2 / 6
バカって言わないでください
バカって言わないでください
しおりを挟む
「やっぱり間者だったんですね」
違う! って、だからカンジャってなに!
「残念です」
暗闇で薄く月明りを受けて、すらりと音もなく美しい刃紋が揺蕩う。
魅入ってしまう魔性を秘める冷たい感触が、首筋を捉える。
「あなたのこと、斬りたくなかったな」
いや! 死にたくない!
助けて先生!
――……
「……おはようございます、宮本さん」
夢オチーーーー!
タイムスリップもすべて夢だったならどんなにいいか。
そこはしっかり現実で、夢魔の凶刃を免れたわたしが起きたのはしっかり幕末の京都で、しっかり着物に抱きついている。
……えっ?
「そろそろ離れてください」
ぎゃああああああああああああああああ! 先生ええええええええええええええ!
好きでもない男に、床ドンされるわ抱きついちゃうわ……もう他所にはお嫁にいけないので先生もらってください。
「ごっ! ごごごごごめんなさい!」
というか、ゴマンといる沖田くんファンの皆さまにも土下座して謝りますごめんなさい。ちゃんと取材して、先生の作品でガッツリ萌えていただいて恩返しいたします。もちろん光速で離れたので許してください。
「朝稽古に行きます。すぐに支度してください」
立ち上がる沖田くんは、すでに剣道部員みたいな恰好をしている。こんな起き抜けに、朝ご飯食べる前から練習してたんだ。あ、仕事がありますもんね。軽いウォーミングアップみたいなものかな。現代の企業もラジオ体操とかしますしね。
「あ、起こしてくださろうと……ありがとうございます!」
ニコリともしてくれないんだなぁ。
先生の作品にはまだ沖田くんが出てこなかったから、どんなひとか全然わからないんだけど。アニメやゲームとかでチラッと見たときは、ニコニコ朗らかな好青年イメージだった気がする。
部屋の障子越しに白く光が拡がって、朝陽が昇ってきたのを感じる。
その暖かさを背景に、沖田くんはどこを見てるかわからない、ううん、何も見てないみたいな虚ろな表情で頸を傾げている。
「バカですねぇ」
……えっと、今なんて?
あまりの衝撃で、
「ヒドイ! バカっていうひとがバカなんですからね!」
とか、ド定番のリアクションすらできずに固まってしまった。
「せんせい、せんせいって、魘されてましたよ。そんなに大切なひとがいるのに、離れてこんなところにいるなんて」
寝言聞かれてたあああ恥ずかしいいいい!
じゃなくて! だから、帰れるなら帰りたいってば!
「バカですね。私なら、ずっと先生のそばにいます」
わたしだって、できるならずっとずっと、そばにいたい。
沖田くんは平坦な声音で話し続け、すっと障子を開けた。
逆光で見えない表情は、きっとまた笑いも怒りもしていない。
「だから、私に斬られる前に帰りなさい」
「待って! く、ください!」
黙って聞いてればあああ! ぐらいにキレたい心境だったけど、またもさっさと行ってしまいそうなのをとりあえず止めなきゃ。だって。
「これ、どうやって着るかわかりません!」
後で一部始終を報告した時、トシサンはここで盛大にお茶を吹いた。
だって、体育の授業で剣道なかったし、稽古着なんて着たことない。寝起きで着崩れ気味の温泉旅館の浴衣みたいな姿で行くのはさすがにアウトだし、恥を忍んで聞くほうがマシでしょ。
「それで、総司に着させてもらったってのか」
冗談で言われたのかもだけど、わたしがさも当たり前に頷くと、トシサンは涙目になって激しく咽た。
沖田くんはというと、深呼吸かなというくらい大きな溜め息を吐く。
「……脱ぎなさい」
そっかぁー、確かに着るには寝間着を脱がないと……って、ひぃいいい!
さっきの“バカ”評価、否定できないかも。
「それもわからない? 手伝いましょうか?」
後ろ手で障子を閉めながらの皮肉も、無表情で言ってるんだろうな。
男装するっていうのに寄せて上げる系のブラ……しかも先生との旅行の為に全く無意味とわかってても億が一の念の為に買ったガチ勝負系のを着けておくわけにいかないから、幕末に来てからは晒を巻いてるんだけど……いや、それより下半身! 実は、例のお色気お姉さんにもらった、褌スタイル。ちなみに、もちろん新品。
現代では、脚の付け根にゴムが入ってないから、リンパの流れを良くするとかで女性用褌下着が密かなブームなのは知ってたから、着けるのに抵抗はなかったけど、会ったばかりの男のひとに見られるのはものすごい抵抗感。パンツでもイヤだけど。
「……後ろ向いててください」
焦ってて反応なんて確認してないけど、男同士だと思われてるから不思議そうにしてたかも。
子どもの頃から大好きな長編アニメの印象的なセリフ、40秒で支度しなァ! を自分に唱え、できる限りの俊敏な動きで寝間着を脱いでからすぐ濃紺のごわごわした稽古着の上のほうを羽織った。
ここ、これの結び方がわかんない。なんで内側と外側に紐が? とりあえず脚だけ通した黒袴は、お姉さんに着せてもらってたからやっぱり同じく紐の結び方がよくわかんないし。
「随分大きいですね」
ドタバタしてたのが忽然と止まったのを察してくれて振り向いた沖田くんが言う通り、上着が膝上まで達する程に長いし、袖はいわゆる萌え袖の一歩手前だ。
「これでも隊内では一番小さいんですけど。子ども用を準備しておくので、今朝はこれ着てください」
言葉の端々にトゲを感じるなぁ。わかってるけど、嫌われてるんだろうなぁ。
けど沖田くんはすっと片膝を付いて、内側の二本の紐を摘まんだ。
「先に内側を蝶結びします」
そっか。そうすると、あとは残りの外側二本を結んで、自然と右前の合わせ方になるんだ。なんて感心してるうちに両側とも綺麗に結んでくれた。
見下ろしたまま、口先だけで指図することだってできるのに。
昨日穿いてたじゃないかと当然呆れられるだろうけど、今更気にしていられない。
「袴はどうやって結ぶんですか?」
と、言い掛ける間もなく袴の前側をお臍の辺りまで持ち上げた。
「前紐を後ろに通します。また前に持ってきて、交差させてから後ろに回して蝶結びします」
着させてもらえるのなんてこの一回限りにしなきゃだから、ちゃんと覚えなきゃ。
「あ、道着も袴も、縦結びにならないようにしてください。特に袴は、この後着ける腰板から紐が見えてしまってだらしないです。次に後ろ側です。腰板を先ほど結んだ前紐に通します」
仕事だったら速攻メモるところだけど、そんなものはないし、なんせ沖田くんが近い……!
「後ろ側の短いほうの紐を前に回して交差させます。交差させて前側になった後ろ紐を前紐の下からくぐらせます」
男どころか子どもだと思われてるくらいだから全然意識されてないだろうけど、沖田くんの両腕が何度か後ろに回るし、その度に横に背けられて近付く頬が触れそう。
「そして固結びにします」
しゅ、集中できない……。
「キツいですか?」
「いっいいえ!」
と返すと、なんと、もっと強く締められた。
「ぅえっ」
「たくさん動くうちに緩むので、少しキツめにしておくんです。苦しいですか?」
素で嘔吐いちゃうくらいにかなり苦しいです。
「だ、大丈夫です」
現代みたいな蛍光灯やLEDなんてあるはずもなく、室内は少し暗めで、そもそも夜しか灯りを使わない。でも陽の光を間接的に浴びる沖田くんの髪は少し明るく透ける。
染めてるわたし程ではないけど、茶髪気味なんだな。
「固結びはこうして二回、こま結びをします」
江戸時代のひとはチョンマゲなイメージだったけど、沖田くんもトシサンも現代でいうポニーテールみたいな髪型をしている。
「二回目の時、縦に紐を持って結ぶと整った結び目が作れます」
女の子みたいなサラサラの髪だ。
「できました。けど、かなり長いですね」
あれ? 髪を束ねてるところ、真っ黒な毛が付いてる。動物の……猫の毛?
「……触らないでください」
まさに今、触れそうに近付いていた手をサッと引っ込めた。
なんでわかるの? そしてそんなに嫌がらなくても。
睨んで見えるのは、上目遣いだからだけじゃない。立ち上がって例の如くさっさと背を向けられる。
「あっありがとうございました!」
わたしも朝練に行かないと! 慌てて踏み出したら袴に引っかかって思いっきり躓いた。
「わっ!」
そして思いっきり沖田くんの背中に顔面着地。
きゃっ! 広い背中! とか胸キュンしてる余裕なんてない。
「ごっ! ごめんなさい!」
いや、もう反応が怖すぎてお辞儀したまま顔を上げられないんですけど。
「……手を引いて歩きましょうか?」
怖いいいいい! セリフの割に声色がダークビター過ぎてちっとも甘くないいいいい!
「いえっ! そこまでお世話になるわけにはっ!」
丁寧に教えてくれながら着付けてくれた沖田くん……優しいはずのひとだけど、怖いと思ってしまうのはわたしが嫌われてるからなんだろうな。
これがもしホントに男だったら消えたい程に情けない姿、袴をドレスのように両手で持ち上げて静々と稽古場まで歩いて行った。
八木さんと前川さんというお家に間借りしていると聞いたけど、すごい広い敷地内に母屋と別棟で道場がある。ここでお世話になると決まってから建てたとか。それって迷惑じゃ……だって普通に家族で住んでる民家なのに。前川さんは出て行ってしまったらしいし、八木さんは小さなお子さんがいると聞いた。
わたしなら、血気盛んなむさ苦しい男達が一緒に住まわせてくださいって大勢で押しかけてきたら断固拒否したい。
少し前を歩く沖田くん、コンパスの差があり過ぎのチビッコがはぐれずについて行けるくらいだから、普段より随分ゆっくり歩いてくれているのかな。
向かう途中に誰とも会わないし、開いたままの扉から庭中に響く無数の声と地団駄を踏んでるような足音で明らかにあの建物が道場だなとわかる。わたしの寝坊と支度のせいで朝練に遅れてしまったみたいだ。
道場に一歩入ってすぐに沖田くんは一礼した。きっとそういう作法なんだろうな、とわたしも真似をするけど、袴を持ち上げてるから、誰にも見られたくないくらいものすごい滑稽だ。
「おはようございます、沖田隊長!」
熱を肌で感じるくらいのむわっと湿気の籠る道場内が、ピンと張り詰めるくらいに、空気が変わった。
隊長? ええっと、新選組って、局長とか副長とかなら聞いたことあるけど、そんな役職もあるんだ。
ドヤドヤと集まってくる、汗の滴る筋骨隆々の男達は、少し後ろに隠れ気味のわたしに、揃って好奇に満ちた視線を浴びせてくる。
この茶髪に洋装で京都の町を歩いていた時と同じ……いやそれ以上に、蔑まれているような感覚。
いろんなところから、
「件のざんばら髪のガキだ」
「副長の肝煎で入ったらしい」
「こんなチビ、なんの役に立つんだ」
とか、聞き取れないことも様々だけど言われ放題だ。
「素振りは終わったんですか?」
え、紹介とかしてくれないの? と、わたしは思ったけど、
「はい! 今朝の分、大素振り百本、跳躍早素振り百本、終わりました!」
「あと百本ずつ追加と、掛かり稽古」
阿鼻叫喚の図と化した光景を残し、沖田くんはキョロリと道場内を見回した。
ひゃ、百? 素振りだけで四百回ってこと? そして掛かり稽古ってなに? ウォーミングアップというか、これってシゴキっていうんじゃないの?
「あ、吉村さーん」
すぐに駆け寄ってきて、痩せた頬に困ったような苦笑いを浮かべるそのひとは、入隊試験で試験官をしていた一人だ。
「おはようございます。今朝はいつにも増して容赦ないですねぇ」
あー、皆さんすみません、わたしがご機嫌を損ねてしまったからかもしれません。
「この子、木刀を握ったことすらないんです。お願いできますか?」
吉村貫一郎さんと自己紹介してくれて、少し皺の多い優しい顔のまま、なぜそんな者が新選組に? というような表情になりつつも、二つ返事で快諾してくれた。
けれどわたしはつい、沖田くんを見上げる。
「私はダメですよ。優しくできないから」
優しくする気もないってことですよね。
ねぇ、沖田くんってエスパー?
入隊試験では気配消して瞬間移動するし、わたしが触れる前に察知するし、今だって、沖田くんが教えてくれるんじゃないの? っていう心読まれたし。
「沖田さんはいつもニコニコ朗らかなのに、稽古となると手加減というものをなさいませんからねぇ。宮本さん倒れちゃいますよ」
ニコニコ……! ほ、朗らか……!?
わたしの前ではその片鱗すらありませんが。
沖田くんはひたすら素振りする皆さんの方に行ってしまった。
皆さんを指導する立場、なのかな? 確かさっき先生って呼んでる人もいた。
え、それより何? あの素振り。
木刀をお尻に付くぐらいまで振りかぶってから、木刀の先が足元に付くぐらいまで振り下ろしてる。あれが大素振り……ものすごい疲れそう。というか、あんな重いモノであんな動きするなんて、一回もできなさそう。持つだけでプルプルなのに。
それどころか、次は多分、跳躍早素振りというものが始まった。
読んで字の如く、前後に飛び跳ねながらありえない速さで素振りしてる。これはもっと、できる気がしない。
「では、足捌きから稽古しましょう」
えっ? 木刀の持ち方ではなくって?
「摺り足、という足運びをします。右足を動かす時は地と足裏の間に紙一枚挟んでいるような意識で、左足はこう、右よりも半歩引いて踵を立てておきます」
へえぇ、剣道なんてちゃんと見たことないから知らなかった。自由に立って歩いて走ってるわけじゃなくて、型が決まってるんだ。
「相手の隙を見て好機となればすぐに飛び出せるようにですよ。立ち合い中に打ち込む時には左足で地を蹴って、右足で強く踏み込みます」
なるほど! クラウチングスタートみたいなもの? あと、道場から聞こえていた地団駄は踏み込みの音だったんだ。
「まずは一歩ずつ、摺り足で進むところからです」
わたしは都度
「はいっ」
と返事をしながら、いちいち感心していた。
吉村さんはわたしの少し前を進んでくれて、それを見本にひたすら付いて行く。
床スレスレしか右足を上げずに一歩前へ進み、すぐに左足も進ませる。踵はあげたままで、キュッと止める。
床に付く程長い袴をやっぱり両手で持ち上げて進むけど、吉村さんも敢えて足元が見えやすいように同じく裾を持ち上げながら、ずっと付き合ってくれた。
やっとけ、って放っておくこともできるのに。
わたしがドレス歩きスタイルをしているのはすごい滑稽だったけど、吉村さんの動きはキビキビしていてむしろかっこいい。
上半身を上下に弾まさないように進むんだなぁ、とか、吉村さんが見せてくれているおかげで気付ける部分もたくさんあった。
「掛かり稽古、始め!」
道場の中央で沖田くんの号令が響くと、二人一組になって一方はひたすら受け、もう一方のひとは全く切れ間なく打ち込みまくり始めた。大袈裟ではなく、一瞬も動きを止めない。
気合の入った大声を上げながら、いろんな技を出してるんだと思うけど、早すぎてどこを打ってるのかわからない。
皆さん、顔というか頭と手首とお腹に鎧みたいなのを着けてるから、そこが打ってもいい場所ってことかな? そうなんだろうけど、とにかく早くてド素人目には何が何だかだけど、皆さんが竹刀に持ち替えてることくらいはわかった。とにかく最高クラスにキツイ練習なんだろうな、と思う。
これは確かに、わたしは倒れる、というか絶対にここまでついていけない。
広い道場内の端をグルグル、周回するだけで初めての朝練が終わった。
それにしても、沖田くんも吉村さんも、ひとつずつ見せてくれながらとても丁寧に教えてくれる。
よっぽど、このひと達にとって剣道って大切なんだ。
それもそうか、部活や趣味じゃない、仕事だ。それも命懸けの。
この時、本当の意味での命懸けなんてわからないなりに漠然とそう思った。
「僕、剣道がんばります!」
「けんどう? なるほど、剣の道、ですか。宮本さんの故郷ではそう表現するのですか。いい言葉ですね」
剣道って言葉は幕末にはなかったの?
勢いよくお礼を言うと、後ろから声を掛けられた。
「宮本、副長がお呼びだ」
中肉中背、という言い回しがピッタリな、失礼を承知でいうと特徴がないのが特徴、という日本人のデフォルト的な顔のひと。多分、少し年上の二十代半ばぐらいだろうから、見た感じ新選組では平均年齢っぽい。人の顔を覚えるのが苦手なわたしは、一回や二回会っただけでは覚えられなさそう。
用件が用件だけに内心ゲッという感じのわたしが返事すると、そのひとは軽くお辞儀して微笑んでくれた。
「同じ諸士調役兼監察の山﨑丞。よろしく」
「あっよろしくお願いします!」
な、長く聞き慣れない言葉だったけど、同じ部署の先輩ってことだよね。
吉村さんに山﨑さん……新選組って、先生が『黒い狼』なんてタイトル付けるくらいだし、殺伐とした人斬り集団的なイメージだったけど、実際は良いひともいるんだなぁ。まぁ、そんなイメージ持ちつつ入っちゃったわたしもわたしだけど。
え? トシサンと沖田くんはどうなの、ですか? うーん……。
「副長のお話が終わる頃に迎えに行く。監察方の役割については俺から話す」
丁寧かつ無駄がない……デキル先輩って感じ。そして終わる頃にって、なんかジワりません? トシサンのこと、お見通しなんだな。
やっと朝練が終わったらしく床にへたり込む皆さんを尻目にトシサンの部屋に向かおうとしたけど、超絶方向音痴なわたしはほんの数秒で挙動不審になったので、見かねた山﨑さんが送ってくれた。
そして皆さん、あれだけ身体酷使してから仕事本番ってこと? ウソでしょ?
「ヘマしてねぇだろうな?」
開口一番、所詮は他人事だとでも言うように少しニヤリと笑いながら聞かれた。
「いただきます!」
わたしは座ってすぐ、手を合わせた。
「おい待てクソガキ。質問に答えろ」
部屋に入った瞬間目に飛び込んできた朝ご飯らしき二つのお膳を前に、胃が抉れるんじゃないかというくらいにお腹が空いていたわたしはもう我慢できなかった。
一歩ずつ歩きながら道場内を回っていただけなのに、かなり神経すり減らしたみたいで物凄く疲れた、なんてわたしの何万倍もの運動量の皆さんの前では言えるわけなかったけど。
「ヘマ……女と、バレなかったか、という、意味なら、残念ながら、俄然、大成功中です」
「飲み込んでから喋れ」
メニューは、ご飯とハマグリのお吸い物、カブの酢の物と、里芋の煮物とそして、沢庵だ。どれも出汁が利いてほっこりする味でおいしいし、一分でも長く寝たいわたしは普段朝食を食べていなかったから、こういう純和食を朝から食べると健康で丁寧な暮らし、という感じでしみじみ幸せな気分になる。
まぁ、天敵みたいな男のひとの前だけど。
「あ、沢庵あげましょうか?」
「うるせぇ、とっとと食え」
でも嬉しいな。ちゃんとわたしの分まで部屋に用意してくれるなんて。普通は皆さん食堂に集まって食べるって……いや、それよりこっちだって聞きたいことがある。食べ物に釣られてスルーしちゃうところだった。
「で、なんっで沖田くんとわたしを同じ部屋に! ありえないですよね? わたしはガキじゃないし、女ですよ!」
ちなみに、沖田くんは元々斎藤一さんというかたと同室だったとかで、わざわざ移動してもらってまでわたしが割り込んでいるから、たまたま沖田くんの部屋が空いてたから、とかじゃない。
トシサンは、だからどうしたというような何食わぬ顔で、というかモリモリ食べてるけど、しれっと憎たらしく言う。
「だから、半分は総司が言った通りだ」
沖田くんにわたしを見張らせる為、ってやつですか。
「もう半分は、なんなんですか」
沢庵をバリバリ言わせながらあっさり答えるけど、できれば説明も噛み砕いてほしい。
「アイツが女嫌いだからだ」
あ、だからあんなに冷たいのかぁ……いやいや、女ってバレてないですよね? やっぱりわたし個人的に嫌われてるだけじゃん!
でも女嫌いってどういうこと? まさか、男が好きってこと? 先生の作品に大ブームのBLを盛り込むチャンス到来! 徹底取材しないと! じゃ、なくって。
「他の新人隊士みてぇに大部屋で雑魚寝ってわけにいかねぇだろ。総司なら気付く可能性が一番低いし、もし気付いても手ぇ出さねぇからな」
意外とちゃんとした理由だった……。沖田くんと同室が一番安全ってこと? 幸い、わたしは斬られる要因のカンジャではないし。
「それとも俺と同室が良かったか?」
「沢庵ぶつけますよ」
「沢庵を粗末にすんじゃねぇ」
理由は一応わかったけど……でもなぁ。
「わたし、嫌われてるんですよねぇ」
から始めたら、もう愚痴が止まらない。だって、沖田くんといると、すごーく気まずいんだもん。
今朝の一部始終を話して、トシサンは途中でお茶を吹きつつ咽つつ聞いてくれた。
「それにしても珍しいな、あいつがそんな態度とるなんて」
煙管を咥えるのを見て、トシサンって煙草喫うんだな、とか心の取材メモに書いておく。
「気に食わねぇ相手でも、表面上は出さねぇからな」
学校や職場でもいるかも、そういうひと。誰に対してもフラットで、周りから厄介者扱いされてるひとにも変わらず応対できちゃうひと。え? わたし? 無理でーす。
「じゃあわたし、並外れて超嫌われてるってことじゃないですか」
なのに同室って……お互いの精神衛生上良くないんじゃない?
あ! わたしがカンジャじゃないって証明できれば、沖田くんに監視される必要もなくなるし、一人部屋にしてもらえるかも! だって、女の子だもん!
その為にわたしにできること……観察型の仕事と剣道をがんばること!
まずは、カンジャって何か知ること!
取材とは別の方向にもヤル気スイッチが入ったところで、山﨑さんが迎えに来てくれた。
「まずは、諸士調役兼監察、俺達の任務についてだ」
トシサンは仕事があるとかで、話をするならこのまま部屋を使っていいと出て行ってしまった。
山﨑さんって、ものすごく信頼されてるんだな。
お膳を下げて片付けて、すぐにお話を聞こうとしたけど、
「稽古着、着替えなくていいのか」
と、気を遣ってくれた。
やっぱり山﨑さんっていい人。トシサン? この姿のまま駆けつけて朝ごはん食べてたけど、何も言われませんでしたよ。あ、それはわたしが入室とほぼ同時に食べ始めたからだった。
「今朝は歩く練習をしただけなので、汗はかいていないんです」
というか、脱ぎ方はなんとかわかるけど、袴の紐の結び方が微妙に自信ないので、後でゆっくり着替えたいです。
「そんなブカブカなのにか? まぁ、お前が良いなら」
まさか山﨑さんに着替えさせてもらうわけにはいかないですし。
「監察方は、倒幕派過激浪士共の動向を探るのが役目だ」
そう始めながら、新選組の幹部組織表みたいなものを見せてくれた。
トップはもちろん局長・近藤勇さん。わたしでも辛うじて知ってる。その下に副長が二人で、トシサンと、山南敬介さん。
「副長って、二人いるんですね」
なんて読むんだろう? やまみなみ?
「山南副長は、腕を負傷されて療養中だ」
そして副長の下に一番隊、二番隊という隊が十もある。
副長の補佐、ということかな。
「こんなにたくさんの隊があるんですか」
沖田くんは隊長って呼ばれていたような。
「多いか? 宮本と同室の沖田さんは一番隊の隊長だ」
あ、そういえば、わたしの問題作で、沖田くんにそんなセリフ言わせてたかも。
知らないことはググりながら書いてたけど、全然頭に入ってないんだよね。で、いちいち調べながら書くのがめんどくさくなって、結局イケダヤジケン? が起きる前までで挫折しちゃったんだ。それだけのボリュームでさえ先生は全部読んでくれなかったけど。
沖田くんって……人のこと言えないけど、若く見えるけど多分わたしと同じくらいの歳だと思う。
なのに、こんな大きな組織の隊長を任されてたんだ。それってすごいな。
朝練に来ていた皆さんも、二十代から三十代くらいのひとばかりだった。
新選組だけじゃない。きっと、敵……倒幕派と言われる人たちも。
こんな若い人たちが、本気で日本のことを考えて、中心となって日々闘っていたんだ。
わたしなんて、日本のこととか世界のこととか、政治とか経済に、全然興味もなかった。ニュースも新聞もろくに見ないし、両親に連れられて無理やり選挙に行ったくらい。
急に自己嫌悪だなぁ。少しは見習わないと。
そして、トシサンから縦線が伸ばされた先に監察方の文字を見つけた。
なるほど、トシサンから指示を受ける、直属の部下って感じかな。というか、監察って書くんだ。
「斬った張ったは他に任せて、俺達はとにかく情報を集めるのが仕事だ。その情報を元に、副長が策を練る」
だから、トシサンはわたしの入隊を許してくれたのか。先生の作品を熟読して覚えたトシサン黒歴史を、わたしが取材したことにしたから。情報収集能力が高い、と思ったんだ。
マズい……あんなのハッタリもいいところ。務まるんだろうか、わたしなんかに。
「調べるのは外部のみではない」
できるかどうかじゃない、やるんだ。
少し震える拳を握り、組織表から目線を上げると、山﨑さんと目が合った。
「内部粛清も、俺達の調査によるものだ。隊規違反者や、間者を取り締まる」
あ! そうだ!
「カンジャって、どういう意味ですか?」
やっと聞けたー!
必要最低限だけ淡々と話す山﨑さんはそんな質問が飛ぶと思わなかったみたいで、想定していた方の質問に備えた紙を広げようとしていたところだった。
「間に、者。敵側が、俺達を調べる為に紛れ込ませた者だ。僅かでも怪しいと思ったらすぐに俺か副長に報告してくれ」
それ……スパイってこと?
わたし、敵側のスパイと疑われてるの?
だからトシサンも沖田くんもあんなに警戒していたんだ。というかマヌケな勘違い過ぎて恥ずかしい。患者って。
会話が噛み合わなかった理由をやっと納得できたのを確認して、山﨑さんは次の説明に移る。
見覚えのある条文が並んでいる。
「あっ! これ、知ってます! 局中法度ですよね?」
誰に対してかわからないけど、なんとなく名誉挽回できるような気分になって指差した。
「……いや、特に名称はないが。なるほど、それもいいかもな」
えっ? 違うの?
達筆過ぎて全部は読めないけど、新選組関連のお土産品でこれがプリントされたグッズ見たことあるんだけど……先生、間違ってます?
「士道に背きまじき事。局を脱するを許さず。勝手に金策致すべからず。勝手に訴訟取り扱うべからず。私の闘争を許さず」
山﨑さんは一つずつ読み上げてくれた。間者を知らないくらいだから、当然知らないことの一つや二つあるだろうと、気遣ってくれたんだ。ええ、もちろん、ありますとも!
「あ、あの! 士道っていうのは、武士道ってことですか? それに背くとは……具体的にどういうことでしょう?」
違反者を取り締まる、という役割上、知っておかなければならないですよね。
山﨑さんも、そう来ると思った、という風の反応だ。今までは、は? っていう感じだったけど。
「俺は、武士じゃないからな」
続く言葉は、具体的には言えないが、かな。
後から思い出すと、すごい皮肉だ。先生なら、わかりますよね。
「今まで士道不覚悟を理由に粛清されたのは、隊費を遊興に使った者、金品の押し借りをした者、土蔵に大砲を撃ち込んだ者、だな」
えっ? た、大砲? 最後のがパンチ効き過ぎててすべての情報が吹き飛んだのですが。
「かつての局長だ」
えっ? はぁあ!?
なんか、びっくりすることが多過ぎて、どこから突っ込んでいいやら……。
「局長って……そんなエライひとでも罰せられるんですね」
山﨑さんは、二枚の紙を筒状に丸めながら少し笑う。
「副長いわく、新選組を支配するのは人ではない。この隊規だ。違反したものは局長だろうが切腹」
えええっ! せ、切腹って、あの切腹!? 粛清って、イコール死ってこと?
「俺達は副長の手足となり迅速に動くのが第一の仕事だ。共に励むぞ」
筒を手渡されて、話は終わった。山﨑さん、忙しいんだろうな。
山﨑さんは素敵な、理想の先輩って感じのひとだけど、わたしはもう……幕末に来てから驚くことが多過ぎて、なんかずっとマスオさんのマネしてるんですけど。
隊規違反は切腹って……ええええ、本当かい? カツオくん。
そんな他人の、仲間の生死に関わる重い仕事と、ましてや敵の情報を集めて先読みする仕事なんて、そんなのできるんだろうか。
トシサン、明らかにミスキャストじゃない? わたしのウソのせいだけど。
なんて、言っていられない。
選んだのはわたし。自分のできることを、できるようにやるだけだ。
わたし昨日、よく平気で寝られたな。
いや、寝ちゃったから、平気でいられんたんだ。
入隊試験諸々でいろいろあり過ぎて、部屋に入った瞬間に秒で寝ちゃったからなぁ。
わたしってば、沖田くんと同じ部屋で寝なきゃならないんだと、今更実感してる。
現代人に比べたらそもそも家具や持ち物が少ないのかもしれないけど、トシサンと同じようにあんまり物がない部屋だな。
時代劇で見たことある気がする、刀を置くところと、羽織を掛けておくところと、机。
いやむしろ、わたしなんて着物しか持ってない。新選組って、給料出るのかな。買い物行きたいな。
沖田くんはわたしよりよっぽど忙しいみたいで、時計なんかないから正確には何時かわからないけど、夕飯を食べてからじっくり袴の紐の結び方の復習をしていて、やっとで覚えても、まだ帰ってこない。
避けられてる……とか?
そこまで嫌われてるなんて悲しいけど、めちゃくちゃ有り得る。
「まだ起きてたんですか」
と、思ったら帰ってきた! それはそれで緊張する!
「お、おかえりなさい!」
咄嗟に言ってしまったけど、なんかものすごい違和感。
広いお屋敷とはいえ、他人と同じ部屋に住むのは初めてだからかな。
「……寝てればいいのに」
ただいま、くらい言ってよー! 反抗期ですか!
でもこの一言にはちゃんと理由があったみたい。ウザがられてる以外にも。
「今夜は騒がしくなりますよ」
浅葱のダンダラ羽織を脱いで、何て言うんだっけ? 衣紋掛け? に掛けた。
「なんでですか?」
Let’s partyするんですか? とか言ったら確実にガン無視されそうなのでやめておく。
「入隊試験の本番です」
本当に避けられてて、仕事じゃなかったのかもしれないけど、疲れてるだろうにしっかり答えてくれながら、長い刀と短い刀を置く。
これ、当たり前過ぎる疑問だろうけど、ホンモノだよね?
「どういうことですか?」
矢継ぎ早に訊き過ぎかな。子どもみたい。
なんでいちいち二本も持ち歩いてるのかとか、そもそもどこに行くのにも必ず持ってなきゃならないのかとか、刀に関する疑問も沸いてきたけどそれより、本番って?
やっと目が合った。
沖田くんが正面に正座したからだ。
「新人さん達の大部屋に、夜襲があるんです」
ええっ! て、敵が来るってことですか?
またお決まりのリアクションが咄嗟に出そうになるけど、それより早く沖田くんは続けた。
「討手は、幹部隊士です。不意打ちへの対応ができるか、勇敢に戦えるかを見ます。合格したら、晴れて新選組の仲間入りです」
そんなの、勝てるわけない。だって、新選組の中でも特に強い人たちが相手ってことですよね? 勝たなくてもいいから、戦いぶりを評価するってこと? それでもケガだけじゃ済まないんじゃ……。
「刃引きの刀を使うので、まぁ、大丈夫みたいですよ」
ハビキって、よくわかんないけど、小首傾げ気味に言われても全然安心感ないんですけど。それに、ここ、ヒトサマのお家ですよね? しかもド深夜。
「あ、じゃあ、これからまたお仕事ってことですよね」
沖田くんがまた試験官を……っていう言い方も変かな、夜襲に向かうってことは、よし! その隙にさっさと寝てしまおう。睡眠時間大事! いちいちドキドキしてたら身が持たない!
「私は行きませんよ」
「えっ? なんでですか?」
思惑が外れて、むしろさっきよりも食い気味に訊いてしまった。
「だから、優しくできないからです。私は、手加減できないから」
いやいや、当たり前でしょ、みたいに言わないでください! 確かに朝練の時にも言ってたけど、わたしに剣道を教えてくれない口実かと思ってましたよ。
あれ……それより……。
「あの……僕の、試験は?」
なんで、こんな大事なこと聞き逃してたんだろう。
わたしの、入隊試験本番は?
「土方さんは、私と違うから」
だからあの人は優しいんです、という言葉を省いて続ける。
「私と同室にした理由。もう半分は、夜襲を避ける為、ですよ。きっと」
いいえ、間者を見張る為と、あと半分の理由は、女だからです。
チビでバカで弱いから、特別扱いされたってことです。
そんなエコヒイキ、こっちから願い下げだ。
「そんなっ! それなら、わたしは……どうすれば仲間って認めてもらえるんですか!」
だから沖田くんは、朝練で会った皆さんに、わたしを紹介してくれなかったんだ。
本当の仲間って、思われてないから。
確かにわたしは、幕末の人間じゃない。しかも女だ。
新選組に入りたいと思ったのなんて、皆さんのような確固たる信念があるからじゃない。
先生の為なんていいながら、突き詰めた真の理由は、先生にだけは絶対知られたくない、薄汚い私利私欲だ。
敵との戦いだけじゃなくて、規則違反は切腹なんて、そんな覚悟できる気すらしない。
「間者じゃないって証明できればですか! 監察方として、敵を調べまくって捕まえればですか! 隊規を破ったひとを切腹させればですか!」
ちゃんと試験を受けさせてもらえないなんて、ズルい。
「それとも、強くなれれば……人を斬ることができればですか!」
わたしを、ちゃんとみてほしい。
「ッ……いった!」
また、沖田くんの姿が消えたかと思った。
両腕は後ろ手に拘束され、上半身から前に崩れ落ちてるせいで、左頬が畳に擦れてる。いや、擦れたのはほんの僅かな時で、押さえつけられて全然動けない。
「お望みの、裏入隊試験です。逃げられますか?」
遠くで、たくさんの男の人たちの大声と足音が聞こえる。
騒がしいなんて思う余裕はなくて、わたしの背中では沖田くんの声が低く響く。またきっと、いや絶対無表情だ。
わたしの両手首を掴むのは、沖田くんの片手だ。もし武器を持ってたら、ホントに敵だったら、確実に殺されてる。
「手加減できない。優しく、できない。何度も忠告したはずです」
肩甲骨辺りにあるわたしの手は微かにも動かない。力いっぱいジタバタすれば脚はなんとか動かせそうだけど、身を起こすまでには到底及ばない。
やっと袴の穿き方を、歩き方を練習したばかりなのに、身の程しらずもここまで来ればバカとも言われない。
情けない。なにもできないくせに。仲間になりたいなんて。
だって、皆さんいいひとだから。あくまでわたしのイメージよりは。
突然、ふっと身体が軽くなった。
「……ズルいのはあなたです。泣くなんて」
泣いてな……あ、ホントだ。
痺れる手で触れた目許は、涙でグシャグシャになってる。
沖田くんはいつも通り、さっさと身軽に動いて部屋を出ようと障子を開ける。一層、外の喧騒が凄まじくなった。
「ごめんね、怖がらせて」
初めて、沖田くんが自分の言葉で話してくれた気がした。
いつもの、なんだか取って付けたみたいな敬語じゃないから?
違うのに。あなたが怖くて泣いたわけじゃないのに。
ウソつき。ただ泣いただけで、放してくれたじゃないですか。
「行かないで! 一緒に寝てください!」
って、わああああバカあああああ!
「……ここには夜襲は来ないですよ」
そうじゃなくて! ここを出たら沖田くんはどこで寝るんですか!
「土方さんの部屋にでも押しかけるから平気です」
出たエスパー! また心読まれた……って、ちょ、ウケるんですけど。
どうやったら仲間と認めてもらえるか、その答えは聞けなかった、というかはぐらかされた気がする。
「それとも、心細くて寝られない? 子守歌でも唄ってあげましょうか?」
「やったー! お願いします!」
「バカじゃないの」
冗談なら真顔で言わないでくださいよ!
ホントに唄ってほしいわけじゃなくて、一緒にいてくれることが嬉しいだけなのにな。
男のひとと二人きりだって意識し過ぎて寝られないかと思ってたけど、不慣れなことだらけで疲れていたのか、またすぐに寝てしまった。
スマホも目覚まし時計もないうえに、寝る時間が遅かったから早起きするのキツイ。
元々、朝は弱いんだけど、朝練は毎日あるらしくてまた沖田くんに起こしてもらった。あ、抱きついてないです。
昨日の今日なのに、もうわたしサイズの稽古着を用意してくれていた。
「袴の五本の襞には意味があります。父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信……人間関係を規律する五つの徳目そして、仁義礼智信の五輪五常の教えです。後ろの一本は、二心ない誠道を表しています。自分で火熨斗して、ちゃんと手入れするんですよ」
というか、子ども用、でしたっけ。
しっかり着方をマスターしたわたしはドヤ顔で褒められるのを待機したけど、あっけなくスルーされた。沖田くんのことだから、ほぼ確実にわかってくるくせに。
今日も明日も、足捌きの練習。それでも、まずは目の前のことから、コツコツやっていかなきゃ。
いつ帰れるのかなんてわからないけど、精一杯、できることをやるだけだ。
今日の稽古場の皆さんは、明らかに疲弊していた。それもそうだよね。
裏入隊試験という名の夜襲を受けた後なんだから。というか、何があっても毎朝稽古するんだな。
部活をやってた頃の癖でずっと朝練と言ってたけど、剣術の場合は練習ではなく稽古と言うんですね。それも吉村さんに教えてもらいました。
昨日は、わたしから見れば皆さん上手で、どのひとが新人さんか違いがわからなかったけど、今朝は一目瞭然だ。
新人さんは沖田くんのシゴキが始まる前からグッタリしてるけど、夜襲をかけた側の方たちはピンピンしてる。中でも最後の最後まで変わらず動きまくってた三人が、声を掛けてくれた。
「剣豪と同姓なのに剣術カラッキシの宮本」
……掛けてくれたというか、え、悪口? ヤカラ感がすごいんですけど。
「って、言われてんぞ! シャキッとしろよ!」
「いたぁっ!」
少しだけかいた汗を拭いていると、背中をバチンと叩かれた。
やっぱり、手加減できないなんて嘘じゃないですか。この馬鹿力のひとに張り手されたほうがよっぽど痛いです。
猛抗議をするつもりで振り返ると、予想外に、太陽みたいな満面の笑顔が眩しく光る。
「よう! 十番隊隊長・原田左之助だ」
い、イケメンー! 残念イケメンー!
トシサンが俳優さんみたいな美麗系優男風イケメンなら、原田さんは野獣系アスリート風イケメンって感じです。真逆っていうくらい種類が違うイケメン。あ、どっちにしろ、わたしのタイプではないですよ先生。
「よ、よろしくお願いします。宮本翼です」
剣豪と同じ苗字って、ああ、宮本武蔵のことか。そんなの初めて言われたけど、ここでは皆さんに言われてるんだ……イジメ、ダメゼッタイ!
「だから、腹から声出せっつの!」
「ちょっと、サノさん!」
腹パン直撃寸前に、お腹の前に手の平を出して守ってくれた男のひとも正統派な感じの……なんか、わたし、こんなことばっかり言ってすごい男好きみたいですけど、違いますからね。新選組って、顔審査もあるの? っていうくらいイケメン揃いなんですけど。
「あんまりビビらせないでよ。大丈夫、取って食いやしないからね。俺は八番隊隊長の藤堂平助。よろしくね」
ま、眩しい! リアル・イケメンパラダイス!
そんなの堪能してる余裕、全然ないけど。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
お腹から声を出して、これでもかの営業スマイル。もうサノさんに突っ込まれないようにしないと。
「おおい平助。見惚れてんじゃねぇや」
頭をグシャグシャと、突っ込みが入ったのは平助くんのほうだった。
「二番隊隊長をやってる。永倉新八だ。入隊できて良かったな」
入隊試験で見た、渋い髭の男のひとだ。沖田くんに猛抗議してたの、見られてたんだな、恥ずかしい。
「や、やーめーろーよー!」
隊長さんが三人も……すごい組み合わせだけど、小学生男子みたい。
けど、もしかしたら、わざと皆さんの目に付く稽古場で声を掛けてくれたのかも。わたしがあんまり馴染めないから。
皆さん、遠巻きに眺めたり、内緒話をしている。
「よし、景気付けに里でも行こうぜ!」
サノさんのことだから、わたしが周りを気にするのを気付いてたかはわからないけど、今度はグイと肩を抱かれた。
すぐに平助くんが引き離したけど、今のは痛くなかったから平気でしたよ。
「サト?」
「ああ、島原も知らねぇのか? キレイなオネエちゃんがいっぱいいるとこだよ」
ゆ、遊郭! 島原の乱のじゃなくて、花魁さんの島原だよね?
新八さんの補足が入ったけど、わたしも後から補足すると、この時のわたしは、島原イコール吉原遊郭イコール風俗みたいな大勘違いをしていた。
「飲みに行くぜー! ぱっつぁんの奢りで」
奢りは断固否定していたけど、二人は行く気満々で歩き始める。というか仕事は?
「いや、無理ですっ! 行けませんよ、そんなとこ!」
だって、女の子だもん! 予想以上に安定して誰にも気付かれないけど! わたしの男装ってば有能!
「なんだよ、総司みてぇなこと言うんだな」
……行きませんよ、そんなところ……って、うわ言いそー。
そういえば沖田くん、女嫌いって言ってたな。あくまでトシサン談だけど、やっぱりホントなのかな。
「……男のひとが好きって意味なんですかね?」
前に思いついた、先生に史実に基づいたボーイズラブ……新選組BLを書いていただこう作戦決行なるか!
「いや、違ぇだろ」
ズコーッ!
「でも、一部では衆道が流行してるからな」
「近藤さんが文に悩み相談で書いちゃうくらいだからね」
キターーーーーー!
衆道って確か、男性同士の恋愛ってことでしたよね?
近年、大ブームに拍車はかかるばかり。かつては一部の女子からの熱狂的な人気だったけど、今はドラマやアニメなどで国民的な文化になりつつあるボーイズラブ。
史実第一主義の先生に詳しく報告したら、先生は書かざるを得ないはず。
名実共に本格派歴史作家である先生の書くガチBL……絶対大ヒットする!
詳しく取材しないと!
「いや、お前も気ぃつけろよ。そんな見目形だからな、狙われるぞ」
どうせチビで弱いですよーでも逆に女だから無問題です。
「ああ、加納とかな」
「何人も手玉にとられてるしね」
誘い受けってやつですか、けしからんですね。
是非とも加納くんの取材をしないと。
もっと詳しく訊きたいところだけど、三人ともお仕事に行く時間みたい。って、やっぱり今日、お仕事だったんですね。
そういうわたしも急がないと、と走って山﨑さんのところに行くと、今日は非番つまり休みだと言われた。
まだ何の仕事もしてない分際で休んでいいんですかという社畜万歳な考えが浮かんだけど、何もしてないなりに疲れてる気がするから遠慮なく休ませてもらう。
なんか毎日、眠いんだよね。夜も、二人きりの沖田くんにドキドキすることなく寝ちゃうし……のび太くん並みの早さで。
でも部屋でのんびり昼寝という気分でもないし、仕事しながらではできないような取材をしないと、と思ってフラフラ歩き始めた。
なんだか、今となっては遠い過去みたいな懐かしい光景だ。
わたしは、幕末に来て初めて見た景色……壬生寺の門に立った。
向こうに眺める境内では、あの日と同じように、広い青空の下で子ども達が遊んでいる。
少し、怖いな。このまま、現代から隔離されて、忘れてしまいそう。
ううん、忘れられてしまいそう、わたしのことなんて。先生は薄情そうだし。
帰りたいよ。なんとかしてよ、ドラえもん。
……あれ、沖田くんじゃない?
急に想いが幕末……今のわたしの現実に引き戻される。
泣きそうになってぼやけた視界の向こうで、高い声を上げて遊ぶ子ども達。その中心にいるのは多分、沖田くんだ。
多分って、だってゴシゴシ目を擦ってちゃんと見ると、別人かと思うくらいに笑ってるから、ある意味誰やねんって感じ。
いつもわたしの前では、能面みたいに動きのない表情なくせに。
たくさんの子ども達が集まってる中に、遠巻きに見ていた女の子がチョコチョコと近付いて行った。
「なぁなぁ、うちも入れて」
「あかーん」
「ミチ、みんなで遊ぼう。仲間外しはダメ、だ、よ」
言葉の末尾で沖田くんと目が合ったので、練習中の営業スマイルでかなり大きめに両手を振った。
「あっ! ソージー! どこ行くーん?」
逃がさんぞおおおおお!
くるりと、わたしと真逆の方向に走り出した沖田くんを猛ダッシュで追いかける。
つーかまーえたっ!
全速力で走ったらしい沖田くんは、むんずと背中を掴まれたまま、掴んで離さないのはわたしだけど、しゃがみこんで
「いーれーてっ!」
「……いーいーよー……」
忌々し気に溜め息を吐いた。
「トロそうなくせに、どうしてこんなに足速いんですか」
それは中学高校と陸上部だったからです。大して成績は良くなかったけど、陸上競技経験のない人よりは普通に早いはず。って今、超小声でトロそうって言いました?
露骨に嫌そうな沖田くんを連行して子ども達のところに戻ると、一部の子から驚きの声が上がった。
「あーっ! この前のにいちゃんやん!」
「ソージの友だちやったん?」
正しくはおねえちゃんだけどね。
「トモダチじゃないよ」
そこはスルーしたのに、笑顔でしっかり否定されたー! 確かに友だちではないけど地味に傷つく!
「新選組の新人さんやんなぁ、宮本はん」
曇りなき眼で微笑むのは、確かタメちゃんと呼ばれてた子だ。ダンダラ羽織着てないけど、なんでわかるんだろう。
新選組と認識する目印としてパッと思いつくけど、そういえばわたし、まだ羽織もらってないな。あー、お子さまサイズだから特注とかなのかも。
それより名前まで、
「どうしてわかるの?」
「うっとこにいるやん」
「この子は八木さんの息子さんなんですよ」
大勢で居候させてもらってる上に道場まで建てて、真夜中だろうがドタバタ乱闘させてもらってる八木さんの? お子さんがいるとは聞いてたけど……初めて会った時から利発そうな子だと思ってたんだよね。
「この前の夜討ち、またエラい騒ぎやったなぁ」
流石に、何もかもご存知……絶対迷惑だよね。
「うん、もうボッコボコにされたよ」
「へぇえ、それは大変でしたね」
ひぃい! だから笑顔が怖いってば! ボコッたのあなたでしょ!
「次は何して遊ぶん?」
痺れを切らした子どもたちが騒ぐ。
「鬼ごっこは? 僕、走るの得意だよ」
胸を張ると沖田くんが
「じゃあ、かくれんぼは?」
いやいや全然走らない遊びぶっこんできたわ、言わなきゃよかった。
こうして夕方くらいまで遊び倒し、子ども達を見送った。
「ツバサも、また遊ぼうねー」
気まずいことに、タメちゃんはお家のお手伝いがあるとかで先に帰ってしまっていた。二人きりの帰り道だけど、これしきのことで気まずいとか言ってられない。どうせ屯所に帰っても部屋に帰っても一緒なんだ。
「ですって。また仲間に入れてくださいね」
子ども達がいなくなった途端、沖田くんはぐったり疲れたような表情になる。
けど怖くない。たくさん笑顔を見れたからかな。まぁ、豹変ぶりがショックだけど。
本当に、わたしにだけこの塩対応なんだなぁ。
いつも通り、さっさと先に行ってしまおうとする背中を追いかける。走ればわたしのほうが早いけど、長身の相手なら歩きに対して小走りしないと追いつけない。
夕焼けに染まる細い道の前には、やっぱり明るめの髪の沖田くんがいる。
「子ども好きって本当だったんですね」
同室にするってトシサンが話した時に聞いた言葉を思い出していた。子ども達の様子からすると、非番の度に遊んでるのと、とても好かれてるのがわかる。
「そうですね。あの子たちみたいに無垢な小さい子は好きです」
はいはい、わたしみたいに捻くれた少し大きめのガキは好きじゃないってことですね。ってかガキじゃないし。
「今度から沖田くんの笑顔が見たい時は壬生寺に来ればいいですねー」
ピタリと、沖田くんが止まるから、わたしはようやくハッとした。
……え、わたし今、沖田くんって……。
両手で口を覆っても遅い。わたし以上にかなり驚いた顔で沖田くんは振り向く。
そうだよね。一番隊隊長兼剣術師範頭である新選組大幹部に対して、今更だけど態度が不遜すぎる。
「失礼しました!」
ほぼ直角にお辞儀して数秒、顔を上げると沖田くんはまだ少し大きめに目を開いたままだった。
「……いえ。すごく前に、同じ呼び方をされていたことを思い出しました」
多めの瞬きを繰り返した後、遠くの夕陽を眺めるようにして呟いた。頬が橙に燃えている。
「急に現れて、急に消えてしまったんですけどね」
きっと、大切なひとだったんですね。
それは、二回目の初めて。初めて、わたしに笑顔を向けてくれた。
こんなに、宝物みたいに綺麗だなんて。ビルも電線もない、空気の澄んだ幕末の夕陽は。
烏が数羽、呼び掛けるような声で鳴いている。
余所者だ。帰れ。ここは、お前のいる場所ではない。
あなたの笑顔で実感する。わたしがここを去る時は、現代に帰る時か、死ぬ時。
遊び疲れたかな。なんか、すごく眠い。
「沖田隊長……? 沖田先生?」
どう呼ぶのがしっくりくるかなぁ。先生のマネが定着してしまってたけど、そうも言っていられない。それに沖田くんなんて呼び方をするのわたししかいないし。だからビックリさせてしまったんだろうけど。
「先生って呼ばれるの嫌いなんですよ。先生と思ってない相手を無理にそう呼ぶ必要はないです。私は、局長しか先生と呼びません」
え、マジですか癖が強っ。
まぁ、わたしに剣術教えてくれませんし、わたしは一番隊メンバーでもないので。
「沖田さん……総司くん……沖田くん」
やっぱり、沖田くんがしっくりくるかなぁ。
「はい、ツバサくん」
ぐっは!
ニコリと呼んでくれたけど、流石に、くん付けはなんか嫌あああ!
そういえば、沖田くんって平助くんとか、わたしはまだ会ったことないけど斎藤さんとか、同世代の仲良しの皆さんはくん付けで呼ぶもんなぁ。
「じゃあ、ツバサ?」
や、やっぱりエスパーーーーーー!
夕陽が最後の灯を殊更赤く光らせて沈む頃、上弦の月と一番星が仲良く姿を現す。次々また散りばめられる星はどれも、一つひとつが新品ですというように輝く。
「急に現れた、あなたみたいですね」
爪痕のような三日月は、そのひとを思い出す横顔を照らすには足りなさすぎる。
「急に、いなくなったりしないですよね?」
灯を持たないわたしには、目を凝らしても見えない。
「いなくなったら、やっぱり間者だったのか、って思っちゃいます」
「……こんなマヌケな間者いないですよ」
「自分で言います普通?」
だって、マヌケなんだもん。
……気づかないほうが幸せだったかも。
こんな想いを抱くなんて。
それに気づいてしまうなんて。
気づくまで、こんなにかかるなんて。
何も持ってなかったはずの両手に、灯が燈る。
「沖田くんの笑った顔って、子どもみたい」
「あー、かわいいってよく言われます」
「自分で言います普通?」
今日の美しい景色を、これから先、何度も思い出す。
どう動いて、どう移ろいたのか。
懐かしくて愛おしい、この夕陽のことを。
次の日、例の三人発案で、新選組メンバー総出の飲み会が開催されることになった。
粗野な風を装っているけど優しい人たちだから、わたし含め新人たちが新選組に馴染めるように企画してくれたんだろうなぁというのは予想がつくけど、わたし超お酒弱いんだよなぁ。
しかも会場は島原一の老舗・角屋。勘違い続行中の慌てるわたしにトシサンが教えてくれたけど、ただ歌を聴いたり踊りを見たりしながら、おいしいご飯食べて、お酒を飲むだけらしいです。あ、先生はご存じでしたよね。
でもそんな有名なお店、すぐに予約取れるものなんですね。もしかして、新選組だから特別?
ろくに仕事もしないまま、遊んでばかりいる気がするなぁと思いながら部屋で支度していると、沖田くんが帰ってきた。
「お、おかえりなさい!」
あっぶなー……着替え中だった。いきなり開けるのはトシサンの部屋だけにしてほしい。
「……ただいま」
一応、ただいますら言わない反抗期は過ぎたみたいだけど、すごく憂鬱そう。
「今日も元気に斬ってきましたか?」
一番隊の皆さんが今日どんな仕事をしているかなんて知らないけど、こんな声掛けをすれば何かしらツッコミ的な返しをしてくれて、少しでも元気になってくれるかな、とあくまで冗談で言ってみた。
「はい、斬りました」
斬ったんかい! さすが精鋭揃いの一番隊!
まさか肯定されるとは思ってなかったのには理由がある。
沖田くんのダンダラ羽織、全然汚れてない。
ほら、あくまで想像ですけど、斬り合いとかあって無事で帰ってきたということは、あんまり言いたくないけど返り血とか、少なくとも土埃くらいつくでしょう。
色が色だけに、少しでも汚れたら目立つでしょうに。
沖田くんのことだから、隊長さんとはいえ後方で指示だけ出すなんてことしなさそうだし。
「ええと、その割に羽織が……」
なんだかジャマそうに脱ぎながら、事も無げに言う。
「ああ。私、返り血浴びないので」
私、失敗しないので、風に言ったああああ! 何それどういうこと? 神なの?
「血が出る前に、避けるんです」
いや、親切に解説してくれましたけど、余計に意味わかんないです。
「な、なるほど。それより今夜、沖田くんも行くんですよね?」
無理やり話合わせちゃう辺り、伊達にちょっとだけ会社員やってない。きっと沖田くんの憂鬱の理由はこれだと思う。
「女のひとが嫌いって……ホントですか?」
藤色の羽織に袖を通しながら、鼻で笑われた。
「土方さんに聞いたんですか? ……苦手、ですね」
なんで笑うの? 一応、意を決して聞いてるんですけど。
「あ、衆道趣味はないから、安心して」
エスパーさん、今回はハズレです。
ヤケクソ気味に直接的に解釈すると、同室だからって襲ったりしないからねっていうお気遣い恐れ入ります。
衆道といえば、全メンバー勢揃いということはあの加納さんもいるはず。ヤケクソついでにわたしは取材に専念しよう。
隊士総出といっても、全員で一斉に向かうわけではなくて、各々が夕方くらいから好きに向かう現地集合現地解散らしい。
わたしは当然、角屋さんどころか島原大門の場所すらわからない。ちなみに両方とも現存するということは京都旅行ガイドブックで確認済みだけど、住所を少し見ただけで目的地まで辿り着くなんて方向音痴のわたしには不可能だ。
「あの、連れてってもらってもいいですか?」
「え、うーん……」
まさかの拒否? もしやバックレる予定だったとか?
わたしだって、舞妓さんとキャッキャウフフと戯れる沖田くんが見たいわけではないけど、背に腹は代えられない。
「場所がわからないんです」
困った時の癖かな、首の後ろ辺りを少し掻く。
「なにも知らないんだね、ツバサは」
「なんでも知ってる沖田くん、お願いします」
何でもは知らないわよ、知ってることだけ、という『物語シリーズ』返しが来る訳はなく、渋々といった感じで一緒に向かってくれた。
はい、数時間後……飲み過ぎました……。
いや、マジで皆さん、男相手の飲ませ方ってまるで手加減なしなんですね。
男性新入社員って大変なんだな。
先生の為に島原全体の当時の様子や角屋さんの様子を取材したかったんですけど、そんな余裕はなく、主にサノさんと新八さんにこれでもかと飲まされました。
舞妓さんたちの踊りに見惚れつつ、皆さんの宴会芸に爆笑しつつ楽しく飲んでいて、わたし自身ちょっと調子に乗り過ぎたせいもありますけど。
もう先生はご存じのことでしょうが、角屋さんは舞妓さんたちが派遣されてくる揚屋というお店で、ここは扇の間といって、天井にびっしり扇の模様が描かれてます。
雲の上の存在という感じの局長・近藤勇さんとはまだお話したことがなくて、遠目に見つつ、厳しそうかつ優しそうな、ものすごい威厳とオーラのあるひとだなぁと思っていたら、芸と言ったらこれぐらいしかできないからなぁと言いながら、握りこぶしを口に入れる、というビックリ人間的な特技を披露してくれた。いつも真一文字に引き結んでいるけど、すごく大きな口なんだなぁ。
あとはサノさんの、何度もしてるだろうかなり気合の入った鉄板宴会芸。
サノさんは故郷にいた頃、上司的な存在の人と大喧嘩をして、勢いで切腹したらしい。なんとか一命は取り留めたけど、横一線に傷跡が残っているのを口として、筆でおかしな目を描いて腹踊りを見せてくれた。
はぁあ、残念イケメン……。
え、沖田くん? いつの間にかいなくなってるんですけど。はい、バックレましたね。
トシサン? えげつないモテっぷりを発揮してますよ。こんな光景って実際に有り得るんだなと感心しましたが、リアルにこれでもかと舞妓さん侍らせてます。
「どうぞ」
ああ、今度は舞妓さんに注がれちゃった。そろそろ限界かなと思いつつ礼儀として一口、舐めるように少しだけお猪口を傾けた。
水……!
「あ、ありがとうございます!」
にっこり笑うと、お銚子をそのままお膳に置いていってくれた。
「なんだ翼、ボサッとして」
「か、かわいいー……」
花車柄の着物に、紫の牡丹が彫られた飾り櫛と藤がこぼれる簪、という豪奢な衣裳に負けない、お人形みたいな美貌とその上、優しく細やかな気遣い……お嫁さんにしたい舞妓さんランキング1位!
これも先生はご存じでしょうが、後から聞いた話、島原にいるのは舞妓さんだけではないんですね。詳しくは聞きませんでしたが“わたしの嫁”は天神というランクの芸妓さんらしいです。
「ああ、月野か。お前、ああいうのが好みなのか」
この人、わたしが女って絶対忘れてるよね。
さっきまでウハウハでお楽しみだったくせに、心配して来てくれたのかな。ほら、沖田くんが言うには優しいひとらしいから。
「ええ、副長はどうなんです」
「すげぇ気ぃ強ぇからやめとけ」
突っ込む気が失せたわたしは、ちょっと寝ますと横になった。屯所に帰るにしても、この状態では歩くのがキツイし、篭とか明らかに揺れそうだし、そもそも新人隊士が呼んでもいいのかわからない。
「大丈夫ですか?」
こういう時、朝まで寝てしまったかと思うくらい長時間経った気がするけど、実際はほんのひと時なんですよね。
肩を軽く揺すられてなんとか目を開けると、さっきとほぼ変わらないメンバーでまだまだドンチャン騒ぎをしている。
少し高めの声で起こしてくれたのは、韓流アイドル風のイケメンだ。
「初めまして、加納惣三郎と申します」
加納って……あの?
正解だろうな。透き通る感じのザ・美少年って感じ。せっかく取材対象者が向こうから現れてくれたからシャキッとしたいけど、ぐるんぐるん視界を回しながら身を起こし、わたしも自己紹介をした。
「知ってます。土方副長お気に入りの宮本さん」
新選組隊士の皆さんの一部が、わたしのことを良く思ってないのは知ってる。稽古場でもなんなら廊下で会った時でさえヒソヒソと噂話をされて、直接イヤガラセを受けるなんてことはなかったけど、それは沖田くんと同室だから大部屋に行く機会もないし、きっとわざと、新八さんやサノさん、平助くんが皆さんの前で仲良くしてくれるからだ。
トシサンの肝煎なんて評価されたり、新人隊士がいきなり配属されるには荷が重い監察方に抜擢されたりしていれば、やっかみを受けてもしょうがないと思う。
だって、実力が全く伴っていないから。
同世代の女子と比べてでさえチビで、十代に見えるくらい童顔で、剣術がヘタどころか木刀を握ったこともない、かなりの異端な存在。
でもこんなに直接的に、剥き出しの敵意を受けるのは初めてだ。
「お気に入りなんて、そんなんじゃありません」
むしろ間者と疑われて、斬捨て御免の見張りまで付けられてますからね。
「しかも沖田隊長と同室なんて、どうやって取り入ったのさ」
加納さんは、見る人によってはドキリとするんだろうな、という妖艶な上目遣いで、身を乗り出す。
「あんな難しいひとまで、よく落としたね」
「そんなんじゃないってば!」
沖田くんは、そんなんじゃない。
って、やば……過剰反応しちゃった。
だって先生みたいに、わたしの髪に触れようとしたから。
わたしはブンと頭を振るった。大声を出してしまったけど、皆さん各々で騒がしくしてるから、誰にも気付かれなかったみたいなのが救いだ。上司もいる宴会でケンカなんて、新人として有るまじき愚行だ。酔っ払って横になってるほうがまだマシ。
「ムキになっちゃって」
控えなきゃ、冷静に冷静に……と、深呼吸しかけて、油断した。
「宮本さんって、かわいい」
膝の上の指を絡め取られた。微塵も思ってない癖に、どういうつもり?
「ツバサ、帰りますよ」
加納さんは弾かれたようにわたしの手を離した。
「お、沖田隊長!」
彼の後ろにいる沖田くんは、会ったばかりの頃と同じ機嫌悪そうな無表情だ。そんなに遊郭が苦手なのかな。いや、ほぼ部屋に居なかったけど。
助けて、くれたんですよね?
「この子はまだネンネなんです。ちょっかい出さないでくださいね」
……はぁあ!?
ネンネ……国語辞典的に表現すると、実年齢の割に幼稚で何も知らないひと。
なんか、ショックで一気に酔いが冷めた。
加納くんも似たような反応をしていて、あれ、と気付いた。微弱過ぎて普段あまり活かされることがない、女の勘ってヤツだ。
お決まりにさっさと行ってしまう後姿を追い掛ける。何回繰り返すんだろう、この状況。
「隙が有り過ぎなんですよ、あなたは」
廊下まで広くて豪奢な角屋さんを、わたしだけ小走りで進む。
たまにすれ違う舞妓さん達は、うっとりとした表情で沖田くんを見つめながら、小鳥のように響く美しい京ことばで声を掛ける。島原では沖田くんってレアキャラだろうから、そりゃここぞとばかりに声掛けるよなぁ。
引くほどの、安定の無視なんですけど。
「沖田くんって、モテますね」
ずんずん進んで行っちゃうし、もしはぐれたら屯所に戻ることはおろか角屋さんを出ることすら困難だから、立ち止まる余裕はなく会釈しつつ付いて行く。
「は? ……私は、先生以外のひとは好きでも嫌いでもないから」
は?
「ああ、そういえば。具合悪そうでしたね。おんぶでもしましょうか?」
ええと、つまり、他人はどうでもいい。興味すらないってことで、おけ?
って、なんっじゃそりゃああああ!
「やったー! お願いします!」
今回は冗談ではなかったらしく、絶対零度のバカじゃないのは返ってこなかった。
「つかまってないと落ちますからね」
しっかり、つかまってたはずなんだけどな。もう、手遅れかもしれません。
背中で揺れながら、わたしはまた、いつの間にか寝てしまった。
酔いは冷めたと思ったのに、眠りに落ちるのを、我慢できない。
やっば! 寝坊した!
アラームの止まったスマホの画面に表示される時計に愕然とし、ベッドから転がり落ちるように飛び出した。
少しブカブカのパジャマの裾に躓きつつ、洗面台に向かう。
今日は朝イチに先生の原稿をいただきに行く約束なのに。
昨日飲みすぎたなぁ……めっちゃ頭痛い。
……あれ? 昨日?
昨日は、どうしてお酒飲んだんだっけ?
そうだ、幕末にいるわたしが、新選組の皆さんと一緒に宴会でドンチャン騒ぎをしていたんだ。
え……?
就職と同時に一人暮らしを始めた、いつもの私の部屋。
広くはないけど、だから掃除が苦手なわたしにちょうどいい、小さなお城。
現代に、帰ってきたの?
――急に、いなくなったりしないですよね?——
……ウソ……もう、会えないの?
――……
「そんなのヤダ!」
夢オチーーーー!
「ううっ」
ガバリと起きたのは蒲団の上で、沖田くんと一緒の部屋だ。勢い有り余り過ぎて、尋常じゃない頭痛に襲われた。
現代に帰れたと思った時、全然嬉しくなかった。
むしろ、運命を呪った。
好き勝手にタイムスリップさせられて、何もできないまま強制送還される運命を。
無為に時空をウロチョロするくらいなら出会わなければよかったなんて、そう思うことはできないけど。
現代に帰りたい。先生に会いたい。それは紛れもない本心なのに。
頭を抱えつつ、記憶を辿る。
コマシの加納さんとバトってたのは何となく覚えてるけど……島原から壬生まで、どうやってっ帰ってきたんだっけ?
ええと、わたしどうして、蒲団に寝てたの? しかも寝間着に着替えてる。
酔っ払った時の行動……あるあるだけど、ミステリー……。
部屋に沖田くんがいないし、蒲団も片付けられている。
そういえば、寝てるところ見たことないな。わたしが朝寝坊なせいだけど。
よろよろと障子を開けると、お庭ではこちらに背を向けた沖田くんが素振りをしていた。
まだ夜が明けたばかりで少し薄暗く、空は紫色だ。
これも酔っ払いあるあるだけど、飲んだ翌朝って意外と早く起きてしまう時がある。眠りが浅いせいらしい。
大素振りよりも浅めに、頭の少し上まで振りかぶって、正面に相手がいるとすれば額辺りまでで剣先を止める。
早く鋭く、風を切る音が響く。
沖田くんが木刀を振るうのを見るのは入隊試験の日以来だ。あの日はよく見えなかったし、わたしのことは相手にすらしてくれなかったけど。
舞うように美しく、なんて綺麗に剣を遣うのだろう。
「また寝言いってましたよ」
ぎゃああああ! 恥ずかし過ぎる! そして見てるの気付いてたんですねエスパーさん!
「お、おはようございます。……あの、今朝はなんて?」
会話をしても一糸も乱れることがない素振りが続く。
「……沖田くんのバカ」
「っえええええ! すみませんすみません!」
ヘドバン並みの高速敬礼で、余計に頭痛がひどくなる。
「バカなんて思ってもないでしょうに。おかしいですね」
素振りをやめて振り返ってくれたけど、いやいや笑顔が怖いいいいい!
「具合、どうですか?」
この世の終わりかというくらい頭カチ割れそうですし、最悪な夢を見ました。
「ボチボチ、です。あの、僕、昨日……」
ちゃんと、帰って来れたみたいですけど、どうやって?
縁側の下駄を突っ掛けて庭に降りる。
空は次第に桃色になっていく。早起きに縁がない生活をしてきただけに、ちょっと感動的なくらい。
うーん、途中から記憶がないなんて言えない。沖田くんは言葉と行動ともに通常運転だけど、全然飲まなかったのかな?
「私が抱っこしてお持ち帰りしました」
お姫さま抱っこ……! それ、結婚式でしてもらうの夢だったのに……!
この時のわたしを漫画で描くと、ガーンと白目を剥いてる状態だろうな。
「冗談です」
だから真顔で言わないでええええ!
「背負ってるうちに寝てしまってたので、部屋に転がしときました。すぐに起き上がって、自分で蒲団敷いて着替えて、また寝ましたよ」
またも酔っ払いあるあるだけど、現代で飲み過ぎた時も、全然記憶ないなりにしっかりメイク落としてパジャマに着替えて寝てるんだよね。脱いだ服は部屋中に散乱してるし、シャワーは浴びてないけど。
「おんぶしてくださったのは、本当なんですね? ありがとうございます。本当に、ご迷惑をお掛けしました」
島原と壬生は地図で見ると近いけど、寝てる人間って相当重いはずなのに。
……待って。わたし、沖田くんにくっついてる状況で寝こけたってこと?
これは運命云々じゃなく、自分が呪わしい……。ある意味、ツバサ……おそろしい子!
「ツバサは軽すぎ。持ってみて」
ほんの一瞬、尻軽って意味? と思ったけど物理的意味だったらしく、沖田くんは木刀を差し出す。
「いいんですか?」
剣術を教えてくれるってこと? それも木刀の持ち方を?
沖田くんはずっと、わたしに稽古をつけてくれることはないと思っていた。
朝陽に照らされて、世界が橙に染まっていく。やっぱり、温かいな。
左手を手前に、ぎゅっと両手で握る。……指が回らないけど、こんなに太いもの? それに、すごく重い。やっぱり手が震える。
「天然理心流の、素振り用の木刀です。……やっぱりこっちで」
てんねん……あ、剣術には流派があるんでしたね。
先生の『黒い狼』は、トシサンがこの流派の道場に初めて行商に来たところまでで中断、というか取材旅行に出て、わたしがタイムスリップしてしまった。もしかして、そこでトシサンと沖田くんは出会ったのかな。
沖田くんは、稽古場で見覚えのあるサイズの木刀を渡してくれたけど
「いえ、せっかくなので」
生意気にも、天然理心流の木刀で稽古をしたかった。
わたしには無理だって思われた気がして、虚勢を張ったのだ。
「あなたがこれから遣うことになるのは本身です。こちらのほうが太さが近いので、腕力を付けるより、まずは慣れましょう」
わたしの目標は、皆さんと同等の稽古ができるようになることでも、ましてや部活や習い事のように有名な大会に出て勝利することでもない。
勝利すなわち殺傷、敗北すなわち死。
新選組隊士として、命の遣り取りをするためだ。
物の重みとは別に、手が震える。
真剣を手にするときが、わたしにも来るんだろうか。いや、ここに居続ける以上、いつかは必ず。
「構える時に力を入れるのは左手だけです。小指のほうから力を込めて、親指や人差し指の方は添えるだけ。右手も軽く添えるだけです」
わたしのすぐ隣で、同じように木刀を構えて教えてくれる。
これは……右利きのわたしにとっては、一番力が入りにくい持ち方だ。それも、一般的にも一番力が入りにくい小指のほうで持つなんて。
左手を開いて見せてくれた。
全体的に、タコもマメもない。指の長い綺麗な手だけど皮が厚い。
「握りが正しくできていると、まずは小指と薬指の付け根に胼胝ができます。稽古を積むうちに、全体的に胼胝ができて潰れて、また胼胝ができてを繰り返して厚くなります」
気が遠くなりそう。どれ程の稽古をしたのだろう。
沖田くんは現代にまで天才剣士なんて言われてるけど、神様に与えられたものじゃない。沖田くん自身の熱情と、努力の賜物だ。
また木刀を構えて、今度はわたしの正面に移動する。
「柄が臍の前にくるように、剣先は相手の首元に向けます。足は……うん、できてますね」
吉村さんのおかげで、足の位置は自然とできていたみたい。右足を前に出し、半歩下がった左足は踵を上げている。
今は重みを支えるのでやっとだけど、毎日稽古すれば同じように、木刀を構えることもできるはず。
「……あなたに会った時、嫌なことを思い出しました」
根が体育会系なわたしが意気込み、闘志に燃えていると、沖田くんはふっとわたしから剣先を外し、右側足元に流した。休め、の体勢なのかな。
「私は元々左利きで、箸を左手で持っていたんです」
わたしも真似をして木刀を下ろし、ぽつぽつと、ゆっくり零す言葉に聞き入る。出会った時の、冷たく突き放すように、貼り付くお面みたいな無表情とは全然違う、静かな哀しげな眼。
「母は私が生まれてすぐ、父も幼い頃に死にました。姉に育ててもらいましたが、九歳になった頃、先生が跡目を継ぐ天然理心流試衛館の内弟子になりました」
内弟子って……ええっと、住み込みで習い事をするお弟子さん、という意味でしたよね。九歳って、そんなに小さい時に、ご家族と離れて?
「左手で箸を持つのを見咎められ、躾がなってない、これだから親無し子は、と」
そんな言い方……沖田くんにしたら、自分自身以上に、ご家族のことを貶されたと同じだ。
現代では左利きは普通だし、むしろちょっと憧れるけど、昔は無理矢理右利きに矯正するのが普通だったってことなのかな。
「先生は、私を本当の弟のように可愛がってくれました。私に生きる意味を、剣を与えてくれた。だから私は、先生の傍にあり続ける為に剣に没頭しました。木刀を右手で持つあなたを見て、子どもの……何もできずに泣いてばかりいた弱い自分を、」
近付いて、触れても、正面からなら言わないんですね。
触らないでって。
背の高い沖田くんが小さく見えて、わたしが腕をいっぱいに伸ばしてやっと届くくらいの頭を撫でた。
朝陽に照らされて、透ける髪が金の糸みたい。
「……思い、だしちゃいました。だからあなたを見るのが嫌で、関わりたくなかった」
辛かった時のこと、すべてを他人にベラベラ話すようなひとじゃない。
わたしに愚痴ったりしないけど、大好きな家族に囲まれて、自分の好きなことだけして笑顔で毎日を過ごすのが当たり前の子どもの頃に、ひとりぼっちで泣いていた……それ程のことがきっとたくさんあったんだ。
「ありがとう。僕に、触れてくれて」
もう大丈夫と言われたようで手を離すと、沖田くんは壬生寺で遊んでいた時みたいな無邪気な笑顔になった。
「さてと、朝稽古に行きますか」
おおいマジすか。腕プルプルなんですけど。
いつもわたしの先を行く沖田くんと、一緒に歩けたらいいな。
沖田くんが、もうひとりで泣くなんてこと、ないように。
あなたを守れたら、どんなにいいか。
その為なら、わたしは。
稽古場に着くと、いつも通り安定の放置です。吉村さんに、今日もお願いしますと告げて皆さんの稽古の方に行ってしまった。
やっぱり、沖田くんに教えてもらうのはすごくレアな機会だったんだな。
「あ、構え方は少し教えておきました」
と、去り際の沖田くんが付け足すと、吉村さんは素振りの仕方を教えてくれようとした。そこにふらっと、平助くんが様子を見に来てくれた。
「おっ、やっと稽古っぽくなったんじゃない?」
わたしと同じくらいたくさん飲んでいたように見えたけど、普段と全然変わらない。沖田くんといい……新選組の皆さんってお酒強いのかな? いや、新八さんとサノさんはいないや。もっともあの二人は大袈裟じゃなく浴びるように飲んでいたから当然かも。
震える手で、今朝の沖田くんと同じように、頭の少し上まで振り被って、真っ直ぐに下ろす。いや、真っ直ぐとは到底言えないかな。すごく重くて、震えてしまう。
「振り下ろす時に、雑巾を絞るようにグッと内側に腕を捻るんだよ」
平助くんが実際にやって見せてくれると、木刀が命を吹き込まれたみたいにビシッと震えてからシンと静止した。
ここまでのことはできないにしても見様見真似で早速実践してみると、この方が腕に力が入りやすい。さっきまではなんだかふわふわしていたのに、しっかり空中で止まるようになった。
「なるほど! ありがとうございます!」
素振りは、吉村さんに叩き込んでいただいた足運びで、一歩前進しつつ一回、また一歩後退しつつ一回振り下ろすという形で行う。
今日はひたすら素振りの稽古で終わって、小指と左指の付け根辺りが少し赤くなっているのが、正しく握れている、稽古をしっかりしている証明のようで嬉しくなった。
稽古を終えた後は、朝食を摂ってから山﨑さんのところに今日の仕事の確認に向かうのが常なのだけど、平助くんに呼び止められた。
「昨日、加納と話してたみたいだけど、大丈夫だった?」
いえ、あからさまにケンカ売られました。
「はい。沖田くんが来てくれたので、大丈夫でした」
わたしのごく微弱な女の勘によれば本命は沖田くんっぽいから、余計に恨まれたかもしれないけど。
わたしはすっかり寝る直前で蒲団の上に座っていたけど、沖田くんはやっぱりまだ帰って来ない。
新選組随一の斬り込み部隊である一番隊と、隠密行動が主な監察方は仕事内容が全然違うので、日中は会うことがないし、わたしはのび太くん並みの寝つきの良さで寝ちゃうし、朝くらいしか会うことがない。
とはいってもわたしは、まだやっと素振りができるようになったくらいなので、諜報活動に出たとしても万が一の場合に対処ができないとして雑用ばかり言い付けられていたのだけど。
それでも、あの日沖田くんに、雑用でもなんでもいいから入隊したいと言ったのは本心だし、わたしにとっては大切な仕事だ。何もできないで無為に時間を過ごしたら、現代に帰った時に絶対後悔する。
今朝の夢は最悪だったけど、より実感する切っ掛けをくれた。
わたしが幕末に来たのが運命なら、きっと意味があるはず。
何か成すべきことがあって、ここに来たんだ。
大きな時代の波に、頼りなく浮かぶ葉っぱの小舟だとしても。
なんて……そう思わないと、結構キツイ。
「? いたた……」
正座していた足の裏に違和感があるのに気づいて、斜めに足を崩して座る。
見ると左足の裏、親指の付け根辺りの皮が大きくパックリ割れて剥けて、血が滲んでいた。
ウゲッとまた思わず独り言が出そうになる。
こんなことになってたのに、今までわからなかったなんて。
「……どうしたんですか」
また突然障子が開いたので、わたしは反射的に正座に直して足裏を隠したから、沖田くんはまじまじと見つめてくる。
「い、いえ。おかえりなさい」
だって、見られたら稽古するのを止められるかも。少しでも早く剣術を身につけて、監察としての実務を任されたいのに。
それに単純に、素足を見られるのが恥ずかしい。
「足の裏。どうしたんです? 見せてください」
ひぃい! ほぼバレてる!
沖田くんは確信前提の尋問をしながら、刀を置いて羽織を脱ぐ。今日も全然汚れていない。
「きっ気にしないでください!」
正面に座る顔は、蝋燭の頼りない灯ではよくわからないけど、怒っているみたいに見える。
「あまり手荒な真似はさせないでください。弱い者虐めは嫌いなんです」
どの口がそれ言いますか! って、突っ込みたいけどムリ!
このまま対峙していたら隠し通すのも無理だと踏んだわたしは、とりあえずこの部屋を出ようと立ち上がろうとした。
「きゃあ!」
蒲団を踏んで布に触れた左足に激痛が走る。思わず少しよろめいたけど、そんなのよりマズいのは、咄嗟に高い声が出てしまったこと。
「! きゃあはははははははは!」
って、沖田くんめっちゃ、くすぐってくるんですけどおおおおお!
「ひどいですね。これは痛そうです」
「あははははははははは!」
もう見たならくすぐるのやめてえええええええええ!
この時は冷静に状況を見る余裕なんてなかったけど、沖田くんはわたしの脇腹をしこたま擽った挙句、ドタバタ暴れるわたしの足首を引っ掴んで傷口を確認した。
エスパーさんだから通じたのか、急に手を止めた沖田くんは何事もなかったかのように部屋を出て行ってしまった。
一日の疲れがピークの時間にトドメを刺されてぐったりと、蒲団にうつ伏せになる。
二人きりの部屋で男上司からくすぐられるなんて、現代ならセクハラもいいところだ。
でも残念ながらここは幕末。訴えることもできずに、泣き寝入りになりそう。
不幸中の幸いは“まるで女みたいな”高い声を誤魔化すことができたこと。
女かもしれないと少しでも勘付いたら、擽ったりしないでしょ。相手はあの女嫌いの沖田くんだもん。
「……なんなの」
涙が出るよりも前、この呟きを最後に、またわたしは眠ってしまった。
次の日も、わたしは元気に歩き回り、存分に稽古をし、大量の雑用も熟すことができた。
あの後、寝たままのわたしの左足に、沖田くんがテーピングをしてくれたから。
放置で出て行ったのは、その為の道具を取りに行ってくれたんだ。
稽古中ずっと踵を上げていて、特に素振りをする時に一歩踏み出してキュッと止める、この動作を繰り返すので、ここの皮が捲れるのは誰もが経験する定番の負傷らしい。
手の胼胝と同じように、皮膚の損傷と再生を繰り返して硬い皮になっていく。
「たくさん稽古をしてる証拠ですね、エライエライ」
褒めるだけ褒めて、テーピングしてやるから稽古休むなよってことですよねわかります。
わたしだって、休みたくなくて隠したケガだから望むところだし、毎晩テーピングしてくれるひとに文句は言えないけど。
テーピングをしてもらいながら稽古を重ねる日々が続き、ふと気づいた。
「……沖田くん、熱ありません?」
テーピングといっても現代みたいに専用のテープがあるはずもなく、沖田くんは長細く切った白い布を器用に、丁寧に巻いてくれていた。沖田くん自身もこうして、もしかしたら近藤局長に巻いてもらいながら稽古に励んだのかな、なんて想像してしまう。
「いつもこんなものですよ」
「いつも触られてる僕が、いつもより熱いって言ってるんです。夏風邪ですか?」
自分で言っておきながらすごく誤解を生みそうな言葉だけど、万年冷え性のわたしの足はかなり温度を感じやすい。
元治元年の五月末といっても旧暦だから、気温的には十分に暑いので夏風邪と表現した。
「はい、できました」
「いたぁ!」
ペシりと足を叩かれ、この話も終わりだと打ち切る気だろうけど、そうはいかない。
「早めに病院行ったほうがいいですよ」
「ビョウイン?」
二人きりの部屋はだいぶ慣れて、あまり緊張もしなくなった。まぁ、緊張とか言ってる間もなく、稽古と雑用で埋め尽くされる日中の疲れのせいかすぐ寝ちゃうし。現代では、先生の小説を熟読したりしながら結構夜更かししてるほうだったんだけどなぁ。
「えっと、お医者さんに診てもらったほうがいいですよ」
「……嫌いなんですよ、医者は」
子どもか!
沖田くんって、現代で例えれば一流企業にお勤めで社長を始め上司からの信頼も篤くて、もちろん仕事バリバリで同僚からは慕われ後輩からは尊敬されて、高身長高収入でしかも女遊びしないという高スペックのいわゆるスパダリなのに、どこか子どもっぽいんだよね。
「それに、ちゃんと寝てるんですか?」
未だに寝てるところ見たことないんですけど。
ほら、そういうところですよ。無言でコクリと頷くところ。
ウソっぽいな、と思うわたしは、あんまり寝てないと返されたつもりで話を進める。
「暑くなってきましたからね。寝苦しいですか?」
一旦寝てしまうとぐっすりで、朝まで起きないわたしじゃなければ、団扇で扇いであげるとかできるんだけど。ホント、快眠過ぎて困る。この前も、初めてテーピングしてもらった時に全然起きなくて、沖田くんドン引きしたらしいし。
「さぁ、どうしてですかね」
笑ってごまかさないでください、と思いつつ、まんまと誤魔化されてしまったわたしは、まだ知らない。
幕末史に鮮烈に、新選組の存在が刻み付けられる事件がすぐそこまで近付いていることを。
近付くというか、新選組自ら強行突破で引き起こした、という表現ができなくもないのだけど。
何も知らないわたしだけど、もし知っていたとしても、逃げたくない。
激しい後悔に、ずっと苦しむことになるとしても。
翌朝、食堂で朝食を摂ってお茶を飲んでいる時に、沖田くんから注意された。
「引き技の時に、竹刀をすぐに跳ね上げるのヤメなよ」
直接稽古をつけてくれたのはあの一回きりだけど、ダメ出しであれ、見ていてくれたことが嬉しい。
あ、先生聞いてください。わたし、防具を着けて竹刀稽古ができるまで成長したんですよ! 引き技っていうのは、鍔迫り合いから離れて後ろに退がりながら面や小手、胴を打つ技です。
「はい! わかりました!」
やば、顔が笑っちゃう。こんな顔ですが、明日から即刻直します。
「えー、なんでぇ? その方がカッコよくない?」
お膳を持ってきて自然に会話に入ってきつつ隣に座ってくるひとは、わたしは初めて会うけど沖田くんとはすごく親し気だ。
「結構多いんですよね、そう思ってて癖付いちゃってる人。あのね、はじめくん。刀は叩いて斬るものではないでしょう」
「総ちゃんってば、シャカにセッポーだね。そう、刀は引く時に切れるもの。でもさ、試合の時は大袈裟に竹刀上げちゃった方が、いかにも決まったー! って感じでカッコいいのに。ねー?」
ヒィイわたしに振らないでー! ん? 今、はじめくんって……。
「さ、斎藤一さん? は、初めまして! 宮本翼と申します」
いやいやいや、ウソでしょ! 全然イメージ違うんですけど!
あんまりちゃんと読んでないけど、某おろろ系剣豪漫画に出てくる牙突系悪即斬な斎藤一がコレ?
史実にとことん拘る先生だけど、このまま書いていただいたらファンから苦情来ちゃうんじゃない? 黙ってれば目鼻立ちのくっきり整った凛々しいイケメンだから余計に残念。今のところ黙る気配ないけど。
「俺と総ちゃんの仲良し部屋を奪い取ったのがキミかー。うん、カワイイから許す! はじめちゃんって呼んでいいよー、つーちゃん」
呼ぶかぁあああ! さすがに怒られるわ! そして思ってもない癖に息をするように他人にカワイイとか言う人って信用できない!
「もう、あっち行ってよ。はじめくん」
何故か怒ってる風ですけど、だって、ホントに仲良しだもんなぁ。
「ちょっとー、長期出張帰りの旦那に向かってそれはないんじゃないの」
「はじめくーん、居合稽古? 掛かり稽古? それとも、私と試合?」
「全部一気にいただこうか……って、おいおい総ちゃん、俺の身が持たねぇよ」
ご飯? お風呂? それとも、あ・た・し? のテンション……安定で、笑顔が怖い!
あ! 同室といえば……。
「あの! 沖田くんが寝てるところって、見たことありますか?」
「モチのロンで、あるよッ!」
微妙にイラッとくるテヘペロみたいな顔してきたんですけど、あの顔の元祖って、この人なんですね。
……なるほど。じゃあ、沖田くんがあんまり寝てない理由って、もしかして……。
「ちなみに寝顔も、モチのロンで、カワイイよッ!」
それは後でじっくり聞かせてもらうとして、と。
「沖田くん、僕、ホントに間者じゃありませんよ。だから、安心して寝てください」
わたしがスパイだとしたら、沖田くんが寝ている間に部屋中はもちろん屯所中を探索したり、上層部からの指令によっては新選組の誰かもしくは沖田くんを攻撃するかもしれない。
トシサンとの会話で、わたしが寝首を掻く、とか言ってたし。
わたしが思いつくスパイ活動なんてこんな程度だけど、きっと沖田くんならもっといろいろ考えて……だから寝られないんでしょう?
「……う、うん。大丈夫、ちゃんと寝てるから」
え、先生への報告文には到底表現したくない凄まじい音で斎藤さん吹き出したんですけど、なんなんですかこの人。ええ、敢えて斎藤さん呼び決定ですよ。
「いや、あのね、総ちゃんは、」
合間にめっちゃツボってて話せない斎藤さんの言葉の続きを、沖田くんが引き継ぐ。
「ツバサくらい、寝ながらでも何とでもできるし」
こ、こんのぉおおお……! く、悔しいけど、その通りだろうな。
時代劇とかでも、寝てる主人公に刺客が迫る時、カッと目を覚まして返り討ちにする的なシーン、あるあるだよね。
あ、この後、山﨑さんからちゃんとした斎藤さん情報を聞きましたが、三番隊隊長で、沖田くんと新八さんと並び称されるくらいの腕前だそうです。
でも、あの通りお調子者で、しかも酒好きの女好きだとか……どう書かれるかは、先生にお任せ、ということで。
わたし、すごいことに気付いてしまったかもしれません。
「沖田くんって……左手のほうが大きいんですね」
二人一緒に非番って珍しいんですけど、朝稽古を終えた後に部屋で火熨斗の掛け方を教えてもらってて、袴を押さえてくれてる手を見て気付きました。
あ、先生には説明するまでもないかもですが、火熨斗は現代でいうアイロンで、小鍋みたいなものに炭火を入れて、鍋底を布に押し当てて皺を伸ばす道具です。
はい、火熨斗の掛け方も知らないなんてとビックリされましたけど、手のサイズが違うこと、自分でも気付いてなかったみたいで、こっちのほうがよりビックリしてました。
沖田くんは両手を合わせてじっと見つめます。
「……ホントだ」
比べると、左手の指全部が2cmくらいずつ長いです。それにしても綺麗な手だなぁ。
「もしかして、剣術の稽古をたっくさんしてきたからですかね?」
沖田くんに教わったように、刀は左手で握るもの。沖田くんの今の利き手は右だけど、よりたくさん使う手のほうが発達して大きくなるとか、いかにもありそうな話だ。
「すごいなぁ。僕もがんばって続けてれば、左手が大きくなるかもしれませんね」
自分の両手も合わせてみるけど、まぁそうでしょうけどバッチリ左右同じ大きさだ。
「……ちぃちゃい手」
……ビックリしたぁ。急に手首掴まれて、また子どもみたいとか言われるのかと思った。
「ツバサ、強くなりたい?」
「はい! もちろん!」
わたしは、何もわかっていない。
新選組隊士として生きるとは、どういうことか。
隊規を見ても、山﨑さんからその意味を教えてもらっても、本当の意味では理解できていなかった。
毎日欠かさず積んでいる稽古は、何の為か。
仕事前のウォーミングアップ、体力作り、メンタルトレーニング、皆さんとのコミュニケーション?
どれも違う。
稽古の成果を出すとは、どういうことか。
どれだけ上手にたくさん、人を殺せるかということだ。
沖田くんが問い、わたしが答えた時、覚悟ができてるなんて当然思われてなかっただろう。
それでも沖田くんは、教えてくれたんだ。
少なくともわたしが、命を落とさないように。
「稽古での試合と違って、実戦は一期一会です」
その意味はわかるか、と念を押すようにわたしの手は離された。握るのではないのは、どちらと答えても、今は真意まで伝わらないだろうというようだ。
「一度対峙すれば、再会することはない」
自分か相手、どちらかが戦闘不能になるか、死ぬから。
生き続ける為には、殺し続けなければならない。
広い意味で表現してしまえば食物連鎖と同じだけど、徹底的な違いは、抵抗しまくる相手に対して、自ら手を下すということだ。
「だから、ひとつでいい。必殺技を身に付ければいいんです」
バトルゲームや戦闘ものアニメでよく聞く単語だけど、よく考えたらカッコよくもなんともない。
現実には、いくら上手に必殺技が使えようと、ヒーローにはなれない。
それを沖田くんは、新選組の皆さんは知っていた。
でもこの時のわたしは、ただいつも通り、元気に返事をするしかなかった。
「はい! 沖田くんの三段突き、教えてください!」
「それはムリ」
もちろん、出し惜しみして教えたくないとか、多分わたしがウザいからとかじゃなくて、技術的に一生かかっても無理って意味だ。
それこそ稽古で披露するなんてことないので、わたしは見たことすらなくて噂で聞いただけなんですけど、一度の踏み込みで一回突いたとしか見えないのに実際は三回突いているという人間離れした早業らしい。
おそらく古今東西、沖田くんにしかできない。
「突きはダメだよ。死に技っていって、実戦には向かないんです」
強さ自慢的な話はしないで、ことに剣術に関してはちゃんと理由を教えてくれるから、ホントにトシサンが言ってたみたいに剣術バ、いや、優しいなぁ。
「突いたら上体が伸び切るし、脂が纏わりついて刀が抜けにくくなるでしょう。その隙に他の敵に斬られて終わりです。狙う部位も、骨を避けなきゃならない、刃毀れするでしょう。大抵が大人数相手だから、いかに最短で片付けるか。ならば狙うのは血がたくさん流れる、太い血管のある部位です」
うーん、他にもいろいろ言われたけど、教え方が斜め上というか実戦向き過ぎてよくわかんないんですけど……でしょうって言われても。
わたしには圧倒的に技術が足りなさ過ぎるから、という前置きは敢えてされなかったけど、結論はこうだ。
「いかに油断させるかが、意外と大事かもしれません。その点は向いてるんじゃないですか?」
「どういう意味ですか」
先生聞いてください! やっと、監察方らしい任務に就くことになりました!
「ええー……ツバサも来るんですかぁ」
なんと、一番隊の皆さんと監察方との合同ミッションです!
「はい! 足手まといにならないよう、がんばります! よろしくお願いします!」
「沖田隊長すみません……万が一ジャマになるようなら俺が背負って後方までぶん投げますので」
つまり危ない時には退避させてくれるってことですよね、さっすが魁さん優しい……あれ? なんか感覚マヒしてる?
いや、でも実際、山﨑さんと魁さんがわたしの稽古の進み具合を見て、そろそろと判断してくれたんだ。
ひたすら潜伏しての諜報活動よりも成果が実感しやすく、かつ一番隊の皆さんと一緒ならば安全だろうと考えてくれてのことだから、やっぱりお二人とも優しいと思う。
「万が一ね……明らかに弱そうだから標的にされますよ。まぁ、オトリにすればいっか」
良くないいいい! 輝かしい笑顔で言わないで!
ええと、今回は、ずっと監察方が探っていた古道具屋さんの枡屋さんでしたっけ? がやっぱりすごい怪しいとかで、一番隊から隊長の沖田くんと林信太郎さんと山野八十八くん、それと何故か五番隊隊長の武田観柳斎さん、監察方から島田魁さんと、そしてわたしで店主さんを尋問、抵抗する場合は捕縛せよとの命令を受けています。
先生はご存じでしょうが、新選組の実務関係を取り仕切るのはトシサンなので、直属の配下ではあるけど捕縛となると監察方だけでは心許ないので、一番隊数名にもお声が掛かったそうです。
山﨑さんを中心として変装までして調べてるんですけど、大量の武器が少しづつ運び込まれてたり、客にしては雰囲気がおかしいし、何度も通い過ぎでしょっていう人たちがたくさん訪問してくるとかで、倒幕派浪士達の拠点か何かになってるんじゃないか、近々大きな動きがあるんじゃないかって疑ってるらしいです。
功労者の山﨑さんはもう枡屋さんは黒と確信してるので、今度は四国屋さんとかを調べてます。
で、万が一の場合っていうのは、周囲に何人潜伏してるかわからないし、監察方の読み通りなら店主を守ろうとして乱闘になるかもってこと。
「子どものお守りをしながらの御用改めなど、沖田さんも骨が折れますな」
お得意のイヤミを繰り出す武田さんは衆道趣味で有名なひとなんですけど、山野くんは隊中美男五人衆とかってアイドルグループみたいなメンバーに選ばれてる人で、まさか少しでも近づこうと、この任務に参加したんじゃないよね?
こうして一旦お庭に集まってる時に急に現れて、自分も行くと言い出すなんて枡屋さんに匹敵するレベルで怪しい。
ちなみに隊中美男五人衆っていうのは、他に楠小十郎くん、馬越三郎くん、馬詰柳太郎くん、佐々木愛次郎くんのことで、何故かいわく付きの美少年ばかりだったらしく、脱走や暗殺を経て残ってるのは山野くんだけ。
このメンバーにドイケメンのトシサンやサノさんが入ってないのは、それこそBLでいうと受け的な可愛らしい系男子が選ばれてたからなんですよね。
「私はこの子を守ったりしないので全然問題ないですよ」
ちょっと……武田さんよりひどい! もはや慣れてきたけど!
それより問題なのは、無用な乱闘を避ける為にあからさまな新選組の御用改めと勘付かれないようにダンダラの隊服を着ないで集まっているのに、武田さんは隊服はもちろん胴まで着けて臨戦状態ヤル気満々ってところ。
ここは新選組が誇る諜報部隊監察方を代表して魁さんに一言物申してほしいところだけど、わたしの髪型への小言が始まった。
「長州の高杉晋作は、出家して坊主にした後また伸ばしてるからあんな中途半端な髪らしいが。その髪、監察としてやっていくには悪目立ちが過ぎるぞ」
常人の倍ぐらいの体格の人に言われたくないんですけど。
結局、武田さんの目的はわからないまま、向かうことになった。
目の敵にされがちなわたしにも、ちゃんと役割がある。
脇差すら持たないわたしの刀をウィンドウショッピングしに来たっていう体で、枡屋さんを訪れるのだから。
「なかなかいいじゃないですか。こんなことなら、はじめくんも誘えばよかった」
斎藤さんが刀剣マニアとして有名だからですよね? それはいいとして、ガチで選んでくれてるんですけど。
元治元年六月五日、河原町四条枡屋。店主は湯浅喜右衛門。
一般客が出入りするスペースは小ぢんまりとしていて、でも所狭しと武具刀剣が陳列され、店主さんひとりが応対している。
「大刀は、これなんかどうです? あと、脇差はできるだけ長いほうがいいですよ。先生の受け売りですがね、大刀の代わりになるくらいの長さでないと」
「さっすが、お武家はんお眼が高い! こちらは黒叡志隆と申します、加賀の業物ですわ」
店の周りをウロウロ睥睨してる武田さんがあの恰好だから、新選組ってバレてるはずなんだけど……店主さん、なかなかの大物だ。
「へ、へぇえ、か、かっこいいいー……おにいちゃあん、これ買ってぇ」
ヤバ、緊張して声がひっくり返る。
「もっといいのがあるでしょう? 惜しまず出してくださいよ」
「……あれあれ、こらぁ、かないまへんなぁ。ちょおっと待っとくれやす」
店主さんが奥へ入った途端、沖田くんは心底ゲンナリという顔で溜息を吐く。
「へたっぴぃですねぇ」
「ごっごめんよぉ、おにいちゃあん」
こっちは初めての、新選組らしいのかよくわかんないけど、ちゃんとした任務でガチガチに緊張してるのに、約一名以外は普通にウィンドウショッピング楽しんでるんだもん。こんな状況ありえます?
「枡屋の奴、遅いですな。中を確かめてきます」
超せっかちに武田さんが奥に踏み込み、この人が一緒に来た理由が読めた気がした。
出世欲をとことん好意的に解釈すると、向上心が高い彼は、近藤局長を始め上層部へのおべっか使いが激しく、手段を選ばないようにすら見えたそのままの手法で、一番隊が出る程の大捕り物で手柄を上げようと目論んでいたんだ。
その読みの鋭さだけは感心する。実際、彼が捕らえたのは、これから起こる大舞台のキーパーソンだ。
「あーあ、もっとゆっくり見たかったですね」
沖田くんは、武田さんが同行するとなってから、彼に手柄を譲る気だったのかもしれません。
小細工しない、近藤局長への忠誠の証は、剣で示すってことですよね?
同じ土俵で戦わないってことかな。うーん……どんだけ嫌いなんですか。
魁さん、林さん、山野くんも後に続き、発見したのはさすがの敏腕監察方の調べた通りの大量の武器弾薬と、かなりの量が処分された後だったけど長州藩出身者を主とした主要倒幕派志士らの密書だった。
……と、わたしは後で聞いたけど、実際に見たわけではないんです。
証拠があろうとなかろうと、捕らえた店主さんに話を聞くことには変わらない。
ここから先は、また監察方の仕事だ。
確かに帰り道で魁さんはそう言っていたのに、前川さんの敷地内にある土蔵から締め出された。
「ガキの見るもんじゃねぇ」
見る? 話を聞くのではなくて?
魁さん達を引き連れて中に入るトシサンの眼は、女は引っ込んでろと言っているように見えた。いや、普段からしてほしいわけじゃないですけど、こんな時ばっかり女扱い?
なんでもかんでも首突っ込むのもどうかと思うし、何より同じセリフで沖田くんも追い出されてたので、すごすごと退散した時にはもう、わたしの腹時計では10時のオヤツ頃だった。
土蔵に籠る隊士と、見張りの隊士以外は、外出厳禁、自室待機を命じられたので、そういえばと訊いてみました。
「あの、どうしていっつも、刀を二本持ち歩くんですか?」
わたしとほぼ同じ扱いで除け者にされたことが余程不服だったらしく、ずっと無言で刀にポンポン白い粉を叩いてた沖田くんは、その作業を止めないままに呆れた声を出した。縁側に出て障子を開けたままにしている後姿は振り返りもしない。
「……なんにも知らないんだから」
その通りですけど……実際、タイムスリップしてきた現代人でしかも女じゃなくても、知らないひとはいたと思うけどなぁ。
剣術を教えてもらってるからもうさすがにわかるけど、バッグと違ってダルいからってヒョイヒョイ持ち替えるわけにはいかない。常に左腰に長い刀を一本と短い刀を一本と差しているけど、かなり重いはずだ。すごい現代人らしい見解だけど、なんか骨盤とか身体全体が歪みそう。
「武士がなぜ、二本差しなのか。という話なら……そうですねぇ、単なる目印です」
わたしの反応が余程怪訝そうだったからか、すぐに付け足してくれた。
後から考えて言葉の意味がわかると、痛烈な皮肉にしか聞こえない。
世間的にいう、ソトヅラだけの武士が持ち歩く大小二本差しは、お飾りだ。
主君の為に一命を賭して剣戟を斬り開く為の、魂。
太平を貪る武士は、生涯の一度たりとも、その為に剣を抜くことはなかったという。
対して新選組の剣の使い方は、良い意味で消耗品と言っても過言ではない。
「新選組が二本差しなのは……これは先生の教えですけどね」
と、さっき枡屋さんでも言っていたことを前置きする。
「大刀を損じたら脇差で、脇差を損じたら素手でも戦え。戦場では誰も待ってはくれないんだ。だから脇差は長ければ長い程いい」
「……予備ってことですか?」
我ながら頭悪そうなコメントだな、と思うけど、沖田くんもふと笑ってくれた。
「その通りです。だから、やっぱり枡屋さんで買っておけばよかったですね。外出厳禁なんて、只事じゃないですよ」
監察方が搔き集めた情報と、トシサンの判断を信じる沖田くんは、これから大々的な出動命令が出ると踏んでるんだ。
そうならば、わたしなんかの刀がどうこうより、沖田くん、ちゃんと病院行ったのかなぁ。
「まぁ、昨日今日手にしたところですぐ慣れるものでもないし」
特に体調が悪いように見えないのに、あんなに熱があるなんておかしい。
「もし斬り合いになったら……走るの得意でしょう? その場を離れるか、隠れててください」
沖田くんのことだから、もし治ってなくても無理してしまうんじゃないかな。
「なんです、変な顔して。……守ってあげる、とでも言うと思ってました?」
あ、すいません聞いてませんでした。え、ってか顔が変って言われました?
沖田くんは話をしながらお粉ポンポン……多分、刀の手入れだと思うんだけど、それを終えていて、縁側に腰掛けていた。
いざという時、わたしのことを守ってほしいなんて、思ってませんよ。
だって剣豪揃いの新選組を代表する遣い手さんのジャマするわけにいかない。
それにホントの武士な沖田くんの主君は局長だ。
守らなきゃならないのは“先生”ですもんね。
「いざとなったらダッシュで逃げます。なので……足を見てもらってもいいですか?」
テーピングの具合を見てほしいとお願いしたのだけど、もちろん下心がある。
額に触れるなんてできないけど、やっぱり熱のことが気になるから。
「痛むんですか?」
こういう時……ひとが困ってる時の沖田くんってすごく優しい。
なのにわたしは、確かめることができなかった。
ちょうど、全員が広間に集まるようにとの声が掛かったから。
もし、微熱がまだ続いていることに気付いていれば、例えばトシサンに伝えることができていれば、沖田くんは屯所で待機、なんてことが有り得たのだろうか。
広間では、局長とトシサンが前の方に、少し距離を取ったところには色の白いふっくらとしたひとが、それぞれ皆さんと向かい合う形で座っていた。
怪我の療養中とかで今まで見たことがなかったけど、位置的に多分、山南さん……鬼じゃないほうの副長だ。
それぞれ隊長を先頭に隊ごとに並んでいるみたいで、沖田くんは一番前の方に行ってしまったけど、ほぼ同じタイミングで魁さんが手招きしてくれた。
「漸く、奴が吐いた」
え、もう話が始まるの? だって、ざっと見てもまだ三十人ぐらいしかいなくない?
「名は、古高俊太郎。長州間者の元締めだ」
まさか、出動できる隊士が、これだけってこと?
「奴らの計画はこうだ。強風の夜に御所に火を放ち、混乱に乗じて天子様(今上・孝明天皇)は長州へ御動座いただく。さらに、中川宮(中川宮朝彦親王)の幽閉、禁裏御守衛総督(一橋慶喜公)そして我らが殿・肥後守様(京都守護職・会津藩主松平容保公)の弑逆」
トシサンはベラベラ話すし、皆さんすごい動揺でザワザワしてるけど、わたしがわかったのは、そんなことしたら、京都中が大火事になっちゃうっていうことだ。
これ、テロってことですよね? 例えどんなに高尚な理想があるにしても、平和に暮らす人々の日常が突然奪われるなんてこと、絶対にあってはならない。
何も知らない子どもたちが笑っていられる未来を奪う権利なんて、どんなに偉かろうが同じ人間同士で誰にもあるわけない。
「この蛮行の協議が今宵、開かれるらしい」
皆さんがさらに熱り立つ。口々に、ええと、ごく丁寧な言葉で表現すると、それは大変ですね、絶対に止めなければなりません、すぐに行きましょうって感じです。だいぶ脚色しましたが。
「たりめぇだ。俺達が行かねぇでどうする」
あ、このひとの分、丁寧変換するの忘れてました。
「だが問題は、会合場所がハッキリしねぇのと、何十人も集まってるかもしれねぇってことだ」
さすがにそこまでは自白しなかったってことかな? もしくは知らないとか?
「援軍要請はしたのかい?」
「ああ、斎藤に行かせた」
山南副長って、仏の副長と呼ばれてるだけあってすごく優しそうだなぁ、ジェントルマンって雰囲気……ホント正反対、いや、ゲフンゲフン。
「監察方の調べによると、四国屋か池田屋。だが、他の旅籠ってことも有り得るから無視できねぇ」
虱潰しに捜すしかない、援軍を待って総出で手分けしてやればなんとかなる、屯所を空にするわけにはいかない、古高奪還の為の襲撃があるかもしれない。
「四国屋が固いだろうね。彼らの常宿だったろう」
また皆さんの討論が始まったけれど、わたしの脳内は聞き覚えのある単語でいっぱいだった。
池田屋って……イケダヤジケンの、イケダヤ?
わたしの問題作でそこまで書かずに挫折してるから全然詳しくは知らないけど、取材旅行前に見た京都ガイドブックで“池田屋の跡地は現在では居酒屋になってます”の文字と共に写真が載っていた。
なんの面影もないのにこんなに大きく載るなんて余程有名な事件なんだろうな、とは思っていたけど。
え、もしかして、池田屋事件なう?
この会議では、各自準備を整えて、敵に勘付かれないように私服でバラバラに祇園会所に集まり、そこで援軍を待ちつつ軍備を整えてから出発しよう、というところまで決まって解散になった。
あの有名な、誠の旗を先頭に意気揚々と隊列組んで向かうわけじゃないんだな。
なんとか新選組に入ることができてからもう2か月くらい経つんだけど、まだわたしにはダンダラ羽織がない。
でも、わたしでも知ってる程の有名な事件……とは言っても、旅行ガイドブックで見ただけなんだけど、こんな時でさえ、皆さんの中で隊服を着てる人は疎らで、数人しかいない。
普段からかなり頻繁に隊服を着ていて、今日もしっかり持ってきている沖田くんに訊いてみた。
この非常時にって思われるかもですが、一緒に祇園会所で支度をしている沖田くん自身が、周りの皆さんと談笑したりいつもと全然変わらない様子だからつい、つられてしまうんです。
「僕の隊服、いついただけるんですか?」
胴を付けながら少し笑われた。
「ああ、これ、もうすぐ廃止になるかもしれなくて。だからツバサとか新入隊士の分は注文してないんだと思う」
ええ? 新選組といえばのトレードマークみたいなものじゃないんですか?
全員がずっと着てる物だとばかり思ってましたよ。
「汚れが目立つし、ほら、派手だから。人気ないんですよね」
好き嫌いの理由で着なくてもいいものをよく着てる沖田くんは、気に入ってるってことなのかな。普段の服装とか、派手好きとかじゃないのにな。
「鴨さんの形見みたいなものだから」
カモ? いや、思いっきりハトが豆鉄砲食らったような顔しちゃいましたけど。
「芹沢鴨さん。もう一人の局長だったひとです。この隊服は、先生と鴨さんが作ったんですよ」
元局長って、大砲ぶっ放して粛清されたっていう、あの? え、それに鴨って本名ですか? 翼もたまに男の子みたいな名前って言われたけど、かなり苛められそうな名前ですね。
「……鴨さんが好きだったんですね? じゃあ、つらかったですね」
形見なんて言って大事に着てるくらいだもん、きっと仲が良かったのかな。それなら最期は辛かったろうな。
「全然。斬ったのは私ですから」
斬ったって、そんな平然と……それに隊規違反は切腹じゃないんですか?
この時は正直かなり引いたけど、詳しく知ると沖田くんの気持ちがなんとなくわかる。
最も敬愛する近藤局長の為の決断だもの。辛いの悲しいの、言えないですよね。
それでも、無理して笑わなくてもいいのにな。
「って、沖田くん、そんな恰好でいいんですか?」
鎖がたくさん繋がったカーディガンみたいなもの、着込みの鎖帷子を着けている人達や、頭に鉄の帽子みたいなもの、首元に鎖帷子の付いた兜を被っている人も居るけれど、沖田くんは胴のみで、稽古と変わらないというか籠手と面がない分ほぼノーガードの軽装に、隊服を羽織って紐を結んでいる。
「だって、暑いでしょ。そういうツバサも同じじゃない」
もう夜なのにかなり蒸し暑い。確か援軍の皆さんと手分けして一軒一軒周るって言ってたから走ったりもしそうだ。それに、あんな重そうなもの着けてたら動きがいつもより4割は遅くなりそう。
「足も治りましたし、今ならフルマラソン全力疾走できる勢いです」
治ったというか、皮が少しくっついたりまた剥けたりを繰り返しながら、かなり皮が厚くなってきて痛みはなくなってきていた。
皆さんが続々と集まってきて、しばらくはいつもと変わらず、なんなら少し呑気なくらいの雰囲気で着替え、装備を整えて、腹が減っては戦ができぬで、おにぎりみたいなものを食べているひともいた。
でも、次第にそれぞれが、妙だと気づき始める。
援軍が来ない。とうに準備万端の局長とトシサンが眉間を寄せてコソコソとお話をしてる。
普段から共に京の治安維持を担う会津藩と桑名藩に援軍要請に行っていた斎藤さんはもう戻ってきている。隊伍を整え、すぐに向かうとの返答だったとのこと。
祇園会所全体に漂ってきた不穏な空気を、トシサンが断ち切る。その割には、いつもより暗く重い声だ。
皆さん、出動が待ちきれないというように、屯所の広間と同じく自然と隊列を組んでいた。
遙か後方かつ、沖田くんいわく何も知らないわたしでも、なんとか理解できる内容だった。それだけ、事態は逼迫していた。
今日は祇園御霊会、現代でいう祇園祭の宵山。元々、多くの人でごった返していて、風も強め。
古高俊太郎が捕まったから、何もかも自白してしまうことも考えて、今夜強行突破も十分有り得る。むしろ逆の立場ならそうするだろう。
既に戌の刻(午後八時頃)を回る。これ以上、援軍を待てない。もし戦闘が始まってもその途中には合流するだろう。
俺達、新選組だけで行く。
四国屋方面から順番に行こう。
トシサンの声に皆さんが意気揚々と返事するけれど、待ったを掛けるのは山南さんだ。
「それは危険過ぎる。援軍は必ず来るんだ、待つ方がいい」
「サンナンさん、あんたは屯所を固めててくれ。残留隊士連中と、襲撃を防いでほしい」
確かに、大事な仲間が捕虜になったなら、助ける為に屯所を襲う可能性はかなり高い。でもこんな状況と言い方じゃ、山南さんは除け者みたいにされたと感じるんじゃないかな。それがわからないトシサンではないはずなのに。
ここからは、決行派と待機派に分かれての討論になった。
うーん、モヤモヤするぅ!
「あ、あの!」
新選組幹部皆さんと、筋骨隆々かつ漢気満々な隊士さん達を差し置いて手を挙げちゃう空気読めない系チンチクリン新人隊士ってのはどこのどいつだぁーい? あたしだよッ! って、わああああ! もう引っ込みつかないいいいいい!
……助かった! 皆さん激論中だから、後ろの隅っこの短い挙手なんて誰も気づかない……セーフ!
じゃない。ホッとしてる場合じゃない。
援軍を待っていては遅すぎる。かといって、全員で四国屋方面から順番に向かうとなると、池田屋は川を挟んだ反対側だからかなり後回しになる。
テロを止めることができなければ、新選組が間に合わなければ、京都に住む皆さんはどうなるの。
好奇の的だったわたしに初めて声を掛けてくれたお姉さん、一緒に遊んだ子どもたち、島原の可愛い舞妓さんたち、そして、お世話になりっぱなしの八木家と前川家の皆さん……余所者のわたしでさえ、思い浮かぶ顔がたくさんある。
尊王とか倒幕とか佐幕とか、そんなのとは別に、ただ毎日を安らかに楽しく過ごす人たちがたくさんいる。
それを守るのが、新選組の務めですよね?
「はい! あの! すみません、皆さん聞いてください!」
手を挙げて、それでも十分小さいから、立ち上がってピョンピョン跳ねた。
さすがに隣の魁さん、前にいる沖田くん、そして局長も何事かと目を見張っている。
え? トシサン? めっちゃ鋭い眼光で睨んできてる気配バシバシ感じますけど目が合ったら石になりそうなんでスルーします。
「ツバサ、なに?」
皆さん確かに振り返ったけど、それこそ完全にスルーされそうだったのに、シンと静まり返った。
いや、沖田くん、そんな部屋で話してるみたいに相槌打ちます?
「あ、あの! 僕は池田屋だと思います!」
皆さんカイジばりに、ざわ…ざわ…し始めたけど、今度はトシサンの一声が入る。
「根拠は?」
わたしは約百五十年後の未来からタイムスリップしてきたので、池田屋事件という単語を知ってます。何がどうなったかまでは知りませんが。
なんて正直に言えないいいいい!
「ええっと……」
「まさか、調べたのか?」
いや、トシサンったらわたしの能力過信しすぎ! まぁ、そりゃそうだよね、剣術すらできない女を新選組に入れてくれるくらいだもん。
でもチャンス!
「そうです!」
でも詳しいことは、なんも言えねぇ!
それなのに考え込んで顎に手をやるのは、きっとトシサン自身が人間離れした直感で、池田屋が臭いな、と思ってたからなのかも。
「皆、俺を信じてくれるか」
「はい先生!」
ずっと腕を組んでいた局長が、真一文字の重い口を開いた。食い気味に返事をしたのは沖田くん。
少し遅れて皆さんが応えると、局長は皆さんを見据えながらも温かい眼差しで話す。
どんなに混乱していても、この大将に付いて行けば間違いない、そんな安心感を皆さんが持ってるのも納得だ。
「隊を二分にする。池田屋方面は俺が率いる少数精鋭で行く。総司、永倉さん、平助、そして周平」
呼ばれた一人ひとりが返事していくけど……え? 終わり? 少な過ぎませんか?
「他の皆は副長と四国屋方面に向かってくれ」
きっと局長の判断は、わたしなんかの意見を鵜呑みにしたのではなく、全幅の信頼を預ける沖田くんとトシサンがわたしの話をしっかり聞いてくれたからだ。だから無視しなかった。
「玉が取られたら仕舞いだ。そんな危ねぇこと、局長にさせられるか」
トシサンは、公的にも私的にも、局長が一番大事。
失うわけにはいかないですよね、わたしもそう思います。だからすぐに助けに来てください。
「僕も連れてってください! アタリなら、すぐに副長のところに走って伝えます!」
「うるっせぇ! てめぇは屯所で留守番だ!」
遠くにいてもビリビリ振動が来るほどに怒鳴られた。
近くであの剣幕を食らっていたら、屈強な武士でも裸足で逃げ出すだろう。
けどわたしは、少年時代の破天荒だけどどこか憎めないトシサンも、沖田くんが優しいと微笑むトシサンも知ってる。
わたしが真剣の重みを知らない、しかも女だから、足手まといになるのを懸念したのはもちろんだけど、ケガをしないように気遣ってくれてるんですよね。
「ったく、とっととクソして寝ろ。クソガキ」
……ちょ、あれ? そうです、よね?
「いいじゃないですか。一緒に行こう、ツバサ」
あなたが望むのなら、わたしは何者にでもなる。
闇夜を奔る使い番でも、月を裂く斬り込み隊でも、望むままに。
間者でも、尊王志士でも、新選組隊士でもない。ただの、未来から飛ばされてきた女だ。
だけどわたしはあなたと、同じものを見ていたい。
あなたが笑う時も怒る時も、悲しむ時も。そばにいたい。
言葉にすればすごく陳腐な、ありきたりな感情だ。
名を付けるなら、わたしが今まで知らなかった感情だ。
「ツバサは私より足が速いんですよ。それに、先生は私が、絶対に守ります」
真剣を持ったことがないなら足で。走れなくなれば素手でも戦います。戦場では誰も待ってくれないなら、自分から飛び込んでやる。
虱潰しって、ガチで一軒一軒の旅籠の戸を叩いて廻るんですね。
「御用改めである!」
いつでも先頭を切って踏み込む別名・魁先生の平助くんの声が月夜に響き、宵山に賑わう市中でも、充分に際立っている。
ごく当たり前にやってるけど、これってものすごい勇気のいることなんですよね。
もしここが敵地で相手が待ち構えている場合、門を開けた瞬間に斬り付けられることが有り得る。
だから普段、新選組では死番という、漢字にすると殊更に縁起でもない役割を各隊ローテーションで持ち回っていて、見廻り中、狭い路地に入る時や屋内に入る時には死番が必ず先に立つ。これだけ聞くと恐ろしく思えるけど、いざという時に怖気づかないように数日前から心の準備をさせておく、という合理的かつ平等かつ思いやりにも溢れた、トシサンが作った仕組みらしい。
その仕組みをある意味ガン無視して、いつも皆さんを引っ張るのが平助くんだ。
踏み込んで、違うとわかればすぐにまた走って次の旅籠へ。
部活で走り込みには慣れていたけど、高校卒業と同時にやめてしまっている。たまに趣味程度にジョギングはしていたものの、かれこれ四年のブランクで少しキツイし、局長の養子になったっていう近藤周平くんもかなり息を切らしている。
出発の前に、局長に初めて声を掛けられた。
「総司と同室になったそうだな」
絵に描いたように武士らしく、いつもぐっと結んでいる口を綻ばせて、まさに破顔といった感じで笑いかけてくれる。笑窪がへこんで、一変して親しみやすい印象だ。
「挨拶が遅れてすまない。俺は総司の親代わりみたいなものでな。どうだ、迷惑を掛けてはいないか」
親代わり……兄じゃないところがなんかジワリます。
局長隊とトシサン隊で完全に分かれていたからか、現代でいうとホントに友だちのお父さんから挨拶されてるかのように、気軽かつ親身に話してくれた。
「ちょっと先生! もう、参ったな。すぐ子ども扱いをするんですから」
と、言いながら、沖田くんすっごく、すっごく嬉しそう。
「いえ、僕のほうが迷惑かけっぱなしで」
「そうそう、私はしっかりお兄さんをしてるんですからね」
ちょっと沖田くん! もう、参ったなぁ、子どもみたいに言うんですから、反論できないじゃないですか。いや、迷惑かけまくってるのは事実ですが。
「そうか、これからも仲良くしてやってくれ」
その時とは全然違う顔で、わたし達を導いてくれる局長。
沖田くんが、新選組の皆さんが惹かれて惚れ込んで、命を賭して付いて行こうという気持ちも納得だ。
天性のヒトタラシって感じ。ううん、局長自身が、人が大好きなんだろうな。
またピタリと、足を止める。
ここが、池田屋。煌々と、提灯がその名を映す。
「ツバサ、走って。ここで間違いない」
息の一つも切らしていない沖田くんが、わたしのほうをチラリとも見ずに告げる。
局長の脇にピッタリとついて、二階を見上げている。
え、まだ入ってもないのに、沖田くんにはどうしてわかるの?
いや、沖田くんだけじゃない。
局長が目配せすると、突入隊として選ばれた局長以下四人とは別に、いざという時に屋外へ逃げる敵を捕らえる目的で同行していた安藤早太郎さん、奥沢栄助さん、新田革左衛門さんが裏口や大きな窓がある場所など、各々出口になりそうな箇所の配置につく。
新八さんはここに来てやっと刀の鯉口を切り、平助くんは鉢金という額部分に鉄板がついた鉢巻きをぐっと締め直した。
何十人もの敵が、膝を突き合わせて談合している、もしくは新選組襲来を聞きつけ、今か今かと待ち構えているかも知れない。
ここへ来てまさか、放火テロなんてやめなさい、はぁわかりました、なんて話し合いで済むわけがない。
そして、会津藩と桑名藩の援軍を待つ、という選択肢もないらしい。
走らないと。その為に、わたしはここに来たんだ。
思った瞬間、景色がガクンと下がった。
やば、腰が抜けたかも。
足がガクガクして、立てない……!
「大丈夫だから。気を付けて行っておいで」
なんでそんなに余裕なの?
これから、わたしなんかに計り知れないくらい危険な場所に踏み込もうというのに。
さっきまでまた無表情だったのに、なんでそんなに優しく笑えるの?
疑問は尽きなくても怖くても、それでもわたしは、差し出された手を、なんの躊躇いもなく取る。
だって、あなたの笑顔を守りたい。ケガの一つだって、してほしくない。だから早く行かなきゃ。
「……! 沖田くん、やっぱりまだ、」
ぐっと手を引かれて、身体を起こされた。シィッと口元に指を当てる。
まだ、熱があるじゃないですか。
「ダ、ダメですよ!」
局長に言えば……沖田くんを我が子のように大事に思う局長なら、熱のある沖田くんに無理をさせたりはしない。わたしのいうことは聞いてくれなくても、局長の言いつけなら話は別。池田屋に入るのを止めさせてくれるはずだ。
「そんなことしたら、あなたを許さない」
近付く耳元で囁くのは、甘い言葉なんかじゃない。
でも、ゾクリとしてる場合じゃない。
そんな脅したって、全然怖くないんだから! って言ったらウソっぱちだけど、でもあなたを失うかもって思う方が、途方もないくらいに怖くてたまらない。
「っ……だって、このままじゃ、」
「ツバサ……お願い、誰にも……誰にも言わないで」
平助くんが、引き戸に手を掛ける。
止められないなら、わたしのすることはひとつ。一分一秒でも早く、トシサン隊を呼ぶことだ。
「御用改めである! 手向かい致すは容赦なく斬り捨てる!」
現代でも、前夜祭である宵山のほうが全国からたくさんの観光客が集まるらしい。その人混みを掻い潜り走る。
このチビッコさ加減を得だと思ったのは、生まれて初めて。
祇園囃子の風情も美しい山鉾も素晴らしいのだろうけど、楽しめるのはまた来年? 少なくても今は到底無理そうだ。
火事場のナントカヂカラか、わたしは一直線にトシサン隊を見つけた。
そういえば、普段は超がつく程の方向音痴なのに、就活中に今の出版社で面接受けた時とか、ここぞという時って迷わないんだよね。
トシサンは門の前で仁王立ち待機して、四国屋よりも随分手前の旅籠の中を皆さんが調べているところだった。
観光客を含む京都の皆さんは新選組が来ていると察してか、遠巻きにそこを避けながら緩やかに流れていく。
「トシサン!!」
正直、傍に駆け寄るのも定型文的に詳細を報告するのも時間が惜しい。
すぐ池田屋に戻らないと。
わたしの力の限りの大声ですべて察したトシサンは、すぐに命じた。
「池田屋へ向かうぞ!」
大人数で隊伍を組むかつ重装備の皆さんより、わたしのほうが数段早い。すぐに踵を返して来た道を戻る。
「翼どこ行く! てめぇは屯所で待機だ!」
わたしの大声に負けず劣らずの怒鳴り声は聞こえない振りのスルーで、また一目散に走った。
池田屋は真っ暗だ。でも感じるのは漆黒ゆえの不気味さなんかじゃない。
中からはたくさんの男のひと達の裂帛の気合や怒号、断末魔と無数の足音。
あらゆる場所が立ち並ぶ山鉾の華やかさで満ちているのに、ここだけは、月明りが異様に映える。
「ナギ、藩邸まで走るぞ!」
「イッテェー! マジ死ぬかと思ったー!」
沖田くんと瓜二つの別人が出てきたのにぎょっとしたけど、その横をすり抜ける。
まさかわたしみたいな、丸腰かつダンダラ羽織も着けてないチビッコが曲がりなりにも新選組隊士だと思わないだろうな。
お互いそれどころじゃなさそうなのですんなり行き違って中に入ると、頻りに三人の猛者・局長、新八さん、平助くんの大音声が目立って聞こえる。
そうか、この暗がりだから。
万が一にも同士討ちなんて起きないように、お互いの無事と位置を知らせ合ってるんだ。
なんて、感心したのはほんの一瞬だ。
じゃあどうして、沖田くんの声が聞こえないの?
沖田くんが剣を持っている時の声は、局長に似ていて少し高くて、かつ大きい。
局長が道場主である天然理心流試衛館の風潮、そして局長自身のポリシーが、剣は気組みつまり気合だからだ。
目の前の階段を駆け上る。いや、そんなにスムーズにいかない。途中に倒れる人に蹴躓きながら、気も漫ろにやっとで攀じ登った。
「沖田くん!」
声が上擦る。足が震える。でも、やめるわけにはいかない。素手で這ってでも、あなたを見つける。
多分、全ての部屋の襖が開いている。柱に身を預けてしまうくらい心身共にヘロヘロになって、一番端の部屋に入った。
そこに、スポットライトが当たってるみたいだ。
ううん、正しくは逆光だけど。
開け放たれた窓から差し込む月明りを背に、壁に凭れて座る沖田くんは、ガクリと頭を垂れている。
手元には、沖田くんの愛刀非人清光が、血の滴るままに転がっていた。
「お、沖田くん! 沖田くん!」
駆け寄ろうとするわたしの足元に、数が多いのとあまり直視できないのとで、数えきれないくらいの人の身体がこれでもかと何回もぶつかる。
き、斬られてるのかも! いやだ……ウソでしょ?
やっと触れた身体に、ケガはないか目を凝らす。けど、嫌でも勝手に溢れる涙と動揺で泳ぐばかりだ。
沖田くんが誰より強いのは知ってる。
でも、あんなに熱があった。それなのに走って、こんなにたくさんの相手と戦って。
何があっても……斬られててもおかしくない。
……って、あれ? 隊服、ちっとも汚れてないんですけど。それこそウソでしょ? この状況で。
眼を閉じる沖田くんの息が早い。寝顔初めて見た……じゃなくって。
思わず額に手を当てる。すごい熱だ。
「沖田くん? 沖田くん!」
どうしよう……気を失ってるんだ。医療知識なんて全然ないけど、あまり動かすのも悪そうだから軽く肩を揺するけど、全然反応がない。
ケガはないみたいだけど、このままここに居たら治るものも治らないし、
「沖田? あの沖田か」
敵に、見つかってしまう。
その人は、羽織も袴も全身が真っ黒だ。
血刀を提げて、ゆっくりとこちらへ近付く。時折、味方だったはずの人たちを、乱暴に足で蹴り退かしながら。
月明りの路を、ゆらりと進んでくる。
「お前も壬生浪がか? こんなガキまで入れゆう程、人手が足らんじゃか」
そうでもないですよ。病人を狙って剣を振るう卑怯者まで、メンバーにいるそちらに比べたら。
「幸せなヤツじゃ。儂の友はみな、苦しんで死んだちゆうに、寝ちょったまま逝けるんやき」
絶対に、沖田くんは死なせない。
先生、史実での沖田くんは、池田屋事件の後も生きてて、活躍してますよね?
そうか。ならわたしは、このために幕末に来たのかも。
沖田くんを守る為。
こんなところで、こんなやつに斬られたりしない。
黒い人が、刀を振りかぶる。屋内でそんなに上段まで? それこそ冗談でしょ。あ、抵抗できないと思って油断してるのか。
沖田くんの身体をぎゅっと抱きしめる。
沖田くんは、わたしが守る。
……は? いや、違う。
これが守る? バカじゃないのって、笑われちゃう。
黒い人は、グッと足に力を入れて踏み込んできた。畳が沈み込むのがわかるくらい。
――……
「いかに油断させるかが、意外と大事かもしれません。その点は向いてるんじゃないですか?」
――……
こんなんじゃ、わたしが先に死ぬだけだ。
ここにはわたししかいないんだ。わたしが死んだら、守るなんてできない。
非人清光を手に取り、振り返りざまに前へ、真っ直ぐに伸ばした。
「ぐああっ」
肉を裂く、めり込んで奥まで入っていく重み。皮膚と血管と内臓と順番に噛み食い千切る刃。何かに、多分骨にぶつかって止まる。
夥しい返り血が、見開いたまま閉じるのすら忘れた眼に入って、前が見えない。傷口から刀から伝って、黒い血がわたしの指を、腕を這うのをその温かみで感じる。
わたしは言葉にならない、なんだかどこから絞り出したのかわからないような声を上げていた。それが自分のものだとは、すぐには気付かなかった。
震える手を柄から離した。罪を否定するかのように。
刀は黒い人の腹に刺さったまま、わたしの髪、顔、手、身体中は、黒い血塗れだ。
真っ黒だ。前が見えない。眼を力任せに拭う。その手も真っ黒だ。何も見えない。
苦しい。息ができない。ずっと叫んでるからだ。
身体中が、震えて止まらない。自分で、自分を抱きしめる。
痛い。眼が痛い。異物への拒否反応だ。涙が止まらない。
人を……人を斬った。刀で。殺した。この両手で。
「おのれ……」
上の方から声が落ちてくる。黒い人の声だ。
下を向いているはずのわたし、眼を開けているはずのわたしには、座る自分の足が見えるはずなのに。まだ、真っ黒だ。
眼を拭う。何を見ようとしているのか。でも真っ黒は嫌。
やっと明るくなった視界をさらに助けるのは、白々しく冷たい月光。
わたしの背後から伸びた刃が、黒い人の首の皮を裂いていた。
脇差で斬ったんだ。空を裂く音は、血を払う為。
これは……誰?
わたしの知ってるあなたじゃない。
こんな沖田くんは、知らない。
「……だから、突きはダメって言ったでしょう」
横を通り過ぎる、声が聞こえる。わたし、叫ぶのをやめていたんだ。でも、息は苦しい。喉が嗄れている。
仰向けに倒れた黒い人の腹を足で踏みつけて刀を引き抜くと、懐紙で血を拭いた。
すぐに刀を引かなかったから、脂が巻いて抜きにくくなっていたんだ。
振り返る、月光を浴びる浅葱色の羽織が、黒い血で汚れている。
「ツバサ、立てる?」
差し出してくれる手。少しの血もついていない、綺麗なままなんですね。
同じ一夜なのに、躊躇なくすんなり取れたこの手に、今はもう触れられない。
名を付けるなら、ありきたりのこの感情は恐怖。
わたしは、怖い。
人を斬るのが。当たり前みたいに、人を斬る沖田くんが。
一際、階下が騒がしくなる。援軍の到着だ。
副長のよく通る声が聞こえている気がしたけれど、耳の奥が詰まったみたいに、水の中にいるみたいに篭っている。
わたしはぼんやりと、沖田くんを見上げていたような気がしたけれど、実際は違った。
じわりと、震える身体は後退りをする。
さっきのように、この手を借りなければ立ち上がることはできないのに。
沖田くんは、突然ふらりと、また座り込んだ。
「……っ沖田くん! 大丈夫ですか!?」
足がうまく動かないわたしは、やっとで這いつくばってまた、身体に触れる。
言葉が出た。良かった。わたしはちゃんと、このひとの名を呼ぶことができる。
こんな沖田くんは知らないと、全身で拒否をしていたくせに。
あなたが生きていてくれたこの熱が、掛け替えのないものだと感じることができる。
もしあのままでいたら、わたしはどうしていただろうか。
走って逃げていたかもしれない。沖田くんから。新選組から。
「……僕は、誰にも敗けることがない。刀を持っていて、怖いなんて思ったこと、ない」
額に両手をあてて、項垂れる沖田くんは深く溜息を吐いた。
「初めて、怖かった……ツバサが、斬られるかと」
顔を上げてわたしを見つめて、少しだけ震える手で口を覆う。
人を斬る狂気に酔って悦しむ……沖田くんは、そんなひとじゃない。
ただ、居場所を失わないように、求められる自分であるように、大切なひとを守ることができるように、生きる為に、剣を手にする。
「でもツバサは、もっと怖かったね。僕の為に、」
何も言えず、首を横に振る。あなたの為に人を斬ったとか、そのお礼とかは聞きたくなかった。
血に塗れた頬は、止まらない涙で洗い流された。その頬に、沖田くんの手が触れる。
「いっ!!」
ツバサ涙目! めっちゃくちゃいい音しましたけど! いや、ほっぺを両手で挟み込まれたかと思ったらバチンと一発思いっきり叩かれましたけど! え、なに? 蚊でも留まってましたかね? 血の一つや二つ吸われた方がマシですけど! パパにもぶたれたことないのに!
「さっさと立って。下に行きますよ」
え、気合い入れの一喝ってこと? それにしても容赦なさすぎません? 猪木さん?
「この辺で寝といてくださいよ! まだ熱あるんだから!」
トシサンが来てくれて、我武者羅に斬りまくれ戦法から、捕縛中心に切り替わり、収束間近の頃に漸く会津桑名両藩の援軍が到着していた。担架ででも運んでもらった方がいいと思う。
「健康なツバサより病人の総司の方が役立ちますからね。あ、またこの辺でへたり込んどきます? 文字通りの腰抜けさん」
とっくに立ち上がってる沖田くんの手を借りるのは癪だから、羽織の裾をこれでもかと引っ掴んで立って、
「立てますぅー! 沖田くんより早く走れますぅー!」
その場でヒョイヒョイ足上げをして見せる。
一階は、もう新選組の独壇場だった。
そう、待ちに待ったでやっと到着した援軍は狭い旅籠内で混乱が起きないよう、という建前で、実は手柄を奪われないようトシサンが新選組しか中に入れていないんだ。
会津・桑名藩の戦国時代よろしくの鎧武者達は、各藩邸に逃げ込む残党狩りに出ている。なぜ逃げる者をわざわざ追うかというと、現代でいう八・一八の政変で京都を追われたはずの長州藩士達が密かに京都に侵入しているからだ。
「てめぇら、心配かけやがって。この忙しいのに」
この忙しいのに、階段を降りてきたらすぐに見つかって、睨みつけられた。
「翼、俺の命令には逆らうなっつったろ」
確かに、王様の命令はゼッタイを条件に入隊を許してもらったから、約束を破った悪者はわたしだ。
「ご、ごめんなさい」
心配した、と言ってくれた。そりゃそうだよね、剣術の稽古を始めたばかりで、しかも丸腰でろくな防具も着けてない女がこんな修羅場に飛び込んで、無傷なのが奇跡だ。
「土方さん! 私のせいなんです」
「……総司、どういうことだ。って、お前、真っ赤じゃねぇか」
ようやく熱があることがバレた沖田くんは、戸板で運ぶというのも聞かずに局長と副長の後ろ、一番隊隊長の位置に並んで、誰の手も借りずに少しもふらつくことなく歩いて帰った。
正式に隊名を賜ってからも未だに壬生浪と呼ばれていた新選組は、やっと功績を認められたのか、誠一字の隊旗を先頭に眩しい朝陽に照らされてやんやと大歓声を浴びながら屯所までの大通りを凱旋した。
こんな大観衆の中を横になって運ばれるなんてその誇り高さが許さない、沖田くんなら意地でも歩きたい気持ちだけはわかるけど、やってのけるなんて。
池田屋事件の顛末は、先生はご存じなことばかりでしょうが、一応ご報告しますね。
池田屋突入精鋭部隊の皆さんは、局長はなんとご自身も愛刀長曽祢虎徹も無傷。さすがの局長、国士無双ですね。
平助くんは、あまりの暑さに鉢金を緩めたところを斬りつけられて額に大ケガをしてしまいました。
新八さんはその平助くんの窮地を救おうと応戦中に親指を斬られていたけど、その後もトシサン達が来るまでピンピンしてたらしいから、実質途中からは局長と新八さんたった二人で戦っていたことになりますよね。
え? 周平くんはちょっとよくわからないんですけど、局長が言うには槍を折られてしまったらしいです。
沖田くんの刀は帽子つまり切っ先が折れてしまいました。まぁ、折ったのわたしですが。
そして、出口で敵を待ち構えていた三人は亡くなってしまいました。新選組側の死者はこの三人だけです。必死にこの場から逃げようとする相手は死に物狂いですから、実は一番危険な役割だったのですよね。
敵側は、死者七人、負傷者四人、捕縛二十三人と聞いてます。
こんな大人数が集まって、結局彼らが何をする為に集まっていたのかは真相は分かっていないんです。
これで池田屋事件は終わり……なのですが、わたしの中で、何かが始まって終わった、そんな日でもありました。
重みを感じてもなお手を離すこともせず、人間の肉に刺さっているとわかっていながらも、抜くことをしなかった。
あの人を“黒い人”とか“敵”なんて呼んでいたけれど、当然ちゃんとした名前があり、家族があり、夢があり、人生がある。いや、あった。
すべてを奪ったのはわたしだ。
テロによって、たくさんの人たちの命が失われることは絶対にあってはならない。どんなに権力があろうが身分が高かろうが、この世の誰にもそんな権利はない。
誰にも、人の命を奪ってもいい権利はない。どんな理由があったとしても。
同じことを、池田屋に行く前に思ったけれど、実際に奪ったのはわたしのほうだ。
全身に返り血を浴びて、それを拭うことに執着していた。
どんなことをしても、罪は消えない。
なんの志もない、未来から来たただの女が、勝手にしたことだ。
やらなければ死んでいた。
わたしはもちろん、もしかしたら沖田くんも。
それでも、じゃあ仕方がなかったよね、良かったね、なんて思えない。
池田屋事件の後も相変わらず、朝になればお腹が空くし、夜になれば眠くなり、寝入るまで思考なんてまるでないままに眠りに落ちる。
けれど以前と違うのは、夜中に何度も目が覚めること。
何度も何度も繰り返す、わたしの両手から伸びた刃が人を突く瞬間。同じ夢ばかり見て、汗だくになって身を起こす。
けれどいつ起きても、沖田くんの姿はなかった。
こんな時、近くで寝顔を見れたりしたらいいのにな、きっと安心するんだろうな。
なんて、甘えたことを思ってしまう。
さすがにこう毎晩だと、寝不足になるし足元が覚束ない。その上、灯のないここは真っ暗だ。ゆっくりと縁側に続く障子に向かって歩く。
「ツバサ? また起きてしまったんですか?」
その向こうから声が聞こえた途端、わたしは見苦しいくらいの慌てようで躓きながら走った。あなたを探すわたしは、いつもこうだ。
「沖田くんっ! なんでちゃんと寝ないんですか!」
この夜更けに遠慮もせずに勢いよく障子を開けると、沖田くんは縁側に腰掛けていた。月の隠れた、星も疎らな曇り空だ。ほぼ同時に、リアルかえるのうた輪唱かよ、というくらいに蛙の声が響く。
「……だって、ツバサの寝言がウルサイんだもん」
ひぃい!
「ご、ごめんなさいいいい!」
確かに、これだけ毎晩悪夢ってことは、相当寝言いいまくって魘されてるかも。
「あ、あの、眠れなくって。ここでちょっとボーッとしてるので、代わりに沖田くんが部屋に戻ってちゃんと寝てください」
熱は下がったみたいだけどまだ本調子ではないのに、わたしのせいで寝られないなんて申し訳なさすぎる。それに 正直、必ずと言っていい程にあの夢を見るから、寝るのが少し嫌になってきている。それでもほぼ暴力的な眠気に襲われて寝てしまうのだけど。
「眠れない? 添い寝してあげようか?」
「やったー! お願いします!」
また、真顔で冗談を。って、顔よく見えないですけど、わかりますよ。
……あれ? バカじゃないの、って言われないな。
「……私の、せいですね。ツバサが剣をとることになったのは」
それは違います。
新選組に入りたいと思ったのも、剣術の稽古をしたいと思ったのも、強くなりたいと思ったのも、守りたいひとをこの手で守りたいと思ったのもすべて、わたしの身勝手です。
「沖田くんの……せいじゃないです。そんなこと、言わないで」
あなたの為なんて言って、正当化したり美化したり、したくない。すべてはわたしのエゴだ。
いつだってそう。先生の為に取材なんて、沖田くんの為になんて、ホントは違うんだ。見返りが欲しいだけなのかも。
わたしを、見てほしい。この気持ちに気付いてほしい。
まだこうやってカッコつける。ホントはもっと、薄汚いくせに。
ただ伝わるだけで満足? そんなことはありえない。
「土方さんに、怒られました」
ポツリと俯く横顔が話してくれると、いかにもトシサンが言いそうなことなので簡単に想像がついた。
沖田くんは、わたしの命令違反を庇うために、池田屋での一部始終を話してくれたみたい。
「お前がいるから、少人数でも行かせたんだ。ツバサが来なければどうなってた? 池田屋だけじゃねぇ。これから先の局長を守れずに死んだんだぞ。てめぇはてめぇの不注意かもしれねぇ。だが局長は? お前のしたことは、局長の命を危険に晒したも同然だ」
だからちゃんと、体調不良は隠すな。しっかり養生して治せ、無茶をするなってことを言いたいんですよね? ホント、ある意味不器用な、損な性格だなぁ、トシサンは。
「土方さんは、どう言えば一番私が堪えるか、知ってて言いますからね」
「心配してるんですよ。ほら、優しいから」
さっきまで、トシサンの口調をマネして、しかもそれがそっくりだった沖田くんは、いつもの、本心を言う時は少し困ったように笑う沖田くんに戻っている。
「ツバサは、土方さんのことならわかるんだね」
……どういう、意味だろう?
「なんにも、知らないのに」
顔が見えないから、余計にわからない。
ううん、もし見えていたとしても、沖田くんって何を考えてるか、わからない時がある。
受け取った言葉の通りに解釈して答えるなら、わたしが何も知らないのは、未来から来た人間で、しかも幕末というか、日本史いや歴史全般に関する知識がイマイチだから。それでもトシサンについて、というかトシサンの少年期からの面倒臭い性格についてなんとなくわかっちゃうのは、憧れの作家先生の作品を初めて担当させてもらって、その作品の主人公がトシサンだから。
そんなこと、説明できるわけがないけど。
でも、できたしても、沖田くんが言いたいことはこういうことじゃない気がする。
沖田くんってわたしの考えていることはお見通しなのに、わたしだけかもしれないけど、沖田くんの考えてることって、全然わからない。
暗闇に慣れて、雲が少しだけ退いてくれたから僅かに輪郭と、口元が見える気がするけれど、それでもわたしの予想なんて当てにならない。
「沖田くんって、エスパーみたい」
出会ってから何度も冗談交じりに思っていたことが、つい口をつく。
「そんなことないですよ。ツバサがわかりやすすぎ……、」
……え、あれ?
なんで、沖田くん、エスパーって言葉知ってるの?
ここは、例えばトシサンなら、また訳わかんねぇこと言いやがって、とか返されるところだ。
あまりに自然過ぎて、そのまま表面上を滑る会話を続けてしまいそうになった。
それを止めたのはわたしだけじゃない。
沖田くんも、わたしと同じくらいに驚いていた。
『……なんで?』
多分最初で最後かも。二人の言葉がそっくり重なった。
「……ああ、なんか、もしかしてって、思ってました」
茫然とするわたしに、沖田くんはまた少し、困ったみたいに笑ってるのを感じる。よく見えないけれど。
「だから何も知らないんだね」
なんでこんなに、冷静なの? わたしはいろんな可能性が頭の中でグルグルして止まらないのに。
誰かに英語習ったとか? なんて的外れなこと思うくらい混乱してるけど、エスパーはそもそも英語じゃない。
超能力者を英語にするならpsychicで、エスパーという単語は、Extra Sensory Perceptionの頭文字をとったESPに、行為者を表すerを付けた、和製英語でSF用語だ。
つまり、幕末当時の日本人は当然、外国人でさえ知らない単語だ。
でもこの時のわたしは、そんなこと冷静に分析してる余裕はない。
「私は、二回目だから」
――沖田くんって、エスパーみたいだね――
エスパーって言われたのが、二回目ってこと?
「ミライから来たひと? に、会うのが二回目です」
風で雲が流れても、月は覗かない。今夜は新月だ。
暗いままで、やっぱり目が慣れなくて、それでも少し笑ってる気がする。
そんな……そんなことってありえるの? いや、ないとはいえない。
現にわたしはこうして、百五十年前の京都で、あなたの隣で、新月の夜に殊更に散りばめられた星を頭上に、縁側で足を伸ばしている。
「前に話しましたよね? 私を“沖田くん”って呼んでた子。彼がそうだったらしいです。この時代の人間じゃないんだって、言ってました。その時は半信半疑でしたけど」
もしかして沖田くんにはちゃんとわたしが見えてるんじゃないか、と感じるくらい、しっかりとこちらを向いて話してくれる。もし、わたしもしっかり見えていたら、目を逸らしたくなってしまうくらい。
「私が、えすぱぁってなに? って聞き返したら、うーん……すごい力を持ってるひとってことだよって。お互いにほんの十歳の子どもでした」
沖田くんが話してくれたこと、もちろん覚えてる。
その子は、急に現れて、急に消えてしまったと言っていたけれど……。
「……やっぱりツバサも、突然いなくなっちゃうの?」
あなたの顔が見たい。
でも、わたしの顔は見られたくない。きっと、泣きそうな顔をしているから。
あなたはどんな顔で、そう言うの?
同じように泣きそうだとしても、あんまり嬉しくはないかな。
だって、わたしとあなたがどんなに泣いたって、変わらないから。
もしもわたしも、その子と同じなら、同じように現代に帰るとしたら、それがなんの前触れもなく突然だとしたら。
ここに来た時と同じように、抗うことはできない。
「……わかりません。ここに来たのも、わたしの意志ではなくって。交通事故、」
って言っても、そもそも自動車がないから伝わらないかな、と思って
「えっと、すごく速い鉄の塊とぶつかりそうになって、気が付いたら壬生寺の境内に座っていたので」
と、表現したら、沖田くんはわたしみたいな、つまりマスオさんのマネをしたみたいな驚きの声を上げた。
「あ、大丈夫ですよ。ぶつかったわけではないので……たぶん」
ここに来たのも、いつか帰るかもしれないのも、未だに非現実的過ぎてあまり深く考えなかったけど、帰るとしたらいつの未来に帰るんだろう。
つまり、わたしの想像はこうだ。タイムスリップした時と同じ瞬間に帰ってしまったなら、確実に例の黒い自動車と先生とわたしが乗ってるタクシーは正面衝突して、最悪、帰ったら即死かも。
ううわ、二重の意味で帰りたくないなー。
……わたし、帰りたくないって思った?
「怖い思いをしたね。ここに来てからずっと……今も、不安でしょう?」
不安ですよ。自分の気持ちすら、制御できない。
きっと沖田くんは、わたしが帰りたがっていて、その方法すらわからない状況、一生このままかもしれない状況が不安だろうと、気遣ってくれたんだ。
なんで? 帰りたくないなんて、おかしい。
いや、確かに、ろくに取材も何もできないままに帰るのは癪だし、せっかく来たからにはその意味が欲しいなんて思ってはいたけど。
帰りたくない、なんて、おかしいでしょ。
「……沖田くん、優しい」
帰らなくってどうするの? ずっとここにいるわけにいかないでしょ。
帰れるかなんて、わかんないけど。
「僕は優しくなんてない。そう感じるとしたら、それは相手がツバサだから」
ずっと一緒にいてくれるわけじゃないのに。
どうせ史実では、かわいいお嫁さんをもらうんでしょ?
沖田くんはヒョイと縁側から庭先に飛び降りた。ずっと続きっぱなしの大合唱は敢えて気にしないようにしてたけど、蛙踏まないでね。
「土方さんは、知ってるの?」
突っ掛けた下駄の底で土を擦る音がするけど、掻き消すほどにうるさく蛙が鳴いている。
「いえ、誰にも言ってません……隠してるんです……バレちゃいましたけど」
「ふぅーん」
わたしも恐る恐る庭に降りる。蛙さん、もしもの場合は自分で避けてね。
「言っても、信じてもらえないかなって……怪しまれて追い出されるとか、変な子だって思われるかと」
現代なら、タイムスリップしてきましたなんて発言したら、とりあえず病院で検査だよね、多分。
下駄でズリズリ足元を確かめる。近くには蛙はいないみたい。
「信じるよ。追い出したりしないし、させない。変な子だとは思ってるけど」
ちょ、変な子って! 憤慨して言い返そうとしたら、その間もなく、沖田くんは続けた。
「じゃあ、二人の秘密ですね」
「秘密にしてくれるんですか!?」
「そうしたいんでしょ?」
「はい! ありがとうございます!」
バレたのが沖田くんで良かったって、心底思う。二つの理由で。
二つ目の理由を思うと、心なしか口元が緩んでしまう。
蛙の合唱も、リズミカルに聞こえる気がする。
「もう、寝た方がいいですよ。眠れなくても、横になって目を瞑っているだけでも身体の疲れがとれるから」
わたしはもっと話したいことがいっぱいあるし、沖田くんももしかしたら同じかもしれないけど、まだ深夜で、朝には稽古で、すぐに隊務が待っている。寝不足を理由に手を抜けるものなんてひとつもない毎日だ。
「沖田くんは?」
「おなかポンポンして寝かしつけましょうか?」
「やったー! お願いします!」
「バカじゃないの」
ですよねー、いや冗談だってわかってるけど。
振り返って歩こうとしたわたしの足元で、急に大きな蛙の鳴き声がした。
「っひゃあ!」
いつの間にこんな近くに!
よろめいたわたしは、沖田くんにぶつかってしまって、
「ごっごめんなさい!」
慌てて離れようとした腕を掴まれた。
「そんなに急がないで。ゆっくり。手を貸しますから」
確かに真っ暗だけど……いや、心臓がもたないいいい!
街灯も部屋の照明も、月明かりすらない夜は、現代よりも段違いで暗く、しばらく話し込んでても全然目が慣れない。
沖田くんは夜目がきくほうなのかな、しっかり見えてるみたいにわたしの手を引いて、部屋まで導いてくれた。
ってことは、わたしの七変化する顔もしっかり見えてたのかな……恥ずかしい。
「ちぃちゃい手」
前も小さいって言われたっけ。
「だって……急に大きくなったりはしませんよ」
恋心と違って。なんちゃって。
わたしがひとりだったなら、手探りであらゆるところにぶつかりまくりながら進まなければならないところだったな。
繋がる手だけを頼りに、前に進む。
気づくの今更過ぎるけど、沖田くん袴穿いてるっぽいし、寝る気ないってこと?
「おやすみ」
「……っ沖田くん!」
わたしの蒲団のところまで来てくれて、今にも離れようとした手をぎゅっと握る。
呼び止めて、手まで握って、どうしようっていうの?
わたし、本当は、他にも秘密があるんです。
わたしは十五歳の少年じゃない。
あなたと同じ二十二歳の、女です。
それを言って、沖田くんにどうしてほしいっていうの?
女扱いをしてほしいとでも?
新選組でいう女扱いをされたら、それこそ追い出される。
トシサンが出した入隊の条件は、女であることを隠し通すこと。
新選組に、女はいらない。
「……なに?」
子どもに問い掛けるように、なんて優しい声音で訊いてくれるんだろう。
より一層、浅ましい衝動に駆られる。
女として、わたしを見てほしい。
誰になんて思われてもいいけど。あなたにだけは。
「……やっぱり、沖田くんが寝てください」
女として見て? やっと笑顔で向き合ってくれるようになった、今の関係が崩れるだけかもしれないのに?
沖田くんは局長以外の人間なんてどうとも思わないし、そもそも女性が苦手だ。
もう、剣術の稽古をつけてくれなくなる。一緒に隊務に出るなんて二度とない。当然、同じ部屋を使うのは無理。 壬生寺で子どもたちと遊ぶのもあれっきり。また、触らないでって言われるかも。
それ以前に、新選組には、いられなくなる。
「一緒に寝ますか?」
いつも通り、冗談には冗談で、お願いしますと返事して、バカじゃないのと呆れられるはずだったけど、わたしはここから記憶がなくて、目が覚めたら蒲団の中で朝を迎えていた。
寝てしまったみたいだ。笑えるくらいに、のび太くんだ。
眠りに落ちる間際に、沖田くんが呟いたように聞こえたけど、もう思い出すこともできない。
——バカはどっちだよ——
やっと、正式な新選組隊士だと、認めてもらえたような気がしました。
先生ならご存じかと思いますが、新選組の隊服が、あの有名な浅葱色のダンダラ羽織から、黒紋付羽織と黒袴に変わります。
闇に紛れる、黒尽くめ。汚れ、つまり返り血も目立たない。
いかにもトシサンが考えたっぽい、合理的かつお洒落な隊服だ。
「馬子にも衣裳だね」
って、ゼッタイ言われると思ってたー!
しっかりとわたしの分まで用意してもらって、ピッタリのお子様サイズの隊服が部屋に届いた。
注文前に家紋はなんだと訊ねられて、答えられなかった時は焦ったけど。
「その言葉、そっくりお返しします!」
朝稽古と朝食を終えて、隊務に備えて身支度中なんですけど、花形の一番隊は早速お披露目で出動すると思うんですけど、監察方は折角着てもすぐに脱いで私服で仕事かも。基本が隠密活動なので、はいはいどーも新選組です! っていう恰好はあんまりしないことが多い。
不慣れなりにいそいそと羽織りながら言うと、すっかり着こなした沖田くんは大刀を左腰に差しながら、少しだけ睨む。
「……ミライのひとだからって容赦しませんからね」
何を!? いやいや怖すぎるわ!
照れ隠しだったんだけどな……当然の如く通じないや。
浅葱のダンダラは爽やかで明るい雰囲気が似合ってたけど、これはこれで、デキル武士感がすごくて……いや、いつも以上にボキャブラリーがヤバいけど、上司であるとか、同室だとかの贔屓目を除いても、その……かなりカッコイイ。
眩しいくらいの朝日と、チュンチュン平和に囀る小鳥さんという、のどかな雰囲気の中だけど、キリリとした漆黒がとても映える。
って、わたしも衣裳だけは、バリバリ武士です! っていうこの格好で刀の一本も持ち歩いてないとか逆に不自然じゃない? とまで気付くくらいに、やっとちょっぴり幕末慣れしてきたかも。
あ、ちなみに髪の毛は、カラーもブリーチもできないから、明るめな茶色からかなりプリン化してたんですけど、意外と器用なサノさんとかに切ってもらったりしつつ黒髪ショートになってます。いや、これもかなり不自然とはわかってますし、魁さんにもまた切ったのかって怒られますけど、伸ばしたら伸ばしたでセットするのが億劫なんですよね。
あ! あと、そういえば!
「前の隊服、もう使わないですよね?」
十分自覚してる突拍子もない質問に、沖田くんは不思議そうながらも答えてくれた。
「ええ、使いませんね。どうするんです?」
「ちょ! 一回だけ! 着てみたいです!」
もうこの時代の人間ではないことはバレてるので、思いっ切り浮かれた発言しても許される気がして頼んじゃう。
呆れ顔の沖田くんにさらに畳み掛ける。
「新選組といえばのダンダラ羽織! ホンモノ着れるなんてそうそうないんで! お願いします!」
これも取材のうちですよね先生!
素材感とか着心地とか、触るだけなのと着るのでは大違いですから。
よく小さいとディスられる手を顔の前で合わせて、子どもの頃から多用した一生のお願いを発動しそうな勢いだ。
「……私たちのこと、知ってたんですか」
意外な疑問で、こっちがビックリしてしまう。
「もちろんですよ!」
って自信満々で胸張れる程知らないですけど。
「新選組は、百五十年後でも有名ですよ! トシサンなんて、イケメン……顔がカッコイイなんて騒がれて、結構人気みたいですよ」
沖田くんは途端にものすごい怪訝な顔になる。え、なんかマズイこと言いました?
「……どうして、新選組に入ったんですか」
「そっ、それはですね」
もしかして、怪しまれてる?
そっか。新選組についてある程度の知識を持つ上で入隊を希望したから、何か目的があるのか、それはなんなのかって、気になるよね。うーん、スパイ並に怪しいかも。
「人斬り集団だって、わかってたんですよね? どうして、木刀を持ったこともないくせに入ろうと思ったんですか? 命の危険があることも、わかりますよね?」
なんか、雲行きが怪しいな……沖田くん、怒ってる?
「ええと」
何もかも正直に、現代でのわたしの仕事についても全て話す、それにはもう抵抗ないけど、心の準備が。
「ミライに帰る前に、こんなところで死んでしまうことも有り得るんですよ? なのにどうして……刻限なので、行きます」
「えっ、ちょ、」
リアルに、ちょ待てよが発動しそうでしたけど、その間もなく、沖田くんはさっさと行ってしまった。
そんなに、おかしなことかな?
だって、衣食住の保証とこの時代では珍しい現金支給で、身分も家柄も資格も問わない、入隊希望者がたくさん来るのに。
確かに、その代わりと言っちゃなんだけど、命の保証はない。扶持米をもらわない月給制なのは、いつ死ぬかわからないからだ。
この時代は、親の身分がすべてで、親が農家なら子どもはその田畑を継いで農家、商人なら子どもはそのお店を継いで商人になるけど、武士は別だ。
親が武士でも自らが士官をしなければ武士になれない。
さらに、そんな相続が許されるのは基本的に長男のみだ。
次男以降は部屋住み、という居候みたいな扱いで、ちゃんとした仕事はおろか結婚も自由にできないらしい。
だから、実家が豪農だけどとっくにお兄さんが相続済みかつ末っ子のトシサンは、少年時代から商家に奉公に行ったり薬の行商をしたりして、家を継ぐ以外の生きる道を探しつつ、武士になりたいと夢を描いたんだ。
それもすべて、わたしは入ってみてから知ったことだけど、実力至上主義の新選組に立身出世を志す若者が挙って入隊したがるのって、別に不自然じゃないですよね。
まぁ、わたしの場合まだ十五歳ってことになってるし、剣術も全然できないし、そもそも幕末の人じゃないから、確かに変かも。でもほら、もし帰ることができなかったら、ここでちゃんと仕事して、生きていかなきゃならないし。
次に沖田くんに会ったら……いや、多分今夜会えると思うんだけど、わたしの仕事のこと、新選組に入隊した目的も、全部話してしまおう。
と、決意したんですけど、沖田くんずっと帰りが遅くて、わたしは待ってるつもりなのに途中で気絶するように寝てしまうし、早起きしようと意気込んでももっと早くに出かけてるしで、ここ数日全然会えない。
隊務中に会えないのは元々だけど。
朝稽古で姿は見かけるから、たまにある出張とかに出かけてるわけではないし。
これは、あからさまに……避けられてる。
なんで?
もしかして、沖田くんのことだからわたしの魂胆なんて話さなくてもすべて読まれてて、これ以上怪しい未来人つまりわたしに新選組内部情報を探られないようにしてるとか。
それか単純に、また輪をかけて嫌われたのかも。
わたし、なにか悪いことしたかなぁ。
こんなこと誰にも相談できずひとり悶々としてる時、また新選組に新しいひとが入ってきた。
岩田コウさん。若くて可愛い女の子。
え、ちょ、ええええ!?
その手があったかーーーーー!
何も男装して入隊しなくても、隊士たちの取材する方法、いくらでもあるわ!
男の振りなんかしなくて済んだのに。沖田くんの前で。
あ、この問答も何度も心の中で繰り返すけど、わたしが女としてここにいたら、沖田くんは今みたいに仲良くしてくれなかったか。
「トシサ、副長!」
「だから! なんでテメェらはいきなり入ってきやがるんだ!」
“テメェら”って多分、沖田くんとわたしのことだと思うんだけど、同類扱いされてちょっぴり嬉しいとか思ってしまう自分の重症気味を今は無視して、ズカズカと副長の部屋に乱入しつつ続ける。
「新選組、女の子も入れるなんて聞いてないです! じゃあわたし、男の子のふりしなくていいじゃないですか!」
新選組って男しか入れないと思ってたからこそ男装までして無理矢理入隊したのに、そもそも女の子でも入れるなんて……そんな話聞いたことないんですけど。
先生もそんな話してなかったし。
「お前が勝手に端っから男の形してきたんじゃねぇか」
「ぐう正論! いや、でも、」
忙しそうな風を装いつつ、バレバレに詠みかけの俳句をゴソゴソしまいながら如何にもダルそうに溜め息吐いてたくせに、しっかり隠し終わってからは、
「女になりてぇ理由でもできたのか」
急にニヤリと、口の端を上げる。幕末でも現代でも問わず女の子達がキャアキャア騒ぐような、ドヤ顔風の笑顔だ。
でもわたしには効きませんからね!
「ちっ違うもん! トシサンのオニ! ハゲ!」
ついでにアッカンベーまでして動揺を誤魔化す。
この、世の中はなんでも自分の盤上の駒だとでも言いたげな雰囲気がムカつくんだよね。
「てんめぇ……ちったぁ言葉の遣い方覚えやがれ! どう見てもフサフサだろうが!そんなんだから色気なくてモテねぇんだよ」
「っはぁああああああ!?」
確かにモテませんよ! 現代でも全然、生まれてこのかたモテたことなんか一回もないですよ! 人生にモテ期は三回あるとかデマ流してるの誰!
「すぐ女だとバレて追い出せるかと思ってたら、全然バレねぇじゃねぇか。どうなってんだ」
こっちが聞きたいわ! って、そんな魂胆があったなんて! トシサン意地悪過ぎ! つか華麗にスルーのオニと対照的にハゲが逆鱗に触れたのかヒドイ言われよう!
「それはわたしの北島マヤばりの演技力あってこそですぅー! ガラスの仮面が壊れないからですぅー!」
トシサンの頭上に大きなハテナマークが出たところで、わたしはズイと座って直談判の体勢になった。
「もう、いいです! すぐムキになってオトナゲないんだから! それより、」
本題に入ろうとすると、わたしが来るとわかってたみたいに、用意されていたような答えが返ってきた。
「おコウさんは、局長の養子になった周平の許嫁だ。今は養女として隊内の雑務をしている。将来的にはあいつに新選組を継がせる気なんだろうから、花嫁修業みてぇなもんだろ」
……新選組を継がせるって、そうか、養子をとるってそういうことか。
つまり、正式な新選組隊士とかではなくて……隊内の癒し的存在なマドンナじゃないですか。
ガチでコレぞ逆ハーライフ。最終的には周平くんのお嫁さんで、新選組の女将さん的な存在になるにしても、こんなフィクションみたいなオイシイ設定あります?
「トシサンは?」
「あ? 俺はこれでも局長とは一歳しか違わねぇ。局長が退くって時は俺も引退だ」
これでもって部分はスルーしておきますね。
この時代の男性って、実年齢よりも若く見られることを恥と思う人が多いみたいで、新八さんなんて意外な童顔を隠す為にわざと髭を生やしてるんだけど、トシサンは違うんだろうな。
いつでもオシャレな小物使いとか服装を見る限り、小粋な若作りって感じでしかも似合ってるし。
そういえば、「黒い狼」でもトシサンの面紐は真紅だと、傾奇者的洒落者描写されてましたよね。初めてナマで見た時のインパクトはすごかったなー、ド派手! って感じで。まぁそれも似合ってるんですけどね。
「……沖田くんは、」
「ボウヤに継がせるとしたら試衛館のほうだろ」
その言葉を聞いて、いや、局長の本意を知ったわけではないけど少しホッとした。
局長を父親のように慕う彼だから、周平くんの存在をどう思ってるんだろう、なんて気になっていたから。
この時は軽く想像する程度だったから、そこまで深くは考えてなかったけど。
「まぁ、お前が隊士達のメシ作ったり洗濯したり出来るってんなら話は別だが」
ものすごい語弊あるのは承知の上で表現すると、女にしてやってもいいってこと?
究極の選択ー!
現代ならまだしも、便利な電化製品どころか電気もガスも水道もない幕末での炊事洗濯は、相当高い家事スキルが必要だしこれぞ年収何百万にも値する重労働だ。
何も知らない状態でイチから努力しなきゃならないのは、男として剣術の腕を磨くのと同じこと。
第一、屯所で家事とかに精を出す分には、少なくとも命の危険はない。
なんの緊張もない一人部屋で寝起きしていただろうし、毎朝吐きそうなくらいの稽古をしなくてもいいし、いつ凶刃に斬り込まれるかわからない路地をウロウロ探索しなくてもいい。
って、一応迷うふりはしてみるけど、選ぶまでもないんですよね。
もし、選べたとしてもわたしは結局、今の道を選ぶ。
男のふりをしなきゃならなくても、同じ修羅場に立っていたい。
一片の疑いもなく信じることができるのは、今となっては、という話であって、幕末に来たばかりの頃に、さぁどちらがいいと言われればまた答えは変わってくると思うけれど、きっと後悔したに違いない。
だって例えば池田屋騒動で、ずっと具合が悪かった沖田くんが少数精鋭部隊として出陣して、その先の池田屋で斬り合いが始まっていて、朝まで戻らなかった時、もしも女として屯所で帰りを待っていたなら、そしてやっと会えた顔が熱に浮かされて真っ赤で、隊服が血だらけだったら……こうして想像するだけでも発狂しそうだ。
ならば、どんなに翻弄されようとも、一緒にその波に巻き込まれたい。
「お前、めんどくせぇ野郎に惚れちまったな」
「っな、ななななんのことですかっ」
ちょ、最悪! お見通しってこと!? よりによってトシサンに! いやいや、カマかけてるだけかも。平常心平常心。
「べべべべ別にっ! ホ、ホレてなんてっ!」
いやいやいやいや、ムーリー! めちゃくちゃ素でテンパるわ!
「俺に惚れんなよって、言っただろうが」
「誰がトシサンなんか! 沖田くんのほうがよっぽど、」
「やっぱりな」
「ぎゃああああ! いやあああああああああ!」
くっそー! 売り言葉に買い言葉でやっぱり引っ掛けられたこんちきしょう! 言葉の遣い方? もう知らない! テンパりすぎて口が滑った!
「な、なんで」
同じ部屋で過ごしてる沖田くんには、この気持ちも女であることさえも伝わらないのに……伝えようともしてないけど。
なんで、トシサンにはバレるんだろう。
「お前、惚れてもねぇ男の為に命懸けられんのかよ」
あ、池田屋でのこと……沖田くんが話したって言ってた。
「剣の腕に自信があった上で仲間の危機だったら、俺達新選組なら当然の如く、剣の間に入ることなんざ厭わねぇ」
好きだから、というか勝手に身体が動いただけなんだけどな。
「だがお前は違ぇだろ。俺が同じメに遭ってても、あんなことできるか?」
「ムリですね!」
「ちったぁ迷えよ」
ポロリと本音で即答してしまうと、トシサンは苦笑いした。
もう、隠すのもムリだ。
「いいんじゃねぇか。ガキ同士お似合いだ」
「いいいい言わないで! 絶対言わないでくださいいいい!」
こんな時に限って見たことないくらいのレベルで笑顔だし! いちいち揶揄(からか)われるような、嫌な予感しかしませんけど!
「なんて……言うわけねぇだろ」
すっと、トシサンの表情が曇る。確かに、色恋ごとをベラベラ話すような野暮じゃないですよね。
「似合いだなんて思わねぇし、誰にも言わねぇ」
朝食の後に直撃した部屋は、ポカポカとした陽気のなかで照明がなくてもかなり明るい。対象的に、お互いにどんよりと暗い顔で続ける。
「……なんで、そんなイジワル言うんですか」
「親切で言ってやってんだ」
トシサンは軽く咳払いをする。
沖田くんが、女嫌いだから?
でもトシサンは、そんな簡単なことを言ってるんじゃない気がする。
「……まぁ、せいぜい励め」
この後、隊務に向かうわたしは、お誂え向きに、おコウちゃんに遭遇した。
と言うより、その前に真っ先に目に入ったのは沖田くんの後ろ姿だ。ヒョロっと丈の高い猫背と陽に透ける明るい髪。見間違えるわけない。
「気をつけて。お持ちします」
「沖田はん、おおきに」
か、刮目せよ! 沖田くんが! 女の子の! 荷物を! 持ってる!
おおおおおおい女の子が苦手なんて言ってましたよね? めちゃくちゃ優しいじゃないですか!
あんまり見たくもない光景なのに、うーん、目が離せないから逃げられないうちに突撃しちゃえ。
誰が女嫌いですって?
目を見て微笑むとか、重い荷物を軽々と持ってあげるとか、女の扱い慣れてんじゃないですか。
「おはようございます!」
「あっ、おはようございます! 宮本はん」
屈託のない笑顔を向けてくれるおコウちゃんと、マズイヤツに見つかった、という雰囲気ビシバシの沖田くん。
例のウザそうな目付きを浴びたくなくて、わざと顔は合わさないでおく。
やっぱり避けられてたんだ。
「いっぱい買いましたね。僕も手伝います」
岩田コウさんは、お医者さんのお嬢様で、周平くんは何故か関西弁を使わないからわかりにくいけど、彼と同郷の大坂出身だ。
「おおきに! 新選組の皆はんは親切やわぁ」
ちなみに周平くんは三兄弟で入隊している。一番上の三十郎さんはいつも威厳たっぷりに周りを睥睨しているような七番隊隊長で、やっぱり関西弁は遣わないし、真ん中の万太郎さんは大坂分隊に所属していてわたしは会ったことがない。
皆さん槍の名手として有名だけど、歳が近い周平くんとさえあんまり話したことがなくって、正直どういう人達かわかんない。
そういえば、幕末のオオサカって、大阪って書かないんですよね。先生に聞けば理由がわかりそうだけど。
道中、女の子が大好きなくだらない世間話をしていると、
「なんや宮本はんって話しやすいわぁ。安心するぅ」
と、キラキラした笑顔を向けてくれた。
そりゃそうでしょう。こんな姿してても、あなたみたいに若くて可愛いこを目の前にして微塵も下心が沸かない、同じ女だからね。いろんな意味で血気盛んな隊士さん達とはわけが違うよ。
会ったばかりのおコウちゃんのほうが余程わかりやすく、天真爛漫で良いこなんだなと感じる。
なおかつ、お淑やかなところもあって女の子らしいし、つぶらな瞳に小さな唇で、月野ちゃんみたいに傾城の美少女っていう迫力はないにしても、小動物系できっと男性目線で誰から見ても可愛い。
トシサンが評したら、わたしとは正反対だとか言われそう。つまり普通にモテ系。
買ったりもらったりしてきてくれたらしい大量の食材を台所まで運び終え、それぞれ持ち場に戻るところだけど、そうはすんなりいかせない。
「おコウちゃんには優しいんですね」
こうしてちゃんと話すのすら久しぶりなのに、こんなこと、言わなきゃよかった。
「……ツバサには、関係ないじゃないですか」
慣れない作り笑いなんかして、沖田くんにとってなんの存在でもないくせに、一丁前の女みたいに、ヤキモチ妬いたりして。
いつもの冗談みたいに、うまく返事ができない。
誰が通るかもわからない屯所のお庭だけど、なんかもう、泣きそう。
関係ありますよ。沖田くんにはなくても、わたしには大問題です。
そんな、わたしがそう言われてもなんとも思わないだろうって。そう思ってるみたいに、なんでもないことみたいに言うんだから。
「何度も言ったでしょう。私は、優しくなんてない」
いっつもいっつも、わたしには、優しくしてくれないんだから。
「……もう、いいです」
よくないでしょっ! わたしの意気地無し!
でも、ここで涙を見せたりしたら、何もかも、終わってしまう。
そんな気がして、わたしは隊務に向かう振りをして、いや、実際もう行かなきゃならない時間なんだけど、自慢の俊足で京都の町に出た。
こんな時でも、しっかり仕事はしなきゃならない。オトナですから。
わたしはいつもの如く、歴史は全然詳しくないからよくわからないんだけど、新選組が放火テロを未然に防いだ池田屋事件、ちなみに当時は池田屋騒動と呼ばれてたらしいですよね、宮部鼎蔵や吉田稔麿、広岡浪秀、北添佶摩に望月亀弥太といった名立たる人物を含むたくさんのひとが亡くなったので、当然倒幕派志士達側の憤りはより一層噴火寸前、バリバリ活躍した新選組はもちろん、幕府に一発戦争吹っ掛けようと京都に集まってきてるらしいんです。
そんな動きを察知して探索するのがわたし達監察方の仕事。
遣う武器はまだ刀や槍がメインだけど、近代的な情報戦はしっかりあって、それこそ間者の双方送り合いなんてむしろ当然という感じだ。
こんな時に不謹慎だけど、必死になれる仕事があってよかったと思ってしまう。
わたしはやっと少しは監察方らしく、市中で聞き込みをしている。と言っても、現代の警察みたいに一人ひとりに警察手帳見せながら話を聞くなんてド直球なことはしないで、人がたくさん集まる飲食店に紛れて聞き耳立てるとか、物乞いに変装して座り込んでるとかそんな感じです。
今回は山﨑さんと二人、一条戻り橋付近で人気の蕎麦屋さんで、にしんそばでも食べようかな、という体で向かい合って座っている。
かなりの人気店でかつ、わたしの優秀な腹時計ではランチタイムなので結構混んでいて、人ひとりやっと通れるか通れないかくらいの隙間だけ空いて、京都の碁盤の目の街並みのようにきちんとテーブルが整列している。
こういう時、ピリリと緊張していると怪しいし目立つだろうから、今日のわたしぐらい気が抜けてるくらいでちょうどいいのかも、なんて情報戦大得意の新選組きっての敏腕監察である山﨑さんの何食わぬ顔を見ていると思っちゃう。いや、蕎麦食べるけど。
「お、おいひぃいい……!」
透き通ったカツオ出汁に、噛まなくてもいいくらいに口の中で解ける、柔らかく甘く煮込まれたニシンが絶妙のハーモニー! これぞマリアージュ!
「……よかったな」
ほっぺた落ちそうです! ってさすがに気ぃ抜き過ぎかもってことを山﨑さんの奥ゆかしく自己主張する表情を見て察する。
そんなこんなで舌鼓を打ちまくってから店を出る時、数秒前には予想さえしなかったことに、思わず声を上げてしまう。
だって、ものすごいビックリしましたよ、先生。
「あああっ!?」
何があっても動じない山﨑さんも、忍者の如く隠密行動に徹する監察方がこんな往来で大声を出すなんて、事が事だけに、わたしの目線の先をさっとほんの一瞬振り返る。
「わ、忘れ物しました! 山﨑さんはどうぞ、お先に行っていてください」
副長直属の、社畜よろしく馬車馬のように働かされる部隊で、僅かの時間も惜しい、特命隊務中だからすんなり行かせてくれると考えていたわたしはニシンの甘露煮より数段甘かった。
「あの優男、何者だ。隠し立てするならば俺が調べる」
グイと掴まれた腕に力がこもる。
確かに、紛れもなく優男だ。あの数秒で、わたしがどの人物を見たかバレて、その上疑われてるなんて。
山﨑さんに疑われたら、コナンくんもビックリ、ものの数時間で真実を突き付けられそう。
つまりはどうせバレるんだ、嘘をつくなってことですよね。
「……む、昔のオトコです」
「吐くならもっとマシな嘘にしろ」
だって、ホントのことなんていきなり言えませんよ。
お前は紛れもなく男だろ、アーンド百歩譲って衆道の相方だとしても、あんなイケメンがお前みたいなチンチクリンと付き合うわけないだろ、という相乗効果で全然信じてくれないんですがぴえん!
「お出ましだ」
皮肉めいて顎をクイと上げる先を振り返ると、あの片眉を歪める、どこか挑発的な笑顔。そう感じるのは、わたしだけかな。
「先生!」
やっぱり先生だった! 先生も幕末に来てたんだ!
ある意味良かった! あのままなら、確実に黒い車との正面衝突は避けられなかったのだから。
「先生?」
ヤバッ! 山﨑さんの前なのに……! 性別も素性も隠してる分際で、迂闊なことを、っていろいろ今更だけど。
「俺は同郷の者でして、寺子屋での教え子なのですよ、この子は」
「……なるほど、そうでしたか。では、積もる話もあるでしょう。宮本、後は俺に任せろ」
いいんですか? と聞き返す間もなく、山﨑さんはすっと人混みに消えてしまった。まるで、先生から身を隠すように見えなくもない速さだ。
まぁ、実際は猫の手も借りたい、わたしみたいな使えないド素人まで探索に出るぐらいの忙しさだからなんだろうけど。
こういう時の対応でやっぱり感じるのは、山﨑さんって第一印象の通り、沈着冷静かつ常識と優しさのある理想的な上司だな、ということ。
「さて。積もる話があるんだけど。出会茶屋でも行く?」
先生はわたしの身なりを上から下へ眺めるようにしつつ、ちょっと睨むみたいに目を細める。
「茶屋? カフェですか? 行きます!」
いや、気のせいですよね、目が悪いのに眼鏡してないからですよね。
先生の、相変わらず麗しい顔面への評価はこの時代でも同じみたいで、さっきから道行く女性達がチラチラと熱視線を送ってくる。
こんな人通りの多い所でタイムスリップだの男装だの新選組に入隊してしかも監察方にいるだの話し込むわけにはいかないから、先生の提案は受け入れて当然だと思うんだけど、なぜか先生はやれやれと首を振る仕草をしてからわたしの前を歩き始めた。
誘ってくださったのそっちなのに、嫌なんですか? そうだとしても意地でもついて行きますけど。
車との正面衝突で、死んでしまったかと思った。死後の世界に来たかと思ったら、約百五十年も前の……ここは幕末の日本で、何も知らない、そして誰もわたしを知らない場所で生きてきた。
先生と再会できた安心感は、先生の身を案じてのことだけではない。
「へぇえ、初めて来ました。個室になってるんですね」
トンと軽く音を立てて襖を閉める先生が呟く。
「だろうね」
え? 何に対しての
「そうだろうね」
ですか? そういえば、ここまでの状況での再会は、本来なら抱き合って涙ながらに喜ぶくらいの奇跡的かつ感動的な場面かもしれなかったけど、先生からすればただの雑誌編集者の一人に過ぎないわたしとはそんな間柄でもないし、安定のスーパードライ対応で距離を空けて座る。
暖かい間接照明みたいなぼんやりとした明るさの部屋はそれ程広くなく、ちょうど二人くらいの人数で話すには近過ぎず遠過ぎないちょうどいい空間だ。
廊下を通る時も、同じずつの空間があるだろう部屋が並んでいて、なんか穴場スポットって感じ。個室カフェってなんか落ち着くし、ガッツリ話をするにはいいですよね。
先生は深い緑の着物に黒袴で、先生は驚いただろうけど、わたしも似たような恰好をしている。予想通り全然着てないけど黒紋付の隊服を着てたらもっとビックリされたかもしれないよね。
「先生、ご無事で良かったです! おケガはありませんでしたか?」
「……この通りだよ。君も、元気そうだね」
すっとした切れ長の眼を見開いてからまた細める。笑ってるおつもりですかね? あんまりそうは見えないんですけど。
「まったく、そんな顔しても誤魔化されないからね。訊くことは訊かせてもらうから」
「ご、ごまかすなんて! わたしもお聞きしたいことありますけど、先生からどうぞ!」
人聞き悪いなぁ、別にやましいことはないのに。
「まず、その恰好は何かな?」
やましいことはないけど、先生の疑問もわたしがお話ししたいこともほぼ同じだと思うから、全部一気にお話ししちゃおうかな。
もちろん、その方が、わたしが例の如く口を滑らせて余計なことまで話しちゃうのを防ぐ効果がありそう、なんて思惑もあるのだけど。
「ご覧の通りの男装です! お約束通り、新選組に入隊しまして! バッチリ、取材してますからね! あ、さっきのかたは山﨑丞さんで、今の上司です」
見る見るうちに先生は脇息に凭れかかるような姿勢になり、執筆の合間の疲れ目でもないのに眉間を指で押さえる仕草でしばし沈黙してしまった後、深々と溜め息した。
「なんで一気に言うかな。こちらにも心の準備っていうものがあるんだよ」
それが必要ってことは、わたしのすることなんてお見通しでしたよね。
「バカじゃないの。新選組に入るなんて」
どちらさんもヒトのことすぐバカって言う! なんで? 流行語?
どなたの為の取材ですか! って、以前のわたしならツッコミたいところだけど、今のわたしは、先生の為の行動なんですから許してくださいとの弁解なんて到底できない。
「って。知らないから、だよね」
脇息に身を委ねたまま、目線だけをわたしにぶつける。正座した足の裏が、ヒヤリと冷えた感じがした。
それは、歴史がこれからどうなるかを、新選組の皆さんがどうなっていくのかを知らないから、という意味ですか?
誰に向かって聞いてるのと笑われそうな愚問だから改めて聞きませんけど、先生は日本の歴史も新選組の歴史もすべてご存じなんですよね。
これまで何回も、ちゃんと歴史を、せめて自分が担当する先生の描く新選組のことくらいは詳しく勉強しておけばよかったと、後悔したことがあった。
特に、池田屋事件の時とか。堂々と根拠を述べて、倒幕派志士の潜伏先は池田屋で間違いありませんと断言できていたら、分隊して一軒ずつ見廻る余計な体力消耗もなく、始めから池田屋に全隊士総動員で直行できていたかもしれないのに。
そうしたら沖田くんは、きっと倒れたりしなかったはずだ。
言い訳にしかならないけど、先生の作品を、全く先入観のない状態で読みたいから、なんて自分なりの理由があってのことだった。
「……新撰組の皆さんって、沖田くんってこれから、」
「教えるわけないでしょ。キミ、歴史変えようとしちゃいそうだし」
わたしが変えたくなるような、道を辿るってことですか。
「どうして、歴史を変えちゃいけないんですか」
大きな声じゃ言えないけど。正直、守りたい人を守る為なら、歴史なんてどうにでもなれ、知ったこっちゃない。って考えるのは、おかしなことですか?
「……さぁ? 確かに。どうしてだろうね。タイムスリップ系小説では当たり前のようにそういう常識で書かれてるけど」
先生は、ゆっくりと慎重に、言葉を選ぶようにして話す。わたしがショックを受けないようにとの気遣いというより、聞き分けのない子どもを諭すみたいだ。
「極端な話、分かりやすい例でいうと、もしも幕軍が徹底抗戦だったら江戸城無血開城はならなかった。君は生まれも育ちも東京だよね? もし江戸で戦が起きていたら、何も知らない一般人が星の数ほど亡くなる。君や大切なひとのご先祖が亡くなるかもしれない。そうしたら君も、大切なひとも生まれないんだよ」
ええと、さすがに怒られそうで言えませんけど、江戸城無血開城って、なんでしたっけ? 先生的わかりやすい例、がほとんどわからないんですが。
でもわたしだって、幕府が倒れることくらいは知ってる。新撰組や坂本龍馬が活躍する江戸時代の終わりを幕末っていうけど、例えば鎌倉幕府の終わりを幕末とは表現しない。今は、幕藩政治の最終末期っていう時代だ。
それを知ってるからこそ、できるならわたしは、新選組の皆さんが命懸けで支える江戸幕府がこのまま続くよう、歴史を変えることができたらどんなにいいか、と考えていた。
新撰組の皆さんは、沖田くんは、そのほうが絶対に嬉しいはず。
浅知恵って言われるかもだけど、なけなしの歴史知識で、歴史を変えることによって助かる命もあることといえば。
「極端な話、ペリーが来なければ、鎖国を続けていれば、江戸幕府が倒れなければ、太平洋戦争に日本は参戦しなかったかもしれないですよね」
我ながら、小中学生レベルの発想かな。でも先生は軽く頷いてくれた。
「そうだね、なにがどう影響するかわからない。だから、歴史は変えちゃいけないんだ。歴史にifはあってはならないんだよ」
「でもわたしたち、帰れないかもしれないですよね」
帰れないなら、変えた歴史の道を生きていけばいいじゃないですかとか、うーん、やっぱり身勝手すぎるかな。
「帰れるよ」
呆気に取られる程すんなり、さも当たり前のように先生は言う。前から思ってたけど、なんでそんなに一々自信満々なんですか。
「でも、まさか好きなタイミングで帰ることができるなんて考えていないだろうね? この動乱が落ち着く頃に、サラッと帰れると? そんな都合のいい話があるかい? 新選組になんて、いてはダメだ」
先生はわたしよりよっぽど知識があって、大人気歴史作家として大成功を収めて、満を持しての新選組モノ作品を執筆中なのに、愛着とか親近感とかないんだろうか。
全然知らなかった癖に言うのもなんだけど、実際に会って話して苦楽を共にしてみて、新選組って知れば知る程魅力的だ。
由緒正しい生まれではないからこそ、武士よりも武士らしくあろうと、真っ直ぐに誠を貫く姿勢と、弛まない鍛錬と努力、赤穂浪士の舞台衣装は表向き、浅葱の死装束を身に着けて剣を振るう日常と、その反面、冗談を言い合ったり、ワイワイガヤガヤ不謹慎にも見える程に和気藹々としてる時とのギャップ……先生だって、新選組が好きだからこそ書いているのかと思っていたのに。
「表現を変えよう。俺の言い方が悪かったね。正しくは」
わたしを斜めに、でもしっかり見据えたままで続ける。
「変えることなんて、できない」
重く圧し掛かる声は、先生ではない、他の存在から告げられているようだった。
「なのにキミががんばっちゃったら、かわいそうでしょ」
正座の膝の上で、震える両手をぐっと握る。緊張していたのか冷たい。先生を相手に緊張するなんて変なの。だって、別人みたいだから。っていうのは嘘。どう見てもどう聞いても、先生でしかない。
「……どうして、帰ることができるってわかるんですか」
あんなに言い切られて、喜びや安堵は微塵も浮かばなかった。その代わり、ずっとあのひとへの想いが消えない。
「こっちに来てから、異常に眠くなることあるでしょ」
突然襲う、あの強制的な眠気。
わたしはてっきり、慣れない新生活だから、剣術稽古に必死だから、毎日朝から晩まで何かしらの仕事をしているから、隊務ともなれば常に気を張り詰めているから、その疲れのせいだと思っていた。
「帰る時が近づくにつれ、その間隔が狭まり、眠る時間もどんどん長くなる。夜だけではなく、真昼でも関係なく眠くなる。それを繰り返しているうちに、ものすごい眠気で寝て、起きたら現代に帰っているんだ」
まるで、お前はこの時代の人間ではない、だから去れと、拒まれてるみたいですね。
思い出すように語る、というか、実体験ですよね、それ。
「俺はそうだった」
先生に再会した時、もしかしてって、思ってた。
現代で彼の話をする時、他の歴史上人物とは明らかに区別して、友達みたいに、くん付けで呼んでいましたもんね。
十歳の頃、突然タイムスリップした先生は沖田くんと出会い、また突然姿を消した。つまり現代に帰ったんだ。
先生も大好きな超常現象とかを扱う某雑誌で読んだことあるけど、UFOに攫われましたとか、宇宙人に遭いましたとかの体験する人も、同じ人が何度もその状況に出くわすことが多いんだよね。
まるで、選ばれてるみたいに。にしてもラッキーなのかはかなり人を選ぶ案件だけど。
嫌だな。何度目の正直とかで、帰らずに済む方法とか、ないのかな。
「幕末に来たのには、なにか意味があるはずです。わたしは、新選組のみんなを助けたい」
助けたい? ただわたしは、ずっと笑っていてほしいだけ。そして傍にいたいだけだ。
「何も意味なんてないよ。少なくても俺は、何も変えられなかった」
自嘲するように脇息に肘をついて、目を閉じる。
「現代に帰ってからさらに歴史に興味をもって、その流れで小説を書くようになったからね。俺の人生は大きく変わったけど、幕末の人たちには、なんの影響もなかった」
幼い頃から歴史が好きで、沖田くんと仲良くなって……本当に歴史を変えたいと思ってるのは、実は先生かもしれませんね。
「そんなことないです。沖田くんは、先生のこと、大切な友達だって言ってましたよ」
なんの影響もないなんて、そんなことない。沖田くんは、ちゃんと覚えていたもの。
「……沖田くん、元気? 池田屋で倒れたよね? まだ本調子じゃないでしょう?」
下を向いてしまって全然表情は見えないけど、流石にというか、当然の如く詳しい。
「蛤御門は出陣しないから、ゆっくり休めればいいけど」
声ちっちゃ! わざとでしょうけど聞こえない!
「え? もう一回お願いします!」
「シジミの味噌汁が飲みたい」
嘘つけええええ! むしろ先生こそ新選組に入隊してほしいレベルにその知識量が憎い!
って! そういえばこっちの話ばっかりで、先生がこの時代で何をしているかとか、全然聞いてない!
「せ、先生! 先生は何を、」
「あ、ヤバ。もうここ出ないと」
んなわけあるかいズルいオトナめ! つか言うが早いかもう襖開けてるし!
「君は少し間を空けてから出てきてね」
しかも帰り道すら悟らせない寸法とか? もぉぉおおなんなの!
「また話そう。迎えに行くから」
そしてこっちの居場所は丸わかりですもんね! 有無を言わさぬキラースマイル! つくづくズルい!
先生からすれば、わたしは何も考えてない、軽い気持ちに見えるかもしれない。
でも簡単にあきらめるなんてできないんです。
正しいとか間違ってるとか、そこはあんまり気にしてなくて。
新選組が滅ぶ未来なんて嫌だ。
絶対変えてやる。
だからって、バカって言わないでください。
違う! って、だからカンジャってなに!
「残念です」
暗闇で薄く月明りを受けて、すらりと音もなく美しい刃紋が揺蕩う。
魅入ってしまう魔性を秘める冷たい感触が、首筋を捉える。
「あなたのこと、斬りたくなかったな」
いや! 死にたくない!
助けて先生!
――……
「……おはようございます、宮本さん」
夢オチーーーー!
タイムスリップもすべて夢だったならどんなにいいか。
そこはしっかり現実で、夢魔の凶刃を免れたわたしが起きたのはしっかり幕末の京都で、しっかり着物に抱きついている。
……えっ?
「そろそろ離れてください」
ぎゃああああああああああああああああ! 先生ええええええええええええええ!
好きでもない男に、床ドンされるわ抱きついちゃうわ……もう他所にはお嫁にいけないので先生もらってください。
「ごっ! ごごごごごめんなさい!」
というか、ゴマンといる沖田くんファンの皆さまにも土下座して謝りますごめんなさい。ちゃんと取材して、先生の作品でガッツリ萌えていただいて恩返しいたします。もちろん光速で離れたので許してください。
「朝稽古に行きます。すぐに支度してください」
立ち上がる沖田くんは、すでに剣道部員みたいな恰好をしている。こんな起き抜けに、朝ご飯食べる前から練習してたんだ。あ、仕事がありますもんね。軽いウォーミングアップみたいなものかな。現代の企業もラジオ体操とかしますしね。
「あ、起こしてくださろうと……ありがとうございます!」
ニコリともしてくれないんだなぁ。
先生の作品にはまだ沖田くんが出てこなかったから、どんなひとか全然わからないんだけど。アニメやゲームとかでチラッと見たときは、ニコニコ朗らかな好青年イメージだった気がする。
部屋の障子越しに白く光が拡がって、朝陽が昇ってきたのを感じる。
その暖かさを背景に、沖田くんはどこを見てるかわからない、ううん、何も見てないみたいな虚ろな表情で頸を傾げている。
「バカですねぇ」
……えっと、今なんて?
あまりの衝撃で、
「ヒドイ! バカっていうひとがバカなんですからね!」
とか、ド定番のリアクションすらできずに固まってしまった。
「せんせい、せんせいって、魘されてましたよ。そんなに大切なひとがいるのに、離れてこんなところにいるなんて」
寝言聞かれてたあああ恥ずかしいいいい!
じゃなくて! だから、帰れるなら帰りたいってば!
「バカですね。私なら、ずっと先生のそばにいます」
わたしだって、できるならずっとずっと、そばにいたい。
沖田くんは平坦な声音で話し続け、すっと障子を開けた。
逆光で見えない表情は、きっとまた笑いも怒りもしていない。
「だから、私に斬られる前に帰りなさい」
「待って! く、ください!」
黙って聞いてればあああ! ぐらいにキレたい心境だったけど、またもさっさと行ってしまいそうなのをとりあえず止めなきゃ。だって。
「これ、どうやって着るかわかりません!」
後で一部始終を報告した時、トシサンはここで盛大にお茶を吹いた。
だって、体育の授業で剣道なかったし、稽古着なんて着たことない。寝起きで着崩れ気味の温泉旅館の浴衣みたいな姿で行くのはさすがにアウトだし、恥を忍んで聞くほうがマシでしょ。
「それで、総司に着させてもらったってのか」
冗談で言われたのかもだけど、わたしがさも当たり前に頷くと、トシサンは涙目になって激しく咽た。
沖田くんはというと、深呼吸かなというくらい大きな溜め息を吐く。
「……脱ぎなさい」
そっかぁー、確かに着るには寝間着を脱がないと……って、ひぃいいい!
さっきの“バカ”評価、否定できないかも。
「それもわからない? 手伝いましょうか?」
後ろ手で障子を閉めながらの皮肉も、無表情で言ってるんだろうな。
男装するっていうのに寄せて上げる系のブラ……しかも先生との旅行の為に全く無意味とわかってても億が一の念の為に買ったガチ勝負系のを着けておくわけにいかないから、幕末に来てからは晒を巻いてるんだけど……いや、それより下半身! 実は、例のお色気お姉さんにもらった、褌スタイル。ちなみに、もちろん新品。
現代では、脚の付け根にゴムが入ってないから、リンパの流れを良くするとかで女性用褌下着が密かなブームなのは知ってたから、着けるのに抵抗はなかったけど、会ったばかりの男のひとに見られるのはものすごい抵抗感。パンツでもイヤだけど。
「……後ろ向いててください」
焦ってて反応なんて確認してないけど、男同士だと思われてるから不思議そうにしてたかも。
子どもの頃から大好きな長編アニメの印象的なセリフ、40秒で支度しなァ! を自分に唱え、できる限りの俊敏な動きで寝間着を脱いでからすぐ濃紺のごわごわした稽古着の上のほうを羽織った。
ここ、これの結び方がわかんない。なんで内側と外側に紐が? とりあえず脚だけ通した黒袴は、お姉さんに着せてもらってたからやっぱり同じく紐の結び方がよくわかんないし。
「随分大きいですね」
ドタバタしてたのが忽然と止まったのを察してくれて振り向いた沖田くんが言う通り、上着が膝上まで達する程に長いし、袖はいわゆる萌え袖の一歩手前だ。
「これでも隊内では一番小さいんですけど。子ども用を準備しておくので、今朝はこれ着てください」
言葉の端々にトゲを感じるなぁ。わかってるけど、嫌われてるんだろうなぁ。
けど沖田くんはすっと片膝を付いて、内側の二本の紐を摘まんだ。
「先に内側を蝶結びします」
そっか。そうすると、あとは残りの外側二本を結んで、自然と右前の合わせ方になるんだ。なんて感心してるうちに両側とも綺麗に結んでくれた。
見下ろしたまま、口先だけで指図することだってできるのに。
昨日穿いてたじゃないかと当然呆れられるだろうけど、今更気にしていられない。
「袴はどうやって結ぶんですか?」
と、言い掛ける間もなく袴の前側をお臍の辺りまで持ち上げた。
「前紐を後ろに通します。また前に持ってきて、交差させてから後ろに回して蝶結びします」
着させてもらえるのなんてこの一回限りにしなきゃだから、ちゃんと覚えなきゃ。
「あ、道着も袴も、縦結びにならないようにしてください。特に袴は、この後着ける腰板から紐が見えてしまってだらしないです。次に後ろ側です。腰板を先ほど結んだ前紐に通します」
仕事だったら速攻メモるところだけど、そんなものはないし、なんせ沖田くんが近い……!
「後ろ側の短いほうの紐を前に回して交差させます。交差させて前側になった後ろ紐を前紐の下からくぐらせます」
男どころか子どもだと思われてるくらいだから全然意識されてないだろうけど、沖田くんの両腕が何度か後ろに回るし、その度に横に背けられて近付く頬が触れそう。
「そして固結びにします」
しゅ、集中できない……。
「キツいですか?」
「いっいいえ!」
と返すと、なんと、もっと強く締められた。
「ぅえっ」
「たくさん動くうちに緩むので、少しキツめにしておくんです。苦しいですか?」
素で嘔吐いちゃうくらいにかなり苦しいです。
「だ、大丈夫です」
現代みたいな蛍光灯やLEDなんてあるはずもなく、室内は少し暗めで、そもそも夜しか灯りを使わない。でも陽の光を間接的に浴びる沖田くんの髪は少し明るく透ける。
染めてるわたし程ではないけど、茶髪気味なんだな。
「固結びはこうして二回、こま結びをします」
江戸時代のひとはチョンマゲなイメージだったけど、沖田くんもトシサンも現代でいうポニーテールみたいな髪型をしている。
「二回目の時、縦に紐を持って結ぶと整った結び目が作れます」
女の子みたいなサラサラの髪だ。
「できました。けど、かなり長いですね」
あれ? 髪を束ねてるところ、真っ黒な毛が付いてる。動物の……猫の毛?
「……触らないでください」
まさに今、触れそうに近付いていた手をサッと引っ込めた。
なんでわかるの? そしてそんなに嫌がらなくても。
睨んで見えるのは、上目遣いだからだけじゃない。立ち上がって例の如くさっさと背を向けられる。
「あっありがとうございました!」
わたしも朝練に行かないと! 慌てて踏み出したら袴に引っかかって思いっきり躓いた。
「わっ!」
そして思いっきり沖田くんの背中に顔面着地。
きゃっ! 広い背中! とか胸キュンしてる余裕なんてない。
「ごっ! ごめんなさい!」
いや、もう反応が怖すぎてお辞儀したまま顔を上げられないんですけど。
「……手を引いて歩きましょうか?」
怖いいいいい! セリフの割に声色がダークビター過ぎてちっとも甘くないいいいい!
「いえっ! そこまでお世話になるわけにはっ!」
丁寧に教えてくれながら着付けてくれた沖田くん……優しいはずのひとだけど、怖いと思ってしまうのはわたしが嫌われてるからなんだろうな。
これがもしホントに男だったら消えたい程に情けない姿、袴をドレスのように両手で持ち上げて静々と稽古場まで歩いて行った。
八木さんと前川さんというお家に間借りしていると聞いたけど、すごい広い敷地内に母屋と別棟で道場がある。ここでお世話になると決まってから建てたとか。それって迷惑じゃ……だって普通に家族で住んでる民家なのに。前川さんは出て行ってしまったらしいし、八木さんは小さなお子さんがいると聞いた。
わたしなら、血気盛んなむさ苦しい男達が一緒に住まわせてくださいって大勢で押しかけてきたら断固拒否したい。
少し前を歩く沖田くん、コンパスの差があり過ぎのチビッコがはぐれずについて行けるくらいだから、普段より随分ゆっくり歩いてくれているのかな。
向かう途中に誰とも会わないし、開いたままの扉から庭中に響く無数の声と地団駄を踏んでるような足音で明らかにあの建物が道場だなとわかる。わたしの寝坊と支度のせいで朝練に遅れてしまったみたいだ。
道場に一歩入ってすぐに沖田くんは一礼した。きっとそういう作法なんだろうな、とわたしも真似をするけど、袴を持ち上げてるから、誰にも見られたくないくらいものすごい滑稽だ。
「おはようございます、沖田隊長!」
熱を肌で感じるくらいのむわっと湿気の籠る道場内が、ピンと張り詰めるくらいに、空気が変わった。
隊長? ええっと、新選組って、局長とか副長とかなら聞いたことあるけど、そんな役職もあるんだ。
ドヤドヤと集まってくる、汗の滴る筋骨隆々の男達は、少し後ろに隠れ気味のわたしに、揃って好奇に満ちた視線を浴びせてくる。
この茶髪に洋装で京都の町を歩いていた時と同じ……いやそれ以上に、蔑まれているような感覚。
いろんなところから、
「件のざんばら髪のガキだ」
「副長の肝煎で入ったらしい」
「こんなチビ、なんの役に立つんだ」
とか、聞き取れないことも様々だけど言われ放題だ。
「素振りは終わったんですか?」
え、紹介とかしてくれないの? と、わたしは思ったけど、
「はい! 今朝の分、大素振り百本、跳躍早素振り百本、終わりました!」
「あと百本ずつ追加と、掛かり稽古」
阿鼻叫喚の図と化した光景を残し、沖田くんはキョロリと道場内を見回した。
ひゃ、百? 素振りだけで四百回ってこと? そして掛かり稽古ってなに? ウォーミングアップというか、これってシゴキっていうんじゃないの?
「あ、吉村さーん」
すぐに駆け寄ってきて、痩せた頬に困ったような苦笑いを浮かべるそのひとは、入隊試験で試験官をしていた一人だ。
「おはようございます。今朝はいつにも増して容赦ないですねぇ」
あー、皆さんすみません、わたしがご機嫌を損ねてしまったからかもしれません。
「この子、木刀を握ったことすらないんです。お願いできますか?」
吉村貫一郎さんと自己紹介してくれて、少し皺の多い優しい顔のまま、なぜそんな者が新選組に? というような表情になりつつも、二つ返事で快諾してくれた。
けれどわたしはつい、沖田くんを見上げる。
「私はダメですよ。優しくできないから」
優しくする気もないってことですよね。
ねぇ、沖田くんってエスパー?
入隊試験では気配消して瞬間移動するし、わたしが触れる前に察知するし、今だって、沖田くんが教えてくれるんじゃないの? っていう心読まれたし。
「沖田さんはいつもニコニコ朗らかなのに、稽古となると手加減というものをなさいませんからねぇ。宮本さん倒れちゃいますよ」
ニコニコ……! ほ、朗らか……!?
わたしの前ではその片鱗すらありませんが。
沖田くんはひたすら素振りする皆さんの方に行ってしまった。
皆さんを指導する立場、なのかな? 確かさっき先生って呼んでる人もいた。
え、それより何? あの素振り。
木刀をお尻に付くぐらいまで振りかぶってから、木刀の先が足元に付くぐらいまで振り下ろしてる。あれが大素振り……ものすごい疲れそう。というか、あんな重いモノであんな動きするなんて、一回もできなさそう。持つだけでプルプルなのに。
それどころか、次は多分、跳躍早素振りというものが始まった。
読んで字の如く、前後に飛び跳ねながらありえない速さで素振りしてる。これはもっと、できる気がしない。
「では、足捌きから稽古しましょう」
えっ? 木刀の持ち方ではなくって?
「摺り足、という足運びをします。右足を動かす時は地と足裏の間に紙一枚挟んでいるような意識で、左足はこう、右よりも半歩引いて踵を立てておきます」
へえぇ、剣道なんてちゃんと見たことないから知らなかった。自由に立って歩いて走ってるわけじゃなくて、型が決まってるんだ。
「相手の隙を見て好機となればすぐに飛び出せるようにですよ。立ち合い中に打ち込む時には左足で地を蹴って、右足で強く踏み込みます」
なるほど! クラウチングスタートみたいなもの? あと、道場から聞こえていた地団駄は踏み込みの音だったんだ。
「まずは一歩ずつ、摺り足で進むところからです」
わたしは都度
「はいっ」
と返事をしながら、いちいち感心していた。
吉村さんはわたしの少し前を進んでくれて、それを見本にひたすら付いて行く。
床スレスレしか右足を上げずに一歩前へ進み、すぐに左足も進ませる。踵はあげたままで、キュッと止める。
床に付く程長い袴をやっぱり両手で持ち上げて進むけど、吉村さんも敢えて足元が見えやすいように同じく裾を持ち上げながら、ずっと付き合ってくれた。
やっとけ、って放っておくこともできるのに。
わたしがドレス歩きスタイルをしているのはすごい滑稽だったけど、吉村さんの動きはキビキビしていてむしろかっこいい。
上半身を上下に弾まさないように進むんだなぁ、とか、吉村さんが見せてくれているおかげで気付ける部分もたくさんあった。
「掛かり稽古、始め!」
道場の中央で沖田くんの号令が響くと、二人一組になって一方はひたすら受け、もう一方のひとは全く切れ間なく打ち込みまくり始めた。大袈裟ではなく、一瞬も動きを止めない。
気合の入った大声を上げながら、いろんな技を出してるんだと思うけど、早すぎてどこを打ってるのかわからない。
皆さん、顔というか頭と手首とお腹に鎧みたいなのを着けてるから、そこが打ってもいい場所ってことかな? そうなんだろうけど、とにかく早くてド素人目には何が何だかだけど、皆さんが竹刀に持ち替えてることくらいはわかった。とにかく最高クラスにキツイ練習なんだろうな、と思う。
これは確かに、わたしは倒れる、というか絶対にここまでついていけない。
広い道場内の端をグルグル、周回するだけで初めての朝練が終わった。
それにしても、沖田くんも吉村さんも、ひとつずつ見せてくれながらとても丁寧に教えてくれる。
よっぽど、このひと達にとって剣道って大切なんだ。
それもそうか、部活や趣味じゃない、仕事だ。それも命懸けの。
この時、本当の意味での命懸けなんてわからないなりに漠然とそう思った。
「僕、剣道がんばります!」
「けんどう? なるほど、剣の道、ですか。宮本さんの故郷ではそう表現するのですか。いい言葉ですね」
剣道って言葉は幕末にはなかったの?
勢いよくお礼を言うと、後ろから声を掛けられた。
「宮本、副長がお呼びだ」
中肉中背、という言い回しがピッタリな、失礼を承知でいうと特徴がないのが特徴、という日本人のデフォルト的な顔のひと。多分、少し年上の二十代半ばぐらいだろうから、見た感じ新選組では平均年齢っぽい。人の顔を覚えるのが苦手なわたしは、一回や二回会っただけでは覚えられなさそう。
用件が用件だけに内心ゲッという感じのわたしが返事すると、そのひとは軽くお辞儀して微笑んでくれた。
「同じ諸士調役兼監察の山﨑丞。よろしく」
「あっよろしくお願いします!」
な、長く聞き慣れない言葉だったけど、同じ部署の先輩ってことだよね。
吉村さんに山﨑さん……新選組って、先生が『黒い狼』なんてタイトル付けるくらいだし、殺伐とした人斬り集団的なイメージだったけど、実際は良いひともいるんだなぁ。まぁ、そんなイメージ持ちつつ入っちゃったわたしもわたしだけど。
え? トシサンと沖田くんはどうなの、ですか? うーん……。
「副長のお話が終わる頃に迎えに行く。監察方の役割については俺から話す」
丁寧かつ無駄がない……デキル先輩って感じ。そして終わる頃にって、なんかジワりません? トシサンのこと、お見通しなんだな。
やっと朝練が終わったらしく床にへたり込む皆さんを尻目にトシサンの部屋に向かおうとしたけど、超絶方向音痴なわたしはほんの数秒で挙動不審になったので、見かねた山﨑さんが送ってくれた。
そして皆さん、あれだけ身体酷使してから仕事本番ってこと? ウソでしょ?
「ヘマしてねぇだろうな?」
開口一番、所詮は他人事だとでも言うように少しニヤリと笑いながら聞かれた。
「いただきます!」
わたしは座ってすぐ、手を合わせた。
「おい待てクソガキ。質問に答えろ」
部屋に入った瞬間目に飛び込んできた朝ご飯らしき二つのお膳を前に、胃が抉れるんじゃないかというくらいにお腹が空いていたわたしはもう我慢できなかった。
一歩ずつ歩きながら道場内を回っていただけなのに、かなり神経すり減らしたみたいで物凄く疲れた、なんてわたしの何万倍もの運動量の皆さんの前では言えるわけなかったけど。
「ヘマ……女と、バレなかったか、という、意味なら、残念ながら、俄然、大成功中です」
「飲み込んでから喋れ」
メニューは、ご飯とハマグリのお吸い物、カブの酢の物と、里芋の煮物とそして、沢庵だ。どれも出汁が利いてほっこりする味でおいしいし、一分でも長く寝たいわたしは普段朝食を食べていなかったから、こういう純和食を朝から食べると健康で丁寧な暮らし、という感じでしみじみ幸せな気分になる。
まぁ、天敵みたいな男のひとの前だけど。
「あ、沢庵あげましょうか?」
「うるせぇ、とっとと食え」
でも嬉しいな。ちゃんとわたしの分まで部屋に用意してくれるなんて。普通は皆さん食堂に集まって食べるって……いや、それよりこっちだって聞きたいことがある。食べ物に釣られてスルーしちゃうところだった。
「で、なんっで沖田くんとわたしを同じ部屋に! ありえないですよね? わたしはガキじゃないし、女ですよ!」
ちなみに、沖田くんは元々斎藤一さんというかたと同室だったとかで、わざわざ移動してもらってまでわたしが割り込んでいるから、たまたま沖田くんの部屋が空いてたから、とかじゃない。
トシサンは、だからどうしたというような何食わぬ顔で、というかモリモリ食べてるけど、しれっと憎たらしく言う。
「だから、半分は総司が言った通りだ」
沖田くんにわたしを見張らせる為、ってやつですか。
「もう半分は、なんなんですか」
沢庵をバリバリ言わせながらあっさり答えるけど、できれば説明も噛み砕いてほしい。
「アイツが女嫌いだからだ」
あ、だからあんなに冷たいのかぁ……いやいや、女ってバレてないですよね? やっぱりわたし個人的に嫌われてるだけじゃん!
でも女嫌いってどういうこと? まさか、男が好きってこと? 先生の作品に大ブームのBLを盛り込むチャンス到来! 徹底取材しないと! じゃ、なくって。
「他の新人隊士みてぇに大部屋で雑魚寝ってわけにいかねぇだろ。総司なら気付く可能性が一番低いし、もし気付いても手ぇ出さねぇからな」
意外とちゃんとした理由だった……。沖田くんと同室が一番安全ってこと? 幸い、わたしは斬られる要因のカンジャではないし。
「それとも俺と同室が良かったか?」
「沢庵ぶつけますよ」
「沢庵を粗末にすんじゃねぇ」
理由は一応わかったけど……でもなぁ。
「わたし、嫌われてるんですよねぇ」
から始めたら、もう愚痴が止まらない。だって、沖田くんといると、すごーく気まずいんだもん。
今朝の一部始終を話して、トシサンは途中でお茶を吹きつつ咽つつ聞いてくれた。
「それにしても珍しいな、あいつがそんな態度とるなんて」
煙管を咥えるのを見て、トシサンって煙草喫うんだな、とか心の取材メモに書いておく。
「気に食わねぇ相手でも、表面上は出さねぇからな」
学校や職場でもいるかも、そういうひと。誰に対してもフラットで、周りから厄介者扱いされてるひとにも変わらず応対できちゃうひと。え? わたし? 無理でーす。
「じゃあわたし、並外れて超嫌われてるってことじゃないですか」
なのに同室って……お互いの精神衛生上良くないんじゃない?
あ! わたしがカンジャじゃないって証明できれば、沖田くんに監視される必要もなくなるし、一人部屋にしてもらえるかも! だって、女の子だもん!
その為にわたしにできること……観察型の仕事と剣道をがんばること!
まずは、カンジャって何か知ること!
取材とは別の方向にもヤル気スイッチが入ったところで、山﨑さんが迎えに来てくれた。
「まずは、諸士調役兼監察、俺達の任務についてだ」
トシサンは仕事があるとかで、話をするならこのまま部屋を使っていいと出て行ってしまった。
山﨑さんって、ものすごく信頼されてるんだな。
お膳を下げて片付けて、すぐにお話を聞こうとしたけど、
「稽古着、着替えなくていいのか」
と、気を遣ってくれた。
やっぱり山﨑さんっていい人。トシサン? この姿のまま駆けつけて朝ごはん食べてたけど、何も言われませんでしたよ。あ、それはわたしが入室とほぼ同時に食べ始めたからだった。
「今朝は歩く練習をしただけなので、汗はかいていないんです」
というか、脱ぎ方はなんとかわかるけど、袴の紐の結び方が微妙に自信ないので、後でゆっくり着替えたいです。
「そんなブカブカなのにか? まぁ、お前が良いなら」
まさか山﨑さんに着替えさせてもらうわけにはいかないですし。
「監察方は、倒幕派過激浪士共の動向を探るのが役目だ」
そう始めながら、新選組の幹部組織表みたいなものを見せてくれた。
トップはもちろん局長・近藤勇さん。わたしでも辛うじて知ってる。その下に副長が二人で、トシサンと、山南敬介さん。
「副長って、二人いるんですね」
なんて読むんだろう? やまみなみ?
「山南副長は、腕を負傷されて療養中だ」
そして副長の下に一番隊、二番隊という隊が十もある。
副長の補佐、ということかな。
「こんなにたくさんの隊があるんですか」
沖田くんは隊長って呼ばれていたような。
「多いか? 宮本と同室の沖田さんは一番隊の隊長だ」
あ、そういえば、わたしの問題作で、沖田くんにそんなセリフ言わせてたかも。
知らないことはググりながら書いてたけど、全然頭に入ってないんだよね。で、いちいち調べながら書くのがめんどくさくなって、結局イケダヤジケン? が起きる前までで挫折しちゃったんだ。それだけのボリュームでさえ先生は全部読んでくれなかったけど。
沖田くんって……人のこと言えないけど、若く見えるけど多分わたしと同じくらいの歳だと思う。
なのに、こんな大きな組織の隊長を任されてたんだ。それってすごいな。
朝練に来ていた皆さんも、二十代から三十代くらいのひとばかりだった。
新選組だけじゃない。きっと、敵……倒幕派と言われる人たちも。
こんな若い人たちが、本気で日本のことを考えて、中心となって日々闘っていたんだ。
わたしなんて、日本のこととか世界のこととか、政治とか経済に、全然興味もなかった。ニュースも新聞もろくに見ないし、両親に連れられて無理やり選挙に行ったくらい。
急に自己嫌悪だなぁ。少しは見習わないと。
そして、トシサンから縦線が伸ばされた先に監察方の文字を見つけた。
なるほど、トシサンから指示を受ける、直属の部下って感じかな。というか、監察って書くんだ。
「斬った張ったは他に任せて、俺達はとにかく情報を集めるのが仕事だ。その情報を元に、副長が策を練る」
だから、トシサンはわたしの入隊を許してくれたのか。先生の作品を熟読して覚えたトシサン黒歴史を、わたしが取材したことにしたから。情報収集能力が高い、と思ったんだ。
マズい……あんなのハッタリもいいところ。務まるんだろうか、わたしなんかに。
「調べるのは外部のみではない」
できるかどうかじゃない、やるんだ。
少し震える拳を握り、組織表から目線を上げると、山﨑さんと目が合った。
「内部粛清も、俺達の調査によるものだ。隊規違反者や、間者を取り締まる」
あ! そうだ!
「カンジャって、どういう意味ですか?」
やっと聞けたー!
必要最低限だけ淡々と話す山﨑さんはそんな質問が飛ぶと思わなかったみたいで、想定していた方の質問に備えた紙を広げようとしていたところだった。
「間に、者。敵側が、俺達を調べる為に紛れ込ませた者だ。僅かでも怪しいと思ったらすぐに俺か副長に報告してくれ」
それ……スパイってこと?
わたし、敵側のスパイと疑われてるの?
だからトシサンも沖田くんもあんなに警戒していたんだ。というかマヌケな勘違い過ぎて恥ずかしい。患者って。
会話が噛み合わなかった理由をやっと納得できたのを確認して、山﨑さんは次の説明に移る。
見覚えのある条文が並んでいる。
「あっ! これ、知ってます! 局中法度ですよね?」
誰に対してかわからないけど、なんとなく名誉挽回できるような気分になって指差した。
「……いや、特に名称はないが。なるほど、それもいいかもな」
えっ? 違うの?
達筆過ぎて全部は読めないけど、新選組関連のお土産品でこれがプリントされたグッズ見たことあるんだけど……先生、間違ってます?
「士道に背きまじき事。局を脱するを許さず。勝手に金策致すべからず。勝手に訴訟取り扱うべからず。私の闘争を許さず」
山﨑さんは一つずつ読み上げてくれた。間者を知らないくらいだから、当然知らないことの一つや二つあるだろうと、気遣ってくれたんだ。ええ、もちろん、ありますとも!
「あ、あの! 士道っていうのは、武士道ってことですか? それに背くとは……具体的にどういうことでしょう?」
違反者を取り締まる、という役割上、知っておかなければならないですよね。
山﨑さんも、そう来ると思った、という風の反応だ。今までは、は? っていう感じだったけど。
「俺は、武士じゃないからな」
続く言葉は、具体的には言えないが、かな。
後から思い出すと、すごい皮肉だ。先生なら、わかりますよね。
「今まで士道不覚悟を理由に粛清されたのは、隊費を遊興に使った者、金品の押し借りをした者、土蔵に大砲を撃ち込んだ者、だな」
えっ? た、大砲? 最後のがパンチ効き過ぎててすべての情報が吹き飛んだのですが。
「かつての局長だ」
えっ? はぁあ!?
なんか、びっくりすることが多過ぎて、どこから突っ込んでいいやら……。
「局長って……そんなエライひとでも罰せられるんですね」
山﨑さんは、二枚の紙を筒状に丸めながら少し笑う。
「副長いわく、新選組を支配するのは人ではない。この隊規だ。違反したものは局長だろうが切腹」
えええっ! せ、切腹って、あの切腹!? 粛清って、イコール死ってこと?
「俺達は副長の手足となり迅速に動くのが第一の仕事だ。共に励むぞ」
筒を手渡されて、話は終わった。山﨑さん、忙しいんだろうな。
山﨑さんは素敵な、理想の先輩って感じのひとだけど、わたしはもう……幕末に来てから驚くことが多過ぎて、なんかずっとマスオさんのマネしてるんですけど。
隊規違反は切腹って……ええええ、本当かい? カツオくん。
そんな他人の、仲間の生死に関わる重い仕事と、ましてや敵の情報を集めて先読みする仕事なんて、そんなのできるんだろうか。
トシサン、明らかにミスキャストじゃない? わたしのウソのせいだけど。
なんて、言っていられない。
選んだのはわたし。自分のできることを、できるようにやるだけだ。
わたし昨日、よく平気で寝られたな。
いや、寝ちゃったから、平気でいられんたんだ。
入隊試験諸々でいろいろあり過ぎて、部屋に入った瞬間に秒で寝ちゃったからなぁ。
わたしってば、沖田くんと同じ部屋で寝なきゃならないんだと、今更実感してる。
現代人に比べたらそもそも家具や持ち物が少ないのかもしれないけど、トシサンと同じようにあんまり物がない部屋だな。
時代劇で見たことある気がする、刀を置くところと、羽織を掛けておくところと、机。
いやむしろ、わたしなんて着物しか持ってない。新選組って、給料出るのかな。買い物行きたいな。
沖田くんはわたしよりよっぽど忙しいみたいで、時計なんかないから正確には何時かわからないけど、夕飯を食べてからじっくり袴の紐の結び方の復習をしていて、やっとで覚えても、まだ帰ってこない。
避けられてる……とか?
そこまで嫌われてるなんて悲しいけど、めちゃくちゃ有り得る。
「まだ起きてたんですか」
と、思ったら帰ってきた! それはそれで緊張する!
「お、おかえりなさい!」
咄嗟に言ってしまったけど、なんかものすごい違和感。
広いお屋敷とはいえ、他人と同じ部屋に住むのは初めてだからかな。
「……寝てればいいのに」
ただいま、くらい言ってよー! 反抗期ですか!
でもこの一言にはちゃんと理由があったみたい。ウザがられてる以外にも。
「今夜は騒がしくなりますよ」
浅葱のダンダラ羽織を脱いで、何て言うんだっけ? 衣紋掛け? に掛けた。
「なんでですか?」
Let’s partyするんですか? とか言ったら確実にガン無視されそうなのでやめておく。
「入隊試験の本番です」
本当に避けられてて、仕事じゃなかったのかもしれないけど、疲れてるだろうにしっかり答えてくれながら、長い刀と短い刀を置く。
これ、当たり前過ぎる疑問だろうけど、ホンモノだよね?
「どういうことですか?」
矢継ぎ早に訊き過ぎかな。子どもみたい。
なんでいちいち二本も持ち歩いてるのかとか、そもそもどこに行くのにも必ず持ってなきゃならないのかとか、刀に関する疑問も沸いてきたけどそれより、本番って?
やっと目が合った。
沖田くんが正面に正座したからだ。
「新人さん達の大部屋に、夜襲があるんです」
ええっ! て、敵が来るってことですか?
またお決まりのリアクションが咄嗟に出そうになるけど、それより早く沖田くんは続けた。
「討手は、幹部隊士です。不意打ちへの対応ができるか、勇敢に戦えるかを見ます。合格したら、晴れて新選組の仲間入りです」
そんなの、勝てるわけない。だって、新選組の中でも特に強い人たちが相手ってことですよね? 勝たなくてもいいから、戦いぶりを評価するってこと? それでもケガだけじゃ済まないんじゃ……。
「刃引きの刀を使うので、まぁ、大丈夫みたいですよ」
ハビキって、よくわかんないけど、小首傾げ気味に言われても全然安心感ないんですけど。それに、ここ、ヒトサマのお家ですよね? しかもド深夜。
「あ、じゃあ、これからまたお仕事ってことですよね」
沖田くんがまた試験官を……っていう言い方も変かな、夜襲に向かうってことは、よし! その隙にさっさと寝てしまおう。睡眠時間大事! いちいちドキドキしてたら身が持たない!
「私は行きませんよ」
「えっ? なんでですか?」
思惑が外れて、むしろさっきよりも食い気味に訊いてしまった。
「だから、優しくできないからです。私は、手加減できないから」
いやいや、当たり前でしょ、みたいに言わないでください! 確かに朝練の時にも言ってたけど、わたしに剣道を教えてくれない口実かと思ってましたよ。
あれ……それより……。
「あの……僕の、試験は?」
なんで、こんな大事なこと聞き逃してたんだろう。
わたしの、入隊試験本番は?
「土方さんは、私と違うから」
だからあの人は優しいんです、という言葉を省いて続ける。
「私と同室にした理由。もう半分は、夜襲を避ける為、ですよ。きっと」
いいえ、間者を見張る為と、あと半分の理由は、女だからです。
チビでバカで弱いから、特別扱いされたってことです。
そんなエコヒイキ、こっちから願い下げだ。
「そんなっ! それなら、わたしは……どうすれば仲間って認めてもらえるんですか!」
だから沖田くんは、朝練で会った皆さんに、わたしを紹介してくれなかったんだ。
本当の仲間って、思われてないから。
確かにわたしは、幕末の人間じゃない。しかも女だ。
新選組に入りたいと思ったのなんて、皆さんのような確固たる信念があるからじゃない。
先生の為なんていいながら、突き詰めた真の理由は、先生にだけは絶対知られたくない、薄汚い私利私欲だ。
敵との戦いだけじゃなくて、規則違反は切腹なんて、そんな覚悟できる気すらしない。
「間者じゃないって証明できればですか! 監察方として、敵を調べまくって捕まえればですか! 隊規を破ったひとを切腹させればですか!」
ちゃんと試験を受けさせてもらえないなんて、ズルい。
「それとも、強くなれれば……人を斬ることができればですか!」
わたしを、ちゃんとみてほしい。
「ッ……いった!」
また、沖田くんの姿が消えたかと思った。
両腕は後ろ手に拘束され、上半身から前に崩れ落ちてるせいで、左頬が畳に擦れてる。いや、擦れたのはほんの僅かな時で、押さえつけられて全然動けない。
「お望みの、裏入隊試験です。逃げられますか?」
遠くで、たくさんの男の人たちの大声と足音が聞こえる。
騒がしいなんて思う余裕はなくて、わたしの背中では沖田くんの声が低く響く。またきっと、いや絶対無表情だ。
わたしの両手首を掴むのは、沖田くんの片手だ。もし武器を持ってたら、ホントに敵だったら、確実に殺されてる。
「手加減できない。優しく、できない。何度も忠告したはずです」
肩甲骨辺りにあるわたしの手は微かにも動かない。力いっぱいジタバタすれば脚はなんとか動かせそうだけど、身を起こすまでには到底及ばない。
やっと袴の穿き方を、歩き方を練習したばかりなのに、身の程しらずもここまで来ればバカとも言われない。
情けない。なにもできないくせに。仲間になりたいなんて。
だって、皆さんいいひとだから。あくまでわたしのイメージよりは。
突然、ふっと身体が軽くなった。
「……ズルいのはあなたです。泣くなんて」
泣いてな……あ、ホントだ。
痺れる手で触れた目許は、涙でグシャグシャになってる。
沖田くんはいつも通り、さっさと身軽に動いて部屋を出ようと障子を開ける。一層、外の喧騒が凄まじくなった。
「ごめんね、怖がらせて」
初めて、沖田くんが自分の言葉で話してくれた気がした。
いつもの、なんだか取って付けたみたいな敬語じゃないから?
違うのに。あなたが怖くて泣いたわけじゃないのに。
ウソつき。ただ泣いただけで、放してくれたじゃないですか。
「行かないで! 一緒に寝てください!」
って、わああああバカあああああ!
「……ここには夜襲は来ないですよ」
そうじゃなくて! ここを出たら沖田くんはどこで寝るんですか!
「土方さんの部屋にでも押しかけるから平気です」
出たエスパー! また心読まれた……って、ちょ、ウケるんですけど。
どうやったら仲間と認めてもらえるか、その答えは聞けなかった、というかはぐらかされた気がする。
「それとも、心細くて寝られない? 子守歌でも唄ってあげましょうか?」
「やったー! お願いします!」
「バカじゃないの」
冗談なら真顔で言わないでくださいよ!
ホントに唄ってほしいわけじゃなくて、一緒にいてくれることが嬉しいだけなのにな。
男のひとと二人きりだって意識し過ぎて寝られないかと思ってたけど、不慣れなことだらけで疲れていたのか、またすぐに寝てしまった。
スマホも目覚まし時計もないうえに、寝る時間が遅かったから早起きするのキツイ。
元々、朝は弱いんだけど、朝練は毎日あるらしくてまた沖田くんに起こしてもらった。あ、抱きついてないです。
昨日の今日なのに、もうわたしサイズの稽古着を用意してくれていた。
「袴の五本の襞には意味があります。父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信……人間関係を規律する五つの徳目そして、仁義礼智信の五輪五常の教えです。後ろの一本は、二心ない誠道を表しています。自分で火熨斗して、ちゃんと手入れするんですよ」
というか、子ども用、でしたっけ。
しっかり着方をマスターしたわたしはドヤ顔で褒められるのを待機したけど、あっけなくスルーされた。沖田くんのことだから、ほぼ確実にわかってくるくせに。
今日も明日も、足捌きの練習。それでも、まずは目の前のことから、コツコツやっていかなきゃ。
いつ帰れるのかなんてわからないけど、精一杯、できることをやるだけだ。
今日の稽古場の皆さんは、明らかに疲弊していた。それもそうだよね。
裏入隊試験という名の夜襲を受けた後なんだから。というか、何があっても毎朝稽古するんだな。
部活をやってた頃の癖でずっと朝練と言ってたけど、剣術の場合は練習ではなく稽古と言うんですね。それも吉村さんに教えてもらいました。
昨日は、わたしから見れば皆さん上手で、どのひとが新人さんか違いがわからなかったけど、今朝は一目瞭然だ。
新人さんは沖田くんのシゴキが始まる前からグッタリしてるけど、夜襲をかけた側の方たちはピンピンしてる。中でも最後の最後まで変わらず動きまくってた三人が、声を掛けてくれた。
「剣豪と同姓なのに剣術カラッキシの宮本」
……掛けてくれたというか、え、悪口? ヤカラ感がすごいんですけど。
「って、言われてんぞ! シャキッとしろよ!」
「いたぁっ!」
少しだけかいた汗を拭いていると、背中をバチンと叩かれた。
やっぱり、手加減できないなんて嘘じゃないですか。この馬鹿力のひとに張り手されたほうがよっぽど痛いです。
猛抗議をするつもりで振り返ると、予想外に、太陽みたいな満面の笑顔が眩しく光る。
「よう! 十番隊隊長・原田左之助だ」
い、イケメンー! 残念イケメンー!
トシサンが俳優さんみたいな美麗系優男風イケメンなら、原田さんは野獣系アスリート風イケメンって感じです。真逆っていうくらい種類が違うイケメン。あ、どっちにしろ、わたしのタイプではないですよ先生。
「よ、よろしくお願いします。宮本翼です」
剣豪と同じ苗字って、ああ、宮本武蔵のことか。そんなの初めて言われたけど、ここでは皆さんに言われてるんだ……イジメ、ダメゼッタイ!
「だから、腹から声出せっつの!」
「ちょっと、サノさん!」
腹パン直撃寸前に、お腹の前に手の平を出して守ってくれた男のひとも正統派な感じの……なんか、わたし、こんなことばっかり言ってすごい男好きみたいですけど、違いますからね。新選組って、顔審査もあるの? っていうくらいイケメン揃いなんですけど。
「あんまりビビらせないでよ。大丈夫、取って食いやしないからね。俺は八番隊隊長の藤堂平助。よろしくね」
ま、眩しい! リアル・イケメンパラダイス!
そんなの堪能してる余裕、全然ないけど。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
お腹から声を出して、これでもかの営業スマイル。もうサノさんに突っ込まれないようにしないと。
「おおい平助。見惚れてんじゃねぇや」
頭をグシャグシャと、突っ込みが入ったのは平助くんのほうだった。
「二番隊隊長をやってる。永倉新八だ。入隊できて良かったな」
入隊試験で見た、渋い髭の男のひとだ。沖田くんに猛抗議してたの、見られてたんだな、恥ずかしい。
「や、やーめーろーよー!」
隊長さんが三人も……すごい組み合わせだけど、小学生男子みたい。
けど、もしかしたら、わざと皆さんの目に付く稽古場で声を掛けてくれたのかも。わたしがあんまり馴染めないから。
皆さん、遠巻きに眺めたり、内緒話をしている。
「よし、景気付けに里でも行こうぜ!」
サノさんのことだから、わたしが周りを気にするのを気付いてたかはわからないけど、今度はグイと肩を抱かれた。
すぐに平助くんが引き離したけど、今のは痛くなかったから平気でしたよ。
「サト?」
「ああ、島原も知らねぇのか? キレイなオネエちゃんがいっぱいいるとこだよ」
ゆ、遊郭! 島原の乱のじゃなくて、花魁さんの島原だよね?
新八さんの補足が入ったけど、わたしも後から補足すると、この時のわたしは、島原イコール吉原遊郭イコール風俗みたいな大勘違いをしていた。
「飲みに行くぜー! ぱっつぁんの奢りで」
奢りは断固否定していたけど、二人は行く気満々で歩き始める。というか仕事は?
「いや、無理ですっ! 行けませんよ、そんなとこ!」
だって、女の子だもん! 予想以上に安定して誰にも気付かれないけど! わたしの男装ってば有能!
「なんだよ、総司みてぇなこと言うんだな」
……行きませんよ、そんなところ……って、うわ言いそー。
そういえば沖田くん、女嫌いって言ってたな。あくまでトシサン談だけど、やっぱりホントなのかな。
「……男のひとが好きって意味なんですかね?」
前に思いついた、先生に史実に基づいたボーイズラブ……新選組BLを書いていただこう作戦決行なるか!
「いや、違ぇだろ」
ズコーッ!
「でも、一部では衆道が流行してるからな」
「近藤さんが文に悩み相談で書いちゃうくらいだからね」
キターーーーーー!
衆道って確か、男性同士の恋愛ってことでしたよね?
近年、大ブームに拍車はかかるばかり。かつては一部の女子からの熱狂的な人気だったけど、今はドラマやアニメなどで国民的な文化になりつつあるボーイズラブ。
史実第一主義の先生に詳しく報告したら、先生は書かざるを得ないはず。
名実共に本格派歴史作家である先生の書くガチBL……絶対大ヒットする!
詳しく取材しないと!
「いや、お前も気ぃつけろよ。そんな見目形だからな、狙われるぞ」
どうせチビで弱いですよーでも逆に女だから無問題です。
「ああ、加納とかな」
「何人も手玉にとられてるしね」
誘い受けってやつですか、けしからんですね。
是非とも加納くんの取材をしないと。
もっと詳しく訊きたいところだけど、三人ともお仕事に行く時間みたい。って、やっぱり今日、お仕事だったんですね。
そういうわたしも急がないと、と走って山﨑さんのところに行くと、今日は非番つまり休みだと言われた。
まだ何の仕事もしてない分際で休んでいいんですかという社畜万歳な考えが浮かんだけど、何もしてないなりに疲れてる気がするから遠慮なく休ませてもらう。
なんか毎日、眠いんだよね。夜も、二人きりの沖田くんにドキドキすることなく寝ちゃうし……のび太くん並みの早さで。
でも部屋でのんびり昼寝という気分でもないし、仕事しながらではできないような取材をしないと、と思ってフラフラ歩き始めた。
なんだか、今となっては遠い過去みたいな懐かしい光景だ。
わたしは、幕末に来て初めて見た景色……壬生寺の門に立った。
向こうに眺める境内では、あの日と同じように、広い青空の下で子ども達が遊んでいる。
少し、怖いな。このまま、現代から隔離されて、忘れてしまいそう。
ううん、忘れられてしまいそう、わたしのことなんて。先生は薄情そうだし。
帰りたいよ。なんとかしてよ、ドラえもん。
……あれ、沖田くんじゃない?
急に想いが幕末……今のわたしの現実に引き戻される。
泣きそうになってぼやけた視界の向こうで、高い声を上げて遊ぶ子ども達。その中心にいるのは多分、沖田くんだ。
多分って、だってゴシゴシ目を擦ってちゃんと見ると、別人かと思うくらいに笑ってるから、ある意味誰やねんって感じ。
いつもわたしの前では、能面みたいに動きのない表情なくせに。
たくさんの子ども達が集まってる中に、遠巻きに見ていた女の子がチョコチョコと近付いて行った。
「なぁなぁ、うちも入れて」
「あかーん」
「ミチ、みんなで遊ぼう。仲間外しはダメ、だ、よ」
言葉の末尾で沖田くんと目が合ったので、練習中の営業スマイルでかなり大きめに両手を振った。
「あっ! ソージー! どこ行くーん?」
逃がさんぞおおおおお!
くるりと、わたしと真逆の方向に走り出した沖田くんを猛ダッシュで追いかける。
つーかまーえたっ!
全速力で走ったらしい沖田くんは、むんずと背中を掴まれたまま、掴んで離さないのはわたしだけど、しゃがみこんで
「いーれーてっ!」
「……いーいーよー……」
忌々し気に溜め息を吐いた。
「トロそうなくせに、どうしてこんなに足速いんですか」
それは中学高校と陸上部だったからです。大して成績は良くなかったけど、陸上競技経験のない人よりは普通に早いはず。って今、超小声でトロそうって言いました?
露骨に嫌そうな沖田くんを連行して子ども達のところに戻ると、一部の子から驚きの声が上がった。
「あーっ! この前のにいちゃんやん!」
「ソージの友だちやったん?」
正しくはおねえちゃんだけどね。
「トモダチじゃないよ」
そこはスルーしたのに、笑顔でしっかり否定されたー! 確かに友だちではないけど地味に傷つく!
「新選組の新人さんやんなぁ、宮本はん」
曇りなき眼で微笑むのは、確かタメちゃんと呼ばれてた子だ。ダンダラ羽織着てないけど、なんでわかるんだろう。
新選組と認識する目印としてパッと思いつくけど、そういえばわたし、まだ羽織もらってないな。あー、お子さまサイズだから特注とかなのかも。
それより名前まで、
「どうしてわかるの?」
「うっとこにいるやん」
「この子は八木さんの息子さんなんですよ」
大勢で居候させてもらってる上に道場まで建てて、真夜中だろうがドタバタ乱闘させてもらってる八木さんの? お子さんがいるとは聞いてたけど……初めて会った時から利発そうな子だと思ってたんだよね。
「この前の夜討ち、またエラい騒ぎやったなぁ」
流石に、何もかもご存知……絶対迷惑だよね。
「うん、もうボッコボコにされたよ」
「へぇえ、それは大変でしたね」
ひぃい! だから笑顔が怖いってば! ボコッたのあなたでしょ!
「次は何して遊ぶん?」
痺れを切らした子どもたちが騒ぐ。
「鬼ごっこは? 僕、走るの得意だよ」
胸を張ると沖田くんが
「じゃあ、かくれんぼは?」
いやいや全然走らない遊びぶっこんできたわ、言わなきゃよかった。
こうして夕方くらいまで遊び倒し、子ども達を見送った。
「ツバサも、また遊ぼうねー」
気まずいことに、タメちゃんはお家のお手伝いがあるとかで先に帰ってしまっていた。二人きりの帰り道だけど、これしきのことで気まずいとか言ってられない。どうせ屯所に帰っても部屋に帰っても一緒なんだ。
「ですって。また仲間に入れてくださいね」
子ども達がいなくなった途端、沖田くんはぐったり疲れたような表情になる。
けど怖くない。たくさん笑顔を見れたからかな。まぁ、豹変ぶりがショックだけど。
本当に、わたしにだけこの塩対応なんだなぁ。
いつも通り、さっさと先に行ってしまおうとする背中を追いかける。走ればわたしのほうが早いけど、長身の相手なら歩きに対して小走りしないと追いつけない。
夕焼けに染まる細い道の前には、やっぱり明るめの髪の沖田くんがいる。
「子ども好きって本当だったんですね」
同室にするってトシサンが話した時に聞いた言葉を思い出していた。子ども達の様子からすると、非番の度に遊んでるのと、とても好かれてるのがわかる。
「そうですね。あの子たちみたいに無垢な小さい子は好きです」
はいはい、わたしみたいに捻くれた少し大きめのガキは好きじゃないってことですね。ってかガキじゃないし。
「今度から沖田くんの笑顔が見たい時は壬生寺に来ればいいですねー」
ピタリと、沖田くんが止まるから、わたしはようやくハッとした。
……え、わたし今、沖田くんって……。
両手で口を覆っても遅い。わたし以上にかなり驚いた顔で沖田くんは振り向く。
そうだよね。一番隊隊長兼剣術師範頭である新選組大幹部に対して、今更だけど態度が不遜すぎる。
「失礼しました!」
ほぼ直角にお辞儀して数秒、顔を上げると沖田くんはまだ少し大きめに目を開いたままだった。
「……いえ。すごく前に、同じ呼び方をされていたことを思い出しました」
多めの瞬きを繰り返した後、遠くの夕陽を眺めるようにして呟いた。頬が橙に燃えている。
「急に現れて、急に消えてしまったんですけどね」
きっと、大切なひとだったんですね。
それは、二回目の初めて。初めて、わたしに笑顔を向けてくれた。
こんなに、宝物みたいに綺麗だなんて。ビルも電線もない、空気の澄んだ幕末の夕陽は。
烏が数羽、呼び掛けるような声で鳴いている。
余所者だ。帰れ。ここは、お前のいる場所ではない。
あなたの笑顔で実感する。わたしがここを去る時は、現代に帰る時か、死ぬ時。
遊び疲れたかな。なんか、すごく眠い。
「沖田隊長……? 沖田先生?」
どう呼ぶのがしっくりくるかなぁ。先生のマネが定着してしまってたけど、そうも言っていられない。それに沖田くんなんて呼び方をするのわたししかいないし。だからビックリさせてしまったんだろうけど。
「先生って呼ばれるの嫌いなんですよ。先生と思ってない相手を無理にそう呼ぶ必要はないです。私は、局長しか先生と呼びません」
え、マジですか癖が強っ。
まぁ、わたしに剣術教えてくれませんし、わたしは一番隊メンバーでもないので。
「沖田さん……総司くん……沖田くん」
やっぱり、沖田くんがしっくりくるかなぁ。
「はい、ツバサくん」
ぐっは!
ニコリと呼んでくれたけど、流石に、くん付けはなんか嫌あああ!
そういえば、沖田くんって平助くんとか、わたしはまだ会ったことないけど斎藤さんとか、同世代の仲良しの皆さんはくん付けで呼ぶもんなぁ。
「じゃあ、ツバサ?」
や、やっぱりエスパーーーーーー!
夕陽が最後の灯を殊更赤く光らせて沈む頃、上弦の月と一番星が仲良く姿を現す。次々また散りばめられる星はどれも、一つひとつが新品ですというように輝く。
「急に現れた、あなたみたいですね」
爪痕のような三日月は、そのひとを思い出す横顔を照らすには足りなさすぎる。
「急に、いなくなったりしないですよね?」
灯を持たないわたしには、目を凝らしても見えない。
「いなくなったら、やっぱり間者だったのか、って思っちゃいます」
「……こんなマヌケな間者いないですよ」
「自分で言います普通?」
だって、マヌケなんだもん。
……気づかないほうが幸せだったかも。
こんな想いを抱くなんて。
それに気づいてしまうなんて。
気づくまで、こんなにかかるなんて。
何も持ってなかったはずの両手に、灯が燈る。
「沖田くんの笑った顔って、子どもみたい」
「あー、かわいいってよく言われます」
「自分で言います普通?」
今日の美しい景色を、これから先、何度も思い出す。
どう動いて、どう移ろいたのか。
懐かしくて愛おしい、この夕陽のことを。
次の日、例の三人発案で、新選組メンバー総出の飲み会が開催されることになった。
粗野な風を装っているけど優しい人たちだから、わたし含め新人たちが新選組に馴染めるように企画してくれたんだろうなぁというのは予想がつくけど、わたし超お酒弱いんだよなぁ。
しかも会場は島原一の老舗・角屋。勘違い続行中の慌てるわたしにトシサンが教えてくれたけど、ただ歌を聴いたり踊りを見たりしながら、おいしいご飯食べて、お酒を飲むだけらしいです。あ、先生はご存じでしたよね。
でもそんな有名なお店、すぐに予約取れるものなんですね。もしかして、新選組だから特別?
ろくに仕事もしないまま、遊んでばかりいる気がするなぁと思いながら部屋で支度していると、沖田くんが帰ってきた。
「お、おかえりなさい!」
あっぶなー……着替え中だった。いきなり開けるのはトシサンの部屋だけにしてほしい。
「……ただいま」
一応、ただいますら言わない反抗期は過ぎたみたいだけど、すごく憂鬱そう。
「今日も元気に斬ってきましたか?」
一番隊の皆さんが今日どんな仕事をしているかなんて知らないけど、こんな声掛けをすれば何かしらツッコミ的な返しをしてくれて、少しでも元気になってくれるかな、とあくまで冗談で言ってみた。
「はい、斬りました」
斬ったんかい! さすが精鋭揃いの一番隊!
まさか肯定されるとは思ってなかったのには理由がある。
沖田くんのダンダラ羽織、全然汚れてない。
ほら、あくまで想像ですけど、斬り合いとかあって無事で帰ってきたということは、あんまり言いたくないけど返り血とか、少なくとも土埃くらいつくでしょう。
色が色だけに、少しでも汚れたら目立つでしょうに。
沖田くんのことだから、隊長さんとはいえ後方で指示だけ出すなんてことしなさそうだし。
「ええと、その割に羽織が……」
なんだかジャマそうに脱ぎながら、事も無げに言う。
「ああ。私、返り血浴びないので」
私、失敗しないので、風に言ったああああ! 何それどういうこと? 神なの?
「血が出る前に、避けるんです」
いや、親切に解説してくれましたけど、余計に意味わかんないです。
「な、なるほど。それより今夜、沖田くんも行くんですよね?」
無理やり話合わせちゃう辺り、伊達にちょっとだけ会社員やってない。きっと沖田くんの憂鬱の理由はこれだと思う。
「女のひとが嫌いって……ホントですか?」
藤色の羽織に袖を通しながら、鼻で笑われた。
「土方さんに聞いたんですか? ……苦手、ですね」
なんで笑うの? 一応、意を決して聞いてるんですけど。
「あ、衆道趣味はないから、安心して」
エスパーさん、今回はハズレです。
ヤケクソ気味に直接的に解釈すると、同室だからって襲ったりしないからねっていうお気遣い恐れ入ります。
衆道といえば、全メンバー勢揃いということはあの加納さんもいるはず。ヤケクソついでにわたしは取材に専念しよう。
隊士総出といっても、全員で一斉に向かうわけではなくて、各々が夕方くらいから好きに向かう現地集合現地解散らしい。
わたしは当然、角屋さんどころか島原大門の場所すらわからない。ちなみに両方とも現存するということは京都旅行ガイドブックで確認済みだけど、住所を少し見ただけで目的地まで辿り着くなんて方向音痴のわたしには不可能だ。
「あの、連れてってもらってもいいですか?」
「え、うーん……」
まさかの拒否? もしやバックレる予定だったとか?
わたしだって、舞妓さんとキャッキャウフフと戯れる沖田くんが見たいわけではないけど、背に腹は代えられない。
「場所がわからないんです」
困った時の癖かな、首の後ろ辺りを少し掻く。
「なにも知らないんだね、ツバサは」
「なんでも知ってる沖田くん、お願いします」
何でもは知らないわよ、知ってることだけ、という『物語シリーズ』返しが来る訳はなく、渋々といった感じで一緒に向かってくれた。
はい、数時間後……飲み過ぎました……。
いや、マジで皆さん、男相手の飲ませ方ってまるで手加減なしなんですね。
男性新入社員って大変なんだな。
先生の為に島原全体の当時の様子や角屋さんの様子を取材したかったんですけど、そんな余裕はなく、主にサノさんと新八さんにこれでもかと飲まされました。
舞妓さんたちの踊りに見惚れつつ、皆さんの宴会芸に爆笑しつつ楽しく飲んでいて、わたし自身ちょっと調子に乗り過ぎたせいもありますけど。
もう先生はご存じのことでしょうが、角屋さんは舞妓さんたちが派遣されてくる揚屋というお店で、ここは扇の間といって、天井にびっしり扇の模様が描かれてます。
雲の上の存在という感じの局長・近藤勇さんとはまだお話したことがなくて、遠目に見つつ、厳しそうかつ優しそうな、ものすごい威厳とオーラのあるひとだなぁと思っていたら、芸と言ったらこれぐらいしかできないからなぁと言いながら、握りこぶしを口に入れる、というビックリ人間的な特技を披露してくれた。いつも真一文字に引き結んでいるけど、すごく大きな口なんだなぁ。
あとはサノさんの、何度もしてるだろうかなり気合の入った鉄板宴会芸。
サノさんは故郷にいた頃、上司的な存在の人と大喧嘩をして、勢いで切腹したらしい。なんとか一命は取り留めたけど、横一線に傷跡が残っているのを口として、筆でおかしな目を描いて腹踊りを見せてくれた。
はぁあ、残念イケメン……。
え、沖田くん? いつの間にかいなくなってるんですけど。はい、バックレましたね。
トシサン? えげつないモテっぷりを発揮してますよ。こんな光景って実際に有り得るんだなと感心しましたが、リアルにこれでもかと舞妓さん侍らせてます。
「どうぞ」
ああ、今度は舞妓さんに注がれちゃった。そろそろ限界かなと思いつつ礼儀として一口、舐めるように少しだけお猪口を傾けた。
水……!
「あ、ありがとうございます!」
にっこり笑うと、お銚子をそのままお膳に置いていってくれた。
「なんだ翼、ボサッとして」
「か、かわいいー……」
花車柄の着物に、紫の牡丹が彫られた飾り櫛と藤がこぼれる簪、という豪奢な衣裳に負けない、お人形みたいな美貌とその上、優しく細やかな気遣い……お嫁さんにしたい舞妓さんランキング1位!
これも先生はご存じでしょうが、後から聞いた話、島原にいるのは舞妓さんだけではないんですね。詳しくは聞きませんでしたが“わたしの嫁”は天神というランクの芸妓さんらしいです。
「ああ、月野か。お前、ああいうのが好みなのか」
この人、わたしが女って絶対忘れてるよね。
さっきまでウハウハでお楽しみだったくせに、心配して来てくれたのかな。ほら、沖田くんが言うには優しいひとらしいから。
「ええ、副長はどうなんです」
「すげぇ気ぃ強ぇからやめとけ」
突っ込む気が失せたわたしは、ちょっと寝ますと横になった。屯所に帰るにしても、この状態では歩くのがキツイし、篭とか明らかに揺れそうだし、そもそも新人隊士が呼んでもいいのかわからない。
「大丈夫ですか?」
こういう時、朝まで寝てしまったかと思うくらい長時間経った気がするけど、実際はほんのひと時なんですよね。
肩を軽く揺すられてなんとか目を開けると、さっきとほぼ変わらないメンバーでまだまだドンチャン騒ぎをしている。
少し高めの声で起こしてくれたのは、韓流アイドル風のイケメンだ。
「初めまして、加納惣三郎と申します」
加納って……あの?
正解だろうな。透き通る感じのザ・美少年って感じ。せっかく取材対象者が向こうから現れてくれたからシャキッとしたいけど、ぐるんぐるん視界を回しながら身を起こし、わたしも自己紹介をした。
「知ってます。土方副長お気に入りの宮本さん」
新選組隊士の皆さんの一部が、わたしのことを良く思ってないのは知ってる。稽古場でもなんなら廊下で会った時でさえヒソヒソと噂話をされて、直接イヤガラセを受けるなんてことはなかったけど、それは沖田くんと同室だから大部屋に行く機会もないし、きっとわざと、新八さんやサノさん、平助くんが皆さんの前で仲良くしてくれるからだ。
トシサンの肝煎なんて評価されたり、新人隊士がいきなり配属されるには荷が重い監察方に抜擢されたりしていれば、やっかみを受けてもしょうがないと思う。
だって、実力が全く伴っていないから。
同世代の女子と比べてでさえチビで、十代に見えるくらい童顔で、剣術がヘタどころか木刀を握ったこともない、かなりの異端な存在。
でもこんなに直接的に、剥き出しの敵意を受けるのは初めてだ。
「お気に入りなんて、そんなんじゃありません」
むしろ間者と疑われて、斬捨て御免の見張りまで付けられてますからね。
「しかも沖田隊長と同室なんて、どうやって取り入ったのさ」
加納さんは、見る人によってはドキリとするんだろうな、という妖艶な上目遣いで、身を乗り出す。
「あんな難しいひとまで、よく落としたね」
「そんなんじゃないってば!」
沖田くんは、そんなんじゃない。
って、やば……過剰反応しちゃった。
だって先生みたいに、わたしの髪に触れようとしたから。
わたしはブンと頭を振るった。大声を出してしまったけど、皆さん各々で騒がしくしてるから、誰にも気付かれなかったみたいなのが救いだ。上司もいる宴会でケンカなんて、新人として有るまじき愚行だ。酔っ払って横になってるほうがまだマシ。
「ムキになっちゃって」
控えなきゃ、冷静に冷静に……と、深呼吸しかけて、油断した。
「宮本さんって、かわいい」
膝の上の指を絡め取られた。微塵も思ってない癖に、どういうつもり?
「ツバサ、帰りますよ」
加納さんは弾かれたようにわたしの手を離した。
「お、沖田隊長!」
彼の後ろにいる沖田くんは、会ったばかりの頃と同じ機嫌悪そうな無表情だ。そんなに遊郭が苦手なのかな。いや、ほぼ部屋に居なかったけど。
助けて、くれたんですよね?
「この子はまだネンネなんです。ちょっかい出さないでくださいね」
……はぁあ!?
ネンネ……国語辞典的に表現すると、実年齢の割に幼稚で何も知らないひと。
なんか、ショックで一気に酔いが冷めた。
加納くんも似たような反応をしていて、あれ、と気付いた。微弱過ぎて普段あまり活かされることがない、女の勘ってヤツだ。
お決まりにさっさと行ってしまう後姿を追い掛ける。何回繰り返すんだろう、この状況。
「隙が有り過ぎなんですよ、あなたは」
廊下まで広くて豪奢な角屋さんを、わたしだけ小走りで進む。
たまにすれ違う舞妓さん達は、うっとりとした表情で沖田くんを見つめながら、小鳥のように響く美しい京ことばで声を掛ける。島原では沖田くんってレアキャラだろうから、そりゃここぞとばかりに声掛けるよなぁ。
引くほどの、安定の無視なんですけど。
「沖田くんって、モテますね」
ずんずん進んで行っちゃうし、もしはぐれたら屯所に戻ることはおろか角屋さんを出ることすら困難だから、立ち止まる余裕はなく会釈しつつ付いて行く。
「は? ……私は、先生以外のひとは好きでも嫌いでもないから」
は?
「ああ、そういえば。具合悪そうでしたね。おんぶでもしましょうか?」
ええと、つまり、他人はどうでもいい。興味すらないってことで、おけ?
って、なんっじゃそりゃああああ!
「やったー! お願いします!」
今回は冗談ではなかったらしく、絶対零度のバカじゃないのは返ってこなかった。
「つかまってないと落ちますからね」
しっかり、つかまってたはずなんだけどな。もう、手遅れかもしれません。
背中で揺れながら、わたしはまた、いつの間にか寝てしまった。
酔いは冷めたと思ったのに、眠りに落ちるのを、我慢できない。
やっば! 寝坊した!
アラームの止まったスマホの画面に表示される時計に愕然とし、ベッドから転がり落ちるように飛び出した。
少しブカブカのパジャマの裾に躓きつつ、洗面台に向かう。
今日は朝イチに先生の原稿をいただきに行く約束なのに。
昨日飲みすぎたなぁ……めっちゃ頭痛い。
……あれ? 昨日?
昨日は、どうしてお酒飲んだんだっけ?
そうだ、幕末にいるわたしが、新選組の皆さんと一緒に宴会でドンチャン騒ぎをしていたんだ。
え……?
就職と同時に一人暮らしを始めた、いつもの私の部屋。
広くはないけど、だから掃除が苦手なわたしにちょうどいい、小さなお城。
現代に、帰ってきたの?
――急に、いなくなったりしないですよね?——
……ウソ……もう、会えないの?
――……
「そんなのヤダ!」
夢オチーーーー!
「ううっ」
ガバリと起きたのは蒲団の上で、沖田くんと一緒の部屋だ。勢い有り余り過ぎて、尋常じゃない頭痛に襲われた。
現代に帰れたと思った時、全然嬉しくなかった。
むしろ、運命を呪った。
好き勝手にタイムスリップさせられて、何もできないまま強制送還される運命を。
無為に時空をウロチョロするくらいなら出会わなければよかったなんて、そう思うことはできないけど。
現代に帰りたい。先生に会いたい。それは紛れもない本心なのに。
頭を抱えつつ、記憶を辿る。
コマシの加納さんとバトってたのは何となく覚えてるけど……島原から壬生まで、どうやってっ帰ってきたんだっけ?
ええと、わたしどうして、蒲団に寝てたの? しかも寝間着に着替えてる。
酔っ払った時の行動……あるあるだけど、ミステリー……。
部屋に沖田くんがいないし、蒲団も片付けられている。
そういえば、寝てるところ見たことないな。わたしが朝寝坊なせいだけど。
よろよろと障子を開けると、お庭ではこちらに背を向けた沖田くんが素振りをしていた。
まだ夜が明けたばかりで少し薄暗く、空は紫色だ。
これも酔っ払いあるあるだけど、飲んだ翌朝って意外と早く起きてしまう時がある。眠りが浅いせいらしい。
大素振りよりも浅めに、頭の少し上まで振りかぶって、正面に相手がいるとすれば額辺りまでで剣先を止める。
早く鋭く、風を切る音が響く。
沖田くんが木刀を振るうのを見るのは入隊試験の日以来だ。あの日はよく見えなかったし、わたしのことは相手にすらしてくれなかったけど。
舞うように美しく、なんて綺麗に剣を遣うのだろう。
「また寝言いってましたよ」
ぎゃああああ! 恥ずかし過ぎる! そして見てるの気付いてたんですねエスパーさん!
「お、おはようございます。……あの、今朝はなんて?」
会話をしても一糸も乱れることがない素振りが続く。
「……沖田くんのバカ」
「っえええええ! すみませんすみません!」
ヘドバン並みの高速敬礼で、余計に頭痛がひどくなる。
「バカなんて思ってもないでしょうに。おかしいですね」
素振りをやめて振り返ってくれたけど、いやいや笑顔が怖いいいいい!
「具合、どうですか?」
この世の終わりかというくらい頭カチ割れそうですし、最悪な夢を見ました。
「ボチボチ、です。あの、僕、昨日……」
ちゃんと、帰って来れたみたいですけど、どうやって?
縁側の下駄を突っ掛けて庭に降りる。
空は次第に桃色になっていく。早起きに縁がない生活をしてきただけに、ちょっと感動的なくらい。
うーん、途中から記憶がないなんて言えない。沖田くんは言葉と行動ともに通常運転だけど、全然飲まなかったのかな?
「私が抱っこしてお持ち帰りしました」
お姫さま抱っこ……! それ、結婚式でしてもらうの夢だったのに……!
この時のわたしを漫画で描くと、ガーンと白目を剥いてる状態だろうな。
「冗談です」
だから真顔で言わないでええええ!
「背負ってるうちに寝てしまってたので、部屋に転がしときました。すぐに起き上がって、自分で蒲団敷いて着替えて、また寝ましたよ」
またも酔っ払いあるあるだけど、現代で飲み過ぎた時も、全然記憶ないなりにしっかりメイク落としてパジャマに着替えて寝てるんだよね。脱いだ服は部屋中に散乱してるし、シャワーは浴びてないけど。
「おんぶしてくださったのは、本当なんですね? ありがとうございます。本当に、ご迷惑をお掛けしました」
島原と壬生は地図で見ると近いけど、寝てる人間って相当重いはずなのに。
……待って。わたし、沖田くんにくっついてる状況で寝こけたってこと?
これは運命云々じゃなく、自分が呪わしい……。ある意味、ツバサ……おそろしい子!
「ツバサは軽すぎ。持ってみて」
ほんの一瞬、尻軽って意味? と思ったけど物理的意味だったらしく、沖田くんは木刀を差し出す。
「いいんですか?」
剣術を教えてくれるってこと? それも木刀の持ち方を?
沖田くんはずっと、わたしに稽古をつけてくれることはないと思っていた。
朝陽に照らされて、世界が橙に染まっていく。やっぱり、温かいな。
左手を手前に、ぎゅっと両手で握る。……指が回らないけど、こんなに太いもの? それに、すごく重い。やっぱり手が震える。
「天然理心流の、素振り用の木刀です。……やっぱりこっちで」
てんねん……あ、剣術には流派があるんでしたね。
先生の『黒い狼』は、トシサンがこの流派の道場に初めて行商に来たところまでで中断、というか取材旅行に出て、わたしがタイムスリップしてしまった。もしかして、そこでトシサンと沖田くんは出会ったのかな。
沖田くんは、稽古場で見覚えのあるサイズの木刀を渡してくれたけど
「いえ、せっかくなので」
生意気にも、天然理心流の木刀で稽古をしたかった。
わたしには無理だって思われた気がして、虚勢を張ったのだ。
「あなたがこれから遣うことになるのは本身です。こちらのほうが太さが近いので、腕力を付けるより、まずは慣れましょう」
わたしの目標は、皆さんと同等の稽古ができるようになることでも、ましてや部活や習い事のように有名な大会に出て勝利することでもない。
勝利すなわち殺傷、敗北すなわち死。
新選組隊士として、命の遣り取りをするためだ。
物の重みとは別に、手が震える。
真剣を手にするときが、わたしにも来るんだろうか。いや、ここに居続ける以上、いつかは必ず。
「構える時に力を入れるのは左手だけです。小指のほうから力を込めて、親指や人差し指の方は添えるだけ。右手も軽く添えるだけです」
わたしのすぐ隣で、同じように木刀を構えて教えてくれる。
これは……右利きのわたしにとっては、一番力が入りにくい持ち方だ。それも、一般的にも一番力が入りにくい小指のほうで持つなんて。
左手を開いて見せてくれた。
全体的に、タコもマメもない。指の長い綺麗な手だけど皮が厚い。
「握りが正しくできていると、まずは小指と薬指の付け根に胼胝ができます。稽古を積むうちに、全体的に胼胝ができて潰れて、また胼胝ができてを繰り返して厚くなります」
気が遠くなりそう。どれ程の稽古をしたのだろう。
沖田くんは現代にまで天才剣士なんて言われてるけど、神様に与えられたものじゃない。沖田くん自身の熱情と、努力の賜物だ。
また木刀を構えて、今度はわたしの正面に移動する。
「柄が臍の前にくるように、剣先は相手の首元に向けます。足は……うん、できてますね」
吉村さんのおかげで、足の位置は自然とできていたみたい。右足を前に出し、半歩下がった左足は踵を上げている。
今は重みを支えるのでやっとだけど、毎日稽古すれば同じように、木刀を構えることもできるはず。
「……あなたに会った時、嫌なことを思い出しました」
根が体育会系なわたしが意気込み、闘志に燃えていると、沖田くんはふっとわたしから剣先を外し、右側足元に流した。休め、の体勢なのかな。
「私は元々左利きで、箸を左手で持っていたんです」
わたしも真似をして木刀を下ろし、ぽつぽつと、ゆっくり零す言葉に聞き入る。出会った時の、冷たく突き放すように、貼り付くお面みたいな無表情とは全然違う、静かな哀しげな眼。
「母は私が生まれてすぐ、父も幼い頃に死にました。姉に育ててもらいましたが、九歳になった頃、先生が跡目を継ぐ天然理心流試衛館の内弟子になりました」
内弟子って……ええっと、住み込みで習い事をするお弟子さん、という意味でしたよね。九歳って、そんなに小さい時に、ご家族と離れて?
「左手で箸を持つのを見咎められ、躾がなってない、これだから親無し子は、と」
そんな言い方……沖田くんにしたら、自分自身以上に、ご家族のことを貶されたと同じだ。
現代では左利きは普通だし、むしろちょっと憧れるけど、昔は無理矢理右利きに矯正するのが普通だったってことなのかな。
「先生は、私を本当の弟のように可愛がってくれました。私に生きる意味を、剣を与えてくれた。だから私は、先生の傍にあり続ける為に剣に没頭しました。木刀を右手で持つあなたを見て、子どもの……何もできずに泣いてばかりいた弱い自分を、」
近付いて、触れても、正面からなら言わないんですね。
触らないでって。
背の高い沖田くんが小さく見えて、わたしが腕をいっぱいに伸ばしてやっと届くくらいの頭を撫でた。
朝陽に照らされて、透ける髪が金の糸みたい。
「……思い、だしちゃいました。だからあなたを見るのが嫌で、関わりたくなかった」
辛かった時のこと、すべてを他人にベラベラ話すようなひとじゃない。
わたしに愚痴ったりしないけど、大好きな家族に囲まれて、自分の好きなことだけして笑顔で毎日を過ごすのが当たり前の子どもの頃に、ひとりぼっちで泣いていた……それ程のことがきっとたくさんあったんだ。
「ありがとう。僕に、触れてくれて」
もう大丈夫と言われたようで手を離すと、沖田くんは壬生寺で遊んでいた時みたいな無邪気な笑顔になった。
「さてと、朝稽古に行きますか」
おおいマジすか。腕プルプルなんですけど。
いつもわたしの先を行く沖田くんと、一緒に歩けたらいいな。
沖田くんが、もうひとりで泣くなんてこと、ないように。
あなたを守れたら、どんなにいいか。
その為なら、わたしは。
稽古場に着くと、いつも通り安定の放置です。吉村さんに、今日もお願いしますと告げて皆さんの稽古の方に行ってしまった。
やっぱり、沖田くんに教えてもらうのはすごくレアな機会だったんだな。
「あ、構え方は少し教えておきました」
と、去り際の沖田くんが付け足すと、吉村さんは素振りの仕方を教えてくれようとした。そこにふらっと、平助くんが様子を見に来てくれた。
「おっ、やっと稽古っぽくなったんじゃない?」
わたしと同じくらいたくさん飲んでいたように見えたけど、普段と全然変わらない。沖田くんといい……新選組の皆さんってお酒強いのかな? いや、新八さんとサノさんはいないや。もっともあの二人は大袈裟じゃなく浴びるように飲んでいたから当然かも。
震える手で、今朝の沖田くんと同じように、頭の少し上まで振り被って、真っ直ぐに下ろす。いや、真っ直ぐとは到底言えないかな。すごく重くて、震えてしまう。
「振り下ろす時に、雑巾を絞るようにグッと内側に腕を捻るんだよ」
平助くんが実際にやって見せてくれると、木刀が命を吹き込まれたみたいにビシッと震えてからシンと静止した。
ここまでのことはできないにしても見様見真似で早速実践してみると、この方が腕に力が入りやすい。さっきまではなんだかふわふわしていたのに、しっかり空中で止まるようになった。
「なるほど! ありがとうございます!」
素振りは、吉村さんに叩き込んでいただいた足運びで、一歩前進しつつ一回、また一歩後退しつつ一回振り下ろすという形で行う。
今日はひたすら素振りの稽古で終わって、小指と左指の付け根辺りが少し赤くなっているのが、正しく握れている、稽古をしっかりしている証明のようで嬉しくなった。
稽古を終えた後は、朝食を摂ってから山﨑さんのところに今日の仕事の確認に向かうのが常なのだけど、平助くんに呼び止められた。
「昨日、加納と話してたみたいだけど、大丈夫だった?」
いえ、あからさまにケンカ売られました。
「はい。沖田くんが来てくれたので、大丈夫でした」
わたしのごく微弱な女の勘によれば本命は沖田くんっぽいから、余計に恨まれたかもしれないけど。
わたしはすっかり寝る直前で蒲団の上に座っていたけど、沖田くんはやっぱりまだ帰って来ない。
新選組随一の斬り込み部隊である一番隊と、隠密行動が主な監察方は仕事内容が全然違うので、日中は会うことがないし、わたしはのび太くん並みの寝つきの良さで寝ちゃうし、朝くらいしか会うことがない。
とはいってもわたしは、まだやっと素振りができるようになったくらいなので、諜報活動に出たとしても万が一の場合に対処ができないとして雑用ばかり言い付けられていたのだけど。
それでも、あの日沖田くんに、雑用でもなんでもいいから入隊したいと言ったのは本心だし、わたしにとっては大切な仕事だ。何もできないで無為に時間を過ごしたら、現代に帰った時に絶対後悔する。
今朝の夢は最悪だったけど、より実感する切っ掛けをくれた。
わたしが幕末に来たのが運命なら、きっと意味があるはず。
何か成すべきことがあって、ここに来たんだ。
大きな時代の波に、頼りなく浮かぶ葉っぱの小舟だとしても。
なんて……そう思わないと、結構キツイ。
「? いたた……」
正座していた足の裏に違和感があるのに気づいて、斜めに足を崩して座る。
見ると左足の裏、親指の付け根辺りの皮が大きくパックリ割れて剥けて、血が滲んでいた。
ウゲッとまた思わず独り言が出そうになる。
こんなことになってたのに、今までわからなかったなんて。
「……どうしたんですか」
また突然障子が開いたので、わたしは反射的に正座に直して足裏を隠したから、沖田くんはまじまじと見つめてくる。
「い、いえ。おかえりなさい」
だって、見られたら稽古するのを止められるかも。少しでも早く剣術を身につけて、監察としての実務を任されたいのに。
それに単純に、素足を見られるのが恥ずかしい。
「足の裏。どうしたんです? 見せてください」
ひぃい! ほぼバレてる!
沖田くんは確信前提の尋問をしながら、刀を置いて羽織を脱ぐ。今日も全然汚れていない。
「きっ気にしないでください!」
正面に座る顔は、蝋燭の頼りない灯ではよくわからないけど、怒っているみたいに見える。
「あまり手荒な真似はさせないでください。弱い者虐めは嫌いなんです」
どの口がそれ言いますか! って、突っ込みたいけどムリ!
このまま対峙していたら隠し通すのも無理だと踏んだわたしは、とりあえずこの部屋を出ようと立ち上がろうとした。
「きゃあ!」
蒲団を踏んで布に触れた左足に激痛が走る。思わず少しよろめいたけど、そんなのよりマズいのは、咄嗟に高い声が出てしまったこと。
「! きゃあはははははははは!」
って、沖田くんめっちゃ、くすぐってくるんですけどおおおおお!
「ひどいですね。これは痛そうです」
「あははははははははは!」
もう見たならくすぐるのやめてえええええええええ!
この時は冷静に状況を見る余裕なんてなかったけど、沖田くんはわたしの脇腹をしこたま擽った挙句、ドタバタ暴れるわたしの足首を引っ掴んで傷口を確認した。
エスパーさんだから通じたのか、急に手を止めた沖田くんは何事もなかったかのように部屋を出て行ってしまった。
一日の疲れがピークの時間にトドメを刺されてぐったりと、蒲団にうつ伏せになる。
二人きりの部屋で男上司からくすぐられるなんて、現代ならセクハラもいいところだ。
でも残念ながらここは幕末。訴えることもできずに、泣き寝入りになりそう。
不幸中の幸いは“まるで女みたいな”高い声を誤魔化すことができたこと。
女かもしれないと少しでも勘付いたら、擽ったりしないでしょ。相手はあの女嫌いの沖田くんだもん。
「……なんなの」
涙が出るよりも前、この呟きを最後に、またわたしは眠ってしまった。
次の日も、わたしは元気に歩き回り、存分に稽古をし、大量の雑用も熟すことができた。
あの後、寝たままのわたしの左足に、沖田くんがテーピングをしてくれたから。
放置で出て行ったのは、その為の道具を取りに行ってくれたんだ。
稽古中ずっと踵を上げていて、特に素振りをする時に一歩踏み出してキュッと止める、この動作を繰り返すので、ここの皮が捲れるのは誰もが経験する定番の負傷らしい。
手の胼胝と同じように、皮膚の損傷と再生を繰り返して硬い皮になっていく。
「たくさん稽古をしてる証拠ですね、エライエライ」
褒めるだけ褒めて、テーピングしてやるから稽古休むなよってことですよねわかります。
わたしだって、休みたくなくて隠したケガだから望むところだし、毎晩テーピングしてくれるひとに文句は言えないけど。
テーピングをしてもらいながら稽古を重ねる日々が続き、ふと気づいた。
「……沖田くん、熱ありません?」
テーピングといっても現代みたいに専用のテープがあるはずもなく、沖田くんは長細く切った白い布を器用に、丁寧に巻いてくれていた。沖田くん自身もこうして、もしかしたら近藤局長に巻いてもらいながら稽古に励んだのかな、なんて想像してしまう。
「いつもこんなものですよ」
「いつも触られてる僕が、いつもより熱いって言ってるんです。夏風邪ですか?」
自分で言っておきながらすごく誤解を生みそうな言葉だけど、万年冷え性のわたしの足はかなり温度を感じやすい。
元治元年の五月末といっても旧暦だから、気温的には十分に暑いので夏風邪と表現した。
「はい、できました」
「いたぁ!」
ペシりと足を叩かれ、この話も終わりだと打ち切る気だろうけど、そうはいかない。
「早めに病院行ったほうがいいですよ」
「ビョウイン?」
二人きりの部屋はだいぶ慣れて、あまり緊張もしなくなった。まぁ、緊張とか言ってる間もなく、稽古と雑用で埋め尽くされる日中の疲れのせいかすぐ寝ちゃうし。現代では、先生の小説を熟読したりしながら結構夜更かししてるほうだったんだけどなぁ。
「えっと、お医者さんに診てもらったほうがいいですよ」
「……嫌いなんですよ、医者は」
子どもか!
沖田くんって、現代で例えれば一流企業にお勤めで社長を始め上司からの信頼も篤くて、もちろん仕事バリバリで同僚からは慕われ後輩からは尊敬されて、高身長高収入でしかも女遊びしないという高スペックのいわゆるスパダリなのに、どこか子どもっぽいんだよね。
「それに、ちゃんと寝てるんですか?」
未だに寝てるところ見たことないんですけど。
ほら、そういうところですよ。無言でコクリと頷くところ。
ウソっぽいな、と思うわたしは、あんまり寝てないと返されたつもりで話を進める。
「暑くなってきましたからね。寝苦しいですか?」
一旦寝てしまうとぐっすりで、朝まで起きないわたしじゃなければ、団扇で扇いであげるとかできるんだけど。ホント、快眠過ぎて困る。この前も、初めてテーピングしてもらった時に全然起きなくて、沖田くんドン引きしたらしいし。
「さぁ、どうしてですかね」
笑ってごまかさないでください、と思いつつ、まんまと誤魔化されてしまったわたしは、まだ知らない。
幕末史に鮮烈に、新選組の存在が刻み付けられる事件がすぐそこまで近付いていることを。
近付くというか、新選組自ら強行突破で引き起こした、という表現ができなくもないのだけど。
何も知らないわたしだけど、もし知っていたとしても、逃げたくない。
激しい後悔に、ずっと苦しむことになるとしても。
翌朝、食堂で朝食を摂ってお茶を飲んでいる時に、沖田くんから注意された。
「引き技の時に、竹刀をすぐに跳ね上げるのヤメなよ」
直接稽古をつけてくれたのはあの一回きりだけど、ダメ出しであれ、見ていてくれたことが嬉しい。
あ、先生聞いてください。わたし、防具を着けて竹刀稽古ができるまで成長したんですよ! 引き技っていうのは、鍔迫り合いから離れて後ろに退がりながら面や小手、胴を打つ技です。
「はい! わかりました!」
やば、顔が笑っちゃう。こんな顔ですが、明日から即刻直します。
「えー、なんでぇ? その方がカッコよくない?」
お膳を持ってきて自然に会話に入ってきつつ隣に座ってくるひとは、わたしは初めて会うけど沖田くんとはすごく親し気だ。
「結構多いんですよね、そう思ってて癖付いちゃってる人。あのね、はじめくん。刀は叩いて斬るものではないでしょう」
「総ちゃんってば、シャカにセッポーだね。そう、刀は引く時に切れるもの。でもさ、試合の時は大袈裟に竹刀上げちゃった方が、いかにも決まったー! って感じでカッコいいのに。ねー?」
ヒィイわたしに振らないでー! ん? 今、はじめくんって……。
「さ、斎藤一さん? は、初めまして! 宮本翼と申します」
いやいやいや、ウソでしょ! 全然イメージ違うんですけど!
あんまりちゃんと読んでないけど、某おろろ系剣豪漫画に出てくる牙突系悪即斬な斎藤一がコレ?
史実にとことん拘る先生だけど、このまま書いていただいたらファンから苦情来ちゃうんじゃない? 黙ってれば目鼻立ちのくっきり整った凛々しいイケメンだから余計に残念。今のところ黙る気配ないけど。
「俺と総ちゃんの仲良し部屋を奪い取ったのがキミかー。うん、カワイイから許す! はじめちゃんって呼んでいいよー、つーちゃん」
呼ぶかぁあああ! さすがに怒られるわ! そして思ってもない癖に息をするように他人にカワイイとか言う人って信用できない!
「もう、あっち行ってよ。はじめくん」
何故か怒ってる風ですけど、だって、ホントに仲良しだもんなぁ。
「ちょっとー、長期出張帰りの旦那に向かってそれはないんじゃないの」
「はじめくーん、居合稽古? 掛かり稽古? それとも、私と試合?」
「全部一気にいただこうか……って、おいおい総ちゃん、俺の身が持たねぇよ」
ご飯? お風呂? それとも、あ・た・し? のテンション……安定で、笑顔が怖い!
あ! 同室といえば……。
「あの! 沖田くんが寝てるところって、見たことありますか?」
「モチのロンで、あるよッ!」
微妙にイラッとくるテヘペロみたいな顔してきたんですけど、あの顔の元祖って、この人なんですね。
……なるほど。じゃあ、沖田くんがあんまり寝てない理由って、もしかして……。
「ちなみに寝顔も、モチのロンで、カワイイよッ!」
それは後でじっくり聞かせてもらうとして、と。
「沖田くん、僕、ホントに間者じゃありませんよ。だから、安心して寝てください」
わたしがスパイだとしたら、沖田くんが寝ている間に部屋中はもちろん屯所中を探索したり、上層部からの指令によっては新選組の誰かもしくは沖田くんを攻撃するかもしれない。
トシサンとの会話で、わたしが寝首を掻く、とか言ってたし。
わたしが思いつくスパイ活動なんてこんな程度だけど、きっと沖田くんならもっといろいろ考えて……だから寝られないんでしょう?
「……う、うん。大丈夫、ちゃんと寝てるから」
え、先生への報告文には到底表現したくない凄まじい音で斎藤さん吹き出したんですけど、なんなんですかこの人。ええ、敢えて斎藤さん呼び決定ですよ。
「いや、あのね、総ちゃんは、」
合間にめっちゃツボってて話せない斎藤さんの言葉の続きを、沖田くんが引き継ぐ。
「ツバサくらい、寝ながらでも何とでもできるし」
こ、こんのぉおおお……! く、悔しいけど、その通りだろうな。
時代劇とかでも、寝てる主人公に刺客が迫る時、カッと目を覚まして返り討ちにする的なシーン、あるあるだよね。
あ、この後、山﨑さんからちゃんとした斎藤さん情報を聞きましたが、三番隊隊長で、沖田くんと新八さんと並び称されるくらいの腕前だそうです。
でも、あの通りお調子者で、しかも酒好きの女好きだとか……どう書かれるかは、先生にお任せ、ということで。
わたし、すごいことに気付いてしまったかもしれません。
「沖田くんって……左手のほうが大きいんですね」
二人一緒に非番って珍しいんですけど、朝稽古を終えた後に部屋で火熨斗の掛け方を教えてもらってて、袴を押さえてくれてる手を見て気付きました。
あ、先生には説明するまでもないかもですが、火熨斗は現代でいうアイロンで、小鍋みたいなものに炭火を入れて、鍋底を布に押し当てて皺を伸ばす道具です。
はい、火熨斗の掛け方も知らないなんてとビックリされましたけど、手のサイズが違うこと、自分でも気付いてなかったみたいで、こっちのほうがよりビックリしてました。
沖田くんは両手を合わせてじっと見つめます。
「……ホントだ」
比べると、左手の指全部が2cmくらいずつ長いです。それにしても綺麗な手だなぁ。
「もしかして、剣術の稽古をたっくさんしてきたからですかね?」
沖田くんに教わったように、刀は左手で握るもの。沖田くんの今の利き手は右だけど、よりたくさん使う手のほうが発達して大きくなるとか、いかにもありそうな話だ。
「すごいなぁ。僕もがんばって続けてれば、左手が大きくなるかもしれませんね」
自分の両手も合わせてみるけど、まぁそうでしょうけどバッチリ左右同じ大きさだ。
「……ちぃちゃい手」
……ビックリしたぁ。急に手首掴まれて、また子どもみたいとか言われるのかと思った。
「ツバサ、強くなりたい?」
「はい! もちろん!」
わたしは、何もわかっていない。
新選組隊士として生きるとは、どういうことか。
隊規を見ても、山﨑さんからその意味を教えてもらっても、本当の意味では理解できていなかった。
毎日欠かさず積んでいる稽古は、何の為か。
仕事前のウォーミングアップ、体力作り、メンタルトレーニング、皆さんとのコミュニケーション?
どれも違う。
稽古の成果を出すとは、どういうことか。
どれだけ上手にたくさん、人を殺せるかということだ。
沖田くんが問い、わたしが答えた時、覚悟ができてるなんて当然思われてなかっただろう。
それでも沖田くんは、教えてくれたんだ。
少なくともわたしが、命を落とさないように。
「稽古での試合と違って、実戦は一期一会です」
その意味はわかるか、と念を押すようにわたしの手は離された。握るのではないのは、どちらと答えても、今は真意まで伝わらないだろうというようだ。
「一度対峙すれば、再会することはない」
自分か相手、どちらかが戦闘不能になるか、死ぬから。
生き続ける為には、殺し続けなければならない。
広い意味で表現してしまえば食物連鎖と同じだけど、徹底的な違いは、抵抗しまくる相手に対して、自ら手を下すということだ。
「だから、ひとつでいい。必殺技を身に付ければいいんです」
バトルゲームや戦闘ものアニメでよく聞く単語だけど、よく考えたらカッコよくもなんともない。
現実には、いくら上手に必殺技が使えようと、ヒーローにはなれない。
それを沖田くんは、新選組の皆さんは知っていた。
でもこの時のわたしは、ただいつも通り、元気に返事をするしかなかった。
「はい! 沖田くんの三段突き、教えてください!」
「それはムリ」
もちろん、出し惜しみして教えたくないとか、多分わたしがウザいからとかじゃなくて、技術的に一生かかっても無理って意味だ。
それこそ稽古で披露するなんてことないので、わたしは見たことすらなくて噂で聞いただけなんですけど、一度の踏み込みで一回突いたとしか見えないのに実際は三回突いているという人間離れした早業らしい。
おそらく古今東西、沖田くんにしかできない。
「突きはダメだよ。死に技っていって、実戦には向かないんです」
強さ自慢的な話はしないで、ことに剣術に関してはちゃんと理由を教えてくれるから、ホントにトシサンが言ってたみたいに剣術バ、いや、優しいなぁ。
「突いたら上体が伸び切るし、脂が纏わりついて刀が抜けにくくなるでしょう。その隙に他の敵に斬られて終わりです。狙う部位も、骨を避けなきゃならない、刃毀れするでしょう。大抵が大人数相手だから、いかに最短で片付けるか。ならば狙うのは血がたくさん流れる、太い血管のある部位です」
うーん、他にもいろいろ言われたけど、教え方が斜め上というか実戦向き過ぎてよくわかんないんですけど……でしょうって言われても。
わたしには圧倒的に技術が足りなさ過ぎるから、という前置きは敢えてされなかったけど、結論はこうだ。
「いかに油断させるかが、意外と大事かもしれません。その点は向いてるんじゃないですか?」
「どういう意味ですか」
先生聞いてください! やっと、監察方らしい任務に就くことになりました!
「ええー……ツバサも来るんですかぁ」
なんと、一番隊の皆さんと監察方との合同ミッションです!
「はい! 足手まといにならないよう、がんばります! よろしくお願いします!」
「沖田隊長すみません……万が一ジャマになるようなら俺が背負って後方までぶん投げますので」
つまり危ない時には退避させてくれるってことですよね、さっすが魁さん優しい……あれ? なんか感覚マヒしてる?
いや、でも実際、山﨑さんと魁さんがわたしの稽古の進み具合を見て、そろそろと判断してくれたんだ。
ひたすら潜伏しての諜報活動よりも成果が実感しやすく、かつ一番隊の皆さんと一緒ならば安全だろうと考えてくれてのことだから、やっぱりお二人とも優しいと思う。
「万が一ね……明らかに弱そうだから標的にされますよ。まぁ、オトリにすればいっか」
良くないいいい! 輝かしい笑顔で言わないで!
ええと、今回は、ずっと監察方が探っていた古道具屋さんの枡屋さんでしたっけ? がやっぱりすごい怪しいとかで、一番隊から隊長の沖田くんと林信太郎さんと山野八十八くん、それと何故か五番隊隊長の武田観柳斎さん、監察方から島田魁さんと、そしてわたしで店主さんを尋問、抵抗する場合は捕縛せよとの命令を受けています。
先生はご存じでしょうが、新選組の実務関係を取り仕切るのはトシサンなので、直属の配下ではあるけど捕縛となると監察方だけでは心許ないので、一番隊数名にもお声が掛かったそうです。
山﨑さんを中心として変装までして調べてるんですけど、大量の武器が少しづつ運び込まれてたり、客にしては雰囲気がおかしいし、何度も通い過ぎでしょっていう人たちがたくさん訪問してくるとかで、倒幕派浪士達の拠点か何かになってるんじゃないか、近々大きな動きがあるんじゃないかって疑ってるらしいです。
功労者の山﨑さんはもう枡屋さんは黒と確信してるので、今度は四国屋さんとかを調べてます。
で、万が一の場合っていうのは、周囲に何人潜伏してるかわからないし、監察方の読み通りなら店主を守ろうとして乱闘になるかもってこと。
「子どものお守りをしながらの御用改めなど、沖田さんも骨が折れますな」
お得意のイヤミを繰り出す武田さんは衆道趣味で有名なひとなんですけど、山野くんは隊中美男五人衆とかってアイドルグループみたいなメンバーに選ばれてる人で、まさか少しでも近づこうと、この任務に参加したんじゃないよね?
こうして一旦お庭に集まってる時に急に現れて、自分も行くと言い出すなんて枡屋さんに匹敵するレベルで怪しい。
ちなみに隊中美男五人衆っていうのは、他に楠小十郎くん、馬越三郎くん、馬詰柳太郎くん、佐々木愛次郎くんのことで、何故かいわく付きの美少年ばかりだったらしく、脱走や暗殺を経て残ってるのは山野くんだけ。
このメンバーにドイケメンのトシサンやサノさんが入ってないのは、それこそBLでいうと受け的な可愛らしい系男子が選ばれてたからなんですよね。
「私はこの子を守ったりしないので全然問題ないですよ」
ちょっと……武田さんよりひどい! もはや慣れてきたけど!
それより問題なのは、無用な乱闘を避ける為にあからさまな新選組の御用改めと勘付かれないようにダンダラの隊服を着ないで集まっているのに、武田さんは隊服はもちろん胴まで着けて臨戦状態ヤル気満々ってところ。
ここは新選組が誇る諜報部隊監察方を代表して魁さんに一言物申してほしいところだけど、わたしの髪型への小言が始まった。
「長州の高杉晋作は、出家して坊主にした後また伸ばしてるからあんな中途半端な髪らしいが。その髪、監察としてやっていくには悪目立ちが過ぎるぞ」
常人の倍ぐらいの体格の人に言われたくないんですけど。
結局、武田さんの目的はわからないまま、向かうことになった。
目の敵にされがちなわたしにも、ちゃんと役割がある。
脇差すら持たないわたしの刀をウィンドウショッピングしに来たっていう体で、枡屋さんを訪れるのだから。
「なかなかいいじゃないですか。こんなことなら、はじめくんも誘えばよかった」
斎藤さんが刀剣マニアとして有名だからですよね? それはいいとして、ガチで選んでくれてるんですけど。
元治元年六月五日、河原町四条枡屋。店主は湯浅喜右衛門。
一般客が出入りするスペースは小ぢんまりとしていて、でも所狭しと武具刀剣が陳列され、店主さんひとりが応対している。
「大刀は、これなんかどうです? あと、脇差はできるだけ長いほうがいいですよ。先生の受け売りですがね、大刀の代わりになるくらいの長さでないと」
「さっすが、お武家はんお眼が高い! こちらは黒叡志隆と申します、加賀の業物ですわ」
店の周りをウロウロ睥睨してる武田さんがあの恰好だから、新選組ってバレてるはずなんだけど……店主さん、なかなかの大物だ。
「へ、へぇえ、か、かっこいいいー……おにいちゃあん、これ買ってぇ」
ヤバ、緊張して声がひっくり返る。
「もっといいのがあるでしょう? 惜しまず出してくださいよ」
「……あれあれ、こらぁ、かないまへんなぁ。ちょおっと待っとくれやす」
店主さんが奥へ入った途端、沖田くんは心底ゲンナリという顔で溜息を吐く。
「へたっぴぃですねぇ」
「ごっごめんよぉ、おにいちゃあん」
こっちは初めての、新選組らしいのかよくわかんないけど、ちゃんとした任務でガチガチに緊張してるのに、約一名以外は普通にウィンドウショッピング楽しんでるんだもん。こんな状況ありえます?
「枡屋の奴、遅いですな。中を確かめてきます」
超せっかちに武田さんが奥に踏み込み、この人が一緒に来た理由が読めた気がした。
出世欲をとことん好意的に解釈すると、向上心が高い彼は、近藤局長を始め上層部へのおべっか使いが激しく、手段を選ばないようにすら見えたそのままの手法で、一番隊が出る程の大捕り物で手柄を上げようと目論んでいたんだ。
その読みの鋭さだけは感心する。実際、彼が捕らえたのは、これから起こる大舞台のキーパーソンだ。
「あーあ、もっとゆっくり見たかったですね」
沖田くんは、武田さんが同行するとなってから、彼に手柄を譲る気だったのかもしれません。
小細工しない、近藤局長への忠誠の証は、剣で示すってことですよね?
同じ土俵で戦わないってことかな。うーん……どんだけ嫌いなんですか。
魁さん、林さん、山野くんも後に続き、発見したのはさすがの敏腕監察方の調べた通りの大量の武器弾薬と、かなりの量が処分された後だったけど長州藩出身者を主とした主要倒幕派志士らの密書だった。
……と、わたしは後で聞いたけど、実際に見たわけではないんです。
証拠があろうとなかろうと、捕らえた店主さんに話を聞くことには変わらない。
ここから先は、また監察方の仕事だ。
確かに帰り道で魁さんはそう言っていたのに、前川さんの敷地内にある土蔵から締め出された。
「ガキの見るもんじゃねぇ」
見る? 話を聞くのではなくて?
魁さん達を引き連れて中に入るトシサンの眼は、女は引っ込んでろと言っているように見えた。いや、普段からしてほしいわけじゃないですけど、こんな時ばっかり女扱い?
なんでもかんでも首突っ込むのもどうかと思うし、何より同じセリフで沖田くんも追い出されてたので、すごすごと退散した時にはもう、わたしの腹時計では10時のオヤツ頃だった。
土蔵に籠る隊士と、見張りの隊士以外は、外出厳禁、自室待機を命じられたので、そういえばと訊いてみました。
「あの、どうしていっつも、刀を二本持ち歩くんですか?」
わたしとほぼ同じ扱いで除け者にされたことが余程不服だったらしく、ずっと無言で刀にポンポン白い粉を叩いてた沖田くんは、その作業を止めないままに呆れた声を出した。縁側に出て障子を開けたままにしている後姿は振り返りもしない。
「……なんにも知らないんだから」
その通りですけど……実際、タイムスリップしてきた現代人でしかも女じゃなくても、知らないひとはいたと思うけどなぁ。
剣術を教えてもらってるからもうさすがにわかるけど、バッグと違ってダルいからってヒョイヒョイ持ち替えるわけにはいかない。常に左腰に長い刀を一本と短い刀を一本と差しているけど、かなり重いはずだ。すごい現代人らしい見解だけど、なんか骨盤とか身体全体が歪みそう。
「武士がなぜ、二本差しなのか。という話なら……そうですねぇ、単なる目印です」
わたしの反応が余程怪訝そうだったからか、すぐに付け足してくれた。
後から考えて言葉の意味がわかると、痛烈な皮肉にしか聞こえない。
世間的にいう、ソトヅラだけの武士が持ち歩く大小二本差しは、お飾りだ。
主君の為に一命を賭して剣戟を斬り開く為の、魂。
太平を貪る武士は、生涯の一度たりとも、その為に剣を抜くことはなかったという。
対して新選組の剣の使い方は、良い意味で消耗品と言っても過言ではない。
「新選組が二本差しなのは……これは先生の教えですけどね」
と、さっき枡屋さんでも言っていたことを前置きする。
「大刀を損じたら脇差で、脇差を損じたら素手でも戦え。戦場では誰も待ってはくれないんだ。だから脇差は長ければ長い程いい」
「……予備ってことですか?」
我ながら頭悪そうなコメントだな、と思うけど、沖田くんもふと笑ってくれた。
「その通りです。だから、やっぱり枡屋さんで買っておけばよかったですね。外出厳禁なんて、只事じゃないですよ」
監察方が搔き集めた情報と、トシサンの判断を信じる沖田くんは、これから大々的な出動命令が出ると踏んでるんだ。
そうならば、わたしなんかの刀がどうこうより、沖田くん、ちゃんと病院行ったのかなぁ。
「まぁ、昨日今日手にしたところですぐ慣れるものでもないし」
特に体調が悪いように見えないのに、あんなに熱があるなんておかしい。
「もし斬り合いになったら……走るの得意でしょう? その場を離れるか、隠れててください」
沖田くんのことだから、もし治ってなくても無理してしまうんじゃないかな。
「なんです、変な顔して。……守ってあげる、とでも言うと思ってました?」
あ、すいません聞いてませんでした。え、ってか顔が変って言われました?
沖田くんは話をしながらお粉ポンポン……多分、刀の手入れだと思うんだけど、それを終えていて、縁側に腰掛けていた。
いざという時、わたしのことを守ってほしいなんて、思ってませんよ。
だって剣豪揃いの新選組を代表する遣い手さんのジャマするわけにいかない。
それにホントの武士な沖田くんの主君は局長だ。
守らなきゃならないのは“先生”ですもんね。
「いざとなったらダッシュで逃げます。なので……足を見てもらってもいいですか?」
テーピングの具合を見てほしいとお願いしたのだけど、もちろん下心がある。
額に触れるなんてできないけど、やっぱり熱のことが気になるから。
「痛むんですか?」
こういう時……ひとが困ってる時の沖田くんってすごく優しい。
なのにわたしは、確かめることができなかった。
ちょうど、全員が広間に集まるようにとの声が掛かったから。
もし、微熱がまだ続いていることに気付いていれば、例えばトシサンに伝えることができていれば、沖田くんは屯所で待機、なんてことが有り得たのだろうか。
広間では、局長とトシサンが前の方に、少し距離を取ったところには色の白いふっくらとしたひとが、それぞれ皆さんと向かい合う形で座っていた。
怪我の療養中とかで今まで見たことがなかったけど、位置的に多分、山南さん……鬼じゃないほうの副長だ。
それぞれ隊長を先頭に隊ごとに並んでいるみたいで、沖田くんは一番前の方に行ってしまったけど、ほぼ同じタイミングで魁さんが手招きしてくれた。
「漸く、奴が吐いた」
え、もう話が始まるの? だって、ざっと見てもまだ三十人ぐらいしかいなくない?
「名は、古高俊太郎。長州間者の元締めだ」
まさか、出動できる隊士が、これだけってこと?
「奴らの計画はこうだ。強風の夜に御所に火を放ち、混乱に乗じて天子様(今上・孝明天皇)は長州へ御動座いただく。さらに、中川宮(中川宮朝彦親王)の幽閉、禁裏御守衛総督(一橋慶喜公)そして我らが殿・肥後守様(京都守護職・会津藩主松平容保公)の弑逆」
トシサンはベラベラ話すし、皆さんすごい動揺でザワザワしてるけど、わたしがわかったのは、そんなことしたら、京都中が大火事になっちゃうっていうことだ。
これ、テロってことですよね? 例えどんなに高尚な理想があるにしても、平和に暮らす人々の日常が突然奪われるなんてこと、絶対にあってはならない。
何も知らない子どもたちが笑っていられる未来を奪う権利なんて、どんなに偉かろうが同じ人間同士で誰にもあるわけない。
「この蛮行の協議が今宵、開かれるらしい」
皆さんがさらに熱り立つ。口々に、ええと、ごく丁寧な言葉で表現すると、それは大変ですね、絶対に止めなければなりません、すぐに行きましょうって感じです。だいぶ脚色しましたが。
「たりめぇだ。俺達が行かねぇでどうする」
あ、このひとの分、丁寧変換するの忘れてました。
「だが問題は、会合場所がハッキリしねぇのと、何十人も集まってるかもしれねぇってことだ」
さすがにそこまでは自白しなかったってことかな? もしくは知らないとか?
「援軍要請はしたのかい?」
「ああ、斎藤に行かせた」
山南副長って、仏の副長と呼ばれてるだけあってすごく優しそうだなぁ、ジェントルマンって雰囲気……ホント正反対、いや、ゲフンゲフン。
「監察方の調べによると、四国屋か池田屋。だが、他の旅籠ってことも有り得るから無視できねぇ」
虱潰しに捜すしかない、援軍を待って総出で手分けしてやればなんとかなる、屯所を空にするわけにはいかない、古高奪還の為の襲撃があるかもしれない。
「四国屋が固いだろうね。彼らの常宿だったろう」
また皆さんの討論が始まったけれど、わたしの脳内は聞き覚えのある単語でいっぱいだった。
池田屋って……イケダヤジケンの、イケダヤ?
わたしの問題作でそこまで書かずに挫折してるから全然詳しくは知らないけど、取材旅行前に見た京都ガイドブックで“池田屋の跡地は現在では居酒屋になってます”の文字と共に写真が載っていた。
なんの面影もないのにこんなに大きく載るなんて余程有名な事件なんだろうな、とは思っていたけど。
え、もしかして、池田屋事件なう?
この会議では、各自準備を整えて、敵に勘付かれないように私服でバラバラに祇園会所に集まり、そこで援軍を待ちつつ軍備を整えてから出発しよう、というところまで決まって解散になった。
あの有名な、誠の旗を先頭に意気揚々と隊列組んで向かうわけじゃないんだな。
なんとか新選組に入ることができてからもう2か月くらい経つんだけど、まだわたしにはダンダラ羽織がない。
でも、わたしでも知ってる程の有名な事件……とは言っても、旅行ガイドブックで見ただけなんだけど、こんな時でさえ、皆さんの中で隊服を着てる人は疎らで、数人しかいない。
普段からかなり頻繁に隊服を着ていて、今日もしっかり持ってきている沖田くんに訊いてみた。
この非常時にって思われるかもですが、一緒に祇園会所で支度をしている沖田くん自身が、周りの皆さんと談笑したりいつもと全然変わらない様子だからつい、つられてしまうんです。
「僕の隊服、いついただけるんですか?」
胴を付けながら少し笑われた。
「ああ、これ、もうすぐ廃止になるかもしれなくて。だからツバサとか新入隊士の分は注文してないんだと思う」
ええ? 新選組といえばのトレードマークみたいなものじゃないんですか?
全員がずっと着てる物だとばかり思ってましたよ。
「汚れが目立つし、ほら、派手だから。人気ないんですよね」
好き嫌いの理由で着なくてもいいものをよく着てる沖田くんは、気に入ってるってことなのかな。普段の服装とか、派手好きとかじゃないのにな。
「鴨さんの形見みたいなものだから」
カモ? いや、思いっきりハトが豆鉄砲食らったような顔しちゃいましたけど。
「芹沢鴨さん。もう一人の局長だったひとです。この隊服は、先生と鴨さんが作ったんですよ」
元局長って、大砲ぶっ放して粛清されたっていう、あの? え、それに鴨って本名ですか? 翼もたまに男の子みたいな名前って言われたけど、かなり苛められそうな名前ですね。
「……鴨さんが好きだったんですね? じゃあ、つらかったですね」
形見なんて言って大事に着てるくらいだもん、きっと仲が良かったのかな。それなら最期は辛かったろうな。
「全然。斬ったのは私ですから」
斬ったって、そんな平然と……それに隊規違反は切腹じゃないんですか?
この時は正直かなり引いたけど、詳しく知ると沖田くんの気持ちがなんとなくわかる。
最も敬愛する近藤局長の為の決断だもの。辛いの悲しいの、言えないですよね。
それでも、無理して笑わなくてもいいのにな。
「って、沖田くん、そんな恰好でいいんですか?」
鎖がたくさん繋がったカーディガンみたいなもの、着込みの鎖帷子を着けている人達や、頭に鉄の帽子みたいなもの、首元に鎖帷子の付いた兜を被っている人も居るけれど、沖田くんは胴のみで、稽古と変わらないというか籠手と面がない分ほぼノーガードの軽装に、隊服を羽織って紐を結んでいる。
「だって、暑いでしょ。そういうツバサも同じじゃない」
もう夜なのにかなり蒸し暑い。確か援軍の皆さんと手分けして一軒一軒周るって言ってたから走ったりもしそうだ。それに、あんな重そうなもの着けてたら動きがいつもより4割は遅くなりそう。
「足も治りましたし、今ならフルマラソン全力疾走できる勢いです」
治ったというか、皮が少しくっついたりまた剥けたりを繰り返しながら、かなり皮が厚くなってきて痛みはなくなってきていた。
皆さんが続々と集まってきて、しばらくはいつもと変わらず、なんなら少し呑気なくらいの雰囲気で着替え、装備を整えて、腹が減っては戦ができぬで、おにぎりみたいなものを食べているひともいた。
でも、次第にそれぞれが、妙だと気づき始める。
援軍が来ない。とうに準備万端の局長とトシサンが眉間を寄せてコソコソとお話をしてる。
普段から共に京の治安維持を担う会津藩と桑名藩に援軍要請に行っていた斎藤さんはもう戻ってきている。隊伍を整え、すぐに向かうとの返答だったとのこと。
祇園会所全体に漂ってきた不穏な空気を、トシサンが断ち切る。その割には、いつもより暗く重い声だ。
皆さん、出動が待ちきれないというように、屯所の広間と同じく自然と隊列を組んでいた。
遙か後方かつ、沖田くんいわく何も知らないわたしでも、なんとか理解できる内容だった。それだけ、事態は逼迫していた。
今日は祇園御霊会、現代でいう祇園祭の宵山。元々、多くの人でごった返していて、風も強め。
古高俊太郎が捕まったから、何もかも自白してしまうことも考えて、今夜強行突破も十分有り得る。むしろ逆の立場ならそうするだろう。
既に戌の刻(午後八時頃)を回る。これ以上、援軍を待てない。もし戦闘が始まってもその途中には合流するだろう。
俺達、新選組だけで行く。
四国屋方面から順番に行こう。
トシサンの声に皆さんが意気揚々と返事するけれど、待ったを掛けるのは山南さんだ。
「それは危険過ぎる。援軍は必ず来るんだ、待つ方がいい」
「サンナンさん、あんたは屯所を固めててくれ。残留隊士連中と、襲撃を防いでほしい」
確かに、大事な仲間が捕虜になったなら、助ける為に屯所を襲う可能性はかなり高い。でもこんな状況と言い方じゃ、山南さんは除け者みたいにされたと感じるんじゃないかな。それがわからないトシサンではないはずなのに。
ここからは、決行派と待機派に分かれての討論になった。
うーん、モヤモヤするぅ!
「あ、あの!」
新選組幹部皆さんと、筋骨隆々かつ漢気満々な隊士さん達を差し置いて手を挙げちゃう空気読めない系チンチクリン新人隊士ってのはどこのどいつだぁーい? あたしだよッ! って、わああああ! もう引っ込みつかないいいいいい!
……助かった! 皆さん激論中だから、後ろの隅っこの短い挙手なんて誰も気づかない……セーフ!
じゃない。ホッとしてる場合じゃない。
援軍を待っていては遅すぎる。かといって、全員で四国屋方面から順番に向かうとなると、池田屋は川を挟んだ反対側だからかなり後回しになる。
テロを止めることができなければ、新選組が間に合わなければ、京都に住む皆さんはどうなるの。
好奇の的だったわたしに初めて声を掛けてくれたお姉さん、一緒に遊んだ子どもたち、島原の可愛い舞妓さんたち、そして、お世話になりっぱなしの八木家と前川家の皆さん……余所者のわたしでさえ、思い浮かぶ顔がたくさんある。
尊王とか倒幕とか佐幕とか、そんなのとは別に、ただ毎日を安らかに楽しく過ごす人たちがたくさんいる。
それを守るのが、新選組の務めですよね?
「はい! あの! すみません、皆さん聞いてください!」
手を挙げて、それでも十分小さいから、立ち上がってピョンピョン跳ねた。
さすがに隣の魁さん、前にいる沖田くん、そして局長も何事かと目を見張っている。
え? トシサン? めっちゃ鋭い眼光で睨んできてる気配バシバシ感じますけど目が合ったら石になりそうなんでスルーします。
「ツバサ、なに?」
皆さん確かに振り返ったけど、それこそ完全にスルーされそうだったのに、シンと静まり返った。
いや、沖田くん、そんな部屋で話してるみたいに相槌打ちます?
「あ、あの! 僕は池田屋だと思います!」
皆さんカイジばりに、ざわ…ざわ…し始めたけど、今度はトシサンの一声が入る。
「根拠は?」
わたしは約百五十年後の未来からタイムスリップしてきたので、池田屋事件という単語を知ってます。何がどうなったかまでは知りませんが。
なんて正直に言えないいいいい!
「ええっと……」
「まさか、調べたのか?」
いや、トシサンったらわたしの能力過信しすぎ! まぁ、そりゃそうだよね、剣術すらできない女を新選組に入れてくれるくらいだもん。
でもチャンス!
「そうです!」
でも詳しいことは、なんも言えねぇ!
それなのに考え込んで顎に手をやるのは、きっとトシサン自身が人間離れした直感で、池田屋が臭いな、と思ってたからなのかも。
「皆、俺を信じてくれるか」
「はい先生!」
ずっと腕を組んでいた局長が、真一文字の重い口を開いた。食い気味に返事をしたのは沖田くん。
少し遅れて皆さんが応えると、局長は皆さんを見据えながらも温かい眼差しで話す。
どんなに混乱していても、この大将に付いて行けば間違いない、そんな安心感を皆さんが持ってるのも納得だ。
「隊を二分にする。池田屋方面は俺が率いる少数精鋭で行く。総司、永倉さん、平助、そして周平」
呼ばれた一人ひとりが返事していくけど……え? 終わり? 少な過ぎませんか?
「他の皆は副長と四国屋方面に向かってくれ」
きっと局長の判断は、わたしなんかの意見を鵜呑みにしたのではなく、全幅の信頼を預ける沖田くんとトシサンがわたしの話をしっかり聞いてくれたからだ。だから無視しなかった。
「玉が取られたら仕舞いだ。そんな危ねぇこと、局長にさせられるか」
トシサンは、公的にも私的にも、局長が一番大事。
失うわけにはいかないですよね、わたしもそう思います。だからすぐに助けに来てください。
「僕も連れてってください! アタリなら、すぐに副長のところに走って伝えます!」
「うるっせぇ! てめぇは屯所で留守番だ!」
遠くにいてもビリビリ振動が来るほどに怒鳴られた。
近くであの剣幕を食らっていたら、屈強な武士でも裸足で逃げ出すだろう。
けどわたしは、少年時代の破天荒だけどどこか憎めないトシサンも、沖田くんが優しいと微笑むトシサンも知ってる。
わたしが真剣の重みを知らない、しかも女だから、足手まといになるのを懸念したのはもちろんだけど、ケガをしないように気遣ってくれてるんですよね。
「ったく、とっととクソして寝ろ。クソガキ」
……ちょ、あれ? そうです、よね?
「いいじゃないですか。一緒に行こう、ツバサ」
あなたが望むのなら、わたしは何者にでもなる。
闇夜を奔る使い番でも、月を裂く斬り込み隊でも、望むままに。
間者でも、尊王志士でも、新選組隊士でもない。ただの、未来から飛ばされてきた女だ。
だけどわたしはあなたと、同じものを見ていたい。
あなたが笑う時も怒る時も、悲しむ時も。そばにいたい。
言葉にすればすごく陳腐な、ありきたりな感情だ。
名を付けるなら、わたしが今まで知らなかった感情だ。
「ツバサは私より足が速いんですよ。それに、先生は私が、絶対に守ります」
真剣を持ったことがないなら足で。走れなくなれば素手でも戦います。戦場では誰も待ってくれないなら、自分から飛び込んでやる。
虱潰しって、ガチで一軒一軒の旅籠の戸を叩いて廻るんですね。
「御用改めである!」
いつでも先頭を切って踏み込む別名・魁先生の平助くんの声が月夜に響き、宵山に賑わう市中でも、充分に際立っている。
ごく当たり前にやってるけど、これってものすごい勇気のいることなんですよね。
もしここが敵地で相手が待ち構えている場合、門を開けた瞬間に斬り付けられることが有り得る。
だから普段、新選組では死番という、漢字にすると殊更に縁起でもない役割を各隊ローテーションで持ち回っていて、見廻り中、狭い路地に入る時や屋内に入る時には死番が必ず先に立つ。これだけ聞くと恐ろしく思えるけど、いざという時に怖気づかないように数日前から心の準備をさせておく、という合理的かつ平等かつ思いやりにも溢れた、トシサンが作った仕組みらしい。
その仕組みをある意味ガン無視して、いつも皆さんを引っ張るのが平助くんだ。
踏み込んで、違うとわかればすぐにまた走って次の旅籠へ。
部活で走り込みには慣れていたけど、高校卒業と同時にやめてしまっている。たまに趣味程度にジョギングはしていたものの、かれこれ四年のブランクで少しキツイし、局長の養子になったっていう近藤周平くんもかなり息を切らしている。
出発の前に、局長に初めて声を掛けられた。
「総司と同室になったそうだな」
絵に描いたように武士らしく、いつもぐっと結んでいる口を綻ばせて、まさに破顔といった感じで笑いかけてくれる。笑窪がへこんで、一変して親しみやすい印象だ。
「挨拶が遅れてすまない。俺は総司の親代わりみたいなものでな。どうだ、迷惑を掛けてはいないか」
親代わり……兄じゃないところがなんかジワリます。
局長隊とトシサン隊で完全に分かれていたからか、現代でいうとホントに友だちのお父さんから挨拶されてるかのように、気軽かつ親身に話してくれた。
「ちょっと先生! もう、参ったな。すぐ子ども扱いをするんですから」
と、言いながら、沖田くんすっごく、すっごく嬉しそう。
「いえ、僕のほうが迷惑かけっぱなしで」
「そうそう、私はしっかりお兄さんをしてるんですからね」
ちょっと沖田くん! もう、参ったなぁ、子どもみたいに言うんですから、反論できないじゃないですか。いや、迷惑かけまくってるのは事実ですが。
「そうか、これからも仲良くしてやってくれ」
その時とは全然違う顔で、わたし達を導いてくれる局長。
沖田くんが、新選組の皆さんが惹かれて惚れ込んで、命を賭して付いて行こうという気持ちも納得だ。
天性のヒトタラシって感じ。ううん、局長自身が、人が大好きなんだろうな。
またピタリと、足を止める。
ここが、池田屋。煌々と、提灯がその名を映す。
「ツバサ、走って。ここで間違いない」
息の一つも切らしていない沖田くんが、わたしのほうをチラリとも見ずに告げる。
局長の脇にピッタリとついて、二階を見上げている。
え、まだ入ってもないのに、沖田くんにはどうしてわかるの?
いや、沖田くんだけじゃない。
局長が目配せすると、突入隊として選ばれた局長以下四人とは別に、いざという時に屋外へ逃げる敵を捕らえる目的で同行していた安藤早太郎さん、奥沢栄助さん、新田革左衛門さんが裏口や大きな窓がある場所など、各々出口になりそうな箇所の配置につく。
新八さんはここに来てやっと刀の鯉口を切り、平助くんは鉢金という額部分に鉄板がついた鉢巻きをぐっと締め直した。
何十人もの敵が、膝を突き合わせて談合している、もしくは新選組襲来を聞きつけ、今か今かと待ち構えているかも知れない。
ここへ来てまさか、放火テロなんてやめなさい、はぁわかりました、なんて話し合いで済むわけがない。
そして、会津藩と桑名藩の援軍を待つ、という選択肢もないらしい。
走らないと。その為に、わたしはここに来たんだ。
思った瞬間、景色がガクンと下がった。
やば、腰が抜けたかも。
足がガクガクして、立てない……!
「大丈夫だから。気を付けて行っておいで」
なんでそんなに余裕なの?
これから、わたしなんかに計り知れないくらい危険な場所に踏み込もうというのに。
さっきまでまた無表情だったのに、なんでそんなに優しく笑えるの?
疑問は尽きなくても怖くても、それでもわたしは、差し出された手を、なんの躊躇いもなく取る。
だって、あなたの笑顔を守りたい。ケガの一つだって、してほしくない。だから早く行かなきゃ。
「……! 沖田くん、やっぱりまだ、」
ぐっと手を引かれて、身体を起こされた。シィッと口元に指を当てる。
まだ、熱があるじゃないですか。
「ダ、ダメですよ!」
局長に言えば……沖田くんを我が子のように大事に思う局長なら、熱のある沖田くんに無理をさせたりはしない。わたしのいうことは聞いてくれなくても、局長の言いつけなら話は別。池田屋に入るのを止めさせてくれるはずだ。
「そんなことしたら、あなたを許さない」
近付く耳元で囁くのは、甘い言葉なんかじゃない。
でも、ゾクリとしてる場合じゃない。
そんな脅したって、全然怖くないんだから! って言ったらウソっぱちだけど、でもあなたを失うかもって思う方が、途方もないくらいに怖くてたまらない。
「っ……だって、このままじゃ、」
「ツバサ……お願い、誰にも……誰にも言わないで」
平助くんが、引き戸に手を掛ける。
止められないなら、わたしのすることはひとつ。一分一秒でも早く、トシサン隊を呼ぶことだ。
「御用改めである! 手向かい致すは容赦なく斬り捨てる!」
現代でも、前夜祭である宵山のほうが全国からたくさんの観光客が集まるらしい。その人混みを掻い潜り走る。
このチビッコさ加減を得だと思ったのは、生まれて初めて。
祇園囃子の風情も美しい山鉾も素晴らしいのだろうけど、楽しめるのはまた来年? 少なくても今は到底無理そうだ。
火事場のナントカヂカラか、わたしは一直線にトシサン隊を見つけた。
そういえば、普段は超がつく程の方向音痴なのに、就活中に今の出版社で面接受けた時とか、ここぞという時って迷わないんだよね。
トシサンは門の前で仁王立ち待機して、四国屋よりも随分手前の旅籠の中を皆さんが調べているところだった。
観光客を含む京都の皆さんは新選組が来ていると察してか、遠巻きにそこを避けながら緩やかに流れていく。
「トシサン!!」
正直、傍に駆け寄るのも定型文的に詳細を報告するのも時間が惜しい。
すぐ池田屋に戻らないと。
わたしの力の限りの大声ですべて察したトシサンは、すぐに命じた。
「池田屋へ向かうぞ!」
大人数で隊伍を組むかつ重装備の皆さんより、わたしのほうが数段早い。すぐに踵を返して来た道を戻る。
「翼どこ行く! てめぇは屯所で待機だ!」
わたしの大声に負けず劣らずの怒鳴り声は聞こえない振りのスルーで、また一目散に走った。
池田屋は真っ暗だ。でも感じるのは漆黒ゆえの不気味さなんかじゃない。
中からはたくさんの男のひと達の裂帛の気合や怒号、断末魔と無数の足音。
あらゆる場所が立ち並ぶ山鉾の華やかさで満ちているのに、ここだけは、月明りが異様に映える。
「ナギ、藩邸まで走るぞ!」
「イッテェー! マジ死ぬかと思ったー!」
沖田くんと瓜二つの別人が出てきたのにぎょっとしたけど、その横をすり抜ける。
まさかわたしみたいな、丸腰かつダンダラ羽織も着けてないチビッコが曲がりなりにも新選組隊士だと思わないだろうな。
お互いそれどころじゃなさそうなのですんなり行き違って中に入ると、頻りに三人の猛者・局長、新八さん、平助くんの大音声が目立って聞こえる。
そうか、この暗がりだから。
万が一にも同士討ちなんて起きないように、お互いの無事と位置を知らせ合ってるんだ。
なんて、感心したのはほんの一瞬だ。
じゃあどうして、沖田くんの声が聞こえないの?
沖田くんが剣を持っている時の声は、局長に似ていて少し高くて、かつ大きい。
局長が道場主である天然理心流試衛館の風潮、そして局長自身のポリシーが、剣は気組みつまり気合だからだ。
目の前の階段を駆け上る。いや、そんなにスムーズにいかない。途中に倒れる人に蹴躓きながら、気も漫ろにやっとで攀じ登った。
「沖田くん!」
声が上擦る。足が震える。でも、やめるわけにはいかない。素手で這ってでも、あなたを見つける。
多分、全ての部屋の襖が開いている。柱に身を預けてしまうくらい心身共にヘロヘロになって、一番端の部屋に入った。
そこに、スポットライトが当たってるみたいだ。
ううん、正しくは逆光だけど。
開け放たれた窓から差し込む月明りを背に、壁に凭れて座る沖田くんは、ガクリと頭を垂れている。
手元には、沖田くんの愛刀非人清光が、血の滴るままに転がっていた。
「お、沖田くん! 沖田くん!」
駆け寄ろうとするわたしの足元に、数が多いのとあまり直視できないのとで、数えきれないくらいの人の身体がこれでもかと何回もぶつかる。
き、斬られてるのかも! いやだ……ウソでしょ?
やっと触れた身体に、ケガはないか目を凝らす。けど、嫌でも勝手に溢れる涙と動揺で泳ぐばかりだ。
沖田くんが誰より強いのは知ってる。
でも、あんなに熱があった。それなのに走って、こんなにたくさんの相手と戦って。
何があっても……斬られててもおかしくない。
……って、あれ? 隊服、ちっとも汚れてないんですけど。それこそウソでしょ? この状況で。
眼を閉じる沖田くんの息が早い。寝顔初めて見た……じゃなくって。
思わず額に手を当てる。すごい熱だ。
「沖田くん? 沖田くん!」
どうしよう……気を失ってるんだ。医療知識なんて全然ないけど、あまり動かすのも悪そうだから軽く肩を揺するけど、全然反応がない。
ケガはないみたいだけど、このままここに居たら治るものも治らないし、
「沖田? あの沖田か」
敵に、見つかってしまう。
その人は、羽織も袴も全身が真っ黒だ。
血刀を提げて、ゆっくりとこちらへ近付く。時折、味方だったはずの人たちを、乱暴に足で蹴り退かしながら。
月明りの路を、ゆらりと進んでくる。
「お前も壬生浪がか? こんなガキまで入れゆう程、人手が足らんじゃか」
そうでもないですよ。病人を狙って剣を振るう卑怯者まで、メンバーにいるそちらに比べたら。
「幸せなヤツじゃ。儂の友はみな、苦しんで死んだちゆうに、寝ちょったまま逝けるんやき」
絶対に、沖田くんは死なせない。
先生、史実での沖田くんは、池田屋事件の後も生きてて、活躍してますよね?
そうか。ならわたしは、このために幕末に来たのかも。
沖田くんを守る為。
こんなところで、こんなやつに斬られたりしない。
黒い人が、刀を振りかぶる。屋内でそんなに上段まで? それこそ冗談でしょ。あ、抵抗できないと思って油断してるのか。
沖田くんの身体をぎゅっと抱きしめる。
沖田くんは、わたしが守る。
……は? いや、違う。
これが守る? バカじゃないのって、笑われちゃう。
黒い人は、グッと足に力を入れて踏み込んできた。畳が沈み込むのがわかるくらい。
――……
「いかに油断させるかが、意外と大事かもしれません。その点は向いてるんじゃないですか?」
――……
こんなんじゃ、わたしが先に死ぬだけだ。
ここにはわたししかいないんだ。わたしが死んだら、守るなんてできない。
非人清光を手に取り、振り返りざまに前へ、真っ直ぐに伸ばした。
「ぐああっ」
肉を裂く、めり込んで奥まで入っていく重み。皮膚と血管と内臓と順番に噛み食い千切る刃。何かに、多分骨にぶつかって止まる。
夥しい返り血が、見開いたまま閉じるのすら忘れた眼に入って、前が見えない。傷口から刀から伝って、黒い血がわたしの指を、腕を這うのをその温かみで感じる。
わたしは言葉にならない、なんだかどこから絞り出したのかわからないような声を上げていた。それが自分のものだとは、すぐには気付かなかった。
震える手を柄から離した。罪を否定するかのように。
刀は黒い人の腹に刺さったまま、わたしの髪、顔、手、身体中は、黒い血塗れだ。
真っ黒だ。前が見えない。眼を力任せに拭う。その手も真っ黒だ。何も見えない。
苦しい。息ができない。ずっと叫んでるからだ。
身体中が、震えて止まらない。自分で、自分を抱きしめる。
痛い。眼が痛い。異物への拒否反応だ。涙が止まらない。
人を……人を斬った。刀で。殺した。この両手で。
「おのれ……」
上の方から声が落ちてくる。黒い人の声だ。
下を向いているはずのわたし、眼を開けているはずのわたしには、座る自分の足が見えるはずなのに。まだ、真っ黒だ。
眼を拭う。何を見ようとしているのか。でも真っ黒は嫌。
やっと明るくなった視界をさらに助けるのは、白々しく冷たい月光。
わたしの背後から伸びた刃が、黒い人の首の皮を裂いていた。
脇差で斬ったんだ。空を裂く音は、血を払う為。
これは……誰?
わたしの知ってるあなたじゃない。
こんな沖田くんは、知らない。
「……だから、突きはダメって言ったでしょう」
横を通り過ぎる、声が聞こえる。わたし、叫ぶのをやめていたんだ。でも、息は苦しい。喉が嗄れている。
仰向けに倒れた黒い人の腹を足で踏みつけて刀を引き抜くと、懐紙で血を拭いた。
すぐに刀を引かなかったから、脂が巻いて抜きにくくなっていたんだ。
振り返る、月光を浴びる浅葱色の羽織が、黒い血で汚れている。
「ツバサ、立てる?」
差し出してくれる手。少しの血もついていない、綺麗なままなんですね。
同じ一夜なのに、躊躇なくすんなり取れたこの手に、今はもう触れられない。
名を付けるなら、ありきたりのこの感情は恐怖。
わたしは、怖い。
人を斬るのが。当たり前みたいに、人を斬る沖田くんが。
一際、階下が騒がしくなる。援軍の到着だ。
副長のよく通る声が聞こえている気がしたけれど、耳の奥が詰まったみたいに、水の中にいるみたいに篭っている。
わたしはぼんやりと、沖田くんを見上げていたような気がしたけれど、実際は違った。
じわりと、震える身体は後退りをする。
さっきのように、この手を借りなければ立ち上がることはできないのに。
沖田くんは、突然ふらりと、また座り込んだ。
「……っ沖田くん! 大丈夫ですか!?」
足がうまく動かないわたしは、やっとで這いつくばってまた、身体に触れる。
言葉が出た。良かった。わたしはちゃんと、このひとの名を呼ぶことができる。
こんな沖田くんは知らないと、全身で拒否をしていたくせに。
あなたが生きていてくれたこの熱が、掛け替えのないものだと感じることができる。
もしあのままでいたら、わたしはどうしていただろうか。
走って逃げていたかもしれない。沖田くんから。新選組から。
「……僕は、誰にも敗けることがない。刀を持っていて、怖いなんて思ったこと、ない」
額に両手をあてて、項垂れる沖田くんは深く溜息を吐いた。
「初めて、怖かった……ツバサが、斬られるかと」
顔を上げてわたしを見つめて、少しだけ震える手で口を覆う。
人を斬る狂気に酔って悦しむ……沖田くんは、そんなひとじゃない。
ただ、居場所を失わないように、求められる自分であるように、大切なひとを守ることができるように、生きる為に、剣を手にする。
「でもツバサは、もっと怖かったね。僕の為に、」
何も言えず、首を横に振る。あなたの為に人を斬ったとか、そのお礼とかは聞きたくなかった。
血に塗れた頬は、止まらない涙で洗い流された。その頬に、沖田くんの手が触れる。
「いっ!!」
ツバサ涙目! めっちゃくちゃいい音しましたけど! いや、ほっぺを両手で挟み込まれたかと思ったらバチンと一発思いっきり叩かれましたけど! え、なに? 蚊でも留まってましたかね? 血の一つや二つ吸われた方がマシですけど! パパにもぶたれたことないのに!
「さっさと立って。下に行きますよ」
え、気合い入れの一喝ってこと? それにしても容赦なさすぎません? 猪木さん?
「この辺で寝といてくださいよ! まだ熱あるんだから!」
トシサンが来てくれて、我武者羅に斬りまくれ戦法から、捕縛中心に切り替わり、収束間近の頃に漸く会津桑名両藩の援軍が到着していた。担架ででも運んでもらった方がいいと思う。
「健康なツバサより病人の総司の方が役立ちますからね。あ、またこの辺でへたり込んどきます? 文字通りの腰抜けさん」
とっくに立ち上がってる沖田くんの手を借りるのは癪だから、羽織の裾をこれでもかと引っ掴んで立って、
「立てますぅー! 沖田くんより早く走れますぅー!」
その場でヒョイヒョイ足上げをして見せる。
一階は、もう新選組の独壇場だった。
そう、待ちに待ったでやっと到着した援軍は狭い旅籠内で混乱が起きないよう、という建前で、実は手柄を奪われないようトシサンが新選組しか中に入れていないんだ。
会津・桑名藩の戦国時代よろしくの鎧武者達は、各藩邸に逃げ込む残党狩りに出ている。なぜ逃げる者をわざわざ追うかというと、現代でいう八・一八の政変で京都を追われたはずの長州藩士達が密かに京都に侵入しているからだ。
「てめぇら、心配かけやがって。この忙しいのに」
この忙しいのに、階段を降りてきたらすぐに見つかって、睨みつけられた。
「翼、俺の命令には逆らうなっつったろ」
確かに、王様の命令はゼッタイを条件に入隊を許してもらったから、約束を破った悪者はわたしだ。
「ご、ごめんなさい」
心配した、と言ってくれた。そりゃそうだよね、剣術の稽古を始めたばかりで、しかも丸腰でろくな防具も着けてない女がこんな修羅場に飛び込んで、無傷なのが奇跡だ。
「土方さん! 私のせいなんです」
「……総司、どういうことだ。って、お前、真っ赤じゃねぇか」
ようやく熱があることがバレた沖田くんは、戸板で運ぶというのも聞かずに局長と副長の後ろ、一番隊隊長の位置に並んで、誰の手も借りずに少しもふらつくことなく歩いて帰った。
正式に隊名を賜ってからも未だに壬生浪と呼ばれていた新選組は、やっと功績を認められたのか、誠一字の隊旗を先頭に眩しい朝陽に照らされてやんやと大歓声を浴びながら屯所までの大通りを凱旋した。
こんな大観衆の中を横になって運ばれるなんてその誇り高さが許さない、沖田くんなら意地でも歩きたい気持ちだけはわかるけど、やってのけるなんて。
池田屋事件の顛末は、先生はご存じなことばかりでしょうが、一応ご報告しますね。
池田屋突入精鋭部隊の皆さんは、局長はなんとご自身も愛刀長曽祢虎徹も無傷。さすがの局長、国士無双ですね。
平助くんは、あまりの暑さに鉢金を緩めたところを斬りつけられて額に大ケガをしてしまいました。
新八さんはその平助くんの窮地を救おうと応戦中に親指を斬られていたけど、その後もトシサン達が来るまでピンピンしてたらしいから、実質途中からは局長と新八さんたった二人で戦っていたことになりますよね。
え? 周平くんはちょっとよくわからないんですけど、局長が言うには槍を折られてしまったらしいです。
沖田くんの刀は帽子つまり切っ先が折れてしまいました。まぁ、折ったのわたしですが。
そして、出口で敵を待ち構えていた三人は亡くなってしまいました。新選組側の死者はこの三人だけです。必死にこの場から逃げようとする相手は死に物狂いですから、実は一番危険な役割だったのですよね。
敵側は、死者七人、負傷者四人、捕縛二十三人と聞いてます。
こんな大人数が集まって、結局彼らが何をする為に集まっていたのかは真相は分かっていないんです。
これで池田屋事件は終わり……なのですが、わたしの中で、何かが始まって終わった、そんな日でもありました。
重みを感じてもなお手を離すこともせず、人間の肉に刺さっているとわかっていながらも、抜くことをしなかった。
あの人を“黒い人”とか“敵”なんて呼んでいたけれど、当然ちゃんとした名前があり、家族があり、夢があり、人生がある。いや、あった。
すべてを奪ったのはわたしだ。
テロによって、たくさんの人たちの命が失われることは絶対にあってはならない。どんなに権力があろうが身分が高かろうが、この世の誰にもそんな権利はない。
誰にも、人の命を奪ってもいい権利はない。どんな理由があったとしても。
同じことを、池田屋に行く前に思ったけれど、実際に奪ったのはわたしのほうだ。
全身に返り血を浴びて、それを拭うことに執着していた。
どんなことをしても、罪は消えない。
なんの志もない、未来から来たただの女が、勝手にしたことだ。
やらなければ死んでいた。
わたしはもちろん、もしかしたら沖田くんも。
それでも、じゃあ仕方がなかったよね、良かったね、なんて思えない。
池田屋事件の後も相変わらず、朝になればお腹が空くし、夜になれば眠くなり、寝入るまで思考なんてまるでないままに眠りに落ちる。
けれど以前と違うのは、夜中に何度も目が覚めること。
何度も何度も繰り返す、わたしの両手から伸びた刃が人を突く瞬間。同じ夢ばかり見て、汗だくになって身を起こす。
けれどいつ起きても、沖田くんの姿はなかった。
こんな時、近くで寝顔を見れたりしたらいいのにな、きっと安心するんだろうな。
なんて、甘えたことを思ってしまう。
さすがにこう毎晩だと、寝不足になるし足元が覚束ない。その上、灯のないここは真っ暗だ。ゆっくりと縁側に続く障子に向かって歩く。
「ツバサ? また起きてしまったんですか?」
その向こうから声が聞こえた途端、わたしは見苦しいくらいの慌てようで躓きながら走った。あなたを探すわたしは、いつもこうだ。
「沖田くんっ! なんでちゃんと寝ないんですか!」
この夜更けに遠慮もせずに勢いよく障子を開けると、沖田くんは縁側に腰掛けていた。月の隠れた、星も疎らな曇り空だ。ほぼ同時に、リアルかえるのうた輪唱かよ、というくらいに蛙の声が響く。
「……だって、ツバサの寝言がウルサイんだもん」
ひぃい!
「ご、ごめんなさいいいい!」
確かに、これだけ毎晩悪夢ってことは、相当寝言いいまくって魘されてるかも。
「あ、あの、眠れなくって。ここでちょっとボーッとしてるので、代わりに沖田くんが部屋に戻ってちゃんと寝てください」
熱は下がったみたいだけどまだ本調子ではないのに、わたしのせいで寝られないなんて申し訳なさすぎる。それに 正直、必ずと言っていい程にあの夢を見るから、寝るのが少し嫌になってきている。それでもほぼ暴力的な眠気に襲われて寝てしまうのだけど。
「眠れない? 添い寝してあげようか?」
「やったー! お願いします!」
また、真顔で冗談を。って、顔よく見えないですけど、わかりますよ。
……あれ? バカじゃないの、って言われないな。
「……私の、せいですね。ツバサが剣をとることになったのは」
それは違います。
新選組に入りたいと思ったのも、剣術の稽古をしたいと思ったのも、強くなりたいと思ったのも、守りたいひとをこの手で守りたいと思ったのもすべて、わたしの身勝手です。
「沖田くんの……せいじゃないです。そんなこと、言わないで」
あなたの為なんて言って、正当化したり美化したり、したくない。すべてはわたしのエゴだ。
いつだってそう。先生の為に取材なんて、沖田くんの為になんて、ホントは違うんだ。見返りが欲しいだけなのかも。
わたしを、見てほしい。この気持ちに気付いてほしい。
まだこうやってカッコつける。ホントはもっと、薄汚いくせに。
ただ伝わるだけで満足? そんなことはありえない。
「土方さんに、怒られました」
ポツリと俯く横顔が話してくれると、いかにもトシサンが言いそうなことなので簡単に想像がついた。
沖田くんは、わたしの命令違反を庇うために、池田屋での一部始終を話してくれたみたい。
「お前がいるから、少人数でも行かせたんだ。ツバサが来なければどうなってた? 池田屋だけじゃねぇ。これから先の局長を守れずに死んだんだぞ。てめぇはてめぇの不注意かもしれねぇ。だが局長は? お前のしたことは、局長の命を危険に晒したも同然だ」
だからちゃんと、体調不良は隠すな。しっかり養生して治せ、無茶をするなってことを言いたいんですよね? ホント、ある意味不器用な、損な性格だなぁ、トシサンは。
「土方さんは、どう言えば一番私が堪えるか、知ってて言いますからね」
「心配してるんですよ。ほら、優しいから」
さっきまで、トシサンの口調をマネして、しかもそれがそっくりだった沖田くんは、いつもの、本心を言う時は少し困ったように笑う沖田くんに戻っている。
「ツバサは、土方さんのことならわかるんだね」
……どういう、意味だろう?
「なんにも、知らないのに」
顔が見えないから、余計にわからない。
ううん、もし見えていたとしても、沖田くんって何を考えてるか、わからない時がある。
受け取った言葉の通りに解釈して答えるなら、わたしが何も知らないのは、未来から来た人間で、しかも幕末というか、日本史いや歴史全般に関する知識がイマイチだから。それでもトシサンについて、というかトシサンの少年期からの面倒臭い性格についてなんとなくわかっちゃうのは、憧れの作家先生の作品を初めて担当させてもらって、その作品の主人公がトシサンだから。
そんなこと、説明できるわけがないけど。
でも、できたしても、沖田くんが言いたいことはこういうことじゃない気がする。
沖田くんってわたしの考えていることはお見通しなのに、わたしだけかもしれないけど、沖田くんの考えてることって、全然わからない。
暗闇に慣れて、雲が少しだけ退いてくれたから僅かに輪郭と、口元が見える気がするけれど、それでもわたしの予想なんて当てにならない。
「沖田くんって、エスパーみたい」
出会ってから何度も冗談交じりに思っていたことが、つい口をつく。
「そんなことないですよ。ツバサがわかりやすすぎ……、」
……え、あれ?
なんで、沖田くん、エスパーって言葉知ってるの?
ここは、例えばトシサンなら、また訳わかんねぇこと言いやがって、とか返されるところだ。
あまりに自然過ぎて、そのまま表面上を滑る会話を続けてしまいそうになった。
それを止めたのはわたしだけじゃない。
沖田くんも、わたしと同じくらいに驚いていた。
『……なんで?』
多分最初で最後かも。二人の言葉がそっくり重なった。
「……ああ、なんか、もしかしてって、思ってました」
茫然とするわたしに、沖田くんはまた少し、困ったみたいに笑ってるのを感じる。よく見えないけれど。
「だから何も知らないんだね」
なんでこんなに、冷静なの? わたしはいろんな可能性が頭の中でグルグルして止まらないのに。
誰かに英語習ったとか? なんて的外れなこと思うくらい混乱してるけど、エスパーはそもそも英語じゃない。
超能力者を英語にするならpsychicで、エスパーという単語は、Extra Sensory Perceptionの頭文字をとったESPに、行為者を表すerを付けた、和製英語でSF用語だ。
つまり、幕末当時の日本人は当然、外国人でさえ知らない単語だ。
でもこの時のわたしは、そんなこと冷静に分析してる余裕はない。
「私は、二回目だから」
――沖田くんって、エスパーみたいだね――
エスパーって言われたのが、二回目ってこと?
「ミライから来たひと? に、会うのが二回目です」
風で雲が流れても、月は覗かない。今夜は新月だ。
暗いままで、やっぱり目が慣れなくて、それでも少し笑ってる気がする。
そんな……そんなことってありえるの? いや、ないとはいえない。
現にわたしはこうして、百五十年前の京都で、あなたの隣で、新月の夜に殊更に散りばめられた星を頭上に、縁側で足を伸ばしている。
「前に話しましたよね? 私を“沖田くん”って呼んでた子。彼がそうだったらしいです。この時代の人間じゃないんだって、言ってました。その時は半信半疑でしたけど」
もしかして沖田くんにはちゃんとわたしが見えてるんじゃないか、と感じるくらい、しっかりとこちらを向いて話してくれる。もし、わたしもしっかり見えていたら、目を逸らしたくなってしまうくらい。
「私が、えすぱぁってなに? って聞き返したら、うーん……すごい力を持ってるひとってことだよって。お互いにほんの十歳の子どもでした」
沖田くんが話してくれたこと、もちろん覚えてる。
その子は、急に現れて、急に消えてしまったと言っていたけれど……。
「……やっぱりツバサも、突然いなくなっちゃうの?」
あなたの顔が見たい。
でも、わたしの顔は見られたくない。きっと、泣きそうな顔をしているから。
あなたはどんな顔で、そう言うの?
同じように泣きそうだとしても、あんまり嬉しくはないかな。
だって、わたしとあなたがどんなに泣いたって、変わらないから。
もしもわたしも、その子と同じなら、同じように現代に帰るとしたら、それがなんの前触れもなく突然だとしたら。
ここに来た時と同じように、抗うことはできない。
「……わかりません。ここに来たのも、わたしの意志ではなくって。交通事故、」
って言っても、そもそも自動車がないから伝わらないかな、と思って
「えっと、すごく速い鉄の塊とぶつかりそうになって、気が付いたら壬生寺の境内に座っていたので」
と、表現したら、沖田くんはわたしみたいな、つまりマスオさんのマネをしたみたいな驚きの声を上げた。
「あ、大丈夫ですよ。ぶつかったわけではないので……たぶん」
ここに来たのも、いつか帰るかもしれないのも、未だに非現実的過ぎてあまり深く考えなかったけど、帰るとしたらいつの未来に帰るんだろう。
つまり、わたしの想像はこうだ。タイムスリップした時と同じ瞬間に帰ってしまったなら、確実に例の黒い自動車と先生とわたしが乗ってるタクシーは正面衝突して、最悪、帰ったら即死かも。
ううわ、二重の意味で帰りたくないなー。
……わたし、帰りたくないって思った?
「怖い思いをしたね。ここに来てからずっと……今も、不安でしょう?」
不安ですよ。自分の気持ちすら、制御できない。
きっと沖田くんは、わたしが帰りたがっていて、その方法すらわからない状況、一生このままかもしれない状況が不安だろうと、気遣ってくれたんだ。
なんで? 帰りたくないなんて、おかしい。
いや、確かに、ろくに取材も何もできないままに帰るのは癪だし、せっかく来たからにはその意味が欲しいなんて思ってはいたけど。
帰りたくない、なんて、おかしいでしょ。
「……沖田くん、優しい」
帰らなくってどうするの? ずっとここにいるわけにいかないでしょ。
帰れるかなんて、わかんないけど。
「僕は優しくなんてない。そう感じるとしたら、それは相手がツバサだから」
ずっと一緒にいてくれるわけじゃないのに。
どうせ史実では、かわいいお嫁さんをもらうんでしょ?
沖田くんはヒョイと縁側から庭先に飛び降りた。ずっと続きっぱなしの大合唱は敢えて気にしないようにしてたけど、蛙踏まないでね。
「土方さんは、知ってるの?」
突っ掛けた下駄の底で土を擦る音がするけど、掻き消すほどにうるさく蛙が鳴いている。
「いえ、誰にも言ってません……隠してるんです……バレちゃいましたけど」
「ふぅーん」
わたしも恐る恐る庭に降りる。蛙さん、もしもの場合は自分で避けてね。
「言っても、信じてもらえないかなって……怪しまれて追い出されるとか、変な子だって思われるかと」
現代なら、タイムスリップしてきましたなんて発言したら、とりあえず病院で検査だよね、多分。
下駄でズリズリ足元を確かめる。近くには蛙はいないみたい。
「信じるよ。追い出したりしないし、させない。変な子だとは思ってるけど」
ちょ、変な子って! 憤慨して言い返そうとしたら、その間もなく、沖田くんは続けた。
「じゃあ、二人の秘密ですね」
「秘密にしてくれるんですか!?」
「そうしたいんでしょ?」
「はい! ありがとうございます!」
バレたのが沖田くんで良かったって、心底思う。二つの理由で。
二つ目の理由を思うと、心なしか口元が緩んでしまう。
蛙の合唱も、リズミカルに聞こえる気がする。
「もう、寝た方がいいですよ。眠れなくても、横になって目を瞑っているだけでも身体の疲れがとれるから」
わたしはもっと話したいことがいっぱいあるし、沖田くんももしかしたら同じかもしれないけど、まだ深夜で、朝には稽古で、すぐに隊務が待っている。寝不足を理由に手を抜けるものなんてひとつもない毎日だ。
「沖田くんは?」
「おなかポンポンして寝かしつけましょうか?」
「やったー! お願いします!」
「バカじゃないの」
ですよねー、いや冗談だってわかってるけど。
振り返って歩こうとしたわたしの足元で、急に大きな蛙の鳴き声がした。
「っひゃあ!」
いつの間にこんな近くに!
よろめいたわたしは、沖田くんにぶつかってしまって、
「ごっごめんなさい!」
慌てて離れようとした腕を掴まれた。
「そんなに急がないで。ゆっくり。手を貸しますから」
確かに真っ暗だけど……いや、心臓がもたないいいい!
街灯も部屋の照明も、月明かりすらない夜は、現代よりも段違いで暗く、しばらく話し込んでても全然目が慣れない。
沖田くんは夜目がきくほうなのかな、しっかり見えてるみたいにわたしの手を引いて、部屋まで導いてくれた。
ってことは、わたしの七変化する顔もしっかり見えてたのかな……恥ずかしい。
「ちぃちゃい手」
前も小さいって言われたっけ。
「だって……急に大きくなったりはしませんよ」
恋心と違って。なんちゃって。
わたしがひとりだったなら、手探りであらゆるところにぶつかりまくりながら進まなければならないところだったな。
繋がる手だけを頼りに、前に進む。
気づくの今更過ぎるけど、沖田くん袴穿いてるっぽいし、寝る気ないってこと?
「おやすみ」
「……っ沖田くん!」
わたしの蒲団のところまで来てくれて、今にも離れようとした手をぎゅっと握る。
呼び止めて、手まで握って、どうしようっていうの?
わたし、本当は、他にも秘密があるんです。
わたしは十五歳の少年じゃない。
あなたと同じ二十二歳の、女です。
それを言って、沖田くんにどうしてほしいっていうの?
女扱いをしてほしいとでも?
新選組でいう女扱いをされたら、それこそ追い出される。
トシサンが出した入隊の条件は、女であることを隠し通すこと。
新選組に、女はいらない。
「……なに?」
子どもに問い掛けるように、なんて優しい声音で訊いてくれるんだろう。
より一層、浅ましい衝動に駆られる。
女として、わたしを見てほしい。
誰になんて思われてもいいけど。あなたにだけは。
「……やっぱり、沖田くんが寝てください」
女として見て? やっと笑顔で向き合ってくれるようになった、今の関係が崩れるだけかもしれないのに?
沖田くんは局長以外の人間なんてどうとも思わないし、そもそも女性が苦手だ。
もう、剣術の稽古をつけてくれなくなる。一緒に隊務に出るなんて二度とない。当然、同じ部屋を使うのは無理。 壬生寺で子どもたちと遊ぶのもあれっきり。また、触らないでって言われるかも。
それ以前に、新選組には、いられなくなる。
「一緒に寝ますか?」
いつも通り、冗談には冗談で、お願いしますと返事して、バカじゃないのと呆れられるはずだったけど、わたしはここから記憶がなくて、目が覚めたら蒲団の中で朝を迎えていた。
寝てしまったみたいだ。笑えるくらいに、のび太くんだ。
眠りに落ちる間際に、沖田くんが呟いたように聞こえたけど、もう思い出すこともできない。
——バカはどっちだよ——
やっと、正式な新選組隊士だと、認めてもらえたような気がしました。
先生ならご存じかと思いますが、新選組の隊服が、あの有名な浅葱色のダンダラ羽織から、黒紋付羽織と黒袴に変わります。
闇に紛れる、黒尽くめ。汚れ、つまり返り血も目立たない。
いかにもトシサンが考えたっぽい、合理的かつお洒落な隊服だ。
「馬子にも衣裳だね」
って、ゼッタイ言われると思ってたー!
しっかりとわたしの分まで用意してもらって、ピッタリのお子様サイズの隊服が部屋に届いた。
注文前に家紋はなんだと訊ねられて、答えられなかった時は焦ったけど。
「その言葉、そっくりお返しします!」
朝稽古と朝食を終えて、隊務に備えて身支度中なんですけど、花形の一番隊は早速お披露目で出動すると思うんですけど、監察方は折角着てもすぐに脱いで私服で仕事かも。基本が隠密活動なので、はいはいどーも新選組です! っていう恰好はあんまりしないことが多い。
不慣れなりにいそいそと羽織りながら言うと、すっかり着こなした沖田くんは大刀を左腰に差しながら、少しだけ睨む。
「……ミライのひとだからって容赦しませんからね」
何を!? いやいや怖すぎるわ!
照れ隠しだったんだけどな……当然の如く通じないや。
浅葱のダンダラは爽やかで明るい雰囲気が似合ってたけど、これはこれで、デキル武士感がすごくて……いや、いつも以上にボキャブラリーがヤバいけど、上司であるとか、同室だとかの贔屓目を除いても、その……かなりカッコイイ。
眩しいくらいの朝日と、チュンチュン平和に囀る小鳥さんという、のどかな雰囲気の中だけど、キリリとした漆黒がとても映える。
って、わたしも衣裳だけは、バリバリ武士です! っていうこの格好で刀の一本も持ち歩いてないとか逆に不自然じゃない? とまで気付くくらいに、やっとちょっぴり幕末慣れしてきたかも。
あ、ちなみに髪の毛は、カラーもブリーチもできないから、明るめな茶色からかなりプリン化してたんですけど、意外と器用なサノさんとかに切ってもらったりしつつ黒髪ショートになってます。いや、これもかなり不自然とはわかってますし、魁さんにもまた切ったのかって怒られますけど、伸ばしたら伸ばしたでセットするのが億劫なんですよね。
あ! あと、そういえば!
「前の隊服、もう使わないですよね?」
十分自覚してる突拍子もない質問に、沖田くんは不思議そうながらも答えてくれた。
「ええ、使いませんね。どうするんです?」
「ちょ! 一回だけ! 着てみたいです!」
もうこの時代の人間ではないことはバレてるので、思いっ切り浮かれた発言しても許される気がして頼んじゃう。
呆れ顔の沖田くんにさらに畳み掛ける。
「新選組といえばのダンダラ羽織! ホンモノ着れるなんてそうそうないんで! お願いします!」
これも取材のうちですよね先生!
素材感とか着心地とか、触るだけなのと着るのでは大違いですから。
よく小さいとディスられる手を顔の前で合わせて、子どもの頃から多用した一生のお願いを発動しそうな勢いだ。
「……私たちのこと、知ってたんですか」
意外な疑問で、こっちがビックリしてしまう。
「もちろんですよ!」
って自信満々で胸張れる程知らないですけど。
「新選組は、百五十年後でも有名ですよ! トシサンなんて、イケメン……顔がカッコイイなんて騒がれて、結構人気みたいですよ」
沖田くんは途端にものすごい怪訝な顔になる。え、なんかマズイこと言いました?
「……どうして、新選組に入ったんですか」
「そっ、それはですね」
もしかして、怪しまれてる?
そっか。新選組についてある程度の知識を持つ上で入隊を希望したから、何か目的があるのか、それはなんなのかって、気になるよね。うーん、スパイ並に怪しいかも。
「人斬り集団だって、わかってたんですよね? どうして、木刀を持ったこともないくせに入ろうと思ったんですか? 命の危険があることも、わかりますよね?」
なんか、雲行きが怪しいな……沖田くん、怒ってる?
「ええと」
何もかも正直に、現代でのわたしの仕事についても全て話す、それにはもう抵抗ないけど、心の準備が。
「ミライに帰る前に、こんなところで死んでしまうことも有り得るんですよ? なのにどうして……刻限なので、行きます」
「えっ、ちょ、」
リアルに、ちょ待てよが発動しそうでしたけど、その間もなく、沖田くんはさっさと行ってしまった。
そんなに、おかしなことかな?
だって、衣食住の保証とこの時代では珍しい現金支給で、身分も家柄も資格も問わない、入隊希望者がたくさん来るのに。
確かに、その代わりと言っちゃなんだけど、命の保証はない。扶持米をもらわない月給制なのは、いつ死ぬかわからないからだ。
この時代は、親の身分がすべてで、親が農家なら子どもはその田畑を継いで農家、商人なら子どもはそのお店を継いで商人になるけど、武士は別だ。
親が武士でも自らが士官をしなければ武士になれない。
さらに、そんな相続が許されるのは基本的に長男のみだ。
次男以降は部屋住み、という居候みたいな扱いで、ちゃんとした仕事はおろか結婚も自由にできないらしい。
だから、実家が豪農だけどとっくにお兄さんが相続済みかつ末っ子のトシサンは、少年時代から商家に奉公に行ったり薬の行商をしたりして、家を継ぐ以外の生きる道を探しつつ、武士になりたいと夢を描いたんだ。
それもすべて、わたしは入ってみてから知ったことだけど、実力至上主義の新選組に立身出世を志す若者が挙って入隊したがるのって、別に不自然じゃないですよね。
まぁ、わたしの場合まだ十五歳ってことになってるし、剣術も全然できないし、そもそも幕末の人じゃないから、確かに変かも。でもほら、もし帰ることができなかったら、ここでちゃんと仕事して、生きていかなきゃならないし。
次に沖田くんに会ったら……いや、多分今夜会えると思うんだけど、わたしの仕事のこと、新選組に入隊した目的も、全部話してしまおう。
と、決意したんですけど、沖田くんずっと帰りが遅くて、わたしは待ってるつもりなのに途中で気絶するように寝てしまうし、早起きしようと意気込んでももっと早くに出かけてるしで、ここ数日全然会えない。
隊務中に会えないのは元々だけど。
朝稽古で姿は見かけるから、たまにある出張とかに出かけてるわけではないし。
これは、あからさまに……避けられてる。
なんで?
もしかして、沖田くんのことだからわたしの魂胆なんて話さなくてもすべて読まれてて、これ以上怪しい未来人つまりわたしに新選組内部情報を探られないようにしてるとか。
それか単純に、また輪をかけて嫌われたのかも。
わたし、なにか悪いことしたかなぁ。
こんなこと誰にも相談できずひとり悶々としてる時、また新選組に新しいひとが入ってきた。
岩田コウさん。若くて可愛い女の子。
え、ちょ、ええええ!?
その手があったかーーーーー!
何も男装して入隊しなくても、隊士たちの取材する方法、いくらでもあるわ!
男の振りなんかしなくて済んだのに。沖田くんの前で。
あ、この問答も何度も心の中で繰り返すけど、わたしが女としてここにいたら、沖田くんは今みたいに仲良くしてくれなかったか。
「トシサ、副長!」
「だから! なんでテメェらはいきなり入ってきやがるんだ!」
“テメェら”って多分、沖田くんとわたしのことだと思うんだけど、同類扱いされてちょっぴり嬉しいとか思ってしまう自分の重症気味を今は無視して、ズカズカと副長の部屋に乱入しつつ続ける。
「新選組、女の子も入れるなんて聞いてないです! じゃあわたし、男の子のふりしなくていいじゃないですか!」
新選組って男しか入れないと思ってたからこそ男装までして無理矢理入隊したのに、そもそも女の子でも入れるなんて……そんな話聞いたことないんですけど。
先生もそんな話してなかったし。
「お前が勝手に端っから男の形してきたんじゃねぇか」
「ぐう正論! いや、でも、」
忙しそうな風を装いつつ、バレバレに詠みかけの俳句をゴソゴソしまいながら如何にもダルそうに溜め息吐いてたくせに、しっかり隠し終わってからは、
「女になりてぇ理由でもできたのか」
急にニヤリと、口の端を上げる。幕末でも現代でも問わず女の子達がキャアキャア騒ぐような、ドヤ顔風の笑顔だ。
でもわたしには効きませんからね!
「ちっ違うもん! トシサンのオニ! ハゲ!」
ついでにアッカンベーまでして動揺を誤魔化す。
この、世の中はなんでも自分の盤上の駒だとでも言いたげな雰囲気がムカつくんだよね。
「てんめぇ……ちったぁ言葉の遣い方覚えやがれ! どう見てもフサフサだろうが!そんなんだから色気なくてモテねぇんだよ」
「っはぁああああああ!?」
確かにモテませんよ! 現代でも全然、生まれてこのかたモテたことなんか一回もないですよ! 人生にモテ期は三回あるとかデマ流してるの誰!
「すぐ女だとバレて追い出せるかと思ってたら、全然バレねぇじゃねぇか。どうなってんだ」
こっちが聞きたいわ! って、そんな魂胆があったなんて! トシサン意地悪過ぎ! つか華麗にスルーのオニと対照的にハゲが逆鱗に触れたのかヒドイ言われよう!
「それはわたしの北島マヤばりの演技力あってこそですぅー! ガラスの仮面が壊れないからですぅー!」
トシサンの頭上に大きなハテナマークが出たところで、わたしはズイと座って直談判の体勢になった。
「もう、いいです! すぐムキになってオトナゲないんだから! それより、」
本題に入ろうとすると、わたしが来るとわかってたみたいに、用意されていたような答えが返ってきた。
「おコウさんは、局長の養子になった周平の許嫁だ。今は養女として隊内の雑務をしている。将来的にはあいつに新選組を継がせる気なんだろうから、花嫁修業みてぇなもんだろ」
……新選組を継がせるって、そうか、養子をとるってそういうことか。
つまり、正式な新選組隊士とかではなくて……隊内の癒し的存在なマドンナじゃないですか。
ガチでコレぞ逆ハーライフ。最終的には周平くんのお嫁さんで、新選組の女将さん的な存在になるにしても、こんなフィクションみたいなオイシイ設定あります?
「トシサンは?」
「あ? 俺はこれでも局長とは一歳しか違わねぇ。局長が退くって時は俺も引退だ」
これでもって部分はスルーしておきますね。
この時代の男性って、実年齢よりも若く見られることを恥と思う人が多いみたいで、新八さんなんて意外な童顔を隠す為にわざと髭を生やしてるんだけど、トシサンは違うんだろうな。
いつでもオシャレな小物使いとか服装を見る限り、小粋な若作りって感じでしかも似合ってるし。
そういえば、「黒い狼」でもトシサンの面紐は真紅だと、傾奇者的洒落者描写されてましたよね。初めてナマで見た時のインパクトはすごかったなー、ド派手! って感じで。まぁそれも似合ってるんですけどね。
「……沖田くんは、」
「ボウヤに継がせるとしたら試衛館のほうだろ」
その言葉を聞いて、いや、局長の本意を知ったわけではないけど少しホッとした。
局長を父親のように慕う彼だから、周平くんの存在をどう思ってるんだろう、なんて気になっていたから。
この時は軽く想像する程度だったから、そこまで深くは考えてなかったけど。
「まぁ、お前が隊士達のメシ作ったり洗濯したり出来るってんなら話は別だが」
ものすごい語弊あるのは承知の上で表現すると、女にしてやってもいいってこと?
究極の選択ー!
現代ならまだしも、便利な電化製品どころか電気もガスも水道もない幕末での炊事洗濯は、相当高い家事スキルが必要だしこれぞ年収何百万にも値する重労働だ。
何も知らない状態でイチから努力しなきゃならないのは、男として剣術の腕を磨くのと同じこと。
第一、屯所で家事とかに精を出す分には、少なくとも命の危険はない。
なんの緊張もない一人部屋で寝起きしていただろうし、毎朝吐きそうなくらいの稽古をしなくてもいいし、いつ凶刃に斬り込まれるかわからない路地をウロウロ探索しなくてもいい。
って、一応迷うふりはしてみるけど、選ぶまでもないんですよね。
もし、選べたとしてもわたしは結局、今の道を選ぶ。
男のふりをしなきゃならなくても、同じ修羅場に立っていたい。
一片の疑いもなく信じることができるのは、今となっては、という話であって、幕末に来たばかりの頃に、さぁどちらがいいと言われればまた答えは変わってくると思うけれど、きっと後悔したに違いない。
だって例えば池田屋騒動で、ずっと具合が悪かった沖田くんが少数精鋭部隊として出陣して、その先の池田屋で斬り合いが始まっていて、朝まで戻らなかった時、もしも女として屯所で帰りを待っていたなら、そしてやっと会えた顔が熱に浮かされて真っ赤で、隊服が血だらけだったら……こうして想像するだけでも発狂しそうだ。
ならば、どんなに翻弄されようとも、一緒にその波に巻き込まれたい。
「お前、めんどくせぇ野郎に惚れちまったな」
「っな、ななななんのことですかっ」
ちょ、最悪! お見通しってこと!? よりによってトシサンに! いやいや、カマかけてるだけかも。平常心平常心。
「べべべべ別にっ! ホ、ホレてなんてっ!」
いやいやいやいや、ムーリー! めちゃくちゃ素でテンパるわ!
「俺に惚れんなよって、言っただろうが」
「誰がトシサンなんか! 沖田くんのほうがよっぽど、」
「やっぱりな」
「ぎゃああああ! いやあああああああああ!」
くっそー! 売り言葉に買い言葉でやっぱり引っ掛けられたこんちきしょう! 言葉の遣い方? もう知らない! テンパりすぎて口が滑った!
「な、なんで」
同じ部屋で過ごしてる沖田くんには、この気持ちも女であることさえも伝わらないのに……伝えようともしてないけど。
なんで、トシサンにはバレるんだろう。
「お前、惚れてもねぇ男の為に命懸けられんのかよ」
あ、池田屋でのこと……沖田くんが話したって言ってた。
「剣の腕に自信があった上で仲間の危機だったら、俺達新選組なら当然の如く、剣の間に入ることなんざ厭わねぇ」
好きだから、というか勝手に身体が動いただけなんだけどな。
「だがお前は違ぇだろ。俺が同じメに遭ってても、あんなことできるか?」
「ムリですね!」
「ちったぁ迷えよ」
ポロリと本音で即答してしまうと、トシサンは苦笑いした。
もう、隠すのもムリだ。
「いいんじゃねぇか。ガキ同士お似合いだ」
「いいいい言わないで! 絶対言わないでくださいいいい!」
こんな時に限って見たことないくらいのレベルで笑顔だし! いちいち揶揄(からか)われるような、嫌な予感しかしませんけど!
「なんて……言うわけねぇだろ」
すっと、トシサンの表情が曇る。確かに、色恋ごとをベラベラ話すような野暮じゃないですよね。
「似合いだなんて思わねぇし、誰にも言わねぇ」
朝食の後に直撃した部屋は、ポカポカとした陽気のなかで照明がなくてもかなり明るい。対象的に、お互いにどんよりと暗い顔で続ける。
「……なんで、そんなイジワル言うんですか」
「親切で言ってやってんだ」
トシサンは軽く咳払いをする。
沖田くんが、女嫌いだから?
でもトシサンは、そんな簡単なことを言ってるんじゃない気がする。
「……まぁ、せいぜい励め」
この後、隊務に向かうわたしは、お誂え向きに、おコウちゃんに遭遇した。
と言うより、その前に真っ先に目に入ったのは沖田くんの後ろ姿だ。ヒョロっと丈の高い猫背と陽に透ける明るい髪。見間違えるわけない。
「気をつけて。お持ちします」
「沖田はん、おおきに」
か、刮目せよ! 沖田くんが! 女の子の! 荷物を! 持ってる!
おおおおおおい女の子が苦手なんて言ってましたよね? めちゃくちゃ優しいじゃないですか!
あんまり見たくもない光景なのに、うーん、目が離せないから逃げられないうちに突撃しちゃえ。
誰が女嫌いですって?
目を見て微笑むとか、重い荷物を軽々と持ってあげるとか、女の扱い慣れてんじゃないですか。
「おはようございます!」
「あっ、おはようございます! 宮本はん」
屈託のない笑顔を向けてくれるおコウちゃんと、マズイヤツに見つかった、という雰囲気ビシバシの沖田くん。
例のウザそうな目付きを浴びたくなくて、わざと顔は合わさないでおく。
やっぱり避けられてたんだ。
「いっぱい買いましたね。僕も手伝います」
岩田コウさんは、お医者さんのお嬢様で、周平くんは何故か関西弁を使わないからわかりにくいけど、彼と同郷の大坂出身だ。
「おおきに! 新選組の皆はんは親切やわぁ」
ちなみに周平くんは三兄弟で入隊している。一番上の三十郎さんはいつも威厳たっぷりに周りを睥睨しているような七番隊隊長で、やっぱり関西弁は遣わないし、真ん中の万太郎さんは大坂分隊に所属していてわたしは会ったことがない。
皆さん槍の名手として有名だけど、歳が近い周平くんとさえあんまり話したことがなくって、正直どういう人達かわかんない。
そういえば、幕末のオオサカって、大阪って書かないんですよね。先生に聞けば理由がわかりそうだけど。
道中、女の子が大好きなくだらない世間話をしていると、
「なんや宮本はんって話しやすいわぁ。安心するぅ」
と、キラキラした笑顔を向けてくれた。
そりゃそうでしょう。こんな姿してても、あなたみたいに若くて可愛いこを目の前にして微塵も下心が沸かない、同じ女だからね。いろんな意味で血気盛んな隊士さん達とはわけが違うよ。
会ったばかりのおコウちゃんのほうが余程わかりやすく、天真爛漫で良いこなんだなと感じる。
なおかつ、お淑やかなところもあって女の子らしいし、つぶらな瞳に小さな唇で、月野ちゃんみたいに傾城の美少女っていう迫力はないにしても、小動物系できっと男性目線で誰から見ても可愛い。
トシサンが評したら、わたしとは正反対だとか言われそう。つまり普通にモテ系。
買ったりもらったりしてきてくれたらしい大量の食材を台所まで運び終え、それぞれ持ち場に戻るところだけど、そうはすんなりいかせない。
「おコウちゃんには優しいんですね」
こうしてちゃんと話すのすら久しぶりなのに、こんなこと、言わなきゃよかった。
「……ツバサには、関係ないじゃないですか」
慣れない作り笑いなんかして、沖田くんにとってなんの存在でもないくせに、一丁前の女みたいに、ヤキモチ妬いたりして。
いつもの冗談みたいに、うまく返事ができない。
誰が通るかもわからない屯所のお庭だけど、なんかもう、泣きそう。
関係ありますよ。沖田くんにはなくても、わたしには大問題です。
そんな、わたしがそう言われてもなんとも思わないだろうって。そう思ってるみたいに、なんでもないことみたいに言うんだから。
「何度も言ったでしょう。私は、優しくなんてない」
いっつもいっつも、わたしには、優しくしてくれないんだから。
「……もう、いいです」
よくないでしょっ! わたしの意気地無し!
でも、ここで涙を見せたりしたら、何もかも、終わってしまう。
そんな気がして、わたしは隊務に向かう振りをして、いや、実際もう行かなきゃならない時間なんだけど、自慢の俊足で京都の町に出た。
こんな時でも、しっかり仕事はしなきゃならない。オトナですから。
わたしはいつもの如く、歴史は全然詳しくないからよくわからないんだけど、新選組が放火テロを未然に防いだ池田屋事件、ちなみに当時は池田屋騒動と呼ばれてたらしいですよね、宮部鼎蔵や吉田稔麿、広岡浪秀、北添佶摩に望月亀弥太といった名立たる人物を含むたくさんのひとが亡くなったので、当然倒幕派志士達側の憤りはより一層噴火寸前、バリバリ活躍した新選組はもちろん、幕府に一発戦争吹っ掛けようと京都に集まってきてるらしいんです。
そんな動きを察知して探索するのがわたし達監察方の仕事。
遣う武器はまだ刀や槍がメインだけど、近代的な情報戦はしっかりあって、それこそ間者の双方送り合いなんてむしろ当然という感じだ。
こんな時に不謹慎だけど、必死になれる仕事があってよかったと思ってしまう。
わたしはやっと少しは監察方らしく、市中で聞き込みをしている。と言っても、現代の警察みたいに一人ひとりに警察手帳見せながら話を聞くなんてド直球なことはしないで、人がたくさん集まる飲食店に紛れて聞き耳立てるとか、物乞いに変装して座り込んでるとかそんな感じです。
今回は山﨑さんと二人、一条戻り橋付近で人気の蕎麦屋さんで、にしんそばでも食べようかな、という体で向かい合って座っている。
かなりの人気店でかつ、わたしの優秀な腹時計ではランチタイムなので結構混んでいて、人ひとりやっと通れるか通れないかくらいの隙間だけ空いて、京都の碁盤の目の街並みのようにきちんとテーブルが整列している。
こういう時、ピリリと緊張していると怪しいし目立つだろうから、今日のわたしぐらい気が抜けてるくらいでちょうどいいのかも、なんて情報戦大得意の新選組きっての敏腕監察である山﨑さんの何食わぬ顔を見ていると思っちゃう。いや、蕎麦食べるけど。
「お、おいひぃいい……!」
透き通ったカツオ出汁に、噛まなくてもいいくらいに口の中で解ける、柔らかく甘く煮込まれたニシンが絶妙のハーモニー! これぞマリアージュ!
「……よかったな」
ほっぺた落ちそうです! ってさすがに気ぃ抜き過ぎかもってことを山﨑さんの奥ゆかしく自己主張する表情を見て察する。
そんなこんなで舌鼓を打ちまくってから店を出る時、数秒前には予想さえしなかったことに、思わず声を上げてしまう。
だって、ものすごいビックリしましたよ、先生。
「あああっ!?」
何があっても動じない山﨑さんも、忍者の如く隠密行動に徹する監察方がこんな往来で大声を出すなんて、事が事だけに、わたしの目線の先をさっとほんの一瞬振り返る。
「わ、忘れ物しました! 山﨑さんはどうぞ、お先に行っていてください」
副長直属の、社畜よろしく馬車馬のように働かされる部隊で、僅かの時間も惜しい、特命隊務中だからすんなり行かせてくれると考えていたわたしはニシンの甘露煮より数段甘かった。
「あの優男、何者だ。隠し立てするならば俺が調べる」
グイと掴まれた腕に力がこもる。
確かに、紛れもなく優男だ。あの数秒で、わたしがどの人物を見たかバレて、その上疑われてるなんて。
山﨑さんに疑われたら、コナンくんもビックリ、ものの数時間で真実を突き付けられそう。
つまりはどうせバレるんだ、嘘をつくなってことですよね。
「……む、昔のオトコです」
「吐くならもっとマシな嘘にしろ」
だって、ホントのことなんていきなり言えませんよ。
お前は紛れもなく男だろ、アーンド百歩譲って衆道の相方だとしても、あんなイケメンがお前みたいなチンチクリンと付き合うわけないだろ、という相乗効果で全然信じてくれないんですがぴえん!
「お出ましだ」
皮肉めいて顎をクイと上げる先を振り返ると、あの片眉を歪める、どこか挑発的な笑顔。そう感じるのは、わたしだけかな。
「先生!」
やっぱり先生だった! 先生も幕末に来てたんだ!
ある意味良かった! あのままなら、確実に黒い車との正面衝突は避けられなかったのだから。
「先生?」
ヤバッ! 山﨑さんの前なのに……! 性別も素性も隠してる分際で、迂闊なことを、っていろいろ今更だけど。
「俺は同郷の者でして、寺子屋での教え子なのですよ、この子は」
「……なるほど、そうでしたか。では、積もる話もあるでしょう。宮本、後は俺に任せろ」
いいんですか? と聞き返す間もなく、山﨑さんはすっと人混みに消えてしまった。まるで、先生から身を隠すように見えなくもない速さだ。
まぁ、実際は猫の手も借りたい、わたしみたいな使えないド素人まで探索に出るぐらいの忙しさだからなんだろうけど。
こういう時の対応でやっぱり感じるのは、山﨑さんって第一印象の通り、沈着冷静かつ常識と優しさのある理想的な上司だな、ということ。
「さて。積もる話があるんだけど。出会茶屋でも行く?」
先生はわたしの身なりを上から下へ眺めるようにしつつ、ちょっと睨むみたいに目を細める。
「茶屋? カフェですか? 行きます!」
いや、気のせいですよね、目が悪いのに眼鏡してないからですよね。
先生の、相変わらず麗しい顔面への評価はこの時代でも同じみたいで、さっきから道行く女性達がチラチラと熱視線を送ってくる。
こんな人通りの多い所でタイムスリップだの男装だの新選組に入隊してしかも監察方にいるだの話し込むわけにはいかないから、先生の提案は受け入れて当然だと思うんだけど、なぜか先生はやれやれと首を振る仕草をしてからわたしの前を歩き始めた。
誘ってくださったのそっちなのに、嫌なんですか? そうだとしても意地でもついて行きますけど。
車との正面衝突で、死んでしまったかと思った。死後の世界に来たかと思ったら、約百五十年も前の……ここは幕末の日本で、何も知らない、そして誰もわたしを知らない場所で生きてきた。
先生と再会できた安心感は、先生の身を案じてのことだけではない。
「へぇえ、初めて来ました。個室になってるんですね」
トンと軽く音を立てて襖を閉める先生が呟く。
「だろうね」
え? 何に対しての
「そうだろうね」
ですか? そういえば、ここまでの状況での再会は、本来なら抱き合って涙ながらに喜ぶくらいの奇跡的かつ感動的な場面かもしれなかったけど、先生からすればただの雑誌編集者の一人に過ぎないわたしとはそんな間柄でもないし、安定のスーパードライ対応で距離を空けて座る。
暖かい間接照明みたいなぼんやりとした明るさの部屋はそれ程広くなく、ちょうど二人くらいの人数で話すには近過ぎず遠過ぎないちょうどいい空間だ。
廊下を通る時も、同じずつの空間があるだろう部屋が並んでいて、なんか穴場スポットって感じ。個室カフェってなんか落ち着くし、ガッツリ話をするにはいいですよね。
先生は深い緑の着物に黒袴で、先生は驚いただろうけど、わたしも似たような恰好をしている。予想通り全然着てないけど黒紋付の隊服を着てたらもっとビックリされたかもしれないよね。
「先生、ご無事で良かったです! おケガはありませんでしたか?」
「……この通りだよ。君も、元気そうだね」
すっとした切れ長の眼を見開いてからまた細める。笑ってるおつもりですかね? あんまりそうは見えないんですけど。
「まったく、そんな顔しても誤魔化されないからね。訊くことは訊かせてもらうから」
「ご、ごまかすなんて! わたしもお聞きしたいことありますけど、先生からどうぞ!」
人聞き悪いなぁ、別にやましいことはないのに。
「まず、その恰好は何かな?」
やましいことはないけど、先生の疑問もわたしがお話ししたいこともほぼ同じだと思うから、全部一気にお話ししちゃおうかな。
もちろん、その方が、わたしが例の如く口を滑らせて余計なことまで話しちゃうのを防ぐ効果がありそう、なんて思惑もあるのだけど。
「ご覧の通りの男装です! お約束通り、新選組に入隊しまして! バッチリ、取材してますからね! あ、さっきのかたは山﨑丞さんで、今の上司です」
見る見るうちに先生は脇息に凭れかかるような姿勢になり、執筆の合間の疲れ目でもないのに眉間を指で押さえる仕草でしばし沈黙してしまった後、深々と溜め息した。
「なんで一気に言うかな。こちらにも心の準備っていうものがあるんだよ」
それが必要ってことは、わたしのすることなんてお見通しでしたよね。
「バカじゃないの。新選組に入るなんて」
どちらさんもヒトのことすぐバカって言う! なんで? 流行語?
どなたの為の取材ですか! って、以前のわたしならツッコミたいところだけど、今のわたしは、先生の為の行動なんですから許してくださいとの弁解なんて到底できない。
「って。知らないから、だよね」
脇息に身を委ねたまま、目線だけをわたしにぶつける。正座した足の裏が、ヒヤリと冷えた感じがした。
それは、歴史がこれからどうなるかを、新選組の皆さんがどうなっていくのかを知らないから、という意味ですか?
誰に向かって聞いてるのと笑われそうな愚問だから改めて聞きませんけど、先生は日本の歴史も新選組の歴史もすべてご存じなんですよね。
これまで何回も、ちゃんと歴史を、せめて自分が担当する先生の描く新選組のことくらいは詳しく勉強しておけばよかったと、後悔したことがあった。
特に、池田屋事件の時とか。堂々と根拠を述べて、倒幕派志士の潜伏先は池田屋で間違いありませんと断言できていたら、分隊して一軒ずつ見廻る余計な体力消耗もなく、始めから池田屋に全隊士総動員で直行できていたかもしれないのに。
そうしたら沖田くんは、きっと倒れたりしなかったはずだ。
言い訳にしかならないけど、先生の作品を、全く先入観のない状態で読みたいから、なんて自分なりの理由があってのことだった。
「……新撰組の皆さんって、沖田くんってこれから、」
「教えるわけないでしょ。キミ、歴史変えようとしちゃいそうだし」
わたしが変えたくなるような、道を辿るってことですか。
「どうして、歴史を変えちゃいけないんですか」
大きな声じゃ言えないけど。正直、守りたい人を守る為なら、歴史なんてどうにでもなれ、知ったこっちゃない。って考えるのは、おかしなことですか?
「……さぁ? 確かに。どうしてだろうね。タイムスリップ系小説では当たり前のようにそういう常識で書かれてるけど」
先生は、ゆっくりと慎重に、言葉を選ぶようにして話す。わたしがショックを受けないようにとの気遣いというより、聞き分けのない子どもを諭すみたいだ。
「極端な話、分かりやすい例でいうと、もしも幕軍が徹底抗戦だったら江戸城無血開城はならなかった。君は生まれも育ちも東京だよね? もし江戸で戦が起きていたら、何も知らない一般人が星の数ほど亡くなる。君や大切なひとのご先祖が亡くなるかもしれない。そうしたら君も、大切なひとも生まれないんだよ」
ええと、さすがに怒られそうで言えませんけど、江戸城無血開城って、なんでしたっけ? 先生的わかりやすい例、がほとんどわからないんですが。
でもわたしだって、幕府が倒れることくらいは知ってる。新撰組や坂本龍馬が活躍する江戸時代の終わりを幕末っていうけど、例えば鎌倉幕府の終わりを幕末とは表現しない。今は、幕藩政治の最終末期っていう時代だ。
それを知ってるからこそ、できるならわたしは、新選組の皆さんが命懸けで支える江戸幕府がこのまま続くよう、歴史を変えることができたらどんなにいいか、と考えていた。
新撰組の皆さんは、沖田くんは、そのほうが絶対に嬉しいはず。
浅知恵って言われるかもだけど、なけなしの歴史知識で、歴史を変えることによって助かる命もあることといえば。
「極端な話、ペリーが来なければ、鎖国を続けていれば、江戸幕府が倒れなければ、太平洋戦争に日本は参戦しなかったかもしれないですよね」
我ながら、小中学生レベルの発想かな。でも先生は軽く頷いてくれた。
「そうだね、なにがどう影響するかわからない。だから、歴史は変えちゃいけないんだ。歴史にifはあってはならないんだよ」
「でもわたしたち、帰れないかもしれないですよね」
帰れないなら、変えた歴史の道を生きていけばいいじゃないですかとか、うーん、やっぱり身勝手すぎるかな。
「帰れるよ」
呆気に取られる程すんなり、さも当たり前のように先生は言う。前から思ってたけど、なんでそんなに一々自信満々なんですか。
「でも、まさか好きなタイミングで帰ることができるなんて考えていないだろうね? この動乱が落ち着く頃に、サラッと帰れると? そんな都合のいい話があるかい? 新選組になんて、いてはダメだ」
先生はわたしよりよっぽど知識があって、大人気歴史作家として大成功を収めて、満を持しての新選組モノ作品を執筆中なのに、愛着とか親近感とかないんだろうか。
全然知らなかった癖に言うのもなんだけど、実際に会って話して苦楽を共にしてみて、新選組って知れば知る程魅力的だ。
由緒正しい生まれではないからこそ、武士よりも武士らしくあろうと、真っ直ぐに誠を貫く姿勢と、弛まない鍛錬と努力、赤穂浪士の舞台衣装は表向き、浅葱の死装束を身に着けて剣を振るう日常と、その反面、冗談を言い合ったり、ワイワイガヤガヤ不謹慎にも見える程に和気藹々としてる時とのギャップ……先生だって、新選組が好きだからこそ書いているのかと思っていたのに。
「表現を変えよう。俺の言い方が悪かったね。正しくは」
わたしを斜めに、でもしっかり見据えたままで続ける。
「変えることなんて、できない」
重く圧し掛かる声は、先生ではない、他の存在から告げられているようだった。
「なのにキミががんばっちゃったら、かわいそうでしょ」
正座の膝の上で、震える両手をぐっと握る。緊張していたのか冷たい。先生を相手に緊張するなんて変なの。だって、別人みたいだから。っていうのは嘘。どう見てもどう聞いても、先生でしかない。
「……どうして、帰ることができるってわかるんですか」
あんなに言い切られて、喜びや安堵は微塵も浮かばなかった。その代わり、ずっとあのひとへの想いが消えない。
「こっちに来てから、異常に眠くなることあるでしょ」
突然襲う、あの強制的な眠気。
わたしはてっきり、慣れない新生活だから、剣術稽古に必死だから、毎日朝から晩まで何かしらの仕事をしているから、隊務ともなれば常に気を張り詰めているから、その疲れのせいだと思っていた。
「帰る時が近づくにつれ、その間隔が狭まり、眠る時間もどんどん長くなる。夜だけではなく、真昼でも関係なく眠くなる。それを繰り返しているうちに、ものすごい眠気で寝て、起きたら現代に帰っているんだ」
まるで、お前はこの時代の人間ではない、だから去れと、拒まれてるみたいですね。
思い出すように語る、というか、実体験ですよね、それ。
「俺はそうだった」
先生に再会した時、もしかしてって、思ってた。
現代で彼の話をする時、他の歴史上人物とは明らかに区別して、友達みたいに、くん付けで呼んでいましたもんね。
十歳の頃、突然タイムスリップした先生は沖田くんと出会い、また突然姿を消した。つまり現代に帰ったんだ。
先生も大好きな超常現象とかを扱う某雑誌で読んだことあるけど、UFOに攫われましたとか、宇宙人に遭いましたとかの体験する人も、同じ人が何度もその状況に出くわすことが多いんだよね。
まるで、選ばれてるみたいに。にしてもラッキーなのかはかなり人を選ぶ案件だけど。
嫌だな。何度目の正直とかで、帰らずに済む方法とか、ないのかな。
「幕末に来たのには、なにか意味があるはずです。わたしは、新選組のみんなを助けたい」
助けたい? ただわたしは、ずっと笑っていてほしいだけ。そして傍にいたいだけだ。
「何も意味なんてないよ。少なくても俺は、何も変えられなかった」
自嘲するように脇息に肘をついて、目を閉じる。
「現代に帰ってからさらに歴史に興味をもって、その流れで小説を書くようになったからね。俺の人生は大きく変わったけど、幕末の人たちには、なんの影響もなかった」
幼い頃から歴史が好きで、沖田くんと仲良くなって……本当に歴史を変えたいと思ってるのは、実は先生かもしれませんね。
「そんなことないです。沖田くんは、先生のこと、大切な友達だって言ってましたよ」
なんの影響もないなんて、そんなことない。沖田くんは、ちゃんと覚えていたもの。
「……沖田くん、元気? 池田屋で倒れたよね? まだ本調子じゃないでしょう?」
下を向いてしまって全然表情は見えないけど、流石にというか、当然の如く詳しい。
「蛤御門は出陣しないから、ゆっくり休めればいいけど」
声ちっちゃ! わざとでしょうけど聞こえない!
「え? もう一回お願いします!」
「シジミの味噌汁が飲みたい」
嘘つけええええ! むしろ先生こそ新選組に入隊してほしいレベルにその知識量が憎い!
って! そういえばこっちの話ばっかりで、先生がこの時代で何をしているかとか、全然聞いてない!
「せ、先生! 先生は何を、」
「あ、ヤバ。もうここ出ないと」
んなわけあるかいズルいオトナめ! つか言うが早いかもう襖開けてるし!
「君は少し間を空けてから出てきてね」
しかも帰り道すら悟らせない寸法とか? もぉぉおおなんなの!
「また話そう。迎えに行くから」
そしてこっちの居場所は丸わかりですもんね! 有無を言わさぬキラースマイル! つくづくズルい!
先生からすれば、わたしは何も考えてない、軽い気持ちに見えるかもしれない。
でも簡単にあきらめるなんてできないんです。
正しいとか間違ってるとか、そこはあんまり気にしてなくて。
新選組が滅ぶ未来なんて嫌だ。
絶対変えてやる。
だからって、バカって言わないでください。
1
あなたにおすすめの小説
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
薫る袖の追憶を捨て、月光の君に溺愛される
あとりえむ
恋愛
名門の姫君・茜は、夫の高彬に蔑まれ、寂れた離れで孤独な死を迎えた……
けれど意識が途切れた瞬間、視界を埋め尽くしたのは命を削って輝く緋色の夕映え。
目が覚めると、そこは高彬との婚約が決まったばかりの十五歳の春に戻っていた。
「二度目の人生では、誰のことも愛さず、ただあの方の幸せだけを願おう」
茜は、かつて自身の孤独を救ってくれた「最推し」の東宮・暁を、未来の知識で密かに支えることを決意する。
執着を捨て、元夫に無関心を貫く茜。
一方、高彬は自分に興味を失った茜の価値に気づき、今更遅い後悔に狂い始めるが……。
「見つけた。お前は俺の、運命の番だ」
正体を隠して東宮を支えていたはずが、冷徹な暁に見出され、逃げ場のないほどの執着と溺愛を注がれることに。
平安の雅な風情の中で描かれる、逆転と救済の物語。
最後は、二人が永遠の契りを交わす和歌で幕を閉じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる