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2章 発情への道
21 作戦会議
しおりを挟む北に向かったロンウィは、私服のせいもあってか、敵に襲われることなく、クレジュール将軍の陣営に到着した。
クレジュールは、北軍の司令官である。
「よく来た、ロンウィ将軍」
クレジュールは、ロンウィより一回り年上だ。他国の傭兵をしていて、リュティス軍への入隊が遅かったので、階級は、ロンウィと同じだ。
彼は小柄で、エネルギッシュな中年男だった。
「うちの兵が、迷惑をかけた」
開口一番、ロンウィは謝った。
クレジュールは肩を竦めた。
「元々農民や工場労働者だったやつらだ。自分達の命が危ないとなれば、逃げて当然だ」
「いや。彼らは戦うだろう。ナタナエレ皇帝に、永遠の忠誠を誓ったのだから」
クレジュールは鼻を鳴らした。
「なら、うちのオシャマ―ル大尉の指導不足なんだろ。いずれにしろ、すでに半年以上、経っている。兵士らが君の元を離れてからね。君が、責任を感じることはない」
この春、軍の改編でロンウィ軍を離れた兵士達は、北軍に送られた。彼らは、クレジュール将軍の大尉、オシャマ―ルの指揮下に配されていた。
クレジュール将軍は、木の机の上に、地図を広げた。
「それで、だ。兵士達は、ここから40キロ西側の、リンツェンの森に逃げ込んだ。ゴドウィ河の川岸だ」
この辺りは、ゴドウィ河の下流に位置している。ロンウィの要塞があるのは、同じ河の上流だ。
「40キロ……すぐだな。俺が彼らを迎えに行き、右翼を再編する」
「おお、そうこなくちゃ。そのまま指揮を執ってくれ。うちのオシャマ―ルに代わって」
「俺が責任を感じる必要はないと言ったくせに?」
ロンウィが言い返すと、クレジュールは、苦いものを噛み潰したような顔になった。
「兵士らは、君の命令なら従う。うちのオシャマ―ル大尉のことは、置き去りにして逃げても」
しぶしぶとクレジュールは、賛辞を絞り出した。ロンウィは、肩を竦めただけだ。
「南寄りの隘路を行け。そこなら、敵がいない」
「わかった」
「リンツェンの森に着いたら、戻って来て、俺の軍と合流してほしい。エスターシュタットの本体は、わが軍の北側に駐屯している。お前の軍が合流し次第、敵本体に突撃する」
「まっすぐに帰ってくればいいのだな」
地図によると、リンツェンの森からクレジュール軍までは、平坦な野原だ。それほど時間はかかるまいと、ロンウィは考えた。
平原の、ある箇所を、クレジュールが指し示した。
「だが、ここに、エスターシュタットの部隊が展開している」
「ローゼトゥール軍か? まさか、ザウルム軍?」
ロンウィは、エスターシュタットの元帥の名を挙げた。
クレジュールは首を横に振った。
「リュティス亡命軍だ」
「!」
ロンウィは息を呑んだ。
リュティス亡命軍……。
それは、亡命した元リュティス王に従い、国を出た貴族達……。
クーデターで即位したナタナエレ・フォンツェルに反旗を翻し、同盟諸国と通じ、母国リュティスに猛烈な反撃を繰り返している……。
「亡命軍は、数は多くないし、装備も大したことはない。やつらには金がないからな」
うっすらと、クレジュールは笑った。
身の危険を感じ、身一つで亡命した彼らの、故国での財産は、ナタナエレ政府に没収された。
諸外国も、そうそう、彼らに協力できるわけではない。ナタナエレ皇帝が目障りだと思う気持ちは、亡命貴族たちと同じであっても。
今、リュティス亡命貴族らは、逼迫した経済状況の中で、ただただ、ナタナエレ・フォンツェルへの憎しみを募らせていた。
「数に於いて、君の歩兵連隊は、亡命軍を、遥かに圧倒している。装備だって、貧乏貴族を、何十倍も上回っている。君は、ここへ来る途中、亡命軍の奴らを殲滅し……、」
「その作戦には、瑕疵がある」
クレジュールを遮り、強い声で、ロンウィは指摘した。
「瑕疵?」
クレジュールが気色ばむ。
彼は、一回りも年下のロンウィを高く買い、その作戦を常に評価してきた。
だが、自分の立案に瑕疵があるなどと言われて、黙っているわけにはいかない。
「どこがまずいというのだ?」
「平野を進めば、北側の敵本体から丸見えだ。亡命軍に加勢する為、やつらは速やかに騎兵を繰り出してくるだろう。一方、わが軍は歩兵部隊だ。騎兵に追われたら、ひとたまりもない」
「まあ、確かにその恐れはあるが……」
クレジュールは言い澱んだ。
「だが、敵本体からは、かなりの距離がある。これだけあれば、歩兵でも、逃げ切れるんじゃないか?」
「兵士たちは、リンツェンの森で不自由な生活をしてきた。食べる物も充分ではなかったはずだ」
「リンツェンの森に逃げ込んで、1週間だ」
「1週間! 長すぎる。歩兵は、自らの足で歩かねばならない。疲れ切っていたら、速度が落ちる」
「なるほど。だが、南側の隘路は使えないぞ? 連隊が通るには、狭すぎる」
「隘路はもっと、遠回りだ」
「なら、どうするというのだ?」
完全にロンウィの術中にはまり、クレジュールは叫んだ。
「どうやって、わが軍と合流する?」
「挟み撃ちだ」
「なんだって!?」
驚いた様子のクレジュールを尻目に、ロンウィは、滔々と述べ立てた。
「クレジュール、君は、歩兵との合流を前提に考えているが、リンツェンの森からでは、敵の本体へ向かう方が、はるかに距離が近い」
改めてクレジュールは、地図に目を落とした。
「確かに」
「移動距離が少なく、歩兵の負担も軽い。平原を移動して君の部隊と合流し、さらに北上するより、いい仕事ができるんじゃないか?」
「うーーーむ」
考え込んだクレジュールに、なおもロンウィは畳みかけた。
「亡命軍にかかずらわって余計な時間を取られるより、まっすぐに、敵本体を叩くのだ。ここにいる君の部隊と、リンツェンの森からの歩兵連隊の、挟み撃ちで。その方が、効率的だと思わないか?」
「よし」
クレジュールが立ち上がった。
「君の作戦でいこう。亡命軍は無視して、敵の本体を挟み撃ちにする。攻撃開始時刻は?」
「明朝5時」
「それでは君は、今夜は、眠れないな」
「もとより承知だ」
にやりと、クレジュールは笑った。
「遅れるなよ」
「了解」
白い歯を見せ、ロンウィも笑った。
*
将軍の胸の隠しに忍び、俺は、全てを聞いていた。
途中、彼の胸の鼓動が早くなったのに気付いた。
リュティス亡命軍の名が出た時だ。
クレジュール将軍は、亡命軍の殲滅を命じた。
だが……。
将軍の鼓動に合わせて、俺の鼓動まで早くなる。
亡命軍には、ロンウィ将軍の兄弟がいるはずだ。従兄弟と、その他の親戚も。
ヴォルムス一族は、戦える者全てが国王軍に参加している。
ロンウィ将軍の他は。
もとより、亡命軍は、同じリュティス人だ。決して、殲滅していい相手ではない。
……どうしよう。将軍は、兄弟や親戚を、殺さなくちゃならないんだ。
決して、将軍自身がやられるとは思わなかった。
俺の将軍が、そう簡単にやられるはずがない。
だが、彼の辛さを思いやり、息が苦しくなった。
ロンウィ将軍は、真っ向からクレジュール将軍に反対しなかった。
彼は言った。
……「その作戦には、瑕疵がある」
続けてロンウィ将軍は、クレジュール将軍の作戦の欠点を述べ始めた。
むっとするクレジュールに対し、エスターシュタット軍本隊への挟み撃ちを提案した。
それはつまり、リュティス亡命軍攻撃を回避して、彼らを蚊帳の外に置き去りにする戦法だ。
リュティス亡命軍を攻撃しない。
ロンウィ将軍の提案には、それ以外の利点はないように、俺には思えた。
俺にだって、地図くらい読める。
エスターシュタット軍を攻撃するには、リンツェンの森を、さらに奥深く進まなければならない。
しかも、開戦は、明朝未明。時間があまりない。
ロンウィ将軍は、ただただ、亡命軍……自分の兄弟親族……への攻撃を回避したいが為に、無茶な作戦を提案した。
俺にはそうとしか、思えない。
大丈夫なのか? その作戦は!
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