」
とんでもない言葉にセレーナは青ざめた。
「我々騎士はこの剣を抜く時は、それだけの覚悟を持っております。あなたはそれだけの覚悟をされていましたか? 王族を相手にしているという意味を理解されていましたか? 」
威圧的に発せられる彼の言葉は、セレーナにも向けられている気がした。
子供だからと許される事ではない。
セレーナも分かっていたが、ソルだから。
そんな事を思っている自分がいたことに気づく。
けれど、護衛の言葉に反応したのはソルでもセレーナでもなく、ウーノだった。
「ソル姉様が死んじゃうーー」
ウーノは垣根から顔を出し、わんわんと泣き出す。
彼の担当の侍女がすぐに駆け寄り、彼を宥めるが、簡単には泣き止まない。
ウーノまで現れたことにセレーナは驚きながらも、頭は少しだけ冷静になれた。
それは、ソルも同じだったようで、丸い目をウーノに向けた後、自分の両手を見つめ、グーパーと開いている。
「この度は、誠に申し訳ありませんでした」
セレーナが頭を下げると、家令たちもそれにならった。
ここは公爵家としての誠意を見せるしかない。
「いやっ、違う。やめろっ」
それを止めたのはアーサーだった。
危険はないと判断されたのか、アーサーは護衛の間をかき分けて前に出てくる。
「何度も言っているだろ。私が悪かったんだ」
アーサーは護衛の男に訴える。
「前に勘違いさせることをしてしまった。だから、私の責任だ。彼女が勘違いするのも無理はない。私は、大丈夫だ」
「殿下、あなたの体は国のものです。軽々しく、大丈夫などと口にしないで頂きたい。それを判断するのはあなたではありません」
「それはお前でもないはずだ」
アーサーと護衛の男は睨み合う。
「ご、ごめんなさい」
ソルがカバリと勢いよく頭を下げた。
「ソ──、わ、わたし、怒鳴り声が聞こえたから。だから、セレーナがいじめられているのかと思って・・・、だから、それで王子を叩つつもりはなかった・・・です。でも、王子が相手でも関係ないって思ってたのは本当で・・・本当にごめんなさいっ」
なれない言葉を使いながら、ソルは言った。
「分かった。そなたの謝罪は受け入れよう」
「殿下」
「私が許したのだ。いつから、私を命令する立場にある。お前の仕事ではない」
真っ赤な顔をしていた姿が嘘のようにアーサーは凛々しい声を出した。
それはお茶会での王族らしい振る舞いの時の威厳があった。
「それにこの度は、私が謝罪をしに来たのだ」
そう言って、アーサーはセレーナに向き直る。
「その・・・」
けれど、たくましいとも言えた表情はセレーナの前では行方不明になる。
やかんが沸騰したかのようにみるみる間に真っ赤になっていくアーサー。
モゴモゴとしていたが、息を大きく吸い込んだアーサーは意を決したように言葉を発した。
「あの時は、すまなかったっ」
アーサーが頭を下げる。
セレーナはそれに慌てた。
「殿下、いけません」
セレーナは止めようとするも、アーサーはそれを遮る。
「ずっと謝りたかったのだ。考えれば考えるほど、私の行いは褒められたものではなかった」
それで公爵に頼んでいたのかとセレーナは納得した。
「無闇に出歩いて、殿下を驚かせた私が悪いのです。気にしておりません。むしろ謝るのは私の方です」
「いや、驚いたのは驚いたのだが・・・、そういうことではなく・・・君に責任は・・・いや、それは・・・ただ、その・・・」
セレーナは何か恥じらう様に言うアーサーの言葉をじっと聞いていたが、内容は分からない。
「と、とにかく! 俺はそなたに会いたかったのだ! 」
アーサーは思い切った様に言った。
だが、その必死な様子はいまいちセレーナには伝わらない。
「そう、ですか・・・」
──なんで私に?
そう思いながらも、セレーナはなんと答えていいのか分からなかった。
相手の意図が全く読み取れない。
けれど、アーサーは満足したようで、例の護衛の男に「これでいいだろ」と投げやりに言って、男もため息をつきながら、「殿下がよろしいのなら」と引き下がった。
彼は真っ直ぐで忠誠心の強い人なのだろうなとセレーナは思った。
ソルはもう一度、アーサーに謝罪し、アーサーも受け入れる。
そして、護衛にもソルは近づいて、頭を下げた。
「・・・ごめんなさい」
「こどもだと許されるのはほんの一部です。大半は責任が伴います」
護衛はそう言い残して、屋敷を去った。
アーサーは本当にセレーナに会いに来ただけらしい。
今日のことはくれぐれも口外しないようにと、護衛から言われた。
言われてみればはちゃめちゃなことだった。
王子に怒鳴りつけて棒を振り回し、謝りはしたが、結果的に王子も頭を下げてしまった。
あまり大っぴらにすることではないなとセレーナと家令の間でも意見は一致した。
「ですが、旦那様には報告しますね」
家令は疲れた顔でそう言った。
なんとも嵐のようなひと時だった。
アーサーのことも──
──よく分からない人
それが正直な感想だった。
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