それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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24、奇跡に理論も理屈も理由も必要ない

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「っ……は……ぁ」

 意識を取り戻したアリサは、大きく息を吸おうとしたものの、それができなくて、少し焦る。喉が張り付いてうまく声が出ない。体中の水分が蒸発してしまったんじゃないかと思えるほどに、喉が渇いている。

 アリサはゆっくり上体を起こす。辺りは半径百メートルほどが焦土と化している。それだけ、あの龍が吐いた光線の威力が強大だったのだろう。

 鉄の龍が再び上昇しているのが見える。その眼は未だアリサを捉えており、周辺が焦土と化しているこの場から隠れることは不可能だ。

 ゆっくりと立ち上がって、自分が今、服をまったく着ていないことに気付く。生まれたままの一糸まとわぬ姿。きっと、さっきのあの鉄の龍の攻撃で、すべて消失してしまったのだろう。それだけ、強力な攻撃だったのだ。もしかしたら、アリサ自身の肉体も、一度は朽ちてしまったものの、そこからまた再生したのかもしれない。けれども、それを想像することが怖くて、目を逸らす。塵の中から再生した自分が、本当に自分なのか。だなんて、自らのアイデンティティにも関わる難問だ。下手をすれば一生答えなんて導き出せない。今、この場で考えるべきことではない。重要なのは、今は生きている、という一点だけだ。

 パチン、と指を鳴らす。

 一糸まとわぬ姿だったアリサの身体に、久島高校の制服があてがわれる。
 魔法を使えてよかった、と心底思えたのはもしかしたらこれが初めてだったかもしれなかった。

「さあ、勝負ね」

 と、アリサは空の龍を見上げる。辺りに建物も何もかも無くなってしまったからか、強い風が吹き荒び、制服のスカートがはためく。

 龍はまた高度を下げ始めている。

 あの龍を倒すための魔力はまだ溜まりきっていなかった。けれども、先程のあの龍の攻撃でこの周辺は焦土と化した。つまり、多くのふあふあちゃんも巻き添えを食らったということだ。

 空気中の魔力の濃度がさっきよりも増しているのがわかる。

 今ならば、この空気中の魔力を取り込めば、あの龍にも対抗できうるはずだ。

 そう確信をもって、アリサは目を閉じる。瞬きよりも、ほんの少し長い時間。そして目を開き、迫りくる鉄の龍を睨みつける。

「奇跡は、起こる……」

 そう囁いてから、叫ぶ。

「……奇跡に理論も、理屈も、理由も、必要ない!」

 そのアリサの叫び声に対抗するかのように、鉄の龍も咆哮する。そして、その口元が紫色の光を帯び始める。

 両手をぐっと龍に向けるアリサ。その手の平から幾重もの魔法陣が花のように広がる。まるで、雪の結晶のように幾何学的で複雑な文様が重なり合い、万華鏡を覗き込んだような光景が目の前に広がる。

 そして、その文様の中心から、アリサが全身全霊を込めた青の魔力が放たれる。鉄の龍も、口から紫色の光線を放つ。二つの光がぶつかり合い、ただでさえふたつの太陽と月、そしてたくさんの照明に照らされている園内がより一層眩しくなる。

 ぶつかり合った二つの光の境界線から、光の粒子が散る。

 それぞれの光は熱を帯び、周囲の気温は上昇し、肺を満たす空気は粘度を増しているような気がする。それなのに、なぜか背筋が冷たい。

 寒気がするのは、互いの放つ光の色彩が冷たいからだろうか。

「くっ……!」

 その魔法は、アリサにとって間違いなく自身最大の魔法だ。

 辺り一帯の魔力を取り込み、自分でも驚くくらいに全身に力が漲っているのがわかる。けれども、その魔法が龍を倒すには至っていない。

 龍の光線とアリサの魔法の威力はほぼ互角で、均衡を保っている。

 ――まだ足りないの?

 胸の内に不安が渦巻き始める。

 確かに今は互角だ。けれども、永遠にこの状況は続けられない。鉄の龍に疲労というものが存在するのだろうか。もしもそれがないのだとすれば、アリサの方が圧倒的に不利だ。

 アリサは大きく首を振る。

 ――いや、ダメだ。魔法はイメージが大切なんだ。ここでそんなことを想像しちゃったら、負ける。

 もっと、思い切って一気に魔法を打ち出すイメージだ、とアリサは踏ん張るけれども、龍の光線は未だ威力を保ち、押し込んでくる。

 そうして遂にアリサは片膝をついてしまう。

「うぐっ……ぅぅ……」

 徐々に劣勢に追い込まれているのがわかる。幾重もの魔法陣が一枚、また一枚と割れていく。

 あと一歩、もう一歩だけ、なにかが足りない。
 龍の光線は徐々に迫ってきている。

 ――もうダメか。

 ここでやられてしまっても、魔女であるアリサは死ぬことはない。肉体が朽ちても、再生し、あの龍に挑むことはできるのだろう。ならば、一度ここで諦めてしまってもいいのかも知れない。そうして再び身を隠し、あの龍を今度こそは倒せるように力を蓄えるのも選択肢のひとつだろう。

 スッと身体から、力が抜ける。そうして一気に龍の光線が目前にまで迫る。その光が、思っていたよりもずっと綺麗で、アリサは思わず見惚れてしまう。

 けれども、そんな何もかもを投げ捨ててしまった瞬間に、声が聞こえた。

「アリサ!」

 と、聞き覚えのある……いや、聞き慣れた一人の男の子の声。

「アリサ、負けんな!」

 その声に背中を強引に支えられ、アリサは再び力を込め、踏みとどまる。

 声のした方へと目を向けると、拓光が必死の形相で叫んでいる。真剣に、本気で。それがなんだかおかしくて、アリサは思わず口元が綻んでしまう。

 ――いや、違う。おかしいんじゃない。きっと私は、嬉しいんだ。

 柏木アリサはこれまで、応援なんてされたことがなかった。

 両親は幼い頃に亡くなってしまったし、魔女であるがゆえに、人とは距離をとって生きてきた。友達と呼べる存在も何人かはいるけれども、それでも必要以上に踏み込みはしなかったし、踏み込ませもしなかった。完全に素の自分をさらけ出したことはない。体育大会なんかでも、個人競技の種目には出ずに、なるたけ多くの人に紛れるような競技に出て目立たずにいた。

 だから、ただ単純に、自分個人に応援の声を掛けてもらえるということが、こんなにも嬉しいのだということに、初めて気が付いた。

 なぜだろう、全身に魔力ではない何か別の力が漲っていくのがわかる。今なら、あの龍も倒せるに違いない。なんてことのない、ただの応援の言葉ひとつを掛けられただけだというのに。

 魔法は奇跡だ。奇跡に理論も理屈も理由も必要ない。拓光の声が、理論も理屈も理由もなく、アリサに力を与えるというのなら、それもまた、ひとつの魔法と呼べるのかもしれない。

 アリサは、自らの魔法と、拓光から与えられたもうひとつの力で、鉄の龍に最大火力の魔法をぶつける。

 今度はさっきよりもよっぽど楽だ。さっきまではあんなにも苦しかったはずなのに。

「いけ!」

 割れた魔法陣の欠片が再び集まって、魔法陣を構築する。
 そしてついに、アリサの魔法が鉄の龍の光線を押し始める。

「いけ!」

 拓光は右手の拳を天高く掲げながら、叫ぶ。

「いけ!」

 と、いつのまにかマクスウェルもこの場に来ていたことに、アリサは気付く。

 ここでアリサが負けてしまえば、この周辺は先程のように再び焦土と化すだろう。つまり、この場に来ている拓光とマクスウェルも危険にさらされるのだ。

 ――バカじゃないの? せっかく私が二人とも死なないようにって別行動にしたのに。

 と、呆れながらも、笑ってしまう。

 拓光ひとりの応援でこれだけ頑張れるのだ。さらにマクスウェルの応援も加わるのならば、絶対に負けるわけにはいかない。そもそも、負けてしまったら、この二人も危険にさらすことになり、最悪の場合は死なせてしまうことになるかもしれないのだ。それだけは絶対にあってはならないことだ。

 ならば、勝つしかないだろう。

「あああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 二人の声を背に、アリサは全身全霊、渾身の一撃を押し出す。

 叫び声をあげるアリサの声さえ完全に消し去るほどの轟音とともに、青の光は紫の光線を飲み込み、そして鉄の龍の頭も貫いて、遥か彼方の虚空へと消えていった。

「はぁ、はぁ……」

 肩で息をしながら、アリサはへたり込みそうになるのを必死に堪える。

 まだ、終わっていない。

 頭を失い、制御を失った、鉄の龍の身体が空から崩れ落ちてくる。数千メートルにも及ぶ鉄のレールが園内中に崩落してくるのだ。

 アリサは拓光とマクスウェルの元へと駆けつけ、魔法で防壁を張り、降ってくる瓦礫を防ぐ。

 鉄骨は一塊になりながら、空中で分解しながら、降ってくる。まるで流星群のように隙間なく、園内中に降り注ぎ、観覧車に直撃し、観覧車は横転する。メリーゴーランドの馬たちを潰し、貫く。そして、それは園内の中央に立派に建つ魔女の城も例外ではなく、瓦礫の流星群に巻き込まれ、崩壊していく。

 そうして、ふあふあランドは蘇る前よりももっと酷い惨状の廃墟へと化していく。
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