18 / 31
革命の聖女
5 ヨシツネ、生還
しおりを挟む
ジパング王家の娘は、代々、神に愛されている。
中でも太陽神は、殊の外、ジパングの姫が好きだ。
その昔、太陽神がジパングの大地に来たばかりの頃、迷子になった神を、ミエの神殿に案内したのが、王室の娘だったという。王女はこの国の最高神のお気に入りとなった。
以来、王が即位すると、身内の女性がミエのイツキ神殿に送られ、神の御許で、聖女としての日々を送るようになった。
同時にミエの聖女は、「神の花嫁」と称されるようにもなった。
神のお気に入りになったことで、王女には、魔力が授けられた。病気や怪我を治癒させる白魔法だ。また、王女が神の側にい続ける限り、ジパングの国は安泰だと言われている。
だから、代々即位する王は、娘や妹など、自身に近い血縁の王女を、聖女として神に捧げる。
白魔法は、聖女としてミエに籠っている間に、その奥義が授けられる。先祖から王女が受け継いだ神の加護と、ミエの地の霊力が相乗して、初めてその効力を発揮する。いわば、スイッチがオンになるのだ。
魔力は、聖女が純潔を失うまで続く。
13年に亙るミエでの潔斎生活で、わたしは何度か、怪我人や病人を治癒させた。
首都から運ばれてきた人もいれば、地元の人もいた。わたしが聖女だった間に、ミエは大きな地震に見舞われたことがあった。川の堤防が決壊し、洪水が発生した。あの時は、何千人もの人を治療したものだ。
最後の一人が(それはノギだった)テントから出て行くと、わたしは静かに簡易ベッドに近づいた。
髪のくるくるとカールした青年が横たわっていた。
顔色は土気色だった。濃厚な血の匂いがする。彼の軍服は、血まみれだった。腹から大量出血している。どうやら、腹部に被弾したようだ。
気の毒なことに、こんな状態にあってなお、彼は意識があるようだった。ぽっかりと開けた目が、ぼんやりとわたしに向けられる。
表情は、生者のそれとはすっかり変わってしまっていた。鼻筋が異様に高く、反対に目元が落ち窪んでいる。いわば、物質化の一歩手前だ。彼はすでに、死に絡めとられかけていた。
「僕は死ぬのですか?」
掠れた声が尋ねた。苦しみと、それを上回る深い絶望が感じられる。
わたしは、両手を腹部の傷に翳した。目を閉じ五感を研ぎ澄ませて、感じようとする。
テントの外の人々のざわめき、鍋や釜、戦場においても飽きることなく続く日常生活の物音が聞こえる。すぐにそれらは意識から外れ、より微細な音と入れ替わった。木の葉の擦れ合う気配、風が空を渡る音、次の季節が移り替わろうとする足音……。
やがて遠くから、大地の波動が伝わってきた。
太陽神は、生命の神でもある。遠くミエから、白い光が、白い巨大な蛇のように、地を伝ってやってくるのを感じる。
「いいえ。あなたは生きるのです」
乾いた唇を開き、わたしはそう告げた。
それは時には、死よりも残酷な宣告となりうるのだが、この青年には福音だったようだ。にっこりと彼は笑った。
白魔法が効力を発揮し、けが人は、深い眠りに落ちた。
回復の眠りだ。
最初に戻ってきたのも、やっぱりノギだった。
「礼を言うぞ、聖女」
青年の傷が消えているのを確かめると、彼は、涙でぐしゃぐしゃになった顔をわたしに向けた。
「これでヨシツネを故郷に連れていける」
「なぜにあなたの故郷に?」
きょとんとしてわたしは尋ねた。
「妹のムコにと思ってな」
嬉しそうにノギは笑った。泣いたり笑ったり、忙しい男だ。
「ヨシツネは、いい男だ。あんたも見たろう? 敵の総大将さえ、彼の生還を願い、医者を送りつけてきやがる。ヨシツネを狙撃したのは、あいつらなのにな!」
ぎりぎりと歯ぎしりをする。
敵の総大将というのは、さっき中花軍の兵士が言っていた、リュウ大公だろう。わたしの母は中花国出身なので、ひょっとしたら、彼とは血の繋がりがあるかもしれない。だか、ノギの前では、黙っていたほうがいいだろう。
「敵でさえ敬意を示さずにいられないのが、ヨシツネって男さ。その上こいつは、俺を、友達だとぬかしやがる。しかも親友だと。そんな奇特なやつは、ヨシツネだけだ。だから俺はこいつと、一生付き合っていきたいのだ」
「はあ」
「だが、友情などはかないものだからな。賭けてもいいけど、このままだったら今後3ヶ月以内にヨシツネは俺に愛想をつかすね」
そりゃそうかもしれないと、わたしは思った。
この男の強引さでは無理もない。
「だから、もっとしっかり、俺に縛り付けておかなければ。それにはどうしたらいい思う?」
知るか。
「親戚にすればいいのだよ」
呆れた。
鼻を鳴らし、ノギは続けた。
「俺の母さんは父さんと離婚して久しい。父さんの親族は、嫌な奴ばかりでな。ま、母さんの親族もあくどい連中ばかりだが。それはともかく、母さんは父さんの親族と縁切りしたくてうずうずしていているのだが、未だに付き合いが続いている。腐れ縁だからな、親戚というやつは」
「彼を、その腐れ縁の親戚にしたいと?」
矛盾してないか?
だが、ノギは自信満々だった。
「いい考えだろ? 幸い俺の妹は、俺に似てかわいい。財産はないが、もれなく俺という素晴らしい兄がついてくる。ヨシツネにとっても悪い話じゃないと思うんだ」
晴れ晴れとノギは笑った。
「妹のムコになれば、俺の親戚だ。ヨシツネのやつ、いやでも俺と一生付き合わなくてはならないんだ。友達でいるよりよっぽど長続きするご縁ってやつだ!」
もしかして、ヨシツネ准将は、彼岸の彼方に送ってやるべきだったのでは?
軽くわたしは後悔した。
中でも太陽神は、殊の外、ジパングの姫が好きだ。
その昔、太陽神がジパングの大地に来たばかりの頃、迷子になった神を、ミエの神殿に案内したのが、王室の娘だったという。王女はこの国の最高神のお気に入りとなった。
以来、王が即位すると、身内の女性がミエのイツキ神殿に送られ、神の御許で、聖女としての日々を送るようになった。
同時にミエの聖女は、「神の花嫁」と称されるようにもなった。
神のお気に入りになったことで、王女には、魔力が授けられた。病気や怪我を治癒させる白魔法だ。また、王女が神の側にい続ける限り、ジパングの国は安泰だと言われている。
だから、代々即位する王は、娘や妹など、自身に近い血縁の王女を、聖女として神に捧げる。
白魔法は、聖女としてミエに籠っている間に、その奥義が授けられる。先祖から王女が受け継いだ神の加護と、ミエの地の霊力が相乗して、初めてその効力を発揮する。いわば、スイッチがオンになるのだ。
魔力は、聖女が純潔を失うまで続く。
13年に亙るミエでの潔斎生活で、わたしは何度か、怪我人や病人を治癒させた。
首都から運ばれてきた人もいれば、地元の人もいた。わたしが聖女だった間に、ミエは大きな地震に見舞われたことがあった。川の堤防が決壊し、洪水が発生した。あの時は、何千人もの人を治療したものだ。
最後の一人が(それはノギだった)テントから出て行くと、わたしは静かに簡易ベッドに近づいた。
髪のくるくるとカールした青年が横たわっていた。
顔色は土気色だった。濃厚な血の匂いがする。彼の軍服は、血まみれだった。腹から大量出血している。どうやら、腹部に被弾したようだ。
気の毒なことに、こんな状態にあってなお、彼は意識があるようだった。ぽっかりと開けた目が、ぼんやりとわたしに向けられる。
表情は、生者のそれとはすっかり変わってしまっていた。鼻筋が異様に高く、反対に目元が落ち窪んでいる。いわば、物質化の一歩手前だ。彼はすでに、死に絡めとられかけていた。
「僕は死ぬのですか?」
掠れた声が尋ねた。苦しみと、それを上回る深い絶望が感じられる。
わたしは、両手を腹部の傷に翳した。目を閉じ五感を研ぎ澄ませて、感じようとする。
テントの外の人々のざわめき、鍋や釜、戦場においても飽きることなく続く日常生活の物音が聞こえる。すぐにそれらは意識から外れ、より微細な音と入れ替わった。木の葉の擦れ合う気配、風が空を渡る音、次の季節が移り替わろうとする足音……。
やがて遠くから、大地の波動が伝わってきた。
太陽神は、生命の神でもある。遠くミエから、白い光が、白い巨大な蛇のように、地を伝ってやってくるのを感じる。
「いいえ。あなたは生きるのです」
乾いた唇を開き、わたしはそう告げた。
それは時には、死よりも残酷な宣告となりうるのだが、この青年には福音だったようだ。にっこりと彼は笑った。
白魔法が効力を発揮し、けが人は、深い眠りに落ちた。
回復の眠りだ。
最初に戻ってきたのも、やっぱりノギだった。
「礼を言うぞ、聖女」
青年の傷が消えているのを確かめると、彼は、涙でぐしゃぐしゃになった顔をわたしに向けた。
「これでヨシツネを故郷に連れていける」
「なぜにあなたの故郷に?」
きょとんとしてわたしは尋ねた。
「妹のムコにと思ってな」
嬉しそうにノギは笑った。泣いたり笑ったり、忙しい男だ。
「ヨシツネは、いい男だ。あんたも見たろう? 敵の総大将さえ、彼の生還を願い、医者を送りつけてきやがる。ヨシツネを狙撃したのは、あいつらなのにな!」
ぎりぎりと歯ぎしりをする。
敵の総大将というのは、さっき中花軍の兵士が言っていた、リュウ大公だろう。わたしの母は中花国出身なので、ひょっとしたら、彼とは血の繋がりがあるかもしれない。だか、ノギの前では、黙っていたほうがいいだろう。
「敵でさえ敬意を示さずにいられないのが、ヨシツネって男さ。その上こいつは、俺を、友達だとぬかしやがる。しかも親友だと。そんな奇特なやつは、ヨシツネだけだ。だから俺はこいつと、一生付き合っていきたいのだ」
「はあ」
「だが、友情などはかないものだからな。賭けてもいいけど、このままだったら今後3ヶ月以内にヨシツネは俺に愛想をつかすね」
そりゃそうかもしれないと、わたしは思った。
この男の強引さでは無理もない。
「だから、もっとしっかり、俺に縛り付けておかなければ。それにはどうしたらいい思う?」
知るか。
「親戚にすればいいのだよ」
呆れた。
鼻を鳴らし、ノギは続けた。
「俺の母さんは父さんと離婚して久しい。父さんの親族は、嫌な奴ばかりでな。ま、母さんの親族もあくどい連中ばかりだが。それはともかく、母さんは父さんの親族と縁切りしたくてうずうずしていているのだが、未だに付き合いが続いている。腐れ縁だからな、親戚というやつは」
「彼を、その腐れ縁の親戚にしたいと?」
矛盾してないか?
だが、ノギは自信満々だった。
「いい考えだろ? 幸い俺の妹は、俺に似てかわいい。財産はないが、もれなく俺という素晴らしい兄がついてくる。ヨシツネにとっても悪い話じゃないと思うんだ」
晴れ晴れとノギは笑った。
「妹のムコになれば、俺の親戚だ。ヨシツネのやつ、いやでも俺と一生付き合わなくてはならないんだ。友達でいるよりよっぽど長続きするご縁ってやつだ!」
もしかして、ヨシツネ准将は、彼岸の彼方に送ってやるべきだったのでは?
軽くわたしは後悔した。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります
cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。
聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。
そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。
村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。
かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。
そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。
やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき——
リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。
理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、
「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、
自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる