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2章 発情への道
26 そばにいたい
しおりを挟むもちろん、おとなしく留守番している気はない。
兵士の足音が聞こえなくなると、俺はさっそく、ドアに体当たりした。
開かない。
固く閉められ、おまけに、外から閂が掛けられているようだ。
それなら、窓だ。
だが、窓もまた、ぴっちり閉まっていた。おまけに高い位置にあって、どう跳ねても、窓枠まで届かない。
俺は絶望した。
やがて、内庭から大きなラッパの音が聞こえた。
大勢の人の気配。
馬が高く嘶く声。
出陣だ。
ロンウィ将軍が行ってしまう!
将軍! 待ってくれ! 置いて行かないで!
俺は、きっと役に立つ。
何の役に立つかは、わからないけど、胸のポケットにいれておいてくれれば、弾除けくらいにはなると思う。弾丸の威力を少しは弱め、あなたの心臓の手前で止めることができるかもしれない。
いや、必ず止めてみせる。
あなたを、守りたいんだ、将軍。
あなたと一緒にいたい。
なんでそんな風に思ったかはわからない。
俺は、ロンウィ将軍のことしか考えられなくなっていた。
あけすけで女に見境のない、けれど、誠実で勇敢な。
下劣と高潔さが目まぐるしく入れ替わる、複雑な性格の、この軍人のことしか。
彼の兵士達と同じだ。
将軍の為なら、なんだってやる。どこへだってついていく。
自分の命さえ、惜しくない。
だって、
ロンウィ将軍のいない世界は、永遠に輝きを喪ったも同然だから。
*
夜明け前。エスターシュタット軍のキャンプは、静まり返っていた。
明るくなってから火を焚いて朝食を摂り、それから、戦いが始まる。
それが、古き良き時代からの、戦争の習慣だった。
エスターシュタット軍が雇った傭兵たちは、古い習慣を遵守した。彼らは、金の為に働いている。
だが、リュティス軍は違った。
兵士らは、自分の国の為に戦っている。故郷に残してきた家族を守る為に、命を賭している。
勝つ為には、古い習慣になど、かかずらわっているわけにはいかない。それに、朝飯くらい抜いても、へっちゃらだ。
リュティス軍は高揚していた。
北軍の司令官、クレジュールと。
はるばるゴドウィ河上流から助太刀に来た、ロンウィ・ヴォルムス将軍。
勇敢で知略家の二人が、軍を率いている。
ロンウィ将軍は、前衛として、騎兵の精鋭達の前にいた。
前衛は、真っ先に敵に切り込む。俊敏な動きが要求される、危険な部隊だ。
この部隊を率いることができるのは、ロンウィ将軍しかいないことを、みんな、わかっていた。
勇敢で、命知らずの彼にしか、できない仕事であると。
リュティス北軍は、すでに、エスターシュタット軍に負けている。一時は、壊滅の危機にまで追いやられた。
今やエスターシュタット軍は、数に於いて、リュティス軍を遥かに上回る。
前衛軍が、敵に奇襲を掛けなければ、この戦いに勝ち目はない。
そして精鋭騎兵を率いる司令官が、真っ先に敵陣へ突っ込んでいくことで、兵士らは鼓舞され、実力以上の力を発揮する。
闇の中、合図が上がった。
雄叫びを上げ、前衛軍が、突撃を開始した。
馬に身を伏せ、先頭を行くのは、もちろん、ロンウィ・ヴォルムス将軍だ。
騎兵隊が砂埃を上げて駆け抜け、その後に、歩兵連隊が続く。
エスターシュタットの陣営から逃れて出て来た敵は、砲兵が砲撃する手はずだ。
クレジュール将軍の策略に、遺漏はない。短い戦闘で、勝利を収めるのだ。
だが……。
敵は、リュティス軍の襲来を予見していた。
エスターシュタット軍はとっくに目を覚まし、敵を待ち受けていた。
……。
*
伝令の齎した第一報は、味方、苦戦、というものだった。
リュティス軍の奇襲は、事前に敵に見破られていた。
恐らく、昨日逃がした亡命軍が、歩兵連隊合流を知らせたのだろう。エスターシュタット軍は、戦闘が近いことを、予測していたようだ。
リュティスの前衛が切り込み、歩兵が続くも、押し戻されつつあるという。
守備兵たちが声高に話すのが聞こえた。
前衛。
彼は、そこにいるはずだ。
騎兵の精鋭部隊の先頭に。
前に走り後ろに戻りして、仲間を鼓舞している。
そして、自ら剣を振り回し……。
人を殺してもいいと、俺は思った。
彼が怪我をするくらいなら。
彼が死んでしまうくらいなら!
敵にも人生があるのは、わかる。敵兵にだって、死んだら泣く人の、一人や二人はいるだろう。
だが、俺には、ロンウィ将軍が、一番大切だ。
彼が無事なら、それでいい。その他の人を、思いやる余裕などない。
こんな恐ろしい祈りが、通じるわけがない。
だが、祈らずにはいられなかった。
神様。
どうか、将軍を、死なせないでください。
彼が無事に俺の所へ帰ってきてくれるよう、どうか、お守りください……。
*
ロンウィ部隊は、敵陣の奥深くまで切り込んでいた。
高台に布陣していた敵軍は、木立や民家を利用して、巧みに銃撃してくる。
馬が、立ち止まった。
どう、と横向けに倒れる。
すんでのところで、ロンウィは、馬から飛び降りた。
葦毛は、わき腹を撃たれていた。即死だった。
……ナタナエレ皇帝のくれた馬。
感傷に浸っている間はなかった。
灌木の茂みから、敵兵がこちらを狙っている。
馬が倒れたのは、見晴らしのいい場所だった。このままでは、ロンウィ自身も蜂の巣だ。
倒れた馬を盾に、ロンウィは屈みこんだ。敵の弾が切れるのを待ち、銃で応戦する。
木々の間に、敵兵が倒れるのが見えた。と思う間もなく、右手にいた味方の騎兵が、音もなく、馬から落ちる。
……時間を稼がねば。
前衛が敵の隊列を切り崩した隙間に、クレジュール部隊が突撃してくることになっている。
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