太陽になれない月は暗闇の公爵を照らす

しーしび

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3章 暗闇と月

3-8

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「あの、デジレ夫人」

 帰りの馬車でセレーナは問いかけた。

「孤児というものを無くすにはどうすればいいのでしょうか?」

 エレンと出会ってからセレーナが抱いていた疑問だ。

「夫人の仰っている、貴族の義務に民を守ることがあります。孤児を無くすのもその一つではないのかと。それは孤児院に頼ることだけでは不十分な気がします」
「“救う“のではなく、“無くす“ですか」

 デジレ夫人はどことなく満足げだ。

「我々がより経済を動かすことで、それは解消される一つの鍵にはなると思いますが、そうですね。そういうことはもっと専門的な方に学ぶとよろしいかと」
「専門的な方・・・」
「公爵様は執務官ですので、詳しいのでは?」
「・・・」

 セレーナは黙り込んだ。

──お父様は忙しいし・・・

 無理は言えない。
 最近はその忙しさが加速し、なかなか家に帰ってこない。
 そんなセレーナをデジレ夫人はじっと見ていた。

「でしたら、私の甥を紹介しましょう。公爵様の部下の一人ですので、詳しいかと」

 その言葉にセレーナは顔をあげた。

「私もそろそろ、領地に戻ろうと思っていました。彼に託すのがいいでしょう」
「え・・・」
「我が家は、義父が貴重な種の魔石を掘り当てて地位を得ただけの小さな家紋。その義父も夫も亡くなっている今、私がここに残る理由はございません」

 目を瞑ってそう語るデジレ夫人の顔は、見たことのない穏やかなものだった。
 それがとても綺麗で、セレーナはそれを見つめていた。
 しばらくして瞼を上げたデジレ夫人。
 
「セレーナ様は十分、私の授業は理解しています。もう、必要ないかと」

──でも・・・私は・・・

 セレーナは戸惑った。
 まだ知らない事は沢山ある。
 まだまだ教えて欲しい。
 セレーナには気付けないことをもっと教えて欲しい。
 けれど、デジレ夫人は先ほどの穏やかさを消しセレーナを見つめる。

「杞憂はありません。あなたは公爵家の名に相応しい立派なレディーです」

 その表情はすでにいつもの彼女の厳しいものだった。
 セレーナは背中を叩かれた気分になり、もう一度背筋を正す。

「はい」

 彼女に行かないで欲しい。
 そう思うも、今は彼女の言葉が嬉しくてそれ以上は言葉が出てこなかった。
 彼女から誕生日のプレゼントを受け取った気分だった。





 屋敷に帰った時は、お茶をするには最適な時間だった。
 セレーナは急いで部屋に戻り、バスケットを抱え、書庫に向かおうとした。
 すると階段を駆け降りたところで、ソルが現れた。
 頭には愛らしい子供用のティアラがのっていて、パーティー用のドレスを着たソル。

「あ、いた! 探したんだよ」 
 
 ソルはセレーナの手を掴みと、「こっちに来て」とセレーナを連れて行こうとする。
 突然のことでされるがままのセレーナは、バスケットの中身がこぼれないように気をつける。

「ソル待って」
「待たないよ。ずっと待ってたのに! 」

 ソルはセレーナを引っ張ってグングン進む。
 屋敷を飛び出して、ソルが向かうのは公爵夫人の温室がある方向。
 決してセレーナが近づく事は許されない場所。
 セレーナは慌てて、ソルを止めようとした。

「ダメ、こっちはダメよ」
「ダメじゃないよ。お母様達が再プライズしてくれたんだよ。セレーナがいなかったからケーキだけは取っておいたの」

 ソルの力は思ったよりも強くて、下手をすればバスケットごとセレーナが転んでしまいそうだった。

──サプライズって・・・

 すぐに公爵夫人がソルのために誕生日会を開いたのだと気づいた。
 あれだけ大人しくしていたはきっとこの日のためだったのだろう。
 そして、厨房が慌ただしかった理由も、あの料理長がセレーナを憐れむように見た理由も納得する。

 行きたくない。
 来て欲しいと向こうも思っていない。
 けれど、ソルは悪気もなくセレーナを引っ張って連れていく。

──やめて・・・

 どんどん近づく公爵夫人の温室。
 絶対にそこには入っていけないのに。
 セレーナは脳裏に公爵夫人とインペリウム伯爵の姿が過ぎる。

「やめてっ! 」

 セレーナは視界に公爵夫人の好きな青い花が見えた。
 そして、たまらなくなって力一杯ソルの手を振り払った。

「きゃあ! 」

 駆けて勢いのついていたソルは、その衝撃も加わってその場で転けてしまった。
 セレーナは目の前で床に伏しているソルを見つけ、自分が暴力を振るってしまった事実に頭が真っ白になった。

「ご、ごめ──」
「お嬢様! 」
「ソル! 」

 反射的に謝ろうとしたセレーナだったが、それを最後まで口にする前に騒ぎを聞いた人たちが温室から続々と出てきて、ソルの姿を見つめて飛び出してくる。

「ソル、一体どうしたの! 」

 駆け寄る公爵夫人は、すぐにソルを立たせて怪我ないか確認する。
 幸い怪我はないようで、公爵夫人はすぐに安心した顔をした。

「大丈夫だよ。ちょっと転んだだけ」
「あぁ・・・、よかったわ」

 ほっとした公爵夫人は、ズレたソルのティアラを正す。

「私の太陽に何かあっては生きていけないもの」

 ソルの頬を愛おしそうに撫でる公爵夫人。
 それににこっりと笑って応えるソルの姿は太陽そのもの。
 ルビーやイエローダイヤのはめ込んだティアラも、そんなソルにピッタリで、セレーナはそれを呆然と見つめていた。

 青い花畑をバックに笑い合っているその光景は、絵に描いたような幸せな親子。

 それは、決してセレーナには許されないものだった。

「貴様がしたのか」

 呆然としてそれを眺めていたセレーナの頭に降り注ぐ冷たい声。
 セレーナから血の気が引いていった。
 震えを抑えながら、セレーナが顔を上げようとした瞬間──

ガッ

 セレーナの頬を硬い何かがぶつかってきて、セレーナはそのまま横倒れした。
 持っていたバスケットからクッキーがそこら中に散らばる。
 セレーナは痛みですぐに起き上がる事はできない。
 鈍い痛みに耐えながら、セレーナはうっすらと目を開く。
 そこにはインペリウム伯爵がセレーナを鋭い目で見下ろしていた。
 彼の手にはステッキがあり、あれで殴られたのだと、ぼんやりと見つめる。

「セレーナ! 」

 ソルの驚いた声が遠くで聞こえた。

──何も変わってないんだ・・・

 セレーナは幼い頃にインペリウム伯爵に受けた暴力を思い出す。
 あれからセレーナは変わってなかった。
 変わろうと思って、変わっているつもりだった。
 けれど、何一つ変えることは叶わない。

 目の前でインペリウム伯爵に踏まれているクッキーが目に入った。

「セレーナ、セレーナ、大丈夫! 」

 いつの間にかソルがセレーナに駆け寄って、心配そうに声をかける。
 それはセレーナの心には届かなくて、砕けっちったそれらを見つめながら、セレーナは体を起こして頭を下げた。

「申し訳・・・ありませんでした」

 そう言うしか選択肢はなかった。
 言葉を尽くしても、セレーナがソルにしたことは変わらない。
 セレーナは頭を下げ許しを乞うしか方法がなかった。
 そんなセレーナにソルは「やめてよぉ、セレーナやめてよぉ」と何度も目を潤ませながら言う。
 そしてセレーナの体を揺らすが、セレーナは決して頭を上げなかった。

「わ、私・・・怪我してないよ・・・」

 ソルがその場の雰囲気に怯えながら声を出す。

「ねぇ、おじいさま・・・おかしいよぉ・・・」

 ソルはセレーナから手を離さずに、インペリウム伯爵に懇願する。

「ねぇ、なんで、なんで? 」

 同じように混乱しているのか、ウーノの泣き声にもとれる声が聞こえた。
 けれど、インペリウム伯爵は何も言わない。
 セレーナもじっと頭を下げたままだった。

「ソル、いいのよ。気にしなくて」

 公爵夫人がセレーナからソルを引き離す。

「さ、今日はあなたの誕生日なんだから、そんな顔をしないで」
「セレーナもだよっ」
「いいの。ほらこちらへ」
「セレーナも──」
「大丈夫よ。お祖父様がお話ししてるだけ」
「でもっ」
「ソル、今は分からないかもだけど、あの子は良くないことをしたの。いつか分かるようになるから」
「・・・でも」
「今は戻りましょ。お誕生日会の続きをしなきゃ。とっても楽しみにしてたでしょ? そう、お母様から特別なプレゼントもあるの。ほら、そうよ。こっちへ」

 優しいのに不気味なもののようにも聞こえる公爵夫人の言葉。
 ソルは戸惑いながらも、彼女の言葉に従いセレーナら離れていく。

「いい子ね。ほら、ウーノも来なさい」

 公爵夫人はソルを宥め、温室へ戻っていく。
 駆けつけていた使用人もそれに続き、セレーナの周りから人が少なくなる。

「身を弁えろ」

 インペリウム伯爵もそう言い残すと、グシャリとクッキーを踏み潰しながら離れていった。
 セレーナの側には誰もいなくなった。

 セレーナは、のそのそと動き出し、砕けたクッキーを拾い集める。
 料理長に合わせる顔がない。
 一口も食べることなく踏み潰されたそれを一つ一つバスケットに入れる。
 形を保てているのもあるが、もう口にすることはできない。
 悔しさが込み上げる。

「セレーナ・・・? 」

 戸惑う声が聞こえた。

 セレーナは勢いよく顔を上げた。
 目の前には困惑した表情を浮かべたエレンがいた。

──見られた

 こんな惨めな自分をエレンに見られてしまった。
 セレーナは込み上げるものを抑えることができなくて、ほとんど空になったバスケットを抱えてその場を走り去った。
 これ以上惨めにはなりたくなかった。
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