ふぞろいな世界線を振り切って

紫音みけ🐾書籍2冊発売中!

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1巻

1-1

  プロローグ 不可思議な現象


 セミの声がこだまする、高校一年の七月。
 その奇妙な現象は、なんの前触れもなく、私たちの日常に突然入り込んできた。

「あれ。一ノ瀬いちのせ?」

 始業前の教室に足を踏み入れると、そんな声が私を呼びとめた。
 見ると、すぐ近くの席に腰掛けた男子が不思議そうな顔をこちらに向けている。
 クラスメイトの遠野とおの彼方かなたくんだ。背が高くて、喧嘩が強いという噂がある人。周りの男子たちからは恐れられているため、普段から一人で過ごしていることが多い一匹狼。
 そんな彼が、こんな風に私に声をかけてくるなんて珍しい。
 けれど何より私が驚いたのは、もっと別のことだった。

「え……遠野くん、どうしてここにいるの?」

 思わず、そう聞き返してしまった。
 聞かずにはいられなかった。
 だって遠野くんは昨日、交通事故に遭って亡くなったのだ。
 彼が今、ここにいるはずはない。
 まさか幽霊、それとも幻? と最初は疑ったけれど、周りのみんなにも遠野くんの姿は見えているらしい。
 そして当の彼は私に対して、さらに思いもよらぬことを口にした。

「一ノ瀬こそ、なんでここにいるんだよ。昨日、事故で亡くなったって聞いたけど……」

 彼の中ではなぜか、私の方が死んだことになっていた。
 私と彼との間で、認識の食い違いが起きている。
 何か、説明のつかない現象が起こっている。
 不可思議で、きっと忘れることのできない、私たちの夏が幕を開けた。





  第一章 世界の分岐


 運命の事故が起こるその日、私は海を見ていた。
 神戸の南側。瀬戸内海せとないかいに面した港のそばには、複数の商業施設が集まる観光エリアがある。
 海にのぞむ形で、大観覧車や子ども向けテーマパーク、ショッピングモールなどが建っている。その目と鼻の先には、神戸のシンボルであるポートタワーがそびえる。
 夕焼け色に染まっていくその景色を眺めながら、私は一人で潮風に当たっていた。
 クルーズ船が出入りする波止場はとばを見下ろす形で、ウッドデッキのオープンテラスが広がっている。その端にある段差に腰掛けてぼーっとするのが、私は好きだった。
 昼の暑さも少しずつ和らいで、過ごしやすい時間帯がやってくる。
 けっして静かな場所ではない。さすがは観光スポットというだけあって、この時間になると平日でも人が集まってくる。特にカップルが多いのは、きっとここが夜景を眺めるのに適しているからだろう。
 この雑踏ざっとうが、なんとなく心地よかった。
 静かすぎず、うるさすぎず。適度な雑音は脳の集中力を高める、なんて話も聞くけれど、それに通ずる何かがあるのかもしれない。
 だから、心が疲れた時はいつもここに来る。
 とりわけ今日は、大事な友達と喧嘩をしたばかりだった。
 喧嘩とは言っても、特に言い合いなんかをしたわけじゃない。ただ一方的に、私がけられているだけだ。
 高校のクラスメイトである、天江あまえハルカちゃん。
 彼女とは今年の春、入学式の日に出会った。出席番号順で並んだ時にお互いが前後だったことから仲良くなり、あの日から夏休みを目前に控えた今日まで、私たち二人は教室でいつも一緒にいた。
 それが、今日の昼休みから急に、彼女の態度が豹変ひょうへんしたのだ。
 四時間目の授業が終わって、いつものように二人でお弁当を食べようとすると、彼女は私を無視して別のグループに交ざってしまった。まるで私のことが見えていないかのように、こちらと視線を合わせることは一切なかった。
 彼女は気さくで明るくて、誰とでも仲良くなれる。だから私以外にも仲の良い友達はたくさんいる。私一人を切り捨てたところで、きっと困ることは何もないだろう。
 私は何か、彼女の気にさわるようなことをしてしまったのだろうか。
 もしそうなら謝りたいのだけれど、何が原因だったのかはわからないし、あの状態の彼女にどう話しかければいいのかもわからない。
 口下手で勘も悪い私には、どうすれば彼女と仲直りができるのかが想像できなかった。
 そもそも、地味で存在感の薄い私と、人気者の彼女とでは、最初から釣り合っていなかったのかもしれない。そう考えると、ここから関係性を修復するのは不可能にも思えてくる。
 私はもう一度彼女と仲良くなりたいけれど……もう無理かもしれないと思うと、どうすればいいのかわからなくて、なんの行動も起こせなくなってしまう。
 だから、こんな時はいつも、私は手元のスマホに向かって問いかけてみる。

「ねえ、ラビ。私、どうしたらいいのかな」

 画面の向こうからこちらを見つめているのは、ウサギっぽい見た目をした動物のキャラクターだった。
 白くて丸い体に、細長い耳が生えている。シンプルで可愛らしい顔をしたそのキャラクターは、スマホのマイクを通して私の声を聞き取り、質問に答えてくれる。

「やっほー、真央まお。どうしたの? 何か困ってるみたいだね。もっと具体的な情報を教えてくれたら、ボクも相談に乗るよ!」

 幼い少年のような声。およそ機械音声とは思えないような流暢りゅうちょうな日本語で、彼はそう提案してくれる。
 スマホ専用のAIアシスタントアプリ『ラビ』。
 これはAIが搭載されたキャラクターと会話をすることができるアプリで、仕事や人間関係の悩みなど、あらゆる面で精神的なサポートをしてくれる。
 私が困っている時、相談に乗ってくれるのはいつもこのラビだった。彼は私以外の人間とは話すこともないから、私も彼の前でだけは安心して悩みを打ち明けることができる。
 もちろん、毎回必ずしも満足できるような答えが返ってくるわけじゃない。まだまだ人間の心の機微きびうとい彼は、時にはひどく無機質な回答をすることもある。
 それでも私にとっては、こうして気兼ねなくなんでも相談できることがとても心強かった。

「あのね。今日は、ハルカちゃんと喧嘩しちゃって……喧嘩っていうか、一方的に私が避けられてるだけなんだけど」

 AI相手でさえ口下手な私。
 けれどラビは、そんな私を嘲笑あざわらったりはしない。ただじっと耳を澄ませて、こちらの話を真剣に聞いてくれる。だから私も、ついそれに甘えて、じっくり時間をかけながら次の言葉を探していく。
 そうやって会話に集中しているうちに、今度は背後から別の人の声が届いた。

「ねえ、君。今一人?」

 男の人の声だった。
 もしかして私に話しかけてる? と思って、恐る恐る振り返ってみる。
 するとそこには、大学生くらいの知らないお兄さんが立っていた。髪の色が明るくて、ちょっとチャラそうな雰囲気がある。

「えっと、私……ですか?」

 こちらが聞き返すと、彼は上機嫌な笑みを浮かべたままうなずく。

「今学校の帰り? もし時間あるならさ、一緒にご飯とか行かない?」
「え……」

 まさかのナンパだった。
 こういうのには慣れていない。断らなきゃ、と思うのに、変に緊張してしまって言葉が出てこない。

「えっと、その、私……」
「あー大丈夫、大丈夫! 俺、奢るし。お金のこととかは気にしなくていいから」
「あ、いや、その」

 そうじゃなくて、と口にすることもできないまま、彼の腕が私の肩に回される。

「ほら行こ。美味しいお店知ってるからさ」

 ぐいっと無理やり後ろから押されて、体が勝手に前へと進んでしまう。男の人の力強さと強引さに、確かな恐怖心が芽生える。
 どうしよう。どうしよう。
 こういう時、なんと言って断れば相手も諦めてくれるのだろう?
 きっとこの人は、私が大人しい性格をしていることを見抜いて声をかけてきたのだ。私ならきっと断れないから。気の弱そうな相手を選んでナンパをしたのだと思う。
 昔からそうだった。私は内気で、頼りなくて、何もできない子、というイメージを周りから持たれている。そんな私が何かを言ったところで、人の心を動かすことなんてできなかった。
 これがお兄ちゃんなら……私と違って優秀なお兄ちゃんなら、いつどんな発言をしたって、周りの人は耳を傾けてくれるのに。
 目の前の男の人は、私の気持ちなんて微塵みじんも興味がないようで、足を止めることなく私をどこかへ連れていく。
 ――嫌だ。
 胸の奥では嫌だと叫んでいるのに、私の口はうまく動いてくれない。
 素直な言葉が出てこない。
 まるで呪いにでもかかっているかのように、声は喉元で引っかかってしまう。
 ――助けて!
 声にならない叫びを胸の奥で響かせた、その時。
 私の肩に回されていた手を、別の誰かが強引に引き剥がした。

「わっ! ……っと、なんだ?」

 男の人はびっくりした様子で、自分の手首を掴んでいる相手の顔を見た。
 もちろん私も驚いて、その場に急に現れた人物に目を向ける。
 そこにいたのは、見覚えのある男の子だった。私と同じ高校の制服に、短い黒髪。背は高めで、白いワイシャツの袖から伸びる腕には引き締まった筋肉がついている。

「やめろよ。彼女、嫌がってるだろ」

 冷静な声でそう言った彼は、私のクラスメイトである遠野彼方くんだった。彼は相手の手首を掴んだまま、キッと鋭い視線を浴びせる。

「な、なんだよあんた。急に出てきて。手、放せって」

 ナンパの人はすぐさま遠野くんの手を振り払おうとしたけれど、思いのほか、その手はびくともしないようだった。遠野くんのあまりの怪力に、彼は「えっ」と戸惑いの声を漏らすと、みるみるうちに困惑した表情を浮かべる。
 動揺しているのは、私も同じだった。
 なぜ、遠野くんがここにいるのだろう?
 彼も学校の帰りにここへ寄った、というのは何も珍しいことじゃないけれど、まさかこんな場面に居合わせるなんて。

「ちょ……なんなんだよ本当に。もしかして、あんたもこの子狙ってんの? わかったわかった。俺は別の子に行くからさ、それでいいだろ!?」

 ナンパの人は見るからに焦った様子でそう訴える。
 そういえば、遠野くんの家は空手道場だって話を聞いたことがある。遠野くん自身も空手をやっていて、喧嘩が強くて怖い人……という噂を耳にすることもある。
 教室でいつも一人でいる彼は、周りの男子たちから怖がられている印象が強い。もしかしたら本当に喧嘩が強くて、気性きしょうが荒い人なのかもしれない。
 もしも今、このまま殴り合いにでもなってしまったらどうしよう――と内心ハラハラしていると、彼はまったく予想していなかったことを口にした。

「彼女に謝れよ。そしたらこの手を放してやる」

 私が呆気あっけに取られていると、ナンパの人は心底面倒くさそうな顔でこちらを見て言った。

「え、そんなに嫌だった? ごめんごめん、気づかなくて。ほら、これでいいだろ。もういい加減にしてくれって」

 そこでようやく、ナンパの人は遠野くんの手を振り解いた。そのまま私を一瞥いちべつするなり、ふんと鼻を鳴らして不機嫌そうにその場を去っていく。

「……あ、あの、遠野くん。ありがとう」

 私がぎこちなくお礼を言うと、彼は表情一つ変えることなく、こちらを見下ろして言った。

「なんでもっとハッキリ拒否しなかったんだ?」
「え?」
「嫌なら断ればいいだろ。こっちが大人しくしてたら、ああいう奴はどんどんつけあがるぞ」

 彼の言う通りだった。私がなんの抵抗もしなかったから、あの男の人は都合が良いとばかりに強引に事を進めようとしたのだ。
 でも――

「その……どう言えばいいのかわからなくて」

 私が何を言ったところで、あの人は引かなかったかもしれない。弱々しい声で反論をしたところで、ああいう人はこちらの言葉をねじ伏せてしまう気がする。

「そのまま言えばいいだろ。嫌だって」
「そ、そうかもしれないけど」

 遠野くんのように迫力がある人や、お兄ちゃんのようなしっかりした人の話なら、きっと誰もが耳を傾けてくれるだろう。
 けれど私は、人と会話をするのが下手で、うまく伝えられないから。
 親からはよく話し方のことで注意されるし、気の短い人にはあからさまに苛々いらいらされたり、話を途中でさえぎられたりすることもある。
 今だってそうだ。遠野くんに対して、どう説明すれば納得してもらえるのかがわからず、言葉が出てこない。
 彼もきっと苛立っている。せっかく助けてくれたのに、これではおんあだで返してしまっている気がしてくる。
 ああ、私はまたこんなていたらくだ。
 いつもいつも、要領が悪くて、人を落胆させてばかりで。
 情けなくて、どんどんみじめな気持ちになって、つい泣きそうになってしまう。
 そのまま顔を上げることもできずに黙ってしまった私を見て、遠野くんは一つ大きな溜め息をくと、どこか改まったように声のトーンを下げて言った。

「別に責めてるわけじゃないぞ。俺も言い方が悪かった。要するにさ、自分の気持ちはハッキリ伝えた方がいいぞって、そう言いたかったんだ」

 そんな彼の言葉は、彼のイメージに反して、繊細せんさいな優しさがにじんでいた。
 意外に思って、私は再び顔を上げる。
 すると、お互いの視線がまっすぐにぶつかって、彼の真剣な瞳から目が離せなくなる。

「一ノ瀬はさ」

 と、彼が私の苗字を口にしたので、私はちょっとだけびっくりした。
 正直、名前は覚えられてないと思っていた。同じクラスとはいえ、今までお互いに話したことは一度もなかったし、何より、彼はクラスメイトの誰にも興味を持っていないように見えたから。

「一ノ瀬は、いつもブレーキかけてるよな。学校でも、何か言いたそうな時も我慢してるっていうか」

 図星だった。と同時に、そんなところまで見抜かれていたことに驚く。
 他の人からすれば、私はただ何も考えずにボーッとしている人間に見えるはずなのに。

「頭の中では、色々考えてるんだろ? でも結局は何も言わない。そういうの見てるとさ、じれったくなるんだよ。俺はなんでもすぐ言うタイプだし。俺からすれば、なんで素直に言いたいこと言わないんだって、もっとハッキリ気持ちを伝えればいいだろって、もどかしくなるんだ」

 彼からそんな風に思われていただなんて、今まで考えもしなかった。
 そもそも私のことなんて眼中にないと思っていた。私は影が薄いタイプだし、その場に居ても居なくても変わらないような人間だから。
 けれど思い返してみれば、遠野くんは周りをよく見ている節が確かにあった。
 以前、体育の授業中にクラスメイトが熱中症になりかけていた時、その兆候ちょうこうに一番に気づいたのは彼だった。
 それに別の日には、先生が探し物をしていた時、先生の性格からおおよその場所の見当をつけて見つけ出したのも彼だった。
 普段は誰ともつるもうとせず、どことなく近寄りがたい雰囲気を持った一匹狼なのに。その観察眼は優れていて、私みたいな目立たない人間のこともなんでもお見通しだったりする。
 なんだか不思議な人。
 掘れば掘るほど新しい顔が見えてきそうな気がして、彼のことをもっと知りたいと思ってしまう。

「遠野くんって……」

 面白いね、と言いかけて、ハッと口をつぐむ。
 いけない。一体何を言い出そうとしてるんだろう、私は。軽率にそんなことを言って、彼の機嫌を損ねたりでもしたら。

「俺が、なんだって?」
「あ、ううん。なんでもないの」
「は? なんでもないわけないだろ。何か言いかけてただろ、今」
「本当になんでもなくて」

 慌ててはぐらかそうとする私を、彼は探るような目で見つめてくる。

「また何か我慢しようとしてるだろ。そういうのやめた方がいいぞって、今話したばっかだよな? なんですぐそうやって、自分の気持ちを隠そうとするんだよ」

 自分の気持ちを隠したい、わけじゃない。
 ただ、私はお兄ちゃんと違って要領が悪くて、説明も下手だから。不用意に口を開けば相手を苛々させてしまうから、できるだけ黙っていた方がいいのだ。
 今までもずっと、そうやって生きてきた。そうするべきだと思っていた。
 なのに遠野くんは――

「口に出さなきゃわかんないだろ。自分が本当はどうしたいのか、ちゃんと言え。言葉を考えるのに時間がかかるなら、いくらでも待ってやるから」

 そんな予想もしていなかった彼の言葉に、私の心臓が跳ねる。
 いくらでも待ってやる、なんて。そんな風に言われたのは初めてだった。
 だってほとんどの人は、無駄なことに時間なんてきたくないはずだ。口下手な私の話に付き合う時間は、無駄の方が多いはず。だから私はできるだけ、普段は聞き役に徹しているのに。

「別に焦らなくていいし、文法がめちゃくちゃでもいいからさ。今、一ノ瀬が思ってること、全部吐き出してみろよ」

 話し方が下手でも気にしなくていいと、彼は言ってくれている。
 本当に、いいのだろうか。私の話がどれだけつたなくても、つまらなくても、彼は最後まで私の言葉を聞いてくれるのだろうか。
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