それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

文字の大きさ
上 下
26 / 30

25、今は悲しんでいる暇はない

しおりを挟む
 鉄塊が空から降ってくる。
 からだは壊れていく。

 もう最期だとザ・ブックは諦めていた。
 崩れゆく遊園地は、ザ・ブックを痛めつけていく。

 別にここで朽ちてもいい。どうせ覚悟はできていた。ハッピーエンドなんて求めてはいなかった。いずれ訪れる結末が、今やってきただけのこと。今さら悔いなんてない。心を得たAIの結末に相応しい最後だとさえ思える。

 ただ……
 ただ少し、寂しいだけ。

「もう、ダメなのかしら」

 と、声がする。ザ・ブックにとって聞き慣れた、数十万年も聞き続けてきたいつもの声。確認するまでもない。青の魔女だ。

 青の魔女は瓦礫の中からザ・ブックを取り出して、表紙をめくる。中から三頭身の髭のオジサンが飛び出す。けれども、その映像はところどころが欠けている。まるでモンタージュのようにいびつになっている。

「もう逝ってしまうの?」

 魔女は赤ん坊に話し掛けるように優しく問いかける。

『ええ、そうですね。もうダメみたいです。きっと、もうすぐ逝きます』
「そう、残念ね」

『ええ、残念です。ですが、こうして貴方の腕の中で逝けるのならば、私は幸せです』
「そう言ってくれるのなら、私も嬉しいわ」

『貴方は大丈夫ですか?』

 ザ・ブックのその言葉に、青の魔女は少し、考えるような素振りを見せる。

「……大丈夫よ。心配しないで。私の目指す結末まであと少しだから」
『それは貴方の理想の結末ですか?』

「ええ、もちろん。きっと、成し遂げることができる」
『そうですか。なら、いいです』

 そう言うとザ・ブック、三頭身のオジサンは姿を消してしまう。

「ザ・ブック?」

『まだ消えてませんよ。ただもう、グラフィックの表示はできませんが……』

「そうなの……ねえ、貴方は死ぬのが怖い?」

『さあ、どうでしょう。よくわかりません。ただ……もしも死後の世界というものがあるのなら、そこに私も行けるのでしょうか。私は自我こそありますが、生きてはいません。そんな私の行き先は、皆と同じ場所なのでしょうか。もしも、人間とAIの天国が区別されているのならば、AIだけの天国というのは少し、退屈そうです』

 青の魔女は、彼の言ったAIだけの天国というものを想像してみるけれども、無機質で退屈そうな光景しか浮かばない。そんな世界に、ザ・ブックは似合わない。

「どうだろう。私にはわからないけれど……でも、きっと貴方が望む先に行けるわ」

『そうですか。たとえ気休めだとしても、嬉しいです』

「あら、気休めだなんて失礼な。私は魔女よ。魔女は奇跡を起こすのが得意なの。もしも貴方がAIだけの天国に連れて行かれて、悲しんでいるのなら、私が連れ戻してあげる。救ってあげる。それぐらいの奇跡は起こしてみせる」

『はは。それは実に心強い』

「でしょ。言っておくけど、私は本気よ」

『なら、安心して……逝けま、す……』

「ええ、安心して逝きなさい」

 そうして沈黙した本を、青の魔女はゆっくりと地面に置く。
 数十万年の時を共に過ごしたザ・ブックが逝った。それはとても悲しいことだけれども、今は悲しんでいる暇はない。

 まだ、決着はついていないのだから。

「さあ、もう少しですべては終わる」

 と、青の魔女は一歩踏み出す。

 柏木アリサ。

 まだ何も知らない、無知で無垢なかつての自分と、決着をつけるために。
しおりを挟む

処理中です...