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3章 暗闇と月
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しおりを挟むデジレ夫人がセレーナを連れて来たのは孤児院だった。
郊外の神殿に併設してあるその孤児院は、お世辞にも綺麗とは言えない。
よく言えば、古風だとも言えなくもないが、伝統的な造りをしたその建物から清潔感はあまり感じられなかった。
デジレ夫人はすでにその施設の管理者と話をつけていたのか、「今日はよろしくお願いします」と言って、その建物に入って行った。
セレーナもそれに続く。
内部も想像通りの古びたものだったが、意外にも掃除は行き届いていて、そこまでの嫌悪感はなかった。
いくつかの部屋の前を通り過ぎれば、そこから子どもたちがひょっこりと顔を出す。
──かわいい・・・
チラリと振り返れば、恥ずかしそうに引っ込める彼らの姿は微笑ましかった。
けれど、どのこもセレーナよりも幼い子ばかり。
ギリギリ、エレンのような小柄な子もいるが、それでも幼い子ばかり。
それから、デジレ夫人は『院長』と呼ばれた人の部屋に入り、話を始めた。
「これはこれは、夫人。お久しぶりです」
神官の服を着た男はデジレ夫人を快く迎える。
デジレ夫人も慣れたように彼と挨拶を交わす。
「ご無沙汰しております」
「2ヶ月ぶりですかな? 前は1ヶ月と空けずに来られたのに」
「えぇ、近頃は腰が弱くなって、歳には敵いません」
そういうデジレ夫人の背筋はまっすぐ伸びたまま。
セレーナはそれが社交辞令なのか判断に困った。
「おや、そちらのお嬢さんは? 」
院長はセレーナを見つけ声をかける。
「私の教え子です」
「テッサロニキ公爵家のセレーナです」
デジレ夫人に紹介され、セレーナも教わった挨拶をする。
顔を上げれば、いつもの厳しい顔のままデジレ夫人は頷いた。
「これはこれは、公爵家の」
「今日は、社会見学として連れて来ました」
「それは結構なことですな。ささ、まずはこちらを」
デジレ夫人は、孤児院の話を聞き、セレーナもそれに耳を傾けた。
何にどれぐらいの費用がかかったなどの事務的な話から、世間話にも思えるものまで、さまざまな話題が飛び交う。
そこには関連性があるようでないようで、セレーナは必死にそれを聞き、彼らの意図を考える。
「なるほど。今年の冬は厳しいかもしれませんね」
どこからデジレ夫人はそう判断したのか、セレーナにはさっぱりだった。
けれど、院長はデジレ夫人の反応を前から分かっていたかのように頷いた。
「冬前に引き取り手のできる子が増えればいいのですが、まだ・・・」
「では、いつものように」
「えぇ、こちらに。セレーナ様も」
今度は院長に連れられ、セレーナたちは食堂らしき場所に連れてこられた。
そこでは、2人程の女性が食事の準備をしており、数人の子どもが配膳を手伝っていた。
まだ手伝いもできないような幼い子は、床で遊んでいたり、大人しく座っていたりとさまざま。
──あんな小さい子も?
修道女の一人の背中には赤子がいた。
すると、デジレ夫人がさっと彼女に近づいた。
「それでは、仕事にならないでしょう。こちらへ」
デジレ夫人は慣れた手つきで、赤子を抱くと、側の邪魔にならない場所にあった椅子に腰をかける。
すると、彼女の元へわらわと床で遊んでいた子がやってくる。
「ねぇ、なんで来なかったの? 」
「今日はいつまでいる? 」
「ねぇねぇ」
「一人ずつお話しなさい。それがマナーですよ」
「マナーって何? 」
「相手への気遣いです」
どんな幼い子でもデジレ夫人の対応は変わらない。
騒がしくなって泣き出した赤子にまで「泣くのは結構ですが、我慢を覚えるのも必要です」などと真顔で説教をしている。
そして、デジレ夫人は彼ら一人ずつと話し始めた。
「さて、あなたは少しは力はつきましたか? 」
「そうだぞ。俺はこんな大きなもんでも運べるんだ」
「それは雑に扱っていませんよね」
「こいつ壊してたよ! 」
「あっ、いうなよ」
話からデジレ夫人がここに来ていることは分かったが、セレーナはそれぞれの子のことまで記憶しているのかと目を丸めた。
口にすることはデジレ夫人のままなのに、何か異なった人のように見えた。
そんな光景をぼんやりと見ていると、セレーナはクイッとスカートの裾を引っ張られた。
驚いて見下ろすと、セレーナの腰ぐらいの小さな女の子がこちらを見上げていた。
「お姉ちゃんも遊ぶ? 」
その子は、くたびれたぬいぐるみを抱きしめてセレーナに尋ねた。
「遊ぶ? 」
「え、私は・・・」
セレーナはどう答えるべきか迷って、デジレ夫人に助けを求めたが、デジレ夫人は子どもとの会話でこちらを全く見ていない。
辺りを回せば、あたふたと配膳を準備している子が目に入る。
彼らは、走り回る子どもたちに当たらないように気をつけながら持ち運ぶ。
「これから食事の時間? 」
セレーナは女の子に問いかけた。
すると、それだけに嬉しかったのか、ぬいぐるみを両手で抱きしめ、ぴょんぴょんととび花ねらが「うん。みんなで食べるの」と答えた。
「では、まず、食べる準備をした方がいいわ。遊ぶのはそのあとに」
「えぇ~」
「その方が、ゆっくり遊べて、きっと楽しいと思うのだけど」
「あ、うん! 」
そういうと、女の子はセレーナを引っ張って座る場所を教えてくれた。
ひとまず、彼女が走り回るのは回避できた。
セレーナは、そっと配膳をしている子に近づき「これをどこに運べばいいのでしょう? 」と問いかけた。
その子はいきなり現れた貴族の令嬢に驚いていたが、セレーナが手伝うと言えば、ありがたいとセレーナに説明をしてくれた。
セレーナはそれから、次から次へと話しかけてくる子に座るように声をかけ彼らの手伝いをした。
決して手際がいいわけではなかったが、駆け回る子がいない分、他の人の仕事は捗っていた。
けれど、それとは別にセレーナは彼らの食事が気になった。
──これだけ・・・
硬そうなパンに、少しの具のスープ。
セレーナのいつもの食事に比べるとかなり貧相だった。
いや、街から帰ってきたソルに教えてもらった平民の食事はもっとボリュームもあったように思う。
なぜ彼らはこんな食事だけなのだろう。
セレーナはそう思いながら、彼らが食事をするのを見届けた。
そして、食事が終わり、子どもたちの勢いに押されそのまま外に連れ出されたセレーナ。
子どもたちはセレーナが珍しいのか、ひっきりなしに、あれをしよう、これをしようと連れ回す。
セレーナの知らない遊びも「こんなことも知らないの? 」と言われながら、教えられ付き合うこととなった。
そして、しばらくしてやっと解放されたセレーナ。
一人であの人数をよく相手できたなと自分で思いながらセレーナは近くの木陰に行く。
「セレーナ様、彼らを知ることはできましたか? 」
いつの間にか近くにいたデジレ夫人がセレーナに尋ねた。
セレーナはその質問に首を傾げる。
「私は、遊んだだけです」
「ですが、彼らの生活を見ることはできたはずです」
セレーナは庭を駆け回るか彼らを見つめる。
「・・・分からない事がたくさんあります」
セレーナは頭に広がる疑問を一つ一つ口にした。
なぜ、ここにはセレーナ以上の歳の子はいないのか。
なぜ、今年の冬は厳しいのか。
なぜ、神殿の支援を受けているはずの孤児院がここまで質素なのか。
なぜ、わざわざ安全とは言い切れない郊外にいるのか。
いくら考えても、何も答えは出てこない。
「今年は北部の作物の出来が悪く、他の地域でも干ばつに見舞われています」
デジレ夫人が、院長室での話を繰り返した。
その話はセレーナも聞いた。
「人々は出稼ぎに王都に集中するかもしれません。加えて、人手が欲しい農作期を過ぎて仕舞えば、口減しの為に追い出される子も増えるでしょう」
そう言われて、セレーナは青ざめた。
彼らの話を聞いてもそこまで想像できなかった。
ただの世間話、そう思っていた。
「ですから、その前に手を打つ必要があります。平民の子ならば、8歳になれば手に職をつけるために住み込みで働くこともできる頃です。早めから彼らを預かってくれる場所を探す必要があります。それでも、その家の子なら生まれた時から仕事を見て育つため、どうしてもそこに差は生まれてしまいます」
どうしようもない現実。
セレーナはエレンと出会った時のことを思い出す。
「なら、工房の多い街の方が有利なのではないですか? 」
色んなものを見て育つには、ここよりも王都門内の家が立ち並ぶ場所の方がいいに決まってる。
けれど、デジレ夫人は首を振った。
「この国の神殿は、国が管理しているものです。我が国はかつて異民族が混じりあい、神々を祀る神殿を作っていても、国をあげて信仰している宗教はありません。その神も様々。人によって祈る神も異なります。そしてそれらの神殿は、かつて市民たちによって建てられ、今では国の管理下に置かれている。それはセレーナ様のご存じの内容ですね? 」
「はい。だから、神殿は国の予算で管理されている他に、貴族の寄付から成り立っていると・・・」
「えぇ、ですが、人々が寄付するのは話題にのぼりやすい有名な神殿ばかり。そのほとんどは王都の城門内にあります」
そう聞けばやっぱりこの場所の方が不利のように思える。
「もう一度言いますが、我が国には宗教がない。キル教のように、組織に属し率いる者たちを育成する機能が我が国にには備わっておりません。ですので、神官は貴族の名誉職に過ぎません。宮廷内部の役職の一つなのです。基本的に国を上げての祭事を執り行う為にいる。中には神々の加護を人に分け与える目的で神殿に属しているもののいますがそれは一部です」
それを聞いてセレーナは気づいた。
デジレ夫人はジロリとセレーナを見て、発言を促した。
「・・・きっと有名な神殿は、祭事を盛大に行うので予算が沢山いると思います」
“宮廷内部の役職の一つ”なら、それは権力の象徴。
彼らは他の神殿よりも派手に、前任よりも豪華にすることで己の存在を示そうとする。
その為に膨大な予算は消費され、寄付金さえもそれに消えていく。
「王都では何かにつけて高額bになりますらね。人が多い分、運営も難しいでしょう。だとすれば、孤児院のことだけを考えるならば、多くの子を引き入れるには適した場所です。あれでも栄養はしっかり取れています。量も彼らに見合ったものなのです。見た目は質素ですがね。ここでは家畜も飼育していますし小さいながらも菜園もある。神殿に併設されているので、加護を失いたくないと族に狙われる心配もございませんから。それに距離はありますが日帰りで街に出かける距離です。街の工房に出入りさせるにも適した場所ではありますよ。あの子たちに似合った仕事を探すのも手がかかりますからね」
そういうデジレ夫人の口に皺がよった。
彼女は子どもたちと会話しながら、そんなことを考えていたのか。
全てに彼女の意図があって、セレーナは他に自分が多くのものを見落としている気になった。
──全然見えてなかったんだ・・・
考えていると思っていた。
けれど、それは知っている範囲でのこと。
何もかも足らないことだらけだった。
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