上 下
18 / 23

宰相の喉に刺さった棘

しおりを挟む


 一ヶ月前、ライヒシュタット公が亡くなった。
 彼は、オーストリア皇帝の孫だった。そして、かつてのフランス皇帝ナポレオンの息子だった。

 革命戦争時代から、オーストリアはフランスの敵だった。戦争で負けたオーストリアに対し、ナポレオンは内親王を妻に要求してきた。
 そして生まれたのが、彼だ。

 ナポレオンの凋落は早く、彼は3歳の時、父と別れ、母の実家であるオーストリア宮廷にやってきた。

 その時から、この、フランスとオーストリアの間に生まれたプリンスは、オーストリア宰相メッテルニヒの喉に刺さった骨となったのだ。


 やがてワーテルローでナポレオンは破れ、パリは陥落した。皇帝は退位し、エルバ島へ封じられた。翌年、百日天下の夢も虚しく、彼は絶海の孤島、セント・ヘレナへ幽閉され、その地で没する……。

 父ナポレオンが死んでからも、メッテルニヒは、プリンスを守り続けた。
 彼は、皇帝の孫だったからだ。

 フランスにはまだ、帝政の記憶を捨てきれない者が多く、反面、復古したブルボン王家は、彼の命を狙った。諸外国の民衆運動の高まりも、不安要素だった。

 そのすべてから、メッテルニヒは、彼を守り続けた。
 ウィーンの帳の下に隠し、決して外へ出さない、というやり方で。

 そうして彼は、結核で死んだ。
 何もなさぬまま、何処へも行けぬまま。
 23歳だった。






しおりを挟む

処理中です...