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第1章
籠の鳥 2
しおりを挟む驚いて突き飛ばそうとすると、強く抱きしめられた。
そのまま押し倒される。
覆いかぶさった背中を、遼は、力いっぱい、叩いた。
何度も何度も、拳で殴った。
石川は、びくともしなかった。
食いしばった歯の表面を、温かく湿った舌が嘗め回す。
「口を開けて」
そう言って、ますます力を籠め、遼の体を締め付けてくる。
肋骨が折れそうだった。
口を塞がれ、息ができない。
先に、遼が力尽きた。
石川の背に当てた拳が、ずるりと滑り落ちた。
全身から力が抜ける。
首の付け根に、鋭い痛みが走った。
石川が顔を上げた。
獰猛な目をしてた。
そのまま襟首に手をかけた。
ボタンがいくつかはじけ飛ぶ。
間髪入れず、鎖骨を齧られた。
「痛っ!」
悲鳴を上げ、反射的に半身を起こす。
だが石川は容赦なかった。
肩をぐっと抑え込まれ、再びベッドにおしつけられた。
「好きだ。好き」
その言葉を、意外な思いで、遼は聞いた。
そして、石川は、頭が変になったのだと確信した。
確かに、こいつとは触れ合った。
だけどあれは、お互い、欲望が溢れ出ただけのことで、
こいつは、こっち側の人間じゃない。
「好き。好き」
うわ言のように、石川が繰り返す。
「お前は俺のことなんか、好きじゃない!」
たまらなくなって、遼は叫んだ。
「お前は義理堅いやつだから。だから、蒼の頼みを断れなくて……」
「違う!」
思いもかけない強い力でベッドの上にぎゅっと押さえつけられた。
息が詰まった。
「あんただからだ。あんただからだよ」
理解不能だった。
ベッドの上で組み敷かれたこの状況で、冷静に考えろという方が、無理な話だった。
逃げなければ。
逃げ切らなければ。
痛切にそう思った。
ここに来て初めて、遼は、石川との距離感に気がついていた。
昔から、遼にはあまり親しい友人ができなかった。
それは彼が、心に壁を作ってきたからだ。
近寄ってきた友人たちは、いつもその壁にぶつかり、はじき返されてしまう。
あるものは遼のことを、冷たい、と評した。
人に興味がないのだ、と言われたこともある。
母親仲間からそれを聞かされた母に、激しくなじられた。
お前は自分勝手だ、お前のような人間は、社会に出てうまくいくわけがない、人から好かれることなど永久にない、と言って。
仕方がないではないか。
もし、うっかり好きになってしまったら?
異性なら、初めからお互い、用心してかかることができる。
でも、同性だとしたら?
相手方に全くその視点がないだけに、規制は、常に自分の方でかけるしかなかった。
友達同士の気のおけない関係、というものを、遼は、殆ど知らなかった。
石川は、それをもたらしてくれた。
安心して付き合える、気取りのない関係。
始まりが始まりだっただけに、遼の方で構えることはなかった。
言い換えれば、全くの対象外だったのだ。
その隙間に、石川はするりと入り込んできた。
石川との間にあった、居心地のいい時間。失われようとしている今、初めて、遼は、その心地よさに気がついた。
……いやだ。
遼は、必死で身をよじった。
好きとは違う。
……本当に?
まともにものが考えられない。
荒っぽい抱擁から、なんとか逃れようとした。
力任せのキスが繰り返される。唇が切れ、血の味がした。
石川の腕の力は強かった。
心の本音が伝わるほどの。
しかし乱暴な男は、ぐいぐい抱きしめ、稚拙なキスを繰り返すばかりだ。
そこから先に、進もうとしない。
ぽつり。
遼の体の奥底に火がついた。
火は、どんどん大きくなっていく。
右の胸に、疼痛が走った。
石川が、一歩前進したのだ。
所有権を主張するように、左側も同時に指で挟む。
「やめっ……!」
それが、痛みなのか快感なのか、遼にはもう、わからなかった。
ただ逃れようと、必死で身をよじった。
……もしかしたら、逃れたくはなかったのかもしれない。
もどかしい、じれったい時間が流れた。
不意に、体を拘束する力が緩んだ。
ゆるゆると遼は、目を開ける。
石川が顔を上げ、遼の目をまともに見据えていた。
やるせない光を宿していた。
絞り出すような声で、彼は言った。
「またやっちまった。どうもあんたの傍にいると、制御がきかなくって困る。体、まだ回復してないのに。……ごめん」
「やれよ」
傲然と顎を上げ、遼は命じた。
「続けろ」
「……だって、」
「優しい男は、嫌いだ」
言い終わるなり、遼は飛び起き、あっけにとられている石川を、仰向けに、ベッドに押し倒した。
ズボンに手をかけ、一気に脱がす。
「な、……」
それは、きれいにそそり立っていた。
猛り立った獣の匂いがする。
遼の顔に、笑みが走った。
その笑みを気づかれる前に、彼はそれを口に含んだ。
「あ……」
静まり返った部屋の中に、ぴちゃぴちゃと湿った音だけが響く。
舌を、唇を、口全体を使い、遼は攻め立てた。
左手で体を支え、右手で根元からこすり上げていく。
「……」
無限ともいえる、けれどもほんの数分のことだったのかもしれない。
不意に額を押され、遼は顔を離した。
なにをするんだという目で、石川を見る。
石川は、自分を鎮めようと、大きく息を吸っていた。
遼は小首を傾げた。
その隙を衝いて、その手が遼の後ろに回った。
ぴしゃりと払った。
「……」
石川の目を挑発的に見下ろしながら、自分で広げていく。
追い払われた手が、今度は、前に伸びてきた。
柔らかくつかみ、強くこすりあげる。
声にならない呻きが、遼の口から洩れた。
肘をついて、石川が上半身を起こした。
遼は、その口を塞いだ。
舌を使い、思うが儘、蹂躙する。
ふっと目を閉じ、石川にまたがった。
「! ……!」
初めは快感だった。
やがて体の下で相手が動き出し、いつものように快感は苦痛にすり代わっていく……、
……。
「……」
結びついたまま、石川は動かない。
しっかりと、遼を抱きしめた。
痛いくらいの強い力で。
その口が、何か言いたげに開いた。でも、結局、何も言わなかった。
そのまま、そっと、遼を仰向けに倒した。
目を見つめたまま、まだ、じっとしている。
「早く動けよ」
遼は毒づいた。
石川は、追い詰められた泣きそうな顔をした。
ゆっくりと動き出す。
上げた足で、遼は、男の尻を蹴飛ばしてやった。
覆いかぶさったまま、見下ろされる。
必死で余裕を見せようとしているのが伝わってくる。
「じっとしてて」
命令された。
「偉そうだ、お前」
息を弾ませながら文句を言った。
口を、咬みつかれた。
……なんだ、こいつ。そういう男じゃなかった筈だろ?
……なんでそんなに簡単に、こっちへ来やがる。
この男は危険だと、遼は思った。
なんだか自分が自分でなくなっていく気がする。
溶けて流れて、運ばれていく。
動きは次第に激しく、乱暴になっていく。
苦痛は、いつまでたっても、訪れなかった。
体にしつこく巻きついてくる腕を、はたくように外し、起き上がった。
邪険に腕を払ったのに、隣に眠る男は、目覚める気配もない。
その寝息は深く、規則正しい。
自分の服を掴んで、寝室を出た。
男が起きてくる気配はない。
廊下の隅の暗がりで素早く服を身に着け、玄関に向かう。
下駄箱に、鍵は置いてあった。
鍵穴に差し込み、そっと回す。
外へ出るのは、こんなにも簡単だった。
遼は、静かに立ち去った。
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