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サヨナラは言わないでください
サヨナラは言わないでください
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先生が読んでくださってるということは、あたしは帰ることができたんですね。
そんな未来がひたすら恋しいですが、今は、この局面を乗り切るのに精一杯です。
「次!」
「は、はいぃっ!」
よ、呼ばれてしまいました。
先生、あたしは今、多分幕末に来ちゃっています。
「宮本、つ、翼です! よろしくお願いします!」
多分、壬生寺っていうお寺近くの新選組屯所で合ってると思うんですけど、ここに来てから噛みっぱなしです。
きっと、幕末ですよね?
先生の『新選組~幕末の黒い狼~』で拝読した時代にそっくりなんです。
建物も、住んでる人たちの着てる物も、時代劇のまんまです。
「一番隊の沖田です」
にっこりと笑うのは、天才美剣士として有名な、あの沖田総司です。
想像通り、ものすごい麗しいです。
成行きで、新選組の入隊試験を受けることになったので、あたしは木刀を……。
早速困ってしまってまして……これ、木刀って、どうやって持てばいいのでしょう?
とりあえず、見よう見まねで持ってみますね。
そしてこれも想像通り、沖田総司、ものすごい強いです。
というか、あたしが持ってた木刀、一瞬で宙に吹っ飛んだのですが。
「つまんないなぁ。全然ダメじゃないですかぁ」
沖田総司は、あきれ顔で肩を落として、ずっと後ろのほうで腕組みしていた人を振り返ります。
写真が残ってるし、すごい人気だから、あたしでも知ってます。
幕末史が誇る超絶イケメン・新選組副長土方歳三です。
「土方さぁん、コイツ、斬っちゃってもいいですかぁ?」
「えええっ!」
それこそダメに決まってるじゃないですか! ってかすでに真剣持ってません? え、これ流れ的に普通にホンモノですよね先生? いつのまに?
「まぁ待て総司。宮本、ちょっと来い」
助けてくれた?
鬼の副長なんて言われてるけど、実は意外と優しいんですね!
あたしは土方歳三に連れられて、個室に入りました。
さっぱりとあんまり物がなくて、もしかしたら土方歳三のお部屋なんですかね?
「……えっ」
って、先生えええ! あたし、いきなり壁ドンされてるんですけどおおお!
「なんでこんなとこに女がいやがる」
ば、バレてる! 着物に袴を穿いて男装してるのに、なんで?
――……
「いや、バレるでしょ」
ここまで読んで、先生は原稿用紙をバサリと置いた。
書斎を真っ暗にして、デスクの蛍光灯だけで仕事をするのがお好きな先生の手から放られたわたしの原稿は、白く冷たいスポットライトを浴びる。
「……ひどい。先生に捧げたわたしの処女を」
昼間でもこの環境を作る為に、高層マンションからの絶景が見渡せるせっかくの大きな窓は虚しく遮光カーテンで閉め切られている。
来客、つまりわたしが来ようと、それは変わらない。他のひとの時もこうなのかな。
「“作”は略すな」
長時間座っても疲れないという触れ込みの高級デスクチェアに背中をぐっと押し付けて、背凭れってこんなに曲がるんだなと感心する程に伸びをする。
いや、そんな長時間読んでくれていないでしょうに。
「それに、処女作でもないでしょ。元作家志望さん」
この、銀縁眼鏡越しの流し目が好き。
なんて、一生言うもんか。
「直木賞受賞の大作家先生、ご講評をお願いします」
わたしがペコリと頭を下げると、先生はさらに意地悪く笑う。
その、笑うと片眉が少し歪むところも、眼鏡を上げる時の、力仕事なんてしたことないんだろうなとわかる、女性みたいにしなやかな指も……言わないけど。
「講評、ね。これなら俺が読む前に下読みで落とされてるだろうね」
公募文学賞は、看板の選考委員の先生方が読む前に、主催する出版社の担当者や編集者やアルバイトが下読みという一次選考を行う、なんてことは知ってます、一応先生の担当編集者なんで、むしろ下読みしたことあります。
「もう! 先生が書けっておっしゃったから書いたのに!」
うちの出版社以外にも多数連載を抱える、実力人気共にトップクラスの小説家である先生に、いきなり読んでくださいと原稿を突き付ける失礼はしない。
緻密な時代考証に基づく本格歴史小説で名を馳せる先生の、ある意味本気の流行小説を、という上司からのゴリ押しで、主人公がタイムスリップしちゃう系作品を提案したのはわたしだ。
しかも流行に乗るならとことんで、舞台は一定数の固定客が見込める幕末、スターの宝庫新選組、主人公はもちろん年頃のカワイイ女子、モテモテチート・逆ハー恋愛モノでいきましょう、と息巻いたら、逆ハーって何? との安定のすっ呆けぶりだった。
「そんなに言うなら、ちょっとお手本書いてみてよ」
なんて無茶ぶりに嫌とは言えず、あ、言ったけど、渋々書いた結果がこれなんだけど、むしろこんな駄作を読んでいただくのに貴重な時間を費やすくらいなら、一文でも多く原稿を進めていただきたいのが本音だ。
憤慨するわたしに弁解するでも少しでも謝る素振りを見せるでもない丸無視を決め込んで、急に“ご講評”が始まった。
特に読み直してるわけでもないでしょうに、多分ポーズとしてまた原稿を手に取り、目を落とす。
「突っ込みどころ多過ぎるから、最低限だけ言うね」
いきなり辛辣なんですけど。
「沖田くんさぁ、いきなり斬るとか言わないでしょう」
そこ? というか、あなたはまさに今、バッサリ斬ってますが。
「人気の黒沖にしてみました」
眉間に皺で溜息しながら続けられるけど、こういう表情もいいんですよね。
笑顔で褒めてくれるなんて期待してないから、先生を、困らせたい。
その時は、わたしのことを考えてくれてるって、感じるから。
「はいはい、毒っ気強めの沖田くんね。歴史・時代小説市場で、幕末モノは戦国モノと二極化する程の作品数だよね。中でも手垢つきまくりの新選組モノは、ファンも目が肥えてるからね。こういう沖田くんが好きなんでしょう? っていう作者の魂胆が見えるとコアなファンは一気に引くよ」
ぐうの音も出ない。新卒の編集者なんかとは、比べ物にならない。
だから勉強させていただく為に、ド新人のわたしがベストセラー作家の先生に付かせていただいたんだけど。
「沖田くんは、全然こんなんじゃないからね」
先生の作品ではまだ沖田総司は登場していないから、どんな風がお好みかなんてわからないです。
「……まるで、会ったみたいにおっしゃるんですね」
それにしても意外です。
先生は、自作他作問わず小説や映像作品の中での歴史上人物は基本的に呼び捨てにするのに、友達のように呼ぶなんて。
苦し紛れのわたしの皮肉なんか丸無視で、また辛口批評を続ける。
「それとさ、土方。この後なんだかんだで『俺に惚れんなよ』とかの台詞を吐くんでしょ」
読んでないのに、やっぱりわかっちゃうんですね。
「それはないでしょ。いくら色男でも」
ええと、入社したばかりのわたしが担当編集者として初めてご挨拶させていただいた時に、
「俺のこと、好きになっちゃダメだよ」
とか、しゃあしゃあと吐いてらっしゃったのが記憶に新しいのですが。
先生は高学歴高収入高身長の上に如何にも女好きする恵まれた容姿をお持ちなので、ムカつくくらいにモテる。
何人もの女編集者が骨抜きにされてるってウワサだから、そんな人にうら若くか弱い女性、つまりわたしを付ける上司もなかなか浅慮だと思うけど。
女は、男の圧倒的な地位と才能に平伏すのに興奮するイキモノ。
バツイチ子無し、というのもむしろ重要なスペックだ。
「で、主人公は土方に次第に惹かれながら最終的には相思相愛になりつつ、沖田くんあたりの横恋慕かつ君でも知ってるくらいの有名隊士はもれなく主人公に片想いでしょ?」
「……まぁ、おっしゃる通りです」
だって、逆ハーにするって設定ですから。とはいえ、冒頭チラッと読んだだけで全て見抜かれてさすがに悔しいです。
「主人公と土方と沖田くんの三角関係? 読み厭きたんだよね。そういうのは」
え、ラノベっぽいのも読まれるんですね。ならやっぱり逆ハーくらいご存じじゃないですか。というか、いらなくないですか? わたしの問題作。
「第一致命的なのが、時代考証が全然なってない」
大学・高校時代の黒歴史として小説家を志したこともあったけど、わたしのジャンルは小中学生向けのファンタジーだった。
先生は初の中学生歴史作家としてデビューして以来、“日本の司馬遷”なんてキャッチフレーズがつく程の鬼才として二十年、ずっと第一線で活躍されている。
先生を知って、そんなバケモノみたいな才能が当たり前に犇めく世界で、対等に戦って勝ち残るなんて絶対無理って、夢を諦めたんだ。
まだ、土俵にも立っていないのに。
でも今は、弱肉強食群雄割拠の戦場で、作家先生と共に戦う敏腕編集者っていう新たな目標ができたし、公私共に俄然夢中だから、全然未練も後悔もないけど。
「わたし、歴史モノって先生の作品しか読んだことないんで」
「胸張って言うな。じゃあ新選組の知識なんて皆無じゃない」
先生の著書で新選組を題材にしたのは、最新作連載作品候補として途中まで執筆されている『新選組~幕末の黒い狼~』だけ。それも、主人公・土方歳三がバラガキとか呼ばれつつ故郷で燻っている、という序章までだ。
で、さっきから、公募挑戦して落選からの突撃持ち込みしてる作家志望と原稿をチェックする鬼編集の構図なんですけど。
ナニコレ? そういうプレイ?
「あとさ、い抜き言葉とか変な日本語が異常に多いんだけど、これはわざと?」
「ミスですぅーすいまっせんでしたぁー」
この憎たらしい返答の後に、わたしは読むプロであって、書くプロではありませんからと付け加えるべく口が滑りかけたけど、もっと手厳しい追撃を受けそうなのでやめておいた。
「それで、さぁ。主人公はいくつ? 君と同じ編集者って設定なら、どんなに若くても二十代前半くらいだよね?」
はい、わたしとタメです。主人公の性別、年齢、職業は自分と同じほうが感情移入できるかな、と。
って、これは建前で、こんな無茶振りしてくる先生への当てつけですね。
お気付きかと思いますが。
「男装して新選組入隊って、ムリあるでしょ」
先生が疲れ気味の気怠い仕草で立ち上がるので、わたしは少し避ける。
先生のルーティーンでは、平日午前九時から午後六時までと時間を決めて執筆する、というサラリーマン染みたスケジュールなので、平日の真っ昼間からどこかへ出かけるでもないのに、いつも白シャツにダーク系のパンツ、というカッチリとしたコーディネートだ。
一介の担当編集者であるわたしなんかに、隙は見せないってことかな。
「コドモじゃあるまいし、体型とか声でバレるでしょ。そもそもさぁ、男装の女性が入隊って、どこで寝るの? 壬生寺が出てくるってことは八木邸と前川邸にご厄介になってる頃だよね? 平隊士は大部屋で雑魚寝だけど」
「それな。いや、だから知らないです! すみませんでしたーそこまで考えてませんでしたー」
ついついタメ口本音が出てからの後半部分、ヤケクソの棒読みだ。
正直、書いてみてから悩んだ部分だった。実は女だという秘密を共有するからって土方歳三と同室にするわけにもいかないし。
「まぁ、君みたいに小さくて華奢なら、ギリギリ少年に見えなくもないかな」
女性がされると喜ぶという定番の頭ポンポンを半歩下がって阻止する。
これ、女が喜ぶと思って狙ってやってくる男って多くない? でも残念ながら、女のリアクションが良いのは、ただしイケメンに限るってヤツ。
「セクハラです」
条件は余裕でクリアしてるけど、誰より先生に、子ども扱いされるのはキライ。
いろんな意味で正直ムッとした。
どうせわたしは、チビでヒョロヒョロで、どう贔屓目に見てもグラマラスとかセクシーとかの表現は当て嵌まらない。
ずっと黒髪ロングヘアだったのをバッサリと切って茶髪ベリーショートにしたのが致命的だったかも。
「おお怖。これだから今時の若いコは」
ゆとり扱いされるのは慣れてるけど。正しくはわたしくらいの年齢だと、悟り世代っていうらしい。
「たったのひと回りぐらいじゃないですか」
「言うね。一回りも上ならただのオッサンでしょ」
イヤミと受け取られたらしいけど、リアルに同じ干支だけど、先生をただのウルサイオッサンと思えたらどんなにラクか。
「名前まで同じにして……君がモデルかと思いきや、中身は全然違うよね」
主人公の名前がわたしと同じなのは、単に考えるのが面倒だったからです。あとはやっぱり、先生への当てつけ。
「それとも、俺に隠してるだけで、本当はこんなに素直なのかな」
わたしの中身なんて、あなたが一番知ってるくせに。
気付いてるんですよね? わたしの気持ち。
「タイムスリップは否定しないけど、現代に帰られるかも不明なのに、呑気に現地取材なんてしないでしょ」
先生の蔵書に『ムーの世界』が創刊号からバックナンバー全て揃えられてるのは存じております。
前半部分は同感ですが、後半部分はどうでしょう。
わたしなら、先生の為に全力で調べてきますけど。
あ、先生の作品の大ヒットひいてはうちの出版社の繁栄そしてわたしの出世の為、ですけど。
「わたしなら、先生のお役に立てますよう、命懸けで取材してまいります」
「……ダメだよ。そんなのいいから。必ず、俺のところに帰ってきてね」
子どもにするみたいに、髪を撫でる。
ズルい。避けられなかった。
「おっと。セクハラだったね」
今更でしょう? もっとイロイロしたくせに。わたしの妄想のなかで、だけど。
「やっぱりさぁ、書けないよ。『黒い狼』でいこう」
すぐに手を離した先生は、またドサリとデスクチェアに腰掛けた。
加えて、眼鏡を外して目頭を押さえる。仕事終わりの時によくする仕草だけど、実際はまだ仕事の話が続く。だってまさか、プライベートなお誘いのわけない。
「それよりさ、連載にあたって君の知識のなさはマズ過ぎ。取材行くよ」
「やったータダ旅行! わたし京都初めてです!」
「観光じゃないからね」
小説と違って、わたしは全然素直なんかじゃない。
別に初めての京都や、ましてや会社の経費で旅行できることが嬉しいわけじゃない。
両手を上げて大袈裟にはしゃぐわたしに目を細める先生の表情は、妹か何かを眺める、いかにもヤレヤレといった風情で、それ以上には決してならないとしても、今はまだ、十分に幸せだ。
このまま、担当編集者として先生を支えて、次の作品からずっと逆指名していただけるようになりたい。仕事だけの関係で構わない。その中で、最高のパートナーになりたい。
それが今のわたしの夢だ。
こんな、わたしにとっては大切で輝いていて、先生にとってはごく平凡な日常が、続くと思っていた。
先生、ごめんなさい。
わたしは今、幕末にいます。
あなたのところへ帰られるかは、わかりません。
観光ではない、という言葉通り、まずは初期の新選組に縁の深い壬生寺に向かおうと。
一緒に乗っていたタクシーに、居眠り運転だろうか、対向車線の黒い乗用車が正面衝突してきた。
のだと、思う。
記憶が曖昧で、よく覚えていない。
後部座席でのんびりと京都の景色を眺めていたら、急ブレーキの音がして、気が付いたらフロントガラスの向こうには猛スピードの車が迫っていた。
ぶつかる、と思った瞬間には、走馬灯の余裕もなく、大きなお寺の境内に座り込んでいた。
もしもタイムスリップしても帰ってくるよう言ってくれましたけど、ご無事ですよね?
あの時、先生がわたしを呼んでくれた気がしたけれど、それもよく覚えていないんです。
先生、わたしを、待っていてくれますよね?
なにか、叫んだ後なのかもしれない。
ひどく喉が嗄れている。
それはそうか。
交通事故に遭ったのだから。
遭った……?
いや、それならこんな、全くの無傷でいられるわけがない。
「……先生!」
わたしは急にハッとして辺りを見回した。
「ここ……どこ?」
先生の姿を探そうとしたわたしの周りには、見たこともない景色が広がっている。
ぺたりと座るわたしは、この土埃舞う広い境内でも、砂ひとつ付いていない、グレーのパンツスーツの、太腿で手を拭う。
汗が、止まらない。
“今、来たばっかり”という風情の自分。
立ち上がることもできず、首の旋回だけで辺りを見渡し続ける。
その首から上が、ひんやりと冷えていく。ありありとわかるくらいに、血の気が引いていく。握り締める、手先が悴むように冷たい。
だけど胸の鼓動は早鐘を打ち続ける。胸を押さえたくなるくらい、心臓に違和感を覚えるくらいに波打つので、否が応にも認めざるを得ない。
わたしは今、ものすごく怖い。
「なぁなぁ、今日はソージ来ぃひんの?」
悪事が見つかったみたいにギクリと肩を縮み上げて振り返ると、幼稚園生や小学校低学年くらいの子ども達がガヤガヤと歩いてきた。
「なんや忙しいから来れへん言うてたよ」
「うっそやぁ! 忙しいわけあらへんやん」
「うちらに負けるんが怖くて逃げたんやで」
京ことば? 地元の子ども達だろうか? みんな着物を着てるけど、お祭でもあるのかな?
なんにしても、あの子たちにはあの子たちの日常がある。明らかに異質なのはわたし。
急にこんな場所にいるのは、おかしい。
事故の衝撃で車内から放り出されて、ここに着地した?
でも、身体中少しも痛いところすらない。
そして、先生がいない。
わかっているのに、何度も辺りを見渡すうちに、少しだけ冷静になった気がする。
おかしいのは、わたしだけじゃない。
ここ……電信柱も電線もない。ビルとかの高い建物もない。
やけに、空が広いと思った。
納得のいく答えは、思いつく限りひとつだけ。
わたし、死んじゃったんだ。
きっとここは、死後の世界ってやつだ。
だから急に、知らない場所に、何事もなかったかのように無傷でいる。
鼓動の高鳴りは感じるけど、握った冷たい手は悴んで動きにくい。
吸って吐く息は温かいけど、こんな空、知らない。
境内で遊ぼうとしていた子ども達も、かわいそうに、幼いながらに命を喪ったんだろうな。
そう思って子ども達のほうを見ると、同じようにわたしを見ていることに気付いた。
それもかなり遠巻きに。
ヒソヒソと内緒話をしているようだけど、正直、死んでしまったわたしは、誰にどう思われてもどうでもいい。
っていうか、かなりショックなんだけど。
まだ22歳で、やっと就職したばかり。
出版社に入って、念願の文学誌編集部に配属されたのに。
絶対叶わない相手だけど、好きなひとがいるのに。
叶わなくたっていい、担当編集者として、一番近くで先生の作品をサポートできるチャンスだったのに。
ひどい、こんなの。
死んでしまうってこんな感じなんだってもちろんわからなかったけど、今更自覚して、視界が歪む。
映画や小説以外で泣くのなんて久しぶりで、きっとこれが最後だ。
「なぁなぁ、にいちゃんは異人はん?」
ゴシゴシ拭う気にもなれず頬に流し放題にしておいた涙顔のまま、声のほうを見上た。
情けなくも座ったままだったので、取り囲むようにしていつの間にか近付いてきた子どもたちから降り注ぐ視線を集めるわたしはイジメられてる亀みたいだ。
いや、偉人さんって……それより男じゃないんだけど。
「……違うよ」
偉い人ではないし、そもそも男じゃないよ、とか詳しく答える気力がなくてボソリと陰気に呟いた。
確かにショートカットだしパンツスーツだけど、男に間違われる程に色気ないかなと、自分の死とほぼ同じと言っていいくらいにショックだ。
「ぅわああ! 言葉通じるやん!」
「ほんまや! にいちゃん、キッレーな髪しとるなぁ」
だから男じゃないってば!
さっきまで警戒心丸出しだったのに、急に安心したのか子ども達は口々にいろいろ話しかけてくる。
偉い人じゃないっていうのは伝わったみたいだけど、東京生まれの東京育ち、 根っからの標準語のわたしに京ことばが通じるだけでこんなに驚かれるのに、女だって訂正して驚かれたらさすがに精神的にキツい。
「……そうかな? ありがと」
ちょっと明るめの茶髪だけど、そんなに珍しいかな? え、キューティクルとか髪質を褒められてる?
「着物もカッコええやん!」
このスーツ、先生と旅行だからって気合い入れて買ったからね。
って……さっきから、いちいちこんなに珍しがられるっておかしくない?
もしかして……。
「君たち、いつからここにいるの?」
この子達が着物なのは、お祭の日だからじゃない。
きっと、わたしが来るずっと前から、ここ死後の世界にいるんだ。
日本人が、着物を普段着として着ていた時代の子ども達なのかもしれない。
だから、わたしの茶髪も洋服も珍しいんだ。
それなら、男と間違われてもしょうがない、と無理やり自分を納得させる。
だって、昔の女性なら長い髪を結っているのが当然で、こんな短い髪なんて男性でしかありえなかっただろうから。
今更だけど、男の子も女の子も、しっかりと髪を結っている。
お祭とかハロウィンの仮装とかではない。
わたしとは、生きていた時代が違うんだ。
そしてずっとずっと前から、ここにいる。
そんなの、切なすぎる。
「へっ? たったさっきやけど」
そうなの?
死後の世界って死んでしまったらすぐに来る場所かと思ってたけど、違うの?
「なぁ、それより、にいちゃんも一緒に遊ばへん?」
なんかちょっと、混乱してきた。
いや、もうここに来てからずっと混乱しっぱなしなんだけど。
急にこんなところに来て何していいかわかんないし、遊ぶのはいいんだけど、なんか実際……こんな感じなんだ。
定番では、三途の川が流れてるとか、お花畑があるとか柵に囲われてるとか……路線を変えれば死神が迎えに来るとかいろいろバリエーションあるけど、逆にそう考えたら、すごい普通の場所じゃん。
ごく普通の、お寺の境内なんだけど。
「アホやなぁ、こんな格好しとるんやから、なんや大事なオシゴトでもあるんやろ」
仕事? え、何ここ雇用とかあるの?
「ソージかて、いっつも稽古着でふらふらしとるけど、隊務やぁいう時は浅葱のダンダラ着とるやん。気張った衣装にはそれなりの理由があるもんや」
「さすが為ちゃん、冴えとるなぁ」
そうそう何せ先生と四六時中一緒の京都旅行だからね、って……あれ? もう、話すればする程に混乱するんだけど。
少し得意気に、ふふんと笑うタメちゃんと呼ばれた少年はくるくると円らな、屈託のない瞳をこちらに向ける。
「にいちゃんの仕事相手、異人はんやろ?」
偉人……?
「あーっ、せやから異人はんみたいなカッコしてはるんかぁ」
……なんかわたし、ものすごい勘違いをしてる、かも。
童謡『赤い靴』の歌詞が頭を過る。
この子達が言ってるのは偉人じゃなくて、異人だ。
ちなみに子どもの時は「良い爺さん」かと思ってたけど。
そんなことより、ここは、死後の世界なんかじゃない。
「……ねぇ、ここは、どこ?」
頬を擽る風を急に感じる。気持ち良いと思う余裕はなかった。
「初めて来たん? 壬生寺やで」
先生と向かっていた最初の目的地、新選組の最初の本拠地である、京都の壬生。
それには少し驚くけど、本当に聞きたいことには驚かない。
心の準備はできてる。だって、それですべて辻褄が合う。
「“ここ”は、西暦何年?」
「おかしな兄ちゃんやなぁ。セーレキ?」
突然、こんなところに来てしまったのも、ケガひとつしていないのも、ここに電柱も高層ビルもないのも、子ども達が着物を着て髷まで結ってるのも。
やけに、空気が澄んでいるのも。
「何年かぁいうたら、元治元年やろ」
ここは、幕末の京都だ。
死後の世界より、もっとすごいところに来ちゃったみたい。
納得のいく答えはこれだけだ。
なんて、知った風なこと思うけど、元号を聞いただけで幕末かどうかなんてわかんない。先生に、勉強不足にも程があるって怒られちゃいそうだけど。
「それも知らんなんて、ほんまに異国かぶれやなぁ」
でも先生、少しだけ褒めてください。
決め手になったのは“浅葱のダンダラ”。
さすがのわたしでも知ってる、新選組の代名詞だ。
大ヒット作品の為の現地取材に意気込んでたからこんなことに? ここまで本格的な現地は望んでなかったんだけど。
……現地取材! そうだ!
死んでなかった! こんなところにいるけど、わたし、生きてる!
ぼんやりと抜け殻みたいで全然力が入らなかった身体は、自然と立ち上がった。
情けなく座ったままだったわたしは、砂埃すら払わずに駆け出しながら、子ども達に手を振る。
「ありがとう! またね、バイバイ!」
突然の行動にビックリさせてしまったみたいで、ポカンと口を開けた子ども達は、意外と足が速いと評判のわたしの背中に元気に声を掛けてくれた。
「気ぃつけてなぁ! さいならぁ!」
でもまだ今は、サヨナラは言わないで。
女は度胸と、有言実行。
もしタイムスリップしたら、先生の為に現地取材するって宣言したからには、いっそ新選組、入っちゃう?
残念ながらわたしは、女には見えないみたいだし。
斬ったり斬られたりは絶対無理だけど、確か勘定方っていう非戦闘員的な役割があったはず。
いける!
自信がみるみる湧いてきた。
先生、約束ですよ。
必ず、たっぷり取材して帰るから。
待っててくださいね。
わたしの問題作、ちょっとリアリティ有り過ぎ。
やっぱり早速、入隊試験で躓くじゃん。
「始めますよ。構えてください」
あらゆる場所を歩きまくって探索したけど、やっぱり、幕末の京都で間違いない。
元治元年の四月……季節的には春だけど、旧暦っていうのは現代よりも一か月くらいズレてるから少し汗ばむくらい。
若草色の着物に黒袴は、親切なお姉さんにもらった。
取材で歩き回ってる時に声を掛けられたんだけど、わたしの容姿が亡くなったご主人に似てるとか。そのご主人のお古をわざわざ裾上げしてくれた。
現代に比べると男性も女性も背が低いけど、わたしはこの中でもチビなので随分と短くなった。
洋服に茶髪のわたしはすっごく目立つらしくて、みんな嫌そうな顔で睨むように見てくる。
幕末の人たちは、外国人が嫌い……というか、怖かったんだろうな。
そんな中で声を掛けてくれたお姉さんは女神さまみたいに輝いて見えたから、また男と間違われたことは我慢する。
別れ際に、また来てねと言われたけど、もしかするとあれが色目ってやつかもしれない。
「……は、はいっ!」
幸運なことに、新選組はかなりの増員を図るらしく大体的な隊士募集をしていた。
応募資格は、特になし。
身分家柄を問わず、広く募集するとのこと。
なら、タイムスリップしてきた女でも、やる気があれば入れるでしょ。
もちろん、そこはヒミツだけど。
壬生寺の境内に参集したわたし達入隊希望者は、黒山の人だかりになっていた。
新選組幹部っぽい髭の渋い男の人が出てきて一声号令を掛けると一斉に静まり、指示通りに三列縦隊に整列して、順番に入隊試験を受けることになった。
すごい迫力。如何にも一騎当千の猛者って感じの人だ。
入隊試験には一般常識テストも面接もない。いわゆる試験官との手合わせのみ。
試験官は三人いて、さっきの髭の人と、強いんだろうけど目元の優し気な頬の痩せた人。
そしてわたしが並ぶ列を担当するのは、一際若くてヒョロリと背の高い人。一見、虫も殺さないような顔をしている、この言葉そっくり返されそうだけど、少年みたいな人だ。
それにしてもホントに、木刀の持ち方すらわかんない。
周りの見様見真似でとりあえず両手で持ってみるけど、相手に向けた先が少し震えてしまうくらい重い。
こんなの振り回すとか、ウソでしょ。
一度死んだつもりで意気込んで潜入捜査を試みたっていうのに、もう絶望しかけてる。
木刀の冷たさと重さも手伝って、わたしの手は少し震える。そこから目線を試験官に向けようとすると、その人はいない。
ハッとした瞬間、耳元で声がした。
「今すぐ去りなさい。ここはあなたの居る場所ではありません」
背筋に電撃が走る。
動く気配、人の気配がしなかった。
「さようなら。宮本翼さん」
一瞬、現代に帰れ、と言われたのかと思った。
こっちだって、帰れるなら帰りたいよ!
「待ってください!」
心とは裏腹に、さっさと背を向けていた試験官を追いかける。
浅葱のダンダラ羽織の裾をグイと引っ張った。
何やってるんだろう、わたし。
と、自分でも思ってしまうくらいだけど。
もしかしたら入隊試験でこういうことはよくあるのかな、試験官は驚いた様子もなく、心底面倒くさそうな目線で見下ろしてくる。
こっわ……!
「おおおお願いします! 絶対にッ新選組に入りたいんです! ひ、人を斬ったりとかはできませんけど、雑用でもなんでもしますから!」
ものすごい怖くて、声どころか全身が震えていたけど、必死にベラベラ捲し立てた。
試験官は顔色ひとつ変えずに、わたしから目を逸らした。
裾を掴んだままの指は、当然のように震えている。
「ど、どうか、お願いします!」
目は冷たくても、ずっと黙ったままでも、わたしの手を払ったりしない。
もしかしたら、ホントのホントは優しいひとかも……なら、押せばいける!
そう思ったのが甘かった。
いつのまにか、わたしの後ろには、試験会場の端にずっと立っていた男がいたらしい。
「総司、お前は次の奴を見ろ」
そうじ……このひとが、あの沖田総司?
確かに……わたしの勝手なイメージと全然違う。さすが先生。
なんか、普通。いや、いい意味で。あんな腹黒っぽく書いてすみません。
さっきは怖かったけど、それは残念ながらわたしに対してだけで、このひとの前ではやっぱり少年みたいに表情が柔らかい。
え、わたしに対してだけって……地味にショックなんですけど。
「はい」
よほど迷惑だったらしく、ホッとした様子の沖田くんはさっさと次の入隊志望者に声を掛けた。
そしてわたしの目の前には、このひと……土方歳三だ。
有名な写真とは少し雰囲気が違うけど、それもそうだ。長い黒髪を一つに束ねて、浅葱のダンダラ羽織を着ている。
今更言わずもがななんだけど、眉目秀麗で、嫌ってほどモテそう。あ、ちなみに全ッ然わたしのタイプではないですよ、先生。
「宮本、来い」
拒否権は初めから無いらしく、返事も待たずに行ってしまう。なんか、歩いてるだけなのにすごい脚速い。
そして先生……わたしの問題作と、展開被ってません?
パクリだ! いやいや、そうじゃなくて。
このまま逃げる、というつもりはないし許されるわけもなさそうだから、小走りになって付いて行くけど……壬生寺を出て、大きなお屋敷の中に入っていく。例のイベントが起きてしまう。ヤバイ、フラグ折らないと。
ここまでは、わたしの問題作通り。入った部屋はおそらくトシサンの部屋。
でも先生、事実は小説より奇なりですね。
「なんで女がいやがる」
実際のトシサンは、床ドンです。
って、ぎゃああああああ! 先生ええええ!
「男の態で乗り込むなんざいい度胸じゃねぇか。どこの間者だ」
なんでよりによってトシサンにだけバレるの! そして患者ってなに!
「ぼっ僕は、女でも病人でもな、」
と、ここで、大きな手の平で口を塞がれた。
「僕? 長州か。この状況でシラ切れると思ってんのか? 身ぐるみ剥いで確かめてやってもいいんだぜ」
ぎゃああああああああああ! 先生えええええええええ!
って! いない先生を頼ってもしょうがないじゃない! しっかりしろ、わたし!
トシサンの手の平をペロリと舐めると如何にも潔癖症っぽくゲッと嫌そうに顔を歪めて、手を少し離した。
隙あり!
「イテッ!」
思いっ切り手に噛み付き、ついでに頭突きまでカマした。
いやコッチのセリフ! ものすごい石頭!
おかげで数秒、互いにおデコを押さえて涙目になった。
「クソガキ……手加減してやりゃあとんだジャジャ馬だぜ」
一度死んだ気になればなんだってできる!
「それもコッチのセリフ! 石田村のバラガキ!」
わたしは寝坊した朝ぐらいの機敏な動きで身を起こして、映画で見たカマキリ拳法みたいな構えをした。
意外と上手く出来ていたからか、びっくり顔で切れ長の目を見開いてる。
「……どうしてそれを……んなくだらねぇことまで調べてんのか」
心なしか、少し頬が赤い気がする。女性みたいになまっ白い肌だからかなり目立つ。
「バラガキ、のこと? あなたの子どもの頃の話なら結構詳しいんですから!」
史実第一主義の日本の司馬遷・先生の『黒い狼』を熱読してるおかげで、新選組知識についてはトシサンの少年期のみに限って自信満々だ。
けど、現代からタイムスリップしてきたから歴史・時代小説界で大スターのあなたのことを知っていて、かつ職業は新選組小説編集者、プライベートな好意を寄せる作家先生の為に取材したいなんて、本当のこと言えるわけない。
ヤバイ女だと思われる!
え? わたし、変? いやいや熱血現地取材の件じゃなくて、タイムスリップしたなんて信じてもらえるわけないですよね、先生。余計に病人扱いされちゃいますって!
「ええと新選組が大好きで、絶対入りたいから、調べたんです!」
うーん、我ながら苦しい……!
でも、採用してもらうには御社に対する熱意が大事! それを存分に伝えなきゃ!
就職氷河期を血反吐吐く思いで勝ち抜いたノウハウを、ここで活かさずいつ活かす!
「全部話しましょうか?」
と前置きして、覚えてる限り喋った。
「土方歳三、諱は義豊、幼名は歳三と書いてトシサン」
先生がそう書いてらっしゃるからわたし、さっきからこう呼んでしまうんですよね。絶対本人には呼び掛けないように注意しなきゃ。
「武州多摩石田村でお大尽と呼ばれる程の豪農の末っ子。ご両親を早くに亡くし、姉のおノブさんに育てられたおかげでベッタリシスコン。嫁ぎ先の日野宿名主・佐藤彦五郎さんのお宅にまで入り浸ってたんですよね?」
先生は隠れマザコンっぽい描写もしていたけど、それを言わないくらいの配慮はしておく。
「バラガキは多摩地方に伝わる言葉で、イバラみたいにトゲトゲしい悪ガキって意味でしたね?」
問い掛けて語尾を上げても、ウンともスンとも言われない。けどこのくらい暗記できるくらいには読み込んでる。 それがわたしの仕事だし、先生の作品が大好きだから、間違ってるわけない。
「ケンカ三昧のガキ大将で、イタズラ大好き。高幡不動尊の門に登って、参拝客に生卵ぶつけてたんですってね」
これ読んだ時、普通に軽く引いたわ。
「せっかく大店に丁稚奉公に行ったのに番頭とケンカして、一晩中歩いて出戻ったんですよね?」
使用人孕ませて、逃げた後に手切れ金持って謝りに行った説もあるって書いてありましたけど、これも話すのは自重。他にも笑い話にできない系ネタだらけだから、慎重に選ばないと。
「それからは家伝の石田散薬の行商するとか言いながら、メインは稽古道具担いで道場破りしてたんですよね」
そういえば先生、石田散薬ロゴが入ったトートバッグお持ちですけど、かなり可愛いのでお揃いにしてもいいですか?
「毎晩お風呂上がりに大黒柱に向かってお相撲のぶつかり稽古して、武士になるんだって宣言してお庭に矢竹まで植えたんでしたね」
その大黒柱と矢竹は資料館に現存するから、今度取材に行こうって、先生言ってたなぁ。
「大好物は沢庵で、出稽古帰りに樽ごとゴロゴロ転がして持って帰ったんですよね」
わたしも沢庵とか燻りがっことか好きだけど、さすがにそれはないな。あ、好きと言えば。
「趣味は俳諧で俳号・豊玉。代表作は、梅の花一輪咲いても梅はうめ。しれば迷い、しなければ迷わぬ恋の、」
「もういい! お前の調査能力は十分わかった」
いや、じゃなくて、わたしがアピールしたいのは、御社いや新選組への熱意! といっても知ってるのはトシサンが京都に行く前のエピソードだけですけど。
ちょっと方向性がズレたけど、作戦成功かも。トシサンは興味深げにわたしをじっと見る。自信満々のイケメンに ありがちな、目をしっかり射抜いて話すタイプだ。
風向きが変わって来てるのを感じる。トシサンは迷ってる。このまま押せば、入れるかも!
「ひとりで調べたのか」
「はい! 新選組大好きです! 入隊させてください!」
ウソです!
「間者じゃねぇんだな?」
「だから病人じゃないですって!」
さっきからそこ気にしてくるけど……あ、そっか。入隊条件は健康優良児でしたっけ。
「こんなガキ寄越すわけもねぇ、か」
低く呟いてるけど、聞こえてるってば失礼な!
「あのですねぇ! さっきからガキガキ言いますけど、わたし、22歳です!」
と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
先生の、やっぱり失礼な講評を思い出したから。
二十代前半の女が男装して入隊なんて無理がある。わたし・宮本翼みたいに少年っぽく見えるなら、ギリギリいけるかも。って、はいはいトシサン以外漏れなく騙せてますーありがとうございましたー。……笑うだろうなぁ、先生。
「お前、いくつだ」
「……22ですけど」
「はぁあ!?」
まだ、若く見られて喜ぶ年齢でもないんですけど。それとも、おいおい結構いってんな、って意味?
「15歳ってことにしてください」
「家族は?」
あっさりOKかーい! トシサンも先生と同じ意見ってこと? 少年ならいける、って。ここは、喜ぶべき、かな。
「いません。天涯孤独です」
ここでは、新選組に入るしかない。
先生の為、うたかたの恋心の為、シタゴコロの為。
なんて、本当は表向きの理由付けだ。
今だって、ずっと怖い。
帰れるか、生きていられるか、なんの保証もない。
なにかここに来た目的が、夢中になれるものがないと……不安で圧し潰されそう。
「入隊を許すには条件がある」
トシサンは三本の指を立てた。先生とは全然違う、胼胝がいっぱいのボコボコした手だ。
「女であることは隠せ」
悔しいけど自信あります! わたしはコクコク頷いた。
「監察方に入れる。俺の命令には絶対従え」
観察型? 楽し気な単語に、つい大学生の時に散々参加しまくった合コンで飛び交うフレーズが頭を過る。王様の命令はぁーゼッターイ!
「最後に言っとくが。ゼッテェ俺に惚れんなよ」
「あははははははははは!」
「テメッ、なに笑ってやがる」
軽めのチョップが降ってきたのを、得意のカマキリ拳法で受け止める。
「いや、マジで言ったと思いまして」
だって、あなたはわたしのイメージ通りだから。
「ご安心を。わたし、彼氏いるんで」
「カレシ?」
余計な見栄張ったけど、そっか、彼氏なんて言葉ないか。
「トシサンは好みのタイプじゃないんで、その心配はご無用です」
「おい今なんつった」
しまったあああああトシサンって呼んじゃったあああああああ!
ここで天の助け。いきなり障子が開いたと同時によく通る明るい声が響いた。
「終わりましたぁ」
入隊試験の終了報告に来たらしい沖田くんがわたしに気付くと、まだ居たのかと言うようにぎょっとした。
「ちょうどよかった、話がある」
この突撃訪問スタイルに慣れてるみたいですんなり招き入れると、沖田くんは渋々といった感じでわたしと距離を空けて座る。いちいち傷つく反応されるなぁ。
「コイツ、お前と同室にする」
「はぁあああああ!?」
さっきのトシサンの百倍増しのリアクションで返す。
いやいやいやいや、ありえない、ありえない!
さっき散々、ホントは女だってバレてる上で話進めて、そもそも入隊条件として他人にバレるなって言ったのあなたでしょ! 年頃の男女が同室ってどうなの! って言いたいけど言えない!
「……入隊を許すんですか」
わたし以上にめちゃくちゃ嫌そうなんですけど! 沖田くん態度に出過ぎ!
「んなに弱かったか」
「いえ。強いの弱いの言う前に、木刀の構え方、手が逆でした」
えっ? そうなの? 右利きだし右手が手前のほうが持ちやすくない? と、これも言いたいけど言えない。トシサンが心底ゲンナリって顔で睨んでくるから。
「ヤットウはからっきしだが、諜報に使う。お前、ガキ好きだろ。面倒見てやってくれ」
ガキじゃないのも知ってるでしょうが! マジでなんなの、このひと! イヤガラセ? こうすれば出て行くとでも思ってるとか? ホントは追い出そうとしてる?
トシサンの思い通りになんてならない! 誰が出て行くもんか!
「よろしくお願いします!」
わたしは畳に鼻が擦れちゃう勢いでお辞儀した。
入隊条件のひとつ、トシサンの命令はぁー、ゼッターイ!
ここで引き下がってたまるか!
「土方さんの魂胆、当てましょうか」
はい、わたしの渾身のお辞儀は丸無視です。だから傷つくってば! さすがに心折れそう!
「間者かもって、疑ってるんでしょ? 私に見張らせて、怪しい動きがあれば斬れってことだ。私なら、逆に寝首を掻かれる心配もない」
……なんか、わたしまた勘違いしてる? カンジャって、どういう意味?
というか、それ本人を目の前にして言っちゃう?
「……まぁ、半分は。そんなところだ」
ちょっと! 物騒すぎるこの人たち!
「しょうがないですねぇ。いいですよ」
よくなーい! まだ十分嫌そうだし! 怖い! 眼が笑ってない!
……でも、新選組って、そもそも物騒なところだ。というより、幕末の京都っていう時点で、安全な場所なんてない。
来てしまったのは突然だけど、この場所で生きるって選んだのは、わたし。
「僕は健康です! 改めて、よろしくお願いします!」
沖田くんが初めてわたしに掛けた言葉はサヨナラ。
でももうしばらくは、あなたの口から聞きたくない。
今はまだ、サヨナラは言わないでください。
そんな未来がひたすら恋しいですが、今は、この局面を乗り切るのに精一杯です。
「次!」
「は、はいぃっ!」
よ、呼ばれてしまいました。
先生、あたしは今、多分幕末に来ちゃっています。
「宮本、つ、翼です! よろしくお願いします!」
多分、壬生寺っていうお寺近くの新選組屯所で合ってると思うんですけど、ここに来てから噛みっぱなしです。
きっと、幕末ですよね?
先生の『新選組~幕末の黒い狼~』で拝読した時代にそっくりなんです。
建物も、住んでる人たちの着てる物も、時代劇のまんまです。
「一番隊の沖田です」
にっこりと笑うのは、天才美剣士として有名な、あの沖田総司です。
想像通り、ものすごい麗しいです。
成行きで、新選組の入隊試験を受けることになったので、あたしは木刀を……。
早速困ってしまってまして……これ、木刀って、どうやって持てばいいのでしょう?
とりあえず、見よう見まねで持ってみますね。
そしてこれも想像通り、沖田総司、ものすごい強いです。
というか、あたしが持ってた木刀、一瞬で宙に吹っ飛んだのですが。
「つまんないなぁ。全然ダメじゃないですかぁ」
沖田総司は、あきれ顔で肩を落として、ずっと後ろのほうで腕組みしていた人を振り返ります。
写真が残ってるし、すごい人気だから、あたしでも知ってます。
幕末史が誇る超絶イケメン・新選組副長土方歳三です。
「土方さぁん、コイツ、斬っちゃってもいいですかぁ?」
「えええっ!」
それこそダメに決まってるじゃないですか! ってかすでに真剣持ってません? え、これ流れ的に普通にホンモノですよね先生? いつのまに?
「まぁ待て総司。宮本、ちょっと来い」
助けてくれた?
鬼の副長なんて言われてるけど、実は意外と優しいんですね!
あたしは土方歳三に連れられて、個室に入りました。
さっぱりとあんまり物がなくて、もしかしたら土方歳三のお部屋なんですかね?
「……えっ」
って、先生えええ! あたし、いきなり壁ドンされてるんですけどおおお!
「なんでこんなとこに女がいやがる」
ば、バレてる! 着物に袴を穿いて男装してるのに、なんで?
――……
「いや、バレるでしょ」
ここまで読んで、先生は原稿用紙をバサリと置いた。
書斎を真っ暗にして、デスクの蛍光灯だけで仕事をするのがお好きな先生の手から放られたわたしの原稿は、白く冷たいスポットライトを浴びる。
「……ひどい。先生に捧げたわたしの処女を」
昼間でもこの環境を作る為に、高層マンションからの絶景が見渡せるせっかくの大きな窓は虚しく遮光カーテンで閉め切られている。
来客、つまりわたしが来ようと、それは変わらない。他のひとの時もこうなのかな。
「“作”は略すな」
長時間座っても疲れないという触れ込みの高級デスクチェアに背中をぐっと押し付けて、背凭れってこんなに曲がるんだなと感心する程に伸びをする。
いや、そんな長時間読んでくれていないでしょうに。
「それに、処女作でもないでしょ。元作家志望さん」
この、銀縁眼鏡越しの流し目が好き。
なんて、一生言うもんか。
「直木賞受賞の大作家先生、ご講評をお願いします」
わたしがペコリと頭を下げると、先生はさらに意地悪く笑う。
その、笑うと片眉が少し歪むところも、眼鏡を上げる時の、力仕事なんてしたことないんだろうなとわかる、女性みたいにしなやかな指も……言わないけど。
「講評、ね。これなら俺が読む前に下読みで落とされてるだろうね」
公募文学賞は、看板の選考委員の先生方が読む前に、主催する出版社の担当者や編集者やアルバイトが下読みという一次選考を行う、なんてことは知ってます、一応先生の担当編集者なんで、むしろ下読みしたことあります。
「もう! 先生が書けっておっしゃったから書いたのに!」
うちの出版社以外にも多数連載を抱える、実力人気共にトップクラスの小説家である先生に、いきなり読んでくださいと原稿を突き付ける失礼はしない。
緻密な時代考証に基づく本格歴史小説で名を馳せる先生の、ある意味本気の流行小説を、という上司からのゴリ押しで、主人公がタイムスリップしちゃう系作品を提案したのはわたしだ。
しかも流行に乗るならとことんで、舞台は一定数の固定客が見込める幕末、スターの宝庫新選組、主人公はもちろん年頃のカワイイ女子、モテモテチート・逆ハー恋愛モノでいきましょう、と息巻いたら、逆ハーって何? との安定のすっ呆けぶりだった。
「そんなに言うなら、ちょっとお手本書いてみてよ」
なんて無茶ぶりに嫌とは言えず、あ、言ったけど、渋々書いた結果がこれなんだけど、むしろこんな駄作を読んでいただくのに貴重な時間を費やすくらいなら、一文でも多く原稿を進めていただきたいのが本音だ。
憤慨するわたしに弁解するでも少しでも謝る素振りを見せるでもない丸無視を決め込んで、急に“ご講評”が始まった。
特に読み直してるわけでもないでしょうに、多分ポーズとしてまた原稿を手に取り、目を落とす。
「突っ込みどころ多過ぎるから、最低限だけ言うね」
いきなり辛辣なんですけど。
「沖田くんさぁ、いきなり斬るとか言わないでしょう」
そこ? というか、あなたはまさに今、バッサリ斬ってますが。
「人気の黒沖にしてみました」
眉間に皺で溜息しながら続けられるけど、こういう表情もいいんですよね。
笑顔で褒めてくれるなんて期待してないから、先生を、困らせたい。
その時は、わたしのことを考えてくれてるって、感じるから。
「はいはい、毒っ気強めの沖田くんね。歴史・時代小説市場で、幕末モノは戦国モノと二極化する程の作品数だよね。中でも手垢つきまくりの新選組モノは、ファンも目が肥えてるからね。こういう沖田くんが好きなんでしょう? っていう作者の魂胆が見えるとコアなファンは一気に引くよ」
ぐうの音も出ない。新卒の編集者なんかとは、比べ物にならない。
だから勉強させていただく為に、ド新人のわたしがベストセラー作家の先生に付かせていただいたんだけど。
「沖田くんは、全然こんなんじゃないからね」
先生の作品ではまだ沖田総司は登場していないから、どんな風がお好みかなんてわからないです。
「……まるで、会ったみたいにおっしゃるんですね」
それにしても意外です。
先生は、自作他作問わず小説や映像作品の中での歴史上人物は基本的に呼び捨てにするのに、友達のように呼ぶなんて。
苦し紛れのわたしの皮肉なんか丸無視で、また辛口批評を続ける。
「それとさ、土方。この後なんだかんだで『俺に惚れんなよ』とかの台詞を吐くんでしょ」
読んでないのに、やっぱりわかっちゃうんですね。
「それはないでしょ。いくら色男でも」
ええと、入社したばかりのわたしが担当編集者として初めてご挨拶させていただいた時に、
「俺のこと、好きになっちゃダメだよ」
とか、しゃあしゃあと吐いてらっしゃったのが記憶に新しいのですが。
先生は高学歴高収入高身長の上に如何にも女好きする恵まれた容姿をお持ちなので、ムカつくくらいにモテる。
何人もの女編集者が骨抜きにされてるってウワサだから、そんな人にうら若くか弱い女性、つまりわたしを付ける上司もなかなか浅慮だと思うけど。
女は、男の圧倒的な地位と才能に平伏すのに興奮するイキモノ。
バツイチ子無し、というのもむしろ重要なスペックだ。
「で、主人公は土方に次第に惹かれながら最終的には相思相愛になりつつ、沖田くんあたりの横恋慕かつ君でも知ってるくらいの有名隊士はもれなく主人公に片想いでしょ?」
「……まぁ、おっしゃる通りです」
だって、逆ハーにするって設定ですから。とはいえ、冒頭チラッと読んだだけで全て見抜かれてさすがに悔しいです。
「主人公と土方と沖田くんの三角関係? 読み厭きたんだよね。そういうのは」
え、ラノベっぽいのも読まれるんですね。ならやっぱり逆ハーくらいご存じじゃないですか。というか、いらなくないですか? わたしの問題作。
「第一致命的なのが、時代考証が全然なってない」
大学・高校時代の黒歴史として小説家を志したこともあったけど、わたしのジャンルは小中学生向けのファンタジーだった。
先生は初の中学生歴史作家としてデビューして以来、“日本の司馬遷”なんてキャッチフレーズがつく程の鬼才として二十年、ずっと第一線で活躍されている。
先生を知って、そんなバケモノみたいな才能が当たり前に犇めく世界で、対等に戦って勝ち残るなんて絶対無理って、夢を諦めたんだ。
まだ、土俵にも立っていないのに。
でも今は、弱肉強食群雄割拠の戦場で、作家先生と共に戦う敏腕編集者っていう新たな目標ができたし、公私共に俄然夢中だから、全然未練も後悔もないけど。
「わたし、歴史モノって先生の作品しか読んだことないんで」
「胸張って言うな。じゃあ新選組の知識なんて皆無じゃない」
先生の著書で新選組を題材にしたのは、最新作連載作品候補として途中まで執筆されている『新選組~幕末の黒い狼~』だけ。それも、主人公・土方歳三がバラガキとか呼ばれつつ故郷で燻っている、という序章までだ。
で、さっきから、公募挑戦して落選からの突撃持ち込みしてる作家志望と原稿をチェックする鬼編集の構図なんですけど。
ナニコレ? そういうプレイ?
「あとさ、い抜き言葉とか変な日本語が異常に多いんだけど、これはわざと?」
「ミスですぅーすいまっせんでしたぁー」
この憎たらしい返答の後に、わたしは読むプロであって、書くプロではありませんからと付け加えるべく口が滑りかけたけど、もっと手厳しい追撃を受けそうなのでやめておいた。
「それで、さぁ。主人公はいくつ? 君と同じ編集者って設定なら、どんなに若くても二十代前半くらいだよね?」
はい、わたしとタメです。主人公の性別、年齢、職業は自分と同じほうが感情移入できるかな、と。
って、これは建前で、こんな無茶振りしてくる先生への当てつけですね。
お気付きかと思いますが。
「男装して新選組入隊って、ムリあるでしょ」
先生が疲れ気味の気怠い仕草で立ち上がるので、わたしは少し避ける。
先生のルーティーンでは、平日午前九時から午後六時までと時間を決めて執筆する、というサラリーマン染みたスケジュールなので、平日の真っ昼間からどこかへ出かけるでもないのに、いつも白シャツにダーク系のパンツ、というカッチリとしたコーディネートだ。
一介の担当編集者であるわたしなんかに、隙は見せないってことかな。
「コドモじゃあるまいし、体型とか声でバレるでしょ。そもそもさぁ、男装の女性が入隊って、どこで寝るの? 壬生寺が出てくるってことは八木邸と前川邸にご厄介になってる頃だよね? 平隊士は大部屋で雑魚寝だけど」
「それな。いや、だから知らないです! すみませんでしたーそこまで考えてませんでしたー」
ついついタメ口本音が出てからの後半部分、ヤケクソの棒読みだ。
正直、書いてみてから悩んだ部分だった。実は女だという秘密を共有するからって土方歳三と同室にするわけにもいかないし。
「まぁ、君みたいに小さくて華奢なら、ギリギリ少年に見えなくもないかな」
女性がされると喜ぶという定番の頭ポンポンを半歩下がって阻止する。
これ、女が喜ぶと思って狙ってやってくる男って多くない? でも残念ながら、女のリアクションが良いのは、ただしイケメンに限るってヤツ。
「セクハラです」
条件は余裕でクリアしてるけど、誰より先生に、子ども扱いされるのはキライ。
いろんな意味で正直ムッとした。
どうせわたしは、チビでヒョロヒョロで、どう贔屓目に見てもグラマラスとかセクシーとかの表現は当て嵌まらない。
ずっと黒髪ロングヘアだったのをバッサリと切って茶髪ベリーショートにしたのが致命的だったかも。
「おお怖。これだから今時の若いコは」
ゆとり扱いされるのは慣れてるけど。正しくはわたしくらいの年齢だと、悟り世代っていうらしい。
「たったのひと回りぐらいじゃないですか」
「言うね。一回りも上ならただのオッサンでしょ」
イヤミと受け取られたらしいけど、リアルに同じ干支だけど、先生をただのウルサイオッサンと思えたらどんなにラクか。
「名前まで同じにして……君がモデルかと思いきや、中身は全然違うよね」
主人公の名前がわたしと同じなのは、単に考えるのが面倒だったからです。あとはやっぱり、先生への当てつけ。
「それとも、俺に隠してるだけで、本当はこんなに素直なのかな」
わたしの中身なんて、あなたが一番知ってるくせに。
気付いてるんですよね? わたしの気持ち。
「タイムスリップは否定しないけど、現代に帰られるかも不明なのに、呑気に現地取材なんてしないでしょ」
先生の蔵書に『ムーの世界』が創刊号からバックナンバー全て揃えられてるのは存じております。
前半部分は同感ですが、後半部分はどうでしょう。
わたしなら、先生の為に全力で調べてきますけど。
あ、先生の作品の大ヒットひいてはうちの出版社の繁栄そしてわたしの出世の為、ですけど。
「わたしなら、先生のお役に立てますよう、命懸けで取材してまいります」
「……ダメだよ。そんなのいいから。必ず、俺のところに帰ってきてね」
子どもにするみたいに、髪を撫でる。
ズルい。避けられなかった。
「おっと。セクハラだったね」
今更でしょう? もっとイロイロしたくせに。わたしの妄想のなかで、だけど。
「やっぱりさぁ、書けないよ。『黒い狼』でいこう」
すぐに手を離した先生は、またドサリとデスクチェアに腰掛けた。
加えて、眼鏡を外して目頭を押さえる。仕事終わりの時によくする仕草だけど、実際はまだ仕事の話が続く。だってまさか、プライベートなお誘いのわけない。
「それよりさ、連載にあたって君の知識のなさはマズ過ぎ。取材行くよ」
「やったータダ旅行! わたし京都初めてです!」
「観光じゃないからね」
小説と違って、わたしは全然素直なんかじゃない。
別に初めての京都や、ましてや会社の経費で旅行できることが嬉しいわけじゃない。
両手を上げて大袈裟にはしゃぐわたしに目を細める先生の表情は、妹か何かを眺める、いかにもヤレヤレといった風情で、それ以上には決してならないとしても、今はまだ、十分に幸せだ。
このまま、担当編集者として先生を支えて、次の作品からずっと逆指名していただけるようになりたい。仕事だけの関係で構わない。その中で、最高のパートナーになりたい。
それが今のわたしの夢だ。
こんな、わたしにとっては大切で輝いていて、先生にとってはごく平凡な日常が、続くと思っていた。
先生、ごめんなさい。
わたしは今、幕末にいます。
あなたのところへ帰られるかは、わかりません。
観光ではない、という言葉通り、まずは初期の新選組に縁の深い壬生寺に向かおうと。
一緒に乗っていたタクシーに、居眠り運転だろうか、対向車線の黒い乗用車が正面衝突してきた。
のだと、思う。
記憶が曖昧で、よく覚えていない。
後部座席でのんびりと京都の景色を眺めていたら、急ブレーキの音がして、気が付いたらフロントガラスの向こうには猛スピードの車が迫っていた。
ぶつかる、と思った瞬間には、走馬灯の余裕もなく、大きなお寺の境内に座り込んでいた。
もしもタイムスリップしても帰ってくるよう言ってくれましたけど、ご無事ですよね?
あの時、先生がわたしを呼んでくれた気がしたけれど、それもよく覚えていないんです。
先生、わたしを、待っていてくれますよね?
なにか、叫んだ後なのかもしれない。
ひどく喉が嗄れている。
それはそうか。
交通事故に遭ったのだから。
遭った……?
いや、それならこんな、全くの無傷でいられるわけがない。
「……先生!」
わたしは急にハッとして辺りを見回した。
「ここ……どこ?」
先生の姿を探そうとしたわたしの周りには、見たこともない景色が広がっている。
ぺたりと座るわたしは、この土埃舞う広い境内でも、砂ひとつ付いていない、グレーのパンツスーツの、太腿で手を拭う。
汗が、止まらない。
“今、来たばっかり”という風情の自分。
立ち上がることもできず、首の旋回だけで辺りを見渡し続ける。
その首から上が、ひんやりと冷えていく。ありありとわかるくらいに、血の気が引いていく。握り締める、手先が悴むように冷たい。
だけど胸の鼓動は早鐘を打ち続ける。胸を押さえたくなるくらい、心臓に違和感を覚えるくらいに波打つので、否が応にも認めざるを得ない。
わたしは今、ものすごく怖い。
「なぁなぁ、今日はソージ来ぃひんの?」
悪事が見つかったみたいにギクリと肩を縮み上げて振り返ると、幼稚園生や小学校低学年くらいの子ども達がガヤガヤと歩いてきた。
「なんや忙しいから来れへん言うてたよ」
「うっそやぁ! 忙しいわけあらへんやん」
「うちらに負けるんが怖くて逃げたんやで」
京ことば? 地元の子ども達だろうか? みんな着物を着てるけど、お祭でもあるのかな?
なんにしても、あの子たちにはあの子たちの日常がある。明らかに異質なのはわたし。
急にこんな場所にいるのは、おかしい。
事故の衝撃で車内から放り出されて、ここに着地した?
でも、身体中少しも痛いところすらない。
そして、先生がいない。
わかっているのに、何度も辺りを見渡すうちに、少しだけ冷静になった気がする。
おかしいのは、わたしだけじゃない。
ここ……電信柱も電線もない。ビルとかの高い建物もない。
やけに、空が広いと思った。
納得のいく答えは、思いつく限りひとつだけ。
わたし、死んじゃったんだ。
きっとここは、死後の世界ってやつだ。
だから急に、知らない場所に、何事もなかったかのように無傷でいる。
鼓動の高鳴りは感じるけど、握った冷たい手は悴んで動きにくい。
吸って吐く息は温かいけど、こんな空、知らない。
境内で遊ぼうとしていた子ども達も、かわいそうに、幼いながらに命を喪ったんだろうな。
そう思って子ども達のほうを見ると、同じようにわたしを見ていることに気付いた。
それもかなり遠巻きに。
ヒソヒソと内緒話をしているようだけど、正直、死んでしまったわたしは、誰にどう思われてもどうでもいい。
っていうか、かなりショックなんだけど。
まだ22歳で、やっと就職したばかり。
出版社に入って、念願の文学誌編集部に配属されたのに。
絶対叶わない相手だけど、好きなひとがいるのに。
叶わなくたっていい、担当編集者として、一番近くで先生の作品をサポートできるチャンスだったのに。
ひどい、こんなの。
死んでしまうってこんな感じなんだってもちろんわからなかったけど、今更自覚して、視界が歪む。
映画や小説以外で泣くのなんて久しぶりで、きっとこれが最後だ。
「なぁなぁ、にいちゃんは異人はん?」
ゴシゴシ拭う気にもなれず頬に流し放題にしておいた涙顔のまま、声のほうを見上た。
情けなくも座ったままだったので、取り囲むようにしていつの間にか近付いてきた子どもたちから降り注ぐ視線を集めるわたしはイジメられてる亀みたいだ。
いや、偉人さんって……それより男じゃないんだけど。
「……違うよ」
偉い人ではないし、そもそも男じゃないよ、とか詳しく答える気力がなくてボソリと陰気に呟いた。
確かにショートカットだしパンツスーツだけど、男に間違われる程に色気ないかなと、自分の死とほぼ同じと言っていいくらいにショックだ。
「ぅわああ! 言葉通じるやん!」
「ほんまや! にいちゃん、キッレーな髪しとるなぁ」
だから男じゃないってば!
さっきまで警戒心丸出しだったのに、急に安心したのか子ども達は口々にいろいろ話しかけてくる。
偉い人じゃないっていうのは伝わったみたいだけど、東京生まれの東京育ち、 根っからの標準語のわたしに京ことばが通じるだけでこんなに驚かれるのに、女だって訂正して驚かれたらさすがに精神的にキツい。
「……そうかな? ありがと」
ちょっと明るめの茶髪だけど、そんなに珍しいかな? え、キューティクルとか髪質を褒められてる?
「着物もカッコええやん!」
このスーツ、先生と旅行だからって気合い入れて買ったからね。
って……さっきから、いちいちこんなに珍しがられるっておかしくない?
もしかして……。
「君たち、いつからここにいるの?」
この子達が着物なのは、お祭の日だからじゃない。
きっと、わたしが来るずっと前から、ここ死後の世界にいるんだ。
日本人が、着物を普段着として着ていた時代の子ども達なのかもしれない。
だから、わたしの茶髪も洋服も珍しいんだ。
それなら、男と間違われてもしょうがない、と無理やり自分を納得させる。
だって、昔の女性なら長い髪を結っているのが当然で、こんな短い髪なんて男性でしかありえなかっただろうから。
今更だけど、男の子も女の子も、しっかりと髪を結っている。
お祭とかハロウィンの仮装とかではない。
わたしとは、生きていた時代が違うんだ。
そしてずっとずっと前から、ここにいる。
そんなの、切なすぎる。
「へっ? たったさっきやけど」
そうなの?
死後の世界って死んでしまったらすぐに来る場所かと思ってたけど、違うの?
「なぁ、それより、にいちゃんも一緒に遊ばへん?」
なんかちょっと、混乱してきた。
いや、もうここに来てからずっと混乱しっぱなしなんだけど。
急にこんなところに来て何していいかわかんないし、遊ぶのはいいんだけど、なんか実際……こんな感じなんだ。
定番では、三途の川が流れてるとか、お花畑があるとか柵に囲われてるとか……路線を変えれば死神が迎えに来るとかいろいろバリエーションあるけど、逆にそう考えたら、すごい普通の場所じゃん。
ごく普通の、お寺の境内なんだけど。
「アホやなぁ、こんな格好しとるんやから、なんや大事なオシゴトでもあるんやろ」
仕事? え、何ここ雇用とかあるの?
「ソージかて、いっつも稽古着でふらふらしとるけど、隊務やぁいう時は浅葱のダンダラ着とるやん。気張った衣装にはそれなりの理由があるもんや」
「さすが為ちゃん、冴えとるなぁ」
そうそう何せ先生と四六時中一緒の京都旅行だからね、って……あれ? もう、話すればする程に混乱するんだけど。
少し得意気に、ふふんと笑うタメちゃんと呼ばれた少年はくるくると円らな、屈託のない瞳をこちらに向ける。
「にいちゃんの仕事相手、異人はんやろ?」
偉人……?
「あーっ、せやから異人はんみたいなカッコしてはるんかぁ」
……なんかわたし、ものすごい勘違いをしてる、かも。
童謡『赤い靴』の歌詞が頭を過る。
この子達が言ってるのは偉人じゃなくて、異人だ。
ちなみに子どもの時は「良い爺さん」かと思ってたけど。
そんなことより、ここは、死後の世界なんかじゃない。
「……ねぇ、ここは、どこ?」
頬を擽る風を急に感じる。気持ち良いと思う余裕はなかった。
「初めて来たん? 壬生寺やで」
先生と向かっていた最初の目的地、新選組の最初の本拠地である、京都の壬生。
それには少し驚くけど、本当に聞きたいことには驚かない。
心の準備はできてる。だって、それですべて辻褄が合う。
「“ここ”は、西暦何年?」
「おかしな兄ちゃんやなぁ。セーレキ?」
突然、こんなところに来てしまったのも、ケガひとつしていないのも、ここに電柱も高層ビルもないのも、子ども達が着物を着て髷まで結ってるのも。
やけに、空気が澄んでいるのも。
「何年かぁいうたら、元治元年やろ」
ここは、幕末の京都だ。
死後の世界より、もっとすごいところに来ちゃったみたい。
納得のいく答えはこれだけだ。
なんて、知った風なこと思うけど、元号を聞いただけで幕末かどうかなんてわかんない。先生に、勉強不足にも程があるって怒られちゃいそうだけど。
「それも知らんなんて、ほんまに異国かぶれやなぁ」
でも先生、少しだけ褒めてください。
決め手になったのは“浅葱のダンダラ”。
さすがのわたしでも知ってる、新選組の代名詞だ。
大ヒット作品の為の現地取材に意気込んでたからこんなことに? ここまで本格的な現地は望んでなかったんだけど。
……現地取材! そうだ!
死んでなかった! こんなところにいるけど、わたし、生きてる!
ぼんやりと抜け殻みたいで全然力が入らなかった身体は、自然と立ち上がった。
情けなく座ったままだったわたしは、砂埃すら払わずに駆け出しながら、子ども達に手を振る。
「ありがとう! またね、バイバイ!」
突然の行動にビックリさせてしまったみたいで、ポカンと口を開けた子ども達は、意外と足が速いと評判のわたしの背中に元気に声を掛けてくれた。
「気ぃつけてなぁ! さいならぁ!」
でもまだ今は、サヨナラは言わないで。
女は度胸と、有言実行。
もしタイムスリップしたら、先生の為に現地取材するって宣言したからには、いっそ新選組、入っちゃう?
残念ながらわたしは、女には見えないみたいだし。
斬ったり斬られたりは絶対無理だけど、確か勘定方っていう非戦闘員的な役割があったはず。
いける!
自信がみるみる湧いてきた。
先生、約束ですよ。
必ず、たっぷり取材して帰るから。
待っててくださいね。
わたしの問題作、ちょっとリアリティ有り過ぎ。
やっぱり早速、入隊試験で躓くじゃん。
「始めますよ。構えてください」
あらゆる場所を歩きまくって探索したけど、やっぱり、幕末の京都で間違いない。
元治元年の四月……季節的には春だけど、旧暦っていうのは現代よりも一か月くらいズレてるから少し汗ばむくらい。
若草色の着物に黒袴は、親切なお姉さんにもらった。
取材で歩き回ってる時に声を掛けられたんだけど、わたしの容姿が亡くなったご主人に似てるとか。そのご主人のお古をわざわざ裾上げしてくれた。
現代に比べると男性も女性も背が低いけど、わたしはこの中でもチビなので随分と短くなった。
洋服に茶髪のわたしはすっごく目立つらしくて、みんな嫌そうな顔で睨むように見てくる。
幕末の人たちは、外国人が嫌い……というか、怖かったんだろうな。
そんな中で声を掛けてくれたお姉さんは女神さまみたいに輝いて見えたから、また男と間違われたことは我慢する。
別れ際に、また来てねと言われたけど、もしかするとあれが色目ってやつかもしれない。
「……は、はいっ!」
幸運なことに、新選組はかなりの増員を図るらしく大体的な隊士募集をしていた。
応募資格は、特になし。
身分家柄を問わず、広く募集するとのこと。
なら、タイムスリップしてきた女でも、やる気があれば入れるでしょ。
もちろん、そこはヒミツだけど。
壬生寺の境内に参集したわたし達入隊希望者は、黒山の人だかりになっていた。
新選組幹部っぽい髭の渋い男の人が出てきて一声号令を掛けると一斉に静まり、指示通りに三列縦隊に整列して、順番に入隊試験を受けることになった。
すごい迫力。如何にも一騎当千の猛者って感じの人だ。
入隊試験には一般常識テストも面接もない。いわゆる試験官との手合わせのみ。
試験官は三人いて、さっきの髭の人と、強いんだろうけど目元の優し気な頬の痩せた人。
そしてわたしが並ぶ列を担当するのは、一際若くてヒョロリと背の高い人。一見、虫も殺さないような顔をしている、この言葉そっくり返されそうだけど、少年みたいな人だ。
それにしてもホントに、木刀の持ち方すらわかんない。
周りの見様見真似でとりあえず両手で持ってみるけど、相手に向けた先が少し震えてしまうくらい重い。
こんなの振り回すとか、ウソでしょ。
一度死んだつもりで意気込んで潜入捜査を試みたっていうのに、もう絶望しかけてる。
木刀の冷たさと重さも手伝って、わたしの手は少し震える。そこから目線を試験官に向けようとすると、その人はいない。
ハッとした瞬間、耳元で声がした。
「今すぐ去りなさい。ここはあなたの居る場所ではありません」
背筋に電撃が走る。
動く気配、人の気配がしなかった。
「さようなら。宮本翼さん」
一瞬、現代に帰れ、と言われたのかと思った。
こっちだって、帰れるなら帰りたいよ!
「待ってください!」
心とは裏腹に、さっさと背を向けていた試験官を追いかける。
浅葱のダンダラ羽織の裾をグイと引っ張った。
何やってるんだろう、わたし。
と、自分でも思ってしまうくらいだけど。
もしかしたら入隊試験でこういうことはよくあるのかな、試験官は驚いた様子もなく、心底面倒くさそうな目線で見下ろしてくる。
こっわ……!
「おおおお願いします! 絶対にッ新選組に入りたいんです! ひ、人を斬ったりとかはできませんけど、雑用でもなんでもしますから!」
ものすごい怖くて、声どころか全身が震えていたけど、必死にベラベラ捲し立てた。
試験官は顔色ひとつ変えずに、わたしから目を逸らした。
裾を掴んだままの指は、当然のように震えている。
「ど、どうか、お願いします!」
目は冷たくても、ずっと黙ったままでも、わたしの手を払ったりしない。
もしかしたら、ホントのホントは優しいひとかも……なら、押せばいける!
そう思ったのが甘かった。
いつのまにか、わたしの後ろには、試験会場の端にずっと立っていた男がいたらしい。
「総司、お前は次の奴を見ろ」
そうじ……このひとが、あの沖田総司?
確かに……わたしの勝手なイメージと全然違う。さすが先生。
なんか、普通。いや、いい意味で。あんな腹黒っぽく書いてすみません。
さっきは怖かったけど、それは残念ながらわたしに対してだけで、このひとの前ではやっぱり少年みたいに表情が柔らかい。
え、わたしに対してだけって……地味にショックなんですけど。
「はい」
よほど迷惑だったらしく、ホッとした様子の沖田くんはさっさと次の入隊志望者に声を掛けた。
そしてわたしの目の前には、このひと……土方歳三だ。
有名な写真とは少し雰囲気が違うけど、それもそうだ。長い黒髪を一つに束ねて、浅葱のダンダラ羽織を着ている。
今更言わずもがななんだけど、眉目秀麗で、嫌ってほどモテそう。あ、ちなみに全ッ然わたしのタイプではないですよ、先生。
「宮本、来い」
拒否権は初めから無いらしく、返事も待たずに行ってしまう。なんか、歩いてるだけなのにすごい脚速い。
そして先生……わたしの問題作と、展開被ってません?
パクリだ! いやいや、そうじゃなくて。
このまま逃げる、というつもりはないし許されるわけもなさそうだから、小走りになって付いて行くけど……壬生寺を出て、大きなお屋敷の中に入っていく。例のイベントが起きてしまう。ヤバイ、フラグ折らないと。
ここまでは、わたしの問題作通り。入った部屋はおそらくトシサンの部屋。
でも先生、事実は小説より奇なりですね。
「なんで女がいやがる」
実際のトシサンは、床ドンです。
って、ぎゃああああああ! 先生ええええ!
「男の態で乗り込むなんざいい度胸じゃねぇか。どこの間者だ」
なんでよりによってトシサンにだけバレるの! そして患者ってなに!
「ぼっ僕は、女でも病人でもな、」
と、ここで、大きな手の平で口を塞がれた。
「僕? 長州か。この状況でシラ切れると思ってんのか? 身ぐるみ剥いで確かめてやってもいいんだぜ」
ぎゃああああああああああ! 先生えええええええええ!
って! いない先生を頼ってもしょうがないじゃない! しっかりしろ、わたし!
トシサンの手の平をペロリと舐めると如何にも潔癖症っぽくゲッと嫌そうに顔を歪めて、手を少し離した。
隙あり!
「イテッ!」
思いっ切り手に噛み付き、ついでに頭突きまでカマした。
いやコッチのセリフ! ものすごい石頭!
おかげで数秒、互いにおデコを押さえて涙目になった。
「クソガキ……手加減してやりゃあとんだジャジャ馬だぜ」
一度死んだ気になればなんだってできる!
「それもコッチのセリフ! 石田村のバラガキ!」
わたしは寝坊した朝ぐらいの機敏な動きで身を起こして、映画で見たカマキリ拳法みたいな構えをした。
意外と上手く出来ていたからか、びっくり顔で切れ長の目を見開いてる。
「……どうしてそれを……んなくだらねぇことまで調べてんのか」
心なしか、少し頬が赤い気がする。女性みたいになまっ白い肌だからかなり目立つ。
「バラガキ、のこと? あなたの子どもの頃の話なら結構詳しいんですから!」
史実第一主義の日本の司馬遷・先生の『黒い狼』を熱読してるおかげで、新選組知識についてはトシサンの少年期のみに限って自信満々だ。
けど、現代からタイムスリップしてきたから歴史・時代小説界で大スターのあなたのことを知っていて、かつ職業は新選組小説編集者、プライベートな好意を寄せる作家先生の為に取材したいなんて、本当のこと言えるわけない。
ヤバイ女だと思われる!
え? わたし、変? いやいや熱血現地取材の件じゃなくて、タイムスリップしたなんて信じてもらえるわけないですよね、先生。余計に病人扱いされちゃいますって!
「ええと新選組が大好きで、絶対入りたいから、調べたんです!」
うーん、我ながら苦しい……!
でも、採用してもらうには御社に対する熱意が大事! それを存分に伝えなきゃ!
就職氷河期を血反吐吐く思いで勝ち抜いたノウハウを、ここで活かさずいつ活かす!
「全部話しましょうか?」
と前置きして、覚えてる限り喋った。
「土方歳三、諱は義豊、幼名は歳三と書いてトシサン」
先生がそう書いてらっしゃるからわたし、さっきからこう呼んでしまうんですよね。絶対本人には呼び掛けないように注意しなきゃ。
「武州多摩石田村でお大尽と呼ばれる程の豪農の末っ子。ご両親を早くに亡くし、姉のおノブさんに育てられたおかげでベッタリシスコン。嫁ぎ先の日野宿名主・佐藤彦五郎さんのお宅にまで入り浸ってたんですよね?」
先生は隠れマザコンっぽい描写もしていたけど、それを言わないくらいの配慮はしておく。
「バラガキは多摩地方に伝わる言葉で、イバラみたいにトゲトゲしい悪ガキって意味でしたね?」
問い掛けて語尾を上げても、ウンともスンとも言われない。けどこのくらい暗記できるくらいには読み込んでる。 それがわたしの仕事だし、先生の作品が大好きだから、間違ってるわけない。
「ケンカ三昧のガキ大将で、イタズラ大好き。高幡不動尊の門に登って、参拝客に生卵ぶつけてたんですってね」
これ読んだ時、普通に軽く引いたわ。
「せっかく大店に丁稚奉公に行ったのに番頭とケンカして、一晩中歩いて出戻ったんですよね?」
使用人孕ませて、逃げた後に手切れ金持って謝りに行った説もあるって書いてありましたけど、これも話すのは自重。他にも笑い話にできない系ネタだらけだから、慎重に選ばないと。
「それからは家伝の石田散薬の行商するとか言いながら、メインは稽古道具担いで道場破りしてたんですよね」
そういえば先生、石田散薬ロゴが入ったトートバッグお持ちですけど、かなり可愛いのでお揃いにしてもいいですか?
「毎晩お風呂上がりに大黒柱に向かってお相撲のぶつかり稽古して、武士になるんだって宣言してお庭に矢竹まで植えたんでしたね」
その大黒柱と矢竹は資料館に現存するから、今度取材に行こうって、先生言ってたなぁ。
「大好物は沢庵で、出稽古帰りに樽ごとゴロゴロ転がして持って帰ったんですよね」
わたしも沢庵とか燻りがっことか好きだけど、さすがにそれはないな。あ、好きと言えば。
「趣味は俳諧で俳号・豊玉。代表作は、梅の花一輪咲いても梅はうめ。しれば迷い、しなければ迷わぬ恋の、」
「もういい! お前の調査能力は十分わかった」
いや、じゃなくて、わたしがアピールしたいのは、御社いや新選組への熱意! といっても知ってるのはトシサンが京都に行く前のエピソードだけですけど。
ちょっと方向性がズレたけど、作戦成功かも。トシサンは興味深げにわたしをじっと見る。自信満々のイケメンに ありがちな、目をしっかり射抜いて話すタイプだ。
風向きが変わって来てるのを感じる。トシサンは迷ってる。このまま押せば、入れるかも!
「ひとりで調べたのか」
「はい! 新選組大好きです! 入隊させてください!」
ウソです!
「間者じゃねぇんだな?」
「だから病人じゃないですって!」
さっきからそこ気にしてくるけど……あ、そっか。入隊条件は健康優良児でしたっけ。
「こんなガキ寄越すわけもねぇ、か」
低く呟いてるけど、聞こえてるってば失礼な!
「あのですねぇ! さっきからガキガキ言いますけど、わたし、22歳です!」
と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
先生の、やっぱり失礼な講評を思い出したから。
二十代前半の女が男装して入隊なんて無理がある。わたし・宮本翼みたいに少年っぽく見えるなら、ギリギリいけるかも。って、はいはいトシサン以外漏れなく騙せてますーありがとうございましたー。……笑うだろうなぁ、先生。
「お前、いくつだ」
「……22ですけど」
「はぁあ!?」
まだ、若く見られて喜ぶ年齢でもないんですけど。それとも、おいおい結構いってんな、って意味?
「15歳ってことにしてください」
「家族は?」
あっさりOKかーい! トシサンも先生と同じ意見ってこと? 少年ならいける、って。ここは、喜ぶべき、かな。
「いません。天涯孤独です」
ここでは、新選組に入るしかない。
先生の為、うたかたの恋心の為、シタゴコロの為。
なんて、本当は表向きの理由付けだ。
今だって、ずっと怖い。
帰れるか、生きていられるか、なんの保証もない。
なにかここに来た目的が、夢中になれるものがないと……不安で圧し潰されそう。
「入隊を許すには条件がある」
トシサンは三本の指を立てた。先生とは全然違う、胼胝がいっぱいのボコボコした手だ。
「女であることは隠せ」
悔しいけど自信あります! わたしはコクコク頷いた。
「監察方に入れる。俺の命令には絶対従え」
観察型? 楽し気な単語に、つい大学生の時に散々参加しまくった合コンで飛び交うフレーズが頭を過る。王様の命令はぁーゼッターイ!
「最後に言っとくが。ゼッテェ俺に惚れんなよ」
「あははははははははは!」
「テメッ、なに笑ってやがる」
軽めのチョップが降ってきたのを、得意のカマキリ拳法で受け止める。
「いや、マジで言ったと思いまして」
だって、あなたはわたしのイメージ通りだから。
「ご安心を。わたし、彼氏いるんで」
「カレシ?」
余計な見栄張ったけど、そっか、彼氏なんて言葉ないか。
「トシサンは好みのタイプじゃないんで、その心配はご無用です」
「おい今なんつった」
しまったあああああトシサンって呼んじゃったあああああああ!
ここで天の助け。いきなり障子が開いたと同時によく通る明るい声が響いた。
「終わりましたぁ」
入隊試験の終了報告に来たらしい沖田くんがわたしに気付くと、まだ居たのかと言うようにぎょっとした。
「ちょうどよかった、話がある」
この突撃訪問スタイルに慣れてるみたいですんなり招き入れると、沖田くんは渋々といった感じでわたしと距離を空けて座る。いちいち傷つく反応されるなぁ。
「コイツ、お前と同室にする」
「はぁあああああ!?」
さっきのトシサンの百倍増しのリアクションで返す。
いやいやいやいや、ありえない、ありえない!
さっき散々、ホントは女だってバレてる上で話進めて、そもそも入隊条件として他人にバレるなって言ったのあなたでしょ! 年頃の男女が同室ってどうなの! って言いたいけど言えない!
「……入隊を許すんですか」
わたし以上にめちゃくちゃ嫌そうなんですけど! 沖田くん態度に出過ぎ!
「んなに弱かったか」
「いえ。強いの弱いの言う前に、木刀の構え方、手が逆でした」
えっ? そうなの? 右利きだし右手が手前のほうが持ちやすくない? と、これも言いたいけど言えない。トシサンが心底ゲンナリって顔で睨んでくるから。
「ヤットウはからっきしだが、諜報に使う。お前、ガキ好きだろ。面倒見てやってくれ」
ガキじゃないのも知ってるでしょうが! マジでなんなの、このひと! イヤガラセ? こうすれば出て行くとでも思ってるとか? ホントは追い出そうとしてる?
トシサンの思い通りになんてならない! 誰が出て行くもんか!
「よろしくお願いします!」
わたしは畳に鼻が擦れちゃう勢いでお辞儀した。
入隊条件のひとつ、トシサンの命令はぁー、ゼッターイ!
ここで引き下がってたまるか!
「土方さんの魂胆、当てましょうか」
はい、わたしの渾身のお辞儀は丸無視です。だから傷つくってば! さすがに心折れそう!
「間者かもって、疑ってるんでしょ? 私に見張らせて、怪しい動きがあれば斬れってことだ。私なら、逆に寝首を掻かれる心配もない」
……なんか、わたしまた勘違いしてる? カンジャって、どういう意味?
というか、それ本人を目の前にして言っちゃう?
「……まぁ、半分は。そんなところだ」
ちょっと! 物騒すぎるこの人たち!
「しょうがないですねぇ。いいですよ」
よくなーい! まだ十分嫌そうだし! 怖い! 眼が笑ってない!
……でも、新選組って、そもそも物騒なところだ。というより、幕末の京都っていう時点で、安全な場所なんてない。
来てしまったのは突然だけど、この場所で生きるって選んだのは、わたし。
「僕は健康です! 改めて、よろしくお願いします!」
沖田くんが初めてわたしに掛けた言葉はサヨナラ。
でももうしばらくは、あなたの口から聞きたくない。
今はまだ、サヨナラは言わないでください。
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