白く輝く強い羽

せりもも

文字の大きさ
上 下
40 / 75
第3章

逢魔 1

しおりを挟む


 最初は、ヒマなんだ。

 会社ごとに仕事の進め方は違う。
 人間関係もある。
 どれだけ職務経験はあろうとも、最初から、仕事なんてまかせてもらえない。
 だから、最初はヒマでいい。
 最初だけだから……。

 わかっていても、遼は、満たされない思いだった。
 住居を変え、仕事を変え……。



 パワーネット社に、勝手に辞表を送られたことは、本当に腹が立った。
 会社に乗り込んで、辞表を撤回しようかと、本気で思った。

 だが、よく考えてみると、自分は、あの会社が好きなわけではない。忠義を尽くす気など、毛頭ない。あれほどの激務を、定年まで続けるなんて、こちらから願い下げだ。

 パワーネット社は、蒼を過労死に追い込んだ会社だともいえる。
 そこに何年も在籍し続けたなんて、自分は、どうかしていた。
 本当なら、三年前、蒼が死んだときに、辞表を叩き付けるべきだったのだ。


 そう気づくことができたのは、石川の家でよく休んだせいかもしれない。
 実際、あれほど眠ったことは、今までになかった。
 食事も、きちんと摂らせてもらえた。

 食事……ごみ箱に捨てられた冷凍保存袋を思い出し、遼の胸がちくりと痛んだ。

 ……あいつ、自分が料理ができないからといって、恋人に料理を作らせるなんて。
 ……それを、この俺に食べさせるなんて。



 石川のことは、何とも思っていないといったら、嘘になる。
 街や公園を意味もなく歩いたり、映画を見たり。
 それらは確かに、楽しかった。

 過保護なまでの心配は鬱陶しくはあったが、その鬱陶しさの底に、微かな心地よさを感じた。
 気にかけてもらえているという、心地よさだ。
 心が、動きかけているのかもしれなかった。



 でも、あいつは、自分とセックスをした。
 つまりあの男は、その程度の人間なのだ。
 自分とセックスするような、価値のない……。

 もっと悪い。
 あの男には、ちゃんと女の恋人がいる。それなのに、あいつは、自分に手を出した。

 いや。
 あいつは、もともと、普通なのだ。

 そう。
 自分は蒼を、拒絶した。
 同じ理由で、あいつも拒絶しなければならない。



 もう、忘れるべきだ、と思った。
 大丈夫、簡単に忘れられる。
 仕事をしていれば。
 仕事に没頭していれば。

 転職は、思いのほか、簡単だった。
 経験がものをいった。

 なあんだ、と、遼は思った。
 どこでだって働ける。

 それなのに、まだ、大した仕事は任せてもらえない。
 与えられた仕事は、すぐ、片付いてしまう。
 ヒマでヒマで、たまらない。




 ……ねえ、柳ヶ瀬さん。あなたの背中には、羽根があるんだ。真っ白で光り輝く羽根が、ね。

 だが、そう言った蒼は、ここにはいない。
 二人で会社を創ることは、もう、永遠にない。

 ひとりぼっちで、自分はどこまで飛ぶのだろうか。
 飛ばなければならないのか。




 ……「あんたのカエはいくらでもいる」

 石川のやつ、ひどいことを言ったな。
遼は思った。

 ひどいことではあるが、正論だ。
 自分は取り換え可能な部品として、ブラックな会社を渡り歩くのだ。
 生身の体に仕込まれた電池が切れるまで。




 石川の家を出たその日のうちに、スマホを替えた。
 電話番号とメールアドレスも替え、古いアドレスは削除した。

 過去に関係してきた男たちとは、こうではなかった。
 もっとゆるく、次第に連絡が途絶え、しつこい場合には、きっぱりと会う意思はないと伝えた。
 それほどひどい言葉を使う必要はなかった。
 なぜなら、傷つけあうほどの関係ではなかったからだ。

 人は、深く知れば知るほど、相手を傷つけることができる。
 単に体だけの関係なら、そこまで強い態度に出る必要はない。
 そもそも、連絡手段は、スマホアプリだけだった。


 だが、石川には、自分のもっと深いところを握られた感じがする。
 当然、住所も知られているだろう。

 あいつは絶対、追ってくる。

 そう確信した途端、運送会社に連絡を入れていた。
 夜逃げ専門の運送屋だ。
 男の依頼であっても、その事務的な態度は変わらなかった。

 石川の家から逃げ出したその日のうちに、引っ越した。
しおりを挟む

処理中です...