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12 馬車での散策

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 不意に抱き寄せる強い腕。
 強引に顎を上向かせ、
 頬を挟む、長い指。革手袋の匂い。
 そして、
 ……唇を。


 「なんだよ、ゾフィー。いつも、彼の噂ばかりしているくせに。何をぼんやりしてるの? 僕の話、聞いてた?」
 馬車の対面に座り、フランツがむくれた。
 甘い追憶に浸り、ゾフィーは、ついうっかり彼の話を聞き逃していた。
 フランツルが悪いのだ。
 彼のことばかり話すから。

「僕はね、ヴァーサ公が、上官というだけでなく、個人的にも、親しい間柄……未熟な僕を導いてくれる友人……に、なってくれたらいいな、って思うんだ」

 彼は、新しい上官が、大好きだった。
 まるで、彼に恋しているみたいだった。ゾフィーと一緒に。
 けれど、フランツのそれは、純粋だった。純粋な憧れだった。……軍務への。

 きらきらと輝く、青い瞳が眩しかった。
 ゾフィーは、フランツから目をそらせた。



 王宮ホーフブルクに帰り着くと、意外な人が出迎えた。
「おかえり、ゾフィー。フランツも」

ゾフィーの夫、F・カール大公だった。

「ただいま、叔父さん!」
 元気よく叫んで、フランツがキャリッジから飛び出す。
「ごめんね、叔父さん。大事な奥さんを連れ回しちゃって」
「おいおい。叔父さんは、ないだろう?」
「だって、僕の叔父さんじゃない」

 F・カール大公は、マリー・ルイーゼの弟だ。甥フランツの、9歳年上になる。子どもの頃は、そして今でも、彼の、遊び仲間だという。

 フランツは、反対側に回った。甲斐甲斐しくゾフィーに手を貸して、馬車から下ろした。
「今日は話を聞いてくれて、ありがとう、ゾフィー」
「楽しかったわ、フランツル」
 フランツは、F・カールを振り返った。
「叔父さんも、大切な奥方を貸してくれて、ありがとう!」
「いやいや。全然構わまいよ。いい気晴らしになってるみたいだから。お前といると、ゾフィーの顔色は、とても晴れやかじゃないか」

 突っ立ったまま、F・カールは、ゾフィーを見た。
 ひどく照れくさそうだった。

「そうだ、フランツ。この後、俺と一緒に出掛けないか?」
「え? 叔父さんと一緒に? どこへ?」
「馬の種付けだ。栗毛のメスが、季節外れなのに、発情してな。ありゃ、厩舎のオスの、どれかが誘ったに違いない。そいつには気の毒だが、可愛いインランちゃん栗毛のメスは、イキのいいオスのいる牧場に連れて行くことになった。どうだ、フランツ。俺と一緒に、種付けを見物しないか?」

「……」
無言で夫の脇を通り、ゾフィーは、居室に向かった。

「遠慮しとく」
にべもない口調で、フランツが答えるのが、背後で聞こえた。






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